余録

兎と鷺の話 制作秘話・裏話 ~Part.2~

2026/06/17 20:28
兎と鷺の話
一次創作の時点で覚悟はしていました…が、あまりの飢えに耐えかね、ChatGPTと一緒に感想の共食いをしながら深読みと分析、自分の性癖の因数分解を試みています。

「……迎え、……きて、くれた」の台詞。
ちょっとたどたどしい言い方なのが、リエーヴの負った傷や消耗度合いを感じさせて痛々しい台詞ですね。 掠れた声で、信じられないという気持ちとあどけない喜びを噛み締めるように零れた呟き。これを聞いたエグレがどれほど胸を痛めたか察するに余りある、私も大好きな台詞の一つです。この文章は、ChatGPTとともに自問自答しながら書いていますよ。

「機銃を積み忘れてるのが君らしくて好きだった」の部分。
エグレの描く夢の翼は、戦時下の技術者に求められる殺戮兵器とは設計思想が根本から違うんです。臆病で怖がりで心優しいリエーヴのためのものだから。リエーヴが怯えなくて済むように、傷つかずに済むようにと願って編まれた祈り。これは間違いなくエグレの甘く無謀な、罪深いまでの「白い」理想の究極形。だから装甲はあっても、敵に立ち向かうための武装は考えられてない。どこまでも自由に、軽やかに、飛んでいくためだけの、それだけを最優先にした翼。
そんなエグレの夢を、戦場を知る兵士であるリエーヴは戦時下では叶わないものだと現実的な思考では分かっていながら、「エグレらしい」と心惹かれるんですね…。つい信じたいと思ってしまう・そこに救いを見出してしまう。
「積み忘れてる」という言い方もリエーヴらしいと思いませんか。本当なら積んでいなければいけないものを、兵器としてまず一番に重要視される項目を、エグレは「忘れてる」。そう言ってほんの少しの呆れと、羨望と、喜びを滲ませて笑うんです。『風立ちぬ』の若人たちが夜な夜な研究会してるあのシーンが俺は大好きなんですよ。あと確か『永遠のゼロ』だったと思うんですが、傑作と名高い零戦の座席部分、金属材が軽量化のために穴を開けられてるのを指して「この戦闘機を考えた奴は人の心が無い」「乗る人間のことを一切考えていない設計だ」的なことを言う場面が好きでェ……(もしかすると零戦を題材にした他の小説だったかもしれない。なにぶん十年近く前の記憶なので曖昧で…)。死にたくないから逃げて、殺されたくないから相手を殺すしかなかった心優しい臆病者にとって、エグレの描く夢がどれほど救いのある眩さをもって映ったか。……きっとエグレのことですから、殺すための兵器を創ろうとすれば技術革新を起こせるほどの代物を生み出してしまえるでしょう。人を人とも思わない、あまりにも美しく無垢で純粋な殺戮機械を、描ける才を秘めている。でも、その才能を彼はリエーヴのためだけに捧げようとしている。愛ですねぇ。

リエーヴを見送った後、櫛の歯が折れていることに気づく場面。
エグレの怒りや悲しみ、己の無力や二人を取り巻く現実に対する絶望の深さが表出します。必死に耐えようと拳を握りしめた、その力の強さが推し量れて辛くなりますね。
櫛で髪を整えて送り出す、このシーンは実は『別れの御櫛』と『イザナギの黄泉下り』を下敷きにしております。天皇と、伊勢へ赴く斎王との今生の別れとなるやもしれない儀式。そして死者となったイザナミに追われ逃げるイザナギが折って投げた櫛。あくまで櫛というアイテムを以て下敷きにしているだけなので、こじつけに近いと言われればそれまでですが。どちらも別離のモチーフ。
それと、「櫛の歯が欠けたように」という慣用表現がありますが、リエーヴの色々なものが欠けていく様にも少しなぞらえております。説明されても分からない、作者の自己満足でしかない諸々を漉き込んでいる、という話でした。

IFルートにおけるお守りと包み紙、その意味の変質について。
コクピットに詰め込まれたお守りは、本編・IFルートいずれも共通で、あの被弾後のオーバーホールで一度全て失われています。本編でのリエーヴはもうお守りに縋るのではなく、自らの意思で「愛する者を守る」ために飛べるようになったのだけど、IFルートのリエーヴは地べたで耐えるため、そしてエグレのもとへ帰るために縋るそれを必要とした。…もう本当の意味で飛べなくなりつつあるんですね、この時点でリエーヴは。お守りですらないそれに救いを見出さないと、立っていることさえ難しい。彼が醜い欲望渦巻く夜会から持ち帰ったそれは、かつてエグレがコクピットに祈りとともに忍ばせたものとは明らかに違う。綺麗だけど、無垢ではない。そして、お守りに縋ったとて、こんな人工の地獄において彼が救われることはない。それを分かっていて、でも形だけをなぞるように、中身はすっかり変わってしまったそれを懐かしむように、リエーヴは持ち帰ってくる。……閉じ込められ、自由を奪われた彼にはもうそんな紛い物しか手に入らない。何もかも変わってしまった中で、それでもあの日エグレから貰った愛を覚えていて、それを真似るようにして愛を示そうとする。だからなおさらエグレはつらい。二人の歪みや変化を突きつけられるように思えてしまって。IFルートにおいては、何もかも少しずつ、意味が変わってズレていく。形だけは美しいままに。
リエーヴの愛情表現ってどこか痛々しくて胸を打つんですよね。きっと必死だからなんだろうな。ずっと命がけなんです。外側を取り繕って、懸命に生きている。臆病で、だからこそ人の痛みが分かるし機微に敏い。心優しくて、人間を見捨てきれない。…段々とリエーヴのことを『鶴女房』だと思うようになっていませんか? 気をつけます。

鏡について。
IFルートにおける鏡は、大衆に見られるものとしてのリエーヴを映す道具。世間の目の隠喩でもあります。そこにあるのは英雄として美しく飾られ、取り繕われた姿。それはすなわちエグレの罪を映し出す浄玻璃鏡でもあるんです。だから支度の場面で必ず出てくるし、浴室の場面にもある。
エグレは自らの手でリエーヴを飾り立て、送り出すことに罪の意識にも似た葛藤を抱えているけれど、リエーヴにとっては実はほんの少しだけ救いになってるんですね。その先がどれだけ惨い戦場でも、他でもないエグレが支度して送り出してくれるから。そんな所に救いを見出しちゃいけないんですが、それでもささやかな幸せなんですよ。愛する人の手で、美しく整えてもらえるから。まだ自分が彼に触れてもらえる、美しく価値あるものだと思えるから。…もしエグレがそんなリエーヴの内心を知ったら、きっと辛そうな顔をするんでしょうけどね。
ぼかぁね、死化粧じゃないですけれど、美しく装って死に向かう武人の矜持が三度の飯より好きです。愛する人の目に映る自分の最期はせめて美しくありたい、なんてあまりにも悲しくて愛おしいじゃないですか。中高生という多感な時期に戦争文学や軍記物語にどっぷり浸かっていたために醸成されてしまった性癖です。…なんで高校の図書室、あんなに戦争文学が充実してたんだろう。土地柄? 校風?

「見る/見られる」視点について。
大衆から英雄へ向けられる視線って、形のない暴力だと思うんです。本編では特にそうで、だからこそリエーヴは己の弱い面をひた隠しにしてきた。わざと綺麗なところだけを見せることで、その裏側にある弱く脆い部分を守ってきた。それを、エグレは見てしまう。そしてあの被弾をきっかけに、エグレだけが知っていたリエーヴの本当の姿が大衆の視線に晒されることになります。
しかし本編においてはエグレによる修復を経て、リエーヴは空へ戻る。大衆の視線の前に、自ら飛び立つ。エグレが美しいと言ってくれるから。たった一人の愛を信じることで強さを得た鳥は、大衆の視線よりも、自分の死よりも、もっと怖いものができてしまったから、守るために飛べた。本編のリエーヴは最後の飛行を「見ていてくれ」とは言いません。エグレを信じているから。たとえ見ていなくても構わない、という愛ゆえの一方的な献身であり、きっと見ていてくれるという無言の信頼でもある。
IFルートも大衆の視線が暴力的であることに変わりはありません。むしろ本編より表現は露骨で醜悪です。ただ、その暴力に晒されながらリエーヴはエグレの視線だけは信じようとしているんです。それだけに縋って、地獄を耐えようとしている。壊れてしまいそうなギリギリのところで踏みとどまっている。エグレはそれに気づいているし、そうさせてしまう自分の無力さと暴力性に憤る。でも、リエーヴが「見ていて」と言うから、目を逸らせない。逃げ出せない。手放せない。彼がたった一つ必死に握りしめて縋るそれすら取り上げてしまうなんてエグレには到底できないから。どん詰まりの愛ですね。
全体的に、異類婚姻譚によくある「見るなの禁」に近いものが通奏低音としてあります。あとモチーフとして『羽衣伝説』はかなり大きな部分を占めていますね。あと『大造じいさんとガン』。

「音」について。
リエーヴの名前の由来が兎であることに少し関わってきます。多くの場合、野生の生き物…特に被食者にとっての音って平和を侵害してくるものなのではないかと。敵が近寄ってくる音、威嚇の鳴き声、みたいに。兎は本来鳴かない動物ですし。コミュニケーション手段や求愛であることもありますが、基本的には野生の世界における音って脅威なんです。だから本編でもIFルートでも、基本的に音はリエーヴを脅かすものとして描いているつもりです。
ゆえにこそ、二人きりの場面では静謐が際立つわけですね。特に本編のラストシーンなんてその最たるもの。
……リエーヴは元来、たぶん物静かな男なんだと思います。生きていくために饒舌な軽口を身につけないといけなかっただけで、本質は無言で捧げるように愛するタイプなんでしょうね。異類婚姻譚の異類の方。人間を愛してしまったばっかりに……っていう健気でいじらしくて憐れな、愛情深い生き物。

「先生」というキャラクターについて。
内地の「白」の源流あるいは象徴として、エグレのキャラ造形を深めるために登場させたキャラクターです。
父権、というべきでしょうか。エグレに対して父親のような存在として描こうとしたつもりです。この場合のエグレは家父長制における娘ですね。おとなしく、従順で、無垢な娘。父の意向に従っていればいい、良家に嫁いで子を産むのがお前の幸せだ、と言い聞かせられて育ってきた娘。でも、一度外の世界を知ってしまった。恋を、愛を、知ってしまった。だから本編のあの場面は、「こちらへ戻ってこい」と伸べられた父親の手を、娘が叩き落とし突っぱねるシーンともとれるわけです。駆け落ちする男女の悲恋が好きだから、それを無意識になぞらせてしまっていますね。あとかなり『ハウルの動く城』を幻視すると思います。大丈夫、俺も書きながら幻視しました。
このシーンでエグレの「白」は内地の「白」とは似ているようで異なることが、決定的になります。エグレ本来の、彼が持つ色としての「白」。それがIFルートでは内地の「白」に浸食・漂白されていくわけですが。エグレの「白」は、無垢さの象徴としての意味合いが強いですが、本質はたぶん国旗に用いられる「白」の意味がより近いと思います。平和、正義、寛容、神聖。人工的な白ではなく、柔らかな、それこそ生き物が持って生まれた色としての白色。
「先生」、悪い人ではないんです。少なくとも内地の設計局にいた時、エグレは彼を先生と呼ぶほどには信頼し、尊敬していた。実際に本編で再会した際には敬語で接していますし、「先生」もエグレの才能を認めている。設計局内の派閥争いなんていう醜くくだらない大人の事情で、エグレという若い才能が前線で無駄にされている現状を、悔しく思うだけの情は「先生」にもあるわけですね。この才能はもっとうまく使うべきだ、死にかけの英雄と心中させるなど勿体ない、彼は新たな時代を創る可能性を持っている、という風に。…どうしても軍に属する技術者ですから、そういう「使う」思考が抜けきらないんですが、でも確かに「先生」は本心からエグレの才能を認めていて惜しんでいたし、エグレは「先生」を慕っていた。
本編のあのシーンは、父親と娘と、娘の恋人っていう関係性に近しい味わいが滲んでいるといいなと思います。……そういった前提で「先生」の視点に立つと、リエーヴという男の見え方がまた変わってくるようにも思いませんか?

額へのキスについて。
本編・IFルート、額へキスをするのはリエーヴからエグレへの3回だけ。恐怖を吐露した夜の、別れ際。再起した英雄が飛び立つ直前。夢を語った格納庫での最後の夜。
リエーヴは噓をつくのが上手な男なんですよ。誤魔化すのが上手くて、本質を見せようとしない。格好をつけたがる。でも、本当は、本来の彼は、きっと物静かで愛情深くて、少し不器用なんです。そんな男が、万感の思いを込めて贈る最大の愛情表現がきっと額へのキスなんでしょう。口にすることで嘘になってしまわないように、誤魔化してしまわないように、言葉にならない想いまで伝わるようにと、キスをするんです。鳴かない生き物の、精一杯の愛情表現。唇じゃないのがまた彼の臆病さが出ていていじらしいですね。あとリエーヴとエグレの身長差が窺えるように敢えて位置を額としています。
……IFルート分岐後はリエーヴからエグレへキスする場面が無いんです。それどころかリエーヴがエグレへ触れようとする仕草さえ減っていきます。触れられることを怖がるようになると同時に、エグレへ触れることを恐れるようになっていく。もとよりリエーヴは自身の生への執着を汚い・醜いものと思っている節がありました。戦時下です、お国のために死ぬことが正しいと誰もが思い込まされているような時代です、「そうでない者」を糾弾しなければ自分が恐怖に押し潰されてしまう…前線基地は、誰もが狂わずにはいられなかった場所でした。そんな中で、リエーヴはエグレに価値をつけてもらった。いえ、エグレの見出した己の価値を信じた。本編においては最後に飛ぶための理由へと昇華したそれが、IFルートでは無数の手垢で汚されていきます。己の意思で賭けることも許されず、使い潰されていく。ただでさえ汚いものが、もっと汚れていく。そしてきっと、自分の執着がエグレを苦しめているのだとリエーヴは気づいている。エグレがリエーヴを縛るのと同様に、リエーヴもまたエグレを縛っているわけです。だから彼は謝る。ごめんね、と。汚くてごめんね。君の未来を守れなくてごめんね。そんな顔をさせてごめんね。僕なんかを愛させてしまってごめんね。それでも君の手を離せなくてごめんね。
対してエグレは終始、手で愛情表現をする男です。どこまでも人間らしくて、人間でしかないのがエグレです。そうだね。「人は大地と海を選び、竜は風と火を選んだ」じゃないですけれど、やっぱりリエーヴは野に生きる、自由であるべき生きものだったし、エグレは人の業と文明のいとし子だと思うんですよ。ちょっと『借りぐらしのアリエッティ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『千と千尋の神隠し』ぽさもある。俺の性癖、やはりジブリおよび宮崎駿のエッセンスによって成る万華鏡のようですね。
追記
ふざけないと死ぬ病気なので、ちょっと加筆修正。
シラフじゃこんなことやってらんねェのよ。

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