月が綺麗ですね
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タン、タン、タン、ダン、ダン!と机を指先で叩く音が響いている。
大して広くもない"ぷれじでんと"の中の空気は最悪だった。耐え兼ねた私は書類から顔を上げると、拗ねた子供のように唇を尖らせ壁を睨み付ける日本かぶれのクソ野郎を一瞥した。
「おいコラこのクソ大統領、うるさいですよ」
お頭の事務作業が録に進みやしないのはいつもの事であったが、このままでは私の気まで散って仕事が片付かない。特に最近この施設に出入りを許され、テキパキと事務や雑用を手伝ってくれていた助手ーーもといゲイシャーーもといお頭お気に入りのジャパニーズ女性が来てくれなくなったのだから。
「アンサー、サキはどうしたんだよ」
「こっちが聞きてぇですよ。どうせまた、大統領が余計な事言ってクソしょうもない喧嘩にでもなってるんでしょう?」
お頭がガタンと机を鳴らして乱暴に頬杖を付く。あぁ、書類がクシャッてなっちゃったじゃないですか!彼の肘から紙の上に伸びる明確な波に思わず脱力するも、お頭はどこ吹く風だ。
「また『女賢しくて牛売り損なう』とか『お前は鼻が低くて目が細くて日本人顔で良いな』とか言ったんじゃないですか?ゲイシャ呼ばわりも以前怒ってましたよね?」
「あぁ~あぁ、そんなのはもう言ってねぇ!昔の喧嘩まで思い出させるなよ」
「じゃあ、何です?心当たりは無いんですか?」
お頭が目を逸らす。あ、これは心当たりありますね。分かりやすいお人だなぁ、と思う。しかしそれならば好都合。さっさとその心当たりとやらを潰してきてくれれば良いんですからね。
「何を言いやがったんですか?白状して下さい」
「な、何も言ってねぇ」
「何も言ってねぇのに黙って来なくなりますか?だとしたらお頭はもう愛想を尽かされちまったのかもしれませんね」
突き放すように冗談を言ったつもりだった、の、に。んな訳ねーだろと怒鳴り返してくるかと思われたその男は、いつでも消えない隈を携えた目をハッと見開き、その赤く透き通った、いつもは自信をたっぷりと携えているはずの瞳を不安げに揺らめかせた。ぱたぱたと何度か瞬いて、意外に長い睫毛が目尻を撫でる。国民やゴロツキさえも律して導く凛とした声は、形を成さず、その喉の奥に飲み込まれていった。
「…そんなにヤバい事言ったんですか」
「…言ってねぇ」
「何があったんですか、話して下さい」
私としても、お頭とあのジャパニーズが仲違いしているのは望ましい状況じゃあない。
サキは仕事を任せればそれなりに役に立つし、何よりお頭が行方不明になる頻度が減る。ムカつくことに私からの連絡は着信拒否しても彼女からの連絡は出る事が多い。
そして、そして…お頭の弱った姿はあまり気持ちの良い物ではない。大統領らしくドシンと構えていりゃあいいものを、女1人に右往左往してるなんてまぁ笑い種だ。
恋愛相談なんていうクソ下らない物のために仕事を後回しにするなんて呆れて目眩がする。しかも女同士や10代そこそこの男同士ならまだしも、いい歳こいた大人の男2人で、である。こんなのお寒い事この上無い。
たが、まぁ、付いていくと決めたチップ大統領見込のため。そしてゆくゆくは大統領婦人となるかもしれない女性のためである。下らない痴話喧嘩や惚気も聞いてやるか、と書類を避けてペンを置いた。
「…で?」
ぼそぼそと語られた一連の出来事。ヤマもオチも無いその話が途絶えたため続きを求めると、お頭はガリガリと頭を掻いて椅子の背もたれに寄り掛かった。
「だから、今ので全部だ。心当たりはな」
思わず大きな溜め息が漏れる。本当にしょうもなかった。聞いて損した。時間をドブに捨てたような物だ。いや、それ以外の何物でもない。
ようするに、このクソ野郎の言い分を要約するとーー
「つまりですよ、サキと一緒にコロニーを歩いている時に、他のジャパニーズの女に余所見していて?バレてキレられたと?そういう事ですか、ええ、クソ大統領」
「"余所見してた"って、そんな軟派な意味じゃない。たまたまそいつが女だっただけで、男だろうと何だろうとジャパニーズが居たら目を引くだろ」
「このミーハー野郎…」
私の呆れ果てた態度に気付いたのか、今度はお頭が身を乗り出して私からのアクションを待っている。それに際して頬杖をほどいて机に置いた腕が一層書類をしわくちゃにした。もうあの書類は印刷し直した方が良いかもしれない。
「そんなもん、さっさと謝ってくれば良いでしょう」
「何を謝るんだよ」
「大統領、アンタ勘が鋭いはずなのにこと恋愛となると鈍すぎません?そんなんだから民衆の間で童貞説出てるんですよ」
「あぁ~はいはい悪かったな」
お頭がシッシと手で追い払う。説教は聞きたくない、とでも言いたげだがそうは問屋が卸しませんよ。
「謝って、愛してるとでも伝えて抱き締めとけば良いんですよ」
「ハァ!?ンなチャラい真似できっか!」
お頭が口を歪めて叫ぶ。眉根を寄せて私を『あり得ない』と言わんばかりに見下ろすその表情に、アンタそんな事言ってる場合ですかと重ねてやった。
「1人の女性にしかしなければチャラくないですよ」
それでもお頭は不服なようで、眉間に深い皺を刻んでいる。細められた三白眼は恨みがましく私を睨んでいるが、そもそもアンタが余計な事して彼女を怒らせたのが原因なんですからね。
「ジャパニーズは愛してるとは言わない。あー…"目は口ほどに物を言う"!言わずとも"以心伝心"!」
「ならダザイに習って『月が綺麗ですね』とでも伝えてきやがれ下さい。"言わぬ事は聞こえぬ"ですよ」
まだ何か言いたげなお頭を無視して通話を繋げる。このままでは2人揃って仕事が捗らない。ならばせめて私の作業を進めるためにお頭にはご退場願いましょう。
「あぁ、サキさんですか?ご無沙汰しております。うちの大統領がご迷惑お掛けして申し訳ございません」
その通話相手が誰か悟ったお頭がギョッとして動きを止める。抗議のために立ち上がって握り締めていた拳も虚を衝かれたように弛んで行き場を失った。
「えぇ、えぇ、はい。大統領には厳しく言っておきましたので。いえとんでもございません、サキさんのお怒りはごもっともでございます」
思った通りサキさんはそれほど怒っちゃいなかったようで、耳元から聞こえる声はむしろ私からの一報を受けて驚いているようにも窺える。目の前にいるお頭は居心地悪そうにキョロキョロとしていて、この電話先に居るうら若き女性相手にはトップの風格もありゃしない。
『アンサーさんに謝らせてしまって申し訳ありません。でも本当に怒ってなんていなくて…むしろ私がチップに酷い事言って怒らせちゃったんです』
「え?しかしサキさんがぷれじでんとへいらっしゃらないのは…」
『コロニーに置いてかれてしまったので中々そちらへ行けないだけですよ。……もし…チップが許してくれるなら、その…迎えに来て頂けませんか?』
ピ、と通話を切って手を耳元から外す。お頭へ視線を戻すと、開き直ったのかどっかりと椅子に座り直して不機嫌そうに耳の穴をほじっていた。
「なんでコロニーへ置いてきたんですか。彼女だけではここまで来るのも大変だと分かるでしょう」
「うるせぇな」
「とにかく、マッハで迎えに行って下さい」
「嫌だ。何で俺が女のケツを追いかけて謝って媚びなきゃなんねぇんだ」
「…じゃあ私が迎えに行って来ますよ」
それは半ば、賭けだった。実際本当に私へ任せられてしまったら、仕事も進まなければ大統領の無作法な外交を叱咤する存在もいなくなってしまう。
「何でだよ、テメェはここで仕事でもしてろ」
しかし私のそんな賭けによる心配は杞憂だった事の証明に、お頭は明らかに刺々しい怒声を上げた。寄りかかっていた背もたれからその背筋で盛り上がった体を弾き、机に拳を握り付けたまま私を睨み付ける。
「しかしこのまま喧嘩別れで良いのですか?出すぎた真似をするようですが、時間を置くと余計修復困難になります。大統領がどうしてもケツを追いたくないと言うのなら、私がここまで持ってきましょう」
お頭が眉根を寄せて口角を下げる。
反対に勝利を確信した私がニヤリと方頬が上がるのを押さえられずに笑むと、マスクにしている手拭いも持ち上がるのが分かった。
白髪の男は小さく舌打ちすると、ガタンと椅子と机を鳴らして立ち上がり、緩慢な動きで扉へ向かう。
「…テメェが行く必要ねぇだろ、俺が行く」
大して広くもない"ぷれじでんと"の中の空気は最悪だった。耐え兼ねた私は書類から顔を上げると、拗ねた子供のように唇を尖らせ壁を睨み付ける日本かぶれのクソ野郎を一瞥した。
「おいコラこのクソ大統領、うるさいですよ」
お頭の事務作業が録に進みやしないのはいつもの事であったが、このままでは私の気まで散って仕事が片付かない。特に最近この施設に出入りを許され、テキパキと事務や雑用を手伝ってくれていた助手ーーもといゲイシャーーもといお頭お気に入りのジャパニーズ女性が来てくれなくなったのだから。
「アンサー、サキはどうしたんだよ」
「こっちが聞きてぇですよ。どうせまた、大統領が余計な事言ってクソしょうもない喧嘩にでもなってるんでしょう?」
お頭がガタンと机を鳴らして乱暴に頬杖を付く。あぁ、書類がクシャッてなっちゃったじゃないですか!彼の肘から紙の上に伸びる明確な波に思わず脱力するも、お頭はどこ吹く風だ。
「また『女賢しくて牛売り損なう』とか『お前は鼻が低くて目が細くて日本人顔で良いな』とか言ったんじゃないですか?ゲイシャ呼ばわりも以前怒ってましたよね?」
「あぁ~あぁ、そんなのはもう言ってねぇ!昔の喧嘩まで思い出させるなよ」
「じゃあ、何です?心当たりは無いんですか?」
お頭が目を逸らす。あ、これは心当たりありますね。分かりやすいお人だなぁ、と思う。しかしそれならば好都合。さっさとその心当たりとやらを潰してきてくれれば良いんですからね。
「何を言いやがったんですか?白状して下さい」
「な、何も言ってねぇ」
「何も言ってねぇのに黙って来なくなりますか?だとしたらお頭はもう愛想を尽かされちまったのかもしれませんね」
突き放すように冗談を言ったつもりだった、の、に。んな訳ねーだろと怒鳴り返してくるかと思われたその男は、いつでも消えない隈を携えた目をハッと見開き、その赤く透き通った、いつもは自信をたっぷりと携えているはずの瞳を不安げに揺らめかせた。ぱたぱたと何度か瞬いて、意外に長い睫毛が目尻を撫でる。国民やゴロツキさえも律して導く凛とした声は、形を成さず、その喉の奥に飲み込まれていった。
「…そんなにヤバい事言ったんですか」
「…言ってねぇ」
「何があったんですか、話して下さい」
私としても、お頭とあのジャパニーズが仲違いしているのは望ましい状況じゃあない。
サキは仕事を任せればそれなりに役に立つし、何よりお頭が行方不明になる頻度が減る。ムカつくことに私からの連絡は着信拒否しても彼女からの連絡は出る事が多い。
そして、そして…お頭の弱った姿はあまり気持ちの良い物ではない。大統領らしくドシンと構えていりゃあいいものを、女1人に右往左往してるなんてまぁ笑い種だ。
恋愛相談なんていうクソ下らない物のために仕事を後回しにするなんて呆れて目眩がする。しかも女同士や10代そこそこの男同士ならまだしも、いい歳こいた大人の男2人で、である。こんなのお寒い事この上無い。
たが、まぁ、付いていくと決めたチップ大統領見込のため。そしてゆくゆくは大統領婦人となるかもしれない女性のためである。下らない痴話喧嘩や惚気も聞いてやるか、と書類を避けてペンを置いた。
「…で?」
ぼそぼそと語られた一連の出来事。ヤマもオチも無いその話が途絶えたため続きを求めると、お頭はガリガリと頭を掻いて椅子の背もたれに寄り掛かった。
「だから、今ので全部だ。心当たりはな」
思わず大きな溜め息が漏れる。本当にしょうもなかった。聞いて損した。時間をドブに捨てたような物だ。いや、それ以外の何物でもない。
ようするに、このクソ野郎の言い分を要約するとーー
「つまりですよ、サキと一緒にコロニーを歩いている時に、他のジャパニーズの女に余所見していて?バレてキレられたと?そういう事ですか、ええ、クソ大統領」
「"余所見してた"って、そんな軟派な意味じゃない。たまたまそいつが女だっただけで、男だろうと何だろうとジャパニーズが居たら目を引くだろ」
「このミーハー野郎…」
私の呆れ果てた態度に気付いたのか、今度はお頭が身を乗り出して私からのアクションを待っている。それに際して頬杖をほどいて机に置いた腕が一層書類をしわくちゃにした。もうあの書類は印刷し直した方が良いかもしれない。
「そんなもん、さっさと謝ってくれば良いでしょう」
「何を謝るんだよ」
「大統領、アンタ勘が鋭いはずなのにこと恋愛となると鈍すぎません?そんなんだから民衆の間で童貞説出てるんですよ」
「あぁ~はいはい悪かったな」
お頭がシッシと手で追い払う。説教は聞きたくない、とでも言いたげだがそうは問屋が卸しませんよ。
「謝って、愛してるとでも伝えて抱き締めとけば良いんですよ」
「ハァ!?ンなチャラい真似できっか!」
お頭が口を歪めて叫ぶ。眉根を寄せて私を『あり得ない』と言わんばかりに見下ろすその表情に、アンタそんな事言ってる場合ですかと重ねてやった。
「1人の女性にしかしなければチャラくないですよ」
それでもお頭は不服なようで、眉間に深い皺を刻んでいる。細められた三白眼は恨みがましく私を睨んでいるが、そもそもアンタが余計な事して彼女を怒らせたのが原因なんですからね。
「ジャパニーズは愛してるとは言わない。あー…"目は口ほどに物を言う"!言わずとも"以心伝心"!」
「ならダザイに習って『月が綺麗ですね』とでも伝えてきやがれ下さい。"言わぬ事は聞こえぬ"ですよ」
まだ何か言いたげなお頭を無視して通話を繋げる。このままでは2人揃って仕事が捗らない。ならばせめて私の作業を進めるためにお頭にはご退場願いましょう。
「あぁ、サキさんですか?ご無沙汰しております。うちの大統領がご迷惑お掛けして申し訳ございません」
その通話相手が誰か悟ったお頭がギョッとして動きを止める。抗議のために立ち上がって握り締めていた拳も虚を衝かれたように弛んで行き場を失った。
「えぇ、えぇ、はい。大統領には厳しく言っておきましたので。いえとんでもございません、サキさんのお怒りはごもっともでございます」
思った通りサキさんはそれほど怒っちゃいなかったようで、耳元から聞こえる声はむしろ私からの一報を受けて驚いているようにも窺える。目の前にいるお頭は居心地悪そうにキョロキョロとしていて、この電話先に居るうら若き女性相手にはトップの風格もありゃしない。
『アンサーさんに謝らせてしまって申し訳ありません。でも本当に怒ってなんていなくて…むしろ私がチップに酷い事言って怒らせちゃったんです』
「え?しかしサキさんがぷれじでんとへいらっしゃらないのは…」
『コロニーに置いてかれてしまったので中々そちらへ行けないだけですよ。……もし…チップが許してくれるなら、その…迎えに来て頂けませんか?』
ピ、と通話を切って手を耳元から外す。お頭へ視線を戻すと、開き直ったのかどっかりと椅子に座り直して不機嫌そうに耳の穴をほじっていた。
「なんでコロニーへ置いてきたんですか。彼女だけではここまで来るのも大変だと分かるでしょう」
「うるせぇな」
「とにかく、マッハで迎えに行って下さい」
「嫌だ。何で俺が女のケツを追いかけて謝って媚びなきゃなんねぇんだ」
「…じゃあ私が迎えに行って来ますよ」
それは半ば、賭けだった。実際本当に私へ任せられてしまったら、仕事も進まなければ大統領の無作法な外交を叱咤する存在もいなくなってしまう。
「何でだよ、テメェはここで仕事でもしてろ」
しかし私のそんな賭けによる心配は杞憂だった事の証明に、お頭は明らかに刺々しい怒声を上げた。寄りかかっていた背もたれからその背筋で盛り上がった体を弾き、机に拳を握り付けたまま私を睨み付ける。
「しかしこのまま喧嘩別れで良いのですか?出すぎた真似をするようですが、時間を置くと余計修復困難になります。大統領がどうしてもケツを追いたくないと言うのなら、私がここまで持ってきましょう」
お頭が眉根を寄せて口角を下げる。
反対に勝利を確信した私がニヤリと方頬が上がるのを押さえられずに笑むと、マスクにしている手拭いも持ち上がるのが分かった。
白髪の男は小さく舌打ちすると、ガタンと椅子と机を鳴らして立ち上がり、緩慢な動きで扉へ向かう。
「…テメェが行く必要ねぇだろ、俺が行く」
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