DQ3 夜明けの果てに君と


 窓から差し込む朝日が、イシス城の客室を柔らかく照らしていた。

 カエデは寝台の上で目を覚ますと、ゆっくりと身体を起こした。窓の外からは、城の中を行き交う人々の足音や、遠くから聞こえる鳥の声が届いている。

 昨日までの騒動が嘘のように、朝の城は穏やかな空気に包まれていた。

「……朝だ」

 隣の寝台では、アレルも目を覚ましていた。

「おはよう、アレル」

「ああ。おはよう」

 アレルは身体を起こし、右手をゆっくりと握ったり開いたりした。

 ナイルのあくまとの戦いでライデインを放って以来、右手には強い痺れが残っていた。昨夜もまだ完全には治っておらず、剣を握るには少し不安があった。

「手はどう?」

 カエデが尋ねる。

「昨日よりはよくなっている。だが、まだ少し違和感があるな」

 アレルは右手を見つめた。

「今日は無理をしない方がいいね」

「そうだな。出発はもう一日延ばそう」

 その言葉に、カエデはほっとしたように頷いた。

「うん。その方がいいよ」

 無理をして旅を続けるより、きちんと回復させることが大切だ。これから先も長い旅が続くのだから、今は身体を休めるべきだった。

 二人は身支度を整え、客室を出た。

     *

 城の廊下を進むと、シオン、ライザ、フレミアの三人が待っていた。

「おはよう!」

「おう。よく眠れたか?」

 ライザが笑顔で声をかける。

「うん。お城の部屋って、なんだか落ち着かないけどね」

「私は意外と快適だったわよ」

 フレミアが楽しそうに答えた。

「アレルの手はどう?」

「昨日よりはよくなったが、まだ完全ではない。今日の出発は見送ることにした」

「それがいいわね。無理をしてまた動けなくなったら困るもの」

「俺も二人とアッサラームに戻るんだが、こんな奴を背負いながら魔物と戦うのはごめんだぜ。」

 シオンがからかうように言う。

「……俺はそこまで重くないぞ」

「そういう問題じゃないだろ」

 カエデは二人のやり取りを見て、小さく笑った。

「せっかく一日延びたんだし、今日はみんなで街を見て回らない?」

「街を?」

 フレミアが興味を示す。

「うん。イシスには綺麗な場所もお店もたくさんあるし、思い出にみんなで観光したいなって」

「いいじゃない!」

 フレミアはすぐに頷いた。

「私も賛成だ。せっかくだからな」

 ライザも笑顔を見せる。

「俺も異論はない」

 シオンは腕を組み、頷いた。

「ただし、あまり歩き回りすぎるなよ。アレルはまだ本調子じゃないんだからな」

「分かってるよ」

 カエデは頷き、アレルの方を見た。

「アレルも、疲れたらすぐに言ってね」

「ああ。気をつける」

 こうして五人は、イシスの街を見て回ることになった。

     *

 ジゼルに事情を説明し城の外へ出ると、朝の陽光を受けたイシスの街が目の前に広がっていた。

 白い石造りの建物が並ぶ通りには、色鮮やかな布を張った屋台が立ち並び、風に揺れる布の影が石畳に模様を落としている。

 店先には香辛料や果物、細かな装飾品が並べられ、商人たちの呼び声が通りのあちこちから聞こえてきた。

 建物の間にはヤシの木が植えられ、風が吹くたびに大きな葉がさらさらと音を立てる。

 砂漠の乾いた空気の中に、焼きたてのパンや甘い菓子の香りが混じっていた。

「わあ……やっぱり綺麗!」

 カエデは目を輝かせながら、街並みを見渡した。

 昨日は夜に到着したため、町の全体をゆっくり見ることができなかった。朝の光に照らされたイシスは、夜とはまた違った美しさを持っている。

「気に入ったようだな」

 アレルが隣で微笑む。

「うん! どこを見ても綺麗だし、歩いているだけでも楽しいよ」

「そうか。それなら、今日はゆっくり楽しもう」

「うん!」

 カエデは嬉しそうに頷いた。

 五人は市場を抜け、街の中央にある大きな広場へと向かった。

 そこは、イシスの街の中でもひときわ目を引く場所だった。

 広場の中央には白い石で造られた噴水があり、その周囲には細かな模様を施した柱が並んでいる。柱の上部には金色の装飾があしらわれ、太陽の光を受けるたびにきらりと輝いていた。

 噴水から流れ落ちる水が、涼しげな音を立てている。

 その周りでは、子供たちが楽しそうに走り回り、ベンチに腰掛けた人々が穏やかに談笑していた。

「すごい……!」

 カエデは噴水のそばまで歩み寄った。

 水面には青空と白い建物が映り込み、風が吹くたびにその景色がゆらゆらと揺れている。

「ここは街の人たちがよく集まる場所らしいわ」

 フレミアが説明する。

「買い物の途中で休んだり、待ち合わせをしたりね。私も何度か来たことがあるわ」

「そうなんだ。こんな場所が近くにあったら、毎日でも来たくなっちゃうね」

「ふふ。あなたなら本当に毎日来そうね」

「えへへ」

 カエデは照れくさそうに笑った。

 そのとき、広場の向こうから、一人の女性と小さな子供がこちらへ歩いてきた。

 女性は五人の顔を一人ずつ確かめるように見つめている。やがて、カエデたちの前まで来ると、少し緊張した様子で声をかけた。

「あの……失礼ですが、あなた方は昨日、ピラミッドから人々を助け出してくださった方々ではありませんか?」

 アレルが女性へ向き直る。

「はい。そうですが」

「やっぱり……!」

 女性の表情がぱっと明るくなった。

「ずっと探していたんです。助けてくださった方々に、どうしてもお礼を言いたくて」

 隣にいた子供も、母親の服を握りながら五人を見上げている。

「お兄ちゃんたちとお姉ちゃんたちが助けてくれたの?」

「ああ。そうだよ」

 アレルが優しく答える。

「本当に、ありがとうございました」

 女性は深く頭を下げた。

「家族が無事に戻ってきてくれて、ようやく安心して眠れるようになりました。あの人が帰ってきたときは、夢を見ているのかと思ったほどです」

 その言葉に、カエデは胸の奥が温かくなるのを感じた。

「これはほんの気持ちですが、よかったら受け取ってください」

 女性は手に持っていた包みを差し出した。

 中には、焼き菓子や果物がいくつか入っていた。

「そんな、いただくわけには……」

 アレルが遠慮しようとする。

「いいえ。私たちにできるのは、これくらいですから」

 女性は微笑んだ。

「どうか、旅の途中で召し上がってください」

「……ありがとうございます」

 カエデが両手で包みを受け取った。

「大切にいただきますね」

 子供も嬉しそうに笑った。

「お兄ちゃんたち、ありがとう!」

「どういたしまして」

 アレルが頭を撫でると、子供は少し照れたように母親の後ろへ隠れた。

 女性と子供が去っていくのを見送りながら、カエデは包みを胸元に抱えた。

「……よかったね」

「ああ」

 アレルも静かに頷いた。

 失踪事件を解決できたこと。それによって、こうして家族が再び一緒に過ごせるようになったこと。

 その光景を目にすると、これまでの苦労も報われたような気がした。

「こういうのを見ると、頑張ってよかったって思えるわね」

 フレミアが穏やかな声で言う。

「そうだな」

 ライザも広場を見渡した。

「俺たちが戦っている理由は、こういう人たちを守るためでもあるんだろう」

 シオンは何も言わなかったが、広場を行き交う人々を静かに眺めていた。

 五人はしばらく噴水のそばで過ごしたあと、再び街の散策を始めた。

     *

 広場を離れた五人は、細い路地に並ぶ店を見て回った。

 色鮮やかな布を扱う店では、壁一面に織物が飾られていた。赤や青、深い緑の布には金色の糸で細かな模様が縫い込まれ、風が吹くたびにゆっくりと揺れている。

 アクセサリーを扱う店には、金属細工の腕輪や耳飾り、色とりどりの石をあしらった首飾りが並んでいた。

「これ、綺麗……」

 カエデは店先に並んだ小さな装飾品を覗き込んだ。

「気に入ったものでもあるのか?」

 アレルが尋ねる。

「ううん。見ているだけでも楽しいなって」

「そうか」

 アレルは頷き、カエデの視線の先にある品々を一緒に眺めた。

「ねえ、あっちのお店も見てみようよ!」

 次から次へと目移りするカエデに振り回されているアレルをライザが笑い、シオンもその後に続く。

「まあ、カエデが楽しそうで何よりね」

 フレミアは呆れたように言いながらも、この時間がずっと続くことを願っているような目で二人を見つめていた。

 しばらく店を見て回っていると、フレミアがふと足を止めた。

「あら。あそこに面白そうなものがあるわよ」

 彼女が指さした先には、小さな店があった。

 店先には冷やされた金属の器が並び、その中には白や淡い黄色の滑らかな菓子が入っている。

「何だろう、あれ?」

 カエデが首を傾げる。

「アイスクリームよ」

 フレミアが答えた。

「アイスクリーム?」

 ライザも店先を覗き込む。

「冷たい菓子なのか?」

「そうみたいだね。おいしそう!」

 カエデが器の中を見つめる。

「せっかくだし、みんなで食べましょうよ」

 フレミアの提案に、ライザが頷く。

「いいな。歩き回って少し暑くなってきたところだ」

「俺も構わない」

 シオンも店先へ近づいた。

「アレルは?」

 カエデが尋ねる。

「俺もいただこう」

 五人は店主にそれぞれ注文した。

 小さな器に盛られたアイスクリームが、順番に手渡される。

 白いもの、淡い黄色のもの。器の上には小さな果物が添えられているものもあった。

「わあ、おいしそう!」

 カエデはスプーンを手に取り、アイスクリームをひとすくいした。

 口に運ぶと、ひんやりとした甘さが広がる。

「おいしい!」

「本当ね。甘すぎないから食べやすいわ」

 フレミアも満足そうに頷いた。

 ライザは器を持ち上げ、しばらく不思議そうに眺めていた。

「これがアイスクリームか。見た目は柔らかい菓子だが、ずいぶん冷たいな」

「溶ける前に食べた方がいいよ」

 カエデが教える。

「なるほど。では、いただこう」

 ライザはスプーンですくい、口へ運んだ。

「……おお。これはうまい!」

「でしょう?」

「冷たさが口の中に広がるな。砂漠の街にはぴったりの菓子だ」

 ライザはもう一口すくった。

「こういうのも、たまにはいいな」

シオンは既に半分食べ終わっていた。

 フレミアも器を手に、満足そうに食べ進めている。

 一方、アレルは器を手にしたまま、少し困ったように中身を見つめていた。

「……アレル?」

 カエデが気づいて声をかける。

「どうしたの?」

「いや……これは、どうやって食べるんだ?」

「えっ?」

 カエデは一瞬きょとんとした。

 アレルはスプーンを手にしているものの、どうすくえばいいのか分からない様子だった。

「スプーンですくって食べるんだよ」

「うん。こうやって」

 カエデは自分の器から少しすくって見せた。

「ほら、簡単でしょ?」

「なるほど」

 アレルは真似をしようとしたが、少し力を入れすぎたのか、スプーンの上にうまく乗らなかった。

 表面を削るようにすくったアイスクリームが、器の縁に少しだけついてしまう。

「……難しいな」

「えっ、そんなに?」

 カエデは思わず笑ってしまった。

「もう、アレル。そんなに力を入れなくていいんだよ」

「そうなのか」

「ちょっと貸して」

 カエデはアレルの手元を覗き込み、スプーンの持ち方を確かめる。

「ここを軽く持って、こうやって少しずつすくうの」

 そう言いながら、カエデは自分の器でもう一度手本を見せた。

「ほら。力を抜いてね」

「分かった」

 アレルは今度こそ慎重にスプーンを動かした。

 小さなひと口分が、ようやくスプーンの上に乗る。

「……できた」

「うん! 上手!」

 カエデが嬉しそうに笑う。

 アレルは少し照れくさそうに視線を逸らした。

「これくらいで褒められるとは思わなかったな」

「だって、さっきよりずっと上手だよ」

「そうか」

 アレルはスプーンを口元へ運ぼうとした。

 そのとき、カエデがふと彼の器に目を向ける。

「でも、まだいっぱい残ってるね」

「ああ。ゆっくり食べるつもりだ」

「早く食べないと溶けちゃうよ?」

「それはそうだな」

 アレルが器を持ち直したところで、カエデは店主にもう一本スプーンをもらった。

「はい。これ使って」

「……二本も必要なのか?」

「ちょっと貸して」

 カエデはアレルの器から小さくすくい取った。

「こうすれば食べられるよ」

 カエデが差し出したスプーンを見て、アレルは少し戸惑った。

「……自分で食べられるぞ」

「分かってるよ。でも、早く食べないと溶けちゃうでしょ!」

「それはそうだが……」

「ほら、どうぞ」

 カエデはスプーンを差し出したまま、アレルの返事を待った。

 アレルは少しだけ視線を逸らしたあと、周囲の様子を確かめるように一度だけ目を動かした。

 フレミアたちは、少し離れたところで何やら話をしている。こちらを見ている様子はなかった。

 それでも、誰かに見られているような気がして、アレルはわずかに気恥ずかしさを覚えた。

「……分かった」

 観念したように口を開く。

 カエデがスプーンを近づけると、ひんやりとしたアイスクリームが彼の口に入った。

 アレルは少し驚いたように目を瞬かせる。

「……うまいな」

「でしょ?」

 カエデは嬉しそうに笑った。

「冷たくて、甘くて。暑い日にぴったりだよね」

「ああ。思っていたよりもさっぱりしている」

「甘すぎないところもいいよね」

「そうだな」

 アレルは今度こそ自分でスプーンを使い、ゆっくりとアイスクリームを口に運んだ。

 先ほどよりも上手にすくえるようになっている。

「もう自分で食べられそうだね」

「ああ。教えてもらったからな」

「どういたしまして」

 カエデは自分の器に向き直った。

 その様子を、少し離れた場所からフレミアが眺めていた。

「……ふふ」

「何笑ってるんだよ」

 シオンが隣から声をかける。

「別に。何でもないわ」

 フレミアは楽しそうに笑った。

「本当に仲がいいこと」

「そうだな」

 ライザも二人の様子を見て、穏やかに笑った。

 カエデはそんな視線に気づかないまま、アイスクリームを食べ終えた。

 器の底に残った少しの甘さをすくい取り、満足そうに息をつく。

「おいしかったね!」

「ああ」

 アレルも頷いた。

 砂漠の街で食べる冷たい菓子は、思っていた以上に心地よかった。

 五人は店主に礼を言い、再び街の散策へと戻った。

     *

 午後になると、太陽は街の建物の上へ高く昇り、白い石壁を明るく照らしていた。

 五人は市場を抜け、城の近くまで足を延ばした。

 途中、カエデは何度も足を止めては、気になる店を覗き込んだ。フレミアもそれに付き合い、二人で布や装飾品を見比べている。

 その後ろでは、シオンとライザが少し距離を置いて歩いていた。

「フレミアは、カエデとすっかり仲良くなったな」

 ライザが言う。

「そうだな。あの二人は気が合うらしい」

 シオンが前を歩く二人を見た。

「カエデも、フレミアと一緒にいると楽しそうだ」

「女同士で話せる相手ができたんだ。いいことだろ」

 シオンは肩をすくめる。

「お前も、カエデとはずいぶん打ち解けたようだな」

「……まあな」

「最初からそうだったわけではないんだろう?」

 ライザが尋ねる。

「そうだな。最初は、あいつのことをよく知らなかった。戦えないことだけを見て、勝手に判断していた」

 シオンは少しだけ視線を落とした。

「今思えば、ずいぶん失礼なことを言ったと思う」

 ライザはそれ以上追及せず、軽く頷いた。

 その少し前では、フレミアがカエデの手を引いていた。

「こっちのお店も見ていきましょうよ」

「うん!」

 カエデは楽しそうに返事をする。

 アレルは二人の後ろを歩きながら、時折右手の様子を確かめていた。

 朝よりも動かしやすくなっている。指を曲げても、強い痺れは感じない。

 けれど、完全に元通りというわけではなかった。

「アレル、疲れてない?」

 カエデが振り返って尋ねる。

「大丈夫だ。心配しなくていい」

「本当に?」

「ああ。少しずつよくなっている」

 アレルは右手を軽く握って見せた。

 カエデはその様子を見て、安心したように笑った。

「よかった」

「今日はお前も楽しめ。せっかくの休みなんだからな」

「うん!」

 カエデは再びフレミアの隣へ戻った。

 街を歩いていると、昨日まで不安そうな表情をしていた人々が、少しずつ笑顔を取り戻していることに気づく。

 市場では商人たちの声が響き、広場では子供たちが走り回っていた。家族と一緒に歩く人々の姿も、あちこちで見られる。

 事件が解決したからといって、すべてがすぐに元通りになるわけではない。

 それでも、人々は少しずつ日常を取り戻そうとしていた。

 カエデはその光景を見つめ、静かに微笑んだ。

 この街に来てから、いろいろなことがあった。

 砂漠を越え、失踪事件を知り、ピラミッドへ向かった。

 危険な戦いもあったし、仲間と離れ離れになった時間もあった。

 けれど、こうして街の人々が笑っている姿を見ると、ここまで来てよかったと思える。

 そして、今日一日を一緒に過ごしている仲間たちの姿も、カエデにとって大切なものになっていた。

     *

 夕方になると、街を照らす光が少しずつ橙色へと変わっていった。

 白い建物の壁には長い影が伸び、ヤシの木の葉が夕風に揺れている。

 五人は一日歩き回った疲れを感じながら、宿屋へと戻った。

「今日は楽しかったね!」

 カエデが満足そうに言う。

「ああ。ゆっくり街を見て回ることができた」

 アレルも穏やかに答えた。

「アイスクリームもおいしかったわね」

 フレミアが笑う。

「また食べたいな」

「俺も賛成だ」

 ライザが頷く。

「お前ら、本当に食べ物の話ばかりだな」

 シオンが呆れたように言った。

「いいじゃない。おいしいものは大事よ」

 フレミアが笑う。

「それは否定しないがな」

 シオンは小さく笑った。

 宿屋に着くと、主人が五人を迎えた。

「お帰りなさい。今日はゆっくり過ごせましたか?」

「はい。おかげさまで」

 アレルが答える。

「今夜のお部屋を用意してあります。こちらへどうぞ」

 主人に案内され、五人は部屋へ向かった。

 部屋割りを聞いたフレミアが、ふと足を止める。

「……え?」

 彼女は宿の主人から聞いた部屋割りをもう一度確認するように、アレルとカエデを見比べた。

「ちょっと待って。アレルとカエデ、同じ部屋なの?」

「そうだが」

 アレルが何でもないように答える。

「……二人って、やっぱりそういうことなの?」

「えっ!?」

 カエデが慌てて顔を上げた。

「ち、違うよ! そういうことじゃないから!」

「本当かしら?」

 フレミアは楽しそうに目を細める。

「同じ部屋の方が何かと都合が良い」

 アレルが真面目な顔で答えた。

「……なんの都合よ!?」

 フレミアの声が部屋に響いた。

「予定を確認したり、今日のことを振り返ったりな」

「それだけ!?」

「ああ」

 アレルは不思議そうに頷く。

 フレミアは大きくため息をついた。

「もう……。本当にあなたって人は」

 シオンは肩を揺らして笑っている。

「まあ、いいんじゃないか。二人はずっと一緒に旅をしているんだし」

「そうだな。いい信頼関係だ」

 ライザも穏やかに頷いた。

 カエデは少し困ったように笑いながら、二人の方を見た。

「それに、まだアレルの手が治ってないから……。何かあったときにすぐ気づけるし」

「大したことない。もうほとんど問題ない」

 アレルは右手を軽く動かした。

「そういうところよ」

 フレミアが呆れたように言う。

「無理をしているつもりはない」

 シオンもアレルの右手を見て、少しだけ息を吐いた。

「まったく、世話が焼けるな」

 カエデはそんな二人を見て、思わず笑ってしまった。

 部屋の中には、五人の笑い声が広がった。

 その夜、五人は食事を済ませ、明日の出発に備えて荷物をまとめた。

 イシスで過ごす最後の夜。

 それぞれの寝台に腰を下ろしながら、今日の出来事や、これからの旅について話をした。

 やがて夜が深まり、宿屋の周囲も静かになっていく。

 カエデは寝台に横になり、窓の外を見つめた。

 月明かりに照らされたイシスの街は、昼間とは違う静かな美しさを見せている。

 明日になれば、また旅が始まる。

 この街で出会った人たちとも、しばらくは会えなくなるだろう。

 少し寂しい。

 けれど、今日の楽しかった時間は、きっと忘れない。

 カエデはそう思いながら、ゆっくりと目を閉じた。

     *

 翌朝――。

 窓の外から聞こえる鳥の声に、アレルは目を覚ました。

 身体を起こし、まず右手を確かめる。

 指を握る。

 開く。

 手首を動かす。

 昨日まで残っていた痺れは、もう感じられなかった。

「……治った」

 アレルは右手を見つめた。

 何度か握り直してみても、違和感はない。剣を握ることにも問題はなさそうだった。

「アレル?」

 隣の寝台から、カエデの声が聞こえる。

「どうしたの?」

「右手の痺れがなくなった」

「本当!?」

 カエデは身体を起こし、アレルの手を見た。

「よかった……!」

 その表情には、心からの安堵が浮かんでいた。

「これなら、今日からまた旅を続けられる」

「うん。よかったね、アレル」

「ああ。心配をかけたな」

「ううん。治ってくれて本当によかった」

 二人は身支度を整え、荷物をまとめて宿屋の一階へ降りていった。

 食堂には、すでにシオン、ライザ、フレミアの姿があった。

「おはよう」

「おう。おはよう」

 ライザが振り返る。

「アレル、手はどう?」

 フレミアが尋ねる。

「もう大丈夫だ。痺れは完全になくなった」

 アレルは右手を軽く握って見せた。

「よかったじゃない!」

 フレミアは笑顔で頷いた。

「これで安心して出発できるわね」

「そうだな」

 シオンも短く頷いた。

 そのとき、宿屋の入口から人影が現れた。

「おはよう。出発の準備はできているか?」

「ジゼルさん!」

 カエデが声を上げた。

 そこには、いつものように槍を携えたジゼルが立っていた。

「みんな、おはよう」

「どうしてここに?」

 アレルが尋ねると、ジゼルは咳払いをし、五人の前まで移動した。

「女王陛下から伝言を預かってきた。お前たちがアッサラームへ向かうための馬車を用意してくださったそうだ」

 それは助かるな、と顔を見合わせるアレルとシオン。

「これで全身砂まみれの刑、回避できるね!」

嬉しそうな三人に、ジゼルは穏やかに微笑んだ。

「あなたたちと過ごした時間は、私にとっても大切なものになった……ありがとう」

 その言葉に、カエデは嬉しそうに笑った。

_______

 旅立ちの準備を整え、宿屋の外へ出ると、街の入口近くに馬車が用意されていた。

 馬車の周囲には、荷物を積み込むための使用人たちが待っている。

 そのそばには、ライザとフレミアも立っていた。

 カエデが駆け寄る。

「二人とも、見送りに来てくれたんだね」

「当然でしょう。何も言わずに出発されたら困るもの」

「そうだな。最後くらい、きちんと見送らせてくれ」

 そう言うと、ライザはアレルとシオンに大きな手を差し出した。

彼らは、ピラミッド調査の仲間から、ともに死線を潜り抜けた戦友になっていた。

二人はその手をしっかりと握る。

「アレル、シオン。また会ったときには、三人で手合わせをしよう」

「ああ。約束だ」

「お前の武運も祈っている」

 シオンの言葉に、ライザも力強く頷いた。

 その隣では、フレミアがカエデの手を取っていた。

「カエデ。あなたとは、もう少し一緒にいたかったわ」

「私もだよ。フレミアちゃんと一緒に過ごせて、本当に楽しかった」

「ふふ。そう言ってもらえると嬉しいわ」

 フレミアはカエデの手を軽く握る。

「また会えるわよね?」

「うん。きっと!」

「約束よ」

 二人は笑い合った。

 フレミアはそのままアレルへ視線を向ける。

「それから、アレル」

「何だ?」

「カエデを振り回したら許さないからね」

「……むしろ、振り回されているのはこっちなんだが」

 アレルが困ったように答える。

「間違いないな」

 シオンがすぐに同意した。

「ええっ!? ひどいな!」

 カエデが頬を膨らませる。

 ライザが声を上げて笑い、フレミアもつられて笑った。

 アレルも小さく笑みを浮かべる。

 別れの寂しさはある。

 けれど、今は笑って送り出したかった。

     *

 やがて、馬車への荷物の積み込みが終わった。

 御者が手綱を握り、出発の準備を整える。

「それでは、出発いたします」

 使用人の一人がジゼルへ声をかけた。

「ああ。頼む」

 ジゼルは頷き、馬車の方へ視線を向けた。

 アレル、カエデ、シオンの三人が乗り込む。

 カエデは座席に腰を下ろす前に、もう一度外を振り返った。

 朝の光を浴びたイシスの街は、出発を迎える人々の声に包まれていた。門の近くでは荷車が行き交い、商人たちが今日の商いの準備を始めている。

 その中に、こちらを見送る三人の姿があった。

 フレミアはカエデの方へ身を乗り出すようにして立ち、ライザはその隣で腕を組んでいる。ジゼルは少し後ろに立ち、二人を見守るように穏やかな表情を浮かべていた。

「ライザ、フレミアちゃん、ジゼルさん!」

 三人がこちらを見る。

「ありがとう! 元気でね!」

 カエデは笑顔で手を振った。

 ライザが大きく手を振り返す。

 ジゼルも穏やかな表情で頷いた。

「道中、気をつけて。あなたたちの旅が無事であることを願っている」

 フレミアは両手を口元に添え、声を張り上げた。

「あんたたちのこと、忘れないから! 覚えてなさいよ!」

「……おそろしい女だ」

 シオンが呆れたように笑う。

 カエデも思わず吹き出した。

「フレミアちゃんらしいね」

「そうだな」

 アレルも窓の外へ目を向け、三人に向かって軽く手を上げた。

 馬車がゆっくりと動き始める。

 車輪が石畳の上を転がり、街の門へ向かって進んでいった。

 カエデは窓から身を乗り出さないよう気をつけながら、何度も手を振った。

 フレミアはいつまでも大きく手を振り、ライザは笑顔で見送っている。

 ジゼルは二人の隣で、静かに馬車を見つめていた。

 やがて馬車が門を抜ける。

 白い石造りの街並みが、少しずつ後ろへ流れていった。

 カエデは窓の外を見つめた。

 朝日に照らされた建物の壁は淡く輝き、金色の装飾が陽光を受けてきらめいている。街のあちこちに立つヤシの木は、砂漠から吹き込む風に大きく葉を揺らしていた。

 広場の噴水は、遠くからでも水面が光っているのが分かる。

 あの場所で、子供たちが笑っていた。

 市場の店先には、今日も色鮮やかな布や果物が並んでいるのだろう。

 そして、その向こうにはイシス城の白い姿がそびえていた。

 少し離れた場所には、夜の闇の中で訪れた巨大なピラミッドが見えていた。

 あの場所で、どれほどのことがあっただろう。

 砂漠を歩き、魔物と戦い、仲間と離れ離れになり、失踪した人々を救い出した。

 危険なことも、怖かったこともあった。

 ひとくいばこのザキに襲われたときのこと。砂の中から現れたミイラ男たちに追われたこと。ナイルのあくまとの戦いで、アレルが右手を痺れさせるほどの力を使ったこと。

 思い返せば、決して楽な旅ではなかった。

 それでも、こうして振り返ると、苦しい記憶だけではない。

 フレミアと初めて手を繋いで歩いたこと。

 彼女の冗談に笑わされたこと。

 ライザの豪快な踊りを見たこと。

 ジゼルと一緒に戦い、助け合ったこと。

 そして、みんなで囲んだ宴の夜。

 何気ない会話も、笑い声も、今では大切な思い出になっていた。

「……また来られるといいね」

 カエデが小さく呟く。

「ああ。きっと来られるさ」

 隣に座るアレルが答えた。

 その声を聞き、カエデは彼の方を向いた。

「そのときは、またみんなで街を歩きたいな」

「そうだな。今度はもっとゆっくり見て回れるといい」

「アイスクリームも食べたい!」

「気に入ったんだな」

「うん。アレルも、もう一人で食べられるよね?」

「……ああ。今度は大丈夫だ」

 少しだけ困ったような顔をするアレルに、カエデは笑みをこぼした。

 シオンも窓の外へ目を向ける。

「そのときは、またあいつらに振り回されることになるかもな」

「ふふっ。そうかもしれないね」

 カエデは笑った。

 馬車は砂漠へ続く道を進んでいく。

 イシスの街は、少しずつ遠ざかっていった。

 けれど、そこで出会った人々との時間が消えるわけではない。

 それぞれの胸に残った思い出を抱えながら、三人は次の目的地へと向かう。

 砂漠の向こうには、まだ知らない景色と、新しい出会いが待っている。

 カエデは最後にもう一度だけ振り返った。

 白い街並みが、陽光の中に小さく輝いている。

 その景色が見えなくなるまで、彼女は静かに目を向け続けていた。
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