体調不良シリーズ
名前変換
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こんな世界の中でくらい、この不快感からは解放されたかった。それが無理だというのなら、せめて身体が元に戻るまで儀式は免除してくれるだとか、そういった気遣いがほしいものだ。
「あぁ……」
机に突っ伏しながら小さく呻いた声が、直りかけの発電機の音に吸われて消えていく。こんな調子でも三分の一程度は修理したのだから、誰か褒めてほしいなんて思ってしまう。
場所はレリー記念研究所の書斎。痛みのピークが過ぎるまで座って休ませてもらおうと椅子に腰を下ろしてから、どれくらいの時間が過ぎただろう。いまだに殺人鬼と鉢合わせしていないので、もしかしたら実際にはそれほど時間は経っていないのかもしれない。苦痛に耐える時間というのは、実際よりも長く感じるものだから。
運悪く生理二日目に儀式に呼ばれてしまったせいで、今日の気分は最悪だった。
お腹が痛いのもそうだが、メンタルもガタガタだし貧血気味で身体がフラフラするしで、とてもじゃないが無事に脱出できるような状態ではない。こんなザマだというのに、問答無用で呼び出したエンティティに対する恨みの念が積もっていく。
「帰りたい……」
口にしたところで帰れるわけでもないのに、気づいたら声に出していた。心身に相当ガタがきている。
仲間たちには悪いけれど、いっそこのまま寝てしまおうか。吊られたら吊られたで、今日のところは仕方ない。時期が悪すぎたんだ。
そのままゆっくりと目を閉じると、すぐにウトウトとし始める。こんなところでも眠れてしまうなんて、生理中の眠気たるや、思ってたよりずっと強烈なんだな……と、ぼんやり思いながら意識が飛びそうになった直後のこと。名前の身体を、突然の衝撃が襲った。
「ひゃっ!?」
思わず顔を上げた彼女の視界でくすぶる、青白い電流。開口器具により常に不気味な笑顔を浮かべている闇医者が、机を挟んだ向こう側で手のひらに武器を打ちつけながら佇んでいた。
電撃でビビらせたはずの名前がいつまでも逃げないのを見て、開口器具を外したドクターが「そこで何をしてる」と低く問う。
怒っているわけではなさそうだが、純粋な疑問を投げかけている感じでもないような、感情の読めない声色だった。
「……別に、このまま吊ってもいいですよ」
「質問の答えになってないのだが」
「見て分かりませんか、具合が悪いんです」
不調によって思うように動けない苛立ちもあってか、ついキツい言い方になってしまう。
だが、さすがは心理学者と言うべきなのか、ドクターは反射的に言い返すことも動じることもなく、後ろの棚を開けて何かを漁り始めた。
「……どんな症状だ?」
「へ……?」
「具合が悪いんだろう?」
「え、あ、えっと……二日目、でして……」
「? 二日酔いか?」
「い、いえ……生理です」
「ああ、なるほどな」
なぜだか急にドクターの問診が始まって。名前も名前で戸惑いながらも流されて、普通に診察を受けるのと同じように答えてしまった。
どちらにせよ、具合が悪いこと自体は知られてしまっていたのだし、詳しい内容を教えようが教えまいが別に問題はないだろうと思うが……
不安に苛まれそうになった名前の元に、棚から取り出した何かを持ったドクターが歩み寄る。
「手を出せ」と言われるままに手のひらを差し出すと、その上でプラスチックの小さなケースが振られ、錠剤をいくつか乗せられた。手の上の薬を見て、ドクターの顔を見上げて、また薬に視線を戻す。動揺が隠しきれない。
「心配するな、水がなくても飲めるものだ」
「ええと、そこではなくて……あの、どうして薬を……?」
「具合が悪いと言ったのは君だが」
「そ、そうですけど……カーター先生がくれるものを素直に飲んで大丈夫なんでしょうか……」
「人が珍しく気を遣ってやったというのに、失礼なやつだな……あとその名前で呼ぶな」
狼狽しすぎてうっかり彼の本名を呼んでしまい、怒らせてしまったが、どうやらこの薬自体はきちんと効果のあるものらしいことが分かった。なぜまともな薬がここにあるのかを尋ねる勇気まではないが。
とはいえ、疑いの気持ちが完璧に晴れたわけではない。名前は、彼の顔が「してやったり」とほくそ笑むことがあれば見逃さないよう、チラチラと表情を伺いながら錠剤を口に含んだ。トローチのような独特な味のする錠剤が、舌の上でジワジワと溶けだしていく。
しばらくしてもドクターがいきなり高笑いをし出すなんてことはなく、ようやく騙されたわけではないのだと安心できた。
「ありがとうございました……」
率直な気持ちを言葉にして伝えれば、ドクターのギラついた瞳がそらされる。
「礼には及ばん。フェアな儀式ができないと、エンティティにどやされるからな」
仕方なくやったことだとでも言いたげな口調で吐き捨てて、唐突に名前の腕を引くドクター。
そこは自分の席だから退けろという意図だと思い、ふらつく足で頑張って立ち上がる。が、立ち上がった後も彼は腕を離してくれない。
「あの……?」
「……どうせ薬が効いてくるまでは、まともに逃げられんだろう? 幸い、ベッドならいくらでもある。大人しく寝ていればいい」
「え? えっ?」
さすがに気が利きすぎて気持ち悪く思えてきたが、無理やりに解釈すれば、儀式の邪魔にならない場所で大人しくしていろという意味にとれなくもない。
腕を握ったまま病室の方へスタスタと進んでいくドクターに、名前はふらつく足がもつれそうになる。前を行く大きな背中に咄嗟に「待って!」と伝えると、いきなり足を止められたせいでぶつかってしまった。
「あ、あの……もう少しゆっくり……、」
歩く速度を緩めてさえくれれば、それでよかったのだ。
だが、最後まで言葉を言い終わるよりも前に身体がふわりと宙に浮く。あっ、と思う間もなく、気づけばドクターの腕の中にいた。しかもいつものように肩に担がれたのではない、横抱きだ。
これは夢だろうか。もしかして、机に突っ伏したまま本当に寝てしまったのか。あのドクターが優しいだなんて、可能性はそれくらいしか……と夢オチを疑ってしまうけれど、今名前の身体を包み込んでいる温もりは間違いなく現実のものだった。
吊り橋効果なのか、それとも普段の姿とのギャップにでもやられてしまったのか、どくどくと存在を主張し始める胸元が煩わしい。単純すぎる脳みそに呆れるけれど、不思議なことにこういった感情は否定すればするほどしつこく湧き上がってきてしまう。
そんな名前の葛藤など知る由もないドクターは、何も言わずにそのまま目的地まで彼女を運び、隅にあるベッドの上に降ろした。
寝そべりなりながら彼を見上げるという構図が何となく小っ恥ずかしくて、頭ごと反対側に向けて視線をそらす。
とりあえず、ドクターが部屋を出て視界からいなくなるまではこうしていよう。そうすればきっと、暴れ出した心臓も落ち着いてくれるはず。
「……?」
ところが、いつまでも足音が遠ざかる気配はなく、聞こえてきたのは何かを探すようなガサガサという音。視線を戻せば、カルテのようなものを手に持ってベッドの脇に立つドクターの姿があった。
「あの……そのカルテは?」
「君には聞きたいことが山ほどあるんでな……それを記録するためのものだ」
「……儀式の続きはいいんですか?」
「既に君以外は全員捧げ終わっているが?」
ゾクリと全身の毛が逆立つ。
大人しく寝ていればいいといった彼の言葉が、最初の印象とは違う意味に思えてきた。こんな状況でゆっくり休めるはずがない。恐らく、聞きたいことというのもロクなことではないだろう。
「や、やっぱり休むのは拠点に帰ってからに……っ、きゃ!」
起き上がろうと浮かせた身体は、いとも簡単にベッドに縫い付けられてしまう。肩に置かれた手を避けようにも上手く力が入らない。本調子でない肉体のせいで抵抗できない名前を見下ろす彼の瞳は、獲物を見据える捕食者の様相だった。
「どうやら君は月経前症候群の症状があるらしいな。大変興味深い。だが、私の手元にはその手の患者の心理状況を記録したカルテが少なくてな……作成に協力する気はないか?」
「な、何を言って……、」
「ちなみに拒否権を認めるつもりはない」
「っ……」
ジワジワと後悔の念に苛まれるが、それと同時に、数分前までの自分への怒りと呆れも湧き上がってくる。
涙をためて力なく首を横に振れば、肩を押さえつける彼の手のひらに力が込められた。
「散々優しくしてやっただろう? 恩を仇で返すつもりか?」
ああ、そうだ、彼はこういう人だったじゃないか。どうしてもっと早くに気づけなかったのか。
ドクターの優しさは夢ではなく現実だった。だが、結局その現実は腹づもりを覆い隠すための虚構であり、ハリボテでしかなかったのだ。
簡単にはまりこんでしまった自分の浅はかさを憎むしかない。
目尻からこぼれ落ちた一筋の涙が、名前の諦めの心を表していた。
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