呼吸さえ忘れて歌えば
歌を愛した彼が、俺の第二の故郷だと言った村。この村に辿り着いたのは決して偶然なんかじゃない。
これは、彼に別れを告げられ、その傷を癒やすためにと始めた旅だった。行き先など決めていなかったが、彼と一度だけ行ったことのあるその村が、頭の片隅に残っていたのかもしれない。
私の気分とは裏腹に、その日は晴れていた。さすがは寒い地域なだけあって、空気は澄み渡っており、遠くの音がよく響く。
『(あぁ……こんな日に歌を歌えたならきっと私は幸せだっただろうに…)』
今はもう出来ないのに、どうしても考えてしまう。もしこうだったら、なんて、所詮は無い物ねだりで叶うはずもないのに…。
あの日、私は同時に三つの大切なものを失った。
彼との間にやっと出来た子だった。食事にも体調にも、細心の注意をはらって過ごしていたのに。…流れてしまった。大切な命は生まれてもいないのに失われてしまったのだ。
異変にはすぐに気が付いた。子が流れたと告げられ、ショックで気を失ったその後、気が付くと声が出なくなっていたのだ。呼吸は問題なく行える。ただ、言葉を音にして出すことが出来ないのだ。歌人だったわけではないが、昔から歌を歌うことが好きだったため本当に衝撃だった。ただ、いつまでもくよくよしているわけにはいかないし、声が出なくとも生きられる、流れてしまった子の分も彼と共に生きよう、そう自分に言い聞かせていたのに……彼は私に別れを告げて出て行った。
「俺はお前の歌声を愛していたんだ」
彼は決して私を愛していたわけではなかった。
何もかも失った私だけれど、死ぬなんてことは絶対にしたくなかった。そんなの、流れてしまった我が子に失礼じゃないか。
何の支えもない私だけれど、生きるという選択肢しかないのだ。
『(…?
何かしら……楽器?…の音が…)』
せっかくなので、辿り着いたリトの村を観光することにして橋を渡っていると、何やら楽器の音が聞こえてきた。
風に乗って微かに聞こえる程度で何の曲なのかは分からないけれど、何だかとても懐かしい音だ。
周りを見渡しても奏者はいない。もっと上の方か。
階段を上がって行くと、小さな広場でリト族の子ども達が仲良く歌を歌っていた。リト族の女性は歌人になることが多いと聞いたことがあるが、幼いというのにこんなにも素敵な歌声ならばそれも納得だ。
子ども達の真ん中ではやはりリトの男性がコンサーティーナを奏でている。どうやら、子ども達はこの音楽に合わせて歌っているようだ。
「あれ?お姉ちゃん何で泣いてるチ?」
5つの歌声と1つの音色に聴き入っていると、上着の裾を小さく引かれた。足元に目を向けると全体的に桃色なリト族の女の子がいた。
『(え…?)』
泣いている?私が?
言われて頬に手をあててみれば、確かにそこは濡れている。
「お姉ちゃんが泣いてるとモモちゃんも悲しいチ。だから泣かないでほしいチ」
『(あ……私………)』
「悲しいことでもあったのチ?どうしたら泣き止んでくれるのチ?」
『(私………私………………っ!)』
「あっ!お姉ちゃん!」
いたたまれなくなり、その女の子の横を通り抜け宿まで走った。
女の子が私を呼ぶ声が聞こえたけれど、聞こえないふりをした。
*
*
*
―――♪
その夜、風に乗って運ばれてくる音に目を覚ました。
昼間の男性がまた弾いているのかしら。
昼とはまた違った静かな音色……
私はいつの間にか羽毛布団を抜け出し、その音が大きくなる方へと足を進めていた。
女の子達はもう寝ているのだろうか。昼間の広場には男性しかいない。
大きな音を立てたつもりはないけれど、リトの男性は演奏を止めてゆっくりとこちらを向く。
「おや…?あなたは昼間の……」
眠れないのですか?
その問いに対し首を横に振る。
全てを失ったあの日から、ぐっすりと眠ることが出来なくなった。私にとっては眠れないことが普通になっていたから、今日の眠りの浅さも誰かのせいではない。
そんなことより、もっと彼の演奏を聞きたい。
そんな想いでコンサーティーナを見つめていると、彼は苦笑しながら口を開いた。
「…もしよろしければ一曲お聴きになりますか?」
苦笑されたことに少し恥ずかしさを覚えつつも、彼の問いに、お願いしますという気持ちを込めてお辞儀で返した。
『(もう一曲お願いします)』
「そうですか!では次は……」
彼──カッシーワさんは、私のわがままに嫌な顔1つせず、何曲も何曲も弾いて聴かせてくれた。
その土地や英傑?という人達のイメージに合わせて作ったという曲からこの国に古くから伝わる伝説まで、本当に色々な曲を作っているのね。
時間が経つのも忘れてしまって、朝日はもう昇り始めている。
「次は…私がこの国を旅していた頃に、誰かが歌っていたのを聞いた曲なのですが……。
どうにも頭に残る曲で、ぜひ貴女にも聴いていただきたいのです」
こくり、と静かに頷いた。
聞いただけの曲まで弾けるなんて、彼は本当に素晴らしい音楽家だわ。
「ありがとうございます!
では、お聴きください………」
~~~♪
『…………っ…?』
…?
待って。この曲、どこかで………
~~~~♪
カッシーワさんの奏でるこの曲に聞き覚えがある。
だって、だって、涙が止まらない。
そう、これは…
この曲は……彼が初めて私に作ってくれた曲だもの。
『…、………、…………ぃ…と…♪』
『ぁ……がいる……ただそ、だけで…この世界はう、くしい…♪』
声が出なくなったはずなのに、私は歌い出していた。
カッシーワさんは一瞬だけ驚いた顔をしていたけれど、優しげな表情で曲を奏で続けてくれた。
『…………~~♪』
久しぶりに聞いた私の声はとても酷いことになっていたけれど、昔のように大きな声も出なかったけれど、それでも、もう一度歌えることが嬉しくて、私は息をするのも忘れてただただ泣きながら必死になって歌っていた。
『……ふぅ』
「お…お姉ちゃんすごいのチ!モモちゃん感動したのチ!!」
歌い終えると同時に大きな拍手が私を包んだ。
巨塔に沿うように作られた通路にはたくさんの人がいて、拍手をしながらこちらを優しく見守っていた。 昨日の桃色の女の子も小さな羽を大きく動かして全身で拍手をしている。
『なんで…』
「素敵な歌声でしたよ。皆も聴き惚れていました」
『そんな…ありがとう…ございます…』
「私が昔聴いた歌声の主は貴女だったのですね…。
…お会い出来て嬉しいです」
*
*
*
『ありがとうございました!』
リトの村を離れて3ヶ月が過ぎた。
今は、自分が障害を持っていたという経験から、心や体に障害を持っている方を中心にして、色々な方へ歌を送りながら旅をしている。
対価なんてもらっていないけれど、聴いてくれた方が食べ物をくださったり、一泊させて頂いたりと、なんだかんだ過ごせているし、この根無し草な感じが案外心地よかったりもする。
私はこの旅に満足している。
旅の途中で彼に出会うこともあったけれど、私はもう大丈夫。
生まれるはずだった子が、きっと私を見守ってくれているから。
呼吸さえ忘れて歌えば