DQ3 夜明けの果てに君と
「カエデ! フレミア! ジゼル!」
アレルの声が、ピラミッドの石造りの通路に響き渡った。
声は壁に反響し、暗い通路の奥へと吸い込まれていく。
しかし、返事はない。
つい先ほどまで後ろを歩いていた三人の姿が、忽然と消えてしまった。
アレルは足を止め、通路の奥を見つめた。
ほんの少し前まで、そこには仲間たちの気配があった。足音も、話し声も聞こえていたはずなのに、今は自分たち三人の息遣いだけが静かに響いている。
「……どこへ行った?」
シオンが周囲を見回した。
壁には古びた石の装飾が続き、床には長い年月を経て摩耗した石畳が敷かれている。隠し扉や仕掛けがあっても不思議ではない場所だった。
「まさか、落とし穴に落ちたんじゃないだろうな」
ライザが足元へ視線を落とす。
「それを確かめよう。シオン、足元を調べてくれないか」
「ああ」
シオンは短剣を鞘に収め、床にしゃがみ込んだ。
石畳の継ぎ目を指先でなぞり、周囲の床を慎重に調べていく。わずかな段差や、石の色の違いにも注意を払い、仕掛けが作動した形跡がないかを確かめた。
アレルとライザも、少し離れた場所を確認する。
アレルは壁に手を触れ、石材の継ぎ目や不自然な凹凸を探した。ライザは通路の両側だけでなく、頭上にも目を向ける。
だが、どこにも怪しい場所は見つからなかった。
「落とし穴らしいものはないな」
シオンが立ち上がる。
「床が抜けたような跡もない。隠し扉が開いた形跡も見当たらないぞ」
「じゃあ、いったいどこへ行ったんだ?」
ライザが腕を組む。
彼も納得できない様子で、もう一度通路の周囲を見渡した。
「もう一度、来た道を戻ってみよう。見落とした場所があるかもしれない」
アレルの言葉に、二人は頷いた。
三人は慎重に通路を引き返す。
シオンが先頭に立ち、床を確かめながら進んでいく。アレルは壁のわずかな凹凸にも目を向け、ライザは頭上や周囲の様子を警戒していた。
壁に刻まれた模様が、たいまつの明かりに照らされて不気味な影を落とす。
その影が揺れるたび、アレルは思わず足を止め、そこに何か隠されていないか確かめた。
やがて、三人は二階へと戻った。
しかし、そこにもカエデたちの姿はなかった。
「ここにもいないか……」
アレルは通路の奥を見つめた。
つい先ほどまで、六人で一緒に歩いていたはずだった。
戦闘の後、隊列を整え直し、他愛のない話をしながら進んでいた。アレルとシオンが話している間も、後ろにはカエデたちがいたはずだ。
それなのに、振り返ったときには、もう誰もいなかった。
あまりにも突然のことだった。
まるで、最初から三人など存在しなかったかのように、通路には何の痕跡も残されていない。
「下にもいないとなると、ますます分からねえな」
ライザが首を傾げる。
「下じゃないとしたら……天井か壁の中にでも引きずり込まれたんじゃないか?」
「壁の中か?」
シオンが眉を寄せた。
「冗談ではない。ピラミッドには、俺たちの知らない仕掛けがいくらでもある。壁が動いて、そこに三人が押し込まれた可能性だって否定できない。」
「確かに、あり得ない話ではないな」
シオンは周囲の壁を見渡した。
何気なく見れば、どこも同じような石壁にしか見えない。だが、このピラミッドには数多くの仕掛けが施されている。壁そのものが動くような仕組みがあったとしても不思議ではなかった。
「とりあえず、三階も探してみよう。まだ調べていない場所がある」
「ああ。そうだな」
ライザが頷く。
しかし、アレルはすぐには歩き出さなかった。
視線は、二階へ続く階段の向こうへ向けられたままだった。
カエデ。
彼女は今、どこにいるのだろう。
怪我をしてはいないだろうか。
魔物に襲われてはいないだろうか。
何かあったとき、自分はすぐに駆けつけられるだろうか。
考えれば考えるほど、胸の奥がざわついていく。
「アレル」
シオンが声をかけた。
アレルは返事をしなかった。握った拳には力がこもり、視線もどこか定まらない。
「……大丈夫か?」
「俺は……」
アレルは一度言葉を詰まらせた。
普段なら、こんなときこそ冷静に状況を整理するべきだと分かっている。
けれど、今はそれができなかった。
こんな場所で、カエデとはぐれるなんて。
彼女に何かあったら、どうすればいい。
守らなければならない相手が、すぐ近くにいない。
いや、もう何かが起きてしまったのかもしれない。
その考えが頭から離れなかった。
ふと、ジゼルの言葉が脳裏をよぎる。
『これまでにも何人もの兵士や旅人が調査に向かっています。しかし、誰一人として戻ってきていません』
ピラミッドへ向かった者たちは、誰一人として帰ってこなかった。
その言葉が、今になって重くのしかかってくる。
これまでアレルは、その話を聞いても、必ず原因を突き止めるつもりでいた。危険があることは承知していたし、自分たちなら乗り越えられると考えていた。
だが、今は違う。
戻ってこなかった者たちの中に、カエデたちが加わってしまうかもしれない。
そんな想像が、頭の中から離れなかった。
「……俺が、もっと気を配っていれば」
アレルは拳を握った。
仲間が増えてから、カエデと二人で話す時間は少なくなっていた。
探索中も、戦闘中も、六人で行動することが当たり前になっていた。
振り返れば、彼女はいつもそこにいた。
声をかければ返事があり、何かを見つければ嬉しそうに教えてくれた。
時にはシオンと軽口を交わし、フレミアと楽しそうに話していることもあった。
そのことを、どこかで当たり前だと思っていたのかもしれない。
もっと話しておけばよかった。
もっと彼女の様子を気にかけていればよかった。
いつも近くにいるからと、安心しきっていた。
油断していたのだ。
「おい、アレル」
ライザが近づいてきた。
「今は自分を責めている場合じゃねえ。三人を見つけることが先だ」
ライザはアレルの肩に手を置いた。いつもの豪快な態度とは違い、その声には気遣うような響きがあった。
「そうだ。焦る気持ちは分かるが、今ここでお前まで冷静さを失ったら、捜索が難しくなる」
シオンも静かに告げる。
アレルは二人の顔を見た。
自分だけではない。シオンもライザも、カエデたちを心配している。三人を探し出したいという気持ちは同じだった。
「……ああ。分かってる」
アレルは目を伏せた。
「悪い。二人に心配をかけた」
「謝るなよ。俺たちだって三人が心配だ」
ライザが肩を叩く。
「必ず見つけるぞ。まだ諦めるには早い」
「そうだな」
シオンも頷いた。
アレルは一度深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
まだ何も分かっていない。三人がどこにいるのかも、何が起きたのかも。
今できることは、探し続けることだけだった。
「……行こう。三階を探す」
三人が歩き出そうとした、そのときだった。
ゴゴゴゴ……。
突然、近くの壁から低い音が響いた。
石壁の奥で何かが動いている。
「何だ!?」
ライザが振り返る。
次の瞬間、壁の一部が大きく傾き、石材が崩れるように倒れた。
砂埃が舞い上がり、通路に積もった細かな砂が一斉に宙へ散る。
その向こうから、布をまとった魔物たちが次々と姿を現す。
「ミイラ男か!」
シオンが短剣を抜く。
通路を塞ぐように、何体ものミイラ男がゆっくりと近づいてきた。古びた包帯の隙間から覗く身体は腐敗し、乾いた足音を響かせながら三人へ迫ってくる。
アレルは剣の柄を握る。
しかし、その目に迷いはなかった。
「どけ!」
鋭い声とともに、アレルが駆け出す。
正面から迫るミイラ男の腕を剣で弾き、身体をひねって懐へ入り込む。続けて振るわれた剣が、魔物の身体を大きく弾き飛ばした。
別のミイラ男が横から手を伸ばす。
アレルは身を低くしてかわし、そのまま前へ踏み込んだ。
「アレル、右だ!」
シオンの声が飛ぶ。
アレルは振り向くことなく、右から迫った魔物の攻撃を剣で受け流す。
その隙にライザが両手剣を振るい、道を塞いでいたミイラ男をまとめて押しのけた。
大きな剣が空気を切り裂き、包帯の身体が左右へ弾き飛ばされる。
「先へ行け!」
「ああ!」
シオンも短剣で敵の動きを牽制し、アレルたちの進路を確保する。
三人は魔物を全滅させることにはこだわらなかった。
立ち塞がる敵を退け、進めるだけの道を作る。
倒れたミイラ男が再び起き上がろうとするのを横目に、三人はその脇をすり抜けていった。
今は一刻も早く、カエデたちを見つけなければならない。
*
三階へ戻った三人は、再び通路の探索を始めた。
壁の仕掛けや隠し扉に注意しながら、まだ調べていない場所を一つずつ確認していく。
通路の先には、いくつもの分かれ道が続いていた。壁に刻まれた模様はどれも似通っており、どこまで進んでも同じ景色が繰り返されているように感じられる。
時折、遠くから風の音にも似た低い響きが聞こえてきた。
そのたびに三人は足を止め、周囲を警戒する。
やがて、少し開けた空間にたどり着いた。
「……これは何だ?」
ライザが足を止める。
部屋の壁際には、四つの小さなボタンが並んでいた。
東側に二つ、西側に二つ。
どれも同じような形をしており、押すための突起が石壁からわずかに出ている。
その周囲には、目立った説明や文字は見当たらなかった。
「仕掛けの一部だろうな」
シオンが近づき、ボタンを観察する。
「押せば何かが動くのかもしれない」
「扉が開くとか?」
ライザが一つに手を伸ばしかける。
「待て」
アレルが止めた。
ライザの手が、ボタンに触れる寸前で止まる。
「何が起きるか分からない。順番があるのかもしれないし、間違えれば罠が作動する可能性もある」
「確かに、何も分からないまま押すのは危険だな」
シオンも同意する。
「今は調べるだけにしておこう」
アレルは四つのボタンを見つめた。
何かを動かすための仕掛けであることは間違いない。
しかし、これが何のためのものなのか、今の三人には分からなかった。
しばらく周囲の壁も調べてみたが、目立った手がかりは見つからない。
「他にも何かないか探してみよう」
ライザの言葉に、二人は頷いた。
三人はボタンの部屋を後にし、さらに奥へと進んでいく。
そのとき、通路の先に黒い影が揺れた。
「……魔物か」
シオンが短剣を構える。
影は壁から染み出すように形を変え、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
輪郭が定まらず、まるで黒い煙が生き物の形を取ったかのようだった。
「あやしいかげ……!」
アレルが剣を構え直す。
その背後から、腐った身体を引きずるようにして、くさった死体も姿を現した。
肌はところどころ剥がれ落ち、まとわりつくような異臭が通路に漂う。魔物は濁った目をこちらへ向け、ゆっくりと腕を持ち上げた。
「今度はこいつらか」
ライザが両手剣を構える。
「油断するな。挟み込まれるぞ」
シオンが左右を警戒する。
あやしいかげは不気味に揺れながら、くさった死体の背後へ回り込んだ。
三人は互いの位置を確認し、戦闘態勢を整える。
「来るぞ!」
ライザの声を合図に、魔物たちが一斉に動き出した。
くさった死体が腕を振り上げ、鈍い動きながらも勢いよく迫ってくる。
アレルは剣を振るい、迫ってきたくさった死体の腕を弾く。
衝撃で魔物の身体がよろめいた。その隙を逃さず、アレルは一歩踏み込み、剣を横へ振り抜く。
シオンは横へ回り込み、あやしいかげの動きを探る。ライザは大きく踏み込み、両手剣で敵の進路を塞いだ。
戦いが始まっても、アレルの心は落ち着かなかった。
目の前の敵に集中しなければならないと分かっている。
それでも、意識の片隅にはいつもカエデの姿があった。
もし、カエデが魔物に襲われていたら。
もし、あの細い腕で攻撃を受け止めようとしていたら。
もし、逃げることもできずに、どこかで助けを待っていたら。
考えたくない想像が、次々と頭に浮かんでくる。
剣を振るうたび、彼女の姿が脳裏をよぎった。
カエデは今、何をしているのだろう。
怖がってはいないだろうか。
自分のことを呼んでいるのではないだろうか。
無事でいてくれ。
アレルは目の前の魔物を見据え、剣を握る手に力を込めた。
必ず見つけ出す。
どこにいるとしても、必ず。
*
――その頃。
カエデが目を覚ましたとき、周囲は真っ暗だった。
「……ん……」
頭が重い。
身体を起こそうとすると、すぐ近くから声が聞こえた。
「……え? 何? ここ、どこ?」
フレミアだった。
「フレミアちゃん?」
「カエデ? あなたもいるの?」
「うん。私もいるよ」
カエデは手探りで周囲を確かめながら、ゆっくりと身体を起こした。
床は冷たく、硬い石の感触が手のひらに伝わってくる。目を開けても何も見えず、どれほど広い場所にいるのかさえ分からなかった。
少し離れた場所から、落ち着いた声が聞こえる。
「二人とも、怪我はないか?」
「ジゼルさん!」
「ああ。私もここにいる。二人とも、動けるか?」
ジゼルは二人の返事を聞くと、まず互いの位置を確かめるように声をかけた。
「カエデは私の左側か。フレミアは……その近くにいるな」
「ええ。たぶんね。真っ暗で何も見えないけど」
フレミアが不満げに答える。
暗闇の中でも、彼女が困惑している様子は声から伝わってきた。
「私たち、どうなったの?」
「おそらく、眠らされて運ばれたのだろう。最後に何があったか覚えているか?」
ジゼルに尋ねられ、カエデは記憶をたどった。
アレルたちと一緒に通路を歩いていた。
その後、何かが起きたような気がする。
けれど、はっきりとは思い出せない。
意識が途切れる直前、壁の方から何かが動くような音を聞いたような気もする。
「……急に壁が開いたような気がする」
カエデは言葉を探しながら答えた。
「それで、何かに押し込まれて……」
「私も、何か変な音を聞いた気がするわ」
フレミアが続ける。
「それから急に眠くなって……」
「眠らされたのかもしれないな」
ジゼルは周囲を探るように手を伸ばした。
カエデは胸の奥に不安が広がるのを感じた。
ゲームの中で知っているピラミッドなら、三階には魔法の鍵に関わる仕掛けがあるはずだった。
けれど、こんな場所に閉じ込められる展開は知らない。
隠し部屋があることも、こんなふうに仲間が突然消えることも、記憶にはなかった。
自分の知っている世界と、今目の前で起きていることが少しずつ食い違っていく。
ここはどこなのだろう。
アレルたちは無事だろうか。
私たちがいなくなったことに気づいているだろうか。
いつもなら、何か困ったことがあっても、すぐ近くにアレルたちがいた。
けれど、今はその姿も声もない。
カエデは暗闇の向こうを見つめた。
「とにかく、ここから出る方法を探しましょう」
ジゼルが言った。
彼女は不安を表に出すことなく、まずは行動することを選んだようだった。
「そうね。いつまでもこんな暗いところにいたくないわ」
フレミアも立ち上がろうとする。
カエデも二人に続いて身体を起こした。
そのときだった。
「痛っ!」
フレミアの声が響いた。
「ちょっと! どこ踏んでるのよ!」
「あ……すまない。暗くて見えなかった」
ジゼルの声が返ってくる。
「もう! 気をつけてよね!」
「悪かった」
その直後だった。
カチリ。
どこかで小さな音がした。
次の瞬間、壁の一部に埋め込まれた灯りが、ぽつり、ぽつりと点いていく。
薄暗い通路に、橙色の光が少しずつ広がった。
「……え?」
カエデは目を細めた。
暗闇に慣れていた目には、突然の明かりがまぶしく感じられる。しばらくして視界が落ち着くと、ようやく自分たちのいる場所が見えてきた。
そこは、細長い通路だった。
左右の壁には、いくつもの棺が立てかけられている。
大小さまざまな棺が、壁一面に隙間なく並んでいた。古びた石の表面には、見慣れない模様や文字が刻まれている。
棺の蓋には、長い年月を経て積もった埃が薄く残り、ところどころにひび割れも見えた。
まるで、誰かがこの場所に眠る者たちを忘れないように、ずっと保管してきたかのようだった。
「……お墓?」
カエデが呟く。
「ずいぶん趣味の悪い場所ね」
フレミアは眉をひそめた。
ジゼルは周囲を見渡し、通路の先へ視線を向ける。
奥は薄暗く、どこまで続いているのか分からない。棺の並ぶ壁の間を抜けていくしか、進む道はなさそうだった。
「出口を探そう。ここに長居するのは危険だ」
「そうね。さっさと出ましょう」
二人は迷うことなく歩き始めた。
カエデも慌てて後を追う。
黄金の爪がある地下の階層に落とされたわけではない。
けれど、こんな場所は知らない。
自分の知識が役に立たない状況に、カエデは落ち着かない気持ちを抱えたまま、二人の背中を追いかけた。
*
通路を進み始めてから、しばらく経った。
足元には細かな砂埃が積もり、三人が歩くたびに乾いた音が響く。
壁に並ぶ棺は途切れることなく続いていた。どれも古びているが、蓋がずれたり、壊れたりしているものは見当たらない。
幸い、今のところ魔物は現れていない。
しかし、安心できる場所でもなかった。
「きゃっ!」
突然、フレミアの足元が傾いた。
石の床が片側へ大きく沈み込み、彼女の身体が壁へ傾く。
「危ない!」
ジゼルが腕を伸ばし、フレミアを引き戻した。
床はしばらく傾いたまま、ぎしぎしと不気味な音を立てている。石の継ぎ目から細かな砂がこぼれ、床下で歯車が動いているような音が聞こえた。
「……何なのよ、もう!」
フレミアは足元を睨んだ。
「床そのものが罠になっているようだな」
ジゼルは慎重に足場を確認する。
「踏む場所を間違えれば、落とし穴に落ちるかもしれない。注意して進もう」
「分かってるわよ」
フレミアが返事をした、その直後。
ヒュッ!
壁の小さな穴から、矢が飛び出した。
「危ない!」
カエデが声を上げる。
矢はフレミアの頬のすぐ横を通り過ぎ、反対側の壁へ突き刺さった。
乾いた音が通路に響き、矢羽が小さく震える。
「ちょっと! 今度は何よ!」
フレミアが声を荒らげる。
「壁にも仕掛けがある。通路全体に罠が張り巡らされているようだ」
ジゼルは矢の飛んできた場所を確認した。
壁には小さな穴がいくつも開いている。今は静かだが、少しでも不用意に近づけば、再び矢が飛んでくるかもしれない。
「魔物がいないからといって、油断はできないな」
「魔物が出てくる方が、まだ分かりやすいかもしれないわね」
フレミアが肩をすくめる。
「まったく、お墓参りに来てあげたんだから、もう少し親切なお墓にしなさいよ」
その言い方に、カエデは思わず笑いそうになった。
恐ろしい罠が次々と現れているというのに、フレミアは文句を言うことで気持ちを落ち着かせているようだった。
「フレミアちゃん、怖いなら怖いって言ってもいいんだよ?」
「怖くなんかないわよ! ただ、こんな仕掛けばかりの場所に文句を言っているだけ!」
「そっか」
カエデは小さく笑った。
少し気持ちが落ち着いたところで、ふとジゼルに目を向ける。
「そういえば、ジゼルさん」
「何だ?」
「いつの間にか、敬語じゃなくなってるね」
ジゼルは一瞬だけ目を瞬かせた。
そう言われてみれば、確かに以前のような丁寧な口調ではなくなっていた。
「ああ。そうだな」
「前はもっと丁寧に話していた気がするけど」
「兵士と旅人として接していたときは、立場を考えて言葉を選んでいた。だが、今は違う」
ジゼルは前を向いたまま答えた。
「あなたたちは、もう私の仲間だ。なら、普段の口調で話しても構わないだろう」
「そっか」
カエデは嬉しそうに笑った。
「私はそっちの方が好きだよ」
「そうか。それなら、このままでいよう」
ジゼルもほんの少しだけ表情を和らげた。
以前よりも少し距離が縮まったような気がして、カエデの胸が温かくなる。
この場所に閉じ込められてから、不安なことばかりだった。けれど、こうして仲間と一緒にいられることは心強かった。
「……二人とも、のんびり話している場合じゃないわよ」
フレミアが先へ進みながら言う。
「また何か仕掛けがあるかもしれないんだから」
「そうだね。行こう」
三人は再び歩き始めた。
*
そのときだった。
ガタン……。
通路の右側に並んでいた棺の一つが、わずかに揺れた。
最初は、床の仕掛けが動いた音かと思った。
「……今、音がしなかった?」
カエデが足を止める。
「気のせいじゃない?」
フレミアが振り返った。
しかし、彼女の言葉が終わるか終わらないかのうちに、再び音が響いた。
ガタガタ……。
今度は、はっきりと音がした。
棺の蓋が内側から押し上げられ、ゆっくりと開いていく。
石と石が擦れる鈍い音が、静かな通路に響いた。
「ひっ……!」
フレミアが短い悲鳴を上げた。
棺の中から、包帯に覆われた身体が起き上がる。
「ミイラ男……!」
カエデが声を上げるよりも早く、ジゼルが動いた。
「させるか!」
ジゼルはミイラ男の胸元を掴むと、そのまま棺の中へ押し戻した。
魔物の身体が棺の底に倒れ込む。
ジゼルはすかさず蓋を閉め、両手で押さえつけた。
ガタン!
棺が一度大きく揺れた。
中から何かが暴れる音が聞こえる。
しかし、ジゼルが力を込めると、やがて動きは収まった。
静寂。
何事もなかったかのように、通路は再び静まり返った。
「…………」
カエデは、しばらく目の前の棺を見つめていた。
あまりにも一瞬の出来事だった。
ミイラ男が現れたと思ったら、ジゼルが押し戻し、再び棺に閉じ込めてしまった。
それから、ぱちぱちと拍手をする。
「すごい! エリートってすごい!」
「本当にね……」
フレミアも感心したように頷いた。
「囚人を牢屋に押し込むみたいな手際の良さだったわね」
「二人とも、感心している場合じゃない。まだ中にいるかもしれないから、離れていよう」
ジゼルは棺から手を離し、周囲を警戒した。
押さえていた手をゆっくりと離し、いつでも槍を構えられるように身構える。
その直後だった。
背後から、低く響く声が聞こえた。
『……我が眠りを覚ますものは誰だ……』
「え?」
三人が振り返る。
そこに並んでいた棺が、次々と音を立てて開き始めた。
ガタン!
ガタガタガタッ!
蓋が床に落ち、包帯に覆われた腕が次々と伸びてくる。
さらに奥の棺からも、左右の壁からも、ミイラ男たちが起き上がっていく。
一体や二体ではない。
見渡す限りの棺が開き、眠っていた魔物たちが一斉に動き出していた。
「うそ……!」
カエデの顔が引きつった。
「ちょっと待って! こんなにいるの!?」
フレミアが声を上げる。
ジゼルはすぐに二人の前へ出た。
手近な棺に押し戻した一体とは違い、今度は数が多すぎる。すべてを相手にしていては、たちまち囲まれてしまうだろう。
「走るぞ! ここに留まるな!」
「わ、分かった!」
カエデは慌てて走り出した。
背後では、ミイラ男たちが棺から這い出し、包帯の垂れた腕を伸ばしている。
「私たちも寝起きなんです!!」
背後から迫るミイラ男たちに向かって、思わず叫ぶ。
もちろん、返事が返ってくるはずもない。
「そんなこと言っても、向こうには通じないわよ!」
フレミアも後を追おうとした。
しかし、足元に伸びていた包帯に足を取られる。
「きゃっ!」
フレミアはその場に転んでしまった。
床に手をついた拍子に、杖が石畳へ転がる。背後からはミイラ男たちの足音が迫っていた。
「フレミア!」
カエデが振り返る。
ジゼルはすぐに引き返し、フレミアの身体を抱き上げた。
「しっかり掴まっていろ!」
そのまま、フレミアをお姫様抱っこにして走り出す。
「えっ……!」
フレミアは一瞬、目を丸くした。
自分の身体が宙に浮いたことに驚き、思わずジゼルの肩に手を回す。
それから、すぐ目の前にあるジゼルの顔を見上げた。
「……好きになっちゃう」
「今、新しい扉開いてる場合じゃないよ!?」
カエデが叫ぶ。
フレミアははっと我に返り、慌てて背後を振り返った。
「そ、そうね!!」
背後からは、ミイラ男たちが次々と迫ってくる。
通路に並んでいた棺の蓋はほとんどが開き、包帯に覆われた魔物たちがこちらへ向かって歩き始めていた。
「このまま逃げるだけじゃ追いつかれるわね……!」
フレミアは杖を握り直した。
抱えられたままでも、魔法を使うことはできる。
「ジゼル、少しだけ速度を落として!」
「何をするつもりだ?」
「決まってるでしょ!」
フレミアは後方へ杖を向ける。
杖の先に魔力が集まり、周囲の空気が熱を帯び始めた。
「凄いのいくわよ! ベギラマ!」
杖の先から激しい炎が放たれた。
炎は細長い通路を一気に照らし、迫っていたミイラ男たちへと襲いかかる。
赤い光が壁や棺の表面を照らし、揺れる影が通路いっぱいに広がった。
「きゃあっ!」
カエデは慌てて横へ飛び退いた。
「ちょっとフレミアちゃん! 撃つなら先に言ってよ!」
「今言ったじゃない!」
「そういう意味じゃないよ!」
フレミアが言い返す。
そのやり取りを聞きながら、ジゼルは思わず笑みをこぼした。
こんな状況でも変わらず言い合う二人の姿に、張り詰めていた気持ちがほんの少しだけ和らいだのかもしれない。
しかし、安心するにはまだ早かった。
炎の向こうでは、まだ何体ものミイラ男が動いている。
焼け焦げた包帯を引きずりながら、こちらへ向かってくる影もあった。
三人は足を止めることなく、薄暗い通路を走り続けた。
どこまで逃げればいいのかも分からない。
出口がどこにあるのかも分からない。
それでも、今は立ち止まるわけにはいかなかった。
ジゼルに抱えられたフレミアは杖を手放さないように握り直し、カエデは何度も背後を振り返りながら走る。
背後から迫る無数の足音を聞きながら、カエデたちは隠し通路の奥へと駆けていった。
