厨番長童子切
追い求めていた。
舞い散る桜の中、顕現した真っ白な太刀を見て、懐に仕舞い込んでいたお守りをぎゅっ…と握りしめた。
「…わたしの、名は——…」
はらりはらりと舞い散る霊力の桜の中。ゆっくりと目を開けた先に見えたのは大人になり切れていない女人の姿だった。
顕現口上を無意識に口にし、そして、二の句を継げられずにいる空の器に戸惑っていると、目の前の女人がほっと息を吐いた。
「やっときた……あなたが、童子切安綱……」
「——…わたしは…童子切、安綱……?」
鸚鵡返しのように繰り返す。その言葉を交わした際、ぴんと何か糸が張るような心地がした。結ばれた、そう直感した。胸に手をあてた立ち居姿のまま、その糸の出どころを探るように胸に視線を落とす。当然ながら、何かあるわけでもない。こてん、と首を傾げていると、目の前の女人が口を開いた。
「はじめまして、この本丸の審神者、浜茄子といいます。えぇと……童子切さん、って呼んでも…いいですか?」
「——…構わない。それが、わたしの名前なら」
「よかった…あ、本丸を案内しますね。ついてきてください」
「わかった」
付いてきてください、と言って部屋を出る審神者について部屋を出た。部屋の外はむわりと蒸し暑く、外の光が煌々と射していて眩しい。どうやら時刻は真昼らしかった。
ぎし、ぎしと音を立てる廊下を歩いていると、目の前の曲がり角から人影が曲がって来た。
「おや。……へぇ、その子が例の。顕現したんだね」
「青江さん、石切丸さん」
深く落ち着いた青に白い装束を羽織った青年と、若草色の和服に身を包んだ穏やかそうな男と審神者の視線が絡む。へぇ、とつま先から髪の毛まで、じっくり眺められるのが落ち着かなくて、少しそわそわとしてしまった。満足したのか、青江と呼ばれた青年は、うんうんと呟く。
「間に合って良かったね、主」
「はい…みなさんのおかげです。今日は、ゆっくり休んでくださいね」
「石切丸という。来たばかりで戸惑うことも多いと思うけれど、困った時は頼っておくれ」
「あ、ああ…」
「それじゃあ、また後で」
すれ違うように歩いていく二振りをちらり、と目で追って。審神者の方へと向き直ってまたついていく。その道中、何振りもの刀たちとすれ違った。
愛染・前田の二振りとは鍛刀場の前で会った。庭で遊んでいたのは、五虎退と秋田、太鼓鐘というらしい。そしてその三振りを見つめながら、縁側で麦茶を飲んでいた刀の名は、髭切。手入れ部屋に入っていたのは、山姥切と加州の二振りだった。書庫にいたのは、歌仙という名の男だった。道場にいたのは、和泉守と薬研という名前らしい。洗濯物を畳んでいたのが、堀川という少年の刀。そして、今本丸にいない——…遠征、というものに出ているらしかったのが大倶利伽羅、小夜、陸奥守、へし切長谷部、燭台切、次郎太刀の六振りらしい。
「これで、紹介は以上ですね」
今は本丸掲示板のネームプレートを見つめながら、審神者は口にする。そこに掛かっているネームプレートの数は、二十三。童子切、という新しい札(少しくしゃくしゃの文字だった)を筆で書いて余ったスペースに引っ掛けると、かたり、と音がした。童子切もそれを見つめた。
本丸にいる刀は、二十三振り。童子切が加わった事で、二十四振り。掲示板にはまだまだ、引っ掛けられるスペースが沢山あるように見受けられた。それを口にすると、審神者はうん、と控えめに言った。
「うちの本丸は、まだ出来て間もないんです。二か月…くらいですね。だから、百鬼夜行——…あ、えぇと。政府から指示された特殊戦場も最後列の、先輩方が弱らせてくれた残党を狩るのが中心で…。小判も時間も、足りないかと思ったけど、何とかがんばりました」
どうしても、貴方が欲しくて、と。ふにゃ、と浮かべた笑顔は眉が下がって力がなくて。改めてしっかりと向き合えば目の下が少し黒くなっていて、肌も少しかさついているように見受けられた。そんな、疲れた色の浮かんだ笑顔だった。
「何故…無理をした」
「え?」
「疲れている」
「え?…あ、私が、ですか?」
こくり、と頷きをかえす。それはー…と、審神者が視線を惑わせながら、少し俯く。胸元に添えた手をぎゅ、と握りながら、ぽつりと口に出した。
「……会ってみたかったんです、童子切安綱 剥落という刀に」
「わたし、に…?」
「はい」
何故——…と、再び疑問が口をついたが、審神者はぎゅっと口を結んだまま何も答えなかった。ただ、苦しそうな顔をしていた。
どれほど沈黙していたのかはわからなかったが、審神者がそれより、と話題を転換する。
「執務室。私の部屋に案内するのを忘れていたので、案内しますね」
「あ、ああ」
くるり、と背を向け歩き出す。その後ろを付いて歩いていく。審神者の背中を見つめながら。その背中は
「(大きく———…?)」
何故。審神者とわたしは初対面のはず、そう戸惑っていると、中庭からきゃらきゃらと笑う声が聞こえた気がした。そちらに顔を向けると、童子切は凪いだ瞳を大きく見開いた。
中庭にいたのは、
「童子切さん?」
「っ、」
は、と我に返る。声を辿ると数歩先で立ち止まった審神者が振り向いて、少し心配そうにこちらを見ていた。
「…すまない、ぼうっとしていた」
「そうですか?その…体調が悪かったら教えてくださいね。まだまだ、暑いから」
「あぁ……、わかった」
審神者が再び歩き出す。足を踏み出そうとして……もう一度、中庭の方を見てみる。
当然、誰もいなかった。
それがなんだか、寂しかった。
審神者の執務室に到着すると、そこにいた刀がおかえり、と口にする。蜂須賀虎徹、今剣。この本丸のはじまりの一振りと、審神者の懐刀であった。書類をとんとんと整えながら、文机に置く蜂須賀と、おちゃをじゅんびしてきますね!と出て行った今剣にありがとうと声をかけて、審神者は腰を落ち着ける。用意された座布団に腰を下ろすと、童子切と蜂須賀の視線が絡む。
「はじめまして、俺は蜂須賀虎徹。名刀と名高い貴方に会えて、光栄だよ」
「わたしは……」
「蜂須賀さん、童子切さんはその…記憶がない、って話だから、あんまりは困ってしまいますよ」
「あぁ、そうだったね…なに、貴方ほどの刀だ。じきに思い出せるさ。焦る事はないよ」
「……、」
思い出す…何を?閉口したまま視線を落としていると、もどりました!と今剣がお盆に乗せた人数分のお茶を持って入室した。よくよくみると、お盆の上には幾つかの飴も乗っている。
「はい、あるじさま!はちすか、おまえもはたらきづめだったのですからあまいものでもたべてやすむんですよ」
「ありがとう、今剣」
「ありがとう」
それぞれお茶と飴を受け取ると、今剣と呼ばれた短刀がこちらの前にお盆を持ってくる。
「どうじきり、おまえはまだきたばかりです。あまいもからいも、わからないとおもいますが…これをたべてごらんなさい。きっときにいります」
ころん、と手のひらに転がされたのは飴の包み。包装をとくように言われたので中身をとりだすと、白と赤の混じった飴だった。口に含む仕草をされたのでその通りに従うと、舌のうえで優しい味が広がる。この味を、自分は
「……いちごミルク?」
ぽつり、と口にしたそれを聞いて、審神者がびっくりしたように目をまあるく開く。
「童子切さん、いちごミルク知ってるんですか?」
「……わからない。だが…これは、知っている」
「童子切安綱は、特殊顕現だから人の知識が欠けている個体も多いってネットにはあったけど……」
「まぁ、知っていることは良い事じゃないかな。君、睡眠とか食事もわかるかい?」
「…わかる」
「なら良かった。うちはまだ刀の数が少ないから、人手が足りない部分が多いんだよ」
基本的なヒトの生活を知っているのなら、最初だけ教えれば世話係は必要なさそうだね。と蜂須賀は審神者に語り掛ける。そうですね、とほほ笑んだ審神者が、あっと思い出したように宙へと声をかける。
「こんのすけさん、いますか?」
「こんのすけはここに!浜茄子様!」
ぽんっ、と音を立てて煙の中から現れたのは紅い隈取に黄色い毛並みをした、まん丸ちいさな狐だった。童子切がぱちくりと目を瞬かせていると、ややっとこんのすけと呼ばれた狐は三振りと一人を見ながら審神者に話しかける。
「ついに童子切安綱 剥落様を顕現なさったのですね、おめでとうございます!浜茄子様!」
「ありがとう、こんのすけさん。それでなんですけど…その、万屋にお料理のお願いをしてもいいですか?」
「えぇ、えぇ、わかりました。いつものコースでよろしかったですか?」
「うん、それで大丈夫。お願いしますね、こんのすけさん」
「かしこまりました!それでは行ってまいりますね、また後程っ」
どろんっと煙と共に今度は姿が掻き消える。今のは……と童子切が呟くと、こんのすけだね。と蜂須賀と呼ばれた刀が返事をした。
「多忙な主のマルチサポートプロトコル…まぁ、簡単に言うと生体AIだね。資材管理だったり、政府との通信を引き受けて通知したり、遡行軍の進軍予測座標を割り出したり…そんな、多忙な主のサポート要員として審神者一人に対して一匹備え付けられている、政府の管狐さ」
「……むずかしい」
「けなみがじょうとうなので、あるじさまにとってのぬいぐるみみたいなやくめもありますね!うーん…なんというんでしたっけ……」
「あぁ、飼い猫みたいなところはあるね。あの子は狐だけれど」
「あはは……そうですね、ふかふかしているのでかわいいなと思います。」
「こぎつねがきたら、やきもちをやくなといまからめにうかぶようです」
交わされる会話にそうなのか…と胸の中で思いながら、静か耳を傾けている。と、ふと両手をそえていた湯呑の事を思いだし、そっと口を付ける。ひんやりとした冷たいものが喉を通って胃の腑に落ちていく感覚がして、この暑さの中で心地良く感じられた。
さて!と今剣と呼ばれた短刀が立ち上がる。
「ぼくはあいているものにこえをかけてきますね!きょうはどうじきり、おまえのかんげいかいなのですから!」
「うん、お願いしますね。今剣」
「ふふん、ぼくにまかせてください!いってきまーす!」
まるで跳ねるように軽やかに、今剣が執務室を出ていく。それを見送りながら、首を傾げる。
「歓迎会……?」
「貴方のだよ、童子切」
「わたし、の……?」
「ああ。本丸に久しぶりに来た新しい仲間だ。俺たちは貴方を歓迎するよ」
「……、ああ。……ああ。」
こくり、と頷く童子切と、そんな童子切を見て目を細めてほほ笑む蜂須賀を見て、浜茄子はまた、そっと懐を握り締めていた。
ようこそ!新しい仲間が来て嬉しいぜ。天下五剣だからと言って、胡坐をかくなよ、怠慢は許さんぞ。童子切さんは、なにがお好きですか?ねえ、これおいしいよ。お食べ。
やんややんやと、二十三振りの仲間が集う広間は、新しく来た刀剣男士を中心に盛り上がっていた。おどおどと問われたことに律儀に答えていると、見かねた蜂須賀が助け舟を出してくれた。各々が自由に席に着き、酒を交わしたりジュースを飲んだりと自由に飲みながら、料理を食べている。だが、童子切にはどうしてかそれが、心の隙間に風が吹くような、寂しさを感じさせていた。
レモンやタルタルソースを添えたエビフライや唐揚げの盛り合わせ。スライスされたローストビーフ。銀色の皿に盛りつけられた、ポテトサラダとマカロニサラダ。焦げひとつない出汁巻き卵。煮物。少し油揚げの油っけが残った、いなりずし。
色味は均一で、どれ一つとっても瑕疵などない出来栄え。なのに、それが寂しいと感じた。胸にそっと手を当てて違和感の正体を探っていると、隣に座った誰かが、楽しめているかな?と声をかけてきた。柔らかい蜂蜜の色の瞳に、濡れ羽色の髪。燭台切と自己紹介していた男だった。
「…よく、わからない」
「あはは、そっか。ごめんね、みんな百鬼夜行をずっと頑張っていたから、結果が実って嬉しかったんだよ」
「……そう、か」
「うん。ちゃんとご飯は食べているかい?」
「…まだ」
「そっか。これとか美味しいよ、食べてごらん?」
これ、と燭台切が指したのは出汁巻き卵だった。つるんとした均一な黄色。燭台切が眺めているので、それに従うようにそっと箸でつまんでみる。ふるふると少し箸が震えるのに合わせて、卵がぷるぷると震える。じっと見つめて、ぱくりと口にした。
「…おいしいかな?」
「……多分」
「そっか、口に合ったならよかったよ」
にこ、と燭台切が笑ったが、童子切はやはり
「(……冷たい)」
もぐもぐと咀嚼する。味は、美味しいと思う。だが、料理を見ても、どれ一つとて湯気が立っていない。均一で、それでいて匂いがない。塩気や甘みも似通っていて、箸と食器がぶつかる音すらも空っぽのように感じた。その違和感をはっきりと手繰り寄せて、童子切は燭台切に問いかけていた。
「これは…」
「うん、なあに?」
「これは…誰が、作ったのか?」
その問いに目をまあるくすると、すぐにしょんぼりとした顔になる。そして、責めてなどいなかったのに、ごめんねと呟くのだ。
「ごめんね。……僕が、料理できたら良かったんだけど」
「何故、謝る」
「『燭台切光忠』は、料理が得意な個体が多いんだよ。…僕も、料理しようと思ったんだけどうまくできなくってさ。出来る事といえば、ご飯を炊いたりサラダ…包丁で野菜を切ったり、簡単な事くらいしかできないんだ」
火が怖い、というワケじゃあないんだけどねぇ。と悔しそうに呟く燭台切は、こう続けた。「だから、お祝いの時は万屋に発注してオードブル…いろんな料理の入ったプレートを頼むんだよ。まぁ、野菜だけじゃあ身体を壊しちゃうから、お惣菜でタンパク質は採っているんだけどね。」と。
タンパク質が何なのかは童子切には理解できなかったが、欠けたらいけないもの、という理解はした。そんな、本丸の話をしていると燭台切が向こうのテーブル…どうやら、髭切と次郎太刀が酒の席で盛り上がったらしい。うんざりとした様子の大倶利伽羅が逃げてきたのを見て、ごめんねと一言告げて席を立つ。
一人残された童子切は、くるりと周りの様子を見回す。黙々と食事をしているもの、談笑しているもの。早々に箸を置いて、飲み物を飲んでいるもの……彼らにとってはこれが当たり前で、誰もこれを違和感として覚えた様子はなさそうだった。
童子切の目に留まった、上座の席。ぽっかりと人一人分空いた空間——恐らく、審神者が座る席だろう。そこに在るべき人が収まっていないことが、少し物寂しい。視線を料理に落とし、ぱくりともう一口食べる。歓迎会は、うれしかった。けれど、やはり、寂しかった。
————————————
—————————
——————
———
夜。童子切はひたひたと歩んでいた。ついぞ現れなかった審神者はどうしたのかと、あのあと蜂須賀に尋ねると、蜂須賀は困ったような顔でこう言っていた。
「彼女はあまり、食事を採ってくれないんだ。あんまり食事が好きじゃないみたいでね。いつも栄養剤なんかで済ませてしまう。」と。
歓迎会の段取りをしてくれたのは、審神者だった。その審神者が実は、食事が好きじゃない、と聞いて。料理が片づけられる前にこっそりと紙皿の上にポテトサラダといなりずし、煮物をとって隠していたのだ。それを持って、昼に案内された執務室を尋ねている。
執務室の前にたつと、中に人がいると思えないほど静けさに満ちていた。審神者、とそっと声をかけても、うんともすんとも言わない。少し逡巡して、意を決した。
「審神者…入るぞ」
そっと障子をあけると、蛍光灯の白い明かりの中で文机に突っ伏した、女性がそこにいた。身じろぎ一つせず、息をしていないのではないかとぎょっとして皿を畳に置くと、そっと審神者の側に寄る。
「審神者、審神者…眠っている…のか…?」
顔を覗き込むと、小さく息をしているのが分かった。それにまずはほっとして、視界の端にちらりと見えた蛍光色の何かに目を向ける。
それは、屑籠の中に入っていた軽い金属の缶だった。一つ取り出してまじまじと見て、その下にあるものが顔を覗かせる。童子切にはわからなかったが、栄養補助食品の紙箱や、ビタミン剤の小箱。それらは渇いた紙の匂いがした。きっと、これが夕食だったのだろう。そんな屑籠の中身と審神者の顔を見て、つきりと胸が痛む感覚がした。
————きっと、食べてはくれない。そう確信を持って一つ息を吐く。疲れた顔はただそこに、静かに眠りに落ちていた。
————ご飯はちゃんと食べないと、だめよ————
「——っ!」
不意に、誰かの声が甦った。誰だろう、と思う気持ちと、そうだと思う気持ちで胸を抑える。審神者の顔をまじまじと見る。……このやつれた顔を見ると、どうしてか胸が痛んだ。この人のために、何かをしなくてはならないという気持ちに駆られた。
「……わたしが——…」
そっと音を立てないように立ち上がる。少し悩んで、肩にかけていたマントをはずして審神者の肩にかける。皿を持って、静かに障子を閉じて、目をつむる。そして童子切は踵を返す。やるべきことを、見つけたからだ。
ちゅん、ちゅんと小鳥の声が朝を告げる。障子から射し込める朝日に身を捩り、うっすらと目をあける。身体が痛い、重たい頭をふるふると振りながらゆっくりと身体を起こすと、あ…と浜茄子は小さく声をあげた。
「……寝ちゃった。だめだなぁ…任務が終わったからって、まだ…これから、なのに……」
しょんぼりとした声をあげる。いつもそうだ。頑張ってがんばって、喰らいついて、ようやく勝ち得た結果なのに気を抜くとすぐこれだ。まだまだ足りない、もっと頑張らなくちゃ、だって、そうしないと、せっかくあの人と
ぎゅ、と無意識に服を握って、そこで気が付いた。見慣れない装束、黒と赤のマント。昨日顕現した、真っ白な太刀のものだった。いつの間に…と思いつつ、見られたことに恥ずかしさが先立つ。そうしてまたうじうじと内省していると、不意に耳が遠くの音を拾った。なんといっているかまではわからないが、どうやら喜色のにじんだ声色なのはわかった。まだこんな朝早いのに、どうしたのかな。何かあったのかな、と思うも、立ち上がる気力がない。けど、気になる。
どうしよう…と悩んでいると、ぱたぱたと軽やかな足音がこちらへ向かってくるのに気が付いた。
「あるじさま!おはようございます!」
障子を開けて入って来たのは今剣だった。その顔に浮かんでいるのは、興奮、喜び、未知。おはようとあいさつを返すよりも前に、目を瞬かせた浜茄子はえっと…と口ごもりながら、今剣に尋ねた。
「どう、したんですか?朝から何か、いい事でもあったんですか?」
と、訊ねてみるとまさにその通りだったらしい。そうなんですよ!と興奮した口調で腕を振って興奮を伝えてくる。
「あるじさま!おしょくじをとりましょう!ひろまにきてください!」
「えっ…えっ?いや、私は……」
「たまにはみなでしょくじをとるべきです。あるじさま、またおしょくじをぬいたのでしょう?ほらいきましょう、あるじさま!」
ぐいぐいと手を引かれて、つられて立ち上がる。顔も洗っていないのに、とか。こんな辛気臭い顔でみんなの前に立つなんて…とか。ちくちくと自分を責めたてるもう一人の自分はいい顔をしていなかったが、足は前へと進んだ。無意識にマントを握ったまま。
そして、広間について浜茄子は目をまあるくするのだった。
—————————
——————
———
「……、」
「旦那、そんなに味見して何か味変わったか…?」
「……いや、確かめていただけだ。大丈夫」
小皿を置いて、くるりと鍋の中身をかき混ぜる。たすき掛けをして露わになった白い肌に赤い痕が残っている。油が跳ねて火傷をしたらしいと薬研は見ていた。きっと痛いだろうに、真剣な様子でせっせと動く新刃の雰囲気に押されて、何も言えやしなかった。
広間には刀たちが集まっていた。そして、みなが思い思いの仕事をしていた。ある刀は湯呑を準備して、危なっかしい手つきで湯を沸かしていた。ある刀は、少し焦げ目のついた卵焼きの皿を配膳していた。ある刀は、炊き立てのご飯をよそって、リレーのように配っていた。
その中心に、彼はいた。
お椀を手に取り、なべの中身をよそう。戻しすぎて量の増えたわかめに埋もれた、少し形の崩れた豆腐のお味噌汁。側にいた薬研が受け取ったそれは、昨日の料理にはない湯気と香りが立ち込めて、なにより、温かかった。
「あるじさまをつれてきましたよー!」
ひょっこり、今剣が顔を出す。手をつないだ先にいるのは、本丸の主。浜茄子。おっかなびっくり、おどおどとした様子で広間を覗いて…目を、まあるくした。
炊いたばかりの、つやつやとした白いご飯は甘い香りと湯気を湛えていた。その隣に並んでいるのは、少し焦げ目のついた不均一で端の方が巻けていない卵焼き。そして、今出来たばかりの出汁が香る、わかめが我が物顔でお椀の中身を占領している、お味噌汁。ありふれた、けれど無かった朝食が、全員分並んでいたのだ。
「これは……」
「ね、あるじさま!すごいでしょう。どうじきりがやったのですよ」
「え、童子切さんが?」
そんな、とびっくりする。だって童子切安綱 剥落には記憶がない。来歴も逸話も、人としてのあるべき形も、全てが剥落したまっさらな個体が、童子切安綱と聞いている。なのに、料理を…顕現二日目で?と、驚いていた。
「審神者」
渦中の童子切が、すっと歩み出る。童子切さん、と呼ぶ浜茄子の顔を見てすっと目を細めると、そっと手を伸ばして目元の隈をなぞった。
「まだ、疲れている」
「え?」
「昨日は、いなかったから……食事を、とれていないと思った」
「それで…朝食を…?」
問いかけると、こくりと頷いた。そこで浜茄子の中に渦巻いた感情は、後悔と自責の念だった。
「……ありがとうございます。でも、ちゃんと栄養はとってるから大丈夫ですよ」
「それは、食事じゃない」
ぴしゃりと、断言されて息がつまった。
「昨日の歓迎会、うれしかった。わたしは…なにもない、のに、歓迎されて。だが……審神者が、いないことは、胸に穴が開いたように感じた。…だから、わたしが料理出来れば……なにかが出来るのではないかと、思った」
童子切さん、と口を開く前にすっと目の前に小皿を出される。少し味噌汁のよそわれた、小皿。それを受け取って、童子切の顔と小皿を交互に見て、こくりと唾を飲み込んだ。鼻をくすぐる出汁の香りと、指先から伝わる温かさ。久しぶりのそれに、花の香りに誘引される蝶のようにそっと口を付けて、味噌汁を飲む。そして、
がしゃんっ
取り落とした皿が粉々に砕ける。童子切が驚いて硬直した。あるじさま!?大将!どうした!?主!と、にわかにざわめく広間の中で、審神者はわなわなと震えていた。そして目の前にいる白い太刀に縋りつくように、どうしてと口からついて出た。
ぽろぽろ、審神者の目から涙が零れ落ちる。どうして、と、もう一度口に出して、童子切の胸に頭を押し付けるようにして、俯いた。
「どうして……っ、どうして、おんなじなの…?」
「——…おな、じ…?」
「ひっく、ぐすっ……おねえちゃん…おねえちゃん……!!」
わぁ、と浜茄子が泣き出した。この二か月、見たこともない主の姿におろおろとする刀たち。縋りつかれた童子切だけが、その背中を無意識に、ぽんぽんと宥めていた。
————飲んだ味噌汁の味は、今は亡き姉の味付けとそっくりだった。
涙でしょっぱくなったご飯に、ごちそうさまでしたと言って平らげる。ご飯を完食などいつぶりだろう。ぽろぽろと零れる涙にまずは顔を洗ってきて、浜茄子は広間の上座にちょこんと座る。居心地が悪そうに、申し訳なさそうに。主、と。最前列に座っていた蜂須賀が優しく声をかける。
「…落ち着いたかい?」
「うん……ごめんなさい、ありがとうございます」
未だ目元は赤いが、泣き出したりせずに審神者は応える。切り込むなら、ここだと蜂須賀は直感していた。
「主、君が食事をとらなくなったのは……さっきの、姉君が関係しているのかい?」
「……」
「主、答えてくれ。俺たち刀剣は食事をとらなくても死にはしない。けど…君は、人間だ。君の言う通り栄養をとれば身体は持つのかもしれないが……それでも、心配なんだ」
「……それは、私が”主”だから、ですか?」
「——…それは…」
「確かに、それもあります。主を正すのは臣下の役目。しかし……それ以上に、俺たちは貴女という人を慕っている」
口ごもる蜂須賀の二の句を継いだのは、長谷部だった。長谷部、と浜茄子の視線が長谷部の瞳を見据える。
「この二か月、貴女の躍進ぶりを傍で見守らせていただきました。戦の采配、俺たちへの配慮…貴女が心を砕いてくださっているのはわかります。しかし、貴女をないがしろにしてまでそれを受け取り続けるのは、苦しい。……この場を借りて切り込む無礼、お許しを」
「そうですよ。みな、あるじさまがはなしてくださるのをずっとまっていたんです。……はなしてくれませんか?あるじさま」
「今剣…」
口を開いて、また閉じる。語るべき言葉を捜すように。それを辛抱強く待ち続けて……やがて、浜茄子が口を開いた。
「私の、お姉ちゃんが…審神者だったんです」
と。
そしてぽつりぽつりと語りだす。覚えていないが、二歳の頃に歴史修正主義者のテロに巻き込まれた事、姉が、その際に刀剣男士と遡行軍を見た事で霊力が発露したこと。大層優秀だったらしい、という事。忙しい隙間を縫って、会いに来てくれていた事。ご飯を作ってくれたこと。亡くなる日、お弁当を持たせてくれたこと。もういない、という事。その遺品を受け取った時、姉の死亡を聞かされた時、自分も霊力が発露したという事。遡行軍への復讐と、姉が自分に隠していたものを知りたくて、審神者になった事。
そして、静かに頭をさげた。
「……ごめんなさい。私は、ずっとお姉ちゃんの後を追いかけてて…許せなくて…ずっと、それで、みなさんに迷惑を……」
「——…迷惑、なんて僕たち誰も思っていないけどねぇ」
そうでしょ?とマイペースに口を開いたのは、髭切だった。
「君が戦事に真面目なのは知っていたし、きょうだいがいなくなるのはきっと寂しいよね。僕もまた、頑張ってスパスパ切っちゃうから、任せてね」
「おう、ド派手な活躍期待してくれよ!」
「愛されてたんだね、主」
「そうやの、なんちゃあない。むしろ、おんしの腹ん中が知れて安心したぜよ。わしがおうた時にゃあ暗い顔しちょったからのう」
「…復讐なら、僕を使ってよ」
広間がざわざわとざわめく。その誰もが、浜茄子を責めるような言葉を零したりなどしなかった。刀剣は審神者に似る、というデータもあるが。ずっと待っていたのだ。浜茄子がいつか話してくれることを。そのきっかけを。
うる、と涙ぐみそうになったのを堪えて、口を引き結ぶ。主、と長谷部が声をかけてきたので、慌てて目を擦ってなんですか?と返した。
「主、総務番長として具申致します。……空席の、厨番長。そこに童子切安綱 剥落を据えてはいかがでしょうか?」
「童子切さんを?」
「はい。まだ顕現二日目と歴は浅いですが……この本丸でほとんど唯一の、調理が可能な刀です。もちろん出陣や内番などの仕事にも慣れる必要はありますが……何より、こいつは何故か。主のお望みのものを作れる。…悔しいですが、俺には不可能です。どうか、ご一考を」
「……それは…」
それは、まっさらな童子切を型にはめる行為ではないか。そう不安がよぎった。童子切の方をちらりと向く。話題に出されたというのに、童子切は凪いだ様子で静かにじっと座っていた。
「童子切さんは…やりたいことは、ないんですか…?」
「わたしの、やりたいこと…?」
こてんと首を傾げて、視線を落とす。その姿にやっぱり無理をさせたんじゃ…と罪悪感が募って、やっぱりなかったことに…と口を開きかけたそれに被せるように、童子切が口を開いた。
「燭台切が…」
「え、僕?」
「燭台切が、楽しめているか。と聞いていた。……わたしは最初、それがわからなかったが…、先ほどの、審神者が泣いて…でも、ごちそうさまと言ってくれた時。うれしかった。だから、多分、楽しかったのだと…思う」
「童子切さん…」
「だから、厨番長を、引き受けたい。……わたしが、審神者とみなの食事を作る」
上げた顔は義務感でもなく仕方なくでもなく、まっすぐとしていた。銀朱の瞳がまっすぐと、こちらを見つめている。少しだけ逡巡して、悩んで、それでもあの瞬間の悲しさと嬉しさに後押しされて、わかりました。と答える。
「審神者として…お願いします。童子切安綱 剥落。あなたを厨番長に任命します」
「…わかった」
これが、顕現二日目の話。童子切の原点。
決意をそっと、胸に秘めて。
この本丸は再始動する。
〇浜茄子本丸
稼働から僅か二か月の本丸。姉の死という悲劇的な末路によって目覚めた霊力は良質なものだった。ただし量があるわけではないので、顕現は慎重に少しずつという趣向。ある意味の少数精鋭型本丸。六月に就任、八月に百鬼夜行に走る本丸運営をしていた。姉と似て優秀な審神者。ただ、姉はそれ以上に優秀の極みだった。
役職は
近侍:蜂須賀虎徹
総務番長:へし切長谷部 清掃番長:石切丸 勘定番長:堀川 教育番長:今剣 蔵番長:秋田 厨番長:童子切
部隊数は四部隊(比叡山延暦寺クリア)
本丸在籍刀は
蜂須賀・今剣・にっかり青江・愛染・薬研・前田・五虎退・へし切長谷部・山姥切・歌仙・秋田・乱・太鼓鐘・大倶利伽羅・堀川・小夜・陸奥守・髭切・加州・石切丸・和泉守・燭台切・次郎太刀の23振り。ここに、童子切が加わる。
〇審神者(妹)審神者名:浜茄子(ハマナス)
年齢は18歳。政府直轄の高校三年生で進路を選ぶ直前の事だった。普通に進学し普通の生活を送るはずだったが、姉の死をきっかけに霊力が発露して審神者適正を得た。そして姉の後を追って審神者になる。自分に隠して仕事をしている、危険な仕事であるとうっすら理解していた、それでも、姉が隠していたものを知りたかった、その気持ちと、復讐心故だった。
姉に愛されていたが、両親はすでに死亡しており基本的にずっと政府の施設暮らしであった。そのため、寂しがり屋。だが寂しいといっては迷惑を掛けると自覚して我慢していたため、我慢の癖がついている。口ごもる事が多い。
一人暮らしのためある程度の家事は出来るが、料理の腕は上がらずじまいだった。姉を心配させまいと、料理が出来ると嘘をついていた。その為、たまに帰って来た姉が作ってくれるご飯や、姉の同僚(燭台切)が作ってくれるご飯が大好きだった。童子切の作ったご飯が姉の作ったご飯にそっくりで泣いた。
