北冬

微かな布擦れの音と、遠のく温い熱源にぼんやりと意識が覚め始めた。
「わり、起こしちまった」
まだ焦点が合わない世界に掛けられた声は内緒話のように潜められて、それでも視界を鮮明にさせるには充分だった。慎重に、同時に素早く抜け出ようとする彼の手を捕まえる。
「おはよう、冬馬」
「…寝てていいぞ」
尚も縛られた声で返された言葉の端には笑いが滲んでいた。するりと逃げたさそうにする手を逆にこちらへと引いてみると、素直すぎる彼は身体をこちらへと向き直してくれた。再び近くなったので、もう片手を腰へ回して引き寄せると怪訝そうに元の位置に転がってきた。その一連が堪らなく胸をくすぐって思わず声になる。
「お前まだ寝ぼけてるだろ…寝てろって」
突然笑い出した俺にやはりまだ訝しげにそう声を掛ける。そのどれも全てが心地良くくすぐったくて、物足りない。
「冬馬」
見つめ返す瞳は困惑8割、照れが2割というところだろうか。
「おはよう、冬馬」
「おはよう、北斗」
照れ8割、困惑2割に逆転した。逃げる素振りなんてない彼を逃がさないように抱きしめると暖かさにまた思考がふわりとする。
「起こして悪いなんて、そんなこと」
まだ寝癖の残る髪を指で梳かして、されるがままの冬馬の頬に掌を添えた。
「目が覚めて一番に冬馬と目があって、おはようって言えて、それで冬馬からおはようが聞ける。こんな幸せなことってないだろ?」
ぐっと喉を詰まらせた冬馬と額を合わせて囁いてみた。
「次は悪いじゃなくて、まずおはようって言って欲しいな」
暖かいというより、少し暑く感じるような気がするのは、気のせいではないだろうなと目を見開いて赤らんだ冬馬を見て思った。
「わ、分かったから…」
たまらなくていじらしくて、噴水のように湧いて満ち溢れているのに底無しに物足りなくて、一回と決めて抱きしめると応えるように冬馬からも腕が絡んで一層離れ難く思う。
「俺はこのままで嬉しいけど、冬馬はランニングに行くだろ?」
「ん、行く」
きゅ、と軽く結んだ腕はするりと解け、体温を少し残して滑り逃げる。ああ、やはり惜しい。
「冬馬」
声を掛ければ律儀に動きを止めて伺う、柔らかな寝癖を撫でて額にキスをした。
「〜〜ッ!お前朝からデレデレしすぎだろ!」
「あはは、幸せなんだ。朝から冬馬とこうしていられることが」
それを伝えたくて。どうか伝わっていてほしい。耳まで赤くした冬馬は額を抑えてよろめいた。
「行ってらっしゃい」
ひらりと振って見送ったつもりの手が不意に捕まって仕返しと言わんばかりの勢いで押し倒され、甘く喰むようなキスに唇が痺れた。
「行ってくる」
呆気にとられている内に冬馬はそう言い捨てて駆け出て行った。
閉まる扉の音を追って起き上がる。どんな朝日よりも眩い一瞬の笑顔が恋しくて、追いかけて一緒に走れば良かったと思いながら朝食の支度に取り掛かることにした。
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