TOAチーグルになったりならなかったりする夢
voice(過去編)
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昨日寝る前にアッシュの髪の毛に触れて、そのサラサラ具合に「どんなシャンプー使ってるんだろ」と、若干邪な考えを持った所為なのだろうか。
そう自問しつつ、ツキは未だに目を覚まさないアッシュを睨んだ。いや、彼が悪いワケではない。では何が原因だったのだろう。
しかしその答えは出てこなかった。
◆08:先生
「みゅう」
「……何でだ?」
目が覚めて第一声。アッシュは前髪を掻き上げて、枕元で落胆している桜色のチーグルを見た。
アッシュの記憶が正しければこのチーグルは昨日、人間の少女という本来の姿に戻ったはず。しかし部屋にはその少女はおらず、代わりに見慣れたチーグルが一匹。
「何で?」としか言いようがなかった。
『一日限定の人間化……』
「具合はどうなんだ?」
『え!?あ、うん。悪く無いよ』
「あぁ?どっちだよ」
(そっか、言葉が通じないんだ)
アッシュの言葉が理解出来る為に、ツキは忘れていた。
どうなんだと言われて「悪くない」と答えたい場合は、どうジェスチャーすれば良いものかと考える。
首を縦に振っても横に振っても、悪いと悪くないの両方どちらでも判断出来ると気づいたツキは、そのジェスチャーは諦めた。
かわりに、とにかくピョンピョン跳ねて元気さをアピールしてみる。
『この通り元気だよ』
そうしたらアッシュにそれが伝わったのか「そうか」と少しだけ微笑んで、彼は身支度を始めた。今までより意思疎通出来ている事が嬉しくて、ツキも喜ぶ。
昨日人間だった時は怖い印象があったのに、今日はいつもの優しい彼だった。
「字、分からないって言ったよな」
『うん。全然分かんないの』
首を縦に振って肯定した。アッシュはいつものようにツキを抱き上げて机へと運ぶ。
机の上には紙とペンが用意されてあり、アッシュはその紙に丸い絵のような物を、表のように一つ一つ描いていく。
「これがフォニック文字だ」
書き終えたアッシュは、その表をツキに渡した。
そのあまりの文字の少なさにツキは驚く。どうやら23種類しか無いようだ。同時に、日本語のように50音あるわけでは無いようで安堵する。
もしそうであれば、とてもでは無いが覚えるのに骨が折れる。
『オールドラント版アルファベットだね!』
そう解釈したツキは、これならすぐに覚えられそうだと微笑んだ。
そして"アッシュ先生"による、お勉強タイムが始まった。
◇
「違う!これは反時計回りの丸だろうが!書き順が逆だ逆!」
『ひぃぃ!スミマセンーー!!』
ペンを抱きしめブルブルと震えるツキに、アッシュは苛立ちながら教えていく。スパルタもスパルタ。少しでもペンを動かす方向を間違えると、すぐさま先生の怒鳴り声が部屋に響く。
地震に弱いツキは、アッシュが机を叩く度に来る震動が怖くて、とてもじゃないが文字を覚える所ではなかった。それよりも、いかに間違えずに書くかが要。
『こんな調子で本当に覚えられるのかな……』
「また間違ってる。ツキ、覚える気あんのか?」
『あ、ありますから机揺らさないでぇえ!』
「ったく、暫く一人で練習してろ」
これならすぐに覚えられそうだと微笑んだ数分前を、ツキはひどく後悔する。どれも同じような形をしているように見えるフォニック文字を覚えるには、暫く時間がかかりそうだ。
「それからこれ、地図や歴史の本。文字に慣れたら読むといい」
アッシュは本棚から抜き出してきた数冊を机に並べる。そのうち一冊を手に取り、椅子に座って自分で読み始めた。七色の丸が描かれている簡素な表紙。理科の教科書ってこんなのだったなあと、ツキは思い出す。
ふと、アッシュがツキの視線に気づいた。
「これが読みたいのか?音素学だぞ」
『ふぉに?えっ、なにそれ』
理科じゃないの?とツキは首をかしげる。
「音素ってのは、あらゆる物質の元となるものだ。性質の異なった音素は独自の振動数を――」
『待って待って!まだ文字覚えてる途中なんだけど!』
「おい!聞いてるのか!?」
『は、はいぃぃ!』
身体を強張らせて、ツキはピンと背筋を伸ばす。ちょっとした好奇心があだとなってしまった。自主練はキャンセルされて、アッシュ先生による音素講義の開講だ。
◇
橙に染めあがった空に星が輝いて来た頃、先生は漸く出来の悪い生徒を解放した。
『うぅ、ありがとうございました』
そう言って机にぐったり伏せたツキの耳を、アッシュはツンツンと人差し指で突っつく。生存確認だろう。
しかし耳はくすぐったい。身じろぐ元気も無いツキは、力なく笑うので精一杯だった。
アッシュの教え方は厳しかったが、説明はとても簡潔で分かりやすかった。少しでもツキが首をかしげると、すぐにその疑問を察して説明してくれたため、慣れてきた頃にはすんなりと知識が頭に入っていった。
心地よいこの疲労感は悪いものでは無い。新しい知識や常識がしっかりと身に付いているのが分かる。それはツキにとって、とても嬉しいものだった。
『怖いけど優しいんだよね、アッシュって』
ツキはヨロヨロと立ち上がってペンを抱きしめる。そしてチーグルの絵を描いて、その横に教えてもらったばかりのフォニック文字で「ありがとう」と書いた。
しかしアッシュの表情は険しい。
『あれ?!まさか間違えた?』
また怒られると思い、一番始めにアッシュが書いてくれた表と自分の書いた文字を見比べる。しかし間違いは何処にも無かった。
『アッシュ?』
首をかしげたツキの頭を軽く撫でて、何も言わずにアッシュは椅子から立ち上がった。
『待って、どこ行くの?』
ツキは机から飛び降りてアッシュを追った。しかし彼は黙って部屋の外へ出て行ってしまう。扉を閉められて、ツキもそれ以上追いかけるわけにはいかず足を止めた。
頭を撫でた時のアッシュは、いつか見たあの今にも泣きそうな表情。
(どうして急に……)
自分がその引き金を引いてしまった。そう思うとツキは心が痛んだ。
アッシュが戻ってきたのは夜更けだった。
ツキはバスケットの中で丸まって瞳を閉じていた。丁度寝ようとしていた所で、まだ意識ははっきりとしていた。
「……悪い。お前は、あいつらとは違うよな」
アッシュは真意がよく分からない言葉を呟いて、ツキの耳を少しだけ指で撫でた。
この時、狸寝入りなんかせず、微笑んで「おかえり」と言っていれば、彼の傷を少しばかり癒せていたのかも知れない。
08:「先生」 end.