厨番長童子切
『――歴史をかえては、なぜいけないの?』
久しぶりに、第一部隊に選ばれた。その通達が来たのは、夕餉が終わって片づけをしていた時の事だった。
厚樫山。古くは三日月難民と呼ばれる審神者がこぞって周回をし、戦争初期においては歴戦の審神者でなくては突破できなかった戦場。審神者として一人前になる為の登竜門として未だに名を馳せている、現在は五-四と区分された戦場のうちの一つ。
童子切安綱 剥落は先日、練度上限を迎えた。それを機に、浜茄子本丸が進軍を開始したのだ。
出陣部隊は、部隊長・加州清光を筆頭に、にっかり青江、石切丸、岩融、今剣、そして、童子切安綱 剥落。この六振りだ。
「あつかし山……ですか」
ざぶざぶと食器を洗いながら、今剣は小さく呟く。台の上でめいっぱい背伸びをして、洗い物をしてくれている今剣は、食器から目を離さないまま……食器を見つめ続けたまま、ざぶざぶと洗い続けている。
「……ぼくの、まえのしゅじんをころしたひとたちがいる……」
「そう、なのか」
「そうです」
「……」
「……」
はく、と口を開いては閉じて。何かを紡ごうとしては言葉が出てこなくて。今剣はまだ、ざぶざぶと食器を洗っている。
「……ううん、なんでも……なんでもありません。あしたがしゅつじんなら、きょうははやくにやすまなくてはいけませんね。どうじぎり、おまえもゆっくりやすむんですよ!」
「ああ……」
にぱり、トマトのような瞳をにっこりと覆い隠して見上げる今剣の表情に、ああ、と返す。それに何か、他の刀であったならば上手い言葉を——慰めの言葉、という事すらもわからなかったが——かけられたのだろうが、童子切にそれをかけることは、出来なかった。
そして、出陣の朝を迎える。
本丸の正面門のすぐ傍にあるゲートの前に立つ姿が六振り。出陣ゲートの行先を決める、時の羅針盤を調整していた部隊長……加州清光が、これでよし、と呟く。
「出陣先は1189年8月8日。陸奥国厚樫山、これでオーケー。みんな、準備出来てる?」
「ああ。加持祈祷もしっかりしてきた。今日の出陣でみなが無事に帰れるように、ね」
「ふふ、熱心だったよねぇ……加持祈祷のことだよ。ああ、僕も微力ながらお手伝いはしたよ」
「だいじょうぶです」
「うむ!気力も十分、恐れる事など何もない!」
「…………うん」
思い思いの返答に、ならよしと一つ頷いた加州は、ゲートまで見送りに来ていた浜茄子に向かってひらりと手を振る。
「そんじゃ、主。行ってくるねー。安心して、絶対帰ってくるから」
「うん。……気を付けて、いってらっしゃい。みなさん」
にこ、と笑顔を返して羅針盤に向き直る。かちり、最後の起動キーを操作すると六振りを包みこむように紋が浮かび上がる。転移が、始まる。
ジジ、と音が鳴ると足元から姿が消えていき、やがてそれは脚、腰、胸へと上がってゆく。そうして頭の先まで姿がブレるとその姿は宙へと消える。視界が真っ暗になる。
そして過去へと、遡る。
―――――――――
――――――
―――
ぶぅん、と音を立てて転移が成功する。とすり、重力に従って地面に降り立つと辺り一面青々とした緑に埋もれた、深い深い山の中。
加州が懐中時計型の小型羅針盤を取り出すと、転移成功。と口に出す。
「厚樫山とーちゃく。ここが歴防本部総務課が指定した進軍初期座標であってるね」
「そうなのかい?それで、ここからどこが本陣になるのかな」
「えーと……午だね、午」
「午……馬は大きいよねぇ、身体のことだよ」
「うん、大きい」
「はいはい、なるべく頑張るけど俺の賽の目運次第ってこと。ま、今日はここの本陣を叩くのが目標だから時の運が巡ってくるまで何度でもチャレンジするからね」
「わかったよ」
「了解」
「ああ」
「なら良いよ。……ねえ、聞いてんの?今剣、岩融。俺大事な事話してるんだけど」
ちら、とそれまで会話に参加していなかった今剣と岩融に目を向ける。今剣は背を向けたまま、鬱蒼とした山並みを前に、ぽつりと呟いた。
「……ここが、あつかし山ですか」
「……そのようだ、我ら因縁の地」
「ぼくのまえのしゅじんをころしたひとたちが、しんでしまいました」
「左様、いいざまよ」
「……ここからなら、まえのしゅじんをたすけられるかも」
ざわりと、その言葉に俄かに殺気立つ。おやおや、と目を細めた青江は静かに刀に手をかけており、その手をやんわりと止めている石切丸も、細めた目からは平時の穏やかさが消えている。
「ちょっと、聞き捨てならないんだけど。誰が何をするって?」
加州がそんな二振りの前に立ちながら、今剣に問いかける。
だって、そう呟いた今剣のまあるい瞳に、悔し気な色が浮かぶ。
まぁまて、部隊長殿。とやんわりと押しとどめた岩融が、それはならぬとぴしゃりと告げた。ますます悔し気に顔を歪めて、なぜ、と今剣は零す。
「……れきしをかえては、なぜいけないの?」
「それは……」
歴史を守る事が、刀剣男士の使命。本能であり、存在意義。その為にここに在る。そう即答出来たらよかった。それが出来なかったのは、ちらりとでも欠けた自分と、その相方の”もしも”が過ぎってしまったからか。
「……ならぬのだ、今剣。悲しい事があっても、その次に、我らがいるからだ」
「……むずかしいよ」
岩融が諫める。むずかしい、そう口にした今剣は、矛を収める。
歴史は変わらないし、変えられない。今ここにいる自分が変わってゆくことがあるとしても、その事実は揺らがない。
加州が、あのさ。と口にする。
「ね、今剣。義経公のどこが好きなの」
「え……?うーん……馬にむちゃをさせているやんちゃなところとか、武蔵坊弁慶を前におおたちまわりをしたところか……だいすきなんです。すごく。かぞえきれないくらい」
「そーだよね、俺も、俺の帽子が折れたのわざわざ直そうとしてくれたくらい、愛されてたからさ。気持ちはちょっとわかるよ」
でも、だめなんだよ。加州は続ける。
「歴史は変わらないし、変えられない。愛してくれた人を、俺たちが歪めることがあってはいけない。それはきっと、傲慢だよ。……だって、そんなことをして、沖田くんの俺を元通りに出来たとして……そうしたら、あいつの歴史はどうなるの」
は、と今剣が目をまあるくする。加州があいつ、と親し気に呼ぶ相手はただ一振りだ。未だ顕現していない、本丸の蔵に、その時が来るまで大事に保管されている、対の刀剣。自分が歴史を書き換えると、傍にあるものにもその波は押し寄せる。……なら、岩融の歴史は、どうなってしまうのか?あの真っ白な太刀の可愛い弟は……薄緑は、どうなるのか。
主を救いたい。それは愛された記憶があるから。だが、愛しているからこそ手放す勇気も必要なのだと、加州は訴える。
「……ごめんなさい。どうかしていました。……義経公のことは、大事です。ほんとうに。だけど……まもるべきものを、はきちがえては、いけないのですね」
愛しているから、ごめんなさい。義経公。ぼくは、あなたをみごろします。
ぱしり、両頬を軽くはたいてよし!と気持ちを切り替える。
「ぼくは、あるじさまの今剣。あるじさまのしんにこたえるために、あるじさまのてきをうちます!」
「そうこなくっちゃ。この部隊で一番偵察が上手いんだから、期待してっからね」
すっかり元通り、いつもの空気に戻った今剣にほっとした様子で刀に添えていた手を下ろした青江と、今度は優しい色をたたえた瞳で見つめている石切丸。岩融がすまぬな、と詫びをいれると、気にすることはないよ。避けては通れぬ路あるさ、と軽口を叩き合う。
「よっし、それじゃあ賽子を振るよ。俺の運に期待してて~?」
「あんずることはありませんよ。なんどだって、ぼくがてきをみつけてみせますから!」
「おっ、言うねぇ。期待してるよ」
和気藹々と賽子を振る。
その後ろで、普段の寡黙さ故に気付かれはしなかったけれど、つきり、つきりと僅かに痛む頭に頭を振る刀剣が一振り、いたことには気づかぬまま。
『歴史を変えては、何故いけないの?』
その一言が、胸に残っている。
『悲しい事があっても、その次に我らがいるからだ』
――歴史を守れ、それだけが残っている。
――なら、この胸の痛みは、なに?
とん、とんと。皮をむいた人参を乱切りにしながら、記憶をなぞっている。出陣は数回に及んだものの、無事に踏破。厚樫山という新人審神者にとっての登竜門を無事踏破した本丸には、お祝いムードが漂っている。
ボウルに山盛りに積まれた、くし型に切られたたまねぎと水にさらされている小さく切られたじゃがいも。人参を切り終わると一旦ボウルに積んで。代わりにたまねぎをフライパンで炒め始める。飴色になるまで炒めても構わないが、それは色が紛れるカレーやビーフシチューの時がいいだろう。今回は少し透ける程度に留めておく方がいい。
菜箸で時々かき混ぜながら火を通して、しんなり透明になったら、次はじゃがいも。こちらも少し縁が透けるくらいまで。人参にも同じように火を通して、それらにしっかりと熱が通ったら、準備していた寸胴鍋に移してゆく。
大きな寸胴鍋に水を注いでコンロの火をつけると、ゆっくりじっくりと煮込み始める。
その間に準備するのは、こちらもあらかじめ準備をしていた大量の鶏もも肉だ。順番にフライパンで炒め始めたそれが、ほんのり焼き色がつくまで。急いてかき混ぜては火は通るけれども焼き色がつかないので、そこは我慢。
「…っ!」
ぱちり、弾いた油がたすき掛けをしていた童子切の腕に跳ねた。熱い。火傷になるから水ですすいで冷ますべきだったが、なんとなくぼんやりとしてしまった。は、とした時にはすっかり火が通ってしっかりと焼けていたもも肉があって。慌てて鍋に移しはしたが、あのもも肉だけは少し固くなってしまったかもしれない。これはいけない、と少し内省をして、次のもも肉を焼き始める。
じゅわじゅわともも肉が焼ける音と鍋のふつふつと気泡が弾ける音が、厨に静かに木霊する。
もも肉を焼き終えたら全部鍋に移して、流しに置いたフライパンにぬるま湯を流しながら、置いておいた包丁を手に取る、煮込んでいる間に、最後の具材を準備するのだ。
ブロッコリーを小房に切り分けて、芯の部分までしっかり食べられるように芯は小さめに賽の目切りをしていく。次に切るのはしめじだ。石突を落として、一房ずつに裂いてゆく。
さっとゆでてもいいが、今回は直接鍋にいれて楽をしてしまおう。ブロッコリーとしめじを流水ですすいで、水気を切ると、先にしめじを鍋に入れる。
そうしてぐつぐつと煮込んでゆくと沸騰してきて、野菜と肉のアクが浮かんでくる。具材たっぷりだから、その分出るアクも多い。
丁寧に丁寧に、お玉ですくってはこぼして取り除き、やがて済んだ色のスープになると、一旦火を止める。
下味のコンソメを少々入れて、十分にそれが溶け込むとほんのりとスープに色味と香りが立つ。完全に火を止めて、市販のルーを数箱、割り入れる。ゆっくりとかき混ぜながら、慌てずルーが溶けきるまでゆっくりゆっくり、じっくりと。だんだんと端が蕩けてとろみがつくから、そうしたら改めて火を、今度は弱火にして煮込み始める。このタイミングで、さっき切っておいたブロッコリーを投入する。長く火にかけてしまうと、ブロッコリーが崩れてしまう。だから、短時間の加熱に留める。ほどなくして色が鮮やかな緑色になったら牛乳を加える。牛乳は仕上げの直前に入れるのがコツだ。こうすることで、よりなめらかな口当たりに仕上がる。
少し味見をしてみる。美味しいが、少しまろやかさが足りないだろうか?
お玉を戻して、業務用冷蔵庫の奥から、朝食の時に使った残りのバターを取り出す。少し切り分けてぽとりと落とすと、かき混ぜる。
そうしてもう一度味見をすると、先ほどより濃厚な味わいになったように感じた。あとはお好みで、粉チーズで調整するだろう。塩コショウで味をととのえ、黒コショウで味を引き締める。
ふう、と一つ息を吐いた。
大きな寸胴鍋に作られた具材たっぷりのクリームシチュー。寒くなって来たこの頃、みなの身体を芯からあたためる料理になるだろう。
ちりりん、と厨に新しく備え付けられた、ベルを鳴らす。それはこの本丸の、夕餉の時間の合図だ。
「きょうのゆうげもとってもおいしいです!どうじぎり、つくるのにくろうしたでしょう」
「いや……。……煮込み料理だから、具材を切る手間くらいだと、思う。」
「それでもですよ。あとかたづけはぼくたちにまかせてくださいね」
はふはふと、ほっこりあたたかいシチューを頬張ると白い吐息が零れ落ちる。十一月の寒空の元、遠征に出ていたり内番をこなしていた刀剣たちはすっかり寒さで縮こまっていて、だからこそ、あたたかいシチューに舌鼓を打っては身体の芯に熱が灯る感覚が、染み入るようだった。
「今日のごはんもとってもおいしいです……!」
頬に手を添えて、クリームシチューに感じ入る浜茄子に良かったね、主。と答える加州は厚樫山踏破の折、一番の誉を掻っ攫っている。ぱくりと口にしたじゃがいもは舌で潰せそうなくらいほろほろとしていて、濃厚なルーとお好みでと渡された粉チーズのまろやかさ、やわらかい牛乳の香りが鼻から抜けていく。付け合わせのキャロットラペの、爽やかな酸味がクリームシチューの味をリセットするおかげで、いくらでも食べられそうだった。
「ん~!…俺この味好き!ね、次グラタン作ってよ」
「わかった」
「ぐらたん……とは、なんだ?」
こてん、と国広が首を傾げる。
「えっとね、こんな感じのクリーム味の料理で……こんがり焼いたチーズに、パスタが絡んでとっても美味しい料理だよ、兄弟」
「……!食べたい…!!」
目をきらきらさせた国広に、また今度だよと、ぽんぽんと頭を撫でながら優しく言い聞かせる髭切。
「でも、僕も食べたいなぁ。弟、早くくればいいのに」
「僕たちの本丸は、少数精鋭だからこそ成り立っているからね。まずは僕たちが自立しなくては…」
匙でルーを口にしながら、歌仙が呟く。
「次の大きな戦は……連隊戦、になるのかな?」
蜂須賀が浜茄子に問いかけると、そうですねと浜茄子は答えた。
「文久土佐は……私たちの本丸ではタイミングが合わなかったので。次は連隊戦になります」
「次の連隊戦で顕現する刀は……安宅切、だったか」
「そういや政府から通達があったな。旦那の拵の本科、だったか?」
「ああ。……あいつが来るのなら、心強い。主の一番を譲るつもりはないがな」
「ははっ!それでこそ旦那だ」
ぱしんと背中を叩く薬研に、こら、食事中だぞと窘める長谷部。
和やかな食事の風景を見つめながら、静かに食事を続ける童子切の中からは、もうあの痛みの記憶は零れ落ちていた。
そして、この本丸にとってのはじめての冬が、やってくる。
「――大包平。池田輝政が見出した、刀剣の美の結晶。もっとも美しい剣の一つ。ただ……」
視線が絡み合う。ぱちり、と目を瞬かせた赤い剣が、お前は……と、口を開いた。
はらりと、零れ落ちたその桜を見届ける、童子切安綱の剥落に。
久しぶりに、第一部隊に選ばれた。その通達が来たのは、夕餉が終わって片づけをしていた時の事だった。
厚樫山。古くは三日月難民と呼ばれる審神者がこぞって周回をし、戦争初期においては歴戦の審神者でなくては突破できなかった戦場。審神者として一人前になる為の登竜門として未だに名を馳せている、現在は五-四と区分された戦場のうちの一つ。
童子切安綱 剥落は先日、練度上限を迎えた。それを機に、浜茄子本丸が進軍を開始したのだ。
出陣部隊は、部隊長・加州清光を筆頭に、にっかり青江、石切丸、岩融、今剣、そして、童子切安綱 剥落。この六振りだ。
「あつかし山……ですか」
ざぶざぶと食器を洗いながら、今剣は小さく呟く。台の上でめいっぱい背伸びをして、洗い物をしてくれている今剣は、食器から目を離さないまま……食器を見つめ続けたまま、ざぶざぶと洗い続けている。
「……ぼくの、まえのしゅじんをころしたひとたちがいる……」
「そう、なのか」
「そうです」
「……」
「……」
はく、と口を開いては閉じて。何かを紡ごうとしては言葉が出てこなくて。今剣はまだ、ざぶざぶと食器を洗っている。
「……ううん、なんでも……なんでもありません。あしたがしゅつじんなら、きょうははやくにやすまなくてはいけませんね。どうじぎり、おまえもゆっくりやすむんですよ!」
「ああ……」
にぱり、トマトのような瞳をにっこりと覆い隠して見上げる今剣の表情に、ああ、と返す。それに何か、他の刀であったならば上手い言葉を——慰めの言葉、という事すらもわからなかったが——かけられたのだろうが、童子切にそれをかけることは、出来なかった。
そして、出陣の朝を迎える。
本丸の正面門のすぐ傍にあるゲートの前に立つ姿が六振り。出陣ゲートの行先を決める、時の羅針盤を調整していた部隊長……加州清光が、これでよし、と呟く。
「出陣先は1189年8月8日。陸奥国厚樫山、これでオーケー。みんな、準備出来てる?」
「ああ。加持祈祷もしっかりしてきた。今日の出陣でみなが無事に帰れるように、ね」
「ふふ、熱心だったよねぇ……加持祈祷のことだよ。ああ、僕も微力ながらお手伝いはしたよ」
「だいじょうぶです」
「うむ!気力も十分、恐れる事など何もない!」
「…………うん」
思い思いの返答に、ならよしと一つ頷いた加州は、ゲートまで見送りに来ていた浜茄子に向かってひらりと手を振る。
「そんじゃ、主。行ってくるねー。安心して、絶対帰ってくるから」
「うん。……気を付けて、いってらっしゃい。みなさん」
にこ、と笑顔を返して羅針盤に向き直る。かちり、最後の起動キーを操作すると六振りを包みこむように紋が浮かび上がる。転移が、始まる。
ジジ、と音が鳴ると足元から姿が消えていき、やがてそれは脚、腰、胸へと上がってゆく。そうして頭の先まで姿がブレるとその姿は宙へと消える。視界が真っ暗になる。
そして過去へと、遡る。
―――――――――
――――――
―――
ぶぅん、と音を立てて転移が成功する。とすり、重力に従って地面に降り立つと辺り一面青々とした緑に埋もれた、深い深い山の中。
加州が懐中時計型の小型羅針盤を取り出すと、転移成功。と口に出す。
「厚樫山とーちゃく。ここが歴防本部総務課が指定した進軍初期座標であってるね」
「そうなのかい?それで、ここからどこが本陣になるのかな」
「えーと……午だね、午」
「午……馬は大きいよねぇ、身体のことだよ」
「うん、大きい」
「はいはい、なるべく頑張るけど俺の賽の目運次第ってこと。ま、今日はここの本陣を叩くのが目標だから時の運が巡ってくるまで何度でもチャレンジするからね」
「わかったよ」
「了解」
「ああ」
「なら良いよ。……ねえ、聞いてんの?今剣、岩融。俺大事な事話してるんだけど」
ちら、とそれまで会話に参加していなかった今剣と岩融に目を向ける。今剣は背を向けたまま、鬱蒼とした山並みを前に、ぽつりと呟いた。
「……ここが、あつかし山ですか」
「……そのようだ、我ら因縁の地」
「ぼくのまえのしゅじんをころしたひとたちが、しんでしまいました」
「左様、いいざまよ」
「……ここからなら、まえのしゅじんをたすけられるかも」
ざわりと、その言葉に俄かに殺気立つ。おやおや、と目を細めた青江は静かに刀に手をかけており、その手をやんわりと止めている石切丸も、細めた目からは平時の穏やかさが消えている。
「ちょっと、聞き捨てならないんだけど。誰が何をするって?」
加州がそんな二振りの前に立ちながら、今剣に問いかける。
だって、そう呟いた今剣のまあるい瞳に、悔し気な色が浮かぶ。
まぁまて、部隊長殿。とやんわりと押しとどめた岩融が、それはならぬとぴしゃりと告げた。ますます悔し気に顔を歪めて、なぜ、と今剣は零す。
「……れきしをかえては、なぜいけないの?」
「それは……」
歴史を守る事が、刀剣男士の使命。本能であり、存在意義。その為にここに在る。そう即答出来たらよかった。それが出来なかったのは、ちらりとでも欠けた自分と、その相方の”もしも”が過ぎってしまったからか。
「……ならぬのだ、今剣。悲しい事があっても、その次に、我らがいるからだ」
「……むずかしいよ」
岩融が諫める。むずかしい、そう口にした今剣は、矛を収める。
歴史は変わらないし、変えられない。今ここにいる自分が変わってゆくことがあるとしても、その事実は揺らがない。
加州が、あのさ。と口にする。
「ね、今剣。義経公のどこが好きなの」
「え……?うーん……馬にむちゃをさせているやんちゃなところとか、武蔵坊弁慶を前におおたちまわりをしたところか……だいすきなんです。すごく。かぞえきれないくらい」
「そーだよね、俺も、俺の帽子が折れたのわざわざ直そうとしてくれたくらい、愛されてたからさ。気持ちはちょっとわかるよ」
でも、だめなんだよ。加州は続ける。
「歴史は変わらないし、変えられない。愛してくれた人を、俺たちが歪めることがあってはいけない。それはきっと、傲慢だよ。……だって、そんなことをして、沖田くんの俺を元通りに出来たとして……そうしたら、あいつの歴史はどうなるの」
は、と今剣が目をまあるくする。加州があいつ、と親し気に呼ぶ相手はただ一振りだ。未だ顕現していない、本丸の蔵に、その時が来るまで大事に保管されている、対の刀剣。自分が歴史を書き換えると、傍にあるものにもその波は押し寄せる。……なら、岩融の歴史は、どうなってしまうのか?あの真っ白な太刀の可愛い弟は……薄緑は、どうなるのか。
主を救いたい。それは愛された記憶があるから。だが、愛しているからこそ手放す勇気も必要なのだと、加州は訴える。
「……ごめんなさい。どうかしていました。……義経公のことは、大事です。ほんとうに。だけど……まもるべきものを、はきちがえては、いけないのですね」
愛しているから、ごめんなさい。義経公。ぼくは、あなたをみごろします。
ぱしり、両頬を軽くはたいてよし!と気持ちを切り替える。
「ぼくは、あるじさまの今剣。あるじさまのしんにこたえるために、あるじさまのてきをうちます!」
「そうこなくっちゃ。この部隊で一番偵察が上手いんだから、期待してっからね」
すっかり元通り、いつもの空気に戻った今剣にほっとした様子で刀に添えていた手を下ろした青江と、今度は優しい色をたたえた瞳で見つめている石切丸。岩融がすまぬな、と詫びをいれると、気にすることはないよ。避けては通れぬ路あるさ、と軽口を叩き合う。
「よっし、それじゃあ賽子を振るよ。俺の運に期待してて~?」
「あんずることはありませんよ。なんどだって、ぼくがてきをみつけてみせますから!」
「おっ、言うねぇ。期待してるよ」
和気藹々と賽子を振る。
その後ろで、普段の寡黙さ故に気付かれはしなかったけれど、つきり、つきりと僅かに痛む頭に頭を振る刀剣が一振り、いたことには気づかぬまま。
『歴史を変えては、何故いけないの?』
その一言が、胸に残っている。
『悲しい事があっても、その次に我らがいるからだ』
――歴史を守れ、それだけが残っている。
――なら、この胸の痛みは、なに?
とん、とんと。皮をむいた人参を乱切りにしながら、記憶をなぞっている。出陣は数回に及んだものの、無事に踏破。厚樫山という新人審神者にとっての登竜門を無事踏破した本丸には、お祝いムードが漂っている。
ボウルに山盛りに積まれた、くし型に切られたたまねぎと水にさらされている小さく切られたじゃがいも。人参を切り終わると一旦ボウルに積んで。代わりにたまねぎをフライパンで炒め始める。飴色になるまで炒めても構わないが、それは色が紛れるカレーやビーフシチューの時がいいだろう。今回は少し透ける程度に留めておく方がいい。
菜箸で時々かき混ぜながら火を通して、しんなり透明になったら、次はじゃがいも。こちらも少し縁が透けるくらいまで。人参にも同じように火を通して、それらにしっかりと熱が通ったら、準備していた寸胴鍋に移してゆく。
大きな寸胴鍋に水を注いでコンロの火をつけると、ゆっくりじっくりと煮込み始める。
その間に準備するのは、こちらもあらかじめ準備をしていた大量の鶏もも肉だ。順番にフライパンで炒め始めたそれが、ほんのり焼き色がつくまで。急いてかき混ぜては火は通るけれども焼き色がつかないので、そこは我慢。
「…っ!」
ぱちり、弾いた油がたすき掛けをしていた童子切の腕に跳ねた。熱い。火傷になるから水ですすいで冷ますべきだったが、なんとなくぼんやりとしてしまった。は、とした時にはすっかり火が通ってしっかりと焼けていたもも肉があって。慌てて鍋に移しはしたが、あのもも肉だけは少し固くなってしまったかもしれない。これはいけない、と少し内省をして、次のもも肉を焼き始める。
じゅわじゅわともも肉が焼ける音と鍋のふつふつと気泡が弾ける音が、厨に静かに木霊する。
もも肉を焼き終えたら全部鍋に移して、流しに置いたフライパンにぬるま湯を流しながら、置いておいた包丁を手に取る、煮込んでいる間に、最後の具材を準備するのだ。
ブロッコリーを小房に切り分けて、芯の部分までしっかり食べられるように芯は小さめに賽の目切りをしていく。次に切るのはしめじだ。石突を落として、一房ずつに裂いてゆく。
さっとゆでてもいいが、今回は直接鍋にいれて楽をしてしまおう。ブロッコリーとしめじを流水ですすいで、水気を切ると、先にしめじを鍋に入れる。
そうしてぐつぐつと煮込んでゆくと沸騰してきて、野菜と肉のアクが浮かんでくる。具材たっぷりだから、その分出るアクも多い。
丁寧に丁寧に、お玉ですくってはこぼして取り除き、やがて済んだ色のスープになると、一旦火を止める。
下味のコンソメを少々入れて、十分にそれが溶け込むとほんのりとスープに色味と香りが立つ。完全に火を止めて、市販のルーを数箱、割り入れる。ゆっくりとかき混ぜながら、慌てずルーが溶けきるまでゆっくりゆっくり、じっくりと。だんだんと端が蕩けてとろみがつくから、そうしたら改めて火を、今度は弱火にして煮込み始める。このタイミングで、さっき切っておいたブロッコリーを投入する。長く火にかけてしまうと、ブロッコリーが崩れてしまう。だから、短時間の加熱に留める。ほどなくして色が鮮やかな緑色になったら牛乳を加える。牛乳は仕上げの直前に入れるのがコツだ。こうすることで、よりなめらかな口当たりに仕上がる。
少し味見をしてみる。美味しいが、少しまろやかさが足りないだろうか?
お玉を戻して、業務用冷蔵庫の奥から、朝食の時に使った残りのバターを取り出す。少し切り分けてぽとりと落とすと、かき混ぜる。
そうしてもう一度味見をすると、先ほどより濃厚な味わいになったように感じた。あとはお好みで、粉チーズで調整するだろう。塩コショウで味をととのえ、黒コショウで味を引き締める。
ふう、と一つ息を吐いた。
大きな寸胴鍋に作られた具材たっぷりのクリームシチュー。寒くなって来たこの頃、みなの身体を芯からあたためる料理になるだろう。
ちりりん、と厨に新しく備え付けられた、ベルを鳴らす。それはこの本丸の、夕餉の時間の合図だ。
「きょうのゆうげもとってもおいしいです!どうじぎり、つくるのにくろうしたでしょう」
「いや……。……煮込み料理だから、具材を切る手間くらいだと、思う。」
「それでもですよ。あとかたづけはぼくたちにまかせてくださいね」
はふはふと、ほっこりあたたかいシチューを頬張ると白い吐息が零れ落ちる。十一月の寒空の元、遠征に出ていたり内番をこなしていた刀剣たちはすっかり寒さで縮こまっていて、だからこそ、あたたかいシチューに舌鼓を打っては身体の芯に熱が灯る感覚が、染み入るようだった。
「今日のごはんもとってもおいしいです……!」
頬に手を添えて、クリームシチューに感じ入る浜茄子に良かったね、主。と答える加州は厚樫山踏破の折、一番の誉を掻っ攫っている。ぱくりと口にしたじゃがいもは舌で潰せそうなくらいほろほろとしていて、濃厚なルーとお好みでと渡された粉チーズのまろやかさ、やわらかい牛乳の香りが鼻から抜けていく。付け合わせのキャロットラペの、爽やかな酸味がクリームシチューの味をリセットするおかげで、いくらでも食べられそうだった。
「ん~!…俺この味好き!ね、次グラタン作ってよ」
「わかった」
「ぐらたん……とは、なんだ?」
こてん、と国広が首を傾げる。
「えっとね、こんな感じのクリーム味の料理で……こんがり焼いたチーズに、パスタが絡んでとっても美味しい料理だよ、兄弟」
「……!食べたい…!!」
目をきらきらさせた国広に、また今度だよと、ぽんぽんと頭を撫でながら優しく言い聞かせる髭切。
「でも、僕も食べたいなぁ。弟、早くくればいいのに」
「僕たちの本丸は、少数精鋭だからこそ成り立っているからね。まずは僕たちが自立しなくては…」
匙でルーを口にしながら、歌仙が呟く。
「次の大きな戦は……連隊戦、になるのかな?」
蜂須賀が浜茄子に問いかけると、そうですねと浜茄子は答えた。
「文久土佐は……私たちの本丸ではタイミングが合わなかったので。次は連隊戦になります」
「次の連隊戦で顕現する刀は……安宅切、だったか」
「そういや政府から通達があったな。旦那の拵の本科、だったか?」
「ああ。……あいつが来るのなら、心強い。主の一番を譲るつもりはないがな」
「ははっ!それでこそ旦那だ」
ぱしんと背中を叩く薬研に、こら、食事中だぞと窘める長谷部。
和やかな食事の風景を見つめながら、静かに食事を続ける童子切の中からは、もうあの痛みの記憶は零れ落ちていた。
そして、この本丸にとってのはじめての冬が、やってくる。
「――大包平。池田輝政が見出した、刀剣の美の結晶。もっとも美しい剣の一つ。ただ……」
視線が絡み合う。ぱちり、と目を瞬かせた赤い剣が、お前は……と、口を開いた。
はらりと、零れ落ちたその桜を見届ける、童子切安綱の剥落に。
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