フットボールフロンティア編
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「水津に本人に自覚はないが、1部的な記憶喪失だろう」
響木のその言葉で、子供たちはそうだったのか!?と驚いていた。
それは大変だったなと子供たちが声をかける中、響木の言った通り自覚がないのか、困ったように縋るように水津は響木を見ていた。
子供たちが皆帰った後、1人残った鬼瓦は注文したラーメンが出来るのをカウンターで待ちながら先程の事を思い返していた。
「響木。あれは本当の事か?」
「...いや。今、決勝戦前で水津の正体がどうとか言ってチームの輪を乱すのは良くないと思ってな。本当はどうかは知らないが、あれは俺の推測だ」
推測?と首を傾げれば、目の前におまち、とラーメンどんぶりが置かれた。
「怪我をしたうんぬんは本当らしいが...。水津が前に、自分の中身は別の世界の20代後半の女だと言っていてな」
響木の言葉に、鬼瓦は、怪訝そうな顔をしては?と口を開ける。
「アイツは別の世界だとか、訳の分からない事を言っていたが、俺はもしかしたら前世の記憶なんじゃないかと思っている」
「それはそれで、ぶっ飛んだ話だな」
「だが、稀に居るだろう。前世の記憶を持った人間ってのは。水津も頭を打った時に、前世の記憶を思い出して、今の自分の記憶とごちゃごちゃになっているんじゃないかと思っていてな」
「だとしても、今のあの子が過去に何処かに入院してたどころか、何処に住んでいたかの情報すら分からないってのはおかしくないか?それこそ雷門の転校の手続きの日に突然現れたかのように、それ以前の情報が何も無いんだ」
「警察でも掴めない情報か。お前のいう影山の血縁者の可能性もあるが、逆に影山の被害者の可能性もあるんじゃないか?それ故に今まで死んだことにされていた、とか」
響木の言葉に、鬼瓦はうーん、と唸った。
「影山に狙われていたから、正体を隠していた、と?こじつけが過ぎないか?」
「まあ分からんが、それを調べるのがお前さんの仕事じゃないのか」
「そうだが、話を聞きたい本人が記憶障害ならなぁ...」
参ったぜ、と呟いて鬼瓦はようやく箸を割ってラーメンを口に運んだ。
響木からのキラーパスのおかげで、可哀想な子認定はされたが、皆からそれ以上の追及がないのは楽だ。ぶっちゃけ、この体の事はよくわかんないから調べて貰えるなら調べてくれた方がいいから、どういう意図かは知らないが響木監督のあの嘘は要らなかったんじゃないかなぁとも思うんだけど。
ただ記憶喪失の可哀想な子と言うのとはまた別に、正体を調べようとしていた事を後ろめたく思っていたのか、夏未ちゃんの態度は何処かよそよそしい。スパイ騒動の時にも言ったが、私から見ても私は怪しいし、調べるのはしかないよなと思ってるんだけど...。
『はぁ...』
参ったな、とため息を吐けば隣を歩く春奈ちゃんが不思議そうに首を傾げた。
「水津先輩、夏未さんと何かあったんですか?」
『あー、私が怪しいのがいけないんだと思うんだけどねぇ』
「水津先輩が怪しいのは今に始まった事じゃないと思うんですけど?」
どういう事?と春奈ちゃんはまだ首を傾げている。しかし意外と辛辣ね。
『そうね。だから私の方は気にしてないんだけど...、夏未ちゃんはそうでもないみたいで』
「水津先輩の事怪しんでるって感じとは違う気がしますけど...」
『んー、怪しんでしまってる事を後ろめたく思ってるんじゃないかなぁ』
「あー、今まで仲良しだった分って事ですか?ていうか先輩、また怪しまれる様なことしたんですか?」
『またって...』
「隠れてお兄ちゃんに会ってたじゃないですかー!」
春奈ちゃんの言葉に、ああそれか、と頷く。あれは確かに怪しまれても仕方ないやつだからね。
『まー、私自身私の事が分かんないんだもん。仕方ないよねぇ』
「記憶喪失って話ですか?」
おや?と首を傾げれば、春奈ちゃんはお兄ちゃんから聞きましたと一言。
『そうらしいよ』
「らしいって。本当に自覚がないんですか?」
『いや、わかんないのはこの体の親とか今までどうしてたかって事で、私の事は分かるというか』
「いや、それは記憶喪失では?」
『そう?』
そうです、先輩も意外と苦労してるんですねぇ。なんて春奈ちゃんはしみじみと言った。意外と呑気というか。いやまあ、可哀想がられるよりかはいいけど。
『さ、着いたね。春奈ちゃん、扉開けてもらっていい?』
はい!と元気よく返事した春奈ちゃんに開けてもらったのは、家庭科室の扉だ。
よっこいしょ、と抱えて歩いていた3kg米袋を家庭科室内の調理台の上に置けばどさり、と音がした。
「どれだけ炊いたらいいんですかね?」
『今部員が15人でしょ。1人2~3個食べるとして...』
「30個~45個ですかね?」
『で、壁山が人一倍食べる事も考えてだいたい50個目安で作るとして...二升炊けばあるかな』
「二升ってどのくらいです?」
『一升が10合だね。お米の計量カップにすり切り1杯で1合ね。えーと、』
ウロウロと家庭科室を見て回れば、電気炊飯器だけじゃなくて、ガス炊飯器もあった。五升炊きあるじゃん、こっちで炊くか。
『春奈ちゃんとりあえず...、このザルに計量カップで10杯ずつ計って入れてくれる?』
調理台のしたの戸棚に入っていた大きいザルを2つ取り出して台の上に乗せれば、はーい!と春奈ちゃんの元気な返事が返ってきた。いっぺんに20でもいいが研ぐの大変だし、何より重くなるしな。
計ってもらう間に、ガス炊飯器の釜を取り外して流し台に持っていき水洗いする。
それをはめ直して、春奈ちゃんが測り終わった先の1合の米を流しに持って行って米を研ぐ。
「せんぱーい!ちょうど20でなくなりました!」
そう言って春奈ちゃんは空になった米袋をヒラヒラと振って見せた。
昨日急に春奈ちゃんから連絡がきてみんなに差し入れしませんかと言われ適当に3kg買ってきたがちょうど良かったな。
『ん、じゃあそれ持ってきて研いでちょうだい』
「はい!」
2人で研いだ米を釜の中に入れて蓋をして、ガス炊飯器のレバーを下げれば、カチボボボボと音を立てた。レバーの上に空いた小さな穴から覗き込めば、ちゃんと火がついている。
『おっけー、これで後は炊けるのを待つだけだね』
「これってどのくらいで炊けるんですか?」
『45分くらいかな。炊き上がったら部室でやるんでしょ?今の間に番重とかしゃもじとか持って行っとこうか』
「ばんじゅうってなんですか?」
『薄い黄色のプラスチック出できた大きな容器見たことない?仕出し屋さんとかが使ってるやつ』
「へぇ、あればんじゅうって言うんですね!」
そうそうと頷いて、雑学を1つ披露し終えた所で、家庭科室内で番重探しが始まった。
家庭科室と部室を何回か往復して色々運んでいる間にあっという間に時間は過ぎて、炊けた米を保温ジャーに移してジャーごと部室に運んだ。
春奈ちゃんに、秋ちゃんと夏未ちゃんを呼んできてもらっている間に、春奈ちゃんと2人で作った重ねたタイヤの上に板を置いただけの簡易テーブルの上にジャーを置いて、水の入ったボールを置いて、人数分の皿としゃもじを置いて、小皿に塩を盛って...としていれば、ガラガラと音を立てて部室の扉が開いた。
戻って来るなり春奈ちゃんと秋ちゃんは口を揃えて、こういうこと!と言って部室の中で手を大きく広げて見せた。
3人におかえりと言って、夏未ちゃんを見れば未だ頭にはてなを浮かべている。
「みんなお腹空かせてるんだから!」
「おにぎりの差し入れですよ〜」
『それを今からみんなで作ります!』
そう言えば、夏未ちゃんは戸惑ったように、あぁ...と声を洩らした。
春奈ちゃんには水色、秋ちゃんには黄色、夏未ちゃんにはピンクのエプロンを配って、私は黄緑色のエプロンをする。春奈ちゃんがお揃いのエプロンがいいです!と色違いだけど同じ物を春奈ちゃんが持ってきてくれた物だ。
後日また使うことになるだろうし助かる。
エプロンを装着して手をよく洗って、保温ジャーの蓋を開ける。
しゃもじで炊けたごはんを掬って手のひらに乗せてぎゅっ、ぎゅっ、と握る。
『あち、』
「ふふ、熱いから気をつけてね」
秋ちゃんが注意喚起をしながらごはんを手のひらに装えば、隣でごはんを握りながら春奈ちゃんもあつ、熱!と声を上げている。
その様子を夏未ちゃんはじーっと見つめている。
「夏未さんもやってみて」
秋ちゃんに言われて、夏未ちゃんは頬を引き攣らせながら、ええ、と頷いてしゃもじを手に取った。
あ、そうだこれは...。思い出して数歩後ろに下がる。
夏未ちゃんは右手でしゃもじを強く握りしめたまま、保温ジャーの中身を睨みつけて意を決したようにその中にしゃもじを刺してごはんを掬い上げた。
そして、それを左の手のひらに乗せて...
「あつーい!!!熱い熱い!!」
そう言って夏未ちゃんは手のひらに乗ったごはんを放り投げて掌を振るった。
すると、どうだろうか。まあ予想通りごはんが各地に飛び散った訳で。退避した私以外はみんな頭からごはん被った状態になってしまった。
「もしかして夏未さん、おにぎり握ったことないの...?」
「夏未さんお嬢様だから...」
秋ちゃんが控えめに聞いた横で春奈ちゃんがそう言えば、夏未ちゃんは顔を真っ赤にさせてしおらしく、ごめんなさいと謝った。
『初めてじゃビックリしたよね。3人とも、散らかったのは私が片付けるから、髪とか服に付いちゃったごはん落としちゃいなさい』
3人が何とか濡れタオルとかを駆使して、身体に付いたごはんを取り終わった頃、ちょうど掃除も終えた。これ放って置いて乾燥させてガリガリになった後のほうが始末しやすかったな...。いやぁ、ベタベタして大変だった。
「ごめんなさい...」
夏未ちゃんはごはんを取る時に使った椅子に座ったまま、しゅん、としていた。
『大丈夫よ』
そう夏未ちゃんに言えば、春奈ちゃんも秋ちゃんもウンウンと頷くが、夏未ちゃんはしょぼくれたままだ。
『んー。これの出番かな』
そう言っているだろうと思って持ってきていたお茶碗、大きめのと小さめのをひとつずつ、手に取る。
「あ!じゃあ男子たちに習って...!」
貸してと秋ちゃんに言われて、どうぞと手渡せば、秋ちゃんはふたつのお茶碗を手に取ってポーズを取った。
「必殺、ダブル茶碗」
え?と顔を上げた夏未ちゃんに、秋ちゃんはニッコリと笑って見せた。
「これにごはんをよそうでしょ。片っぽを被せて、振る!」
片方の茶碗にごはんを入れて、もう片方で蓋をして、秋ちゃんはそれをキュッと両手で抑えて上下に振った。
「こうすると...」
秋ちゃんが上のお茶碗を外せば、まん丸になったごはんが現れて、夏未ちゃんはわぁ、と声を上げた。小さな子供みたいで可愛いな。
「形は出来てるし、少し冷めてるから後は手に水を付けて...」
春奈ちゃんがボールに入った水で手を濡らしてみせて秋ちゃんから丸まったごはんを受け取った。
「お塩もちょっと付けて握ればいいの」
『握る時は掌をくの字に曲げてギュッギュッと握れば上手に三角形の角が出来るよ』
説明通り春奈ちゃんが塩を付けて握ってみせる。
「ね?やってみて」
秋ちゃんがふたつのお茶碗を夏未ちゃんに差し出せば、夏未ちゃんは恐る恐る、うん、と頷いた。
お茶碗を持った夏未ちゃんにおいで、と声を掛ける。
『大きい方を下にしたらいいよ』
「こう?」
そうそうと頷きながら、ごはんをしゃもじで掬ってお茶碗の中に入れてやる。
『ごはんはこのくらい入れるといいよ。お茶碗でやればだいたいの量も均一に出来るからいいね』
「そうね。なんならお塩もこの時点で入れちゃってもいいかも」
『そうだね。お塩もこうパラパラっと満遍なくね』
うん、うん、と夏未ちゃんは真剣な眼差しで頷いている。
『じゃあ、もう片っぽで蓋をして』
そっと、小さめのお茶碗を上に乗せて、夏未ちゃんはそれを両手で抑えて確認するようにみんなの顔を見た。
大丈夫だよと頷いてあげれば、夏未ちゃんはブンブンと両手を上下に降り出した。
ブンブンブンブンと長いこと振り続ける夏未ちゃんに、皆が失笑した。
「もういいんじゃないかな?」
「そう?」
『うん。蓋を取ってみて』
夏未ちゃんはそーっと上のお茶碗を退けながら、中のごはんを覗き見るようにしている。まん丸になったごはんのフォルムが見えたら、ぱぁっと笑顔になり実に、可愛らしい。
「これを、握ればいいのよね?」
そう、と秋ちゃんが頷けば、夏未ちゃんは恐る恐るお茶碗から左手にごはんを移す。ほっと、一息入れたあと、優しくおにぎりを握り始めた。
「掌をくの字、だったわよね」
『うん。ギュッギュッって力を込めて握ると崩れにくいおにぎりになるよ』
「やってみるわ」
夏未ちゃんは一生懸命真剣にギュッギュッと、おにぎりを握った。
「できた...出来た!」
そう言って夏未ちゃんは手のひらに乗った三角形のおにぎりを突き出して私たちに見せてくる。
「ほら!ほら!凄い!生まれて初めておにぎり握ったわ!」
今度は両手に持ち直して大事そうに見つめている。
「良かったね!」
『初めてにしては握るの上手じゃない?』
「ほ、本当!!あ...、」
『夏未ちゃん?』
ぱちくりと目を見開いて、私をじっと見た夏未ちゃんになんだ?と首を捻る。
「あ、あの。ありがとう。その、皆が教えてくれるのが上手だったから...」
そう言って夏未ちゃんは、今度は秋ちゃんと春奈ちゃんを見た。
「「夏未さん...!」」
ツンデレのデレを発揮した夏未ちゃんに2人は声を上げて感動している。
いやぁ、この3人も仲良くなったなぁ、なんてニコニコして見てれば、春奈ちゃんが振り向いて口パクで良かったですね!と呟いた。恐らく、夏未ちゃんと普通に話せるようになってる事だろうし、先程夏未ちゃんが驚いたような顔をしてたのもそれだろう。
ニッ、と笑って見せれば、春奈ちゃんは、さあ!やりますよ!と拳を上げた。
おお!と私と秋ちゃんが乗れば、少し遅れて恥ずかしそうに夏未ちゃんもおお、と小さな拳を上げたのだった。
三角形の魔法
疑惑も不安も後ろめたさも全部握り固めちゃえ。