DQ3 夜明けの果てに君と
翌朝――。
窓から差し込む柔らかな陽光が、宿屋の一室を明るく照らしていた。
アレルはゆっくりと目を開ける。旅の疲れはまだ残っていたが、窓の外から聞こえてくる人々の声や、遠くで響く鳥の鳴き声に、自然と意識が目覚めていった。
「……朝か」
身を起こし、窓辺へ歩み寄る。
そこには、昨日の夜には暗闇に沈んでいた砂漠の都が広がっていた。
白い壁の建物が朝日に照らされ、街のあちこちに立ち並ぶヤシの木が風に揺れている。遠くには壮麗な城がそびえ、その向こうには果てしない砂漠が続いていた。
乾いた空気の中に、どこか異国の香りが漂う。
「わあ……!」
窓の外を覗き込んだカエデが、思わず声を上げた。
「すごいね、アレル! 昨日は暗くてよく見えなかったけど、こんなに綺麗な街だったんだ!」
「そうだな。砂漠の中に、こんな大きな街があるなんて不思議な感じがする」
アレルは隣に立つカエデの様子を見て、穏やかに微笑んだ。
「せっかくだし、少し街を見て回るか」
「うん!」
その声に、カエデの表情がぱっと明るくなる。
一方、少し離れた場所で荷物をまとめていたシオンは、二人の様子を横目に見ていた。
「……お前ら、観光に来たわけじゃないんだぞ」
「分かってるよ。でも、せっかく来たんだから少しくらい見て回りたいじゃない」
カエデがそう返すと、シオンは小さく息を吐いた。
「好きにしろ。俺は少し周囲を見てくる」
「シオンは一緒に行かないの?」
「俺には仕事がある」
そう言い残すと、シオンは先に部屋を出ていった。
アレルとカエデは顔を見合わせ、肩をすくめる。
「じゃあ、私たちも行こう!」
「ああ」
二人は宿屋を後にした。
イシスの街は、朝から活気に満ちていた。
市場には色とりどりの布や装飾品が並び、商人たちの威勢のいい声が通りに響いている。香辛料の刺激的な香りや、焼きたてのパンの匂いが風に乗って漂ってきた。
行き交う人々の衣服も、この土地ならではのものだった。薄い布を幾重にも重ねた衣装や、鮮やかな色の頭巾を身につけた人々が、慣れた足取りで市場を行き来している。
カエデは目に映るものすべてが珍しいようで、あちらこちらに視線を向けていた。
「見て、アレル! あのお店、すごく綺麗なアクセサリーが並んでる!」
「本当だな」
「こっちは見たことのない果物だよ。あれは何だろう?」
「さあ……店の人に聞いてみたらどうだ?」
「うん!」
楽しそうに店先を覗き込むカエデを、アレルは少し後ろから見守っていた。
その一方で、シオンは二人から少し離れた場所を歩いていた。
賑やかな市場の様子を眺めながら、住民たちの会話に注意を向ける。店先で交わされる何気ない言葉、すれ違う人々の表情、街の中に漂う空気。
表面上はいつもと変わらない街に見える。
しかし、時折耳に入る会話には、どこか沈んだ響きがあった。
「……今朝も誰かがいなくなったらしい」
「またなのかい?」
シオンの足がわずかに止まる。
その会話をしていたのは、店先に立つ二人の女性だった。
「今日は、あの家の奥さんがいなくなったのよ」
「そんな……。昨日は隣の通りの若者だったじゃないか」
「そうなの。夜のうちに、また一人……」
二人は周囲を気にするように声を潜めた。
その話を聞いていたのは、シオンだけではなかった。
「すみません。今の話、少し詳しく聞かせてもらえませんか?」
アレルが二人に声をかけた。
女性たちは驚いたように振り返る。
「旅の方かい?」
「はい。人がいなくなったというのは……?」
アレルが尋ねると、女性の一人は不安げに眉を寄せた。
「このところ、夜になると人が一人ずついなくなるんだよ。朝になって家族が気づくこともあれば、近所の人が気づくこともある。今朝もそうだったのさ」
「一人ずつ……毎晩ですか?」
「ああ。誰がいなくなるかなんて分からない。若い人も年寄りも、男も女も関係ないんだよ」
もう一人の女性も、心配そうに頷いた。
「いったい何が起きているんだろうねえ……。夜になるのが怖くて仕方ないよ」
「そうですか……。教えてくださってありがとうございます」
アレルは礼を言い、二人から離れた。
隣にいたカエデの表情からも、先ほどまでの明るさが少しずつ消えていた。
「毎晩、一人ずつ……?」
「ああ。しかも、誰が狙われるのか分からないらしい」
「そんなことが続いてるなんて……」
カエデが小さく呟く。
そのとき、後ろからシオンが近づいてきた。
「アッサラームでも同じことが起きていた」
「シオン!」
「俺が向こうで調べた限り、いなくなった人間は十人ほどだ。最初は偶然かと思ったが、こうしてイシスでも同じことが起きている」
シオンは腕を組み、周囲に視線を巡らせた。
「別々の事件とは考えにくい。犯人が同じか、少なくとも同じ原因で起きている可能性が高い」
「アッサラームでも……?」
カエデの顔から血の気が引いていく。
彼女の知るドラゴンクエストⅢの世界に、こんな事件は存在しなかった。
知っているはずの街。知っているはずの世界。
それなのに、自分の知らないところで人々が姿を消している。
ゲームの知識では、この先に何が待っているのか分からない。
「カエデ?」
アレルが隣から声をかける。
「……ううん。大丈夫」
そう答えたものの、カエデの表情には隠しきれない不安が浮かんでいた。
アレルは彼女の顔を見つめ、それからシオンへと視線を移した。
「俺たちで調べよう」
迷いのない声だった。
「このまま放っておくわけにはいかない。これ以上、誰かがいなくなる前に原因を突き止めよう」
シオンは静かに頷いた。
「俺もそのつもりだ」
カエデも二人の顔を見て、小さく頷く。
「うん。私も協力する」
こうして三人は、失踪事件の調査を本格的に始めることになった。
さらなる情報を集めるため、三人は街の酒場へ向かった。
酒場の中は昼間から何人かの客で賑わっていた。木製のテーブルを囲む人々の話し声や、食器の触れ合う音が響いている。
しかし、どの席でも事件の話題になると、声が一段低くなるようだった。
三人が店内を見回していると、入口に近い席に座る一人の女性が目に留まった。
褐色の肌に、後ろでひとつに結ばれた長い黒髪。背筋を伸ばして座る姿には、隙のない雰囲気があった。
装飾が施された鉄の槍を携え、身につけている装備も、この街の兵士のものと分かる。
女性は三人に気づくと、静かに立ち上がった。
「あなた方が、失踪事件について調べている旅人ですか?」
「はい。あなたは?」
「ジゼル。イシス城で兵士長を務めています」
ジゼルは落ち着いた声で名乗った。
「女王陛下の命令で、この事件の調査を担当しています。お名前をお伺いしてもよろしいですか」
「そうだったんですね。俺はアレルです。こちらがカエデ、そしてシオンです」
ジゼルは三人を順番に見つめ、軽く頭を下げた。
「私からも、いくつか情報を共有しましょう」
ジゼルの話によると、事件が起き始めてから、城の兵士たちも街の警備を強化しているという。
しかし、夜間の見回りを増やしても、失踪を防ぐことはできなかった。
「深夜、ピラミッドの方角へ歩いていく人影を見たという証言があります」
「ピラミッド……」
アレルが呟く。
「また、街の北側で魔物のような不気味な声を聞いたという者もいます。正体は分かっていません」
「やはり、ピラミッドが怪しいということか」
シオンが言うと、ジゼルは頷いた。
「ええ。アッサラームでの事件も含め、ピラミッドに何らかの関係があると考えられています」
「それなら、すぐに調査に向かえばいいんじゃないか?」
アレルが尋ねる。
するとジゼルは、少しだけ目を伏せた。
「もちろん、これまでにも何人もの兵士や旅人が調査に向かっています。しかし……」
彼女は一度言葉を切った。
「誰一人として、戻ってきていません」
酒場の喧騒が、急に遠くなったように感じられた。
カエデは思わず息を呑む。
「一人も……?」
「はい。向かった者たちの消息は、今も分かっていません」
ジゼルは表情を変えずに続けた。
「このまま何もしなければ、失踪者は増え続けるでしょう。私は今夜、自分の足でピラミッドを確かめに行くつもりです」
「今夜ですか?」
「ええ。そこで、あなた方に協力をお願いしたいのです」
ジゼルは三人をまっすぐに見つめた。
「今夜、城へ来ていただけませんか。女王陛下にお会いしていただいた後、出発したいと考えています」
アレルはシオンとカエデに視線を向けた。
二人とも、異論はないようだった。
「分かりました。協力します」
「ありがとうございます。では、夜に城でお待ちしています」
ジゼルは深く頭を下げた。
宿屋に戻った三人は、夜の出発に備えて準備を始めた。
アレルは剣を鞘から抜き、刃に傷や欠けがないか確かめる。布で丁寧に拭い、柄の緩みも確認した。
シオンは持ち歩いている道具を机の上に並べ、必要なものが揃っているかを一つずつ確かめている。
カエデも自分の荷物を広げ、風のブーメランや薬草、その他の道具を丁寧に確認していた。
「ピラミッドか……」
アレルが呟く。
「以前から魔法の鍵がある場所として知られているけど、今はそんな話どころじゃなさそうだな」
「うん。調査に行った人たちが誰も戻ってこないなんて……」
カエデはブーメランを手に取り、表面を確かめた。
「何が待っているか分からない。気を引き締めておこう」
シオンの言葉に、二人は頷く。
窓の外では、傾き始めた太陽が砂漠の街を赤く染めていた。
昼間の賑わいが少しずつ落ち着き、通りを歩く人々の姿もまばらになっていく。
やがて、夜が訪れた。
夜のイシス城は、昼間とは違う荘厳な雰囲気に包まれていた。
白い石壁は月明かりを受けて淡く輝き、城門の左右には篝火が焚かれている。見張りの兵士たちは槍を手に、周囲を警戒していた。
アレルたちが城門に近づくと、待っていたジゼルが姿を現した。
「お待ちしていました。こちらへ」
ジゼルに案内され、三人は城内へと足を踏み入れる。
磨き上げられた床に、壁に施された美しい装飾。柱には細かな模様が刻まれ、天井から吊るされた灯りが廊下を柔らかく照らしていた。
「すごいね……」
カエデが思わず声を漏らす。
「イシスの城は歴史のある城です。装飾の一つ一つにも意味があります」
ジゼルは淡々と説明しながら、廊下の奥へと進んでいく。
やがて女王の間へ続く大きな扉の前に、二人の人物が立っているのが見えた。
一人は、屈強な体格の男性。背中には大きな両手剣を背負っている。
もう一人は、オレンジ色の髪に緑色の瞳をした少女だった。魔法使いらしいローブとマントを身にまとい、手には杖を持っている。
「紹介します。こちらが、今回の調査に協力してくれるライザとフレミアです」
ジゼルが二人を紹介した。
「俺はライザ。よろしくな」
男は気さくな笑みを浮かべ、軽く手を上げた。
「フレミアよ。よろしく」
少女は少し顎を上げ、こちらを見た。
「アレルです。よろしくお願いします」
「カエデです」
「シオンだ」
三人もそれぞれ名乗る。
「へえ、あんたがアレルか。よろしく頼むぜ」
ライザはアレルの顔を見て、興味深そうに笑った。
「こちらこそ。ライザさん」
「さん付けなんていらねえよ。気楽に呼んでくれ」
「分かった」
その横で、フレミアが小さく息を吐いた。
「まったく、ライザは誰にでも馴れ馴れしいんだから」
「お前だって初対面からそんな調子じゃねえか」
「私は別にいいのよ!」
「はいはい」
「何よ、その返事!」
二人のやり取りを、ジゼルは真顔で眺めていた。
「お二人は、いつも仲がよろしいですね」
「「どこがよ!」」
ライザとフレミアの声が、ぴたりと重なった。
カエデは思わず口元を押さえる。
シオンは呆れたように二人を見ていた。
「……随分と賑やかな仲間だな」
「まあ、退屈はしなさそうだ」
アレルが苦笑すると、ジゼルは何事もなかったかのように扉へ向き直った。
「では、女王陛下がお待ちです。参りましょう」
大きな扉がゆっくりと開かれる。
その先には、広々とした女王の間が広がっていた。
奥の玉座には、気品に満ちた女性が腰掛けている。
「陛下。お約束していた方々をお連れしました」
ジゼルが一礼すると、アレルたちもそれに倣った。
女王は六人を見渡し、穏やかな声で話し始めた。
「よく来てくださいました。あなた方が、今回の事件の解決に協力してくださる旅人たちですね」
「はい。俺たちにできることがあれば、力を尽くします」
アレルが答える。
この場で、自分がアリアハンの勇者であることを明かすつもりはなかった。
今はただ、事件の解決を望む旅人の一人として、目の前の女王と向き合っていた。
女王は少し表情を曇らせた。
「アッサラーム、そしてこのイシスで起きている失踪事件……。人々が突然姿を消し、家族や友人を残して帰らぬ人となってしまう。そのようなことが続いていると思うと、胸が痛みます」
玉座に置かれた手が、静かに握られる。
「私は、民に平穏な暮らしを取り戻してほしいのです。夜になっても怯えることなく、安心して眠れる日々を……」
女王は一人一人の顔を見つめた。
「どうか、力を貸してください。事件を解決してくださった暁には、褒美として望むものは何でも叶えましょう」
「ありがとうございます。必ず原因を突き止めてみせます」
アレルの返事に、女王は静かに頷いた。
「あなた方の無事を祈っています」
謁見を終えた六人は、女王の間を後にした。
城の外へ出ると、夜風が頬を撫でる。
頭上には満天の星が広がり、遠くには砂漠の暗い地平線が見えた。
その先にあるのは、昼間の美しい街並みとは対照的な、静寂に包まれたピラミッド。
そこへ向かった者たちは、誰一人戻ってきていない。
アレルは剣の柄に手を添え、仲間たちを見渡した。
「行こう。みんなで必ず戻ってこよう」
「おう!」
ライザが力強く答える。
「当然よ。こんなところで立ち止まっていられないわ」
フレミアも杖を握り直した。
ジゼルは静かに頷き、シオンは周囲を警戒するように視線を巡らせる。
カエデも里のエルフから譲り受けた風のブーメランを確かめ、アレルの隣に並んだ。
こうして、アレル、カエデ、シオン、ライザ、フレミア、ジゼルの六人は、失踪事件の真相を確かめるため、夜のピラミッドへと向かっていった。
砂漠の闇の向こうで、巨大な石造りの建造物が静かに佇んでいる。
その内部に何が待ち受けているのか――。
まだ、誰も知らなかった。
