アレスの天秤編
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嗚呼...、気持ち悪い。
ロッカールームに備え付けられたベンチに座って胃を抑える。
「水津先輩。具合悪いんですか?」
そう言って道端が目の前にやってくる。
「医務室に、...!」
立ち上がって道端の頭の上にぽんと手を置く。
『大丈夫だよ』
それに今、医務室になんか行ったら星章学園の子達と鉢合わせる事になる。
地に叩きつけられた彼は衝撃で動けなくなったものの、一時的なもので救急車を呼ぶ程の事ではなかったらしく、少しホッとした。
いや、あんなことをしておいて安心してるなんて我ながら頭がおかしい。
『ちょっと御手洗に行ってくるよ』
「お供します」
そう言ったのは西蔭で、いつもの事だから断るのも面倒で、うんと頷いてロッカールームを出た。
そのままトイレに向かって、西蔭に表で待っててと言って女子トイレに入る。
それから喉の奥に指を思いっきり突っ込んだ。
(西蔭視点)
女子トイレから聴こえてくる嗚咽に思わず眉を顰める。
大丈夫だなんて、嘘じゃないか。
前回あれだけ怒っていたグリッドオメガをあっさりと受け入れ、自ら参加するからてっきりアレスの天秤の効果で自我を抑制出来ているのかと思ったが...。
野坂さんの言う通りに、香坂と代わって入れば良かったものを...。
以前帝国学園の試合を見に行った時に、鬼道有人とは憎まれ口を叩き会いながらも、仲の良さそうな雰囲気が出ていた。
そして、誰かを傷つけることを嫌っていたはずの彼女が、かつての仲間にこのようなことが出来るはずはないと思っていた。
王帝月ノ宮の選手として命令に従うのは当然の事だ。
それなのに、彼女が自らグリッドオメガに参加した事に対し、こんなにも不安になるのは何故なのだろうか...。
「...水津さん」
『ん、待たせたね』
戻ってきた水津さんは、ずいぶんと青い顔をしている。
具合を聞いても、どうせ大丈夫だと返されるだけだと分かっているから、何も言わないでおく。
『戻ろうか』
はい、と返事をして彼女の隣を歩く。
お互いに無言のままロッカールームに戻れば、皆既にジャージに着替え終え片付けを済ませていた。
「戻ったね。片付けをして寮に戻れと監督命令だ」
「そうですか」
野坂さんに返事をして、水津さんを見れば自分のロッカーまで歩いていき、ロッカーを開けてジャージを取り出していた。
「梅雨さん随分と具合悪そうだね」
隣にきた野坂さんが小声でそう言うのに、静かに頷く。
「トイレで吐いていた様子でした」
「...そうか。西蔭」
はい、と返事をすれば、野坂さんはジャージに袖を通しチャックを上げている梅雨さんを見ながら口を開いた。
「僕は片付けの最終チェックをして出るから、みんなと彼女を連れて先に帰っていて。途中で倒れられたら困るからちゃんと部屋まで送って行くんだよ」
「分かりました」
野坂さんは、水津さんに対して甘いと思う。
これが他の人物だったら、この程度の事で音を上げる者は要らないと切り捨てていると思う。いや、まあ別に音は上げていないか...。
けれど明らかに水津さんは感情的な人物で、野坂さんの言う弱い人間のはずだ。
それなのに何故。
彼女が強化委員だからなのか。それとも、野坂さんが水津さんを名前で呼び出したあの日、何かあったのか。
分からないが、野坂さんが水津さんを信頼し、心配するのは何か意味があるのだろう。
ならば、俺はそれに従うだけだ。
水津さんはロッカーをパタンと閉めて、結んでいた髪を解いている。
「みんな片付け終わったな」
「じゃあ、野坂。先に戻っておくぞ」
3年生2人がそう言えば、ええ、と野坂さんが頷く。
お疲れ様、そう言って3年生2人を筆頭に1、2年生もゾロゾロとロッカールームを出ていく。
「水津さん戻りますよ。大丈夫っすか?」
『一矢。大丈夫だよ。帰ろうか』
「大丈夫って顔色じゃないんで部屋まで送りますよ」
『ん、ありがとう』
そう言って葉音に水津さんは弱々しく笑いかけて、2人は一緒にロッカールームを出ていく。
「葉音に先を越されてしまったね」
俺が野坂さんに頼まれたのは葉音は知らないのだから仕方ないが、何となく腹立たしいのは何故だ。
「一応何かあるといけないので俺も着いて行きます」
「うん。そうして」
野坂さんに、お先に失礼しますと告げて、2人を追ってロッカールームを出た。
スタジアムの選手用の改札にライセンスカードを翳して出たら、2人はちょうど出た先で、灰崎に捕まっていた。
「てめぇ、鬼道と同じ強化委員で元雷門だってな」
ギッと眉を釣り上げて水津さんを睨み付ける灰崎に対し葉音が彼女を守るように前に出た。
『大丈夫だよ、一矢』
そう言って、葉音の肩に手を置いた水津さんは、それで、と冷たい目で灰崎を見た。
「あんな事して何とも思わねぇのかよ!」
怒声を上げる灰崎に、水津さんは、はあ、とため息を吐いた。
『...だから、最初に謝ったんだよ』
「あ?つまり最初から、あの汚ぇ手を使う気でいたってか!鬼道の妹がどんな気持ちで泣いてたか、お前には分かんねぇだろうな!」
そんなワケないだろう。
誰よりもグリッドオメガを使うことを反対してた人だ。
けれど、灰崎の言葉を聞いて、水津さんは、フフっと小さく笑って見せた。
「水津さん?」
隣に立つ葉音が彼女の顔を見て、息を飲んだ。
笑っているように見えるが、コレは多分怒っている。いや、怒っているとも違うかもしれない。目が合ったら凍り付くような、そんな感じだ。
灰崎も何かを感じ取ったのか、口を開けたまま固まった。
『弱い方が負けるのは当然でしょう。それでベンチで泣いてて何になるの』
「てめぇっ!」
拳を握った灰崎を見て慌ててその腕を掴む。
「なっ、お前!!離せっ、ぐっ」
掴んだ手を振りほどこうとするので、さらにグッと力を込めれば、灰崎は顔を歪めた。
「てめぇッ!!くそっ!このゴリラ!!!」
『西蔭。離してあげな』
「しかし...」
未だ殴りかかりそうな勢いの灰崎と水津さんを見比べる。
『じゃあいいよ。置いて帰るから。行こうか一矢』
「え、いいんっすか?」
いいよいいよと言って葉音の背を叩いて、水津さんは背を向ける。
「いいわけねぇだろ!逃げんな!!」
叫ぶ灰崎に水津さんはわざとらしく大きなため息を吐いた。
『春奈ちゃんは泣く前に選手のケアをするべきだった。そして君は今ここで私に噛み付いてる場合じゃない。もっとやるべき事があるだろう』
「はあ!?」
『鬼道に伝えとけ。私はやるべき事ことが見つかったから王帝月ノ宮に居ると』
それだけ言い放ち、水津さんは行くよと再度、葉音に声をかけて寮に向かって歩いていった。
「なんなんだあの女ァ!!」
苛立ったように叫ぶ灰崎を見下ろせば、灰崎は舌打ちした。
「いい加減離せや!このクソゴリラ!!」
1発ぶん殴ってやろうかとも思ったが、以前、水津さんに言われた通り暴力沙汰で出場停止となっては野坂さんに迷惑がかかるので止めて、2人の姿が見えなくなったのを確認して灰崎を離した。
「あんな女庇う意味が分からねぇ。イカれてんぞお前ら」
そう言って灰崎は俺から離れて改札横の壁にもたれかかった。
そんな灰崎を置いて、2人を追うため歩き出す。
「稲森はやっぱ目腐ってんじゃねぇか。アレの何処が優しそうなんだよ」
後ろから、ケッと悪態つく灰崎の声に思わず足を止めた。
「あの人が厳しいのはお前にだけだ」
何故か、伝えなければならないと思った。
ここまで露骨に厳しいのは灰崎だけにだ。
基本的に水津さんは後輩に甘い。学年が下になればなるほど甘い。
それなのに1年生である灰崎にここまで手厳しいのはコイツが無礼だから、だろうか。
「あの人は...、」
いや、これ以上は灰崎に言う必要はないな。
そう思い2人を追って再び寮に向かった。
優しくて弱い人
だからこそ、野坂さんはこの人をチームに入れるのかもしれない。