短編置き場
鮮やかな夕日が炎天の都を染め上げる。遥かな過去より何ひとつ変わらぬ、静謐で凛とした空気を湛える神域。ただ、その一角……二面宮においては、ここ最近とみに人の子の息吹を感じられるようになってきた。
神使たる番のライオンが外周から見守る中、二面宮の中心で向き合う者がふたり。そのうち小さな人影は油断なく斧を構え、目の前でゆらゆらと陽炎のように翼を広げて揺らめかせるも白い神を油断なく強い眼差しで見上げていた。
「ーーこれなるは死出の旅の伴……それ、『ザルの神火』を防いでみせよ」
白法衣の神……商神ナルザルのうち、死を司るザルの神火が、天高く掲げられた左手の人差し指に灯る。青く灯るその炎の数はひとつ。試練と称した戦いの時より操る神火の数こそ少ないが、その炎の勢いに衰えはない。
ーーきた。
避けられない。ならば耐えるしかない。
つい、とザルの人差し指が指し示した方へと神火は宙を滑り、相対する冒険者の元で爆煙を伴って爆ぜた。
爆ぜる一瞬、堪える動作をしたのは視えた。だから、まだ倒れてはいまい。もくもくと上がる煙幕に、伏せたまなざしを向け出方を伺っていると鋭く細いものが煙を切り裂いて飛んできた。
「!…む、」
咄嗟に、ザルが前に出したままの左手で受け止めるとギチリと軋む音を立てて腕に絡みついてくる。それはエーテルで編まれた橙の鎖だった。腕を引いても引きちぎるどころか、ビクともしない。それに気を取られていたのは数瞬のことではあったが、相手は手練れの冒険者。その隙を見逃すはずもない。
鎖の根元、煙の中から、飛び出してきたものへの反応が僅かに遅れた。
「くらえぇっ!!」
「っ、!」
真っ赤な両眼が空中につい、と線を引く。遠心力と回転、斧の重量を乗せて振り抜かれた渾身の一撃、プライマルエンド。常なら肉を切り裂き骨を砕くその技は、黄金色の甲冑のような右腕で受け止められた。金属同士のぶつかりあい、擦れる鋭い音。尚押し込もうとするも刃は通らない。しかし、大地を砕き敵を圧し潰すその技は、確かに商神の右腕に浅い傷を与えてみせた。活性化させた原初の猛りに荒れ狂うエーテルが身体を巡り、じゅわりと、負っていた火傷を癒し始める。
突進の勢いが失せたのを見計らい、そのまま右腕を振り抜いて距離を取ろうと謀った。しかしそれよりも冒険者の方が早く動いた。両足を右腕にしかと付けてそのまま踏み切る。斧を軸とし、前方へと回転して肩を飛び越えた。まるで踊り子のような身のこなしに、背面から見守っていたナルはおお、と、思わず感心した声を漏らす。
「(なるほど、狙いはこれか)」
飛び越えたその姿勢のまま振り抜いた斧が、右の翼を捉え、ガキン、と重たい鈍い音が空間に響く。不安定な姿勢から繰り出された一撃。腕力と武器の重さに任せた一撃は先程ほどの勢いこそないが、意表を突いた攻撃は姿勢を崩すには十分。ふわりと浮かんでいたザルがたたらを踏むように姿勢を崩す。着地、反転。見せた隙を逃さぬと縦横無尽に斧を振り抜いて畳み掛ける。そしてそのたびに、巡るエーテルが傷を塞いでいく。
未だ左手を拘束する鎖も切れず、右手のみで攻撃をいなす。両手が塞がっていては、それ以上に接近されたままでは魔法を中心に扱うザルは反撃に転じにくく、転換しようにもその間を作りにくい、そのはずだった。
「詰めが甘いのう」
ぽつりと零したナルの独り言。それを拾った冒険者はえ、と一瞬目を瞬かせた。その様子に口角をほんの少し持ち上げて、次いで左手に絡みつく鎖を強く握りしめる。握りしめた拳の隙間からちろちろと漏れ出す青い神火は鎖を焼き切りはしなかった。しなかったが、それが仇となった。
純粋な腕力勝負にて、体格で劣る人が神に勝てるはずもなく、ぐい、と鎖もろとも宙へ引きずり持ち上げられる。
「うわっ!?」
「疾く離さねば、ただでは済まぬぞ」
忠告に慌てて鎖を断ち切って飛び退る。それとほぼ同じタイミングで、持ち上げた左手を勢いよく床へと叩き込んだ。そこからごう、と。青い神火がザルごと分厚い壁のように立ち昇ったのを見て、冷や汗がひとすじ流れる。
「ナルに出来ることが私に出来ないわけがないだろう?油断するでない」
「その通り。さあ、転換するぞ。ザル!」
分厚く青い神火の壁に遮られた向こう、影が掲げた両手を天から真横へと滑らせた。直後キィンと弾かれた音と共に衣が解ける。こうなったら、転換は阻めない。辺りを包む神威が青から赤へ、死から生へと転じる。肘を曲げ、ぐっと力を込めるように影は構える。そうしてそれを合図のように、内側から赤い神火が青い神火を破って溢れ出した。
転換を終えたナルは腕を組んで、ふふんと楽しげに口角を上げて相対する冒険者を見やった。
「さて、続けよう。得物を変えるか?であれば、その時間は与えるが」
「……じゃあ、お言葉に甘えて変えようかな。これで打ち合うのはキツそうだ」
腰に下げた革のポーチに手をつっこんで、指先に触れるクリスタルの形と流れ込むエーテルからお目当てのもの探し出して握りこむ。そして「武器を収め」て、「武器を構える」。クリスタルから引き出していた記憶とエーテルが変質する。
さながら、
パシュン、という音と共に纏っていた護り手用のコートと携えていた斧の重みが消える。そうして代わりに纏った装備におや、と伏せた瞼が少し跳ねた。
「珍しい。鎌ではないのだな」
「まぁね」
選んだのは侍のソウルクリスタル。クリスタルに紐づけされていた武具の調子を確認するように、抜き放った刀を数度振り、納刀して前傾姿勢をとった。冒険者に応じるように、ナルもまた地に足をつけて腰を落とし構える。互いに向き合い、しん……と、空気が張り詰めた。
「来るが良い」
ナルが静寂を破る。それが二回戦の合図となった。
暁天の一足で踏み込んだ冒険者は懐に潜り込み、抜刀する。まるで宙を舞う花びらのように、身体の周りでふわりと三つの紋が踊った。
「花車!」
横薙ぎに払った一閃を淡い桃色の花弁が追いかける。黄金の腕で受け止め横へと流れる刀の動きに沿って受け流したが、その遠心力を利用して今度は月光の太刀が繰り出される。
これも手で払いのけ受け流すと今度は氷を纏った刺突が喉元めがけ、狙いを澄まして放たれる。
「流麗にして苛烈。東方のそれは、やはりウルダハのものとはかなり異なるのう」
キィン、と刺突を受け止めた手のひらから高い音が二面宮に木霊する。そのまま刀の切っ先を握りこむよりも、刀が退く方が早かった。納刀し再びの抜刀の構えをとった冒険者の足元からパキパキと薄氷が広がる。
「乱れ雪月花!」
一太刀で氷の礫、もう一太刀で花嵐を吹かせた月の斬撃がナルに襲いかかる。咄嗟に両手を交差し太刀を受け止めたそれに、冒険者がうっすらと笑った。
「もらった、返し雪月花!」
確信して放った二輪目の雪月花は予想を外して空を斬った。というのも、返す刀の溜めに入った瞬間、大きくバックステップを踏んで間合いの外に出られたからだ。抜刀術の、大きな貯めを振り抜いた隙を狙ったわざとらしく大振りの回し蹴りをしゃがんで回避し、今一度氷の刺突を繰り出して反撃するも軽く身を捩って避けられる。
「彼岸花!」
パチリと納刀し、追撃にと繰り出した居合術の細やかな斬撃がナルの左腕を掠めた。浅い。苦々しく思う間もなく、神火を纏った掌底を飛び退って躱し小さく舌打ちをした。
「見事な技の冴えよ。ならば、こちらも披露いたそう」
「愛しき子よ。我らの妙技、見切ってみせよ」
深く腰を落として拳を構え、エーテルの赤く淡い光を纏うその技はナルの十八番、連火発揚。壱、弐、参…と、二面宮にエーテルの楔が打ち込まれていくのが見えた。
常ならば、初手は回し蹴り。だがナルザルはわざわざ「我らの」と称した。つまり、今は背面に引っ込んでいるザルも何かを仕掛けてくる可能性が非常に高い。
「(………貯め、なんか長くない?)」
柄を握り直した僅かな違いも見逃すまいと睨んだところで、ふと気付く。普段ならばいい加減仕掛けてくるタイミングのため構え直したが、まだなのだ。
何故。理由を考えるよりも先に、ぞわりと悪寒が走った。”ここ”は不味い。そう訴える勘に従った冒険者があわてて外周へと駆け出したのをナルザルは目尻を下げて、わざと見送った。
そうして貯めに貯めたエーテルが、ごう、と拳へ集中して赤く紅く燃え上がる。
「ーー連火発揚!」
ナルの姿が掻き消えるのと、天から降ってきたナルが拳を振り抜いて一番目の楔を穿つのはほぼ同時だった。爆発。波紋のように爆風と神火が燃え広がる。
「ッ、…!」
割れた床の破片が爆風に乗って頬を叩き、赤い線を引いた。薄目でやり過ごし、遠くにいるナルを追おうとするも残像を残して再び消える。どこへ、と。辺りを見回すよりも先に背後から轟音と共に地面が盛大に揺れた。たたらを踏みながらも警鐘を鳴らした勘のまま、咄嗟に伏せると頭上を重たいものが風を切る音、それと、嬉しさを滲ませた笑い声がした。
「はは!よう避けた。こっちが本命だったのだがなあ」
「い、意地が悪い…!!」
あのまま立っていれば、目論見通り炎天輪を喰らっていたのが分かる。まともに直撃すれば湛えられた水場まで吹き飛ばされたであろう。意地が悪いと口走ったが、ナルは何処吹く風と笑っている。気に止めてすらいない。そればかりか、ふわりと着地しゆらりゆらりと赤いエーテルを纏い始めたことにぎょっとした。
「さて、休む間は与えぬが、良いな?……さぁ行くぞ!」
「、やば…!」
商神ナルザルが最も得意とする死生択一の炎。ゆったりと持ち上げた手を振り下ろすのと、赤いエーテルが収束し、渦巻く劫火となって二面宮に吹き荒れるのは同時であった。神の視点で以っても一瞬視界が白んで見えなくなる嵐を、惜しげもなく、容赦なく、ぶつける。この炎すらも超えて見せたのを知っているが故に。とはいえ、それは試練において癒し手と護り手がいたからであって、攻めの手を担う身で受けるには、いささか厳しい。決定打となるであろうと、そう見越していた。だがーー
ーーピシッ…
「ーーーむ?」
ぱきぱき、ぱきり。からん。音に引かれて床にまなざしをやると、陶器のように白い、こまやかな破片が落ちていた。違和感を覚えた左頬を手で撫ぜると、確かにそこに、細く傷ができている。
そうしてそれを成し遂げた——恐るべきことに、避けられぬとわかって神火を切り裂くことを選んだらしい——冒険者と振り抜かれた刀へと向き合うと、大輪の花のような笑みをこぼした。
「……ハハ!見事だ!!よくぞ凌いでみせたのう!」
「っ……は、」
手の力が抜け、がらん、と刀を取り落として膝をついた。勝負は合った、商神の勝ちである。負ける気も毛頭なかったが、単に勝つよりもいいものが見れた。
あちこちに火傷を負い、肩で荒く息をする冒険者の傍へと寄ってやんわりと抱きかかえるその姿は、もうすっかり兄貴分の姿で、先ほどまでの手合わせの気迫などどこ吹く風と世話を焼き始める。
「あ゛ー……負けた、悔しい……」
「くく。残念であったなぁ?いやしかし、よくぞあの炎を切り裂いてみせた!そう思わぬか?ザルよ!」
「ナルの言う通りだ。手加減はしていなかったのだがな……見事だったぞ、愛しき子よ」
胸を寄り掛かるように突っ伏し、ぐったりとした様子で悔しさを吐露している。治癒術を施しながら宥めすかせていると小さく頬、と呟かれた。
「…それ、痛みはないの?」
「ん…?ああ、これか!そうだな、このくらいならば直ぐに治る」
ほれ、と指の腹で頬の傷をなぞって見せると、欠け落ちた頬の傷がすぅっと埋まって、痕一つ残らず消える。それをじっと見つめながら、それはそれで悔しいな、とまた一つ眉間にしわが寄ってしまった。
「難しい年頃、というものか……」
「これでも腕に自信がある方なんだよ!次は絶対、膝をつかせてやる…」
「ふっ、はは!そうかそうか。なら、いくらでも相手になってやろう!」
きっと見あげて、再戦を口にする。そうかそうか、汝の中では「次」もあるのだな、などと。恋は盲目。目に入れても痛くない。などなど。だいぶ浮かれている自覚はある。次を口に出されて、つるりと傷一つない頬が笑みの形に変わる。
お疲れ様です、メイ様。治療が終わったのを見計らって、神使たるライオンがそっと近寄り、咥えていた手ぬぐいをずいと差し出した。わ、ありがとう、と一声かけて受け取ったそれで顔を拭く。ずいぶんと馴染んだものだ。神域にも、神使にも。和やかに過ごす彼らを見つめて、くつくつと笑い声を零し、愛いなぁ、と思う。その油断している後ろ姿に手を伸ばしてわしわしと頭をなでると、わぁっと驚いた声があがった。大きな笑い声と兄ちゃん!!と抗議の声が炎天に響いたのは、言うまでもない。
おしまい。
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