このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

記憶の境界線 kwkm×ymmt

知識をつけると言うことは、考えることを増やすことだと思う。
些細なことに対して、普通なら考えなくても良い場所にまで思考が及ぶのは、意識していても止められることではない。
そんな事さえも、考える時間が無駄だからと合理的になれたらもっと楽に生きられるのだろうが、俺はその点においてはとても下手なようだ。

1人になった部屋の中でまた天井を見つめると、嫌でも頭のなかに意味もない文字列が浮かぶ。まるで頭のなかで複数人が話しているような騒がしさだ。

先ほどまではまだ手の中にあった女の温もりが去り、己の中に湧いていた興奮や陶酔やといったあらゆる熱も引き、余韻も残り香も薄れていくのにまたどうしようもなく怯えてしまう。

孤独が紡ぎ出す思考たちが到達してしまう境地は俺の正常な感覚を狂わせて恐ろしいものを見せる。1人でいれば頭は勝手にその場所へ向かってしまうため、1人になるのが何よりも怖いと思うようになってしまった。末端から湧いた小さな震えが神経を波打たせる。誰か、助けて欲しい。

一先ずは思考をシャットアウトするために、頭痛薬を噛み砕く。40度もあるウイスキーの瓶に手を伸ばして、1/3くらいを一気に飲んだ。強いアルコール特有の熱い感覚が食道を駆け抜けていくのに、どうしようもなくまたムラムラと劣情が湧いてきてしまうのは何故なんだろうか。

さっきまで抱いていた女の粘膜の匂いが残る指先を、携帯の画面に這わす。
誰だっていい。今のこの落ちて行こうとする思考を、俺自身から切り離して救い出してくれるなら。酒でも女でも快楽でも、なんだっていい。

(早く来て、狂いそう、)

はっきりしない意識でそう打ち込んで、誰だっていいから適当に1番目に出てきた人に送信する。俺がこんな風に弱っていれば大体の女は来てくれるだろうから。

頭痛薬と酒とが効き始めて頭の動きが緩やかになってきた。この酒がまだ効いている間に誰か来て。ベッドに沈み込んだまま、縋った誰かがくるのを待っていた。


__


仕事が終わって友人と酒を飲み、ギリギリ間に合った終電に乗りかけた所で携帯が鳴った。

川上さんからなんて珍しいな、とメッセージを開いてみると、

(早く来て、狂いそう、)

と言う予期せぬ内容で、身体がびくりと一瞬跳ねてしまうほど驚いた。

川上さんの身に何かあったのだろうか、でも一大事であろうことは確かだ。瞬時に判断して、乗ろうとしていた終電を諦め駅を出る。
タクシーをつかまえると、前に一度だけ聞いたことのある川上さんのマンション名を告げた。
いつもはあまり他人に弱みを見せない川上さんが、何故だか僕に今助けを求めている。伊沢さんでも、福良さんでもなく、僕にだった。

川上さんの家までは大体20分くらいで到着した。部屋の番号もうろ覚えだったが、三階の角部屋だったことだけを辛うじて思い出してマンションのエントランスで部屋のインターホンを押した。

「勝手に入って、」とインターホンの向こうから聞こえたぶっきらぼうな声に一瞬戸惑うが、エントランスの施錠は解除されたので中へ入る。

部屋の鍵も開けっ放しだったので、勝手に入れの指示通り、そのまま部屋へと入った。

「おじゃまします、」

状況の分からなさに恐る恐る声を掛けてみると、奥から川上さんがフラフラと立ち上がって歩いてきたが、どことなく目の焦点はこちらに合っていない。

何だか、雰囲気がいつもの川上さんと違って、少し怖い。

近づいてくる川上さんから少しお酒の匂いが漂う。酔っているんだろうか。
様子を伺おうと、前髪に隠れた表情を覗き込んだ瞬間、

「お前、遅いんやけ…ど、、」

と、勢いよく手首を掴まれ壁に押し付けられる。迫り来る川上さんの顔は僕の首元に埋められ、ちゅ、ちゅ、と音を立てて首筋に唇が這わされていく。
まって、誰かと間違えてないか?
首筋をチクリと強く吸われる感覚まであり、反射的に体を押し返すが川上さんの力には到底かなわない。

「っ、川上さん、?」

困惑して名前を呼ぶと、川上さんの目がやっと僕を捉えた。その瞬間、川上さんは頭を殴られたように一瞬で、浮かべていた虚ろな表情から冷静な表情へと変わった。

「は…、山本、?」

今、強い力で手首を掴まれている状態の僕よりも圧倒的に驚いている川上さんに、

「…誰かと、間違えて送ってました?」

と聞いてみると、

「…っ、最悪だ、ごめん、」

と小さく返ってきた。


___


酩酊状態の自分の節操のなさに心底驚かされた。
誰でも良かったのは本当だが、それが山本で良いわけはない。

急いで携帯を確認すると、しっかりと山本に対して先程の文章を送っていた。
恥ずかしすぎる。そして申し訳なさ過ぎる。

メンバーにはバレるまいと思っていた俺の悪癖がこんな風に、最大の迷惑として山本に降りかかってしまった。

「…呼んでおいて本当にごめんだけど、あの、帰るならタクシー代出すから、」

「大丈夫、なんですか?」

「え、?」

「顔色、良くないですし、…あのメッセージの内容も、」

本当に心配した表情で俺を見つめてくる山本。そんな、純粋な目で今の俺を見ないでほしい。

酒はまだ身体の中で循環しているのを感じてはいるが、頭は完全に冴えてしまった。
そんな状態で、普通の人間のピュアさを目の当たりにするのは、精神的にかなりくる。


「大丈夫、それより、その首の…、」

俺が先ほど誰だかわかってない状態で勢いでつけてしまった首の鬱血痕が、さらに今の俺の状態を痛々しくしている。
背丈は女の子と変わらないから、きっとすぐに山本だと気づけなかったのだろう。痕は時間が経てば消えるかもしれないが、もう取り返しは完全につかない。
死にたい。とまで一瞬頭によぎる。


「え、」
と驚いた顔で、部屋の中の全身鏡に姿を映した山本の顔は、一瞬にして固まってしまった。

思い切り晒された首につけてしまったので、もちろん服では隠れず、女がやるような隠すためのメイク道具なども持っていない。

「本当、ごめん、」

もうどうにも謝罪できず山本から視線を逸らす。
状況を頭で完全に理解し切ってしまうとまた、指先が震え始めた。

どうしよう、どうすべきか、とりあえず山本、帰さないと、タクシー代、でもお金じゃ解決できないアレは、どうしよう、明日の仕事、みんなに見られ、…、

頭の中を文字列がどんどん支配して行ってしまう気持ちの悪い感覚に思わずしゃがみこむ。

「…っひぁ、っ、は、」

息がうまく出来なくなって、過呼吸の発作が出てしまう。

また迷惑、かける、見られたくない、

「川上さん、?!」

俺に駆け寄ってきた山本が、焦ってそばにあったビニール袋を口元に当ててくる。
一気に収縮した肺に痛みを感じながら、この気持ち悪い感覚に全てを手放したくなってしまう。このまま俺が、俺自身に起こる全てをどうでもいいと思ってしまったら、俺は死んでしまうのではないか。怖くなって思わずそばにいる山本の腕にしがみつく。

数分経って、呼吸が徐々に落ち着いてくると、
俺の身体を抱きしめて背中をさすってくれていた山本が、とても落ち着くいい匂いがすることに気がついた。

「…今日は、朝までそばにいましょうか?」

僕で良ければですけど、と自嘲するように笑いながら言ってくれる山本に、そこはかとない優しさを感じてしまい、焦る。

「夜の間なんて一緒にいたら、俺どうなるかわからないけど、」

牽制するようにそんな言葉を発するのが精一杯だ。優しさに甘えるとダメになることはもう嫌という程わかっている。だから、俺に構ってくれる女たちにも、冷たく厳しく当たるのが癖になってしまっているのに。こんなにギリギリの状態で山本の包容力に気づいてしまうのは、ヤバイ。俺が守って繕ってきた人間性が一気に崩れてしまうような気がした。

「いいです、僕が、いま川上さんのそばに居たいと思いました。」


優しい声でそう言ってくれる山本だが、山本の前にいたら俺は自分の中の愚かさや余裕のなさがより際立ってしまって遣る瀬無くなる。

考えたくなくても、自分で頭を制御できない。
そのせいでこんな風にダメな姿を見せることになり、他人に迷惑をかけてしまっている。自分のダメさ加減に涙が出てきた。

「もっと…何も考えられない、馬鹿になれたらいいのに、」

女を抱いたって、事が終われば虚しくなるだけだ。
酒を飲んだって、酔いが冷めたら後悔するだけだ。
本当の意味で馬鹿になれることなんてもう、ない。

段々と視界が潤んで滲む。一人でうまくできなかった結果が、山本に縋る事なんだから、俺は本当に情けない。

きっと山本だって困惑しているだろう、と抱きしめられていた体を少し離してその表情を恐る恐る伺ってみると、

「馬鹿になっちゃいます?僕と。」

なんて、優しく微笑んだまま言うもんだから俺の方が面食らってしまった。

「え、」

「なんだか、弱ってる川上さん見てると…ドキドキしてきます。」

身体に回されていた山本の手が、今度は俺の手を取り自らの口元へと運ぶ。
指の形を確かめるように、唇を這わせるその表情は、今まで見たことがないくらいに大人びた色気を纏っていた。

「僕が、慰めてもいいですか?」

そう言うと、こちらの返事を待つでもなく、おもむろに先ほど俺が飲んだウイスキーの瓶をひっ掴んで、まるで水かのようにゴクゴクと飲んだ。
残っていた中身を半分くらい空けると、残りを俺に手渡す。

「酔って、記憶がなくなるギリギリの境界線を、行ったり来たりしながらするの、めちゃくちゃ気持ちいんですよ、」

知ってました?なんて艶めかしく唇を舐める姿に、ふつり、と体温が上がる。

山本の表情がだんだんと緩むのは酒のせいなんだろうか、それとも…、なんてことをまだ冷静に考えてしまう俺を、彼は既に見透かしているのかもしれない。
だからこそ、こんなにも普段と違う表情で、聞いたことのない甘い声色で、俺を誘うのかもしれない。

「これ以上飲んだら多分、加減できない、けど…」

苦し紛れにそう言って見ると、山本はニヤリと口角を上げて笑う。
俺が持ったまま飲むのを躊躇っていたウイスキーを、焦れたように奪って口に含むと、そのまま口付けて無理やり流し込んできた。

「…っんぅ、は、」

そのまま口内に舌を捻じ込まれて、吞み下すしかなくなったウイスキーがまた食道を焼くように滑り落ちていく。

この感覚が、先ほど飲んだアルコールも呼び覚ました。

「かわかみさんだけ、冷静でいるのは、ずるいでしょう、?」

たった一口がこんなに気持ちよく、こんなに回ることは今までに一度もない。
口腔を舌で犯されているせいだとも言えるが、相手が山本である後ろめたさも充分に手伝っている。

唇を離すと、肩ではぁはぁと息をしながら蕩けたような顔でこちらをみる山本の首筋には、先ほど俺がつけた痕がくっきりと目立つ。
視覚的にも、こんなに扇情的な光景は見た事がないかもしれない。

非常識的に湧いてしまう欲求の激しさと、酩酊で緩やかに回る頭の心地よさ。

あぁ、馬鹿みたいに、性的。

「今日、呼ぶはずだった女の子より、よくしてあげます、」

そう言って微笑む山本に、張り詰めた何かが決壊するような感覚がした。

今度止まらなくなるのは、思考ではなく欲求だろう。
俺は今、この暴力的に激しい欲求を、酒と山本のせいにできてしまうのだから。


下衣にかけられた山本の手を掴み、ベッドへと押し倒す。

「…やめてとかもう、聞かれへんから。」

思考も途切れ途切れに発した無責任な言葉に、一瞬山本が嬉しそうな顔をした気がするのは、


気のせいではないはずだ。
1/1ページ
    スキ