現十二番隊の元鬼殺隊は
「さて……どれを説明してほしい?一護」
「全部だよ!!!!!」
ゴオオオ…と音を立てながら、
その箱の中で待機している一護はそれはそれは、大混乱であった。
曰く、この箱は尸魂界と現世を繋ぐ断界、その周囲に存在する叫谷と呼ばれる空間を丸ごと利用しようと考えた浦原喜助が案じた一計であった。
黒腔の中に存在する叫谷——存在している霊子空間を、「電気の力で自在に空間を作り出す能力」の持ち主と「気に入った物体に対象を自在に出し入れする能力」を組み合わせる事で一つの箱の中に封じ、それをレールに乗せる事で、所謂エレベーターを作る……というものだった。
そう、浦原喜助の考案したこの作戦には二つの特殊な能力が必須となる。そして、その持ち主を一護は知っていた。
雪緒・ハンス・フォラルルベルナ。毒ヶ峰リルカ。完現術師の二人だ。
一護が単身尸魂界の救援に向かっていた頃、浦原はすでに先を見据えて一手も二手も打っていたのだった。
最も、一護は何も知らされていなかったために今ようやく事情を説明されて大混乱の渦中にいるのだが。
「いやっ……ここに来る途中とか言うチャンスいっぱいあっただろ??なんだその面倒臭そうな顔こっちみろこっち!」
「煩いのう。儂はもう説明したぞ」
「したけど!!雑!!!」
ぎゃーぎゃーと夜一に文句を垂れる一護を他所に、織姫達は困ったような顔で笑っていた。
おほん!と夜一が咳払いをする。
「まぁそんな事は置いておくとして」
「置いとくのかよ!」
「この箱は儂の打った杭……霊王の封印を試みた際に下に打ったものと同じものを霊王のそばに打っておいた。彼奴らに気付かれていなければそこに到着するはずじゃ」
夜一がまっすぐ一護を見つめる。自然と背筋が伸びるようだった。
「そして霊王宮に到着次第、奇襲を仕掛ける。この箱ならば霊圧を放出せずに敵地に乗り込めるからのう。……一気に攻め落とすぞ!」
「……おう!」
「言っとくけど、ボクここから絶対動かないからね。やるなら勝手にやってよね?」
念のため、と口を開く雪緒に対し岩鷲がはぁ!?と口を開きかけるが、それを制した一護がわかったとだけ返す。
「リルカ、お前も残れよ。お前の力じゃこの先の戦いは危険なだけだ」
「はあ!?何言ってんの、ふざけ——」
「俺は一度、叫谷に入ったことあるからわかるんだけどよ。カワイイものしか気に入らねぇお前が、カワイくとも何ともねぇ叫谷なんか箱に詰められる訳がねぇ。……俺らのために無理してやってくれたんだろ?……ありがとな」
背を向けたまま、一護はリルカにそう告げた。ぐ、と息の詰まるリルカの頬は少しだけ紅潮している。そしてそのままそっぽを向くと、「別に…」と誰に向けるでもなく呟いた。だが、一護にはそれで十分だった。ふっとほほ笑んで、まっすぐ箱の入り口を見つめる。駆動音はもうずっと小さくなっていた。箱が、到着する。
「どうやら、着いたようじゃな」
「ああ」
「往くぞ!」
ぎい、ごおお…と音を立てながら箱が開く。
半刻も経たぬうちに戻ったというのに、そこは変わり果てていた。
静謐で無機質で、だがどこか神を祀っていた遺跡のようだった霊王宮に広がっていたのは、ここ数日で嫌というほど見慣れてしまった滅却師の街並み。
「どういう……ことだ……!?」
絶句する一護たちの後ろで、馬鹿な…と呟いていた夜一は、気づいてしまった。足元に転がっていた杭は、まぎれもなく自分が先ほど打ち込んだと証言していたものだという事に。そして、たった半刻でこれだけの大それたことを成したユーハバッハへの畏れに背筋が泡立つ。
「……どうやらここは、紛れもなく霊王宮のようじゃ…ユーハバッハめ…。霊王宮を、自分のものに創り変えおった……!!」
「…!」
なん…だと…と一護が思わずといった様子で口を開いた。その横で、今の今まで黙っていた勇慈がぴくりと反応を示した。
「……向こうに霊圧がある」
「え?…あ、ほんとうだ」
織姫が真っ先に感知、続いて夜一が察知する。夕四郎?と呟いた。夕四郎だけではない。周りにはよくよく辿ると、京楽・浦原・砕蜂・白哉…下に残して来た隊長格の霊圧が集っていた。だが、おや?と勇慈は眉を顰める。何故か、マユリと更木隊長だけそこには無く、さらに感知範囲を広げればほとんど現在地と真反対…対角の位置に、ぽつりと霊圧を感じ取れた。流石に遠くて分かりにくいが、何となく馴染みのある気配なのでこっちがマユリだろう。
生きている——それにそっと、安堵した。そしてすぐに意識を目の前に向ける。崩落した霊王宮の骸の上に積み重ねられるように、たった今目の前で組み替えられている街。ごぉん…と地鳴りが止んだ時には、そこには一つの城が聳え立っていた。
「……あれが、ユーハバッハの…」
一護、逸るなよ。と夜一が窘める。わかってるよと答える一護。
「よし……行くぞ!!」
「うん!」
「ああ」
「おう!」
「わかった」
「うむ」
そして、走り出す。先へ先へ、深奥へと。
同時刻、霊王宮
「なんや、これは……!霊王宮に繋がったはずやのに、なんで滅却師の街に着いてん…!?どないなっとんねん、喜助ェ!」
「イエ……座標は瀞霊廷の真上。ここが、霊王宮の筈っス」
「つまり、さっき瀞霊廷から持ち上げた街を、霊王宮の上に創り直したって事なんじゃあないの?」
「そないアホな!さっきの話やで!?」
「だから、それだけの力を手に入れたって事なんだよ。敵さんがさ」
ぐるりと辺りを見回して、京楽は呟く。いつもの飄々とした雰囲気は捨て去り、そこにいるのは紛れもなく護廷十三隊の総隊長の顔。いやだねぇ、とひとつ呟いた。
「つまり…霊王宮が落とされ、その全てが敵の手に落ちた…と?」
砕蜂が京楽の意を組んで言葉を続けると、そうだね、と京楽は肯定した。信じがたい話だったが、丸い縁の街並み、浦原の証言、そして、消えた街。裏付けとなる証拠はいくらでもあった。
その砕蜂の後ろできょろきょろと辺りを見回しながら様子を伺っていた夕四郎——夜一の弟である——が、あ!と破顔する。
「ねえさまの霊圧です!」
「え?夜一様の?」
「はいっ!今そちらに参りますね、ねえさま!」
ぴょん!と元気に宙を駆ける夕四郎の足がすかっと空振りをする。あれ?と首を傾げる間もなく、落下する。それを間一髪のところで手を伸ばしたのは恋次だった。
「わぁあああ!?」
「バッ……ばっかやろう何してんだてめぇ!!?」
「す、すいません~~!何故だかその…足場が出来なくて…」
「は?足場が出来ない?」
どういう事だと言いながら夕四郎を引き上げる。その恋次の横で静かに白哉が仮説を立てる。曰く、この一帯の霊子の支配権を有している滅却師によるものだろう、と。こちらを迎え撃つのにふさわしい場を、こちらにとって不利な戦場を、と。
「まあまあ。今合流は無理そうだけど遠くに一護クンの霊圧も感じられる事だ。先遣隊が全滅してなかったってのは朗報でしょ。ボクら護廷十三隊。……護廷のために進もうじゃないの」
「はい!!」
「元気がいいねぇ。…よぉし、それじゃ、行くよォ」
京楽に続いて、みなが走り出す。
「……アレッ?」
「ん?どうしたの浦原店長」
「イヤ……涅隊長ってどこいったんスか?」
「……あれぇ??」
突然だが、ここは敵地のど真ん中もど真ん中である。そんな場所で出会った明らかに人型ではない奇妙な布団子を前に、更木はどう反応するだろうか。
「なんだ、ありゃ」
勇慈が思っていた以上に一波乱あったものの、一緒に行動することで一致した凸凹コンビこと更木剣八と涅マユリ、以下十一番隊と十二番隊の面々。
「なんだ、ありゃ」と一応反応をして止まるのは更木なりの協調性といえるだろう。最も、すぐに斬りかかるのだが。
「とりあえず斬るか」
一息に距離を詰めた更木の兜割が布団子に直撃する瞬間、マユリがカッと目を見開く。
「待て、更木!」
「!」
たんっ、と音を立てて更木が飛び退る。
「おう。なんでもねぇ。腕の一本がやられただけだ。代わりに野郎の頭も割ってやったがな」
なんでもないように嗤う更木の右腕が、一瞬のうちに捩じ切れていた。あの一瞬の攻防のうちに一体何が…!?と絶句している十一番隊を他所に、なんでもないように更木はコキリと首を鳴らす。ギィイ、と目の前の布団子が奇声を上げた。
「あ?」
べきべき、めきめきと音を立てながら更木がかち割った頭が肥大化する。意味がわからない。なんだこいつは?と宙に投げかけた質問を捕らえてマユリは答える。
「それは質問かネ?それとも、独り言かネ?」
「頭がでかくなりやがった…ありゃ一体なんだ?」
「フム…闘いには不向きな変化に見えるが…何のためだろうネ?不気味なやつだヨ」
「おめえが言うな。…見てるだけってのも暇だな。やっぱもう一回斬る、か…!?」
折れた右腕を確かめるように一度振った。そこで更木は違和感を覚えた。いつもの感覚と僅かに違う——その感覚は正しいものだとわかったのは、すぐだった。
べきり。更木の腕が90度折れ曲がる。べきり、更木の腕がさらに90度折れ曲がる。べきべきべき、ごりごりごりごりと音を立てて急速に腕が捩じ切れていく。骨と筋肉と神経が破断する激痛にも顔色一つ変えず、更木はなんだ?とその現象を眺めていた、が。その右手に握られている刃が自分へと牙を剥こうとするのなら話は別だ。即断即決で左手で捩じ切れた腕のより細くなった部分を掴むと、一息に腕を引きちぎる。そして右腕を地面へと叩きつけると未だ別の生き物のように蠢く右腕から斬魄刀を取り上げ、腕を蹴り飛ばす。遠くに跳ねた右腕はなおも自我を持つ生き物が自害するかのように、べきべきと紙を折りたたむように幾重にも折り畳み、やがて、肉塊となって弾けた。
「なん…だっ、ありゃあ…!?つぶれて、血だまりになるまで折りたたまれやがった……」
一連の奇怪な現象を凝視していた斑目が、呆然とした様子で口を開いた。ネム、と一言掛けられた涅ネムが控えから前線へと立ち、素早く更木の右腕の止血処理を始める。
「イヤハヤ。とっさに腕を捥いだのは良い判断だったヨ。更木隊長。あの判断をしていなかったら、君は今頃一山いくらの肉団子になっていただろうからネ」
「それは褒めてんのか?喧嘩売ってんのか?」
「どっちだと思う?」
ニィ、と悪い笑みを浮かべて更木を見上げるマユリ。すぐに視線を外して奇妙な布団子へと目線を向ける。
「とはいえ……私にもまだ奴の能力はわからんヨ。現時点では奴には『近づくな』としかコメントしかねるネ」
「近づくな、だぁ?ふざけんなよ、近づかなけりゃどうやって斬るんだよ」
「また質問かネ?何も斬るだけが戦いじゃあないんだヨ。これから近づかずに対処する方法を——」
「悪りぃな、今のは、独り言だ」
「は?…おいっ、更木!!」
マユリが止める間もなく更木が布団子へと距離を詰める。
「得体のしれねぇ力なら、力がこっちに届く前に真っ二つにするだけの話だ!」
「チィッ…!」
更木が上段に剣を振りかぶり、そして膂力に任せて一気に振り下ろす。利き腕ではないにしろ、更木の膂力は護廷十三隊においてトップクラス。ただ人の肉体など更木にとっては試し斬りの巻き藁も同然だった。だが、その事実に反して布団子の脳天目掛けて振り下ろされた刃は布団子の半分程度を裂くにとどまった。食いこむ刃に吹き出る血しぶき。ただ人ならば、即死であった。
そうただ人であったならば。
更木が膝をつく。いや、膝をついたというのは正しくない。何故なら、
「ぐ、うぉおおおお?」
べきりべきり、ぼきりと音を立てながら更木の足首が反対を向く。指が裂ける。肋骨が折れる。常人なら激痛と共に意識を手放してもおかしくないそれに晒されながら、更木は言う事を聞かなくなった身体に混乱していた。
その更木の胸から、三叉の金色の刃が生えた。
かはっ、と血を一つ吐く更木。そして、動かなくなる四肢。指が裂けるのは止まったが、胴がごきりと嫌な音を奏でるのは止まらない。引き攣ったように動かなくなった首を後ろに向けて、涅、と更木が口にする。
「やれやれ…やはり四肢を止めただけでは他が折れるか。…疋殺地蔵、”恐度 四”」
四、と口にしながら疋殺地蔵の瞳に指をぐり、とねじ込む。疋殺地蔵が血の涙を流しながらおぎゃああああ!と大絶叫を上げると、ビリビリとした音の波が辺りを覆いつくした。
「耳を塞いでください。四秒聞くと、麻痺します」
事も無げに注意事項を述べるネムに、慌てて耳を塞ぐ隊員たち。片手しかなく、さらに四肢を封じられた更木は当然防ぐこともできず、麻痺に飲み込まれていった。
「麻酔が効いて何より。まだこいつの能力は役に立つのでネ、ここで肉団子にされちゃあ困るんだヨ」
疋殺地蔵を納刀しながらマユリが布団子と更木の間に立つ。ニヤリ、と笑うその顔はすっかり新しい興味の対象を見つけた喜びに彩られていた。
「そして、麻酔が効いたという事は君の能力の早退もおのずと割れた事になる。つまり…神経だ。君は自らの神経を敵の身体に潜り込ませ、動きを強制的に制御している。予測は出来たとも。滅却師は血管の中にも霊子を通し自らの力とすると聞く。ならば体内の別の物を霊子で操るものがいても、不思議じゃあない。ということは、だ……」
「ギィイイ!」
黒い触手のようなものがマユリへと迫る。ニィヤリと嗤った顔で、懐から取り出した瓶を振りまいて迎撃する。それはただの液体のように見えた、が。布団子が悲鳴を上げてのたうち回るのを見ると、仮説を裏付ける結果に満足げにマユリは語る。
「……ホラ、恐るるに足りんヨ」
「君の力は興味深い。じっくりと楽しもうじゃないか。なんせ…神経に効く薬はごまんとある」
「あの野郎、敵の能力が面白そうだからって態と隊長をぶつけやがったな…!」
後ろで斑目が忌々し気に吐き捨てるのをどこ吹く風と流しながら、マユリは布団子に対峙する。そのあまりにもな隊長評を隣で聞き届けながら、そうど願います、とネムはぽつりと呟いた。
「どういう意味だい?」
弓親が尋ねる。ネムは少しだけ考える素振りをして、言葉通りの意味です、と。それだけ答えるのだった。
ふぅふぅと荒い息を零しながら、目の前の布団子が変異していくのを興味深げにマユリは見守っていた。そしてそこから覗いたものが『左腕』の化け物であったことは、マユリの興味を更に搔き立てるものだった。むくむくと巨大化する左腕を前に、口を開く。
「なるほどなるほど……霊王の左腕、というワケだネ」
「あのバケモンが霊王の左腕…!?霊王ってのはこんなにでけぇのかよ…!?」
「さて、霊王に会ったことがないからわからんが。霊圧はついさっき鎮静化した浮竹から採取したものと一致しているヨ。浮竹が契約していたのが右腕なら、左腕も霊王から離れて動いていたとしても何ら疑問はない」
「疑問しかねぇが…??」
常人は頭が固くて嫌になるネと、やれやれとマユリは肩をすくめる。こちらの会話の最中、化け物が先ほどの黒い触手を再び伸ばすのを取り出した生体傘で防ぎながら、しかし、とマユリは何てことのないように語る口を止めはしない。
「唯一の疑問は何故霊王の左腕がユーハバッハの元にいるのか、だが。まぁそんな疑問などこの喜びに比べれば些細な事だヨ」
「ヨロ、コビ?」
えっ、誰の声だ。斑目が弓親を、弓親が斑目をお互いに見遣って首を振る他所で、またどこからか低い男の声がした。ホウ、とまあるい目を見開く。
「驚いた。言葉が通じるのかネ。どこで発声しているのか興味は尽きないヨ。これも予想外だ」
「って。その化け物かよ!涅隊長!この状況で何がそんなに嬉しいんだよ!?」
「何って…そんなの決まってるじゃあないか。見た事もない観察対象を見つけ!それがこちらの予想を次々と超えてくる!!これが喜びでないなら一体なんだ!もっともっと、見せてくれ給えよ霊王の左腕!」
ぎ、と化け物の動きが止まる。そしてどこからか響いた低い男の声が、チガウ。と答えた。
「ナマエ、チガウ。ヒダリ、ウデ……ナマエ、ペル、ニダ…」
「ン?なんだって?もっと大きな声で言い給えヨ」
「ナマエ…ペルニダ、ペルニダ・パルンカジャス」
「長いネ」
聞いておきながらバッサリと斬り捨てる様に、後ろの方で斑目たちがずっこける音がした。
「そもそも発見者は私であって君ではないのだから、命名権は私にあるだろう?だがまァ…本人からの申請なら、特例で認めてやらんでもないがネ」
「無茶苦茶すぎんだろ」
「いつものことでしょ」
「言ってる意味わかるか?」
「わかるわけないだろ」
「イッテルイミ、ワカラナイ…」
「ほらあいつもわからねぇつってんだろ」
ぐる、ぐると異形の単眼が手のひらの中で回転する。
「イッテルイミ、ワカラナイ…ワカラナイコト、ダイタイ、ワルクチ…”クインシー”ノ、ワルクチ!」
「許サナイ」
矢羽根のような黒いモノが地面へと突き刺さる。そしてその部分から街が盛り上がり、無数の黒い触手が這った土くれの左腕が持ち上がる。
「なんと、無機物にも神経を通すことができるとは……予想外だ、いいネ!」
後ろへとステップを踏んで土くれの掌底を避ける。とんとんと、飛び退りながら、改造した左腕のワイヤーを用いて街の上層へと移動するマユリ。そしてそれを追いかけるように街の外壁に神経が這う。べきべきと音を立ててくり抜かれた壁が、無機質な手となり、マユリを追う。神経の走っている壁に長居をすれば、壁から手を伝って神経に侵入される。鼻で嗤いながらワイヤーを駆使して壁へ壁へと移動するマユリだったが、ペルニダもバカではないらしい。真正面に奔った神経がマユリを両手で挟むように、圧し潰す。死神とはいえ肉体を持つ身。圧し潰されて舞うのは土埃と、マユリの血しぶきの筈だった。だがそれに反して舞ったのは土煙と、爆発の衝撃波であった。
「は?涅隊長が爆発した!?」
「喚くな、ただの爆発反応装甲だヨ。解説はしない、各々辞書で調べ給え」
ふわりと隊長羽織を靡かせながら爆風の中から飛び出すマユリが落下していくのは、神経の奔った地面。そこには神経が!と焦る弓親の声を他所に、マユリは踵に仕込んでいた装置をかちり、と機動させた。すると、ふわりと足元に十字の霊子が収束し、地面すれすれのところでマユリの身体が宙へと浮く。
「!」
「見覚えがあるかネ?当然だ、これは君たち滅却師が使う空中歩法…『飛廉脚』だヨ。…最もこれは石田雨竜と石田宗弦が用いていた呼称だから、本来の滅却師の呼称としては別な物があるのかもしれないが、ネ。まぁともかく、だ」
右手を前に中指と人差し指を構えて照準を合わせる。そしてパチンコ玉のように細長い何かを発射したかと思うと、それは蛇のようにペルニダの小指へと巻き付いた。懐からボタンを一つ取り出しペルニダに突き出しながら、目を細める。
「君が神経を地面に張り巡らせようとも、踏みさえしなければ何の意味もない、という事だ。…さて、では、検体を頂こう」
かちり。ボタンを一つ押すと、小指に巻き付いた紐が爆裂する。ペルニダは単眼を見開き、小指が千切れ墜ちた激痛にぎゃああああと悲鳴を上げる。
目の前に転がって来た小指を前に用済みとなったボタンを捨てながら、マユリは懐から瓶を一つ取り出し、無造作にぶちまける。ばしゃりと掛けると、小指は打ち上げられた魚のように地面をバタバタとのた打ち回る。
「保護薬液だ、染みるかネ?戦いがひと段落したら保管水槽を作るから、これで一先ず鮮度を保つ」
のた打ち回る小指がぶるぶると震えだす。そして、ぎょろりと関節の隙間から単眼を覗かせると、まるで涙を零すかのようにそこから触手を伸ばした。目を見開いたマユリの右腕に憑りつき、べきりと小指を折る。
「————!」
マユリの判断は早かった。左手で右手の小指をへし折った神経を素早く切断し、縫合糸と針を駆使して右腕を犯す神経を除去していく。傍から見れば血の付いた糸が舞っているようだっただろう。そして皮を剥いだ腕を縫合し、ピッと糸を断ち切る。
「神経・血管・筋肉の配置を『組み替えた』……そう易々と、私の身体を支配できると思うなヨ。ペルニダ……!!」
ぐっぐっと握りこぶしを創りながら腕の調子を確かめる。チッとひとつ舌打ちをした。
「この前のアレがこんなにすぐ役に立つとは……全く、嫌なモノだネ。油断をした、無様なモノだヨ」
「無様。…イマアセッテル。キミノ、コト?」
「はっ、そう見えるかネ?」
挑発するかのように嗤うマユリを前に、表情の読めないペルニダは無機質な声をあげる。
「モウスコシ、アセル?」
切断された小指が盛り上がる。そして関節から指を増殖させ、新たな左腕として化けたそれが地面を這いずってマユリへと急接近する。先ほど用いた爆弾で迎撃しながら距離をとり、マユリはバラシて持ち帰るわけにはいかなそうだネとため息を吐いた。ぶちぶちと音がする。音の出どころを辿るとそれはペルニダが中指を引きちぎる姿であった。指から指が生え、異形の左腕がもう一つ顕現する。
「目にした書物にあった、霊王の右腕は”静止”を、左腕は”前進”を司ると。書物で得た知識は所詮知識にしか留まらない。実証するまで信じないタチなのだが…イヤハヤ、やはり持ち帰りたいものだヨ」
そう口にしながら、袖に隠した疋殺地蔵を再び鞘から抜き放つ。ぐちり、と鍔を掴みながらまるでヤギのような金色の瞳を瞬かせ、マユリは口を開く。
「————卍解」
それに慌てたのは見守っていた斑目たちだった。涅マユリの卍解、金色疋殺地蔵は百閒に及ぶ範囲に猛毒を吐き散らす一対多に優れた卍解。左腕が三体に化けた事で発動したのは斑目たちでも理解が及ぶ。だがしかし、硬直した更木がマユリの射程距離に含まれているとならば、話は別だった。
「まずい、金色疋殺地蔵だ!!涅隊長はアイツを毒殺するつもりだ、更木隊長を連れて離れよう!」
「更木隊長!!」
弓親と斑目が更木の元へ走り出したのを感知しながら、ふっと笑う。
「毒殺だって?そんな勿体ない事をするものかネ。……今の情報でようやく、臨月だヨ」
疋殺地蔵から肉塊が零れ落ちる。膨れ上がる肉塊はやがて赤子の姿をとり、産声を上げながら何かにもがき苦しむように四肢をばたつかせる。肉塊は膨れ上がり続ける。赤子の範疇を超えて。赤子の腹に、一筋の線が走った。
『伏』と描かれた膨れた腹を見せつけるように抱えて座り込み。赤子は動きを止める。疋殺地蔵の前に立ちながら、マユリはその卍解の名を口にする。
「————金色疋殺地蔵 魔胎伏印症体」
紫色の肌をした赤子は苦し気に呻きながら、腹をさすっている。その知っている金色疋殺地蔵とは全く異なる姿にあれは…!?と、更木を避難させながら見つめている斑目たちに解説するかのように、マユリは口にする。改造卍解だヨ、と。
「”魔胎伏印症体”は私が金色疋殺地蔵を改造して造った、金色疋殺地蔵の異形態。その能力は『戦闘中に私が送り込んだ情報を元に、新たな疋殺地蔵を産み落とす』もの。……意味がわからんかネ?まぁ、見ればわかるとも」
おぎゃあああ……と紫色の赤子が腹を抱えて苦しみだす。荒い息を零し、ぜぇぜぇと呻きながら、やがて一筋の線が割れるように赤子の腹が裂ける。羊水と共に、魔胎伏印症体の霊力の全てを喰いつくした疋殺地蔵が這いずり落ちる。黄金色に輝く体表はどさりと産み落とされると。此の世に絶叫という名の産声を上げた。
「この疋殺地蔵は、神経が体表にある。だから地面に触れても空気に触れても激痛が走るワケだが……まぁそれは置いといてだ」
ペルニダが何かを仕掛けられる前に疋殺地蔵へと神経の触手を伸ばす。べたり、と張り付いたそれは確かに疋殺地蔵を折りたたんで破壊した。……皮一枚を。
「話は最後まで聞き給えヨ。重要なのは、その神経の層が七万に分かれているという事。つまり?君らがこいつに神経を打ち込んだとしても表面一枚を折りたたんで終わり、というわけだヨ」
黒々とした瞳がペルニダを見据える。赤子は這いずりながらペルニダの元へと向かうが、当然ペルニダも黙ってはいない。神経を打ちこみ破壊しようと試みるが、そのたびに体表一枚を剥いでは畳み剥いでは畳み、神経による攻撃は疋殺地蔵の前に全くの無力であった。
がしり、と疋殺地蔵が分裂したペルニダの一体を掴むと、歯も生えていない口に飲み込む。それは全くの無垢な赤ん坊がおもちゃを口に含むかのようで、だが殺意に満ちていて。ペルニダもまた抵抗しようと口の縁に指をかけ抵抗していたが、次々に飲み込まれていく。
「ウ、ウォオオ。ウオオオ」
「う゛~……」
ぎぎ、と抵抗するも空しく全身を疋殺地蔵に飲み込まれていくペルニダを前に、高笑いを上げるマユリの背。それをネムは静かに見守っていた。
全く、次から次へと予想外の事ばかり起きる。苦いことも。喜ばしいことも。
自分を庇い飛び出していくネムの背を見送りながら、マユリは誰にも見せた事のない、笑みを浮かべていた。
————————————
—————————
——————
———
疋殺地蔵により封じたかに見えたペルニダだったが、霊王の左腕はマユリの想像を超えてきた。腹の中で進化を果たしたペルニダは滅却師の弓を携え、内部から疋殺地蔵を破壊したのだった。ペルニダが滅却師だという事を忘れている、と忠告を受けたマユリが恥知らずと口にすると、様子を一変させたペルニダ。その違和感をマユリはずっと抱えていた。五指から放たれる弓矢を飛廉脚で躱しながら、マユリは思考の海に少し浸る。
「(『滅却師を名乗る事が恥知らずとはどういう事だ…余は元より、滅却師である』、とは、今の一瞬纏う雰囲気が変わったのは一体…?思えば奴の語彙自体、戦闘中から少しずつ増えているように感じる。霊王としての記憶を取り戻しつつあるのか…?或いは、何らかの方法で進化している……?)」
だとすれば、少し厄介だ。黒崎一護のように斬魄刀一辺倒の戦い方をしてはいないとはいえ、疋殺地蔵がマユリの切れる手札の中でそこそこのウエイトを占めていたのは事実。これ以上の進化を果たされる前に、早急な討伐をしなくてはならない。
「——ッ」
左腕を矢が掠めた。掠めた矢を見てマユリは内心舌打ちをする。矢に神経が接続されている。小癪な、と思いながら即座にリスクを考え左腕を千切り飛ばす選択をとったが、戦闘中にその思考のブレは大きな隙となった。
地面に突き刺さる手前でぐにゃりと機動を曲げた矢に気付いたのは、千切り飛ばした腕からペルニダに意識を戻した時だった。
「(クソッ、これは…当たるネ)」
背中を矢が貫いた時に想定される事、先ほど組み替えたばかりの右腕での片腕手術の所要時間、麻酔、あらゆる可能性をひと時の間に想定し、覚悟をしたその時だった。矢の機動を変えるものがいた。
ネム。ずっと控えさえていたはずの娘だった。
矢に触れたネムはその機動を無理やり変えてマユリを庇うと、ためらいもなく矢に触れた右腕を小刀で斬り落とす。だがネムは飛廉脚を有しておらず、落下していく。その髪を乱暴につかむと、地面から伸びていた神経からネムを掬い上げ、建物の上へと放り出す。瓦礫に強かに背中を打ち付けたネムは息一つ乱さず、マユリはなんだかそれが無性に腹立たしかった。
「馬鹿が!命令もないのに何故出てきた!あのまま地表に落ちていれば肉団子になるところだったヨ!」
「……盾が、必要だと判断しました」
「自らの判断で加勢していいなどと教えた憶えはないヨ」
「はい、教えられていません」
「……私が教えてもいない事を、勝手に学んだとでもいうのかネ?」
「……、わかりません」
唇を噛みながら、マユリはネムに背を向ける。
「ネム…いや、眠七號」
「————!」
マユリは凪いだ瞳でペルニダを見据えながら、言葉を紡ぐ。
「黒崎一護の一団が現れてからというもの、夥しいほどの戦いを経て、私はお前に多くの事を教え過ぎた。”次のお前”を”今のお前”と同じに育てるのに…私にどれほどの負担がかかるのか、お前に分かるのかネ?」
「——…わかりません」
「わからんなら!自分の判断でなど動くな!!」
「お前に自らの判断で死ぬ自由などない!お前が死ぬのは、私が”死ね”と命じた時だ!!わかったら立て!」
「————…わかりました、マユリ様」
愚図、とは呼ばれなかった。呼べなかった。前は事あるごとに呼んでいたのに、それをできなかったのは何故かと一瞬思考が反れそうになったのを正しながら、マユリはネムに背を向け続ける。ネムが補肉剤を差し出して来たのを受け取り、注射する。筋肉や骨格が急速に再生する激痛が発生するという副作用もどこ吹く風と受け流し、マユリは補肉剤を打ち捨てる。
「私が補肉剤を忘れて出てきた事には、最初から気づいていたのかネ?」
「はい。今回の襲撃があった際、マユリ様は出撃前に触って出られる薬品棚をお触りになりませんでした」
「フン…よく見ている。気味が悪いヨ」
「申し訳ありません、マユリ様」
ネムの顔を見ずに投げてよこした注射器をネムは受け取る。そして、とん、とマユリが建物から飛び降りる。飛廉脚を機動し、ペルニダへと肉薄しながら袖に仕込んでいた小型の動力噴霧器を機動する。無色透明、無味無臭の霧が辺りに拡散していく。
「ネム、作戦を伝える」
「はい、マユリ様」
ペルニダの弓を捌きながらマユリはネムに繋いだ無線を通し、作戦を伝える。マユリがペルニダの動きを錯乱、敵視を引き付ける事でネムをフリーとする。その回避行動中に噴霧器を用い超高濃度の麻酔を散布するのだ。
「奴本体への効果は不明だが、先ほどの接触で奴の矢の神経強度は計測済だ。この濃度ならば確実に奴の矢は無力化できる。マ、その代わり私自身にも多少の影響が出る濃度となってしまったが、そこは致し方あるまい。ネム、お前の役目だ。先ほど渡した”神経凝固剤”を無力化した神経の矢に打ち込め」
「はい、マユリ様」
「その神経凝固剤は麻酔のように神経の伝達を阻害して脱力させるものではない。文字通り神経の伝達を凝固させるもの。…つまり、その神経から繋がるあらゆる器官が薬剤の到達した瞬間に凝固する、という事はだネ。この薬に掛かれば開いた瞼は閉じず、縮んだ心臓は膨らまず、開いた口は塞がらんという事だヨ!」
「声が大きいです、マユリ様」
「黙れ」
いつの間に七號は減らず口を叩くようになったのだろうか。
「奴の体組成はわからんが、血液が通っていると言う事は、血液の循環する”生命体”であるという事だ。この薬で、奴の血液を凝固させて殺す」
地表の神経はマユリの散布した麻酔によって無力化されている。ネムは地表を踏みしめながら辺りを素早く見回した。すでに無力化され、地表に突き刺さって沈黙している神経の矢。そこに、降って来た矢が一筋。あれにこれを打ち込めば、全てが終わる——
ネムが駆け出す。神経はまだ繋がっている。ネムが振りかぶる。神経が細くなっている。千切れる。打ち込む。
矢が黒ずみだす。開いた口は塞がらない、とマユリが豪語するように、細く途切れそうになった神経が凝固し、細い細い糸となって接続していたペルニダの元へと走り出す。
「ギ…?!」
ぎぎ、と小指が固まるのをペルニダは感知した。ペルニダの本体が瞬く間に動作が固まり、硬直する。続いてペルニダから分かたれた一体が、本体から伸びる神経を通して凝固する。
最後の一体の凝固が始まる。親指から浸食されてゆくそれを無数の矢の雨は最早止んでいた。
「終わりだヨ、ペルニダ…!」
だが、予想外がここで起きる。ペルニダが神経凝固剤を親指ごと切断したのだ。目を見開くマユリ。そんなマユリを嗤うように、ペルニダが発声する。
「こんなモンでやられるかよォ、涅!」
「…!?なんだ、この喋り方は、まるで、更木のような————!!」
そうか、しまった。マユリの脳裏に閃くものがあった。ペルニダは、何らかの方法で進化していると仮説を立てたばかりではないか。何らかの方法、が何かは判別しきれていなかったが、馬鹿がと自分へと悪態をつく。
「(少し考えればわかるはずだ!クソッ、奴は
だとすれば、非常にまずい。奴は更木と神経を一度接続している。のみならず、マユリ・ネムとも神経を接続している。ネムに関しては更木より身体能力が劣る故、学習できる余地があるのかは知らないが——つまり、奴の進化の余地は更木の反応速度とマユリの頭脳という事になってしまう。それを薙ぎ払うには圧倒的な力——山本元柳斎重國の卍解のような——が必要となってしまう。そして、マユリの手札にそれは———…ない。
はっと思考の海に埋没していた意識を引き上げる。ネムは、下方を見やると残ったペルニダと、マユリを見上げていた。マユリは本当に、咄嗟に動いてしまった。
「離れろ!ネム!!!」
敵に背を向け、ペルニダの注目を外した愚行。その代償は重かった。音を立てて何かが剥がれ落ちていく音に気付いた時には、背後で沈黙していたペルニダが完全に元の姿を取り戻していた。柄にもなく動揺していたらしい。振り返った時に落ちていく表皮を目で追って、マユリは気づいた。
「(魔胎伏印症体の能力——!)」
ペルニダがマユリを握りつぶさんと手を握り締めようとした。だが、予測していた衝撃は訪れなかった。いや、訪れたのは訪れたのだが、それはマユリが
ペルニダに圧し潰されようとしていたマユリの身体を、ペルニダごとぶちぬいて距離をとったのは、ネムだった。
「ネム…!?お前っ…何故こんな力を……!?」
「マユリ様が…与えてくださった力です」
ネムは神経の矢を躱しながら、建物の上を跳ねるように伝ってペルニダから距離をとる。
「マユリ様が与えてくださった死神としての肉体。その能力を、組織崩壊の0.8%手前まで引き出しました」
「貴様…!」
「問題はありません。この出力のまま、あと四百秒は持ちます」
「そんな事言ってるんじゃあないヨ!私がいつそんな命令を…!」
「命令はありません————…使命です」
はく、と息を飲んだ。
「私の使命は、マユリ様をお護りする事」
「違う!お前の使命は…成長だ!!」
「その成長を、マユリ様をお護りする事でお見せできると考えます」
安地と言えるだけの距離をとったのち、マユリを追いてネムは背中を向ける。そしてペルニダへと向かっていく娘の姿を見て、マユリは舌打ちをした。
「チッ…口が達者になったものだヨ」
だが…と、俯き加減になりながらマユリは、笑っていた。
「……私が、ネムに闘いを預ける日が来るとは、ネ。————…屈辱だヨ」
マユリを気にする必要がなくなったネムは、マユリが何とか目で追える速度でペルニダに肉薄する。矢の雨嵐を躱しながら、ぽっかりと出来た空間。そこに身を躍らせて右腕に霊圧を収束させる。
「魂魄切削、六%。…私の魂魄の六%を削り、直接打ち込んで破壊します」
——義魂重輪銃
「あ?何?涅隊長が名前を呼んでくれない?」
「いいじゃねえか、そのネムってのがお前の名前だろ」
———マユリ様
「…『無から新たな魂を造る、被造死神は全死神の夢だヨ。だが起きたまま見る夢など馬鹿げている。よって、私はこの計画を”眠計画”と名付ける』……ってな。隊長なりの皮肉ってヤツさ」
「被造死神は、”全死神”じゃなくて”涅隊長の夢”だ。わかるか?お前が食って、寝て、息をして、日々何かを学び成長していく。その間。涅隊長はずっと、夢の中にいる。そのことをお前に気付かれるのが、恥ずかしかったんだろうさ——…」
————マユリ様
「……マユリがずっと、夢の中にいる…か」
「夢…夢、か。眠っているときに見ている夢、それは——…叶えばいい、と思っている、マユリにとっての希望や願望、という事だと俺は思う」
「その夢が、お前の…ネムの形をしているのなら、ネムのことが、本当に大事なんだろうな。マユリは」
「……?お前が無知なままだったら…?いや、それはない」
「ああ。それはねぇな。お前は…隊長の最高傑作だ」
「進化しないなんてことは、ありえねぇ」
「マユリの娘が、ここで止まるはずがない」
——————マユリ様
ザンッ…
瞳が零れ落ちるのではないかと思うくらい見開いた。
霊力を使い果たし、魂魄に罅の入った零れ落ちていく身体を見送っていた。バラバラになって飛び散る肉片を見つめていた。
その肉片の節々から、ぎょろりと目玉が覗くのを見てしまった。
「—————ッ」
息を飲む事しかできなかった。強張った身体を動かすこともできず、ネムの身体を貫く黒々とした触手を見ている事しかできなかった。
それを、人は現実逃避という。————涅マユリともあろうものが?
ネムが吐血する。ああ、この眼を一瞬でも閉じてしまえばあの身体は肉団子になるだろう。更木で散々見た。見ていたから理解できていた。けれど感情は多分追いついていなかった。
動くこともできず、目を見開くことしかできない自分。ネムと視線が交錯した。口が微かに動く、あの口の動きは、何度も見ていたから知っていた。
———マユリ様
ぐしゃり、ひしゃげて終わるはずだったそれを断ち切る一閃
————水の呼吸、壱ノ型。水面斬り!
まるで雷が落ちたかのようだった。天上から降って来た影がネムと接続したペルニダの神経を断ち切ると、ネムの身体を奪うように攫ってきた。ごろりと隣に転がされたネムは身体を這いまわる神経に犯され、四肢がおかしな方向に曲がり始めている。
「——マユリ!!ネムを!」
「——ッ!」
叱咤されて我に返ったマユリが目にしたものは、ネムとマユリを庇うように前に立つ片身替の羽織。黒い長髪、青い髪紐。生きているのは霊圧感知で到達したうちから気づいていた。けれど確認した時は遥か遠くにいて、これは合流は不可能だネと判じていた。まさか、走って来たのか?この滅却師どもが支配する空間を縦断するように?
聞きたい事は沢山あったが、ネムを支配する神経を除去すべく緊急手術を行う。全身に及ぶ神経を除去する時間と、ネムの命数が尽きる時間。後者の方が短い事ははっきりとしていた。そこで、マユリはネムの四肢を捨てる判断を下す。主要な臓器と血管さえ守ってしまえば、四肢が動かずとも生き延びられる。服をはだけさせ高速で糸を繰るマユリがひと段落したのは、1分にも満たなかった。とはいえ、瞬きの間に亡くなっていたであろう命を思えば、大手術であった。
「…いつ来たのかネ」
「霊王宮についてからずっと、走っていた。一護には詫びてきている」
振り返った勇慈の頬には濃い痣が浮かんでいた。馬鹿め、と呟いた。
「合流したところ大変申し訳ないが、あれは更木の反応速度と私の頭脳を学習しうる化け物だ。どう対処する?」
「卍解は」
「使ったが、学習したペルニダに破壊されたヨ」
「そうか。……滅却師、でいいんだよな…?」
「そうだネ。霊王の左腕という奇怪な滅却師だが、神経凝固剤が効いた。体組成は生命体で間違いない」
「そうか」
すらりと青い斬魄刀を構える。まさかと思うが、斬るつもりかネ?と問うと、勇慈は頷きで肯定した。
「馬鹿が。わかっていない。お前の斬魄刀は、彼岸花は『虚を斬る為の刀』だ。あれは滅却師だとわからんのかネ!今すぐ無駄な足掻きをやめてさっさとネムと退避を——…」
「大丈夫だ、マユリ」
大丈夫、ともう一度繰り返す。何を根拠に…と言い含めようとしたが、勇慈の顔を見て毒気が抜かれた。そこにあるのは悲壮な覚悟でもなく死地に赴く戦士の顔でもなく、なんでもない、本当になんでもない、ただ相手を『斬れる』と確信していた友人の顔だった。
勇慈がすっと彼岸花を構える。そして、小さく、本当に小さく息を一つ吐くと、きっと相手を見据えた。
——卍解
息を飲んだのは誰だったか。
————
護廷十三隊コソコソ噂話
「よし……行くぞ!!」
「うん!」
「ああ」
「おう!」
「わかった」
「うむ」
そして、走り出す。先へ先へ、深奥へと。
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走りながら、勇慈がぽつりと口にする。一護、と。
「あ?どうした勇慈」
「マユリと合流したい。戦闘が始まったらしい」
ユーハバッハの座す
自分の言っている事は大分悪手である自覚はある。滅却師は所詮足止め、本丸は中央の城。なら、そちらに戦力を集中させるべきだったからだ。だが、どうしても、今行かなければいけない気がした。根拠のないほとんど直感であるそれが通るかも怪しかったが、伏した青い目を覗かせながら、だめだろうか…と尋ねる。だが、それは杞憂だった。
「いいぜ、いってこいよ」
「え」
「心配なんだろ。友達なんだから」
「そうだよ、勇慈くん!」
「一護だって、心配しているだろう」
「なっ…当たり前だろ、ブン殴ってでも目ェ覚まさせてやるって決めてるんだ」
だから、こっちは心配すんな。行ってこい。後で会おうぜ。どこまでも晴れやかに背中を押されて、浮立つような心になった。そして、安心した。
彼らなら、きっと大丈夫だと。
「……分かった、すぐ往く」
ヒュゥゥゥゥ、呼吸音が一つした。
——…全集中の呼吸——!
痣が浮かび上がる。心臓が暴れ出す。身体がまるで日に焼けたようだ。けれど、ひとつも苦しくなかった。
一足飛びに駆け抜ける。友の元へ。
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