TOAチーグルになったりならなかったりする夢
voice(過去編)
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数週間前、ツキの小さな丸っこい手から、アッシュにおずおずと差し出されたメモ用紙。
目を通すと、一行目から謝罪文で始まり、二行目は本題。最後の三行目は「忙しくて無理なら良いからね!」と書いていた。
◆17:一つのガラス玉
頼み事ならば素直に頼めば良いのにと、アッシュは人知れず長嘆。
大方、多忙な自分を気遣っての事だろうとは思う。ツキはそう言う人間だ。しかし何故そこまで遠慮するのかが、アッシュには理解出来なかった。
もう少し自分に頼って欲しいと思う。
「遅くなって悪かった」
言ってアッシュは、リンゴを食べていたツキにある物をヒラヒラと見せた。
それを見たツキは、一目散にアッシュの立つ扉の元へ駆け寄る。
『レターセット!覚えててくれたんだ!』
私すっかり忘れてたよ!と言ったツキだったが、幸いアッシュには通じていない。嬉しそうに受け取ったツキを見て、自然とアッシュにも笑みが浮かぶ。
ツキからの受け取った三行のメモ用紙の内容はこうだ。
"急に頼み事をしてごめんなさい。
レターセットが欲しいんだけど――
でも忙しくて無理なら良いからね!"
すぐにアッシュは、そのレターセットがバチカルへ送られる事を察した。
ツキの世界は狭い。自分とディスト、そしてユフくらいだ。
その中でわざわざ手紙を書く必要があるのはただ一人。誰に宛てるのかなど、容易く察しが付く。
ムッとしたアッシュだったが、他ならぬツキの頼み。無下に断りさえすれば、分かりやすく耳を垂らしてしゅんとするだろう。
『えへへ、ありがとうアッシュ!』
ピョンピョン跳ねて、ツキは喜びを体全体で表現した。勿論、耳は垂れていない。
◇
ユフからの手紙には続きがあった。
それにはフォニック文字で書かれたユフの住所。そして日本語で「この世界の現実はどうだい?」と一文。掴めないその問いは、ツキにとって重く感じた。
自分のいた世界は、譜術も無ければ魔物も居ない。音素や預言なんてものも無い。そう考えると、このオールドラントはやけに現実離れしている。
(でも、)
自分はここにいる。
笑ったり、落ち込んだり、喜んだり、悩んだり。確かに自分は毎日を過ごしている。それを現実と言うのではないだろうか。
ユフと再会するまでは、元の世界に帰りたいと思い続けていたツキ。この世界の現実が良いも悪いも「仕方がない」としか言えなかった。
しかし最近ではそんな考えも徐々に薄れつつある。
バチカルとダアトの選択を迫られた時、あれはある意味ツキにとって「元の世界」と「オールドラント」を天平にかけたものだった。
バチカルにいる、元の世界のユフ。
ダアトで過ごしてきた、オールドラントのアッシュ。
結局選択は無効になったが、最終的に自分はダアトを選ぶつもりでいた。
頻繁に外出できないのは、窮屈なのが正直な心境。しかしアッシュと過ごす時間は楽しい。ここは彼が与えてくれた日だまりの中。
漸くこの世界の価値を、ツキは見いだせてきたのだった。
(ユフ君はどうなんだろう)
軍人にもなって、少なくとも彼は自分より自立している。羨ましいくらいに。自分もいつか完全な人間に戻れる日が来るのだろうか。
ツキは手紙に書かれた住所を封筒に書き写しながら、そんな事を考えていた。
いつの間にかアッシュが1枚目の手紙を手に取っていた。面白くなさそうな表情の彼に、ツキは微笑む。アッシュはユフの日本語を、どうにか理解してやろうと奮闘するが、暫くして諦めた。
「お前の故郷の文字は量が多い」
言ってアッシュは、少々悔しそうに手紙を封筒に入れ直した。
「ツキはあの手紙を読めるのか?」
『そりゃあ日本人ですから!』
フフンいう風に胸を張って言う。ツキは初めてアッシュに対して優越感を覚えた。
「書いてみろよ」と促されたツキは、適当な紙に自分の名前を書く。そしてその下にフォニック文字で、ふりがなよろしく、ふりフォニック文字も付け足す。
日本の文字がそんなに面白いのだろうか。アッシュは興味津々に見つめる。得意げになったツキは続けてアッシュの名を片仮名で書き、同じようにフォニック文字で「アッシュの名前だよ」と表記。
じっと見つめるアッシュ。勉強熱心な彼の事だから、次に人間に戻った時は文字を教えろとせがまれるかもしれない。
「――ルークは、どうやって書くんだ?」
『るーく?』
「いや、やっぱり良い」
よく分からなかったが、ツキは「遠慮しなくて良いのに」と言いつつ、すぐにアッシュの名の隣にルークと書いた。
『はい!これがツキとアッシュとルークって文字!』
最後にツキは「自分の名前、忘れないでね」と筆談する。
「あぁ……、忘れない」
『よろしい!』
それだけ書いて、ツキはユフの住所を書き写し始める。
アッシュは異世界の文字で書かれた最後の文字とツキの忠告を、黙って交互に見つめていた。
机上で黙々と手紙を書いていたツキは、微かに水音を耳にした。
『雨だ!』
先ほどまで晴れていたはずだったのだが、天気は急に土砂降りに。
開放された窓を指さしたツキに気がついたアッシュは、椅子から立ち上がって窓を閉める。が、ぴたりとその動作が止んだ。
『どうしたの?』
ポテポテと歩いてアッシュに近づく。するとアッシュはツキを抱き上げた。
「窓の桟の所」
顎でくいっと示した所に、雨の日に現れるアイツがいた。アイツと言っても、黒くて長い触覚のアイツでは無い。
『うわぁー、カタツムリ』
窓を閉めてしまうと、位置的に自ずとカタツムリを潰してしまう事になる。あまりにそれは可哀想だ。
ツキはカタツムリを安全な所に避難させてやろうと手を伸ばした。
まさかとは思うが、またアッシュに「食べるなよ」と言われるのではないかと危惧する。しかし案の定、彼は期待を裏切らない。
「食べるなよ」
『言うと思ったよ……』
そっと伸ばしたツキの手に、カタツムリが乗った。どこに避難させようかと、キョロキョロ見渡す。出来れば葉っぱのある所に移させてやりたいが、部屋の中からではそれは叶わない。
「中庭に出るか」
『え!?』
まさかそう言ってもらえるとは思わず、ツキは目を丸くする。
教会内は袋に隠れると言う条件付きだが「そんなものはいくらでも我慢します!」とツキは意気込んだ。
チーグル時で初めての、アッシュとちゃんとした外出。
きっかけをくれたカタツムリに、ツキはとっておきの場所を見つけてあげようと決めた。
◇
『もうあんな所に迷いこんじゃだめだよ』
そっと葉っぱの上にのせてやると、カタツムリはツキ達に向かってニョキっと体を伸ばした。もしかしてお礼なのだろうかと思う程、それはタイミングの良いものだった。
その時、隣の葉っぱからゆっくりゆっくり大きなカタツムリが現れた。
「でかいな」
『もしや親子?』
どうかは分からないが、恐らくアッシュもそう思っただろう。2匹が草陰に隠れるまで見送った後、アッシュとツキも雨のあたらない軒下に走って避難する。
いつかアッシュがずっと戻って来なかった日も、雨が降り続いていたなぁとツキはふと思い出した。
あの頃はアッシュとまだ出会ったばかりで、言葉ばかりに縛られていた。
プルプルと体を振って、ツキは水気は飛び散らせた。
『あっ』
しかしその水気はアッシュに命中。
「……ったく」
彼は袋の中からタオルを取り出して、ツキのフサフサした毛にしみこんだ水気をとってやる。
『アッシュの方が濡れてるから、先に使ってよ』
「はぁ?何言ってるか分かんねえよ」
そう言う時のアッシュは絶対に分かっている。なんて便利で都合の良い言葉なんだと思うツキ。雨は外を出てきた時よりも激しさが増す。
教会の壁にもたれかかった、1人と1匹は空を見上げた。そして急にアッシュが「親子か」と呟く。やはり先ほどのカタツムリを見て、彼もそう思ったのだろう。
「ツキは辛くないのか?」
アッシュの足下で同じように空を見ていたツキは、見下ろしてきた彼と自然に目が合う。
『うーん……。割と今は平気かな』
側にアッシュがいる限り、大丈夫でいられると思う。ツキはニコニコ笑って、耳も上下に動かした。
それを見たアッシュは表情を変えず、再び晴れそうに無い空を見上げる。
アッシュの髪の毛から、頬に水がつたう。
その水が雨だと分かっているのに、ツキにはアッシュが、泣いているように見えた。
(ねえ、何に苦しんでるの?)
聞けない。今もし人間であっても、聞く自信が無い。
軽率に聞いてしまうと、彼はすぐにでもひび割れてしまいそうなのだ。
ツキも同じように、アッシュから視線を空へと戻した。
「……ツキにはユフがいるからな」
そう口先で呟かれた事を、ツキは気がつかなかった。
雨はまだ、降り出したばかりだ。
17:一つのガラス玉 end.