現十二番隊の元鬼殺隊は


お前が眠るコレを目にしたとき、なんといったか覚えているかネ———



意識が揺蕩っている。眠っていたのだろうか、それとも、まだ眠っているのだろうか。それにしては、腕が温かい、と腕の中の温かさに瞼を開けて目を向ける。腕の中に納まっているのは、すやすやと幸せそうに穏やかに、眠る女児だった。それをぼう…と見つめて、ぎしり、と腰かけに深く体重をかける。深く深く、息を吐き出す。嗚呼そうだ、思い出した。確かこの時、珍しく七號がぐずって泣いて、あやすのに苦労していたのだったネ。

すやすやと眠る小さな子。ぬくもりが伝わってきて、心臓がとくとくと鼓動を奏でている。あたたかい。それが意味もなく、ここちよかった。もう一度目を閉じる。どうやら、慣れない事をして疲れていたらしい。

隊首室の扉が開く。入ってきたのは、無二の友であった。
少し目を見開いて、ついで、普段の仏頂面を柔らかく破顔させた。

「——————、よく寝ているな」

静かに傍に寄ると、そっと七號の頭を撫でる感覚がした。柔らかく髪を梳いて、まろい頬を少し触って。宝物のように、優しく、羽のように。
私の最高傑作を撫でる友人と、私の腕の中で眠りにつく夢が、ここにある。


その穏やかな、なんでもない微睡みの記憶が、今でも記憶に焼き付いている。





「ン……」

ぱちり、と重たい瞼を持ち上げる。組んだ手を枕にしていた顔を上げ、ふるりと頭を振る。室内は真っ暗だった。はて……ここは……と寝起きでぼんやりしている頭を回転させて、(なんだか懐かしいものを夢に見た気がするネ、とも思ったが)嗚呼と思い出す。

「寝てしまったんだったネ……」

そうだ、あれから。尸魂界にとんぼ返りして。技術開発局に籠ったのだった。

現世。帰還して友人——勇慈に真っ先に受けさせたのは、上弦の弐との戦闘で傷ついた身体の治療であった。クロサキ医院にて場所を借りて、ベッドに横たわりながら傷の治療をしていく。ある程度は勇慈が日頃行っている全集中の呼吸という技術と、戦闘中のアドレナリンで補っていたとはいえ二度の裂傷に無数の凍傷、連れて帰ってきた面々の中で友人が一番の重傷であった。(黒崎一護もまぁまぁの傷を負っていたが、こちらは一か月程度で治療が見込めるため、ぎりぎり軽傷の範疇といえよう。)
そして一番重傷だったのは、案の定魂魄であった。調整メンテナンスされていない義骸に、大量に服薬した内魄固定剤ソーマフィクサー。合わない義骸に無理やり紐づけした事で傷ついた魂魄が義骸に癒着して、剥がすのに相応の時間がかかると通告したのだ。その期間。凡そ三か月。

『で、これがその魂魄解離剤。そうだネ……内魄解離剤ソーマディソシエーション。とでも命名しようか。これをお前には毎日朝昼晩、一回一本ずつ。内魄固定剤を注入したのと同じだけの期間、服薬してもらうヨ。今のままじゃあ、義骸を脱ぐ事すらもままならないからネ。無理に脱いだら魂魄が傷ついて傷が悪化するヨ』
『……という事は、三か月は尸魂界には帰れない、という訳か』
『たかが三か月、まぁその傷の治療もあることだしネ。あっという間だヨ。せいぜい傷を癒して、さっさと戻ってくる事だネ』

学校への欠席届は、浦原喜助経由で届けられているらしい。誘拐未遂事件の折に、犯人から傷を負わされた、その治療のための入院であると記憶改竄までされて。何もかもお膳立てされたそれに、内心苛立ちながらも、現世にはそこまで詳しくないので助かってはいる。決して口になどしないが。

その時の事を思い出しながら、友人が気がかりにしていた事も話したのだったか。鏡の鬼の血鬼術を使ったと説明したが、私に何か悪影響は出ていないのか。だとか。あれに巻き込まれる人はもういないのか。だとか。他人を心配する事ばかりだったのは相変わらずと言えよう。

浦原喜助の合同研究。鬼の血鬼術を解析して得た次元跳躍技術は、拘突の現れない七日間のうち、雨の降った夜にしか今はまだ使えない。そして、断界とも似て非なる次元の狭間を経ると、時間の流れが相互に異なることも、友人に感染させてある菌を経て判明した。
つまり、たったの一週間・・・で帰ってこれたのは、ひとえに技術開発局(と、再三言うが苛立たしい事に浦原喜助)の叡知を結集させたが故であると言えよう。ともすれば、あちらで一か月過ごしている間にこちらでは百年が過ぎていてもおかしくなかったのだ。ただし、三人の肉体に流れた数か月は確かな時間として、残ったままだ。

せいぜい身体を休め給えヨ、そう言い残すとしぶしぶといった様子で、咳込みながら掛布団にしっかり潜り込んで眠りについた友人の、青白い顔を覚えている。消えかけていた、だが未だに頬に残っていた痣も。



だんだんと、思い出してきた。
そして、だんだんと思い出すにつれて目下の究明しなければいけない事象についての研究に思考は流れる。目の前に浮かべたまま寝落ちしていたモニターは、計算結果を叩き出していた。それを食い入るように見つめながら、すっかり目覚めた頭で鍵盤を叩く。その横顔は、いつもの好奇には彩られず真剣そのもので、画面に映る人物の一挙手一投足を見落とさないように、孔が空くほど見つめていた。
その人物は友人——冨岡勇慈のものだ。踊るように身体が跳ねる。氷を一撫でで斬り伏せ、美しき死を舞い上げながら。上弦の弐との戦闘で得た映像データを、じっと見つめ、ぴこんと計器の一つが音を上げる。その瞬間の勇慈の身体データを抽出する。寝起きとは思えない形相で、鍵盤を叩き続ける。


友人の、死期の予測計算を続ける。


最初に異変を得たのは、藍染との交戦の時であった。あの時自分は虚圏に居て、勇慈は尸魂界に転送された空座町に居て。そこで、計器の一つが異常を察知して警報音をかき鳴らしたのだ。目の前で更木が破面と遊んでいたのを暇を持て余しながら眺めていたときにそれがあったから、チッと一つ舌打ちをしてモニターを展開して、驚いた。勇慈の霊圧がだんだんと削れて行っているのに反比例して、心拍と体温は異常な数値を叩き出していた。その心拍は二百を超え、体温に至っては三十九度。四十度に迫る数値であった。普通、高熱とは身体の免疫機能が活発に働いている状態である。細菌やウイルスは一般的に熱に弱く、高温を保ち続ける事で死滅していく。つまり生命が持つ防衛機能と言えるだろう。それが、何故か”戦闘中”に起きたのだ。アドレナリンなどで片付くものではない。明らかな異常が、友人の中で起きていると気づいたのだ。

次に観測されたのは、異世界。上弦の弐なる鬼との戦闘中。身体が燃えるように熱い、と述べていたタイミングのデータを引き抜いてみれば、こちらも心拍体温ともに二百。三十九度以上の高数値、そしてその時と過去の画像データを比べて気づいた。勇慈の頬に、流水の”痣”が発生しているのだと。これを異常数値の原因であると仮定してから、この症状が勇慈の身体にどれほどの負担をかけているのか。……最も、根を詰めて研究をしていたせいで、疲労がたたって眠ってしまったのだが。

ところで。勇慈の肉体年齢は、現世換算で二十から二十一歳。死神は、現世の人間によりも遥かに歳をとるのが遅い。個人差もあるが、ちょうどヒトにとって十年が、死神の肉体年齢では一年分歳をとるくらいの緩やかさだ。とはいえ、ここは個人差があるので一概にそうとは言い切れない。勇慈はその、遅い方であった。最初に会った時が百余年前で、その当時が十七くらいだったので、非常に緩やかに成長していると判断していい。最もある程度の年齢を超えてしまえば死神は老化が止まるため、成人を過ぎてからの年齢はあまり参考にはならないのだが。
だが、肉体年齢が二十を過ぎているという事実は変わらない。
寝落ちという無様を晒しながらも技術開発局に籠り切って導き出した仮説から齎された、結論。事実。断定していい。”痣”とは人体の安全装置リミッターが破壊された証である。モニターに差し出されていた計算結果をもう一度見つめ、確認するように再三鍵盤を叩いていたが、結論は変わらなかった。


先ほどの説明を引用するのであれば。
勇慈の肉体年齢は二十から二十一である。そして、この破壊された安全装置リミッターの出力に耐えきれるのは、肉体年齢が二十五歳前後まで。そこを突破すると、破壊された安全装置リミッターを超えて過剰出力される力そのものに肉体が追いつかず、自分自身の力に殺されて、死に至る。
算出した仮定は、あまりにも短かった。身体が保って、あと二十年。短ければ、十年。そこがタイムリミットだ。
マユリはそう結論付けた。

「………」

しゅん、とモニターを閉じて、マユリは腰かけに深く身体を預けて、思案する。
隊士須く護廷に死すべし、護廷に害すれば自ら死すべし。護廷の為ならば、瀞霊廷を護る為ならばその命を捧げよ。総隊長のその教えをマユリもまた継いでいる。だから、藍染と相打ちして死ねと送り出したのだ。全ては護廷の為だ、と思いこんで。
だから、急に目の前に示された友人の死期と向き合わされて、正直、少し戸惑っていた。このまま、何もしなければ、友人は痣に喰い殺されて命を落とす。もしかしたら、日常的に痣を出していなければ負荷は減るかもしれないし、今からでも痣を封じる術を開発できれば寿命問題はいくらか改善されるのかもしれない。だが、改造なおすのではなく治すには、どうすれば良いのだろうか。
そもそも、症例が友人一人しか存在していないのだ。それに今のところ、痣の発現条件と思われるものしか判明していない。それに、一番の問題がある。
————勇慈は、この事をどう捉えているのか、という話だ。勇慈の事だ。痣の事実を告げた所で、痣に喰い殺される運命を呪うとは想像できなかった。むしろ、痣が出ている間、鍛錬など碌にしていないマユリでもわかる。明らかに身体能力が向上していた。友人は気にしていた。虚を狩る事に特化した自分では、実力が足りないと嘆いていた。東仙との戦闘の後にも、悔いていた。知っている。見ていたのだから。そんな友人が、力を手放すとは思えなかった。

ぎし、ぎし、と椅子にもたれかかったまま、隊首室の天井を仰いだ。仰いだところで、動かなければ何も解決はしないのに。

「………」

椅子から腰を上げる。そして衣桁に掛けてあった隊首羽織を羽織って、隊首室を後にする。動かなければ解決しないのであれば、やるだけだ。そして、護廷の為に命を捧げるのであれば、友人の命は長ければ長いほど、いい。誰に聞かせるわけでもないそれを内心で言い訳しながら、羽織りを靡かせて研究室へと向かう。

鬼について、もっと詳しくなる必要がある。





三か月。あれから三か月経った。黒崎一護が力を失って、半年。そして、勇慈の治療が終わる月。
マユリは浦原商店へと足を運んでいた。扇子で顔を隠しているつもりなのか、ちらちらにまにまとこちらの様子を伺ってくる浦原喜助と顔を合わせるのは目障りな事この上ないが、冨岡勇慈の現世での帰る家は今のところ、ここなのだ。(戸籍的には、浦原喜助の遠い遠い親戚という事になっているらしい)
全治三か月、とはいえ。ずっとクロサキ医院で世話になっていたわけではない。最初の一か月はクロサキ医院のベッドの上で、大人しく寝ていた。次の一か月で、恐るべき事にリハビリを始めていた。我が友人ながら、その体力の底なし具合は驚嘆に値するとマユリは常々思っている。そして残りの一か月。内魄解離剤を服薬しながら学校に復学した、という訳だ。薬は順調に効果を発揮しており、ついこの前の体育では珍しく息切れをしてしまった、と浦原に愚痴るくらいには義骸との連結が鈍りだしているらしい。良い傾向だと言えよう。
季節は梅雨、もうすぐ夏が始まる。今日もさぁさぁと小雨が降り続いていた。すっかりぬるくなった茶を前に、腕を組んで胡坐をかいて、目を伏せ黙して、帰りを待つ。そんなマユリを伺うように、浦原が声をかけてきた。

「………」
「……あの~…涅サン?まだ帰ってくるには早いですよ?」
「煩いヨ。どこで待とうが私の勝手だろう」
「いやここ、アタシの店なんスけど……」

とはいえこんな雨天にわざわざ駄菓子屋に寄る人影もなく。閑古鳥が鳴く始末。店舗と居間を仕切っている障子は開け放たれ、気分はすっかり店じまい。二人で仲良く(不本意である)ガラス戸の奥にけぶる雨を眺めて、待ちぼうけ。
柄にもなく、そわそわと心は浮ついている。それは三か月ぶりに顔を見るからか、はたまた尸魂界に戻って実験に駆り出す予定だからか、もしくは——

「……ねェ、涅サン。何そわそわしてんスか?」
「…してないヨ」
「嘘おっしゃいよ。そわそわしてなかったら、わざわざ迎えに来たりしないでショ。どうしたんですか。貴方らしくもない」
「煩いヨ。大体、私らしいとはなんだネ私らしいとは」
「いつだって自信に満ち溢れている十二番隊隊長の事言ってるんスけどねェ」
「……だから何だネ」
「単刀直入に聞きますよ。冨岡さんに何か問題があったんスか?」

時が止まった。口を開いて、閉じてしまったのは今この状況に置いて何より雄弁な答えと言えよう。忌々しい。チッと舌打ちをすると、やっぱりそうなんスね、と浦原は納得したように呟いた。

「いやぁ、モノに対する執着の希薄な涅サンですけど、貴方たち昔っから仲良かったっスもんねェ。ボクを差し置いて名前呼びなんかしちゃったりしてさぁ。羨ましかったんですよ?」
「ならアイツにそういえばいいだろうが」
「ヤ、絶対呼んでくれないんスよ。いつだって浦原サンってさん付けしちゃって。余所余所しいから喜助さん♡でいいって言ってんですけどねぇ」
「フン……」

かたくなに浦原呼びを通しているらしい、と聞いて、僅かな優越感のようなものが心を過る。少なくとも友人の中で浦原は友人の枠ではないらしい。

「……で、一体冨岡さんに何があったんですか?」

扇子で口元を隠しながら、帽子の奥から浦原の視線に射貫かれる。強い視線は、有無を言わさず吐けと促している。それに少し居心地が悪くなり、茶で唇を湿らせながら、逡巡する。自分の中でもまだ、どう向き合えばいいのか決着がついていないのだ。

「……お前、四楓院夜一が急に死ぬとなったら、どうするかネ?」
「え?夜一さん?」
「質問に答え給えヨ。どうする?」
「……ふむ……どうするってったって、急に死ぬ。って事はその原因があるわけでショ?なら、その原因を究明して夜一サンが死なないように備えます」
「それでも防げない、という場合は?」
「そうならないように、千も万も備えるんスよ」

チッ、と舌打ちをした。そういう男だった。聞くだけ無駄だったかもしれない。だが、あの男にはそれだけで十分伝わってしまったらしい。

「…冨岡さん、死ぬんですか?」
「そうならないように、対策を講じているところだヨ。……最も、本人は死ぬなんて微塵も思っていないだろうが、ネ」

ぽつりぽつり、と語りだす。勇慈の頬に浮かび上がった痣が人体の安全装置リミッターである可能性。それが壊れているという仮説。タイムリミットは恐らく、二十五前後と思われる予想。時間が、あと二十年もない事。
洗いざらい話して、浦原は口を開く。

「涅サン……それ、参ってるんスよ」
「何…?参っているだと?誰が?」
「貴方ですよ。友人の死期を一人で察して抱え込んで、正常でいられる訳ないでしょう」
「フン、そんな訳あるかネ。大体私がそこまで弱いと?私をバカにしているのかネ?」
「ボクに話したのが何よりの証左でしょ。それに貴方、自分ひとりで解決できるんならそこまで憔悴した顔で話してないでしょ」
「は……?」

酷い顔してますよ。ここだけにしといてくださいね。なんて言われたところで、鏡もないのだから自分の顔などわからない。わからなかったが、どう向き合えばいいのか決着がつかない、などと先送りしていた問題に向き合わされた。自分は、焦っていたのか。友人の死に。
急にすとん、と納得のいく名前がついて、持て余す。
涅サン、と真剣な表情で浦原が見つめる。

「詳細をお願いします。さっき話したデータも下さい。ボクだって、かつての部下を見殺しにする気はないんですよ」
「……分かったヨ」

いつか浦原に無理やり投げかけた、データを寄こせという台詞を返される。少しだけ悩んで、恩に着るヨ、ぽそりと呟いたそれが浦原に届いたのかはわからないが、少し心が軽くなった。どうやら、認めるしかないようだ。


ぱしゃぱしゃと水たまりを歩く音が遠くから響いてくる。ただいま、という声と傘を畳む音がした。そしてがらり、とガラス戸を開けると、思いがけない組み合わせの出迎えに勇慈が目を丸くして驚く。

「ア、冨岡さんおかえりなさい」
「…ただいま」

小さくなった声は驚いたままだった。そんなに驚く事だろうか。驚くだろうネと思った。なんせ、この私が毛嫌いしている男と一緒にいるのだから。
待ち人は来た。あとは、帰るだけだ。立ち上がって草履を履き、制服を着こんだ友人の隣に歩み寄る。

「待ったヨ。随分。さて、明日は休みなんだろう。尸魂界に帰るとするヨ」
「あ、あぁ……。ちょっと待ってくれ、カバンを置いてくるから。……というか、もう義骸を脱いでも平気なのか?」
「平気だと判断したから迎えに来てやったんだヨ。愚図。さっさとするんだ」
「あ、あぁ…。」

靴を脱いで勇慈が勝手知ったる実家のように部屋に引っ込む。その背を目で追って、ふぅと一つ息を吐いた。

そしてそんな涅の姿をじっと見つめる浦原がいた事を、マユリが気づく事はなかった。




友人が尸魂界に戻ってこられるようになった。穿界門を潜り抜け、技術開発局の側に降り立つ。私の時間にして三か月、友人の体感にして半年。長い、長い任務であった。
羽織りをはためかせて局へと向かう。その一歩後ろを友人が歩く。さらにその隣にネムがいるのが、マユリの常だった。
局に足を踏み入れ、隊長、お疲れさまです。や、おかえりなさい、勇慈さん!という局員の声を素通りして、目的の場所へと向かう。その私の後ろでは、友人が局員たちへ挨拶を返している。律儀な事だった。
白くて清潔感のある(殺風景などと言われた事もあるが、趣をわかっていない事だと鼻で嗤った覚えがある)廊下をまっすぐ突き進んで、曲がり角。隊首室へとたどり着いた。ロックを解除し、中へと入る。それに続くように友人も入ってきた。部屋の明かりをつけ、まァ座り給えヨと促すと、友人はチェアに腰かける。その向かいへと座って、腕を組んで向き合った。

「勇慈。君が局に戻った暁には聞きたい事が山ほどあるんだがネ。まずは確認しておきたい事があるのだヨ。……上弦の弐なる鬼との戦いの折、身体に異常は生じなかったかネ?」
「何…?異常…か?」
「なんでも構わないヨ。そういった自覚はあったかネ」
「……そう、だな…身体が、熱かった、と、思う」

それから、身体が軽くなったように感じた、と。思い出してなぞるように、思案した仕草で勇慈は答えた。あの高熱は熱かった、程度で済ませて良いモノではないはずだが、自覚症状としては熱かったや身体が軽くなった程度らしい。なるほどネ、とマユリは呟いた。

「勇慈。率直に聞くが。お前、命が惜しいかネ?」
「は?命?何の話だ」
「言葉の通りだヨ。お前の命の事だ」

その言葉に少し悩んだ後、わからない、とそれだけ絞り出した。

「護廷の為にお前が死ねというのなら、死ぬ覚悟はある。だが……そう、だな……捨てていい、なんて、捨て鉢になった覚えはない。使うべき時は使って、それ以外の時は大事にしたい。……こんな回答でいいのか?」
「……そこまで悩めと言った覚えはないが、まァ、いいとしよう」

肘をついて手を組むと、友人をじっと見つめる。友人の背筋が伸びた。

「まずはこの画像を見給え」

宙にモニターを呼び出すと、画像データを引っ張ってくる。そこに浮かんだのは、戦いの折に痣が浮かんだ勇慈の姿であった。
そこで勇慈は初めて、痣に気付いたらしい。これは……と怪訝そうな顔で、痣をまじまじと見つめている。

「結論から述べるとしよう。君はこの先二十年、このまま身体を酷使し続ければ、十年の後、死に至ると見てほぼ間違いはない」
「!? どういう事だ…?」
「この痣は、人体の安全装置リミッターそのものなのだヨ。君がこの痣を発現した時は常に死と隣り合わせだった。火事場の馬鹿力、と、分かりやすく言ってやればいいかネ?ともかくそれと異なるのは、通常のそれとアドレナリンの分泌量やβエンドルフィンによる興奮状態における脳内麻酔作用…無痛状態の事だヨ。その数値が隔絶しているという点だ。ハッキリと異常数値を叩き出している。馬鹿力とはいえ、百パーセントの力を引き出したところで人体は破壊されないだろう?だがネ、お前のコレは百パーセントどころではないのだヨ。組織崩壊の0.nパーセント手前で留まるはずのそれが、超えている。つまりだ」


「お前は、このままコレを放置すれば、痣に喰い殺されて命を落とす、という事だヨ」


「………そう、か」

勇慈が僅かに顔を伏せて、前髪がかかった顔に影が落ちる。今頃己の命の算盤を叩いているのだろう。そういう男だ。あと十年ほどで何を成せるのか。無意識にこつこつ、と爪でテーブルを叩きながら続きを口にする。

「だがネ……私はお前の友人だとも。お前が己の無力を嘆き、護廷の為に役立てないと歯がゆく思っていたのは知っているとも。ああ、見ていたからネ。だから慈悲深い私は選択肢を提示してやろうと思ったのだヨ」
「何……?」

懐から小瓶を取り出して、勇慈の前にちらつかせる。

「これは、服用すれば三日三晩は高熱と高心拍を引き起こす薬だヨ。お前のために開発した。今のお前は痣のコントロールもままならないようだからネ。この薬を飲んで三日三晩苦しめば、次に起きた時はお前は痣の発現を自在にコントロールできるようになっているだろう。……ただし、寿命は十年に縮むがネ」
「……、」
「お前の思考くらいお見通しだヨ。いっそわかりやすくて嫌になるくらいだ。残り十年でどれだけ私の役に立てるか?だと……?バカにするのもいい加減にしろ!!」

びくっ、と勇慈の肩が跳ねる。いきり立って椅子から立ち上がると、そのままつかつかと勇慈の側に歩み寄り、肩をがしりと鷲掴む。


「お前自身に死ぬ権利などない!護廷の為、私の為だと思うのなら、その命の一遍まで使い果たしてから死ね!そして、私が有用な実験材料をみすみす見殺しにすると思っているのなら大間違いだヨ!!」

ふぅ……と一つ息を吐き出して、少し落ち着いた心持ちがする。目を丸く見開いてこちらを見上げている友人にふん、と鼻をならして用意していた次の言葉を語りだす。

「……十年でお前の延命を成すには、もう一度”アチラ”に渡る必要が出てくる。鬼を利用するなど、お前は嫌だと言うだろうがネ……私はやるヨ。鬼を切り刻み、すり潰して、血の一滴まで搾り取って研究を完成させ、どんな手を使ってでもお前の死を引き延ばす。……たとえ、忌々しい浦原喜助の手を借りる事になろうがネ」
「マユリ……」

言いたい事を言い切って満足すると、勇慈に薬を押し付けて隊首室の扉の前に立つ。背に刺さる視線を受けたまま、もう一つだけ口を開く。

「薬を飲む覚悟が決まったのなら、一声かけ給え。お前の有給の調整くらいしといてやるヨ。……それでは、また後で」

シュン、と開いた扉をくぐって扉が二人を隔てる。言いたい事は全部言った。後は、研究だけだ。

「……浦原喜助の卍解も、役に立つかもしれないネ。ああそうだそれと——」

若い頃に文献で見た、霊王の右手。静止を司る存在。静止とは、言い換えれば停滞や鎮静、存在を固定するための力と言える。
それを用いれば、或いは壊れた[[rb:安全装置 > リミッター]]の代用にくらいはなるかもしれない。

思考を巡らせながら、マユリは技術開発局の中を歩きだす。可能性はいくらあってもいい。





『————七號…マユリもか?……よく寝ているな』

近くに畳まれていた七號用の小さい毛布を手に取った友人が、腰かけに身体を預け微睡んでいる私と七號に毛布を掛ける。そのままぽん、ぽんと七號の背中を撫で、髪を梳いてやり、すよすよと眠る女児の幸せそうな顔を見て、ほほ笑んだ。

それを微睡みながら受容した時の、何ともいえぬ夢見心地を手放す気など、毛頭ないのだから。

————————————


—————————


——————


———


勇慈は小瓶と向き合っていた。それは先日マユリに渡された、痣の力をコントロールするための薬だった。
これを服用すれば、あの底知れぬ熱さと力を手に入れる事になる。同時に、自分の寿命は残り十年となる。

十年。人であった頃ならば、鬼殺隊に居た頃ならば、いつ死んでもいいと、死ぬ覚悟はできていた。決して捨て鉢になったわけではない。そのつもりで生きて、死んで、ここに来た。ここで、百余年の時を生きた。こちらでも相変わらず戦いの中に身を置いているが、それでも、遥かなる明日が続いていくものだと思っていた。

ふぅ…と少し息を吐いた。臆したわけではない。だが先ほどの、友人の姿がちらついたのだ。

「(……あいつのあんな顔、初めて見たな)」

自分のように、特別何か救われたような、救ったような覚えはないのだが、思っていたより自分は友人にきちんと、”友人”として認識され、扱われているようだと先ほど身に染みた。それが嬉しくて、同時に恐ろしい。あと十年。暗闇の中を手探りで、探し出していかねばならない。自分は、生きなくてはいけない。これから先の、先まで。生きるために。


————いいか、勇慈。二度と義勇に自分が死ねばよかった、なんて言わせるなよ。お前もだ。お前も、命を捨てるような真似を決してするな


「……わかっているよ、錆兎。義勇」


瓶を掴む。そして蓋をきゅぽんと開けると、中の液体がとろりと揺らめいた。それを一息に煽る、
ごくり、ごくりと一気に飲み込んで、瓶を口から離した。ほう、と息をついた。その時

「————ッ!!」

どくり、と胸の奥、心臓が脈打つ。身体が熱い。手がしびれる。取り落とした小瓶がカシャンと地面にぶつかって割れたのを気にする余裕などなく、ふらりとよろめくと膝をついた。

「ウ……ごほっ、ごほっ!」

ヒュウヒュウと全集中の呼吸・常中が乱れ始める。苦しい、熱い、燃えるようだ、痛い、暗い。自分の身体が、書き換わっていく。ギリ、と胸元を握り締めながら、床に倒れ伏す。荒い息を零しながら呼吸を必死で整え、熱に浮かされた頭で正気を保つ。

シュン、と扉の開く音がしたことに気付ける余裕などはなかった。傍に誰かが座り込む。ぼやける視界で見上げてみたが、誰かはわからなかった。頬に触れる手がある。やわらかくて、細い指だった。

「薬を服用を確認しました。医務室に運ぶので、少し我慢してください」

ネムの声だった。ひょい、と浮遊感と共に身体が宙に浮く。抱えられたのだろう。ネムが歩くのに合わせて、抱きかかえられた身体がふわふわと揺れる。その体温が心地よくて、熱で疲労している身体が睡魔を訴え始める。瞼が重い。堪えようとして、時々落ちかけているのを見たネムが、塞がっている手の変わりに言葉で撫ぜてくる。

「眠って大丈夫です。むしろ、眠る事を推奨します。マユリ様の薬は、そのように調合したと伺っていますので」
「……そう、か……」

眠っていいらしい。なら、きっと大丈夫だ。マユリとネムがそういうのなら。
勇慈は目を閉じ、意識を手放した。



護廷十三隊コソコソ噂話


友人の寿命が残り二十年、早ければ十年と分かった時点で、マユリは延命薬を開発するのではなく痣のコントロール薬の作成に取り掛かりました。浦原商店に出向いた時には完成させています。
それは、友人ならば延命よりも命を燃やす事を選ぶと確信していたから、そして鬼という被検体の少ない現状では延命薬の開発が間に合わないと予想していたからです。勇慈が思っているより、マユリは勇慈の事をきちんと友人だと思っているのです。
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