マギ
「シン、ゲームをしましょう」
カリカリとペン軸が紙に掠る音しかしない真夜中の執務室で突然手元の書類から顔をあげたジャーファルがそう云った。声音は柔らかいくせにその口元に浮かべる微笑と俺を見据えた瞳は挑戦的だ。面白い。俺は眺めていた書類を机上に投げるとニヤリと口角を上げる。
「いいのか。仕事中だろ」
「かまいません。あなたの集中も切れているでしょう。しかし王の命令とあればすぐに執務に取り掛かりますが、いかがなさいます?」
相変わらず娼婦のように妖しく思わせぶりで奇術師のように人をくったような笑みを浮かべながらジャーファルは書類の間から手のひらに収まる大きさの紙きれを抜き取り懐に忍ばせると俺の机の前までゆったりとした歩調で歩いてきた。視線がかち合う。
「俺が勝ったら?」
「そうですね。貴方が今望んでいることをして差し上げます」
「お前が勝ったら?」
「私の望んでいることを貴方にかなえさせてもらいます」
ジャーファルの望んでいること・・・。
「執務作業がいつもの2倍とかか?」
「そうかもしれませんね」
袖で口元を覆いながらジャーファルは吹き出しながら云った。俺もまた我ながらあまりにも色気のないことを口にしてしまったと吹き出してしまう。今はこのジャーファルが作りだしてくれた雰囲気を楽しまなくてはいけない。綺麗な旋律に身を任せるように。
「よし、ゲームを始めよう」
俺はジャーファルに劣らず悪い笑みを浮かべた。
「俺は悪くて狡い人間だ。泣いてもしらないぞ」
「ええ、それでしたら私はずっとその悪くて狡い人間のそばにいました。そろそろ貴方の悪い部分や狡い部分の底は見えてきているつもりです」
ジャーファルの挑発的な視線と口調に乗せられて俺は心地のいい緊迫感とともにその雰囲気に酔って興奮を覚えた。
「ゲームの内容は?」
「そうですね・・・」
ジャーファルはしばらく宙を見ながら考えるそぶりを見せると懐から硬貨を取り出し指で弾いた。
キィーン
硬貨は高い音を立てて宙に舞う。
「コイントスなどどうでしょうか?細工がないか確かめてください」
「ん」
落下してきた硬貨を左手に閉じ込める。握った拳を開くと、オリーブの葉の文様が彫られた面と女の横顔が彫られた面をもつ硬貨が松明の明かりを受けて鈍く光っている。
「表は?」
「貴方が決めてください」
「表が女の横顔、裏がオリーブの葉だ」
「わかりました」
指先で硬貨を弄る。特に細工はない。
「中立人がいないからな・・・、トスは俺がやっていいか?」
「ええ、どうぞ」
パチっと机上を照らす松明の炎が爆ぜて俺の指で弄られている硬貨を視線で追っていたジャーファルの頬を一瞬明るく照らした。光と影のコントラストで表されたジャーファルはひどく色気があった。長い睫の影、ほっそりとした白磁のように白い頬、薄く弧を描いた濡れた唇に、妖しい煌めきを灯した黒曜石のような黒い瞳。
キィーン
硬貨が宙を舞う。亜麻色の光を鈍く放ちながら立っているジャーファルの目線まで上がって落ちてくる。
「貴方からどうぞ」
表だ。俺は自分の右手で覆われた答えを知っている。そしてそのことにきっとジャーファルは気づいている。その上で彼は回答権を先に寄越した。俺は左手で握りしめているもう1枚の硬貨の存在を意識する。
そもそもコイントスなんて俺達の間で本来の意味をなさないことはお互い知っていた。お互い嘘つきで人を欺くことに対して罪悪感を抱かない。だからこれはただのポーズだ。この水面下で行われている駆け引きを盛り上げるための。
俺はジャーファルを盗み見る。相変わらず口元には微笑を浮かべている。どちらを選べばより俺は満たしてもらえる?どちらを選べばより彼を満たせてあげられる?どちらを選んだところで行き着く先は同じであることは知っている。ジャーファルは俺の誘いを断ったことはないから。
『貴方は自分の欲望を通すのと私の願いを知るのとどちらを選びますか?』ということは『貴方から云いだしますか?私から云いだしますか?選んでください』ということだ。
「裏だ」
詐欺師の笑みを浮かべて俺は云った。もったいぶってゆっくりと硬貨を覆っている右手をあげる。
「私の勝ちですね」
俺の左手の甲の上で松明の炎に照らされた女の横顔が輝いていた。ジャーファルは俺の手の甲からコインを摘まみ、そして俺の握ったままの左手に視線をなげると目を細めた。
「貴方も可愛いことをしますね」
「今更だろ」
こらえきれなくなったようにジャーファルが吹き出す。その顔は実際の年齢よりも彼を幼く見せた。
「お前の勝ちだ。さあどうする?」
俺はこれから起こるであろうことへの期待と興奮で胸を膨らませる。
「そうですね・・・」
ジャーファルは懐から先ほどの掌に収まるサイズの紙きれを取り出すと、机に腰をもたれかけて上体をひねって俺に向かう。
視界が一瞬真っ白になった。それがジャーファルの髪であることに気づいた時には至近距離にある彼の微かに震える閉じた瞼が目に入った。しかし、唇には期待しているような柔らかく濡れた感触がしない。長い睫に縁どられた瞼が開いて悪戯の色を浮かべた瞳が現れる。ゆっくりと唇が離れていき彼の瞳に間抜けな顔をした自分が映っているのが見える。先ほどまで俺と彼を隔てていた紙切れを俺の前に置くとジャーファルは白い指先で紙切れの上の文字をなぞる。
「次はもう少し魅力的な言葉で誘ってください。私が素直に貴方の誘いにのれるような」
小悪魔のように悪戯っぽく微笑むとジャーファルは俺の机から腰を上げ部屋の外へ向かって歩き出す。廊下の先の闇へ消えていく前にこちらを振り返ってたっぷりと色気を含んだ笑みを浮かべて俺の望んでいた言葉を残して。
「その書類が終わるまで貴方の部屋で待っています」
しばらくジャーファルが消えていった闇をぼうっと眺めていた俺は我に返って彼が残した見覚えのある紙切れを手に取った。そこには俺の字で『今夜、俺の部屋に来い』と書いてあった。
カリカリとペン軸が紙に掠る音しかしない真夜中の執務室で突然手元の書類から顔をあげたジャーファルがそう云った。声音は柔らかいくせにその口元に浮かべる微笑と俺を見据えた瞳は挑戦的だ。面白い。俺は眺めていた書類を机上に投げるとニヤリと口角を上げる。
「いいのか。仕事中だろ」
「かまいません。あなたの集中も切れているでしょう。しかし王の命令とあればすぐに執務に取り掛かりますが、いかがなさいます?」
相変わらず娼婦のように妖しく思わせぶりで奇術師のように人をくったような笑みを浮かべながらジャーファルは書類の間から手のひらに収まる大きさの紙きれを抜き取り懐に忍ばせると俺の机の前までゆったりとした歩調で歩いてきた。視線がかち合う。
「俺が勝ったら?」
「そうですね。貴方が今望んでいることをして差し上げます」
「お前が勝ったら?」
「私の望んでいることを貴方にかなえさせてもらいます」
ジャーファルの望んでいること・・・。
「執務作業がいつもの2倍とかか?」
「そうかもしれませんね」
袖で口元を覆いながらジャーファルは吹き出しながら云った。俺もまた我ながらあまりにも色気のないことを口にしてしまったと吹き出してしまう。今はこのジャーファルが作りだしてくれた雰囲気を楽しまなくてはいけない。綺麗な旋律に身を任せるように。
「よし、ゲームを始めよう」
俺はジャーファルに劣らず悪い笑みを浮かべた。
「俺は悪くて狡い人間だ。泣いてもしらないぞ」
「ええ、それでしたら私はずっとその悪くて狡い人間のそばにいました。そろそろ貴方の悪い部分や狡い部分の底は見えてきているつもりです」
ジャーファルの挑発的な視線と口調に乗せられて俺は心地のいい緊迫感とともにその雰囲気に酔って興奮を覚えた。
「ゲームの内容は?」
「そうですね・・・」
ジャーファルはしばらく宙を見ながら考えるそぶりを見せると懐から硬貨を取り出し指で弾いた。
キィーン
硬貨は高い音を立てて宙に舞う。
「コイントスなどどうでしょうか?細工がないか確かめてください」
「ん」
落下してきた硬貨を左手に閉じ込める。握った拳を開くと、オリーブの葉の文様が彫られた面と女の横顔が彫られた面をもつ硬貨が松明の明かりを受けて鈍く光っている。
「表は?」
「貴方が決めてください」
「表が女の横顔、裏がオリーブの葉だ」
「わかりました」
指先で硬貨を弄る。特に細工はない。
「中立人がいないからな・・・、トスは俺がやっていいか?」
「ええ、どうぞ」
パチっと机上を照らす松明の炎が爆ぜて俺の指で弄られている硬貨を視線で追っていたジャーファルの頬を一瞬明るく照らした。光と影のコントラストで表されたジャーファルはひどく色気があった。長い睫の影、ほっそりとした白磁のように白い頬、薄く弧を描いた濡れた唇に、妖しい煌めきを灯した黒曜石のような黒い瞳。
キィーン
硬貨が宙を舞う。亜麻色の光を鈍く放ちながら立っているジャーファルの目線まで上がって落ちてくる。
「貴方からどうぞ」
表だ。俺は自分の右手で覆われた答えを知っている。そしてそのことにきっとジャーファルは気づいている。その上で彼は回答権を先に寄越した。俺は左手で握りしめているもう1枚の硬貨の存在を意識する。
そもそもコイントスなんて俺達の間で本来の意味をなさないことはお互い知っていた。お互い嘘つきで人を欺くことに対して罪悪感を抱かない。だからこれはただのポーズだ。この水面下で行われている駆け引きを盛り上げるための。
俺はジャーファルを盗み見る。相変わらず口元には微笑を浮かべている。どちらを選べばより俺は満たしてもらえる?どちらを選べばより彼を満たせてあげられる?どちらを選んだところで行き着く先は同じであることは知っている。ジャーファルは俺の誘いを断ったことはないから。
『貴方は自分の欲望を通すのと私の願いを知るのとどちらを選びますか?』ということは『貴方から云いだしますか?私から云いだしますか?選んでください』ということだ。
「裏だ」
詐欺師の笑みを浮かべて俺は云った。もったいぶってゆっくりと硬貨を覆っている右手をあげる。
「私の勝ちですね」
俺の左手の甲の上で松明の炎に照らされた女の横顔が輝いていた。ジャーファルは俺の手の甲からコインを摘まみ、そして俺の握ったままの左手に視線をなげると目を細めた。
「貴方も可愛いことをしますね」
「今更だろ」
こらえきれなくなったようにジャーファルが吹き出す。その顔は実際の年齢よりも彼を幼く見せた。
「お前の勝ちだ。さあどうする?」
俺はこれから起こるであろうことへの期待と興奮で胸を膨らませる。
「そうですね・・・」
ジャーファルは懐から先ほどの掌に収まるサイズの紙きれを取り出すと、机に腰をもたれかけて上体をひねって俺に向かう。
視界が一瞬真っ白になった。それがジャーファルの髪であることに気づいた時には至近距離にある彼の微かに震える閉じた瞼が目に入った。しかし、唇には期待しているような柔らかく濡れた感触がしない。長い睫に縁どられた瞼が開いて悪戯の色を浮かべた瞳が現れる。ゆっくりと唇が離れていき彼の瞳に間抜けな顔をした自分が映っているのが見える。先ほどまで俺と彼を隔てていた紙切れを俺の前に置くとジャーファルは白い指先で紙切れの上の文字をなぞる。
「次はもう少し魅力的な言葉で誘ってください。私が素直に貴方の誘いにのれるような」
小悪魔のように悪戯っぽく微笑むとジャーファルは俺の机から腰を上げ部屋の外へ向かって歩き出す。廊下の先の闇へ消えていく前にこちらを振り返ってたっぷりと色気を含んだ笑みを浮かべて俺の望んでいた言葉を残して。
「その書類が終わるまで貴方の部屋で待っています」
しばらくジャーファルが消えていった闇をぼうっと眺めていた俺は我に返って彼が残した見覚えのある紙切れを手に取った。そこには俺の字で『今夜、俺の部屋に来い』と書いてあった。
