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短編

 石が好きだった。小さな頃から宝石の図鑑を見ては雄大な山に転がるほんのひと欠片を想像してみてり、大きくなってからは実際に鉱山に行って採掘の現場に立ち会わせてもらったりしていた。
 人と話すのは苦手だった。そもそも石以外に興味を持てるものがなくて、他人との会話の糸口がなかった。そこに元々の話し下手、聞き下手の要素が相まって、暗い、つまらない奴だと人が離れていった。
 僕はそれでも構わなかったが、僕の立場がそれを良しとしなかった。王族の直系の子息たるや引きこもりとは何事か、と、まるで外国語教師が例文を繰り返すように父親は言った。僕の三人の兄は僕とは違って、政に関わる下準備が着々と進んでいる。だからもう僕みたいな役立たずは放り出してしまえばいいのに、と僕は思うが、そうはいかないらしい。
 お前はこの人と結婚しなさい、と連れてこられたのは隣国のこれまた末息子だった。僕でも他国との親交の道具になれるのかと初めて気付いた。

 婚約者となった彼は僕とは正反対の子だった。明るくて、よく話し、僕の話にもよく耳を傾けようとしてくれた。初めは僕の反応の悪さに、僕の顔色を窺いながら話していた彼も、僕は努力してもこうなのだとわかってくれたのか、気に留めていない様子で沢山のことを話してくれるようになった。僕にはそれがありがたかった。彼の城の庭に咲いている草木のこと、宰相の髭が幼い双子のいたずらで焼け焦げたこと。彼の話す全てが僕には新鮮だった。誰も、こんな僕にそんなことを話してくれようとはしなかったから。

 僕も彼に自分の城の庭の話をしてあげようと思った。そのために、十数年ほとんど見たこともなかった庭を隅々まで一日中かけて歩き回った。僕が石以外のものに精力的になっている様子が余程珍しかったのか、兄弟や召使い達が入れ替わり立ち替わり、影から僕の様子を窺っていた。でも僕はそんなことは全く気にならなかった。婚約者の彼はどんなことを一番楽しげに話していたか。彼に庭のど んな場所を見せれば一番喜んでくれるのか。僕の頭の中はそれで一杯だった。

 幾度目かの彼の訪問の日だった。その日はこの上ない快晴だった。僕は意を決して、庭を見に行こうと彼を誘った。彼はしばし驚いた様子で口をあんぐり開けて黙っていた。僕たちはいつも部屋でお茶を飲みながら話をするだけだったから、彼は僕がそれ以外したくないと考えていたのだろう。実際、少し前までの僕はそうだった。しかし、すぐに彼は、花の綻ぶような笑顔で、案内してください、と僕に言った。僕が先導して丁寧に刈り込まれた芝生に足を踏み出すと、彼の手が僕の指先に触れた。僕は慌てて手を引っ込めて、謝ろうと彼を振り返った。そこで僕ははたと気付いた。彼は僕と手を繋ごうとしてくれていたのだ。僕はカッと顔が赤くなるのを感じた。心臓がどくどくと鳴り響いた。僕は人と手を繋いだことなどなかったし、今は手を繋ぐときなのだと察したこともなかった。彼は少し申し訳なさそうに差し出してくれた手を引っ込めようとしていた。僕はその細い指をそっと握り締めて、再び芝生の上を歩き出した。彼のほんの指先を握ってしまったために、端から見ればどう考えても僕が無理矢理彼の手を引いているようにしか見えなかっただろう。だけど、それが僕の精一杯だった。彼はそんな僕になにも言わず、その柔らかい手を僕に委ねてくれた。
 僕は敷地の外れにある一角に彼を案内した。そこは目につかない場所のためか、他の場所よりも手入れが行き届いていないようだった。だが僕はそれがいいと思った。色とりどりの様々な花が入り乱れて咲き誇り、遠くには青々とした雄大な山を望み、巨木が爽やかな木陰を作ってくれているーー彼はきっとこんな場所が好きだろうと思ったし、僕も自分が見て回った城の庭の中でここが一番気に入った。
 木陰に腰を下ろすと、彼の体の様々な所が触れ合った。向かい合って椅子に座ったことしかなかった僕たちが、初めて隣同士に腰を下ろした瞬間だった。彼に触れている肩、二の腕、太股、それらがじんわりと熱く、痺れるような感覚を覚えた。彼は辺りをぐるりと見回したあと、綺麗なところですね、と僕に微笑みかけた。でも、貴方の方が。呟いた僕に彼は、どこでそんなお世辞を覚えたんですか? と笑った。彼の頬は、ほんのりインカローズの色になったように見えた。

 僕はその日の夜、コレクションの石を詰めた箱からある一粒を取り出した。その石を丁寧に宝石箱のクッションの上に乗せて、蓋をした。箱を握りしめたまま窓の外を見る。夜明けにはまだかかりそうだった。日の出を待つその時間は僕には永遠にも思えた。早く、朝を告げる鐘の音を聞きたい。
 重厚な金属音が遠くから鳴り響いてくる。その音が鳴り止む前に、僕は城を飛び出していた。長い廊下を駆けていく僕を見て、何人もの執事やメイドたちが息を飲んだ。
 石細工屋は僕のことを初めはわからなかったらしい。身なりから、どこかの貴族だろうか、と頭を巡らせているのが見てとれた。それが僕とわかって、細工職人は発作を起こしたように浅い息を繰り返した。そんな彼に持ってきた宝石箱の中身を見せると、彼は工具棚を倒しながら後退った。滅茶苦茶になった店内を片付けようと僕が足元に落ちた工具を拾おうとすると、細工職人は慌てて立ち上がって僕を制した。お言葉ですが、こんな貴重な石は、そのままにしておいた方が……。彼は工具を拾い集めながら、僕の顔色を覗き見る。僕は婚約者の彼の、あの仄かに赤くなった美しい横顔を思い出した。いや、これを、ネックレスにしてください。僕は宝石箱を差し出して頭を下げた。細工職人は震える手でそれを受け取り、必ず美しい物に仕上げて見せます、と唇を引き結んだ。
 細工職人の仕事は本当に早かった。手渡されたネックレスは素晴らしいものだったが、職人の顔からは寝ずの仕事に打ち込んだのだろうと窺えて、僕は少し申し訳なくなった。僕にできる限りの報酬を渡し、それ以外にもコレクションの一つで不眠不休の仕事に応えようとしたら断られてしまった。また何かございましたらぜひうちを、と、頭が地面にめり込みそうなぐらい頭を下げて、彼は帰っていった。僕はその背中に、今までに張り上げたこともないような声で、本当にありがとう、とお礼を言った。庭師たちが何事かと去っていく職人を見つめる。少し悪いことをしたかもしれないと、僕は反省した。

 婚約者の彼がまた彼の父親に引き連れられて城にやって来た。僕たちが会えるのは、父親たちが何やら小難しい話をしている間だけだ。彼は僕を見つけるなり、父親の背中からひょっこりと顔を出して、僕の方に駆け寄ってくる。今日は何をしますか? 彼はにこにこと僕の手を包む。今日も庭に行きましょうか、と遠慮がちに言う僕に、彼は、ぜひ、と僕の手を引いて庭に向かって行った。芝生の感触に彼ははたと気付いたのか、僕を振り返って、すみません、はしたなくて、と恥ずかしそうに下を向いた。僕は彼のそんなところに胸がくすぐったくなる。ウズウズと彼に触れたくなる自分をぐっと抑えて、僕は彼の手を引いてこの前の場所に急いだ。
 身体を触れ合わせて草の上に腰を下ろす。僕はずっと隠し持っていた小箱を指で弄った。これをどうしたものか。そればかりだった僕の中に、ずい、と彼が現れた。心ここにあらずの僕の顔を、彼が覗き込んでいた。どうかなさったんですか? 間近に迫った彼の白い肌を見て、僕は箱を握りしめた。これは絶対に彼に似合う。僕は箱を彼の胸元に押し付けた。受け取ってください、貴方に似合うと思って。驚いた様子の彼の喉が鳴った。何が何だか、という言葉を飲み込んだように見える。困惑したままの彼はしかし、なにも言わずに箱を受け取って蓋を開けてくれた。中が露わになった瞬間、彼が感嘆の声を上げる。その言葉以来黙ってしまった彼と僕の間に、不自然な沈黙が流れる。僕は彼に突然の贈り物の意味を伝えなければと焦った。これは、コンクパールといって、貝から、できるんですけど。貴方にはピンクが似合うと思って。この前の赤くなった顔が、とても素敵だったから。僕のその言葉を聞いて、彼の顔が一気に朱に染まる。そして漸く僕は、恥ずかしいことを言ってしまったと気付いた。受け取ってくれますか。僕は消え入りそうな声で彼に問う。彼はなにも言わず上を向いた。僕が着けていいということなのだろう、と察せられた。ネックレスについた石よりも、彼の首の方が触れたら壊れてしまいそうで、僕は恐る恐る彼の首に腕を回した。
 着け終わると彼は少しおどけた様子で、似合いますか? と首を傾げる。その笑顔に僕は身体のウズウズが堪らなくなって、衝動に任せて隣に座る彼の身体を引き寄せた。抱き締めた彼の身体は緊張に強張ってはいたものの、やはり柔らかくて温かかった。僕は身体の内側からわき上がる不思議な感覚をどうすれば解消できるのかわからなくて、絞り出すような声で呟いた。

「愛しています」
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