北冬

信号が変わって緩やかに加速する。慣れた道に戻ってきて少し肩の力が抜けた。代わりと言ってはなんだが、助手席の方は逆に肩を強張らせてる様子だった。じっとして動いてないのに全くもって落ち着いてない。その様子が気になって気になって。ミラーを気にするように一度。車線を確認するようにもう一度。全くこちらを気にしてない様子にまたもう一度。それでも気付いてないので二度見。………。あぁ、だめだ。
「……ふっ…!」
耐えられない。
「おい!なんだよ!」
流石にバレてしまった。
「だって冬馬、ずっとソワソワしているのに俺が何度か見てるのに気づかないから」
ふっ、と込み上げたのを目で伝えるとまた様子が一層忙しなくなる。
「緊張する?」
「お前はどうしていつも通りなんだよ…」
呆れるようについた息と共に余計な力も抜けたようだった。
「あ、あそこコンビニに変わったんだな」
「どこ?見逃したな」
「運転手は前見てろ」
相槌を返しながら、そういえばいつ振りだろうと数字を数える。翔太が高校を卒業するのと同時に一人暮らしを始めたから、つまりほぼ三年振りの御手洗家だ。
「ライブとかイベントでいつも挨拶するから、久しぶりだとは思わなかったね」
なんだかあっという間だったなあ、とサイドブレーキを入れる。北斗が降りるより先に冬馬は後部座席に詰んだ荷物を運び出した。半分持とうと手を出すと、大荷物の割にはヒョイと躱され、インターホンを鳴らせと荷物の箱で半分見えない顔が言ってきた。顔の前の荷物だけ攫って言われるままにボタンを押す。
「お前ほんと躊躇しねえな…」
「冬馬まだ緊張してるの?」
家主との軽いやりとりを見て冬馬はまた苦い顔をする。成程。この荷物は冬馬の眼前に戻した方がいいだろうか。
そう少しだけ考えたが間を開けずに扉が開いた。
「いらっしゃい、冬馬くん北斗くん!…って冬馬くんすごい顔!ていうか荷物!」
「俺じゃないからな!北斗があれもこれもって買うからーー」
「あー!後で聞くから!とりあえず入って!」
「じゃ、お邪魔します」
何か言い足りない様子の冬馬より先に上がらせてもらい、翔太と二人で両手が塞がって靴が脱げない冬馬から荷物を取り上げる。ひとしきり面白がってから翔太が居間に案内した。
「姉さん、北斗くん達来たよ」
わあっ、と暖かく空気がわき立つ。いつ来てもこの家族は自分たちをお世辞ではなく心から歓迎してくれているのを感じる。いつもの挨拶はそこそこに、今日の一番の目的を先ず。
「ご出産、おめでとうございます。これは俺と冬馬からです」
「ほとんど北斗くんからだってー」
「すみません、北斗と考え無しに買いすぎちまって…邪魔じゃないすか?」
「そんなことないわよ、ありがとうございます」
じゃあ早速、と翔太が奥から赤子を抱いて来た。そう、今日のメインの目的は、翔太のお姉さんの出産祝いというよりは翔太のお姉さん達によるJupiterと赤ちゃんの写真撮影会ということだそうだ。翔太曰く。
「もー、ちゃちゃっと終わらせてよね!」
面倒くさそうに声をかける翔太も満更でもない様子で。北斗と冬馬の前に赤子を抱きながら立ってにんまりと笑った。
「それじゃ、冬馬くんから!」
「俺か!?」
翔太の宣言に赤ちゃんを驚かせない程度の拍手が起こる。相変わらず楽しそうな家族だなと思った次の瞬間には皆真剣にカメラを構えていた。
そっ、と赤子が翔太の腕から冬馬の腕に移されて、しどろもどろな冬馬の腕を翔太が指図して安定させる。ホームビデオを撮っているだけのはずなのに、まるでドキュメンタリーでも撮っているかのような緊張感があった。
「こうか…?」
「そうそう、離すよ」
「お、おう…おお………」
翔太よりずっとぎこちなく、でも緊張というよりは真剣な顔で赤子を抱き上げた冬馬は、ほんの少しもカメラに目線を向ける余裕などないまま、おそらく真剣な顔すぎて、すぐにぐずつかれた。
「やばいまずい翔太悪い、どうすれば…!」
「もー冬馬くん顔怖すぎ。もっとリラックスして」
「冬馬」
微笑んで手を伸ばすと冬馬が早く助けてくれと言わんばかりの顔で赤子を差し出してくる。翔太は冬馬の時とは違って様子を伺うだけだった。すっ、と冬馬の腕が解かれて北斗の腕の中にあたたかな重みとやわらかな匂いが一緒にやってきた。ほんの少しだけ安定させるように腕を揺すると、先程の危うげなぐずりがコテンと静かになった。つい癖でウインクをしたらカメラ陣が沸き立ち、冬馬は呆気にとられていた。さすが、と翔太が呆れたように笑っていた。
「北斗慣れてるな」
「いや?初めてだけど」
「だから冬馬くんは緊張しすぎだってば」
指摘されて顰められた冬馬の顔を翔太が指で小突く。いつもの小競り合いもふわりと香るミルクの匂いの中でまろやかに和んで、大人たちが笑うのに共鳴するように赤子が笑って、沸き立つ輪の中に上手になった作り笑いを一瞬見た。翔太と目だけで会話したのは気付かれなかった。

帰ろうと切り出したのは主役が眠って声をひそめて話出した頃だった。
「ふたりとも今日は姉さんのわがままに付き合ってくれてありがとう」
「わがままって、いつもお世話になってるんだから当たり前だろ、これぐらい」
「そうだよ翔太。こちらこそ素敵な時間をありがとう」
玄関を通っていつも通り、また明日と振り返ったつもりが翔太に冬馬ごと二人して抱きつかれた。
「冬馬くん、北斗くん。…あのさ、」
声をかけられても肩の向こうに俯かれた顔を伺うことはできなかった。
「ふたりのこと、大好きだから。冬馬くんと北斗くんが幸せなのが、僕も嬉しいから」
背に回った腕が少し力んでから直ぐに離れた。
「それだけ!じゃあね、また明日!」

帰りの車内は静かだった。助手席で頬杖にもたれた冬馬の見つめる先は焦点が合ってないようで、重い瞬きと深く沈むような息を繰り返していた。いつもの道を無視してアクセルを踏み込むと冬馬がこちらにピントを合わせた。
「デート。いいだろ?」
聞いてはいるけど飲み込んでないそんな生返事に耳を澄ます。行き先の当ては無いがこの時間さえ壊れなければ場所は何処だって構わないんだ。
「まさか翔太が叔父さんになるなんてね」
「…北斗もなるだろ、いつか」
「そうかもな」
知らない道に入ると冬馬は肘をなおして前を向いた。目的地の無いドライブの、行き先を共に見ようとする、そういうところ。
「その時は冬馬も冬馬伯父さんになるな」
息を呑んだのを隣で感じる。馴染みの無い音の並びだがどこかしっくりと暖かな響きだと思って綻ぶ。
「……北斗伯父さん?」
言って直ぐに吹き出したのは二人同時だった。
「冬馬に言われるのは違うな」
「俺も二度と言いたくねー」
可笑しくて面白くてこそばゆくて。隣で笑う彼が同じものを見れたのかを知れなくて、もどかしい。変わる信号に合わせてブレーキを踏むと、また車内は静かになった。
「冬馬」
ちゃんと目を合わせてどうしたと聞く冬馬に片手を差し出すと、応えるように重ねられる。
「前見ろよ」
「まだ赤だよ。もう少しこのまま」
握ると握り返される。冬馬が代わりに前を見るから、指を一本一本確かめるように絡めて握り直す。照れ隠しの声が掛かる前に、手は絡めたまま前を向く。まだしばらく明けない赤を見ながら少し緩めて指の付け根をさすると、留めるように切り揃えられた爪が立てられた。それも信号の明ける予感に弱まって、どちらからともなく離れた。
「冬馬」
「ん」
ハンドルを握り直してアクセルを踏む。
「俺は幸せだよ」
余所見せずに微笑むのを冬馬は見ただろうか。
「冬馬が俺と同じ幸せだと嬉しい」
わがままだと思う。でもそうであって欲しいと願った。
前を向いたまま冬馬がしっかりと頷くのを見た。
「一緒にいよう。ずっと」
問いかけでも提案でもない北斗の言葉に、冬馬はしばらくしてから噛み締めた息を吸い直して応えた。
「俺も、それが一番幸せだ」
冬馬が擦られた指を覆い握って額に当てた。
取るべき手を取るために、北斗は車を帰路へと走らせた。
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