TOAチーグルになったりならなかったりする夢
小さな世界(崩落編)
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ロニール雪山での目的を果たしても、誰一人笑顔で喜ぶ者はいなかった。当然だ。光の差さない勝利は後味が悪いだけである。
この世界を全て消滅させてまで叶えたかった六神将の思いとは何だったのか。そこまで追い込まれていた彼らと和解できた未来の可能性は、きっと皆無だっただろう。
けれどツキは、考えずにはいられなかった。被験者を生かす世界と殺す世界。人類存続を謳いながら、とても近くて遠い互いの理想を。
街へ着けば少しは安堵出来ると思っていた期待は、簡単に裏切られる。最終決戦前に与えられた自由時間さえ、ツキはもどかしく思うほど重症だった。
◆41:白銀教室
知事室にて。外殻がいつ降下してもおかしくない状況にある事を、ジェイドはロニール雪山の報告と併せてネフリーに話していた。
ヴァンの権謀は、敵ながら見事だった。不幸は続き、アルビオールのエンジントラブルで、出発は早くても明日以降に見送られる。
アブソーブゲートとラジエイトゲートの両方を操作する時間も課題ではあるが、勝算が無いわけではない。
ジェイドはたった一つ、ヴァンの過ちを握っている。それは恐らくヴァン本人も、気づいていないだろう。気づけたのはあの鏡窟で――ツキがアッシュのために深く傷ついたからだ。
恐らく、彼女は動くだろう。
ジェイドは指先を眺めて、危険な信頼関係に望みを託している。
「それじゃあすぐにでも陛下たちに報告をあげないと」
「大丈夫ですよ。そろそろ――」
ジェイドの声を打ち消すように、ゴンゴンと多少興奮気味のノック音が響く。扉の向こうにいる人物に予想が付いているジェイドは、ゆるりと応接椅子から立ち上がった。
ネフリーが「どうぞ」と声をかける。すると、頬をりんごのように赤くさせたツキが部屋に入ってきた。
「お待たせしましたジェイドさん。鳩ちゃん飛んでいきましたよ」
「ご苦労さまです。早かったですね」
鳩舎から戻ってきたツキは、思わぬ評価に少しだけ顔を綻ばせる。
ぐずぐずに崩れた雪道は「どうぞ転倒してください」と言っているようだったが、ツキはその言葉には甘えなかった。
急いて怪我をしては、目も当てられない。しかも劣悪な心理状況で、足取りは重い方だったと反省していたくらいだ。
それでも、かつての上司にとっては「早かった」ようである。
「ネフリー、紹介します。例のツキです」
「えっ?」
急な紹介に驚いたツキは、コートを脱ぐ手が止まる。
紹介されずとも、二人は初対面では無かった。初めてケテルブルクを訪れた際も、ツキはこうして知事室を訪れている。しかし「例の」とは何なのか。それはすぐに判明する。思い返せば、あの時のツキはチーグル姿であった。
「そう、あなたがあの時の可愛いチーグルなのね。鳩舎は街外れで遠かったでしょう。しかもこんな寒い日に」
「ツキが熱望した事ですよ。彼女は一度言い出したらテコでも動かないので」
「だからって、もう……。さあツキさん、暖炉のそばで温まってください」
ネフリーはコートを受け取って、代わりに分厚いブランケットをツキの肩にかける。
あまりにも自然に納得されてしまい、ツキは反応に遅れてしまった。ジェイドがどんな前情報を与えていたかも分からぬまま、話題は別のものに移っている。
暖炉の前に用意された椅子に座ったツキは、手袋と汚れきったブーツを脱ぐ。末端まで冷えた手足を投げ出すようにかざすと、ようやく安堵する事が出来た。
「行儀が悪くてすみません……」
「良いんですよ、しっかり温めてください」
ばちばちと燃える炎の中に、ジェイドが薪を投げ入れた。
ツキが鳩舎へ赴いたのは、ピオニーとインゴベルト宛の手紙を鳩に運んでもらうためだった。両国に鳩を飛ばす事を聞いたツキは、自らその役を買って出たのだ。
与えられた自由時間をどんより持て余したくはなくて、気が紛れるならば何でも良いとさえ思っていた。
「その様子だと、少しは頭も冷えたようですね」
言いながら、ジェイドは慣れた手つきでくべた薪の世話をする。きゅっとツキはブランケットを握った。
「……私、また慌ててました?」
「そうなる理由は、沢山ありましたからね」
ジェイドが何を差しているのか。沢山とは、いくつなのか。もはやツキでさえ、正解を把握出来ていない。意図的に考えないようにしているものも、含まれているだろう。
その中でもツキは、箝口令だった可能性のある事実をそっと、記憶の箱に閉じ込めたばかりだった。まだ上手く触れる自信がない。
忘れてしまう事は無いだろう。何故ならもう、ツキにとってソーサラーリングは、ただの翻訳機ではなくなっている。
「これが狙いだったの?」と心象の彼に問うと「ふん」と鼻を鳴らされた。どこまでも意地悪だ。
「頭どころか全身冷え切っちゃいましたけど、行って良かったです」
決して心の整理をするために歩いたわけではないのに、結果的にツキはこうして落ち着いている。居ても立ってもいられなかった焦燥は、いつしか形を潜めてくれていた。
やがて体もじんわりと熱を取り戻す。無遠慮に投げ出していた四肢を楽な体勢に戻しても、ゆらめく炎にもう恋しさは無い。
ツキに温かい飲み物を用意したネフリーが、はっと何かを思い出したように隣室へ向かった。すると、ずるずるとフロアを引きずる音が響く。何か持ってくるのだろうと察したツキは、ブーツを履き直して半開きだった扉を全開に固定する。
「うわっ、本の山だ」
両手で箱を押してきたネフリーは「そうなの」と、少し呆れかえっている。目視できた量から推測すると、一箱およそ三十冊はありそうだ。これがあと、二箱あるらしい。
「お兄さんに頼まれていた本、一応用意はしておいたけど……。これ全部持って行くつもりなの?」
「ええ。あとでアルビオールに届けるよう運び屋を手配しているので、よろしくお願いします」
にこやかに言ったジェイドは「老体には堪える重さなので……」と大げさに腰を叩いた。
運び屋という言い回しに、ツキは首をかしげる。言葉通り、そんな専門業者を用意する彼では無いことはよく知っている。
「運び屋って……、ちなみに誰なんですか?」
「ユフとルークです」
やっぱり、とツキは苦笑した。ルークはジェイドに弱みを握られているようだったし、ユフは単純に雪山でふざけていた罰だろう。 この量だと、二人でも往復する事は必須だ。
ジェイドは箱の中から適当に取りだした一冊を、ぱらぱらと確認していく。すると、栞紐の挟まれたページを見て顔をしかめた。
「馬鹿の落書きが……」
「落書き?」
ツキとネフリーが本をのぞき込むと、そこにはまたしても雪だるまの絵があった。しかも、逆さまの。先日カフェで見たピオニーの画とはタッチが違う。
いびつな形の丸は、本の文字にまで範囲を広げている巨大さ。落書きを逸した強い存在感の主張を、無視する方が困難である。
するとネフリーが「ふふ、」と笑みをこぼした。
「懐かしいわ。サフィールね」
「ディストさん?」
「本を読んでいたお兄さんと遊びたかったのよ。彼のちょっとした嫌がらせね」
「言われてみれば、どことなく絵から構ってほしいオーラが――」
「……さて、全快したら帰りますよ」
そう言ってジェイドは、乱雑に本を戻す。馬鹿による馬鹿馬鹿しいものを見てしまったと、心底気分を害されている様子であった。