DQ3 夜明けの果てに君と
ピラミッドを後にした一行は、救出した人々とともにイシスへの道を進んでいた。
砂漠には、朝の澄んだ空気が広がっていた。
どこまでも続く砂丘は、柔らかな陽光を受けて淡い金色に輝いている。風が吹くたびに砂の表面がさらさらと流れ、小さな波のような模様を描いていた。
空には雲ひとつなく、青い空が地平線の向こうまで広がっている。
昨日までの厳しい暑さや砂嵐が嘘のようだった。
砂漠を渡る風は心地よく、頬を優しく撫でていく。遠くでは小さな鳥が羽ばたき、静かな砂の大地にかすかな鳴き声を響かせていた。
「……気持ちいいね」
カエデが空を見上げながら呟いた。
「ああ。昨日までのことを考えると、ずいぶん穏やかに感じるな」
隣を歩くアレルが答える。
カエデは彼の横顔を見た。
アレルの右手は、まだ完全には回復していない。雷の力を使った影響で、指先にはわずかに痺れが残っていた。
それでも、彼はいつも通りの足取りで歩いている。
「……アレル」
「ん?」
「ピラミッドで、私たちがはぐれたときのことなんだけど」
カエデは少しだけ視線を落とした。
「あのとき、すごく怖かったんだ」
風が吹き抜け、彼女の髪を揺らす。
「目を覚ましたら真っ暗で、アレルたちの姿も見えなくて……。どこにいるのかも分からなかったし、また魔物が出てきたらどうしようって」
「……そうだったのか」
「うん。アレルと離れたこともそうだけど、このままみんなと会えなくなったらどうしようって思った」
カエデは、あのときのことを思い返す。
暗闇の中で目を覚ましたときの不安。
どこまでも続くように感じられた棺の並ぶ通路。
次々と現れる罠や、棺から起き上がったミイラ男たち。
思い出すだけでも、胸の奥が少しだけ重くなる。
「でも、フレミアちゃんとジゼルさんがいてくれたから」
カエデは顔を上げた。
「フレミアちゃんは、怖がっている私を笑わせてくれたし、ジゼルさんはずっと落ち着いていて、どうすればいいのか考えてくれた。二人がそばにいてくれたから、私も立ち上がれたんだと思う」
「そうか」
「それに、私も少しは戦えるようになったんだよね。前だったら、あんな場所で魔物に襲われたら何もできなかったと思う。でも、今は違う」
カエデは腰に下げた風のブーメランへ目を向けた。
何度も戦いを経験するうちに、少しずつ使い方にも慣れてきた。
まだアレルやシオンのように戦えるわけではない。それでも、自分にできることが増えているのは確かだった。
「確かに、すごく危険な旅だけど……」
カエデは一度言葉を切り、アレルを見上げた。
「私は、アレルの仲間になれて嬉しいよ」
その言葉に、アレルはわずかに目を見開いた。
「……カエデ」
「アレルと出会って、シオンと知り合って、それからフレミアちゃんやライザ、ジゼルさんとも一緒になって。みんなと旅をしていると、毎日いろんなことが起きるんだよね」
カエデは楽しそうに笑った。
「フレミアちゃんが騒いで、シオンがそれに乗っかって、ライザとアレルが呆れてて……。ジゼルさんは、そんなこと全然気にせずに前だけ見て歩いてるし」
「……確かに、そんな感じだな」
アレルは苦笑した。
「でも、それが楽しいんだよ。みんなでいると、何でもない時間まで思い出になるんだもん」
カエデは少しだけ考えるように視線を上げた。
「そういえば、ラリホーのときも面白かったなあ」
「ラリホー?」
「ほら、だいおうガマに眠らされたとき!」
カエデは思い出したように笑う。
「アレル、寒いって言いながらマントを布団みたいにかぶって、丸くなって寝ちゃったでしょう?」
「……ああ」
アレルは少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「シオンが何度起こしても全然起きなかったのに、私が『助けて!』って叫んだら、すぐに飛び起きてくれたんだよね」
「それは……」
カエデはそのときのアレルの様子を思い出し、くすくすと笑った。
「いつもは頼もしくて落ち着いているアレルなのに、あんな姿を見ることになるなんて思わなかったなあ。ちょっと可愛かったし」
「……もう、その話はいいだろ」
アレルは困ったように眉を寄せる。
「えー、いいじゃない。あのときのアレル、いつもと違って面白かったんだもん」
「俺は覚えていないんだが……」
「だから余計に面白いんだよ!」
カエデは笑いながら答えた。
アレルはしばらく彼女を見つめていたが、やがて小さく息を吐き、穏やかに笑った。
「……俺も楽しかった」
「え?」
「みんなと一緒に過ごした時間も、あのときのことも。振り返ってみれば、楽しい思い出になっている」
アレルは前を向いた。
「こうして無事に帰れることも、仲間たちと一緒にいられることも……大切にしたいと思う」
「うん!」
カエデは嬉しそうに頷いた。
砂漠の風が二人の間を通り抜ける。
その先には、イシスの街が待っている。
ピラミッドでの出来事は決して忘れられないものだった。
けれど、そこには恐怖だけでなく、仲間と過ごした時間や、互いに助け合った記憶も残っている。
二人はしばらく、穏やかな砂漠の景色を眺めながら歩き続けた。
*
そのときだった。
「……魔物だ!」
アレル達の後ろを歩いていた旅人の一人が声を上げた。
砂丘の向こうから、いくつもの影が近づいてくる。
赤い身体をした巨大なムカデの魔物。
硬い甲殻と大きな鋏を持つ魔物。
そして、その上空を素早く飛び回る猫のような魔物。
「かえんムカデに、じごくのはさみ……それにキャットフライ!」
カエデがすぐに声を上げた。
「アレル、下がって!」
カエデはアレルの前に出ると、ブーメランを構えた。
「右から来るよ!」
キャットフライが羽音を響かせながら、砂地すれすれを飛んでくる。
その動きは素早く、狙いを定めるのも難しい。
カエデは相手の進路を見極め、腕を大きく振った。
風をまとったブーメランが、弧を描いて飛んでいく。
ヒュッ!
鋭い風切り音とともに、ブーメランがキャットフライの身体を捉えた。
「ギャッ!」
魔物は体勢を崩し、砂の上へと落ちかける。
「今だよ!」
カエデの声に、近くにいた旅人たちが動いた。
「よし、任せろ!」
一人の戦士が剣を振り下ろし、キャットフライを斬りつける。
別の旅人も槍を構え、飛び立とうとした魔物の進路を塞いだ。
「こいつらには、もう好きにはさせないぞ!」
救出された人々の中には、戦う力を持った旅人たちもいた。
彼らはピラミッドの中で囚われ、自由を奪われていた。けれど、今は自分たちの力で仲間を守ろうとしている。
キャットフライは空中へ逃れようと羽ばたいたが、カエデのブーメランが再び飛んでいく。
風をまとった刃が翼をかすめ、魔物の動きを鈍らせた。
そこへ旅人の剣が迫る。
キャットフライは砂地へ叩き落とされ、そのまま動かなくなった。
「よし、一匹!」
「他の奴も来るぞ!」
旅人たちは互いに声を掛け合い、残るキャットフライへ向き直った。
一方、じごくのはさみは大きな鋏を振り上げ、列へ迫っている。
その硬い甲殻は、普通の剣では簡単に傷つけられそうになかった。
「こいつ、硬いな!」
旅人の一人が剣を振るう。
しかし、刃は甲殻に弾かれ、わずかな傷をつけるだけだった。
「無理に正面から攻めるな! 動きを押さえろ!」
別の旅人が声を上げる。
そのとき、後方から足音が近づいてきた。
「何の騒ぎ!?」
フレミアが杖を手に駆けつける。
その隣にはライザもいた。
二人は戦況を一目見ると、すぐに状況を把握した。
「フレミア、魔法で援護してくれ!」
ライザはそう言うと、戦えない人々の前へ移動した。
大剣を両手で握り、彼らを守るように立つ。
「後列はシオンとジゼルに任せてある! こっちは俺たちで何とかするぞ!」
「分かったわ!」
フレミアは杖を構えた。
じごくのはさみの鋏が、旅人の一人へ向かって振り下ろされる。
「危ない!」
ライザが一歩踏み込み、大剣の腹で攻撃を受け止めた。
重い衝撃が腕に伝わり、砂が足元から舞い上がる。
「ぐっ……!」
ライザは踏ん張り、鋏を押し返した。
「今よ、離れて!」
フレミアが杖を掲げる。
周囲の空気が一気に冷え込んだ。
「ヒャダルコ!」
鋭い冷気が広がり、氷の塊がじごくのはさみへと降り注ぐ。
硬い甲殻に氷が叩きつけられ、魔物の身体が大きく揺れた。
その隣では、かえんムカデが身体を反らし、口元に赤い炎を集め始めていた。
「また火を吐く気ね!」
フレミアはすぐに杖を向け直す。
「もう一発よ! ヒャダルコ!」
二度目の冷気が砂漠を駆け抜けた。
氷の塊がかえんムカデの身体を直撃する。
魔物は炎を吐く間もなく大きくのけぞり、そのまま砂の上へ倒れ込んだ。
「やった!」
カエデが声を上げる。
フレミアは杖を下ろし、少し得意げに笑った。
「ふふん。これくらいなら余裕よ」
「飛ばしすぎるなよ」
ライザが横目で彼女を見る。
「分かってるわよ。まだ魔力は残っているもの」
「そういう意味じゃない」
「何よ!」
フレミアは頬を膨らませた。
その間にも、旅人たちは残ったじごくのはさみを追い詰めていた。
フレミアの攻撃で動きが鈍くなった魔物へ、二人の旅人が左右から迫る。
「今だ!」
一人が鋏を剣で受け止め、もう一人が横から槍を突き出した。
じごくのはさみの身体が傾く。
そこへ、別の旅人が力強く剣を振り下ろした。
硬い甲殻に刃が食い込み、魔物は砂の上へ崩れ落ちた。
最後のキャットフライも、カエデと旅人たちの連携によって倒されていた。
周囲から魔物の気配が消える。
「……終わったみたいだね」
カエデはブーメランを手元へ戻し、息を吐いた。
「みんな、怪我はない?」
フレミアが周囲を見回す。
「大丈夫だ。助かったよ」
旅人の一人が答えた。
「あなたたちのおかげで、俺たちも戦えた。ありがとう」
「いいのよ。仲間なんだから」
フレミアは少し照れたように顔を逸らした。
ライザも大剣を肩へ戻す。
「無理をしなくてよかったな。これだけ戦える者がいれば、十分に対処できる」
「うん。みんな、強いんだね」
カエデが旅人たちに笑いかける。
彼らもまた、少しだけ誇らしそうに頷いた。
ピラミッドの中では助けを求めることしかできなかった人々が、今は自分たちの力で戦っている。
その姿を見て、カエデは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「そろそろ出発しよう。イシスまでは、もう少しだ」
アレルが声をかけた。
カエデは頷き、フレミアとライザもそれに続く。
後方では、シオンとジゼルが人々の様子を確認していた。
負傷した者がいないか、歩くのが難しい者はいないか。二人は声をかけながら、列を整えている。
こうして一行は、再びイシスを目指して歩き始めた。
*
午後。
太陽が西へ傾き始めた頃、砂漠の向こうにイシスの街並みが見えてきた。
白い建物の屋根が陽光を受けて輝き、その向こうには城の高い塔がそびえている。
街の周囲に並ぶヤシの木が、風に揺れていた。
「あ……!」
カエデが足を止める。
「イシスだ!」
その声に、救出された人々も顔を上げた。
「本当に戻ってこられたんだ……」
「もう一度、家族に会えるんだな……!」
誰かが呟いた。
その声に、別の者が頷く。
やがて、街の入口に人影が見え始めた。
最初は数人だった。
しかし、こちらに気づいた人々が次々と集まり、あっという間に大勢の住民が街の外へ出てきた。
「帰ってきたぞ!」
「みんなが戻ってきた!」
「ジゼル様たちもいるぞ!」
歓声が広がる。
人々は一行の姿を見つけると、駆け寄ってきた。
救出された人々の名前を呼び、涙を流しながら抱きしめる家族たち。
ずっと帰りを待っていた母親が、息子の姿を見つけて駆け寄った。
「あなた……!」
「母さん!」
二人は強く抱き合った。
母親は息子の背中に腕を回し、何度もその身体を確かめるように抱きしめる。
「よかった……本当によかった……!」
「もう大丈夫だよ。帰ってこられたから」
息子も母親の肩に顔を埋めた。
別の場所では、幼い子どもが父親の胸に飛び込んでいた。
「お父さん!」
「ただいま。待たせてごめんな」
父親は子どもを抱き上げ、頬を寄せる。
その傍らでは、妻が涙を拭いながら二人を見つめていた。
また、長い間姿を消していた夫婦が互いの手を握り、何度も名前を呼び合っている。
誰もが、もう二度と会えないかもしれないと思っていた人との再会を喜んでいた。
街の人々からは、次々と感謝の言葉が飛び交う。
「ありがとう!」
「あなたたちのおかげです!」
「本当に、何とお礼を言えばいいのか……!」
救出された人々だけではない。
その家族や友人、街で暮らす人々も、アレルたちを讃えていた。
カエデは、その光景をじっと見つめていた。
涙を流して抱き合う人々。
何度も手を握り、無事を確かめ合う人々。
ピラミッドの中で、助けを求めていた人たちが、今はこうして大切な人のもとへ帰ってきている。
「……よかったね」
カエデが小さく呟く。
「ああ」
隣のアレルも、穏やかな表情で頷いた。
そのとき、フレミアが大きく息を吐いた。
「はあ……こんなことになるなら、ダイエットしておけば良かったわ……」
「え?」
カエデが振り向く。
「だって、こんなに大勢の人に出迎えられるなんて思わなかったもの。もっと綺麗にしておけばよかったわ」
「え? フレミアちゃん、十分綺麗だよ!」
「そういう問題じゃないのよ」
フレミアは肩をすくめた。
「せっかくなら、もっと華やかな姿で帰ってきたかったってこと」
「じゃあ、次にこういうことがあったら、前もってダイエットしておかないとね」
カエデが笑う。
「次があるのは嫌だけどな」
シオンが横から口を挟んだ。
「でも、確かに少しは身だしなみを整えておいた方がいいかもしれないな」
「シオンまで!」
フレミアが目を丸くする。
「何だよ。自分で言い出したんだろ?」
「そうだけど!」
ライザが呆れたように二人を見た。
「お前たちは、こんなときまでよく騒げるな」
「何よ、ライザ。あなたは気にならないの?」
「俺は今のままの俺で十分だ」
「そういう問題じゃないのよ!」
フレミアが言い返す。
そのやり取りを見て、カエデは声を出して笑った。
アレルも、そんな仲間たちの姿を見て笑みを浮かべる。
けれど、その笑顔の奥で、ふと別の景色が浮かんだ。
アリアハン。
自分が生まれ育った街ではないが、勇者として旅立つ前に暮らしていた場所。
町を囲む城壁。赤い屋根の家々。城へ続く道。いつも見慣れていた街並み。
今頃、あの街では人々がどんな暮らしをしているのだろう。
自分が旅立ってから、どれほどの時間が過ぎたのだろう。
そして、いつかバラモスを倒すことができたなら。
アレルは、イシスの人々に迎えられる仲間たちを見つめた。
あの日、自分が旅立ったときには、こんな光景を想像したこともなかった。
魔王を倒し、世界に平和を取り戻したとき。
アリアハンの人々も、こんなふうに自分たちを迎えてくれるのだろうか。
父さんが果たせなかった使命を終えたとき、自分は胸を張って故郷へ帰れるのだろうか。
アレルは遠くの空を見上げた。
夕暮れにはまだ少し早い。
青い空の向こうに、故郷の景色を思い浮かべる。
「アレル?」
カエデの声に、彼は我に返った。
「どうしたの?」
「いや……何でもない」
アレルは小さく笑った。
「少し、故郷のことを思い出していた」
「アリアハン?」
「ああ」
カエデは彼の横顔を見つめた。
「いつか、帰れるといいね」
「……そうだな」
アレルは再び街の人々へ目を向けた。
その先には、まだ果たさなければならない使命がある。
けれど、今はこの光景を見ていたかった。
*
街の入口では、城から迎えに来た使いが一行を待っていた。
「ジゼル兵士長!」
使いの一人が駆け寄り、深く頭を下げる。
「女王陛下がお待ちです。皆様を城へお連れするようにとのことです」
「分かった。だが、その前に負傷者を診療所へ案内してくれ」
ジゼルはすぐに周囲を見回した。
「怪我をしている者を優先してほしい。歩ける者も、無理をさせないように」
「承知しました」
「それから、アッサラームから来た者たちが泊まれる場所も準備してくれ。城の宿泊施設を使えるように手配を頼む」
「かしこまりました。すぐに準備いたします」
使いは別の兵士へ指示を出し、救出された人々の案内を始めた。
ジゼルは一人一人の様子を確かめながら、必要な指示を続けていく。
その姿は、いつもの兵士長としてのものだった。
けれど、そんな彼女の前に、もう一人の人物が姿を現した。
「ジゼル」
落ち着いた、優しい声だった。
ジゼルの動きが止まる。
振り返った先に立っていたのは、イシスの女王だった。
「……陛下」
ジゼルはすぐに姿勢を正し、深く頭を下げようとする。
しかし、女王はその前に一歩近づいた。
「よくがんばりましたね、ジゼル」
その声は、いつもの公の場でのものとは違っていた。
優しく、温かく、まるで娘を労うような響きだった。
「あなたはイシスが誇る娘です」
「……っ」
ジゼルは言葉を失った。
これまで、兵士長として多くの責任を背負ってきた。
失踪事件の原因を突き止められず、部下たちを救うこともできず、何度も自分の力不足を感じていた。
それでも諦めず、仲間とともにピラミッドへ向かった。
そして、ようやく人々を連れて帰ることができた。
女王の言葉を聞いた瞬間、張り詰めていたものがほどけたようだった。
ジゼルの頬を、一筋の涙が伝った。
「陛下……」
彼女は慌てて涙を拭おうとした。
けれど、もう一筋、頬を伝っていく。
「私は……私だけの力で成し遂げたわけではありません」
ジゼルは、少し後ろに立つアレルたちを振り返った。
「むしろ、私はずっと彼らに助けられていました。彼らがいなければ、私はここまで戻ってくることもできなかったと思います」
女王は、ジゼルの視線の先にいる仲間たちを見た。
そして、静かに頷く。
「そうですか。あなたが信頼できる仲間たちと出会えたことも、私は嬉しく思います」
女王は一行へ向き直った。
「皆様には、改めて城でお礼を申し上げたいと思います。報酬についても、そこで相談させてください」
「ありがとうございます」
アレルが答える。
女王は微笑み、城へ向かうよう一行を促した。
*
街には、まだお祝いの空気が満ちていた。
人々の歓声や笑い声が通りに響き、店先では救出された人々の帰還を祝う準備が始まっている。
アレルたちは、そんな賑わいを背にして城へ向かった。
白い石壁に囲まれたイシス城は、午後の陽光を受けて明るく輝いていた。
城門をくぐると、兵士たちが一斉に敬礼する。
その中には、救出された兵士たちの姿もあった。
彼らはまだ疲れた様子だったが、ジゼルの姿を見つけると、嬉しそうに表情を緩めた。
女王に案内され、一行は謁見の間へと入った。
広い室内には、赤い絨毯が敷かれ、柱には美しい装飾が施されている。高い天井から吊るされた灯りが、室内を柔らかく照らしていた。
女王は玉座へ腰を下ろし、ジゼルたちへ視線を向ける。
「では、今回の事件について、詳しく聞かせてください」
「はい」
ジゼルが一歩前へ出た。
「今回の失踪事件は、ピラミッドに潜んでいたナイルの悪魔が原因でした。魔物は人々を捕らえ、地下の隠し通路に閉じ込めていました」
ジゼルは、調査の経緯を一つずつ説明していく。
アッサラームで起きていた失踪事件。
イシスでも同じように人々が姿を消していたこと。
ピラミッドへ向かった兵士や旅人たちが戻らなかったこと。
そして、地下で見つかった人々を救出したこと。
「最終的に、ナイルの悪魔を倒したのはアレルです。彼が最後の一撃を与え、魔物を討ち取りました」
ジゼルはアレルへ視線を向けた。
女王も、改めて彼の顔を見つめる。
「そうでしたか。よくぞ成し遂げてくださいました」
「俺一人の力ではありません。仲間たちがいたからこそ、倒すことができました」
アレルは静かに答えた。
「その通りです。今回の事件に関わった皆様が力を合わせたからこそ、イシスとアッサラームの人々に平和が戻ったのです」
女王は一行を見渡した。
「本当にありがとうございました。あなた方には、どれほど感謝してもしきれません」
そして、穏やかな笑みを浮かべる。
「約束通り、褒美を差し上げましょう。望むものがあれば、遠慮なく申し出てください。できる限り、どのような願いでも叶えましょう」
「遠慮はいらない。せっかくの機会なんだから、欲しいものを言いなさい」
ジゼルも仲間たちを振り返った。
すると、真っ先に手を挙げたのはフレミアだった。
「はい! 私、お願いがあるわ!」
「どうぞ。何を望みますか?」
「イシスに別荘が欲しいわ!」
「別荘?」
女王が少しだけ目を瞬かせる。
「ええ! この街は綺麗だし、砂漠も見渡せるし、ここに自分の家があったら素敵だと思うの!」
「なるほど。構いません。あなたのために、別荘を用意しましょう」
「本当!?」
フレミアの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます、女王様!」
そして、思い出したように付け加えた。
「それから、大きいお風呂もつけてください!」
「ふふ。分かりました。ゆっくりくつろげる浴室も用意させましょう」
「やったー!」
フレミアは嬉しそうに両手を握った。
その様子を見て、ジゼル、シオン、カエデが思わず吹き出す。
「別荘にお風呂か。ずいぶん具体的だな」
シオンが笑う。
「だって大事でしょう? 旅の疲れを癒やすには、広いお風呂が必要なのよ!」
「確かに、フレミアちゃんらしいね」
カエデも笑顔で頷いた。
ライザはフレミアを呆れたように見つめていた。
「……お前は本当に遠慮がないな」
「何よ。女王様が何でもいいって言ったんだから、いいじゃない!」
「そうだな。別に悪いとは言っていない」
「ならいいでしょ!」
フレミアは満足そうに胸を張った。
女王は微笑みながら、次にライザへ目を向けた。
「では、あなたは何を望みますか?」
「俺は……剣を直してもらいたい」
ライザは背負っていた大剣へ手を添えた。
「戦いの中で、かなり傷んでしまった。刃も欠けているし、柄にも緩みがある。できれば、元の状態に戻してほしい」
「新しい剣を用意することもできますが?」
女王が尋ねる。
ライザは大剣を見下ろした。
「いや、俺はこの剣がいいんだ……」
その声には、迷いがなかった。
「ずっと一緒に戦ってきた剣だからな。これからも使い続けたい」
女王はその言葉を聞き、優しく頷いた。
「分かりました。腕の立つ職人に預け、丁寧に修理させましょう」
「感謝する」
ライザは深く頭を下げた。
次に、女王の視線がシオンへ移る。
シオンは少し考えるように腕を組んだ。
「そうだな……」
そして、いつもの調子で答えた。
「俺が世界から狙われることがあったら、イシスに匿ってくれ」
「……お前な」
アレルが呆れたように呟く。
カエデは思わず笑ってしまった。
「シオンらしいお願いだね」
「そうか? いざというとき、頼れる場所があるのは大事だろ」
「ふふっ。あなた、大盗賊にでもなるつもりなのかしら?」
フレミアが面白そうに尋ねる。
「さあな。先のことは分からないからな」
シオンは肩をすくめた。
女王は少し困ったように笑ったが、すぐに真剣な表情で頷いた。
「分かりました。もし困ったことがあれば、いつでもこの国を訪れなさい。あなたを匿うことを約束しましょう」
「ありがたいね」
シオンは満足そうに笑った。
次に、女王はアレルへ視線を向けた。
「アレル。あなたは何を望みますか?」
アレルは一歩前へ出た。
「俺は、ピラミッドの秘宝をいただきたい」
「秘宝……?」
「ナイルの悪魔を倒したとき、奴が落としたものです。魔法の鍵と呼ばれるものだと聞いています」
女王は少し考え、それから頷いた。
「魔法の鍵ですか。確かに、それはピラミッドに伝わる大切な秘宝です。あなたが魔物を討ち取ったのであれば、差し上げましょう」
「ありがとうございます」
アレルは深く頭を下げた。
その横で、カエデは少し驚いたように目を瞬かせていた。
自分たちが隠し通路にいた間に、どんな戦いがあったのだろう。
カエデはアレルの横顔を見た。
けれど、詳しく尋ねることはしなかった。
女王の視線が、最後にカエデへ向けられる。
「では、カエデ殿。あなたは何を望みますか?」
「えっ? 私?」
突然話を振られ、カエデは少し戸惑った。
「はい。あなたも、この事件の解決に大きく貢献してくださいました。遠慮せずに申し出てください」
カエデはアレルを見た。
彼は魔法の鍵を手に入れることができた。
それなら、自分が望むことは特にない。
「私は、アレルの仲間だから。アレルの望みが叶ったなら、私にはもう十分です」
「カエデ……」
アレルが彼女を見る。
女王は少し困ったように眉を下げた。
「ですが、それでは……」
しばらく考えたあと、女王は何かを思いついたように侍女へ顔を向けた。
「少し、持ってきてもらいたいものがあります」
「かしこまりました」
侍女は一礼すると、隣の部屋へ向かった。
カエデは不思議そうにその後ろ姿を見送る。
やがて侍女が戻ってきた。
両手には、小さな腕輪のようなものが載せられている。
細かな装飾が施された金と緑の腕輪。中央には宝石があしらわれ、光を受けるたびにきらりと輝いていた。
それを見た瞬間、カエデの目が大きく見開かれた。
「ほしふるうでわ!?」
思わず声が出た。
女王が不思議そうに首を傾げる。
「……知っているのですか?」
「えっ!? あっ、いや、その……!」
カエデは慌てて口を押さえた。
しまった。
また、知っているはずのないものを知っていると言ってしまった。
「えっと……見た目が綺麗だったから、つい……」
「そうですか。これは、ほしふるうでわと呼ばれる品です」
女王は腕輪へ目を向けた。
「身につけた者の素早さを高める、不思議な力を持っています。あなたに差し上げましょう」
「ほ、本当にいいんですか!?」
「もちろんです。あなたが旅の中で役立ててくれるなら、これほど嬉しいことはありません」
「ありがとうございます!」
カエデは両手で腕輪を受け取った。
金色の表面に刻まれた模様が、室内の灯りを反射して輝いている。
憧れていたアイテムが、今、自分の手の中にある。
カエデは目を輝かせながら、腕輪をじっと見つめた。
「すごい……本物だ……」
「カエデ?」
アレルが不思議そうに声をかける。
「あっ、ううん! 何でもない!」
カエデは慌てて腕輪を胸元へ寄せた。
「これを身につけると、素早さが約二倍になるとか……!」
「……約二倍?」
女王が目を瞬かせた。
「あっ」
カエデは口をつぐんだ。
また余計なことを言ってしまった。
「えっと、その……そういう力があるんじゃないかなって!」
必死に誤魔化すカエデを見て、シオンが小さく笑った。
「お前、ずいぶん詳しいな」
「そ、そんなことないよ!」
フレミアはカエデの手元を覗き込む。
「ふふ。カエデって、ああいうのが好きなのね。男の子みたい」
「えー! だって、すごく格好いいじゃない!」
「はいはい。よかったわね」
フレミアは笑いながら、カエデの肩を軽く叩いた。
カエデはもう一度、腕輪を見つめる。
自分が憧れていたものを、こうして手にすることができた。
その嬉しさに、自然と笑みがこぼれた。
女王はそんな一同を見渡したあと、ジゼルと兵士たちへ目を向けた。
「ジゼル。あなたたちにも、褒美を考えなければなりませんね」
「陛下」
ジゼルは一歩前へ出た。
「私たちは、女王様のおそばにいられることが一番の喜びです。これ以上のものは望みません」
女王は、ジゼルの顔を見つめた。
「そうですか」
「はい。これからも、イシスの民を守るために務めを果たしていきます」
ジゼルは静かに頭を下げた。
女王は微笑み、彼女へ優しい眼差しを向ける。
「あなたがいてくれることを、私は心強く思っています。これからも、どうかよろしくお願いしますね」
「もちろんです、陛下」
二人は互いに微笑み合った。
その様子を見て、カエデも自然と笑顔になる。
ジゼルにとって、女王のそばにいることこそが何よりの褒美なのだろう。
それは、彼女がこの国をどれほど大切に思っているかを表していた。
*
女王との話が終わり、一行が謁見の間を後にしようとしたときだった。
「皆様」
侍女が一礼しながら声をかける。
「一階にて、宴の準備が整いました。女王陛下より、皆様をご案内するよう仰せつかっております」
「宴!?」
真っ先に反応したのはカエデだった。
「本当!?」
フレミアも目を輝かせる。
「もちろん、参加させてもらうよな?」
シオンが二人に続く。
「ええ! せっかくの機会だもの!」
フレミアは嬉しそうに頷いた。
カエデもすっかり乗り気になっている。
その様子を見て、アレルとライザは顔を見合わせた。
「……元気だな」
ライザが呟く。
「そうだな」
アレルも苦笑した。
二人とも、長い探索を終えたばかりだ。少し休みたい気持ちもあったが、これだけ嬉しそうな仲間たちを前にしては、断る気にもなれなかった。
「ほら、アレル! ライザも!」
フレミアが二人の腕を取る。
「行きましょう!」
「ちょっと待て、フレミア」
「待たないわよ!」
カエデも反対側からアレルの手を取った。
「アレルも一緒に行こう!」
「分かった、分かった」
アレルは困ったように笑いながら、二人に引かれて歩き出した。
その様子を見ていた女王が、ジゼルへ声をかける。
「ジゼル。あなたも行ってきなさい」
「ですが、陛下。私はまだ報告や確認が……」
「それは後で構いません。今は、あなたもゆっくり休んでください」
女王は優しく微笑んだ。
「皆と一緒に、今日という日を楽しんできなさい」
ジゼルは少しだけ目を伏せたあと、静かに頷いた。
「……ありがとうございます、陛下」
そのとき、カエデがジゼルのもとへ駆け寄ってきた。
「ジゼルさん! 行こう!」
「カエデ?」
「せっかくの宴なんだから、ジゼルさんも一緒に楽しもうよ!」
カエデはそう言って、ジゼルの手を取った。
ジゼルは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
それから、彼女の手を優しく握り返す。
「……そうだな。今日は、少しくらい羽を伸ばしてもいいだろう」
「うん!」
カエデは嬉しそうに笑った。
六人は連れ立って、謁見の間を後にする。
城の一階からは、すでに宴の準備を進める人々の声や、食器の触れ合う音が聞こえていた。
香ばしい料理の匂いが廊下に漂い、明るい灯りが大広間の入口から漏れている。
長い砂漠の旅。
ピラミッドでの戦い。
失踪していた人々の救出。
それらを乗り越えた先に、ようやく訪れた穏やかな時間だった。
カエデはジゼルの手を引きながら、仲間たちの顔を見回した。
フレミアはもう宴の料理に期待しているようで、シオンと何やら楽しそうに話している。ライザはそんな二人を呆れたように眺め、アレルはその後ろで穏やかに笑っていた。
ジゼルも、いつもの兵士長としての厳しい表情ではなく、少しだけ柔らかな顔をしている。
カエデは、そんな仲間たちの姿を見て思った。
この時間が、ずっと続けばいいのに。
今はただ、みんなと一緒に笑っていたかった。
イシスの城に、祝宴の明るい声が響き始める。
長い夜を越えた人々に、ようやく安らかな時間が訪れていた。
