鋭百
洗濯機のスイッチを入れて部屋に戻る。いくらかは落ち着いたもののまだ余韻の中にいるという様子で寝転ぶ百々人と目があって、吸い寄せられるように口付けをする。緩く、でも深く絡めて、止められなくなる前に離す。色を纏った息をついて、百々人があーあ、と残念そうにぼやいて笑った。
「ねえ、洗濯何分ぐらいだった?」
「30分程度だ。百々人は気にせず寝てていい」
「んー…、眠いわけじゃないんだよね」
百々人が遊ぶように手を絡ませる。合わさった掌と甘さが残る声につい先程洗濯機に投げ込んだばかりの情事が思い起こされる。このまま応えてしまえばきっと止まれない。
伺うようにこちらを見上げた百々人と目が合って応じるように見つめ返す。困ったように百々人が小さく笑った。
指先を絡めていた手をほどいて、少し気怠そうに百々人が身を起こす。ベッドサイドへ手を伸ばし、スケッチブックと鉛筆を取った。いつからだったか、その二つはそこが定位置になっていた。
「描くのか」
「うん、洗濯終わるまで。いい?」
「もちろんだ」
描きやすい位置へと離れる百々人を追うようにキスを交わす。軽く絡んで、名残惜しさが糸を引いて切れて、百々人の息が笑う。
「ありがと」
その先はお預けとでも言うように、百々人はデッサンの支度を始めた。楽な姿勢へと身を預け、無言の「待て」に従う。
鉛筆がなめらかに紙を滑る。
膝の上で安定しないスケッチブックを支えながら楽しそうに描く。視線はこちらに向いているのに目が合わないこの時間も存外心地良い。
こうして百々人が鋭心を描くのは何度かあったが完成したものは初めての時のひとつしかなく、見たことがあるのもそのひとつだけだった。練習だし、落書きみたいなものだからと言われて見たことがない。
すこしくたびれたスケッチブックを見ながら、初めてモデルを引き受けた時のことを思い出した。
デッサンから数日後に、スッキリした顔で百々人が個展用に完成させたものを沢山事務所に持ってきた。
どれも素晴らしく、秀とプロデューサーと口々にむず痒そうに笑う百々人を褒めた。
ある一枚を見るや否や、秀がうわぁと思わず言ってプロデューサーと共に感想を言い淀んだ。
「…まずかったかな……?」
「いえ、とても素敵な作品だと思います。ただ…」
言い淀んだプロデューサーが鋭心に視線を向ける。秀も同時に見比べるようにしていた。
「鋭心先輩、これ見ました?」
「?絵について詳しくはないが、良く出来た作品だと思うが…」
鋭心の返答に秀は参ったと言うような顔をした。
「これ、モデルは鋭心先輩ですよね」
「…そんなに分かりやすかった?」
失敗した、そんな感情が百々人の声色に乗っていた。
「うーん…分かりやすい訳ではないんですけど、気付いちゃうともうそうとしか見えないというか………それはダメでしょ」
同意見です、と頷くプロデューサーの隣で秀はやや耳を赤くしながら続けた。
「いや、2人が出したいって言うなら良いと思いますけど」
「待て、秀。俺の意見は関係ないだろう。百々人の作品だ」
「だそうですよ、百々人先輩」
「そこまで言われてだせるわけないじゃん…!これはナシ」
百々人が照れて焦るように仕舞うその絵を目で追った。
「もったいないですけど、それが良いと思います」
「ぴぃちゃん、これあげようか?」
「いえ、あげるなら鋭心さんに」
「え、それはダメかも」
ダメなんじゃん、とぼやく秀と照れ臭さで逃げられない百々人を微笑しそうに眺めながらプロデューサーが言った。
「百々人さんには、鋭心さんがそう映っているんですね」
しまわれた絵を思い出しながら、自分事とは思えないが絵を見た時のあたたかな気持ちには憶えがあるような気がした。
「楽しそうだな」
相変わらず、こちらを見ているのに百々人とは目が合わない。目元にかかる髪をはらいたくて手を伸ばそうとすると、嗜めるように百々人が笑う。
「楽しいよ」
子どもみたいに、にぃっと笑う瞳が潤んでいるようにも見えた。
「だからお願い、もう少し、ね?」
鉛筆を口元にあてて悪戯っぽく笑うのもどこか祈るような仕草だった。
「何がそんなに、」
「え?」
悲しいのか、聞きかけて止める。今を暗い気持ちにさせたいわけではない。
「…描きたいと思わせる?」
はた、と手を止めた百々人と初めて目が合う。
「残しておきたいなって思うからだよ」
鉛筆が強く握られる代わりに百々人が穏やかに笑う。その表情に滲むものは無く、仕草には憶えがあるのに、その手に触れるのは今は許されない。
「俺をか?」
思わずというふうに百々人が吹き出して笑う。
「うん、そうだね。確かにそうだよ」
「何のためにだ?」
「僕のため。自己満足だよ」
笑っているのに言葉は妙に静かに響いた。
この話はお終い、とでも言うように百々人が鉛筆を握り直して、止まる。
「…えーしんくん、もしかして拗ねてる?」
伺うように聞かれて初めて、自分の中に苛立ちが巣食っていることに気がついた。
「拗ねている。百々人は目の前の恋人より自分のために絵を描くことに夢中な上、今までの絵を見せてくれない」
ほんの少し本音を混ぜて、冗談のような芝居をする。
「あー、ごめん、いつか見せるよ」
同じように冗談ぽい返事が返ってきた。
「本当だな?」
「うん、いつかね」
冗談かもしれないが念を押した上での言質をとった。いつかという曖昧な約束に心が浮く。そうだ、あの絵を見た時もたしか、このような。
「百々人、」
視線を上げた百々人に伝えようとした続きは洗濯機のブザーに邪魔をされてしまった。
「なに?」
「時間切れだ」
身を乗り出して、鉛筆を握っていた手を取る。髪を払って、半ば押し倒すように深く口付ける。
「ん…、えーしんくん、洗濯!」
「む……」
分かってはいるものの漸くとれた手が離し難く、迷いつつ握れば握り返される。じんわりとあたたかくて、より離し難くなる。
「干すか…」
「うん、僕もいく」
百々人が閉じたスケッチブックをいつもの位置に戻す。
「もういいのか?」
「うん、今日はもうおしまい」
満足そうに笑う百々人を見て、それ以上は何も聞かなかった。
「ねえ、洗濯何分ぐらいだった?」
「30分程度だ。百々人は気にせず寝てていい」
「んー…、眠いわけじゃないんだよね」
百々人が遊ぶように手を絡ませる。合わさった掌と甘さが残る声につい先程洗濯機に投げ込んだばかりの情事が思い起こされる。このまま応えてしまえばきっと止まれない。
伺うようにこちらを見上げた百々人と目が合って応じるように見つめ返す。困ったように百々人が小さく笑った。
指先を絡めていた手をほどいて、少し気怠そうに百々人が身を起こす。ベッドサイドへ手を伸ばし、スケッチブックと鉛筆を取った。いつからだったか、その二つはそこが定位置になっていた。
「描くのか」
「うん、洗濯終わるまで。いい?」
「もちろんだ」
描きやすい位置へと離れる百々人を追うようにキスを交わす。軽く絡んで、名残惜しさが糸を引いて切れて、百々人の息が笑う。
「ありがと」
その先はお預けとでも言うように、百々人はデッサンの支度を始めた。楽な姿勢へと身を預け、無言の「待て」に従う。
鉛筆がなめらかに紙を滑る。
膝の上で安定しないスケッチブックを支えながら楽しそうに描く。視線はこちらに向いているのに目が合わないこの時間も存外心地良い。
こうして百々人が鋭心を描くのは何度かあったが完成したものは初めての時のひとつしかなく、見たことがあるのもそのひとつだけだった。練習だし、落書きみたいなものだからと言われて見たことがない。
すこしくたびれたスケッチブックを見ながら、初めてモデルを引き受けた時のことを思い出した。
デッサンから数日後に、スッキリした顔で百々人が個展用に完成させたものを沢山事務所に持ってきた。
どれも素晴らしく、秀とプロデューサーと口々にむず痒そうに笑う百々人を褒めた。
ある一枚を見るや否や、秀がうわぁと思わず言ってプロデューサーと共に感想を言い淀んだ。
「…まずかったかな……?」
「いえ、とても素敵な作品だと思います。ただ…」
言い淀んだプロデューサーが鋭心に視線を向ける。秀も同時に見比べるようにしていた。
「鋭心先輩、これ見ました?」
「?絵について詳しくはないが、良く出来た作品だと思うが…」
鋭心の返答に秀は参ったと言うような顔をした。
「これ、モデルは鋭心先輩ですよね」
「…そんなに分かりやすかった?」
失敗した、そんな感情が百々人の声色に乗っていた。
「うーん…分かりやすい訳ではないんですけど、気付いちゃうともうそうとしか見えないというか………それはダメでしょ」
同意見です、と頷くプロデューサーの隣で秀はやや耳を赤くしながら続けた。
「いや、2人が出したいって言うなら良いと思いますけど」
「待て、秀。俺の意見は関係ないだろう。百々人の作品だ」
「だそうですよ、百々人先輩」
「そこまで言われてだせるわけないじゃん…!これはナシ」
百々人が照れて焦るように仕舞うその絵を目で追った。
「もったいないですけど、それが良いと思います」
「ぴぃちゃん、これあげようか?」
「いえ、あげるなら鋭心さんに」
「え、それはダメかも」
ダメなんじゃん、とぼやく秀と照れ臭さで逃げられない百々人を微笑しそうに眺めながらプロデューサーが言った。
「百々人さんには、鋭心さんがそう映っているんですね」
しまわれた絵を思い出しながら、自分事とは思えないが絵を見た時のあたたかな気持ちには憶えがあるような気がした。
「楽しそうだな」
相変わらず、こちらを見ているのに百々人とは目が合わない。目元にかかる髪をはらいたくて手を伸ばそうとすると、嗜めるように百々人が笑う。
「楽しいよ」
子どもみたいに、にぃっと笑う瞳が潤んでいるようにも見えた。
「だからお願い、もう少し、ね?」
鉛筆を口元にあてて悪戯っぽく笑うのもどこか祈るような仕草だった。
「何がそんなに、」
「え?」
悲しいのか、聞きかけて止める。今を暗い気持ちにさせたいわけではない。
「…描きたいと思わせる?」
はた、と手を止めた百々人と初めて目が合う。
「残しておきたいなって思うからだよ」
鉛筆が強く握られる代わりに百々人が穏やかに笑う。その表情に滲むものは無く、仕草には憶えがあるのに、その手に触れるのは今は許されない。
「俺をか?」
思わずというふうに百々人が吹き出して笑う。
「うん、そうだね。確かにそうだよ」
「何のためにだ?」
「僕のため。自己満足だよ」
笑っているのに言葉は妙に静かに響いた。
この話はお終い、とでも言うように百々人が鉛筆を握り直して、止まる。
「…えーしんくん、もしかして拗ねてる?」
伺うように聞かれて初めて、自分の中に苛立ちが巣食っていることに気がついた。
「拗ねている。百々人は目の前の恋人より自分のために絵を描くことに夢中な上、今までの絵を見せてくれない」
ほんの少し本音を混ぜて、冗談のような芝居をする。
「あー、ごめん、いつか見せるよ」
同じように冗談ぽい返事が返ってきた。
「本当だな?」
「うん、いつかね」
冗談かもしれないが念を押した上での言質をとった。いつかという曖昧な約束に心が浮く。そうだ、あの絵を見た時もたしか、このような。
「百々人、」
視線を上げた百々人に伝えようとした続きは洗濯機のブザーに邪魔をされてしまった。
「なに?」
「時間切れだ」
身を乗り出して、鉛筆を握っていた手を取る。髪を払って、半ば押し倒すように深く口付ける。
「ん…、えーしんくん、洗濯!」
「む……」
分かってはいるものの漸くとれた手が離し難く、迷いつつ握れば握り返される。じんわりとあたたかくて、より離し難くなる。
「干すか…」
「うん、僕もいく」
百々人が閉じたスケッチブックをいつもの位置に戻す。
「もういいのか?」
「うん、今日はもうおしまい」
満足そうに笑う百々人を見て、それ以上は何も聞かなかった。
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