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窓から注ぐ日差しに目を細める。本来なら、私はこの日差しを直接浴びながら訓練に励んでいたはずなのに。なんて、心の中でぽつりと不満を漏らす。
数日前、私は立体機動の訓練中に着地した枝から足を滑らせ、地面に派手に落ちてしまった。足首に強い痛みが走って、顔を引き攣らせる。
他の訓練生たちが次々と集まってきて、「大丈夫か?」「怪我はないか?」などと声をかけてきたけれど、痛みで上手く口が回らず、答えることができなかった。
そのうち騒ぎに気づいた教官もやってきて、私の状態を確認するなりテキパキと訓練兵たちに指示を出し、気づけば私はライナーの腕の中。その場にいた訓練兵の中で一番力のありそうな彼に、医務室に連れていくように頼んだらしい。
ベッドに寝かされ、兵団専属の医者を呼ばれ、隣に座るライナーと一緒に聞かされた診断名は捻挫だった。
幸い折れてはいなかったので、治るのにひと月もかからないとのことだったけれど。ただでさえ訓練以外にやることが少ないこの施設で数週間も訓練ができないというのは、一言でいえば退屈だった。
「はぁ……まだ五日目かぁ」
「名前、入るよ」
独り言に重ねられた声の方をゆっくりと振り向くと、片手にノートを持ったベルトルトが、どこかよそよそしい雰囲気をまといながらこちらに歩いてきていた。
「今日はベルトルトの番なんだ」
「ごめん、不満だった?」
「ううん、全然。話し相手してくれるなら誰だって嬉しいよ、正直退屈だもん」
「話し相手っていうのは語弊があるけどね」
ベルトルトの番、というのも、今回の私の怪我をきっかけに訓練兵たちにはある特殊なノルマが課せられたのだ。
兵士たるもの、仲間が怪我を負った際には自分たちだけで最低限の介抱ができなくてはならない。いつでも医者や衛生兵が側にいるとは限らないからだ。手当をすればまだ動けそうな兵士には、手の空いてる者が介抱してやり、一人でも多くの戦力を保持する必要がある。
……というのが、彼らが教官から言いつけられた言葉そのままだ。
つまり、私の怪我が治るまで104期生の面々が日替わりで身の回りの世話や手当を行い、医療の知識や効率のいい介抱の仕方を学ぶように、とのこと。
戦場では男も女も区別がないので、このノルマには男子諸君もきっちり参加するようにと言われたらしく、それで今日は「ベルトルトの番」なのだ。
「そのノートは?」
「ああ、今日の屋外訓練のコツをメモしたものだよ。さっきアルミンからもらったんだ。僕と名前にって」
「そっか……アルミンに会ったらお礼言っとかないとね」
私と私の介抱を担当する兵士は、その日の訓練は出なくていいと教官からの許可が出ている。だが、私たちが訓練に参加できるようになるまで待ってくれるわけではない。訓練自体はいつも通り行われている。
スキル獲得に遅れをとってしまうことを心配したアルミンが、気をつかってこのノートを用意してくれたのだろう。ありがたい。
会話を交わしながらベルトルトは私の半身を起き上がらせ、自身も丸椅子に腰掛けた。ベッドよりも少し低い椅子に腰掛けて、ようやく目線の高さが合う。改めて彼の長身ぶりを再認識させられる。
「えっと……痛みはない?」
「うん。今は大丈夫だよ」
「よく眠れてる?」
「まあまあ……かな。でも最近は座学にしか参加してないから、前よりは眠りが浅いかも」
「そっか……」
俯きながら考え込む素振りを見せるベルトルト。訓練なしでどうすれば深い眠りを得られるか、真剣に考えてくれているのだろうか。
そうやって与えられた任務に対して愚直なところは、いかにもベルトルトという感じがする。彼は誰かの指示に従うことに関してだけはブレがない。厳しい言い方をすれば、自分自身の意思が弱い、といったところか。
「ベルトルト、衛生兵みたい」
「えっ、そうかな?」
「うん。でも何ていうか、新人さんって感じだね。ひたすら上官の指示通りに動いてるところとか」
「ご、ごめん……」
私はほんの冗談で言ったつもりだ。それなのに、「僕って頼りないかな?」なんて本気で申し訳なさそうにするものだから、思わず笑ってしまった後で「そんなことないよ」と言葉を加えた。
意思がない、というよりは、他人の言葉に対して素直すぎるのかもしれない。そしてそんな彼のことを、私は意外と嫌いじゃなかった。
「ねぇ、汗拭いてもらってもいいかな?」
「! ……うん、」
簡易衣類の合わせを少し広げながらお願いする。素直に水と布巾を取りに行ったベルトルトだったが、その頬が茹でダコのように真っ赤に染まっているのが肩越しに見えてしまう。
今さらながら教官も鬼だなぁ、と思う。
私は介抱してくれる人間が異性であろうと、これは医療行為なのだからと割り切ってしまえる。他の男子たちも軒並みそんな感じだった。
だが、多種多様な人間が大勢集まる場所には、必ずベルトルトのような子もいるわけで。彼のような大人しくて控えめな雰囲気の子にとっては、この手の任務はある意味巨人との戦闘よりも酷だろう。
桶と布巾を手に戻ってきたベルトルトが、蚊の鳴くような声で「脱いでくれる?」と言うものだから、何だかこちらが悪いことでもしているような気分になってくる。
拭き始めてからも「あまり見ないようにするから」だとか、「ごめん、ごめんね」と何度も口にしては、しきりに私の表情を伺ってくる。
そんな彼を気の毒だと思う気持ちは変わらない。ただ、私の中には言葉では上手く言い表せない別の感情も芽生え始めていた。
当たり前のように機械的に拭いてくれていた他の兵士たちにはなかった、私の感情や肉体的な尊厳を守りたいという心づかい。ベルトルトからはそれを感じられる。
結局、他のどの兵士よりもベルトルトは私のことを見てくれていた。そのことが、ふわふわと温かい感情に結びついた。
「えっと……胸元は、その……」
「構わず拭いていいよ。私、気にしないから」
「う、うん……分かった……」
誰が見張っているわけでもないのだから、そこは自分でやるよと言ってあげればいいものを。何だかんだで、自分も教官に負けないくらい冷徹な人間だなと思う。
でも、だからといって甘やかすことは彼のためにならない。こういうのは慣れなのだから、今厳しくしておけば後々楽になるはず。
……なんて。本当にそれが私の本心なのだろうか。
浮かび上がった心の本音に蓋をして、私は瞳を潤ませるベルトルトを横目に見た。
「……全部拭き終わったよ」
「ありがとう、助かった」
桶の中にタオルを浸す彼の表情は、事を乗り切れて安堵したせいか拭いている最中よりも穏やかだ。
ちゃぷちゃぷと耳に心地いい水音を聞きながら、私は私で簡易衣類に腕を通す。右腕を通し終わり、さて左腕もと視線をずらしたその時、床の上に落ちているゴムの髪留めが視界を掠めた。私が普段使っているものだ。
たぶん、簡易衣類のポケットに入れていたものが脱いだ拍子に落ちてしまったんだろう。
ベッドに寝てると髪を結べないんだよね、なんてぼんやり考えながら、何の気なしに髪留めへと手を伸ばす。
自分が今自由に身体を動かせない状態だったことを思い出したのは、ずらした足に痛みが走った直後だった。
「痛っ、」
踏ん張るつもりだった足が宙に浮く。よろけた身体が床に向かって倒れていく。反射的に目をつむる直前、ベルトルトの焦った顔が見えた気がした。
覚悟を決めたが、痛みは一向に来ない。
代わりに温かい感触が身体中を包んでいる。目を開けると、兵団支給のジャケットがものすごく近くにあった。
「大丈夫?」という声につられて視線を上げると、額に冷や汗を浮かべ至近距離で私を見下ろすベルトルトがいた。
「ベル、トルト……」
声が震える。自分で思っていたよりも、私は恐怖を感じていたらしい。心臓が身体から飛び出してくるんじゃないかというほどに早鐘を打っている。
無意識のうちに彼のシャツを握りしめてしまっていたけれど、特に咎められる様子はなかった。彼の厚意に甘え、そのままの状態で深い呼吸を繰り返した。
ようやく気持ちが落ち着いてきたところで、ふと、胸元に違和感を覚える。ベルトルトに抱きしめられている身体は全部が温もりに満ちているのだけど、胸のあたりだけ妙に生暖かい。
視線を下げる。そこで私は、事故の衝撃によって気づかずにいた事態に気づいてしまう。
まだ軽く腕を通しただけだった簡易衣類のはだけた合わせの部分から、ベルトルトの左腕が伸びている。その先の手のひらは合わせの中、つまり素肌をがっつり触れているわけで。
しかも、その場所は……
「…………」
「……? あっ、!? ごっ、ごごご、ごめんっ!」
私の視線を追ったベルトルトが、これまでとは比べ物にならない焦り方で飛び退いた。彼は彼で、気が動転していたのか自分の失態に気づいていなかったらしい。
自由になった両腕で咄嗟に布団を手繰り寄せて抱きしめたけど、胸の中のザワザワした感覚はすぐには消えてくれなかった。
「ほ、ほんと、ごめん……」
「ん、うん……大丈夫……」
このあと確実に気まずい空気が流れるに違いない。かといって、急に不自然に饒舌になるのも場の雰囲気を変えようと必死なのが丸わかりで恥ずかしい。
ベルトルトの表情をちらりと伺う。さっきのことがよほど応えたのか、今にも泣き出しそうな顔で俯いている。
どうしよう……
この重たい空気に耐えられそうになくてどんよりと気持ちが沈み始めた時、廊下の方から数人の話し声と足音が聞こえてきた。聞き覚えのある声が、徐々にこちらに近いづいてくる。
その音はほどなくして、医務室の扉を叩く音に変わった。
「よう、元気か名前?」
「あっ、ライナーにマルコ……それに、ジャン」
「おいおい、俺だけおまけ扱いかよ?」
「まあまあ……」
ゾロゾロと足を踏み入れてきたのは同期の男子三人だった。
何だか珍しい組み合わせな気もするけど、この際そんなことはどうでもいい。とにかくベルトルトと二人きりの気まずい沈黙が打ち破られて、本当に助かった。
私がわざわざ問うまでもなく、ライナーはここに来る直前のことを説明してくれた。
彼がベルトルトを昼食に呼びに行こうとしたところ、その途中の廊下でジャンとマルコとばったり出会い、ついでだから三人で私の容態を見に行こうという話になったのだとか。
特に変わりのない私の様子を確認できて、ライナーとマルコは安心したように微笑んでいる。ツンケンした態度のジャンも、顔にこそ出さないものの心配してくれているのは伝わってきた。
「まあそういうわけだから、一旦戻るぞベルトルト」
「う、うん」
「あ……またね?」
ほんの一瞬こちらに目配せしたベルトルトが、ライナーの後ろについていく。それに続くように、ジャンとマルコもひらひらと手を振りながら背を向けた。
あれほど気まずかったはずなのに、誰もいなくなってしまうとなると少し寂しい気もするな……その気持ちは口には出さず、心の中で呟いた。
彼らが医務室の扉を開けた時、ベッドサイドに置かれた一冊のノートが不意に目についた。さっきベルトルトが持ってきてくれた、アルミンが余分に書き写してくれたという座学のノート。
これから食堂に行くということは、アルミンにも顔を合わせることになるんじゃないか。そう思った私は、咄嗟にノートの方に手を伸ばす。
「あ、ベルトルト! これのお礼、アルミンに言っとくの忘れないでね」
ベッドの端に手をついて、もう片方の手でノートを持ち上げながら慌ててベルトルトに念を押した。
医務室を出ようとしていた四人が一斉に振り返る。
「……?」
振り返ったベルトルトたちの表情が、何かおかしい。珍しいものでも見たような……いや、というよりは、見てはいけない何かを見てしまった顔、だろうか。ベルトルトにいたっては、青ざめてるようにすら見える。
いったいどうしたんだろう。そう思いながらノートを持つ手を下ろした時、胸のあたりの素肌に風が当たるのが感じられて、ハッと視線を下に向けた。
「やっ……!」
肌が丸出しだったそこに慌ててノートを押し付ける。ひんやりとした感触が伝う。思わぬ訪問客があったことですっかり忘れていたが、今の私は簡易衣類に袖を通しただけの状態だったのだ。
「じゃ、じゃあね、名前……!」と、気をつかってくれたマルコの早口の言葉を最後に、医務室の扉は閉じられた。とはいえ、失態の記憶は双方の頭の中に残ったまま。私は熱くなった顔を枕に押し付けた。
「お前、病人相手に何やってんだ……」だの「いくら二人きりだったからって、さすがに……」だのと、盛大な勘違いからベルトルトを責める声が、扉の向こうから微かに聞こえてくる。その直後には、「そ、そんな! 違う、誤解だよ! 僕はただ……!」と慌てるベルトルトの声も。
不慮の事故とはいえ、一度に四人もの異性にプライベートゾーンをおっぴろげてしまった私には、もはや彼を弁解してあげる気力は残っていない。
同期からのあらぬ疑いのショックにより任務続行不可能となってしまったベルトルトは、忘れようとしても何度も蘇る名前の胸の形や感触に、その後一週間は頭を悩ませることになったのだとか。
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