アレスの天秤編
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抜き足差し足忍び足、と腰を低くして観客席の後ろに隠れながらスタジアムの中を進めば、マゼンタ色の後頭部が見える席の列の横で足を止めた杏奈ちゃんの姿を見つけた。
『いたよ』
小声で話しかければ、稲森はひょこっと椅子の背から頭を出した。
「あれは...!杏奈さんは野坂に逢いに来てたのか。じゃあ監督の言う杏奈さんをたぶらかそうとしてる輩っていうのは......」
驚いた顔をしながら言う稲森を見て、笑いを堪える。
本当に純粋なんだな、この子は。
「水津さん、もう少し前に行ってもいいですか?聞こえずらいので」
頭を隠してヒソヒソと話しかけてきた稲森に、いいよ、と頷いて、そっーと1歩ずつ、バレないように通路の階段を降りる。
「だいたいの状況は分かった」
ある程度近づいて話が聞き取れるところで、列の中に入り椅子の背に隠れる。
「君は僕に好意を持ったってことかな?」
「そんなっ!違う!」
こんな質問を女の子にする野坂も野坂だが、杏奈ちゃんも否定しちゃうんだ。好意がなければこんな所まで来ないと思うんだけどなぁ。
「じゃあ、なんだい?」
「貴方はあんな試合をする人じゃない」
あんな試合、か。
ふと、稲森と目が合った。稲森は何とも言えない表情をしている。
まあ、杏奈ちゃんが知ってるってことは雷門として稲森も一緒に試合を見てたって事だろうけど。
「フッ、君は僕の何を知ってるって言うんだい」
「それは...。あの時、貴方は苦しそうだった。貴方の心は叫んでいた。偽りの自分でいなきゃいけないことに押しつぶされそうになってた。私には分かる!貴方は稲森くんたちと同じサッカーが大好きな人なんだって!!」
「サッカーが好きか...」
フフフ、と野坂は急に笑いだした。
「君は見かけによらず面白いんだね」
杏奈ちゃんは困惑したように、え?と呟く。
まあ、杏奈ちゃん側からしたら、今面白いこと何一つ言ってないもんなぁ。
野坂が、稲森と同じサッカーが大好きな人か...。
ぽんぽんと隣の稲森の頭を撫でれば、稲森は不思議そうに首を傾げたままされるがままになっていた。
「いいさ。僕の事を少し話そう」
そう言った野坂が立ち上がるような音がして、自分の身を低くさせるのと同時に、撫でていた稲森の頭を押して更に身を低くさせる。
「僕の状況はそんなに単純じゃないんだ。僕の母は子育てに疲れ心を病んでしまった」
育児ノイローゼってやつだね。
「父も仕事が忙しかった為、僕は英才子供センターという育児施設に預けられた。両親の言い分は僕に一流の教育を受けさせる為だった。でも実際は僕が邪魔なだけだった...」
「そんな!親が子供を邪魔に思うわけない!!」
杏奈ちゃんがそう言えば、野坂はまた可笑しそうに笑った。
「君は健全な家庭に育ったんだね」
その声は、一瞬前まで笑っていた者の声とは思えないくらい冷たかった。
「英才子供センター。そこがアレスの天秤によって子供たちを育てる施設だったんだ。そこにいる子供たちは僕のように社会にはじき出された子供たちだった」
竹見も一緒の出身だって言ってたよね。特にこの超次元界だと孤児が多い。いや、私が知らないだけで、私が育った世界もたくさんの孤児や保護された子供たちが居たんだろうけど。
「僕らはこの世界がどれだけ荒んでいるかを知らされ、それを変える必要があると教えられた。幼少期よりアレスの天秤による計算された教育を受けることにより、高い能力を持った高レベルの人間になることができるんだ」
この思想は自体は悪くないと思うんだけどね...。
「努力し時間を犠牲に働く者たちと違い余裕を持った生活を送り、自分にも家族にも時間をさける。アレスの天秤はそんな人間を作り出すんだ...!彼らならきっと子を愛し家族を守れるだろう」
野坂が目指すものは、きっと、彼自身が欲しかった過去なんだろうな。
それにしても...、彼らなら、か。野坂自身は含まれてないのか...。悲しいな。
「だから貴方はあそこまで、アレスの天秤にこだわって...」
「でも、僕にはタイムアップが迫っている」
野坂のその言葉に、杏奈ちゃんがハッとするように息を飲んだ。
「僕は脳腫瘍と宣告された」
「えっ!?」
杏奈ちゃんが驚きの声を上げると共に横にいる稲森を声を出しかけたので慌てて両手で塞ぐ。
「あとわずかな時間しかないんだ。僕はそれまでにやり遂げてみせる。どんな手を使おうとね」
は?おいこら待て。わずかな時間しかないって、やっぱりあれからだいぶ進行してんじゃないか!!何が前と変わらないだ。検査の後、嘘ついてたな。
「だから、貴方は...あんなに、...?」
震えた声でそう聞く杏奈ちゃんに、話は終わりだ、と言わんばかりに野坂は歩き出した。
「.........っ、......」
杏奈ちゃんは、どう声をかけたらいいか分からない様子で突っ立ったまま、スタジアムを出ていく野坂を見送っていた。
稲森も驚愕した様子で、私の方を見つめてきた。
そりゃあそうだ。稲森はただ杏奈ちゃんの身を案じてきただけなのに、人が1人死ぬかもしれないなんて話になるとは思うまいて。
稲森には、しー、と人差し指を口の前で作って静かにさせて、杏奈ちゃんがスタジアムを出るのを待った。
杏奈ちゃんは1、2分程その場に突っ立っていたが、呆然とした様子のまま動き出してスタジアムの外に出ていった。
『...大丈夫かな』
よいしょ、と立ち上がって腰を伸ばす。
「水津さん!!野坂が、脳腫瘍って...!!」
同じく立ち上がった稲森がそう言いながら肩を掴んできた。
『うん、そうだよ』
「水津さんは知ってたんですか!?」
驚いたような顔をする稲森に、うん、と頷く。まあ、まさか数ヶ月の内にそこまで進行してるとは聞いてなかったけど。
『ずっと入院して手術受けろって言ってんのにあの馬鹿、人の言うこと聞かないから』
##RUBY#アレスの天秤#機械##の言うことは聞くのにね。
『それなのにサッカー辞めようとしないんだ。...困ったもんだよね』
「野坂...」
『稲森は、野坂の過去や現状を聞いて同情した?』
「えっ、そりゃあ...」
そう言って稲森は頷いた。
まあ、同情しない人は少ないんじゃないだろうか。
「でも、だからってあのサッカーは間違ってる!」
真っ直ぐとした目でそう言った稲森を見て、ああ、と察する。
やっぱりこの子が雷門の主人公だ。
円堂と似たような感じがする。サッカー馬鹿なんだろうな、稲森も。
「水津さんは、野坂に同情して、あんな試合やったんですか」
『そうだよ。あれが野坂の脳に負担をかけない最良の方法だった』
そう言えば稲森は俯いた。
「そっか。野坂の為に...」
『稲森、頼みがある』
そう言えば、稲森は不安そうに顔を上げた。
「頼み、ですか?」
『うん。君たちならきっと、フットボールフロンティアを勝ち抜いてくる』
だって、雷門イレブンだから。
『そしたら決勝でウチと当たるでしょ。そうなったら、野坂と、私たち王帝月ノ宮中と本気で試合して欲しい。彼の病気を考慮して手を抜くなんてこと絶対にしないで』
「え、けど...」
『本気のサッカーでぶつかって欲しい。野坂の覚悟を無駄にしないためにも』
なんだかんだ言って、野坂もサッカー嫌いじゃないと思うんだよね。
サッカー馬鹿が正面からぶつかったらサッカーに憎しみを持ってる奴でも変わる事を知ってる。影山とかね。
だから、きっと円堂と同じサッカー馬鹿の匂いがする稲森ならきっと。
「本気のサッカーで......」
そう言って稲森は静に目を閉じた。
「...分かりました」
目を開けた稲森は真っ直ぐにこちらを見た。
「野坂と本気で試合する為にも、俺たち勝ち上がります!」
『うん』
このいい子に、またグリッドオメガを使うことになるかも知れない事だけが気がかりだが...。
勝っても負けても
野坂にとっては良い方向に転ぶはず。