DQ3 夜明けの果てに君と

ピラミッドの内部は、静寂に包まれていた。

 壁に設置された松明の炎が、石造りの通路をぼんやりと照らしている。長い年月を経た壁には無数の傷が刻まれ、床には細かな砂が薄く積もっていた。

 その奥へと続く通路を、男性陣は慎重に進んでいた。

「……ここにも人の気配はないな」

 シオンが周囲を見回す。

「いや、待て」

 ライザが足を止めた。

 通路の先には、広い部屋へと続く石の扉があった。扉の表面には、古代の文字や奇妙な模様が刻まれている。

 アレルが扉に手をかけると、重い音を立てながらゆっくりと開いた。

 その向こうには、天井の高い広間が広がっていた。

 壁際には古びた石棺がいくつも並び、中央には祭壇のような台座が置かれている。長い年月、誰にも触れられていないような場所だった。

「ここは……」

 アレルが一歩踏み出した、そのときだった。

 広間の奥に、淡い光が浮かび上がった。

「誰だ!」

 ライザが大剣を構える。

 しかし、その光は魔物のものとは違っていた。

 青白い光がゆっくりと形を成していく。

 やがて、そこに一人の女性の姿が現れた。

 透き通るような身体。淡い衣装をまとい、長い年月を越えてなお穏やかな面影を残した女性だった。

 その姿は、まるで月明かりが人の形を取ったかのように、ぼんやりと揺らめいている。

「……幽霊か?」

 シオンが短剣に手をかけたまま呟く。

 女性は三人を見つめ、静かに口を開いた。

「恐れることはありません。私は、この地に眠る者たちを見守ってきた者……かつて、イシスを治めていた最初の女王です」

「イシスの初代女王……?」

 アレルが目を見開く。

 女王の霊は、ゆっくりと頷いた。

「このピラミッドは、今やナイルのあくまという魔物に支配されています。あの者は、魔王バラモスの命を受け、この場所に眠る魔法の鍵を守っているのです」

「魔王の手下だと?」

 ライザの表情が険しくなる。

「はい。あの者は、ここに葬られた者たちを魔物へと変え、その身体を意のままに操っています」

 女王の声は、どこか遠い時代から届いているようだった。

「ミイラ男やくさった死体……。それらは、かつてこの国で生きていた人々なのです」

「……!」

 アレルは思わず息を呑んだ。

 これまでに戦ってきた魔物たち。

 その一体一体が、かつては誰かの家族であり、誰かと同じ時を過ごした人間だったのだ。

「そして、あの魔物はアッサラームやイシスの人々をさらい、このピラミッドの地下へ連れ去っています。捕らえられた人々は、地下に閉じ込められているのです」

「人間をさらって、何をするつもりだ?」

 シオンが低い声で尋ねる。

「儀式を行おうとしているようですが、その目的までは分かりません。私は、この場所に縛られた存在。自由に動くことも、すべてを知ることもできないのです」

「文字通り悪魔の所業じゃねぇか……」

 シオンが吐き捨てるように言った。

 ライザも、手にした大剣の柄を強く握る。

「俺たちが倒していたミイラ男やくさった死体は、人間だったのか……」

 先ほどまで戦っていた魔物たちの姿が、脳裏に浮かぶ。

 ただの魔物として剣を向けていた相手が、かつては人間だった。

 その事実は、三人の胸に重くのしかかった。

 アレルは拳を握りしめた。

 捕らわれている人々。

 そして、別の場所にいるカエデたち。

 今もどこかで、仲間たちが危険にさらされているかもしれない。

「俺は……俺たちはナイルのあくまを倒す。だから、この迷宮を突破する方法を知っていたら教えてくれ……!」

 いつもの落ち着いた声とは違っていた。

 焦りと悔しさを押し殺した、切実な響き。

 女王の霊は、そんなアレルを静かに見つめた。

「迷宮の奥へ進むには、四つの印を正しい順に押さなければなりません」

「四つの印?」

「既に訪れているようですね。三階の、四つの印が刻まれた場所。そこにある仕掛けを解けば、奥へ続く扉が開くでしょう」

 女王はゆっくりと両手を胸の前で重ねた。

 そして、遠い昔に伝えられた言葉を、静かに告げる。

「東の西から……西の東へ……。西の西から……東の東へ……。その順に、四つの印を押しなさい」

 三人は互いに顔を見合わせた。

「……どういう意味だ?」

 シオンが首を傾げる。

「方角に関係する仕掛けのようだな」

 ライザが考え込む。

「ありがとうございます。必ず先へ進んでみせます」

 アレルは女王へ頭を下げた。

 女王の霊は、穏やかな表情のまま頷いた。

「どうか、この地に再び平穏を……。そして、捕らわれた者たちを救ってください」

 その言葉を最後に、青白い光が少しずつ薄れていく。

 やがて女性の姿は消え、広間には再び静寂が戻った。

     *

 三人は女王の言葉を頼りに、さらに奥へと進んだ。

 やがて階段を上り、三階へたどり着く。

 そこは、これまでの通路とは違って広々としていた。四方の壁には古い装飾が施され、中央には四つのボタンが並んでいる。

 床には方角を示すような模様が刻まれていた。

「ここが女王の言っていた場所か」

 ライザが周囲を見渡す。

「四つの印……。東の西、西の東……」

 シオンはボタンを見つめながら、腕を組んだ。

「まず、東と西をどう考えるかだな」

「三階へ上がったときの正面は、北ということでいいんだよな。」

 ライザが言った。

「ということは、俺たちから見て右が東、左が西ということか」

 シオンが確認する。

「ああ。間違いない」

 ライザは頷いた。

 アレルは四つのボタンへ視線を向ける。

「つまり、東の西というのは東側の左のボタンということか」

「そういうことだな」

 ライザが答える。

「東側の左、西側の右。西側の左、東側の右……という順番か」

 シオンが女王の言葉を整理する。

「よし。間違えないように押していこう」

 アレルは最初のボタンへ手を伸ばした。

 指先が石の表面に触れる。

 カチリ。

 一つ目の印が押し込まれた。

 続けて二つ目、三つ目、そして最後の四つ目。

 最後のボタンが沈み込んだ瞬間、広間の奥から重い音が響いた。

 ゴゴゴゴ……。

 壁の一部がゆっくりと動き始める。

 長い間閉ざされていた石の扉が、砂埃を巻き上げながら左右へ開いていった。

「開いたぞ!」

 ライザが声を上げる。

 扉の向こうには、さらに奥へと続く暗い通路が伸びていた。

「行こう」

 アレルは剣の柄に手を添えた。

 三人は顔を見合わせ、ゆっくりと扉の向こうへ足を踏み入れた。

     *

 通路を抜けた先には、広い石造りの部屋があった。

 天井は高く、壁には古代の文字がびっしりと刻まれている。部屋の奥には祭壇のような台座があり、その周囲には奇妙な装飾が施されていた。

 そして、その中央に一体の魔物が立っていた。

 濃い青色の身体。

 手には黄金色の短剣を握り、もう一方の手には赤紫色の鞭が垂れ下がっている。

 その姿からは、ただの魔物とは違う禍々しい気配が漂っていた。

 三人が足を踏み入れた音に気づき、魔物がゆっくりと振り返る。

「ほう……。ここまでたどり着く者がいるとはな」

 低く、不気味な声が部屋に響いた。

「お前がナイルのあくまか」

 アレルが剣を構える。

「いかにも。わしがこのピラミッドを支配する者よ」

 ナイルのあくまは、手にした鞭をゆっくりと持ち上げた。

「それで、何の用だ? ここまで来たからには、宝でも探しに来たのか?」

「黙れ。街の人々とカエデたちをどこへやった……!」

 アレルの声が鋭く響く。

 ナイルのあくまは、口元を歪めた。

「誘拐した人間どもなら、地下に閉じ込めておる。儀式のためにな」

「儀式だと……?」

 シオンの目が険しくなる。

「そして、貴様らの仲間はこのピラミッドの深淵に閉じ込めた。あそこから生きて戻ることなどできぬ。一生、闇の中で彷徨うがよい!」

「何だと……!」

 ライザが大剣を握り直す。

 アレルは一歩前へ出た。

「……必ず助け出す。そして、お前を倒す」

 その言葉を聞いたナイルのあくまが、愉快そうに笑った。

「できるものなら、やってみるがいい!」

 その声と同時に、魔物の背後の闇が揺れた。

 床に落ちていた影が、ゆっくりと形を変えていく。

 そこから現れたのは、二体の奇妙な魔物だった。

 細長く、蛇のようにうねる身体。その中心には、ぎょろりと大きな目玉が一つ浮かんでいる。いくつもの細い身体が絡み合うように動き、眼球だけが三人を見据えていた。

 その異質な不気味さに、アレルが息を呑む。

 ナイルのあくまは、二体の魔物を従えるように立っていた。

「この目玉に見覚えはないか?」

 魔物は、マミーズアイの一体を鞭で指し示す。

「それは、かつて人間だった者たちの目よ。わしの力で、こうして生まれ変わったのだ」

「……何だと?」

 ライザの表情が強張る。

「人間の目を使って、こんな魔物を作ったというのか……!」

「そうだ。美しいものではないか。人間など、わしの手にかかればいくらでも使い道がある」

 ナイルのあくまが笑う。

 その言葉に、アレルの剣を握る手に力がこもった。

「……許せない」

 マミーズアイが、蛇のように身体をくねらせながら襲いかかってくる。

「来るぞ!」

 シオンが短剣を構えた。

 一体がシオンへ向かって飛びかかる。

 シオンは身をひねって攻撃をかわし、短剣を振り抜いた。刃が細長い身体を捉え、魔物が大きくよろめく。

「今だ、ライザ!」

「任せろ!」

 ライザは両手剣を振り上げ、体勢を崩したマミーズアイへと踏み込んだ。

 重い刃が、魔物の身体を叩き切る。

 大きな目玉が一度だけ不気味に揺れ、やがてその身体は床へ崩れ落ちた。

「……すまない」

 ライザは短く呟き、剣を構え直す。

 その言葉には、かつて人間だった者を倒したことへの悔いが滲んでいた。

 もう一体のマミーズアイが、アレルへ向かって襲いかかる。

 細長い身体が空中で大きくうねり、巨大な目がアレルを捉えた。

「はあっ!」

 アレルは地面を蹴り、身体を宙へ躍らせた。

 すれ違いざまに剣を振り抜く。

 刃がマミーズアイの身体を深く切り裂き、魔物は床へ叩きつけられた。

 アレルは着地すると、倒れた魔物を一瞬だけ見つめた。

 その目に浮かんでいたのは、勝利の喜びではなかった。

 そして、ゆっくりとナイルのあくまへ視線を戻す。

 鋭い眼差しが、魔物を射抜いた。

「お前たちは、今までの兵士や旅人とは違うな」

 ナイルのあくまは、初めて少しだけ警戒するような表情を見せた。

「だが、それもここまでだ。わし自ら相手をしてやろう」

 赤紫色の鞭が、空気を裂くようにしなった。

「わしは魔王バラモス様に仕える者。このピラミッドを守るために遣わされたのだ。貴様らのような人間に、わしを倒せると思うな!」

 アレルは剣を構え直した。

「なら、ここで倒すだけだ」

 ナイルのあくまが鞭を振り上げる。

 こうして、三人とナイルのあくまの戦いが始まった。

     *

 最初に動いたのは、ナイルのあくまだった。

 赤紫色の鞭が、唸りを上げて三人へと襲いかかる。

「くっ!」

 アレルは剣で受け止めた。

 しかし、鞭は一度弾かれたかと思うと、まるで生き物のように軌道を変え、再びアレルの身体へ迫ってくる。

 アレルは身をひねってかわした。

 その横を、シオンが低い姿勢で駆け抜ける。

「今だ!」

 短剣を構え、ナイルのあくまへ接近する。

 だが、魔物は振り返ることもなく、もう一方の手を掲げた。

「バギ!」

 次の瞬間、鋭い風が巻き起こった。

「うわっ!」

 シオンの身体が横へ弾き飛ばされる。

「シオン!」

 ライザが駆け寄ろうとするが、その足元にも鞭が走った。

 大剣で受け止めると、重い衝撃が腕に響く。

「こいつ……!」

 ライザは歯を食いしばり、鞭を押し返した。

 しかし、ナイルのあくまはその隙を逃さない。

 再び鞭を振るう。

 今度は正面からではなかった。

 背後から、側面から、まるで何本もの鞭が同時に襲いかかってくるように、攻撃が続く。

「どこからでも攻撃してくるのか……!」

 アレルは剣を振るい、鞭を弾き返す。

 だが、近づこうとするたびにバギが放たれ、身体を押し戻された。

「卑怯な奴だな……!」

 シオンが悔しそうに吐き捨てる。

「正面から戦う気もないのか!」

「ふははは! 何を言う。勝つために手段を選ばぬのは当然であろう!」

 ナイルのあくまは、楽しむように笑った。

 その鞭が再びしなり、ライザの大剣を弾き飛ばしかける。

 ライザは両手で柄を握り直し、何とか踏みとどまった。

「くそっ……!」

 三人は攻撃の隙を窺うが、思うように近づけない。

 鞭を避ければバギが飛んでくる。バギをかわそうとすれば、別の方向から鞭が襲う。

 戦うほどに、体力が削られていく。

 ライザの呼吸も少しずつ荒くなっていた。

 大剣を振るう腕に、疲労が蓄積している。

 シオンも短剣を構えたまま、何度も息を整えていた。

 アレルは剣を握り直す。

 何とかしなければ。

 このままでは、三人とも倒されてしまう。

 カエデたちは、まだ見つかっていない。

 地下には、さらわれた人々が閉じ込められている。

 ここで負けるわけにはいかない。

 それなのに、目の前の魔物には一撃を与えることすら難しかった。

「どうした? もう終わりか?」

 ナイルのあくまが鞭を振るう。

 アレルは剣で受け止めたが、衝撃に身体がよろめいた。

 その瞬間、別方向から鞭が飛んでくる。

「しまっ……!」

 鞭がアレルの身体に巻きついた。

「アレル!」

 シオンが叫ぶ。

 ナイルのあくまは口元を歪め、鞭を一気に引いた。

「ぐあっ!」

 アレルの身体が宙へ浮き、壁へと叩きつけられる。

 背中に強い衝撃が走った。

 石壁に亀裂が入り、細かな破片が床へ落ちる。

「アレル!」

 シオンはすぐに駆け寄り、倒れかけたアレルの身体を支えた。

「しっかりしろ!」

「……ああ」

 アレルは何とか身体を起こす。

 視界が揺れていた。

 壁に打ちつけた背中が痛む。剣を握る手にも、思うように力が入らない。

 少し離れた場所では、ライザが大剣を構え直していた。

 しかし、その表情にも疲労が浮かんでいる。

「どうする……?」

 シオンが低く尋ねた。

 アレルは答えられなかった。

 どうすればいい。

 どうすれば、この状況を変えられる。

 そんな考えが頭の中を巡る。

 ふと、カエデの顔が浮かんだ。

 こんなとき、カエデなら何と言うだろう。

 いつも彼女は、誰も気づかなかったことに気づき、思いがけない方法で仲間を助けてきた。

 どんな時も、彼女は諦めなかった。

 今もどこかで、必死に生きているはずだ。

 カエデなら。

 カエデなら、こんな状況でも前を向くのだろうか。

 そう考えた、その瞬間だった。

「いつまで仲間のことを考えているつもりだ?」

 ナイルのあくまが、ゆっくりと近づいてくる。

 その鞭が再び持ち上がった。

     *

 そのとき、ライザが動いた。

 ナイルのあくまは、倒れたアレルを見下ろすように近づいている。

 鞭を振り上げ、今にもとどめを刺そうとしていた。

「まだ楽しませてくれるよなあ?」

 魔物が嘲る。

 その瞬間、ライザは足元の砂を蹴った。

「おおおおっ!」

 大剣を両手で握り、ナイルのあくまの側面へと踏み込む。

「何っ!?」

 魔物が振り向くより早く、ライザの剣が横から叩きつけられた。

 重い一撃が身体を捉える。

 ナイルのあくまは大きくよろめき、石壁へと吹き飛ばされた。

 壁に亀裂が走り、無数の石片が床へ落ちる。

 さらに、天井の一部まで崩れ始めた。

 石の破片が降り注ぎ、部屋の中に大量の砂埃が舞い上がる。

「ぐっ……!」

 ライザは腕で顔を覆った。

 視界が一気に白く染まる。

 その向こうで、ナイルのあくまがゆっくりと立ち上がった。

「貴様……!」

 怒りに顔を歪める魔物を見て、ライザは大剣を構え直した。

「死体にばっかり戦わせて、自分で戦う力はないのか?」

「何だと……?」

「お前は魔王軍の中でも下っ端だろう。だから、こんな真似でしか戦えないんだろう?」

 その言葉が、ナイルのあくまの怒りに火をつけた。

「貴様ぁぁぁ!!」

 魔物が鞭を大きく振り上げる。

「バギマ!!」

 先ほどまでとは比べものにならないほど強烈な風が巻き起こった。

 風は部屋全体を飲み込み、石壁を削り、天井の亀裂をさらに広げていく。

「ライザ、伏せろ!」

 シオンが叫ぶ。

 だが、風の勢いは凄まじかった。

 大きな石片が天井から落ち、床へ叩きつけられる。

 砂埃が渦を巻き、視界を完全に覆い尽くした。

 石の破片が転がる音。

 風が唸る音。

 仲間の声。

 すべてが混ざり合い、部屋の中は混乱に包まれた。

     *

「……シオン!」

 砂埃の中から、アレルの声が聞こえた。

「こっちだ!」

 シオンが返す。

 アレルは壁に手をつきながら、何とか立ち上がった。

 身体のあちこちが痛む。口の中には砂の味が広がっていた。

 視界はまだ悪く、少し離れた場所にいる相手の姿もはっきりとは見えない。

 やがて、崩れた石の陰からライザが姿を現した。

「二人とも、無事か!」

「ああ。何とかな」

 シオンが答える。

 ライザは大剣を握り直した。

「少しだけ、お前にあの悪魔の相手を任せたい!」

 ライザはシオンを見た。

「ずいぶん無茶振りだな……」

 シオンは苦笑する。

「俺はお前たち二人を守ってみせる。だから信じてくれ」

 その声には、迷いがなかった。

 シオンは一瞬だけライザの顔を見つめた。

「……長くはもたないからな」

「それで十分だ」

 ライザは短く答えると、アレルの腕を取り、崩れた石壁の陰へと連れていった。

 そこは、ナイルのあくまから直接姿が見えにくい場所だった。

「ライザ、何をするつもりだ?」

 アレルが尋ねる。

 ライザはすぐには答えなかった。

 アレルの前に立ち、真剣な眼差しで彼を見つめる。

「……アレル。お前に話しておきたいことがある」

「何だ?」

「勇者だけが使える、特別な呪文があるんだ」

 アレルは目を見開いた。

「勇者だけが……?」

「ああ。俺も詳しいことを知っているわけじゃない。ただ、その呪文の存在を知ったばかりなんだ」

 ライザは少しだけ視線を逸らした。

「すまない、会話が聞こえてしまったんだ……」

 アレルは何も答えなかった。

 ただ、静かにうつむく。

 仲間を奪われた。

 自分の力ではナイルのあくまに太刀打ちできず、ここまで追い詰められている。

 勇者でありながら、仲間を守ることもできない。

 自分は本当に、勇者の器なのだろうか。

 そんな思いが、胸の奥に重く沈んでいた。

 ライザはアレルの表情を見つめ、少しだけ間を置いてから口を開いた。

「その呪文の名は……ライデインだ」

「ライデイン……」

 アレルが小さく呟く。

「……俺は魔法をほとんど使ってこなかった。その呪文も今初めて知った。正直使えるかどうか分からない……」

 ライザは一度息をついた。

「昔、フレミアが言っていた。魔法は経験だけじゃない。強い感情が大切なんだと」

 アレルは顔を上げた。

 ライザは、まっすぐに彼の目を見つめる。

「お前が何を考えているのか、俺には分からない。今日会ったばかりだからな。だが……お前があの魔物を倒し、仲間を助けたいと思っていることは分かる。俺も同じだ」

 遠くから、鞭が石を叩く音が聞こえた。

 シオンが必死にナイルのあくまを引きつけている。

 ライザはその音に目を向けた。

「俺はシオンを助けに行く。あいつも長くは持たないだろうからな」

 そう言って、ライザはアレルの肩に手を置いた。

「頼んだぞ」

 そして、瓦礫の陰から飛び出していった。

 アレルは一人、崩れた石壁の陰に残された。

 遠くでは、シオンが鞭をかわし、ライザが再び大剣を振るう音が響いている。

 ナイルのあくまの笑い声が、部屋の中に不気味に広がった。

 アレルは自分の手を見つめた。

 剣を握る手。

 何度も戦い、何度も傷つきながら、それでも旅を続けてきた手だった。

 父さんが果たせなかった使命を継ぎ、魔王バラモスを倒す。

 そのために、ここまで旅を続けてきた。

 こんなところで終わるわけにはいかない。

 ナイルのあくまを倒す。

 捕らわれた人々を助け出す。

 そして、カエデを見つけ出す。

 必ず。

 アレルは拳を強く握りしめた。

     *

「ぐああっ!」

 凄まじい風が、シオンとライザを襲った。

 ナイルのあくまが杖を掲げ、再びバギマを放ったのだ。

 渦巻く風が二人の身体を包み込み、石床から一気に吹き飛ばす。

「シオン!」

 ライザが叫ぶ。

 だが、声は風にかき消された。

 二人は崩れた石の破片を巻き込みながら、部屋の奥へと叩きつけられた。

「ぐっ……!」

 シオンは床を転がり、手にしていた短剣を落としかける。

 何とか指を動かし、短剣を握り直した。

 ライザも大剣を支えにして身体を起こそうとする。

 しかし、腕に力が入らない。

「……くそっ」

 膝が震え、再び床へと崩れ落ちた。

 二人とも、もう立ち上がることさえ難しかった。

 ナイルのあくまは、ゆっくりと二人へ近づいてくる。

 赤紫色の鞭が床を擦り、乾いた音を立てた。

「ほう……。先ほど殺り損ねた剣士は、仲間を置いて逃げ出したのか?」

 シオンは顔を上げた。

「……ふざけるな。あいつが逃げるわけないだろ」

「ほざけ。貴様らも、もう終わりだ」

 ナイルのあくまは、二人を見下ろした。

「このまま命を奪い、ミイラへと変えてやろう。そうすれば、永遠にこの迷宮から出ることはできぬ。貴様らも、わしの忠実な兵士となるのだ!」

 シオンは短剣を握りしめた。

 だが、身体は動かない。

 ライザも大剣へ手を伸ばそうとするが、指先にわずかな力が入るだけだった。

 ナイルのあくまが、二人へ手を伸ばす。

 そのときだった。

「……お前がな」

 ライザが、かすれた声で言った。

「何……?」

 ナイルのあくまが怪訝そうに振り返る。

 その瞬間。

 凄まじい雷鳴が、ピラミッドの内部を揺るがした。

 青白い閃光が部屋を満たし、一本の巨大な雷撃となってナイルのあくまへと突き刺さった。

 魔物の身体が大きく反り返る。

 全身を雷に貫かれ、赤紫色の鞭が床へ落ちた。

 その短剣も手から滑り落ち、石床に乾いた音を立てる。

 雷撃は一瞬で消えた。

 しかし、その威力は凄まじかった。

 ナイルのあくまの身体から煙が立ち上り、青い肌には無数の亀裂が走っている。

 魔物はよろめきながら、何とかその場に立っていた。

「ば……馬鹿な……」

 身体が崩れ始める。

 腕が、肩が、胴体が。

 まるで長い年月を経た石像が風化するように、ナイルのあくまの身体が少しずつ崩れ落ちていった。

 最後の力を振り絞り、魔物は顔を上げる。

 その目に映ったのは、雷を放ったアレルの姿だった。

「その呪文……! まさかお前が……!」

 ナイルのあくまは、驚愕に目を見開く。

「バラモス様……!!」

 その言葉を最後に、魔物の身体は完全に崩れ落ちた。

 石床に残ったのは、黒く焼け焦げた欠片と、静かに漂う煙だけだった。
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