TOAチーグルになったりならなかったりする夢
voice(過去編)
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ユフがバチカルへ帰ってから、平穏な時間が流れる。まさに台風一過。
本人がそれを聞けば恐らく怒るだろうが、これ以上に適当な言葉は無いとツキは思った。
◆16:波
ツキがダアトに残ると安堵したアッシュだったが、一つだけ腑に落ちない疑問が彼にはあった。
「ユフは昨日の昼間に帰る予定だったんじゃないのか?」
昨日からおかしいと思っていた。
ユフの人間性はどうであれ、仮にも軍人の彼が私情を挟んで帰還を延ばすのは考えられない。
「えぇっと、それなんだけどね……」
問われたツキは、やけにまごまごして話すのをためらう。同時にブラシを動かしていた手も止まった。
「何だ?話せないのか?」
上目遣いで更に問うてくるアッシュ。
つい先日「子供扱いしてると痛い目みるぞ」と、ユフに忠告された事をツキは思い出す。アッシュの無垢な表情、そしてこの眼差し。
「うっ……」
そう言う子供のあどけない表情には、もっぱら弱いツキだった。そして漸く打ち明ける決心をした。
「ユフ君、ディストさんに用があったみたいなんだけど……。筋肉痛で動けないらしくって」
「筋肉痛?」
あのディストが?とアッシュは疑った。
それは、彼が筋肉痛になるような柔な体では無いのに。と言う意味では無く、その逆で、普段筋肉を使うような事はしないのに、何故動けないほどの運動をしたかだった。
「それが原因で、任務が滞ってたみたい」
言いながらツキは目を泳がせる。理由の心当たりがあるんだなとアッシュは確信した。
「何か知ってるみたいだな」
「えーっと、ほんのちょっと私と一緒に第四石碑の丘を駆け下りたり。ダアトの街をかけっこしたり……あはは」
それのどこがほんのちょっとなのだろうか。
学者のディストは、普段であれば一日中研究室にこもりっぱなし。筋肉痛になっても当然だ。ほんの少しだけ同情したアッシュだった。
アッシュがユフの帰還を不思議に思ったのと同じく、ツキにもアッシュに対して疑問符を浮かべる事があった。
それは少し前の出来事のため忘れてしまっていたが、彼が任務前に用意していた置き手紙と、ディストにした頼み事。今まで書き置きも何も無しに任務に出かけていたのに。その2つは、アッシュらしかぬ行動に思えた。
その件を問えば、アッシュは長いため息をついて、ツキを見上げる。
「不審者が出ても、人は身を隠すのにも限界がある」
「それで戸締まり強化の置き手紙」
「それに、俺が任務で居ない間に人間に戻っていたのは、今回が初めてだろう」
ブラシを自分の顎にコンコンとあてながら、ツキは過去を振り返ってみる。言われてみれば、確かにそうだった。アッシュが不在中、突然人間に戻ってしまった事も無い。
今回が初めての"人間時でのお留守番"だ。
自分でも気にしていなかったのに、よくそんな事を覚えていたなぁ、と密かにツキは感心する。
「チーグルの時はリンゴだが、人間だと食事はそうもいかねぇだろ」
「でも今回も沢山机にリンゴ置いてあったよ」
アッシュは首を振って「そう言う意味じゃない」と否定した。どうやらあのピラミッドリンゴは、チーグルに戻ってしまった時への備蓄だったそうだ。
人間時はいつもアッシュと食堂へ行くか、軽食で済めば食事を運んでもらっていた。だが留守の間は、そうもいかない。
「だからディストさんに、食事を一緒にって頼んだの?」
「リンゴだけじゃ腹が空くだろ」
これで漸く全ての謎が解けた。書き置きも伝言も、人間時の自分を気遣ってくれての事だった。
ツキはそんなアッシュの用意周到さに舌を巻いて、同時に彼の気遣いに胸がいっぱいになる。
「おいツキ!」
「な、なに?!」
喜びに浸っていたツキを呼んでアッシュが指さしたのは、己の髪の毛。ツキはつい話に夢中になり、アッシュの髪で三つ編みを作っていた。
「ギャー!ごめん!無意識でした!」
「さっさと外せ馬鹿!」
◇
三つ編みをほどいてもう一度髪をとき直したアッシュは、急いで仕事か訓練へと戻って行ってしまった。
残されたツキは、久々に1人となる。部屋の中がやけに広く感じたが、やはりそれは錯覚だった。
「そうだ、ユフ君からの手紙!」
ツキは思い出したように、机の上にある封筒から手紙を取り出す。
真っ白の便せんに手書きの罫線。しかしそれは几帳面なほどに真っ直ぐで、線同士の間も見事に等間隔だった。しかし驚いたのは、それだけでは無い。
「うわぁ、日本語だ!」
懐かしい故郷の文字と兄の直筆。椅子に腰をかけて、その文面に目を走らせる。内容はこうだ。
"親愛なる妹 ツキへ
折角こうして再会でき、今後のことや積もる話もあると言うのに、無情にも時間が無く口惜しい限りです。
(って書くと少しは俺も真面目っぽく見える?)
さて、ツキをバチカルへ連れて帰り、俺の目の届く場所に居て欲しいのが本音だが、今はまだ待ちます。
でも数年後必ず迎えに行くから。それまでスッゲー納得いかないけど、アッシュと仲良くな。
あいつツンデレだけど根は良い奴だし。
記憶が無いのを少しだけ気にしてたみたいだが、あまり無理して思い出そうとするのはやめろよ?
もし気になる事があるのなら、俺の覚えてる限りの事を話すから。
ツキは何でもため込むから、気に病んでそうで、ヒヤヒヤすんだよ。
最後に、ヴァン・グランツには気をつけろ。
何かあれば連絡を。
ユフ"
手紙を読み終えたツキは、何故ユフがヴァンに気をつけろと伝えて来たのか、理解出来ないでいた。
アッシュの師匠だという情報のみで、直接面識はない。
「ふぁあ……。何か考えてたら眠くなってきた」
口元に手をあてて、あくび漏らす。心地よい日差しの温かさが、一層ツキを眠りの世界へと誘う。
そよそよ風が吹く度に小さく揺れるカーテンを、ツキは焦点の合わない目で見ていたが、やがてコクリコクリとうたた寝を始める。
(そう言えば、何でユフ君はヴァン師匠の事……)
知っているんだろう?そう思う前に、ツキは机に上に打ち伏して夢の中へと旅立った。
◇
「……不用心だな」
アッシュが部屋へ戻って来たのは、普段より早めの時間。まだ夕日が辛うじて姿を見せ、世界は暗闇に支配されていなかった。
窓を開けっ放しで、椅子の上でゴロリと寝っ転がってるチーグルのツキ。もう少しだけ人間の状態で話がしたかったとアッシュは悔いたが、こればかりは仕方が無い。
アッシュはツキを起こさないように、そっと抱き上げてバスケットの中に運んでやる。
少しだけ身じろいだツキだったが、目を覚ますことなく、規則的な呼吸をしてスヤスヤと眠っている。
遊び心で鼻をつまんでやると「みゅーぅ」っと低い声で唸って、手を離した途端、プルプルと顔を震わせた。
それが可笑しくて、アッシュはたまらず声に出して笑ってしまった。
◇
(グハァ!手足に鉛付けて海中散歩してる夢見た)
勢いよく起きあがったツキは、額の汗をぬぐいながら肩で息をして、肺に酸素を取り込む。そして自分の足下が、いやにフカフカな事に気がつく。
(机の所で寝てたのに……)
しかしその疑問はすぐに解けた。
昼間の自分と同じように、バスケットの目前で、アッシュがベッドに打ち伏して眠っている。それを見てツキはすぐに自分の視界の位置が低い事にも気がついた。チーグルに戻っている。
部屋に明かりはともっておらず、窓も開けっ放し。
(不用心だなぁ)
まさか数時間前に同じ台詞を言われていると言う事を、ツキは知るよしもない。
アッシュがこうして居眠りをするのは珍しい。疲れている時の彼は、いつも就寝時間を早めて休んでいる。今日はよほど疲れて帰って来たのだろう。
ベッドに運んであげたいのは山々だったが、チーグルのツキにそんな力は無く、むしろ下手をすれば押し潰されかねない。仕方なく、タオルケットをアッシュの背中にかける事にした。
しかし投げ網漁のように勢いよく背後から投げたタオルケットは、アッシュの頭にまでかぶさってしまう。
ツキは慌ててベッドに飛び乗り、頭を覆った部分を外す。
(アッシュも軍人なんだよね……)
とてもでは無いが信じられない。目の前で眠る少年は、あまりに無防備で無垢。遊び心で彼の鼻を押さえてみようとしたが、起きた途端怒鳴られそうなのでやめておいた。
顔へと伸ばした手を引っ込めようとしたその時、アッシュの口が微かに動いた。
(ん?)
ツキはそっと彼の口元に近づく。
「ナタ……リ、ア」
眉間に皺を寄せて、アッシュは強くシーツを握る。
(ナタリア?)
瞬時に浮かんだのは、キムラスカの姫、ナタリア・L・K・ランバルディアだ。しかしアッシュが一国の王女と、面識があるとは思えない。
(ナタリアって誰だろう)
初めて聞く名前。自分は知らない、踏み込んでいないアッシュの世界。
不安や焦燥感とも言えない漠然とした妙な気持ちが、ツキを支配する。
16:波 end.