短編
今日はいい天気だな、と爽やかな風を浴びて空を見る。
ゆっくりと流れていく雲を見つめているだけで、今どれくらいの時間が経ったのだろう、とふと手元の時計を見ればいつのまにか一時間経っている。
空から目線を逸らしたついでに、未だ現れない待ち合わせ相手を心配しつつ、いつものことかと本を取り出す。
この時間は嫌いじゃない。子供の遊ぶ声や、人々の歩く音を聞きながら本を読んでいると一時間などあっという間に過ぎてしまう。
右手側の頁の厚みが随分と増し、約束の時間が三時間を回ったことにも気づけずしばらく本に没頭していると、ぬるりと深い影が本の上の文字を隠した。
「やぁ、おまたせ。今日は鳩が道を塞いでてさ」
罪悪感があるのかないのかわからないような表情で彼は頭を掻く。
怪我をしたわけではないであろうその様子に私はホッと息をついて本をしまい、朝の挨拶をしながら立ち上がる。
「いや、おはようって……もうお昼だし。というか前から気になってたんだけど、三時間も遅刻されて最初におはようなんて言う?」
そう彼に呆れられたが、本を読んで待っていたりするから平気だと伝えれば、随分と呑気なことで……とさらに呆れられる。でも次の瞬間にはなんの本読んでいたの?と手元の本を覗き込んでくる。
彼の遅刻癖を知っているのは私だけではなく、里中でもそれなりに有名で、今に始まったことじゃないからこそ私もこんなスタンスでいられるのかもしれない。それに、彼も改善する気はないようで、私も特に困ったことはないからこそ割とこんなふうにいられるのだった。
だが、そんな当たり前もとある一件で少し形が変わることになった。
いつも通り、今日はいつもより暖かくて過ごしやすいな、と呑気に通りを眺めていた。
「ねぇねぇそこのお嬢さん」
その一言では声をかけられてるのが自分だとは気づけず、肩に手を置かれたことでようやく私は顔を上げる。
目に映るのは案の定、見慣れない男性。私はどうしたものかと思案する。
「こんなところで何してるの?暇ならちょっと付き合ってよ」
肩に置かれた手を離す気はないようだ。私は咄嗟に、待ち合わせしてるので、と口にしてしまった。
失敗したな、と思った。私に声をかけてきた男性は私の隣に座り込んでそれなら一緒に待ってあげる、相手が来るまでお話ししようと距離を詰めてきた。
私はその咄嗟の一言を恨みに恨んだ。なんであんなことを言ってしまったのだろうと後悔ばかりで隣の男の話す内容は私の耳を素通りしていく。話聞いてる?と思考を引っ張られて私は適当に相槌をするしかない。
「てか、こんなに君を待たせるなんてどんな奴だよ。顔が見てみたいわ」
煽るようにそう男が言ったその後ろに見慣れた銀髪の彼が見えて、思わずあ、と口にしてしまう。その口を隠すように手で口元を覆う仕草に違和感を抱いたのか、男はどうしたの?と私の顔を覗き込もうとするが。
「君の見たい顔、ここにあるけど」
男の肩を掴み、ヌッと私と男の間に割り込む形で彼が男に顔を向ける。
彼は里で有名なあの、はたけカカシだ。無造作に立ち上がる白い髪、斜めにつけられた額当て、口元を覆うマスク、そのあまりに特徴的な風貌だけで彼を彼だと思わない人間などこの里には存在しない。
男は彼に恐れ慄き飛び出していってしまった。その様子を見て呆然としていた私を彼は軽く小突く。
「ちょっと、なに絡まれてんの」
さっき彼に向けていた感情の読めない顔はあからさまに呆れていて、私は肩を落とす。
待ち合わせをしているなんて言葉は相手からしたら暇をしていると伝えているのと同義だ。流石に私の対応が悪かった、と彼に反省の意を見せる。すると彼は、さっきの呆れ顔から少し罰の悪そうな表情を見せる。
「……あー、違う。お前は悪くない。俺が遅刻したのが悪い」
ガシガシと頭を掻き、ごめんと口にする彼に私は手を前に出して宥めるように立ち上がる。彼が遅刻しているのはいつものことだし、それに助けてくれたから平気だと、フォローになっているのか自分でもよくわからないフォローを入れる。
「……ほんと、悪かった」
結局その日は私が折れるまで彼が引き下がる気配がなく、仕方なくその謝罪を受け取ることにしたのだった。
そして、そのまた翌日。
あんなことがあったのだからあまり無防備でいないようにしようと私は周りを警戒しつつ過ごすことにした。
と言っても待ってる間することは変わらず、空を眺めたり、街を歩く人々を見送ったり、たまに散歩中の犬を見かけて癒されたり、持参してきた本を読んだりしていた。
こうして流れゆく時間を観察している時間が好きだった。その間に今日の夕食は何にしようか、とか次の休日は何をしよう、とか、彼がいつ現れるのかと考える時間も好きだ。
そうして相変わらず遅刻をしている彼を待って三十分経ったくらいの頃だった。
「よう」
そう声がかけられて私は本から顔を上げる。声の主らしき人物は見当たらず、不思議に思っていると、下だ、とまた声がかけられその主の声に導かれるように視線を落とす。
するとそこにはちょこんと、彼の契約している忍犬の一匹、パックンがいた。
どうしたの?と声をかける。パックンが現れると言うことは彼に何かがあったのだろうかと不安になり、しゃがみ込んでパックンと目線を合わせる。その不安が顔に出ていたのか、パックンはなにかあったわけじゃない、と答える。
「あいつなら遅刻だ。まだ来ないぞ」
いつものことではないだろうか、と首を傾げるとパックンは、カカシがお前が一人だろうってな、とほんの少し誇らしげに答える。
前回のことがあったから彼はわざわざパックンを呼んでここに送り出してくれたのだろうか。そう思いついてしまえば嬉しさが胸いっぱいに広がって、私は思わずふっと笑みを零してしまう。
「それより、毎回長い時間待たされて何してるんだ?」
ベンチにパックンと一緒に座り彼を待つことになり、世間話を始める。
普段はぼーっと考え事をしたり、本を読んでいたりするが、最近は彼がどんな言い訳をして現れるかを考えるのも楽しみの一つになっている、と答えればパックンは少しだけ驚いたような、少しだけ引いたような表情を見せた。
前は鳩に道を塞がれた、と言っていたし次は軽鴨の親子の移動を見守っていた、とかだろうか。というふうに想像するのが意外に楽しいのだ。
そうパックンと話しながら彼を待っているといつも通りわざとらしく悪びれた態度で現れた。
「いやーごめんごめん。蟻が落ちてる飴を運んでてさ。踏まないように歩いてたら遅くなった」
うーん、惜しい。と悔しがる私をいや、嘘だろ。と冷静に突っ込むパックンに彼は、なんだか仲良しだねお二人さん、と何事もなく話に加わる。
その言い訳が嘘だろうがなんだろうがどうでもいいのだ。ただ彼はどれだけ遅刻しても、約束を破って来ないことは今まで一度もなかったから待っていられる。
「さ、待たせちゃったお詫びに今日のお昼は奢るよ。何食べたい?」
そう言って立ち上がるために手を差し出してくれる彼の仕草にまた嬉しさでいっぱいになるのだ。
私よりも一回り以上大きなその手を取って私たちの今日は始まった。
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