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最近、恋人の様子がおかしい。おかしいと言っても、浮気されてるかもとか嫌われたかもとか、そういうことじゃない。
むしろそういった心配とは真逆で、最近やたらと世話を焼こうとしてくるというか。よく言えば尽くしてくれてる、悪く言えば過干渉といった感じだった。
最初の異変は、一緒にデートをしようと誘ってきた時のこと。
いつもなら部屋の中で二人でのんびりと過ごすというのが、私たちのデートの鉄板だった。殺人鬼を生存者側の居住地に連れて行くのは気が進まないから、いつも私がこっそりスージーの部屋に遊びに行って、照れる彼女がおずおずと迎え入れてくれて、周りにバレないよう声を抑えて二人で語り合う。
それが、どういうわけかいきなり外でお散歩デートをしようと誘ってきたから驚いた。あの内気な彼女が、誰に見られるか分からない屋外に、しかも彼女の方から積極的に誘ってくれるなんて。
熱でもあるんじゃないかとちょっと心配になったけど、スージーは具合が悪そうな様子もなく元気だった。
その日から徐々に徐々に、スージーの様子が変わり始めた。
お散歩デート中に綺麗な花畑を見つけて、そこで花冠を作ってくれたことなんかはただただ嬉しかった。でも、次のデートでは今後のデートプランを全部考えてあげると言われ、そのまた次のデートでは今度から毎回食事を作ってあげると言われ……
もっと些細なところでは、そこに段差があるから気をつけてだの、ボタンが取れかけてるから縫ってあげるだの、とにかく彼女はあらゆるケア役割を自分から引き受けるようになっていった。
珍しく積極的な彼女に嬉しく思う気持ちなどすぐにどこかへ散ってしまい、心配の気持ちだけが胸を渦巻いていた。
だって、これじゃあ対等な恋人どうしというより……
「主人と召使い……」
「ん? 何か言った?」
パーカーのファスナーを上げる手を止めて、私のボソボソ声に振り向くスージー。中途半端に開いた胸元に吸い込まれかけた視線を慌てて逸らし、枕を手繰り寄せて顔を埋める。
早くいつもの不気味な仮面をつけてほしい。素顔を見ていると、どうしても行為中のことを生々しく思い出してしまうから。
今日の彼女は身の回りの世話に飽き足らず、ついにベッドの上での主導権まで握ってしまった。
今まではどちらかというと私の方から誘うことが多かったように思う。行為中は二人で向かい合って同時に刺激し合うか、お互いに立場を交代しながら進めるようにしていた。
まさかスージーに上に乗られて、快楽の海に一方的に沈められる日が来るなんて思ってもみなかった。
覆い被さる彼女がゆっくりと仮面を外し、唇を寄せてきたあの瞬間、頭が真っ白になって、でも目はしっかりと彼女の姿を捉えて記憶していて。
……ああ、思い出したらまた身体が熱くなってきた。
「ほら名前、こっちに来て?」
「……今は、ダメ」
「なんで? まだ恥ずかしいの?」
「…………」
今までずっと受け身寄りだった恋人がこんなふうにグイグイ来るようになったら、恥じらいを覚えるのも無理はないでしょ。
もごもごと口ごもった私の腕が引かれ、「よしよし」なんて撫で回される。これじゃあせっかく組み立てた思考も崩れてしまう。
このままじゃいけない気がする。ただ積極的なだけならまだしも度が過ぎているし、どう考えたって今の関係性はおかしい。
頭では分かっている。どうしてスージーがこうなったのか、彼女に直接聞かなきゃいけない。
決心して開いた唇は、彼女の熱い指先に撫でられ、情けなく溶けていく。
考えるのは今度でいいや。結局今日も思考の渦に蓋をして、彼女の柔らかい胸にぎゅっと抱きついた。
*
殺人鬼と付き合った時に一番困るのは、今回のように問題が起きた時に誰にも相談できないこと。今まで殺人鬼と恋人になったことなんてなかったから、こんな悩みを持つなんて予想もしていなかった。
生存者の仲間たちには恋人ができた事実すらも明かせていない。この世界では、というか、殺人鬼が恋人である限り、仲間たちに恋愛相談をするのは到底無理だった。
でも、一人で考えていても解決できる気がしない。となると、あとは殺人鬼陣営を頼るしかなくなる。
四人組の一人であるスージーのことで悩んでいるのだから、残りの三人に聞けばいいのかもしれない。けれど、三人がスージーと私の関係を知っているとは限らない。そこが問題だった。
スージーも私のことを秘密にしていた場合、もし私がノコノコとフランクたちのもとに出向き、彼女との関係のことを相談してしまったら。スージーを誑かしたとか何とか言って、最悪殺される可能性はないだろうか。
儀式中でなくても殺されたら蘇ることができるんだろうか、この世界では……
物陰から顔を出し、遠くにいる若者たちを見やる。殺人鬼陣営の縄張りで談笑する四人組の若者をコソコソと観察しながら、私の頭の中は大忙しだった。
出すぎた真似をしたら大変な事態になるかもと心配しつつも、自分一人で悩みを抱え続けることもできず、結局私は殺人鬼たちの居住区に足を運んでしまっていた。
約束もなく建物内に入るわけにもいかなくて外周をうろついていたところ、裏庭のあたりから笑い声が聞こえ、覗き込んでみたら運良くあの四人がいた。
最悪悩みが解決しなくたっていい。何か彼女について新たな発見が得られれば、それが解決の糸口になる可能性だってある。私は必死の思いで会話に耳を傾けた。
「…………」
息を殺して耳を澄ましても、残念ながら話の内容までは聞こえなかった。かれらの様子から伺えたのは、何やら楽しそうな話をしていることと、フランクが話の中心にいるらしいこと。そして、スージーは主体的な発言をあまりせず、他の三人に同調するような場面が多いこと。
付き合いたてのころは、私に気をつかって消極的に振舞っていたのかもしれないと考えたこともあった。昔のスージーは付き合い始めゆえに見せていた猫をかぶった姿で、今が素の状態なんじゃないかと。
でも、やっぱり彼女は元から控えめな性格なんだろう。気心知れた仲間たちとの様子がそのことを物語っている。
会話の内容が分かれば、もっと彼女のことが分かるかも。遠目に様子を眺めているだけでは物足りなさを感じた私は、もう少し近づけそうなポイントがないか辺りを見回した。
今度は彼らの真後ろから近づいてみようか。自分では極力静かに、抜き足差し足で方向転換したつもりだった。が、二歩目に踏み出した右脚の側面が、ほんのわずかに積まれていた鉢に触れてしまった。
「誰だ!」
普段から小さな物音で生存者を見つけ出す彼らの耳にその音が届かないはずもなく、背後から鋭い声が飛んできた。
一度も振り返らずに、私は走った。別に本気で彼らに殺されると思っているわけではない。ただ何となく、私がここにいたことがスージーにバレるのが嫌だった。みっともないし、よく考えたらストーカーじみているし。
去り際にスージーの「あっ……」という声が聞こえた気がしたけれど、気のせいだと思い込むことにした。
それから何度か儀式で彼らとマッチしたけれど、あの日スージーたちの様子を窺っていたことについて、スージーだけでなく他の三人からも特に問いただされることはなかった。
その後もスージーのグイグイくる態度は相変わらずだ。いや、変わらないというのは語弊があるかもしれない。今までと同じように、少しずつ少しずつエスカレートしていた。
いよいよ召使いとの違いが分からなくなってきたので、これ以上はさすがに健全な関係を保てないと思い、何とか元のスージーに戻ってもらう方法はないかと考えた。
起床してから眠りにつくその瞬間まで、延々とスージーのことを考え続けた。対等に仲良くしていたころよりも彼女のことを考える時間が長いなんて、皮肉だ。
明日は週に一度のデートの日。過保護が極まった彼女が、生存者側の小屋のそばまで迎えに来てくれることになっている。
明日こそは本音を話そう。彼女の善意をできるだけ傷つけないように、だけどその善意がプラスの側面だけではないこともちゃんと伝わるように、言葉を尽くそう。
ひっそりと胸に誓った決心は、思いのほか私の心を緊張させた。結局その夜はほとんど眠ることができなかった。
疲れの残ったガチガチの身体を何とか起こし、カーテンを開ける。薄汚れた窓ガラスの向こうに見えたピンク色の髪の毛が、脳を覆っていた薄モヤを吹き飛ばした。
陣地を仕切る柵の手前にスージーが立っている。慌てて壁掛け時計を振り返る。約束の時間まではまだ早い。
とりあえず彼女にもう少しだけ待ってもらおうと、ルームウェア姿のまま外に出た。
窓から見た時は慌てすぎて気づかなかったけど、彼女は両手に大量の袋を持っていた。そして、なぜかいつにも増して全身が汚れ、傷だらけになっている。中にはついさっき作られたかのような生々しい傷まであり、息を飲んだ。
「スージー……その傷、どうし――」
「おはよう、名前。ねぇ見て、エンティティのヤツに用意させたの、あなたの服!」
「え……?」
ドサッと地面に置かれた紙袋の中に見えるのは、色とりどりの可愛らしい衣服たち。その中の一つをパッと取り上げて、楽しそうに私の胸元に合わせるスージー。
何が何だか分からない。混乱で停止しそうな頭を必死で働かせて、もう一度同じ言葉を静かに繰り返した。
「スージー、その傷はどうしたの? なんで全身傷だらけなの?」
きょとんとした様子で動きを止めた彼女は、少しだけ黙ったあと、何でもないことのようにケラケラと笑い出す。
「名前に着せる服が欲しかったんだけど、この世界に店なんてないし、自作できる環境もないでしょ? だからエンティティにお願いしたの。まぁ、ちょっと強引に用意させたから、お仕置きでかなり痛めつけられたんだけど……」
「…………」
「でもほら、おかげでこんなに服が手に入ったよ! ねぇ、名前はどれがいい?」
ああ、もう無理だ、これ以上は。
エスカレートしつつあった彼女の行動は、ついに彼女自身の身体が傷つくことすらも厭わなくさせてしまった。
私がハッキリと断らなかったからだ。いつかこうなるかもって心のどこかで分かっていたはずなのに。こうなる前に、ちゃんと言うべきだったのに。
これは私のせいだ。ずっと後回しにしてきた私のせいなんだ。
「……? 名前、どうしたの……?」
「いらない……」
「へ?」
「この服、私、いらない……」
スージーにこんな冷たい態度をとるのは初めてかもしれない。
ボソボソと抑揚なくつぶやく私の言葉をようやく聞き取ることができたのか、彼女は途端に慌て出す。
「あっ、ご、ごめん……そうだよね、こういうのは名前の趣味じゃないよね……!」
「そうじゃなくて……」
「ダメだね、わたし……恋人なのに名前の好みを分かってないなんて」
「いや、だから……っ」
「そうだ、明日またエンティティに頼んで他のをもらって――」
「迷惑!」
恐怖と不安、自己嫌悪と、寝不足のイライラも重なって、思ったよりも大きい声が出た。いつもの私なら出さないような怒鳴り声に、スージーの言葉と動きがピタリと止まる。
また彼女の身体に傷が増えるのかと思うと怖かった。このままだと、彼女は私のために命を投げ捨てるようになるかもしれない。一緒にいるのが楽しくて大好きだから恋人でいるのに、恋人に尽くすために死んでしまうなんて、そんなのおかしすぎる。
「服が気に入らないんじゃない、迷惑なの! 今日だけじゃない、最近のスージーはずっと変だったよ! 私はあなたと対等でいたいのに、まるで召使いみたいに……! いったいどうしちゃったの!?」
「……ご、ごめん……名前……」
彼女も反省の色を見せているのだし、ここでやめておけばよかったものの。ずっと抑えていたものが噴出するのを簡単には止められなかった。
「今まではまだ過保護なだけだったかもしれないけど、怪我してまで私に尽くすなんてどうかしてるよ! こんなスージーなんか大嫌――……あ、」
勢いに任せて思ってもない言葉が出そうになり、慌ててブレーキをかけたけど、何を言わんとしていたかなんて明らかで。私がハッとして口もとを覆うのと同時に、スージーが走り出した。
その背中に「待って!」と呼びかけても応えてくれることはなく、彼女がエンティティから勝ち取ってくれた大量の衣服と共に私は置き去りにされてしまった。
今日は生存者側の居住区に来るからと、彼女は仮面をつけていた。
その薄くて固い隔たり奥で、いったいどんな顔をしていたんだろう。私の酷い言葉を聞いて、怒っていたのか、泣いていたのか。
何も読み取ることができなかったのが余計に苦しかった。
*
「……スージー?」
固く閉ざされた扉から返事は聞こえない。
走り去るスージーを咄嗟に追いかけたはいいけれど、彼女の部屋の扉は目の前で閉められてしまい、施錠する音まで聞こえてきた。
あのまま彼女を放っておいたら、関係が悪化することは確実だった。いや、下手したら自然消滅的に終わりを迎えてしまうかもしれない。それくらい殺人鬼と生存者の恋愛というのはデリケートで、危うく、脆い……それなのに、私は。
自分から突き放したくせに、彼女との別れを思うと涙が溢れてきた。
泣いてる場合じゃない、この状況を早く何とかしないと。目元に袖を押し当てて、錆びたドアノブに手を伸ばす。直後、廊下の曲がり角の向こうから玄関の扉を開く音が聞こえてきた。
こちらに近づいてくる足音が誰のものなのかは分からない。でも、この小屋に入ってきたということは殺人鬼であることは確実だ。鉢合わせしたくない。
「スージー、大嫌いなんて言ってごめん……お願い、開けて?」
焦りの滲んだ声で早口に呼びかけても、やっぱり返事はない。
「ねぇお願い、入れて……! スージー!」
「…………」
「誰かがこっちに来るの、足音が聞こえるよ……怖い……」
「…………」
「スージー! 見つかったら私、殺されるかも……っ、」
廊下の角から何者かの衣服の裾が見えた時、手元でカチッと金属の音がした。気づけば私は、愛しい恋人の部屋の中で温かくて柔らかいものに包まれていた。
鼻の奥をツンと刺激する、甘さの混じった血の匂い。大好きな彼女の匂いだ。
安心して力の抜けた私の首に、雫がひとつ落ちてくる。ひとつ、ふたつと次々に降ってきて、そのうちグズグズと鼻をすする声が聞こえてきた。
「わたし……名前が死んだら、イヤだ……」
その言葉は、声色は、変わってしまう前の気弱なスージーのものだった。従順で気の回る召使いではなく、対等でありのままの私の恋人。
スージーは昔の自分を捨ててしまったわけではなかったんだ。いろんな感情がない交ぜになって、引っ込んだはずの涙がまた溢れてきた。
大嫌いなんて嘘だ。大嘘だ。「ごめんね、ごめんね」と何度も囁いて愛しい顔を見る。まだ何も説明していないのに、その言葉だけですべてが分かったみたいにスージーは優しく微笑んでくれた。
彼女の目もとは真っ赤に腫れていた。さっき私が突き放した時、すでに仮面の向こう側で泣いていたんだろう。大好きな恋人を、私は初めて泣かせてしまった。
落ち着くまでひとしきり泣いて、鼻をすする回数もだいぶ減ったころ、私たちは少しだけ間をあけて軋むベッドに腰を下ろした。抱きしめていた身体の名残惜しさを埋めるように、お互いの手のひらを握りながら。
「あのね、わたし……いつものグループで他のメンバーの提案に乗ってばかりなんだ……あの時、名前も見てたよね?」
あの日見た四人の談笑する姿と、何かに気づいたようなスージーの声が脳裏に蘇る。
「……ごめん、やっぱりバレてたんだね、物陰から覗き見してたこと」
「名前ったら、背中を向けて真っ直ぐに逃げるんだもん。わたしが大好きな名前の姿を見落とすわけないでしょ」
「……怒らないの?」
「怒らないよ、名前が悪ふざけでそういうことする人じゃないのは分かってるから。心配してくれてたんだよね?」
なんだ、胸の内も含めて本当にすべてがバレていたんだ。照れ笑いを浮かべる私を、慈しむように見つめてくるスージー。
こちらが尋ねるよりも先に、彼女は私が聞きたかったことをぽつりぽつりと語り始めた。
「受動的だからって蔑ろにされてるわけじゃなかったし、仲間内では主導権がなくても別によかった。でも、恋人ができてから本当にそれでいいのかなって、なんか思うようになっちゃって……」
「そっか……」
「グループのみんなみたいに、積極的に何かを提案できるようになれればそれで満足だったんだけど……もっともっと名前の役に立ちたいって、どんどんエスカレートしちゃって……」
「…………」
「困らせちゃったよね、本当にごめんね」
ぎゅう、と繋がれた手に力が込められる。つられるように彼女を見たらまた泣きそうな顔をしていたから、大丈夫だよと宥めるように私も彼女の手を握り返した。
「私こそ、事情があったのにいきなり迷惑だなんて言ってごめん」
「ううん、悪いのはわたしだから……」
「私……今までに見たことないくらい傷ついたスージーを見て、すごく怖くなった……このままだと大好きな恋人が死ぬんじゃないかって思ったら、感情が爆発しちゃって……ちゃんと話し合わなきゃいけなかったのに、酷い言い方しちゃった」
突然、手の力がフッと緩められた。呆れられたのかと思い、慌てて彼女の方を見る。けれど、彼女の表情は呆れているというよりはただただ驚いているようだった。
「え……? わたしが余計なことばっかするから、ウンザリして怒ったんじゃないの?」
「確かに、最近のスージーの行動はいつか注意しなきゃとは思ってたよ。でもさっき私が怒ったのは、スージーが自分の身体を大切にしてくれなかったから」
「傷つくのなんて、この世界ではよくあることなのに……」
「私のためってなったら、スージーはいつもの比じゃないような傷にも耐えてしまうでしょ? そんなの嫌だし、私の方が耐えられない……だって、」
スージーのこと、心から愛しているから。
素直な言葉がぽつりと漏れた。
急にリアクションが返ってこなくなったのを不思議に思って隣を見ると、スージーが真っ赤な顔で目をパチパチさせていた。
直前の自分の言葉を反芻してみる。冷静に考えてみると、ものすごく大胆なことを言ったような気がしなくもない。
「愛してる」って言葉、今初めて彼女に言った。
「あー……」
「…………」
「と、とにかく……私は飾らないスージーが好きだから、昔のままで……いいよ……」
次第に自分の顔も熱くなっていくのを感じて、右へ左へ忙しなく視線を泳がせる。
緩く絡み合っていたスージーの手のひらがするりと離れていく。
「ねぇ、名前……」
「え、」
突然の問いかけに目線を戻すと、まるでその時を待っていたかのように私の両肩がぐっと押された。ぼふ、と背中が沈んだ布団から小さなホコリが舞い上がり、スージーの向こう側に見える白熱灯が振動で微かに揺れる。
音の消えた世界でしばらく見つめあったあと、私の顔にかかった髪の毛を彼女の指が丁寧に払った。プレゼントの綺麗な包装を剥がすみたいに、一束ずつ、丁寧に。
私が放った赤裸々な愛の言葉が、彼女の中のスイッチを押してしまったらしい。
「名前は……本当に、ぜんぶが元に戻ってもいいと思ってる?」
わたしは、嫌かも……なんて。上気したままの頬で潤んだ目をして、私の上に跨りながら囁くその言葉の意味など、尋ねるまでもない。
そうやって何度も上から眺めた、私の蕩けた顔と嬌声。今彼女の頭の中では、それらが鮮明に思い出されているのかもしれない。
私のその姿が演技ではなかったことも、何ならお互い普段よりも昂っていたことも、すべて分かっているからこそこんなふうに問いかけてくる。
「ねぇ、名前……」
「…………」
「答えてよ、教えてよ」
積極的な彼女とベッドの上で紡いだ記憶が輪郭を露わにする。ぜんぶを元通りに戻してしまえば、これらもすべて過去のものになってしまうということ。
それはちょっと惜しいかも……そう思ってしまう自分が憎かった。
最後の最後にこんなことを聞いてくるなんてズルい。ズルいよ、スージー。
「名前?」
「……、ない……」
「ん?」
「……こういうのは、嫌いじゃ……ない……かも……」
触れるギリギリまで近づけられた綺麗な耳に、今にも消えてしまいそうな返事を吹き込む。固い決意が呆気なく蕩けて揺らいだ私を、彼女はどう思っただろう。目を合わせることができない。
ああ、情けない。こんなはずじゃなかったのにな。
泣きそうな私の首筋にそっと押し当てられた唇は、火傷しそうなほど強い熱を帯びていた。たったそれだけのことで、私の心を覆っていた不安も恥も、一瞬のうちに散っていった。
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