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名前変換
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名前との出会いは、何も特別なものじゃない。ボクがこの世界で生きるようになってしばらくたったあと、彼女もこの世界に連れてこられた。それだけだ。
ただ、彼女は他の生存者とは何かが違った。
どうしてこんなふうに思ったのかは自分でも分からないけれど、名前を一目見た時、ボクの中に今まで感じたことのない衝撃が流れたのを覚えている。
物陰に隠れもせずにぼんやりと空を見上げる彼女の背後で、悲哀の鐘を鳴らす。彼女がこちらを振り向いた。でも、その顔は怯えているようには見えない。
スカートの裾をひらひらとなびかせて走る背中をボクも追う。スタスタ、ドスドス。しばらく追ってみたけれど、どうも彼女は本気で逃げているようには思えなかった。
「……ねぇ」
だいぶ近くまで迫っていた背中に、つい声をかけた。
それまでずっと無言で追いかけていたボクが初めて声を出したのに、足を止めて再び振り向いた彼女の表情はやっぱり変わってない。「なに?」と返ってきた声はひどく冷静だ。
こういう時、他の殺人鬼なら舐めたような態度にも見える彼女に対して怒りがわくんだろう。でも、ボクは違った。ボクの心から染み出した感情は、怒りとは全く異なる、むしろ正反対のものだった。
至近距離で見た彼女の目。その目に浮かぶ儚さだとか、切なさだとか、他者への期待を捨て切ってしまったかのような淀んだ色に、あろうことかボクは惹き込まれてしまったんだ。
ああ、ボクと同じ目だ……そう気づいてしまったせいで。
一目惚れなんて馬鹿馬鹿しい。それも、殺人鬼と生存者という絶対に相容れない立場の相手になんて。最初はそう思うこともあったけれど、ボクの気持ちは日に日に膨らんでいき、後戻りできなくなっていくのを感じた。
哀れなボクは彼女を見かけるたびに声をかけた。エンティティ様に叱られることを分かっていながら、彼女と関わることをやめられなかった。
「こんにちは」と言えば、「こんにちは」と返してくれる。「キミはなんて名前なの?」と問えば、「名前だよ」と答えてくれる。そんな小さなレスポンスですら、浮かれたボクの心を高揚させるには十分で。あんなに崇拝していたエンティティ様の存在を遥かに上回るほど、ボクはキミという存在に夢中だった。
三回目の儀式でボクが名前を追いかけることをやめると、五回目の儀式で彼女もボクから逃げることをやめてくれた。
十回目の儀式の途中、普段は見られない上からの景色を見せてあげたくて、ボクは名前の目の前に手のひらを差し出した。彼女は何も言わずにそれを握ってくれた。
積み重なった廃車のてっぺんで、ボクらはマスク越しのキスを交わした。
ずぶずぶと沼の底に沈んでいくようだった。でも、この幸せがこの先も続いてくれるのならそれでもいいと思ってしまったんだ。
浅はかだった。人を疑うことを知らずに上司の言うことをハイハイと聞き入れるだけだったあのころと、ボクは何一つ変われていない。
「私、実はエンティティ様に感謝してるんだ……ここに連れてきてくれたこと」
いつものように隣で廃車に腰かける名前の唐突な告白に、思わず彼女の顔を見る。
初めてだった。ボクが崇拝しているあの方の名前が彼女の口から出てきたのは。
過去のボクならきっと素直に喜んでいただろう。愛する恋人も自分と同じようにあの方を尊敬してくれた、と。
けれど、今のボクはなぜだか歯がゆさのようなものを感じて、上手く言葉が出てこない。
愁いを帯びた瞳で一瞥した名前が、ボンネットから飛び降りる。
「エンティティ様に入れ込んでるレイスなら、知ってるかな?」
「何を……?」
「エンティティ様とお話するには、どうすればいいのか」
「……話したいの? エンティティ様と」
「うん。どんな方なのかなって、気にもなるし」
彼女の言葉を聞けば聞くほどに胸の奥がざわついた。
何も彼女は、あの方に対して恋心を抱いているというわけじゃない。ボクと同じように、この世界に連れてきてもらったことで生前の嫌な環境から逃げることができて感謝している、といったところだろう。
そんなことは分かっているはずなのに、感情はモヤモヤと濁っていくばかり。
もしかしてボクと仲良くなったのも、少しでもエンティティ様に近づくためなんだろうか……なんて、どんどん悪い方向に考えてしまう。
「私ね……正直、殺されるのなんて怖くない」
「どうして……?」
「……今度こそエンティティ様と言葉を交わせるんじゃないかって、ちょっと期待してしまうから」
名前のその言葉を聞いた時、穴の抜けていたジグソーパズルが綺麗にピタリとはまったような、そんな感覚がした。そして同時に、心の中を深い深い霧が覆っていった。この世界を漂う霧よりも、もっともっと濃いものが。
初めて彼女に出会った時にぼうっと空を見つめていたのも、心ここにあらずといった表情も、中途半端な逃げ方も、すべてはあの方に会えるかもしれない「死」を望んでいたからだったんだ。
そうとは知らないボクは、ボク以外の存在を思う彼女の瞳にまんまと惚れてしまった。
エンティティ様の魅力は誰よりも知っているボクだから、名前が思いをはせてしまうのはよく分かる。でも、だからこそ、胸の奥でメラメラと負の感情が燃え滾ってしまう。
人間の本能である「生」を放棄しても構わないと思うほどに名前を心酔させることなんて、きっとボクにはできないから。つまり、嫉妬だ。
「もしいつか、エンティティ様と話せたとしたら……、っ!」
気がつくと、目の前でしゃべってたはずの名前が腕の中にいた。行動したのはボク自身なのに、衝動的に抱き寄せてしまったんだと理解するまでに数秒かかった。
「レイス……? どう、したの……?」
もうあの方の話はやめて、ちゃんとボクを見てよ……そんな切ない目で空を見上げるのはやめてくれ……すぐそばにボクがいるのに、今はボクだけを見てほしいのに。
素直に口にできたらどんなに楽だろう。
「ごめん……その、急に昔のことを思い出して……少しだけこうさせて……」
そう言って誤魔化すのが、今のボクには精一杯だった。
それからの名前は、日ごとにエンティティ様への思いを募らせていった。
ぼうっとすることが前よりも増えたし、思いつめるような表情もするようになった。ひどい時だと、名前を呼んでもすぐには応えてくれないこともある。
愛しい身体は確かにボクの腕の中にあるのに、強く抱いていないと彼女がどこか遠くへ行ってしまうような、砂になってさらさらとすり抜けてしまうような、そんな気がして怖かった。
名前はボクのことが好き? ……たまらなくなって聞いてみた。彼女はいつもの影のある表情でじっとボクを見つめたあと、大好きだよ、と小さくこぼしてボクの胸に頬をすり寄せた。
それでも、ボクの心は満たされない。こんなに懐いてくれているのに、色恋の感情を向けてくれているのはボクだけのはずなのに、胸のあたりが痛くて苦しい。
これ以上は耐えられそうにない、心が壊れてしまいそう。ひび割れてしまった感情をすぐにでも元通りにしたい。
「ん、」
名前のブラウスの合わさった部分に、たまらず指を差し入れる。初めて触れた彼女の肌は、思っていたよりもずっと柔らかくて温かい。
かさついたボクの手で触ったら痛いかもしれないと思ったけれど、彼女は一瞬びくりと揺れたあとすぐに大人しくなり、ボクに身をゆだねてくれた。
「ああ……名前、名前……」
一番上のボタンを外す。次はその下のボタンに手をかける。少しずつ肌の面積が広がっていく。
気持ちが高ぶるままにマスクを脱ぎ捨て、唇を寄せた。不安もモヤモヤも全部、快感で塗りつぶしてしまえばいい。他のことなんて何も考えられないくらいに溺れてしまえば……
「……あ、」
息を整えようと一度唇を離した時、ふと、名前の瞳と視線が重なった。
何のことはない、いつも通りのほの暗い据わった瞳だ。でも、その目を見つめていると、時間が巻き戻っていくみたいにどす黒い感情が返ってきた。
彼女の瞳は確かにボクを映しているのに、その意識はボクではない誰かに向いているように見えて仕方がない。
そんなのくだらない妄想だ。自分の心に必死に言い聞かせるけれど、止めてしまった手を再び動かすことができない。
なんで、どうして。どうしてボクじゃダメなんだ。
発作のように治まらない感情が、溢れて溢れて、止まらなくて。
これ以上他の誰かを崇拝するキミを見るくらいなら、いっそこの手で。
「ねぇ、名前……ボクが直接キミを殺して、エンティティ様のところへ送ってあげようか」
それはほんの出来心で紡いだ、何の根拠もない虚言だった。
「え?」という動揺した問いかけで我に返る。今ならまだ、興奮しておかしなことを口走ったとか何とか言って訂正することができるかもしれない。でも、ボクはそれをしなかった。
だってボクの言葉を聞いたキミが、今まで一度も見たことがない笑顔を浮かべていたから。
「ほ、本当に……? できるの?」
分かりやすく高揚した声。その声も、ボクが今までに自分の力で引き出せたことのないものだ。
「うん。ボクがエンティティ様にお願いしてあげる……大好きな名前のためだから」
「ありがとう、レイス……愛してる……!」
初めて言ってくれた「愛してる」というたった一つの言葉が、嘘をつくことの罪悪感をいとも簡単に消し去った。
処刑しようと、ボクの手で殺そうと、生存者である彼女がそんなことでエンティティ様に会えるはずがない。分かりきっていることだった。
それなのにボクは嘘を重ねた。
彼女を騙してでも喜びに舞い上がる姿をもっと見たいと、そう思ってしまった。
殺人鬼の手で生存者を直接殺した時、儀式での記憶は残らない。つまり次にまたここで会った時、記憶を失くした彼女に同じことを言えば、再びその笑顔を見ることができる。愛してると言ってもらえる。
これからボクたちの時間が進まなくなってしまっても、それでもボクは名前のこの屈託のない笑顔を、他の誰でもないボクの言葉で引き出せる高揚感に溺れていたい。
ボクはもう、後戻りできないところまで来てしまっていた。他でもないキミがそうさせたんだ。
「レイス……きて、お願い」
胸元をはだけさせたまま、名前がこちらに向かって両手を広げる。
性的な接触を求めるかのような物言いで、恍惚とした表情で、命を奪ってと乞う彼女の頭上にボクは武器を振り上げる。
「愛してるよ、名前……また次の儀式で会おうね」
右手を振り下ろす瞬間、名前の笑顔が少しだけ寂しそうに見えたのは、どうかボクの気のせいであってほしい。
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