現十二番隊の元鬼殺隊は
遠いところへ、誰もいない、遠いところへ
水鏡に写り込んだ、煌々と輝く街の姿
ああ、きれいだなぁ。ここなら、怖いモノもいないかな
ぬるりと影が、水鏡に潜り込んだ
「————虚の捕縛?」
「そ、どうもその虚、性質の悪いやつらしくってな……。ほら、車谷って空座町担当の死神がいるだろ?アイツ取り逃がしたんだとよ」
十二番隊研究棟の屋上、フェンスに背を預けながら煙草の煙を一つ吐いて、阿近が語る。その横で、腕を組みながらフェンスに腰かけている勇慈がいる。
「それが、何故捕縛に繋がるんだ」
「……ちっと異形態の可能性がある虚だからかな」
「何?」
「その虚の目撃情報が上がってるのは、決まって空座町で雨の降った日の夜だ。ついでに、喰い方にも妙なところがある。……死体が、喰われてんだよ」
「死体が?」
「あぁ、通常虚は生者・死者を問わず魂魄を狙って喰い散らかすだろ?だから、肉体ってのは単純に魂魄の入れ物、そっちに用はないはずなのに、だ」
「……なるほど」
「おかげで現世じゃあ連続殺人事件って大騒ぎだ。初動が遅れてしまったからな、すでに情報が出回った後で、虚の仕業だと判明したわけだ」
「狙われる人間に、共通項は」
「生憎、今のところ判明していない。子供を狙うって事以外は」
短くなった煙草を携帯灰皿に片しながら、阿近は続けて二本目の煙草に火をつける。ふー…と煙を吐き出し、煙を燻らせながらぎしっ、とフェンスにもたれかかる。
「まぁお前が遅れを取ることはないだろうよ。リハビリも兼ねて、気楽に、だが確実にこなしてくれりゃいい」
「……わかった」
「話は以上だ。現世行くんだろう?気を付けていけよ」
「あぁ」
用は済んだ、とフェンスから下りると屋上から降りる階段の方へと足を向ける。その姿を見送りながら、阿近は煙草の煙を肺いっぱいに吸い込んだ。
「……あ?」
ぽたり、雨粒が一つ天から零れ落ちる。頬に落ちたそれを拭い、思わず見上げてみたが、空は晴れ渡っていてどこから墜ちたのかもわからない。
「……」
妙な間の悪さに、少しだけ嫌なものを感じたのが間違いではなかったのだと、阿近が知るのはそう遠くない未来の事であった。
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放課後。鞄の中に教材を詰め込み終えた勇慈は伝令神機を片手に持ち、今日の天気予報を確認していた。降水確率は夜、60%。任務を受けた後、初めて夜に雨が降る可能性がある条件が整う日であった。
「ねー、勇慈、今何見てんの?」
クラスメイトの一人が勇慈が眺める伝令神機(携帯電話に見えるのだろう)を見つけ、近寄ってくる。降水確率だ、とそっけなく返すと、あぁ、やっぱり?と返事が返ってくる。
「勇慈、あんま興味なさそうだけどやっぱ春祭り行くんだ?まぁ転校してきて初めてだもんね。楽しいよ、お祭り!」
「……何?祭り?」
「あれ、知らなかったの?空座町のお祭り!今日の夜ある予定なんだけどさ、雨降るかもだから心配してたんだぁ」
ね、もしよかったら一緒に行こうよ。浴衣はまだちょっと寒いカモだけど~……と言葉を続けるクラスメイトを他所に、勇慈は思考する。
雨の可能性。そして、多くの人の集まる祭り。件の虚が人の魂魄のみならず人の肉体も狙うのならば、この上ないほど好条件だった。クラスメイトの呼び止める声を無視し、勇慈は教室を後にする。向かうのは、家庭科室だ。
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「全く…急に顔を出したかと思ったら、今晩空いているか。だなんて。あまりにも突然すぎるだろう」
ぱくり、もぐり。照り照りしたとタレが屋台の光に艶めくイカ焼きを口にしながら石田雨竜は毒を吐く。その横に腰を据えて、こってりとしたソースにぴりりと爽やかな紅ショウガが良く効いた、大盛りの焼きそばを啜っている勇慈は、口をもひもひと動かしながら、すまないと一言だけ謝った。
「しかし…こんな人だかりを、本当に虚が襲うものなのか?」
「その可能性が高い、としか言えない。…探知しないんだ」
「何?」
「車谷善之助との交戦が確認されたから、局内でも認識されている。だが、探知に引っかからないんだ」
もぐ、と焼きそばを咀嚼し、缶のお茶を啜りながら一息つく。ぱくぱくとイカ焼きを軽く平らげると、続けて石田ははしまきを口いっぱいに頬張る。程よくシャキシャキとしたキャベツの食感の心地よく、中に混ざっている揚げ玉と和風のだしがソースと相まって箸が進む。はしまきだけに。ずず、と雨竜もお茶を飲んだ。緑茶がよく合う。口直しにきゅうりの一本漬けをぽりぽりとかじりながら、勇慈のセリフの続きを促す。
「今日はこの後、雨が降る可能性が高い。幸い、そこまで強くは降らない…と、思う。虚出現条件として推測されているのは、雨天、かつ、子供だ。ならば、今日この条件はうってつけと言える」
「……最近ニュースになっていた、胸糞悪い殺人事件が虚の仕業だとはな……」
もふ。甘やかで軽やかな、鮮やかな赤や青に染め上げられた綿あめをぱくつきながら勇慈は答える。もふもふもふ。綿あめと格闘しながらぺろりと食べきると、続けてたこ焼きに手を伸ばす。買ったはいいが、出来立てほやほやで熱すぎて、食べられなかったのだ。はふはふ、と息を吹きかけるとソースをはらりと飾る青のりと鰹節が、柔らかく風に踊る。僕にも一つくれ、と石田が言ったのでつまようじに刺して一つ渡してやった。そうして二人ではふはふと、まだ熱さの残るたこ焼きを口にする。
「お?勇慈、石田も。お前たちも来てたのか?」
「むぐっ」
ぱ、と顔を上げるとそこに居たのは一護。そして妹と聞いている遊子と夏梨。井上にチャドもいた。たこ焼きを頬張っているため口を開けない勇慈は、むむ、と手を上げる。
「お兄ちゃん、友達?」
「おう、そっちのリスみたいなのが勇慈。メガネが石田」
「へー」
「あっ、冨岡くんに石田くんも焼きそば食べてたの?美味しいよね!あそこの屋台の!」
にこにこ、と井上が笑う。その横で、チャドが俺たちも買ったんだ。と人数分の焼きそばやりんご飴、チョコバナナ、イカ焼きなどが入った下げた袋を見せながら笑っていた。
「あ、それならさ。いっしょに食べようよ!一緒に食べた方がおいしいよ!」
「むぐ……、俺は構わないが…石田、お前は?」
「僕も構わない」
「やったー!じゃあ座ろ座ろ。遊子ちゃん、夏梨ちゃん。こっちおいで!」
勇慈の隣に石田が、その隣に井上・遊子・間に入るように一護・そして夏梨とチャドの順番。。屋台の並ぶ参道から少し離れた石垣に、すし詰めになるように腰かけて持ち帰った戦果を広げる。ふわぁああ、と織姫が改めて屋台の食べ物に目を輝かせていた。
いただきまぁす!と大きな声で手を合わせる織姫に合わせるように、料理を口にしようとした。
ぽつり。
「んえ?」
ぽつり、ぽつり。さぁああ……雨が俄かに降り出す。うそぉ、と女子陣の声が上がった。
「えー、せっかく食べようって思ったのに…ゴハン冷めちゃうよ」
「仕方ないよ、遊子。とりあえずどっか雨宿り出来るところに移動して食べよ。一兄」
「ん、そーだな…井上、チャド。行こうぜ」
「はぁ~い」
「あぁ」
各々石垣から腰を上げて、境内の雨宿り出来るところに移動しようとした、その時だった。
「っえ、」
くん、と。遊子の首元を後ろから伸びた手がつかむ。突然の事に、え、と驚いた声を上げた遊子と、その遊子の声に反応した夏梨。夏梨が振り返ってみたものは、遊子の服の襟に引っかかった鋭い爪、そして、猫のように鋭い瞳孔と紅い瞳だった。
「バレたっ」
「え、きゃあ!」
「遊子!?」
「な、遊子!!」
「!!」
襟に引っかかっていた爪は首を掴みなおすと、強い力で遊子をそのままつかみ上げて走り去る。信じられないものを見てしまった夏梨が声を上げ、夏梨に続いて遊子の異常に気付いた一護が手を伸ばす。だがしかし、何かが走り去る方が早かった。
「遊子!!…チャド!井上!夏梨を頼む!勇慈、石田。手を貸してくれ!!」
「言われなくても!」
「先に行く」
石田が身を翻して石垣に飛び乗り、伸ばした手を悔し気に握りしめた一護を他所に、勇慈は全集中の呼吸を用いて一息に走り出す。がさがさ、と草むらを掻き分け小枝を折りながら、ひときわ大きな草むらを掻き分けると人気のない広けた場所に出た。そこで、遊子が虚に馬乗りにされて首を絞められている。ばしゃり、とぬかるんだ地面を踏みしめながら、その光景にカッとなった。
「、させるか!」
ポケットの中に忍ばせていたソウル・キャンディを取り出す。それを口にしようとした時だった。ぎょろり、紅い猫のような瞳と視線が交わった時、遠い記憶の中に残っていた面影がよぎった。
「虚…いや、まさか——」
「血鬼術…鏡写し!」
虚……いや、
「っ!」
身体をひねってそれを躱したものの、想定外の事態にソウル・キャンディが手の中から零れ落ちてしまった。鏡の中へと戻った手は何度も何度も、鬼が水鏡を貫くたびに地面から、背後から、あらゆる方向から勇慈を貫かんと攻め立てる。
「ちっ……水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き!」
拾った木の枝を斬魄刀に見立て、手の刺突を搔い潜った下から木に刺さるように雫波紋突きをお見舞いする。見事手のひらを貫いて磔にされた手に、鬼がぎゃあああと悲鳴をあげた。
走り出し、遊子の上にまたがる鬼に体当たりをして吹き飛ばす。そうしてもつれ合うように転がりながら、鬼を地面に抑え込む。
「遊子!」
一護が追いついてきた。地面に倒され、首を絞められていた妹の元に駆けよって背を起こしてやる。続いて石田がこの惨状を目にし、こいつは……!?と鬼に警戒を見せながら滅却師の弓を構える。
「……石田っ、そこに落ちているソウル・キャンディを!」
「何!?」
「その水たまりだ!早く!」
言われるがまま足元の水たまりへと屈み、手探りでソウル・キャンディを漁る。その間も鬼はひどく暴れながら、逆に勇慈の腕を千切らんと腕に爪をたてる。まずい、そう思った勇慈は腕を振り払うと腰のポーチを漁り、麻痺毒の粉薬を鬼へと浴びせる。
「ぎゃっ!な、なんだこれ!」
「うっ…」
即効性の麻痺毒を鬼もろとも浴び、身体がしびれだす。なおも暴れる鬼を脚で押さえつけながら、震える手でインカム型の伝令神機の通話モードをONにすると、局へと通報を入れた。
「伝令!例の虚を捕縛した。これは虚じゃない、鬼だ!誰か、死神を派遣してくれ!伝令——!」
「う、うぅううう!」
抑え込んでいた鬼の手が振りほどかれ、勇慈の顔を狙って振りかぶられる。普段なら難なく躱せるそれも、しびれる身体では僅かに回避動作が遅れた。躱しきれなかった髪がいくらか宙に散り、掠った伝令神機が破壊される。蹴りを入れられ、鬼の上から吹き飛ばされる。
「ぐっ…!」
「…ない…ない……あ、あった!冨岡!これを!!」
「!」
水たまりからソウル・キャンディを拾い上げた石田が勇慈へ向けてソウル・キャンディを投げる。それを片手でキャッチすると口に含み、義骸から死神の身体が抜け出す。そして腰に佩いた彼岸花を抜き放った。その勇慈を見て、信じられないものを見たと鬼がわめきだす。
「嘘だ、嘘だ!なんで!?ここならアイツらもいないと思ったのに、なんで鬼殺隊がここにいるんだよぉ!!」
「鬼殺隊……?」
一護がオウム返しで尋ねる。その間も、嘘だ嘘だと鬼は頭を振ってみたくないという。
「ここなら怖いモノいないって、そう思ってたのにぃ……もうやだ!お前たちなんて消えちゃえ!!」
きっと鬼が顔を上げる。これはまずい、斬らねば。ヒュウウと呼吸をして打ち潮の構えを取った。その踏み込む脚が、水たまりへと囚われる。
「血気術——…鏡写し!」
ずぶ、と脚が沈みだす。がくんと姿勢を崩した勇慈は膝をつき、その膝すらも水鏡の中に沈んでいく。
「何が…うわっ!」
「石田!」
ちらりと振り返ると、石田もまたソウル・キャンディの沈んでいた水たまりの中へ足が沈み始めていた。一護もまた、先ほどよりも大きくなった水たまりに遊子ごと囚われている。
「沈んじゃえ、誰もいないところへ……お前たちなんか、どっか行っちゃえ!!」
「て、めぇえええ!」
遊子だけでも、と一護が遊子に謝りながら草むらへ向けて放り投げる。きっと、草むらがクッションになってくれただろう、がさがさ、と音がして遊子は地面に再び伏した。そうしている間にも、すでに石田も一護も、そして勇慈もまた胸のあたりまで水底に沈もうとしていた。
「う、あぁあああ!」
ずぼ、と沈んだ腕を無理やり引き抜く。そして深く全集中の呼吸をすると、水の軌跡を引いた斬魄刀を鬼へと向かって投げた。さながら、上弦の壱を磔にせんとした時のように。ただしあの時とは違って、躱されなかった斬魄刀は見事、鬼を樹木に縫い留めた。
「ガッ…」
鬼が血を吐く。それを見届けながら、沈みゆく。やがて三人とも水鏡に沈み、とぷん、と一つ波紋が立った。
さぁさぁと、雨は降り続いている。
護廷十三隊コソコソ噂話
腕の施術はマユリがしました。その際、腕が腐ったり土埃で痛むと縫合しても元通りにはならないので、転界結柱の前に施術を挟んでいます。その後もちょくちょく、様子を見に来ていました。なんだかんだ仲のいい友達なので。