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人は手の届かないものほど欲しくなってしまうものだとよく言われるけれど、それは私には当てはまらない感覚だと思っていた。そう思い込んでしまったのは、一般的にみんなが欲するようなものを欲しいと感じたことがあまりなかったからなのかもしれない。どうしてみんなあれが欲しいのだろう? どうしてこれをしたいと思うのだろう? そう思う場面が多かったせいで、相対的に自分が無欲であるかのように錯覚していた。
そう、それは単なる錯覚に過ぎなかった。ユカワさんと出会い、共に暮らす時間が少しずつ増えていくたびに、私は自分の欲を自覚せざるを得なくなっていった。
彼に名前を聞いたあの日から、私は満足するどころか彼のことをもっと知りたいと思うようになっていた。偽名を教えられたことで躍起になってしまっているというのもあると思う。
ひとは手の届かないものほど、輝いて見えるものだから。
「あれ……?」
掃除が一段落ついて、スマホで何気なくSNSをスクロールしていた時だった。暇つぶしにこの街のハッシュタグを眺めていたら、不意に目についた写真の中に見覚えのある後ろ姿があることに気がついた。水晶のようなものがついたステッキを掲げ黄色のスーツを身にまとったブロンドの男性は、どこからどう見てもユカワさんだ。
その写真に添えられた文章は、「また出たよこの吸血鬼 笑」という一言のみ。この投稿者さんはユカワさんと知り合いというわけではなく、道端でたまたまユカワさんを見かけただけの人らしい。ただ、ユカワさんのことを何度か街中で見かけたことがあるような書き方で、そこが気になった。
「ユカワさん、いつも街で何をしてるんだろう……」
私が知らないのは彼の本名だけではない。屋敷以外の場所で何をしているのかすらも知らないし、交友関係のことや家族のこと、過去のことだって何も知らない。
ふと思い立ってSNSの検索バーにユカワと入れてみる。案の定、出てくるのは同姓の著名人に関する投稿や企業名ばかりだった。ユーザーを検索してみても、もちろん無関係なアカウントばかり。偽名なんだから当たり前なのに、少しだけガッカリしている自分がいた。
溜息をひとつ吐いて、またさっきの投稿に戻る。何度見ても、少しだけブレているその写真からはユカワさんらしき吸血鬼が写っていることしか分からない。何をしているのかも、何のためにここにいるのかも、静止画だけでは予測すらつかなかった。
「おや、私が写っているね」
「ひきゃあっ!?」
唐突に、本当に唐突に、肩越しにダンディな声が聞こえてきて思わず変な叫び声を上げながらスマホを放り投げてしまった。「おっと」なんて言って優雅な所作で宙を舞うそれを捕まえたユカワさんは、手の中のものを私に差し出してくすくす笑う。
「いやあ、盗撮でこの私を写せるとは、最近のスマートフォンは相当にいいカメラが搭載されているね……まあ、少しボヤけてはいるが」
「わ、私が撮ったみたいに言わないでください、SNSで見かけたんです、この写真……」
言いながらもう一度写真を確認した。手ブレだと思っていたのはどうやら気のせいで、よく見ると背景はくっきり写っているのに彼の身体だけが薄ぼんやりとしていて、向こう側が少し透けている。吸血鬼はいいカメラを使わないと写真に写らない性質だとどこかで聞いたような気がするけど、あれは本当だったんだ。
「そういえば、まだ昼過ぎですよ。いくら何でも早起きすぎませんか?」
「うーん、いやね、昨日はしゃいでしまった興奮からかよく眠れなくてねぇ。さっきの写真も昨日撮られたものだよ」
「そうなんですか……」
この流れ、いつもよりも踏み込んだことが聞けるんじゃないだろうか。無駄だと囁く心の声を押し潰すように、また私の中の欲望がむくむくと膨れていく。
「あの、ここで何をしていたんですか?」
「気になるかい? 君は知らない方がいいと思うがね」
「それでも知りたい……って言ったら、どう、しますか……」
「知りたい、と言い切るわりに随分と自信なさげな声色だね……そもそもどうしてそんなに私のことを知りたがるのかな? ……偽名を教えられたのがそんなに不満だったのかね?」
「え……」
言葉が喉につっかえて出てこなくなる。私の反応を見てほくそ笑む彼は、やっぱり私ごときが考えることなんてお見通しで、それを分かった上で秘密主義を貫いているのかもしれない。たった一言に込められた意図があまりにも重すぎて、圧倒されてしまった。
俯く私にユカワさんが一歩近づいてきて、反射的に後ずさる。また一歩近づいてきて、下がって、近づいてきて……トン、と壁に背中がくっついたことで逃げ道を絶たれた。
無骨な指が、私の横髪を持ち上げる。初めてここに連れて来られたあの日――彼が私の血を吸おうとしていると勘違いした、玄関でのあの光景がフラッシュバックする。
「……どうせまた未遂で終わるだろうと、そう思っているね?」
「っ……」
「それはどうかな……あの日はまだ出会ったばかりで、君は怯えているようにも見えた。そんな状態の君を尊重して、吸わないであげただけかもしれないよ?」
くるくると横髪を遊んでいた指先が、首筋に張り付き、下っていく。咄嗟に出そうになった声を噛み殺すように唇を強く噛んだ。
「我々からすれば吸血は単なる食事だが、吸われる側にとっては仕置きとしても機能し得るんじゃないかな……どうだい? 私の素性に探りを入れようとする君への仕置きとして、ひと噛みするというのは……」
わざとらしく吐き出された息にうなじを撫でられて、ひゅ、と喉が引きつって。その瞬間、ぐずぐずに崩れかけていた私の心はついに限界を突破した。
「私はっ……、!?」
ユカワさんを押しのけて二人の間に距離ができたのと、おかしな光線のようなものが私の身体に注がれたのはほとんど同時だった。反射的に目を閉じる直前、彼の手の中に写真で見たあのステッキが見えた気がした。
「私は……何だい? 続きがあるだろう?」
「わ、私はっ……! ミステリアスな紳士の身も心も暴き、た……い……!?」
訳が分からなかった。いったい何が起こったのか。思いもよらない言葉が自分の口から飛び出して、これ以上喋ってしまわないように両手でパッと唇を塞いだ。違う、私はただ、共に生活する者として最低限あなたのことを知りたいだけだと、そう伝えるつもりだったのに。
「おやおや?」と囃し立てるようなユカワさんの様子に、首から上がかぁっと熱くなっていく。
「前から君は少し大胆なところがあるなとは思っていたが、まさかこんなにも素直な欲求をぶちまけてくるようになるとはねぇ」
呆れたような、それでいて楽しくて仕方ないというような彼の言葉を受け入れたくなくて、ふるふると懸命に頭を振って否定する。何か言い返さなきゃと恐る恐る口を開くも、「歳上に意地悪されるのも悪くな……」と、そこまで口走ったところでまた慌てて蓋をした。ダメだ、どう足掻いても普通に話すことができない。
どうして。こんなの私の意思ではない。頭に浮かんだのは別の言葉なはず。それなのに、声に出してみたら、こんな……
「知りたがりの君は、どうしてこんなことになっているのかとても気になるだろう? おじさんが教えてあげようか……」
至近距離で鼓膜を揺らされ、肩が跳ねる。声を出せないのをいいことに畳み掛けてくるものだから、もどかしさから涙が滲んだ。
彼に泣き顔なんて見られたくないし、これ以上の醜態にも耐えられない。私は弾かれたように部屋を飛び出した。
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