現十二番隊の元鬼殺隊は


やっと。やっとたどり着けたね
やっとここまで来てくれた。今まで顔を見せなくて、ごめんね


……どうか。どうか深くお眠りよ
ボクの大事な君

せめてこころだけでも、幸せな夢の中で




一瞬の微睡みに揺蕩う。暖かくて、心地いい。
柔らかいものに包まれていて、無意識にそれを引き寄せながら身体を丸める。

「……じ、ゆうじ。起きて。勇慈」
「……ん…」

重たい瞼を開ける。ぼやける視界がだんだんと明瞭になる。
見慣れた障子、嗅ぎなれたい草。暖かい布団と、懐かしい、声。

はっとして、がばりと飛び起きた。
そして声の主の方を見る。ぽかんとした顔で、ついでくすくすと花が綻ぶように小さく笑う姉……蔦子の、姿。

「……ねえ、さん…」
「どうしたの、勇慈。寝ぼけているのかしら。お寝坊さんね」
「…どうして……?姉さん…姉さん!!」
「きゃっ」

膝立ちになり、姉に縋るように肩を抱く。驚いた顔で勇慈を見やるも、弟の必死な顔に心配げな顔をして覗き込む。

「……どうしたの?勇慈。今日のあなたは変よ。悪い夢でも見たのかしら…」
「…夢じゃ、ない…。いや、そんなはずは…だって姉さんは……」
「疲れているのかしら…昨日も帰りが遅かったものね。死神のお仕事も大変なんでしょう?」

額に触れながら熱がないかを確認する蔦子。死神…とぼんやり口にすると、そうよと蔦子は言葉を返す。

「お友達と楽しくって忙しい仕事をしているって、言っていたじゃない。それで疲れて悪い夢でも見たのよ」
「……夢…」
「今日はお仕事はあるの?」
「……ある、と、思う…」
「そう……お休みはとれないの?」
「いや…とれると、思う」
「なら、今日は休んじゃいましょう?義勇だって、あなたと時間作って稽古したいって言っていたもの。せっかくだから、家族水入らずで過ごしましょう?ね?」
「義勇……そうだ、姉さん。義勇は?」
「義勇なら町に出稼ぎよ。なぁに勇慈ったら、本当に寝ぼけているのね?」

肩を抱いていた手をやんわり外され、布団にそっと押し戻される。とすんと布団に腰を落としてぼんやり姉を見上げていると、そっと頭を撫でられた。

「今日はゆっくり休みましょう?しっかり眠って、起きて、ご飯を食べたら”兄さん”のお手伝いをしてちょうだい?」
「…”兄さん”?」
「あら、まだ呼びなれてないのかしら?この前祝言を上げたばかりだものね」
「祝言……」

脳裏にちらりと何かが過ぎった。暗くて、悍ましくて、悲しい何かが。けれどその何かの端を掴む間にするりとすり抜けてしまった。姉さん泣いていなくて、祝言を上げていて、義勇は鬼殺隊にも入らず幸せに暮らしていて…鬼殺隊…?

「っ、」

ずきりと頭が痛む。ふるりと頭を振って痛みを追い払うと、痛んだ何かの事も抜け落ちていた。
どうやら、疲れているらしい。姉さんの言う通り今日は静養しよう。布団に潜り込みなおし、目を閉じた。ぽろりと涙が零れ墜ちる。
幸せで、苦しかった。


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———



「——それじゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい、勇慈。気を付けてお仕事するのよ」
「分かっているよ」

玄関先まで見送りに出てくれた姉に手をひらりと振りながら、穿界門を開く。十二番隊隊舎にもマユリの私邸にも自分の部屋と呼べるスペースは確保しているのだが、最近は専ら実家から技術開発局まで通っている。だって、姉は今身重なのだ。兄も義勇も出稼ぎや仕事の都合で日中は街に出ているし、そうとなると彼らが姉の面倒を見られるのは基本的に夜になる。その点、義骸を使えば昼でも空座町の見回りから学校への登校もできるし、基本的に巡回は夜やるので昼間は時間を作れる自分が姉の面倒を見た方が都合がいいのだ。
地獄蝶に導かれながら十二番隊の管理する門を開く。そうすればもう目の前には技術開発局がある。職員たちに挨拶をしながら管理棟まで歩いていく。自分のデスクに荷物を下ろすと、手をぶんぶんと振っている八百屋の姿が見て取れた。

「あ!科長こんばんは~!」
「八百屋、こんばんは。いつも悪いな、出勤が遅くなって」
「ぜ~んぜん!ここ最近平和だし科長基本義骸を使って仕事してるじゃないですか。むしろ有給とった方がいいんじゃないです??この前休んだのすっごい驚いたんですからね?」
「その点はすまない。気を付ける。……変わりはないか?」
「はぁ~い。なぁんにも。采絵さんからも捕獲依頼とか届いてませんし、今日の戦闘科もお暇ですよ」
「……なら、鍛錬でも積むか。機能訓練をする。戦闘科を道場に集めろ。俺が見る」
「うぇっ!?い、いやぁ……それはちょぉ~っとハードだからヤだなぁって…」
「八百屋」
「うっ、はーい……」

げんなりといった様子で八百屋がとぼとぼと歩いていく。そんなにハードだっただろうか。ハードかもしれないな。呼吸術を十二番隊に布教するつもりはないから、機能訓練と基礎固めなどを中心にするつもりなんだが……と思いながら彼女の背を見送っていると、八百屋が出ていくタイミングで阿近とすれ違った。煙草休憩をしていたらしい。どんよりとした八百屋の雰囲気にうわっと言いながらすれ違い、そのまま阿近はこちらへと歩いてくる。

「勇慈。八百屋どうしたんだ、あれ」
「いや、何も……機能訓練をするから戦闘科を集めてくれと言ったら、ああなって……」
「あー……お前が想像している以上にあれハードだからな。ウチでギリギリお前について行ける戦闘科の連中でああなるんだから、ほどほどにしておけよ」
「ええ……」

そのまま阿近は作業台に近づくとがちゃがちゃと試験管を数本取り出し、内容物の状況を確認すると試験管台に立て直す。そしてそれを持つと白衣を翻して来た道を戻って扉へ向かう。

「あぁ、そうだ」
「? 」
「隊長、しばらく研究が忙しいってよ」
「マユリが?そうか。何の実験なんだ?」
「俺も聞かされてねぇ」
「…何?」
「とにかく、実験棟に籠るから、用があるならネムを通せって言っていたぜ。それじゃ」

阿近が出て行ったのを見送り、ふむと勇慈は思案する。マユリが実験。それはいい。いつも通りだ。だが何の実験なのだろう。ネムは兎も角、阿近や自分には知らせる事が多い実験 それを不思議に思いながらも、勇慈は片身替・・・の羽織を翻してその場を後にした。


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———


数日後。尸魂界にて。立て込んでいた——の仕事がひと段落したので、家に帰れる事になった。しばらく帰れそうにないとわかった時点で兄と義勇には連絡を入れておいたから、姉さんは大丈夫だろう。そうとは分かっていても、姉が心配でそわそわしてしまう。
一つ大きく呼吸をして、十二番隊のみんなに挨拶をし、飛び込んだ穿界門を風の様に走り抜ける。走って、走って、走って。そうしてたどり着いた生家はすっかり夜の帳に包み込まれていて、灯も落として真っ暗だった。これは、今帰れば姉を起こしてしまうかもしれないな……と片身替を握りながら夜警に徹するかと心に決める。でもどうしても、姉がきちんと眠れているかが心配で、そうっとそうっと、姉の部屋のある縁側へと回り込む。そうして障子を開けると月あかりが一筋、部屋の中に零れ落ちて——


「———っ、」

ヒュ、と喉が鳴った。姉はすやすやと仰向けで布団をきちんと被って眠っている。だが、その奥、押し入れの襖が少し開いていたのが目に入った瞬間、胸を鷲掴みにされるように動悸がしたのだ。勇慈の目は押し入れに釘付けとなり、は、はと呼吸が乱れる。見るな、見るな。脳内で警鐘が鳴り響いて今すぐ忘れろと本能が叫ぶが同時に、思い出せと誰かが叫ぶ。何を。どうやって——!

「兄さん。息をして」
「! 」

背中にふんわりと寄り添う誰かがいる。温かい。それに無性に、懐かしい。乱れた呼吸がもう一つの全集中の呼吸に沿うように、整い始める。無意識に胸を掻きむしるように握りしめていた手に、剣だこの出来た固い手がそっと重ねられる。ぽす、と肩に頭が乗る。この仕草は覚えている。姉にもよくやっていた。末の弟が甘えたがる時の仕草だから。

「……義勇?」
「ん」

ぽん、ぽんと。まるで幼い子供を寝かしつけるように腹を軽く叩いているその手を握る。豆が出来てごつごつとして、荒れて傷だらけの、愛しい弟の手だ。

「兄さん。俺達を忘れないでいてくれて、ありがとう」
「……!」
「だが、兄さんが言ったんだ。『成すべきことのためにいつかは帰る。それが明日の事でも』って」

「ここにいちゃいけない。兄さんは、行かなくちゃ。思い出して。その羽織は、誰の物なのか」
「羽、織……?この羽織は、姉さんと錆兎・・・・・・の……——っ!!」

は、と息を飲む。そうだ。この羽織は、姉さんと錆兎の形見だ。姉さんが
生きている ・・・・・のに、俺がこれを纏っているはずがない!




ピシリ、と何かに亀裂が入った音がした。


顔を上げると先ほどまで安らかに眠っていたはずの姉はそこにはなく、慌てて後ろを振り返る。
いつの間にか手は離れていて、遠く生家を背に弟がそこにいる。

「……義勇!!」
「……兄さん、目を覚ましてくれ。俺も姉さんも、そう願っている」


手を必死に伸ばして義勇の言葉に混乱の色を浮かべる。義勇、ともう一度呼ぼうとした時、世界は真っ暗になった。




「……んん…」

ぱちり、と瞼を開ける。目をごしごしとこすると、視界に入ってくるのは眩しいほどの白。いっそ病的ともいえる。だが技術開発局において、その白は誇りであった。保たれた清潔、管理された空間。それこそが、尸魂界の科学の発展の礎となるのだから。

机に突っ伏していたらしく、ぼさぼさの頭を少し整える。その途中、指に引っかかって解けてしまった髪紐を眺めて、ぼんやりとする。何か大事な夢を見ていた気がする。あれは、一体……。
扉の開く音がする。こつり、という足音にそちらへと顔を向けると、そこにいたのはネムだった。つま先から頭まで眺めて、きれいな姿になぜか安堵する。…何故?

「おやすみでしたか。勇慈。少しよろしいですか?」
「あ、あぁ……どうしたんだ。ネム」
「はい…マユリ様からなのですが、しばらく研究が立て込むとのことで、要件は私を通して伝えるように。とのことです」
「マユリから?……あれ、」
「勇慈、どうしましたか?」

こてん、と首を傾げるネムを前にふるふると頭を振る。こんな事、前もあった気が……前って、いつだ?
要件は済んだと、ネムは席を外す。それを見送って、一人、部屋の中に取り残されていた。

「……とりあえず、技術開発局に顔を出すか…」




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———



尸魂界、ひいては技術開発局はいつも通り、大忙しだった。
銀城を倒してその後の処理が終わり、空座町には死神代行が戻ってきて。忙しくて楽しい、学校と十二番隊を行き来する日々。現世に行けば一護や浦原さんたちに会い、技術開発局に顔を出せば八百屋や小鳥遊、阿近に鵯州。そしてネムがいる。十二番隊だけではない。四番隊に薬を納品しに行くこともあるし、十一番隊には(しぶしぶながら)斬術の訓練に巻き込まれる。八番隊の京楽隊長には飲まないかと誘われ、学校での朽木(たまに義骸だが)の様子を伺いに六番隊隊長からも声を掛けられることがある。何も欠けていない、満ち足りた日々。

その日も、虚捕縛の任務が終わった頃にはとっぷりと日が暮れていて、技術開発局に備え付けられたシャワー室で汗を流した後だった。タオルで水気を拭きとり、死覇装から簡素な着物に着替える。これが終わったらあとは寝るだけだから、斬魄刀だけ所持していればいい。隊舎に泊まるか、明日も仕事は早いし。そう考えながら髪紐を手に取ったところで、つきりと頭が痛む。そして目線を下におとしたところで、ハッと思い出した。
視線は髪紐に落ちている。この髪紐はかつて、誕生日でひと悶着があった際にマユリから貰ったものだ。深い藍色の髪紐は色落ちもせず、ほつれもせず、ただそこに静かに在る。いつからだ?ネムにああ言われたのは、いつだった?あれから一言たりとも、誰一人、『涅マユリ』の名を口にしていない。

「どういう、事だ…?」

偶然か?それほど立て込んだ研究だったのか?それとも、厳重に秘匿しているのか。いやそれでも、そうだとするなら外に知られているはずもないし、京楽隊長たちがマユリの名を口にしない訳がない。一体何日経ったのかもわからない。定例隊首会がどこかであったはずなのに、それも聞かない。明らかな違和感に、胸がざわついた。

ぽたぽたと水滴がまだ垂れた髪をそのままに、斬魄刀だけ携えて。帰るばかりだった踵を返して、技術開発局の方へと足を向ける。棟内に足を踏み入れ、隊首室へと早足で歩きだす。途中、誰ともすれ違わなかった。それどころか、不夜城であるはずの技術開発局で、音一つ気配一つしない。違和感はますます募り、無意識に斬魄刀に手を掛ける。
歩いて、歩いて、歩いて。そうしてたどり着いた隊首室の扉をあけ放ってみて、眉を顰める。隊首室はもぬけの殻だった。ここにはいない。ならば、実験室か?そう思い身を翻す。第一実験室…いない。第二実験室…使用中。いない。第三実験室…いない。第四…第五……


……第四実験棟、いない

……虚研究室、いない

……第四通信管理室、いない



いない。いない。いない
いない。いない。いない
いない。いない。いない
いない。いない。いない
いない。いない。いない



どこにも、いない





「……どこに、いるんだ…」

技術開発局には、誰もいなかった。それどころか、明かりの落ちた瀞霊廷に嫌な予感がして歓楽街の方を覗いてみて、冷たいモノが背筋を走る。いつだって隊員たちが、京楽隊長が、飲みに来ている居酒屋や甘味処、行き交う人々。人っ子一人いなかった。
胸騒ぎがするままに瀞霊廷を呼吸が尽きそうになるまで走って走って、誰もいなかった。瀞霊廷には、誰も。


無音。



辺りに人の気配はなく、音はなく、まるで一人取り残されたみたいな心地がして、胸が苦しかった。何か、悪い夢でも見ているんじゃないかと思いたかった。このまま眠ってしまえば、次に目を覚ました時にはいつも通りなんじゃないかと、八方塞がりに迷い込んでしまったみたいに、心細かった。

「……誰か、いないのか…」


蹲る。本当にこのまま眠ってしまおうか、そう思った時だった。強い一陣の風が吹いて、思わず目を閉じる。砂が目に入りそうで思わず目を閉じて、無意識に手で目を庇う。その拍子に、髪紐が宙に舞い上がってしまった。

「っ、あ!」

しまった。と髪紐を目で追う。舞い上がったそれはふわふわと風に揺蕩い、空高く。勇慈はひょいと家屋の屋根に飛び移ると、髪紐を追って走り出した。屋根から屋根へと飛び移り、追いかける。空高く舞ってしまったそれは中々下に落ちてこなくて、このまま本当にどこかへ飛んで行ってしまうんじゃないかと不安が募る。だが勇慈の不安は的中せず、ゆっくりゆっくりと髪紐は落ちてきた。それに安堵して、向こう二つ先の通りに落ちた髪紐のところへとひとっとびで宙を駆ける。髪紐はきちんと、地面に落ちていた。安心しながらそれを拾い上げて、ふと気付く。
夜闇に溶けてしまいそうなそれを必死に追いかけるうちに瀞霊廷の端まで来たらしく、目の前の屋敷の門を見つめる。見慣れたそれ。たまに自分も帰っては掃除をする、そこは

「……マユリの屋敷、だな」

そういえば、ここは見ていなかった。そう思い、こんこんと屋敷の門を叩く。反応はない。仕方なく、また閂をいちいち開けるのも面倒だったので生垣を飛び越えて屋敷に入る。
月明りを頼りに歩いて縁側に回ると、月がそれを照らしていた。


「……!」

縁側に座っていたのはマユリだった。隊首羽織をし、死覇装を身に纏い、十二、と掘られた金属製の金色の纏められた髪のような装飾品を背に垂らした、その姿で。
動揺し固まっている勇慈の方をちらりとそれは見つめ、そして再び月夜を見上げる。

「いつまで呆けているのかネ?」
「は……」
「言っただろう。勇慈。何度も言わせるんじゃないヨ。護廷の為、私の為だと思うのなら、その命の一遍まで使い果たしてから死ねと。そして私は、研究をやめるなど毛頭ないと」

それはゆっくりと立ち上がり、向き合う。

「だから、いい加減起きるんだヨ。寝坊助め。夢の続きはここじゃない。あっちだヨ」
「……俺は…」



……どうか。どうか深くお眠りよ
ボクの大事な君
今一度、幸せな夢の中へ



「うっ…!?」

ぐわんと視界がぶれる。強烈な睡魔に立っていられず、膝をついて睡魔に抗う。視界がちかちかする。ぼやける。ぐらぐらとおぼつかないそれに抗っていると、なるほどネ…と耳の中にするりと滑り込む声が聞こえた。


「なるほどネ……原因はそれ、か。いや、原因と言うべきか。ずっと目覚めるのを拒んでいたというべきか」
「何…を……」
「勇慈、よく聞き給え」

は、とマユリを見上げる。いけない、ダメ!!と頭の中に響く幼い誰かの声。だがそれを遮るように、マユリがするすると言葉を紡ぐ。

「君の羽織は誰の物かネ?」
「…これ、は…蔦子姉さんと、錆兎の…」
「そうだネ。形見とやらだったと聞いている。では次。その髪紐は誰が贈ったものだったかネ?」
「これは…お前、だろう…。誕生日に…菓子の礼、で……」
「あぁ、そんなだったネ。…ふむふむ、記憶は連続しているか。ならば最後の質問だヨ」


「この夢の中、お前が”死神”として生きてきた中で。片時も手放さなかったモノは、なんだと思う?」

「手放さなかった、モノ…?」

ずっと側にあったもの。ずっと。羽織?違う。それは蔦子姉さんたちのものだ。髪紐。これも違う。これはマユリのだ。なら……
かちり、音が鳴った。
は、と目を見開く。視界が開ける。

「……斬魄刀…」

にぃやりと孤を描いてマユリが笑う。

「そうだヨ。正解だ」

瞬きの間に、マユリの身体から血が噴き出す。思い出した。俺は、あの時——!!

「!? マユリ!!」
「焦ることはないヨ。どうせこれも夢だし、死ぬ気は毛ほどもない。さて、目覚めの時だヨ」

すっと右手を持ち上げ指を差す。指し示しているのは、斬魄刀。

「そろそろかくれんぼはおしまいだヨ。彼岸花」

マユリ、ともう一度呼ぼうとした時、世界は真っ暗になった。





誰かが泣いている。勇慈は立ち尽くしていた。ふと意識が戻った時、自分の姿を見てみるといつもの死覇装に、片身替の羽織、そして濡れていた髪は髪紐で結い直され、いつもの自分の姿だった。

誰かが泣いている。聞いたことがない幼い声。だけど、知っている声。


しん、と静寂に満ちている。
そよそよと彼岸花がそよいでいる。
泣き声だけが、響いている。

さく、さく、と。歩みを進める。足元に咲いているのは、一面の彼岸花。
踏んだら萎れて、枯れていくそれに少し悲しみを覚えながら、声の主の元へと歩いていく。
真っ暗な中、足元だけが明るいその彼岸花の絨毯をそれほど歩いただろうか。声がだんだんと近くなっている。

「……そこにいるんだろう。彼岸花」

勇慈が声をかける。くすん、と鼻を啜る音がした。振りむいてみると、薄明りの中、彼岸花に埋もれて泣いている子供が一人。
ふわふわのタンポポのような赤い髪を揺らし、まるで水を閉じ込めたような真っ青な瞳で、どうして、と恨みがましい声と共に顔を上げる。

「どうして起きちゃったの。勇慈」
「…みんなが起こしてくれたから、起きられたんだ。彼岸花」
「起きなくて良かったんだよ。お願いだから、もう一回眠ってよ。せめてこころだけでも、幸せな夢の中にいてよ」
「…それは出来ない。俺は、今、生きている。生きろと言われてここにいる。だから、起きなくちゃいけないんだ」

そっと彼岸花の側に腰を下ろして、ぐすぐすと泣く子供の頭をそっと撫でる。それにぶわりと涙を溢れさせて、彼岸花は嫌だよぉとぐずる。

「だって起きたら、また戦いにいくでしょう。ボクもうイヤだよ。戦いたくない」
「それは…すまない。お前が戦いが嫌いなのは、知らなかった」
「違う。そうじゃない。ボクは君が傷つくのがイヤだったんだよ。どうして君ばかり酷い目に遭うの。どうして君ばかりが傷つくの」
「………、」
「ボクだってそうだ。だって、ボクは。ボクがいるから…」
「それは違——」
「違わないよぉ!!」

ひぐ、と涙を堪えながら子供は見上げる。真っ青な瞳が映ったかのように、涙すらも青かった。

「だって、ボクは…ボクは、君に卍解を使わせたくない」
「それは…」
「ボクの卍解は君を呪う。それが嫌だったのに、遠くない未来で死を背負った君に、どうしてボクが呪わなくちゃいけないの。どうして君を殺さなくちゃいけないの」
「……」
「だけど…分かってるんだよ。卍解がないとあいつらには勝てないって。卍解があると君は戦いに身を投げ出して、死ぬって」



「どうすればいいのかボクわからないよぉ……」



ぐすぐす、ひぐっと嗚咽をあげながら泣きじゃくる子供の涙を拭いながら、目を伏せる。そして彼岸花の頬にそっと手を添えて、顔を見つめる。

「ありがとう、彼岸花。…だけど、忘れないでくれ」
「え……」
「お前を振るっているのは、俺だ。お前の気持ちは、嬉しい。だが、それは許されない。俺は戦わなくてはいけない」
「でも…!それで死んじゃったら…!!」
「俺は、死なない」

え、と彼岸花が見つめる。

「お前の呪いは、俺から生まれたものだ。斬魄刀は、死神の写し鏡。それを、俺は受け入れなければいけない。お前だけに背負わせない。俺も背負う」
「……ぐすっ…」
「やっと…」
「? 」
「やっと、生きていていいんだって、思えたんだ。死が身近になって、初めて。ずっと後悔していた。ずっと心残りだった。けどそれをひっくるめて、命を無駄にするなと言ってくれる人がいる事に、やっと気づいたんだ。……錆兎はずっと言っていてくれたのに。義勇を泣かせるってわかっていたのに。マユリを怒らせるって薄々気づいていたのに」
「勇慈…」
「だから、今更だ。……お前を全て受け入れる。お前は…俺の刀だ」

子供の目は涙を湛えていた。けれど、もう泣いてはいなかった。

「……死んだら許さないよ」
「肝に銘じる」
「あと、負けても許さない。もう二度と、ボクが君を負けさせたりしない。……今まで、ごめんね」
「構わない。俺の方こそ、お前の声を聞いてやれなくて。すまない」
「いいよ別に。……ボクの名前、もうわかるよね?」
「わかる」
「なら、起きるよ。……外は、もう戦場だ。ボクが君を引き留めたりなんかしたから…」
「それだけ俺を心配してくれたんだろう。まぁ……何とかしよう」

座り込んでいた子供の手を引いて、立ち上がる。もう子供は泣いていなかった。赤いタンポポのようなふわふわとした髪に、真っ青な瞳。着物は…よくよく見たら、義勇のおさがりだ。それにふっと笑って、子供に声をかける。

「いくぞ。—————」
「…うん!勇慈!」

ぴしり、と音を立てて。真っ暗な世界は壊れた。




ごぼごぼ…と、水の音がする。熱い。息苦しい。揺蕩っている?そんな生ぬるいものじゃない。これは…お湯だ!

「!?」

溺れているのか!?と目を見開いて、慌てて水面へと顔を出す。ごほ、ごほと咳込んでいるとはたと気づく。……生きている。そっと首の、頸動脈を指でなぞる。確かに断ち切ったそれ。僅かに肉が盛り上がっていて、確かに斬った痕が残っている。意識が途切れる前に何かを見た気もするが、思い出せない。ただ、確かにこれを断ち切った事は覚えている。頬を軽くつねってみた。痛い……現実だった。

「ここは……」

カポーン!と大きな鹿威しの音がする、よおく見ると全裸で使っていたそれは、白濁とした温泉だった。

「目覚めたか!少年!!」

びくりと肩が跳ねる。黒地のベストに縞模様の入った服を着た、眼鏡をかけた男性二人。誰だ…!?と困惑しているとそれを悟ったのか、男二人は自己紹介をし始める。

「これは済まない、少年。我々は『泉湯鬼』 麒麟寺天示郎様が傘下、数比呂。こっちは数男!天示郎様のご命で、少年をこの白骨地獄と血の池地獄に沈めていた!」
「はぁ……」
「白骨地獄と血の池地獄は天示郎様の湯治場!少年は致命傷だったから長く湯につけていたが、目が覚めたのなら元の倍ほどは元気になっているだろう!」
「それは…どうも……?」
「それと少年!これは千手丸様からだ!数男!」
「応!」

数男、と呼ばれた筋骨隆々とした男が差し出したのは、きれいに畳まれた衣服だった。これを身につけろという事だろうか、と目くばせすると数比呂と呼ばれた男は頷いて肯定を示す。特製らしい手ぬぐいで身体を拭い、袖を通していく。

「…!」

いつもの死覇装に、いつもの片身替の羽織。仲間たちの血に染まり、真っ赤に濡れていたはずのそれが、元の姿で帰って来た。

「その死覇装と羽織は千手丸様のお作りになられたものだ!元の衣はズタズタでな、新しく仕立てられたそうだが機能性は元の衣よりも遥かに上回るという!」
「……そうか、ありがたくいただくとする」
「それと、これは曳舟様からだ!食べるがいい!」

どん!と湯殿から出る間もなく卓に連れられて座らされ、出されたのは、おにぎり。さっき竹皮で包んでいたものを卓上に見ていたし、それをほどくところも見ていたから、おにぎりがまろび出るのはわかる。わかるが、量が多い。あれよあれよとどこに隠し持っていたのかとばかりにおにぎりをうず高く積み上げて男二人が隠れるほどの山になった。流石に多いのでは???

「多くないか…?」
「多くはないぞ、少年。君は今猛烈に腹が空いているはずだ。治療に全霊圧を集中させていたのだから」
「そういう…ものか…?」

まぁ、言われてみれば腹は空いている気はする。試しに(おむすびころりんとならない位置の)おにぎりを掴み、ぱくりと口にする。程よい塩気と、出汁の香り。ぱりっとした海苔の風味が口の中ではじけて、美味しい。次のおにぎりを手に取る。こちらははちみつにつけられた梅を包んでいたらしく、半分ほどを口に含むとじゅわりと梅が弾けて口の中いっぱいに広がる。梅の酸味と甘みが米の甘味とうまみと調和し、ほわ…と雰囲気が綻ぶ。



——ドォン!



びくりと肩が跳ねる。目を白黒させていると、あぁ…と数男が声を漏らした。

「今の音は……」
「…曳舟様の『命の檻』が閉じた音だ」
「命の檻?」
「あぁ。……ユーハバッハは、滅却師は、霊王宮にすでに侵攻を始めている」
「!?」

むぐ、と喉に米が詰まりそうになる。慌ててお茶を飲み、席を立とうとした。それを数男が押しとどめる。

「待て、少年!少年はそのおにぎりを食べなくてはいけない!!」
「食べている場合か!?ここがそもそも霊王宮……というのも驚いたが、滅却師がすでに攻め始めているのなら…!」
「だからこそ、だ。少年、数男に押し負けている君が今、零番隊様に合流したところで何になる?」
「……!それは…」

力強い数男に押し負けて、すとんと席に着く。
数比呂はおにぎりを差し出しながら、諭すように語り掛ける。

「我々が課された使命は二つ、霊王宮が堕ちる前に少年が目覚めるのなら、千手丸様の衣を纏わせ曳舟様の食事を食べさせて補給をさせる事。二枚屋様は……君の卍解が直訴したらしいから、その必要はない。その損なわれたさえ整えば、自ずとこころも追いつくとの和尚の見立てだ」
「そして、もう一つ。お前が目を覚まさなかった場合。その身を沈めて亡き者とすること。……おんしは、兄貴に示した。ならば我々も、そのこころに報いよう」
「彼岸花が…俺は……」
「さぁ、まずは食べることだ!零番隊様が戦っている間に、そして。あの連中も…黒崎一護も戻ってくる!」
「! 」
「だからまずは食べろ!そして英気を養え!尸魂界の為に」
「…わかった」

もぐり、再びおにぎりの山に向き直るとそれに手を伸ばして、口いっぱいに頬張る。相変わらず頬が落ちてしまうくらい美味しい。一口一口、力が宿るかのようだった。
一心不乱に食べ進めながら、勇慈は静かに闘志を燃やしていた。



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—————————


——————


———


巨大なものが落ちる音がする。

「ご、ごめんね岩鷲くん。三天結盾から漏れちゃって……」
「いいってことよ!!」

そろりと茶渡が顔を出す。

「静かだ…どうなっているんだ……?」
「!」

一護が息を飲む。織姫、茶渡、岩鷲、そして夜一の全員がそちらを向くと、四肢が千切れてバラバラの肉塊と化した兵主部一兵衛の身体がそこにあった。

「……っ…!」
「これは…」
「零番隊…なのか…?」
「ああ、和尚だ……零番隊で、俺やルキア達に鍛錬を付けてくれた……」
「あたし…治してみる!」
「む、無理だろこんなバラバラで…!」
「でも…!」

岩鷲が慌てて止める。盾舜六花を行使する織姫、そんな織姫の背中を見つめている一護が「和尚?」と声を上げる。茶渡が問うと、一護はまなこ和尚の声がすると言う。一護が口を開く。

「……『兵主部一兵衛』」

すると肉塊が蠢き、目を見開いた和尚の肉体がまるでインクのように黒く染まり、水滴同士がくっつくように引き寄せ合う。どちゅ、どちゅり。凡そ治っているとは思えない音に織姫が少し顔を青ざめさせながら、身を引くと、黒いインクの塊からずるりと表面が剥がれ落ちる。

「ふうっ!いやあありがとうよ!」
「……っ…は!?ど、どうなってんだ!?死んでたんじゃなかったのかよ!?」
「ん?死んでおったぞ。だがおんしに名を呼んでもらう事で、おんしの力をちぃっとばかしもらい受けて身体を直したんじゃ!」
「無茶苦茶だな……」
「そうか?」

さも当然のように首を傾げる一兵衛と、唖然とする一護。一兵衛が居住まいを正すと、一護たちも自然と背筋が伸びた。

「一護…ユーハバッハを止めてくれ」
「…!」
「零番隊は奴等に敗れた。わしの身体は取り戻したが、力の回復を待ってはおられん状態じゃ。奴を止められるものは……もう他にはおらん」

「殺せとは言わん。ただ、止めてくれ」

「『霊王』は、世界の『鍵』じゃ。霊王が死ねば、瀞霊廷も、現世も、虚圏も、何もかもが崩れて消える。こんな使命を…おんしに任せてすまん」
「もういいって、和尚」
「霊王を…護ってくれ、一護…!」


「…ああ!」

一護たちが走り出す。その背を見送りながら、一兵衛はぽつりとつぶやく。

















「……すまんのう。すまんのう。人間ども。おんしらでは、ユーハバッハには勝てん」



「じゃが…案ずるな。平和とは全てそういうものよ」



「のう……ユーハバッハよ」








「三天結盾!私は拒絶する!」
「井上、頼んだ!」

霊王宮の真下にたどり着く。ここまでくれば、あとは最短距離を織姫の盾舜六花の力で重力を拒絶し、上へと上がればいい。
織姫が盾舜六花の術の構えをすると、どこか遠くで何かが木霊する音が響いた。

「? 今の音って…」
「どこからだ?零番隊は、和尚以外今いないんじゃ……」
「…!一護、上だ!」

茶渡が空を見上げる。太陽を背に黒い点が見える。それはぐんぐんと近づいてきて、やがてきらりと光るものが見えた。

「水の呼吸 捌ノ型————滝壷!!」
「うぉおお!?」

どぉん!!と爆音と共に水飛沫が着地をする。もうもうと土埃と水の波動にけぶるそれに薄目を開けると、ついぞ霊王宮で姿を見れなかったあいつの姿がそこにあった。

「…勇慈!!お前、無事だったのか!」

ふ、と綻んだ勇慈の頬には痣が浮かんでいて。一護や織姫、茶渡たちを見てほほ笑む。

「すまない。傷は癒えた。…俺も行く、一護。織姫、連れて行ってくれ」
「もちろん!」


そうして再び、舞い戻る。




おまけ





「連行名簿にあったものは全て、此処に揃えてある」
「!!」
「あとは黒崎一護、そちだけじゃ」

千手丸が指を差す相手は、黒崎一護。俺…?と一護が自分を指さしていると、卯ノ花が止めに入る。忌々しい。まったくもって、忌々しい。
千手丸の球体の中に収められているのは、朽木白哉・阿散井恋次・朽木ルキア・天鎖斬月……そして、冨岡勇慈

あれは動かしてはいけないというのにするりと搔っ攫われた。忌々しい事、この上ない。研究室に勝手に潜り込まれた事にもだが、集中治療室に押し入られたのかと口から嫌味が飛び出るも、千手丸はどこ吹く風。そればかりか、手を添えたらするりと開いたなどと宣う。これが腹に据えかねる以外のなんであろうか。
無意識に奥歯を噛んでいると、そればかりかここに置いていても朽木白哉と冨岡勇慈は確実に死ぬなどと言われた。


これが、怒り以外のなんであろうか。


だがマユリは科学者であるからして、その事実を完全には否定できなかった。血管は繋いだ、霊圧は戻りつつある。だが万全とは言えない。完治するまでに何年、何十年かかるかもわからなかった。当然だ。致命傷を繋ぎとめたそれがすでに偉業とも呼べるべき術式だったが、マユリにとっての万全とはあの流麗たる水の呼吸なのだ。死に瀕し、腐り落ちかけている今の状態ではない。
だからマユリは。黙って見送った。元の状態に戻せるというのなら戻してみせろ。零番隊様とやらの腕前を見せてもらおうじゃないか、と。



真っ白な隊首羽織を翻して、技術開発局へと舞い戻る。隊士たちは、まだまだ十分には動かせない。阿近はまだ治療中だ。ネムの関節は元に戻したが、骨が完治するまではあと二日ほど要る。となれば、自分が動くしかない。

二度とあのような失態を見せはしない。
監視蟲をかき集め、データを分析し、最善手を打つ。それが、私の戦いだ。特にあの洗脳術式に対抗するための薬は、念入りに準備しなければ。


全ては瀞霊廷のために。その中に砂粒ほど別の想いも織り交ぜながら、マユリは歩む。





零番隊コソコソ噂話


・麒麟殿:麒麟寺のところ
・臥豚殿:曳舟 のところ
・鳳凰殿:王悦 のところ
・霊亀殿:千手丸のところ(オリジナル)
・瑞獣殿:一兵衛のところ(オリジナル)



実は作っていたけどお蔵入りになった設定。


護廷十三隊コソコソ噂話

彼岸花が見せた夢は勇慈のこうであったら「よかったなぁ」という願望の具象化です。
夢の中なら、蔦子は祝言を無事挙げて鬼になど襲われていないし、義勇も鬼殺隊に入っていない。錆兎には会えないかもしれないけれど、危ない事はせずに蔦子の夫と仲良くしているし、自分はそんな家族を見守りながら死神をしている。
死神の自分は十二番隊で忙しく仕事をしていて、平和で、滅却師の襲撃なんかなくて。ネムや阿近たちと穏やかに仕事をして暮らしていて……

だけど、そんな夢の中でも。自分の背中を押してくれると勇慈が確信している「義勇」と「マユリ」の欠けた世界でなくては、彼岸花は構築できませんでした。蔦子がいるなら「羽織」は存在しないし、マユリがいるから「髪紐」がある。
過去と今のだいじなものがあってこそ目を覚ますことが出来たので、彼岸花も薄々わかっていました。この夢に留めておく事は出来ないと。けれどそうしてまで、戦いに出てほしくなかった。勇慈が口にしたのは義勇とマユリだけでしたが、彼岸花もまた、生きてほしいと願っていたのをようやくここで知れました。



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