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短編

 家の近くの神社は、それはそれは普通の神社だった。山奥に向かう薄暗い細道に何本か古い木の鳥居がたっているのが少し特徴的なぐらいだ。僕は昔から、一人で遊ぶときにはその鳥居の奥のちょっとした窪地に行っていた。
 そこにはお兄さんがいた。黒いストレートの髪を顎ぐらいまで伸ばした、いつも笑顔のお兄さん。僕がはじめてその秘密の場所を見つけたときから、お兄さんはそこに居た。
 僕はお兄さんにいろんな話をした。はじめて買ってもらったサッカーボール。下手なリフティングをすごいねとお兄さんは誉めてくれた。クラスで一人だけ満点だったテストを見せたこともあった。友達と喧嘩したことも話した。中学に進学して、何のクラブに入ろうか迷っていること。女子バスケ部に気になる子がいること。お兄さんは全部柔らかく微笑んで聞いてくれた。
 お兄さんはいつまで経ってもお兄さんだった。いつまでも若く見える人もいるものなのだろう。テレビでたまに取り沙汰される系統の人なのだと思っていた。お兄さんのことを誰かに話したことはなかったので、自分の中だけでそう納得していた。
 僕は大学生になった。アルバイトをはじめた。今までにないくらい、色んな人を見る機会が増えた。そしてやっと気付いた。お兄さんほど、全く年を取らないのはおかしい。

 僕はアルバイト終わりのある夜、秘密の窪地を訪れた。やはりお兄さんは、いつもと変わらない姿でそこに居た。違うことと言えば、その時は白っぽい着物を着ていたことぐらいだ。お兄さんは、不思議な人ですね。僕は意を決してお兄さんに告げた。お兄さんはそれでも笑みを崩さなかった。お兄さんは、何者ですか。お兄さんは答えなかった。代わりに、自分の胸を指差して、触れてみるかい、と言った。
 僕はその言葉の催眠術に掛かったように、お兄さんの着物に手をかけた。それは思ったよりも簡単にするりと地面に落ちた。お兄さんの身体はどこもぬるい、不思議な感触だった。お兄さんは僕に何をされても、ずっと微笑んでいた。

 兄ちゃん、大丈夫か? どうした、こんなところで。僕は体を揺り動かされて目を覚ました。僕は神社の石段で眠っていたらしかった。振り返るとそこには、真っ赤な鳥居が一本だけ建っていた。その奥にはこじんまりした拝殿が見える。窪地も、何連も連なる木の鳥居も、どこにもなかった。僕を見付けた神主さんが困った様子なのに気付いて、僕は慌てて立ち上がった。すみません、昨日は酔っていたみたいで、ご迷惑をおかけしました。そう頭を下げると、神主さんはガハハと豪傑に笑った。若いうちはそんなものだ、でも盗人には気を付けろ。神主さんはそんなことを言っていた気がする。だけど僕はあまり聞いてはいなかった。僕は振り返って、ありがとうございました、と、鳥居と拝殿に向かって深く一礼をしてその場を後にした。
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