DQ3 夜明けの果てに君と
アッサラームの町を出てから、しばらくが経った。
目の前に広がるのは、どこまでも続く砂の大地。
朝の砂漠には、まだ夜の名残を感じさせる涼しさがあった。柔らかな風が砂丘の表面を撫で、陽の光を受けた砂粒がきらきらと輝いている。
「わあ……!」
思わずカエデの口から感嘆の声が漏れた。
「すごいね。見渡す限り砂ばっかり!」
「そんなに珍しいか?」
隣を歩くシオンが、少し呆れたように尋ねる。
「珍しいよ! こんなに広い砂漠、実際に歩くのは初めてだもん」
「へえ。ずいぶん楽しそうだな」
「だって、冒険って感じがするじゃない?」
カエデが笑うと、少し前を歩いていたアレルも振り返った。
「今のうちはな。昼になると、そんな余裕もなくなるぞ」
「え、アレルまでそんなこと言うの?」
「宿屋の主人も言っていただろ。昼間は暑く、夜は冷え込むって」
「わかってるよ。ちゃんと水も持ったし!」
カエデは背負った荷物を軽く叩いてみせる。
その様子に、シオンが小さく笑った。
「その調子がいつまで続くか、見ものだな」
三人の間に、軽い笑い声が広がる。
まだ、このときは誰もが余裕を持っていた。
砂漠の旅がどれほど過酷なものになるのか。
その本当の意味を知るのは、もう少し先のことだった。
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太陽が高く昇るにつれ、砂漠の景色は少しずつ表情を変えていった。
朝の涼しさはすっかり消え、頭上から降り注ぐ日差しが容赦なく肌を焼く。
足元の砂は熱を帯び、歩くたびに靴の中へ細かな砂粒が入り込んだ。乾いた風が吹いているはずなのに、頬を撫でる空気は熱く、息を吸うだけでも喉が渇いていく。
「……暑い」
カエデがぽつりと呟いた。
「だろうな」
シオンは短く返す。朝のように軽口を叩く余裕は、彼にもあまり残っていないらしい。
アレルも額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。
「少し休もう。水も飲んでおいた方がいい」
三人は大きな岩の陰に入り、荷物を下ろした。
カエデは水筒を取り出し、少しずつ水を口に含む。冷たさはもうほとんどなかったが、乾いた喉を潤すには十分だった。
「水、思ったより減るね……」
「無駄遣いはするなよ。まだ先がある」
「うん。わかってる」
シオンの言葉に頷き、カエデは蓋を閉めた。
休憩を終え、再び歩き出す。
遠くの景色が揺らいでいた。砂丘の向こうに何かが見えた気がしても、近づくにつれてその姿は曖昧に溶けてしまう。
「……あれ?」
カエデが目を凝らす。
「どうした?」
「向こうに何か見えた気がしたんだけど……」
「陽炎だろう。砂漠じゃ珍しくない」
シオンが答える。
アレルも遠くへ視線を向けたが、そこには波打つように揺れる砂の景色しかなかった。
「先を急ごう。日が傾く前に、できるだけ進んでおきたい」
三人は再び歩き始めた。
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そのときだった。
頬を撫でていた風が、突然強くなった。
「……ん?」
カエデが足を止める。
砂丘の向こうで、何かが唸るような音がした。
最初は遠くの風の音だと思った。しかし、それは次第に大きくなり、砂の表面を波立たせながら三人の方へ迫ってくる。
「おい、あれを見ろ」
シオンが空を指した。
遠くの空が、黄色く濁っている。
砂を巻き上げた巨大な風の壁が、こちらへ向かっていた。
「砂嵐だ!」
アレルが声を上げる。
「近くに岩場がある。急ぐぞ!」
三人は風に逆らうように走り出した。
だが、砂嵐の勢いは想像以上だった。
強烈な風が身体を押し戻し、細かな砂が顔や腕に叩きつけられる。カエデは思わず目を閉じた。
「わっ……!」
足元を取られ、身体が大きく傾く。
その腕を、アレルがとっさに掴んだ。
「カエデ! こっちだ!」
「う、うん!」
アレルに引かれるまま、カエデは必死に足を動かす。
シオンも風に煽られながら、少し先にある岩場を目指していた。
やがて三人は、どうにか大きな岩の陰へと滑り込んだ。
身体を低くし、砂が吹き込まないように身を寄せる。
外では風が唸り続けていた。
岩に叩きつけられる砂の音が、まるで無数の小石を投げつけられているかのように響く。
「……ひどいな」
シオンが目を細める。
「これじゃ、しばらく動けそうにない」
カエデは砂の入り込んだ髪を手で払いながら、外の様子を窺った。
視界はほとんどない。
つい先ほどまで見えていた砂丘も、太陽も、すべてが黄色い砂の向こうに隠れてしまっていた。
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どれほど時間が経っただろう。
吹き荒れていた風の勢いが、少しずつ弱まってきた。
しかし、砂嵐が止んだわけではない。
風は依然として砂を巻き上げ、辺り一面に細かな砂が漂っている。数歩先の景色さえぼやけ、遠くを見通すことはできなかった。
「……少しは落ち着いたか」
シオンが岩陰から外を覗く。
「でも、まだ危険だね」
カエデも目を細めた。
そのとき。
砂の向こうで、何かが動いた。
「……魔物か?」
アレルが剣の柄に手をかける。
ぼんやりとした影が、こちらへ近づいてくる。
一つ、二つ。
やがて砂の中から姿を現したのは、猫のような魔物だった。
「キャットフライ……!」
カエデが息を呑む。
キャットフライたちは、砂嵐の中でも構わずこちらへ向かってくる。
アレルは剣を抜いた。
「二人とも、構えろ!」
カエデもブーメランを手に取る。シオンは短剣を構え、魔物の動きを警戒した。
しかし、砂は絶えず視界を遮っている。
キャットフライの姿が見えたと思えば、次の瞬間には砂の向こうへ消えてしまう。距離も、動きも、正確に掴めない。
「くっ……!」
アレルの剣が空を切った。
その隙を狙い、別のキャットフライが横から飛び込んでくる。
「アレル、右!」
カエデの声に、アレルは身体をひねって攻撃をかわした。
だが、反撃に移ろうにも敵の位置が定まらない。
砂嵐の中では、普段なら見切れるはずの動きさえ、ひどく曖昧に感じられた。
まるで全員にマヌーサがかかっているようだ。
「このままじゃ、まともに戦えない!」
シオンが声を張り上げる。
アレルは一度、剣を構え直した。
敵の数も、位置も、はっきりとはわからない。
この状況で戦い続けるのは危険だ。
「……逃げるぞ!」
アレルが叫んだ。
その声を聞き、カエデはすぐに頷く。
アレルはカエデの手を握ったまま、岩陰の奥へと走り出そうとした。
そのとき、カエデは反対側の手をシオンへ伸ばした。
「シオン!」
「……なんだ?」
「手、貸して!」
シオンは差し出された手とカエデの顔を交互に見た。
「……なんで俺まで」
呆れたような声が漏れる。
「だって、仲間だもの!」
砂埃に負けないよう、カエデは真剣な声で言い切った。
一瞬、シオンの表情が止まる。
それから彼は、小さく息を吐いた。
「……わかったよ」
シオンはカエデの手を取った。
アレル、カエデ、シオン。
三人は互いの手を繋ぎ、砂嵐の中を走り出した。
視界は悪く、足元も覚束ない。
それでも、誰かの手が繋がっている。
その確かな感触だけを頼りに、三人は魔物から距離を取っていった。
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砂嵐の中を、三人は必死に走り続けた。
吹きつける砂が頬を叩き、目を開けることさえままならない。足元の砂は風に流され、踏みしめても踏みしめても、身体が思うように前へ進まなかった。
それでも、三人は手を離さなかった。
「こっちだ!」
アレルの声が風の向こうから聞こえる。
カエデはその手を強く握り返し、シオンもまた、繋いだ手を離さないように走った。
やがて、風の音が少しずつ遠ざかっていく。
頬を打ちつけていた砂の勢いも弱まり、視界の向こうに岩場の輪郭が浮かび上がった。
「……あそこだ!」
アレルが声を上げる。
三人は最後の力を振り絞り、岩場の陰へと駆け込んだ。
「はあっ……はあっ……!」
カエデは膝に手をつき、大きく息を吐いた。
喉が乾いている。髪にも服にも砂が入り込み、肌がざらざらしていた。
「……なんとか、逃げ切れたな」
シオンが背後を振り返る。
砂嵐はまだ完全には収まっていなかったが、先ほどのような激しい風は弱まっている。
「二人とも、怪我はないか?」
アレルが確認する。
「うん、大丈夫……」
「俺も問題ない」
二人の返事を聞き、アレルはほっとしたように息をついた。
「よかった」
カエデは繋いでいた手を見下ろした。
アレルの手も、シオンの手も、砂で汚れている。
「……ありがとう、二人とも」
「礼を言うほどのことじゃない」
シオンはそう言って、肩についた砂を払った。
「そうだな。まずはここで少し休もう」
アレルも岩陰に腰を下ろす。
三人はしばらく、荒い呼吸を整えることに専念した。
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どれほど休んだだろう。
岩陰から外を覗くと、砂嵐はようやく弱まり始めていた。
風はまだ砂を巻き上げているものの、少し先の景色なら見渡せるようになっている。
「そろそろ行けそうだな」
シオンが立ち上がった。
「うん。いつまでもここにはいられないしね」
カエデも荷物を背負い直す。
アレルは周囲を確認してから、二人に声をかけた。
「無理はするなよ。少しでも具合が悪くなったら言ってくれ」
「わかった」
三人は再び砂漠を歩き始めた。
砂嵐を抜けた先には、夕暮れの景色が広がっていた。
西の空は赤く染まり、太陽は砂丘の向こうへ沈みかけている。昼間の強烈な日差しは弱まっていたが、長時間歩き続けた身体には、もう十分な疲労が蓄積していた。
「……もう夕方なんだね」
カエデが空を見上げる。
「砂嵐のせいで、思ったより時間を取られたな」
シオンが答えた。
「イシスまでは、もう少しだ。暗くなる前に進もう」
アレルの言葉に、二人は頷いた。
そのときだった。
足元の砂が、不自然に盛り上がった。
「……何かいる!」
シオンが短剣を抜く。
次の瞬間、砂を押しのけるようにして、赤い身体をした巨大なムカデの魔物が姿を現した。
「かえんムカデ……!」
カエデの表情が引き締まる。
「知っている魔物か?」
アレルが剣を構える。
「うん。でも、気をつけて!」
かえんムカデは無数の脚を蠢かせながら、三人へと迫ってくる。
アレルが正面に立ち、シオンが側面へ回り込む。カエデもブーメランを手に、攻撃の隙を窺った。
かえんムカデが大きく身体を反らす。
その口元に、赤々とした炎が集まり始めた。
「来るぞ!」
アレルが叫ぶ。
「待って! あれは火の息じゃない!」
カエデは魔物の口元を見て、声を張り上げた。
「燃え盛る火炎だよ! 散って!」
アレルとシオンはすぐさま左右へ飛び退いた。
直後、かえんムカデの口から激しい炎が放たれた。
ごうっ、と空気が震える。
炎は砂地を舐めるように広がり、周囲を赤く染め上げた。熱風が頬をかすめ、カエデは思わず腕で顔を庇う。
「くっ……!」
アレルは炎の届かない位置で体勢を立て直した。
「助かった、カエデ!」
「ううん! まだ来るよ!」
かえんムカデは身体をくねらせ、再び三人へ向かってくる。
しかし、今度は先ほどのように不意を突かれることはなかった。
アレルが剣を振るい、魔物の動きを押さえる。その隙にシオンが側面へ回り込み、鋭い一撃を加えた。
カエデもブーメランを投げ、魔物の動きを牽制する。
一体だけだったこともあり、戦いは長引かなかった。
アレルの剣がかえんムカデを捉える。
魔物は苦しげに身体をよじらせたあと、砂の上に崩れ落ちた。
「……倒せたね」
カエデはブーメランを拾い上げ、ようやく息をついた。
「さっきの砂嵐に比べれば、まだ戦いやすかったな」
シオンが短剣を収める。
「それでも、今の炎は危なかった。カエデの声がなかったら、まともに受けていたかもしれない」
アレルが言う。
「役に立ててよかった」
カエデは少し照れくさそうに笑った。
アレルは彼女の様子を確かめてから、再び前方へ目を向ける。
「行こう。日が沈みきる前に、できるだけ進んでおきたい」
三人は再び歩き始めた。
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夜の帳が降りる頃。
三人の目の前に、町の灯りが見えてきた。
暗い砂漠の向こうに浮かび上がる、いくつもの光。
その先には、異国情緒あふれる建物の影が広がっている。
「……あれが、イシス?」
カエデは疲れた顔を上げた。
「ああ。間違いない」
アレルが答える。
長い砂漠の道のりを越え、三人はようやく目的地へとたどり着いた。
町へ入ると、夜のイシスは静かな賑わいに包まれていた。昼間の暑さを避けていた人々が、涼しくなった夜風の中で行き交っている。
しかし、三人には町を見て回る余裕などなかった。
「……宿屋に行こう」
アレルの言葉に、カエデもシオンも迷わず頷いた。
宿屋に着くと、主人が三人を迎えた。
「いらっしゃい。お泊まりかい?」
「二人と一人で一晩、頼みたい」
アレルが答える。
主人は宿帳を確認すると、申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまないね。今夜は一人部屋が全部埋まっていてね。空いているのは大部屋だけなんだ」
「大部屋か……」
シオンが小さく呟く。
「三人で使えるなら、それで構わない」
アレルがそう答え、宿の主人から部屋の鍵を受け取った。
「ありがとうございます」
カエデも頭を下げた。
部屋へ案内されると、三人は荷物を下ろした。
砂漠を歩き続けた身体は、もう限界に近い。
「まずは砂を落としたいな……」
カエデが袖についた砂を払う。
「風呂があるらしい。順番に入ってくるといい」
アレルが宿の主人から聞いた話を伝えた。
「助かる……!」
カエデの顔がぱっと明るくなる。
「お前が先に入っていいぞ」
「え? いいの?」
「女性なんだから、先に使えばいいだろ。俺たちは後で構わない」
「ありがとう、シオン!」
カエデは礼を言い、着替えを持って浴室へ向かった。
湯船に身体を沈めると、ようやく全身の力が抜けていく。
「あぁ……生き返る……」
温かい湯が、砂漠でこわばった身体をゆっくりとほぐしていった。
髪に絡みついた砂を洗い流し、頬や腕についた汚れを落とす。
湯気の向こうで、カエデはぼんやりと今日一日のことを思い返していた。
アッサラームを出発したときは、あんなに余裕があったのに。
砂漠の景色に感動して、シオンと冗談を言い合って。昼間の暑さに参って、砂嵐に巻き込まれて、キャットフライに襲われて。
「……本当に大変だったなあ」
思わず独り言がこぼれる。
けれど、思い返すのは苦しいことばかりではなかった。
アッサラームで、アレルが買ってくれた髪飾り。
赤と金の小さな花があしらわれた、可愛らしい髪飾りだった。
あのときは驚いたし、嬉しかった。
今も荷物の中に大切にしまってある。明日になったら、また髪につけよう。
それから、焚き火を囲んだ夜のこと。
シオンと二人で話した、あの時間。
彼が語ってくれた過去。妹のこと。そして、ずっと胸の内に抱えていた思い。
今まで知らなかったシオンの一面に触れた気がした。
今日、砂嵐の中で手を差し出したときも、彼は呆れながら手を取ってくれた。
『だって仲間だもの!』
自分で口にした言葉を思い出し、カエデは小さく笑った。
「……仲間、か」
湯の表面に揺れる灯りを眺めながら、カエデはそっと目を閉じた。
砂漠での一日は、思っていた以上に長かった。
それでも、こうして三人でイシスまでたどり着けた。
それが、今は何より嬉しかった。
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カエデが入浴を終えたあと、アレルとシオンも順番に浴室へ向かった。
三人とも砂と汗を洗い流し、ようやくさっぱりした姿で部屋に戻ってくる。
寝具を整え、荷物をまとめて部屋の隅に置く。
大部屋には三人分の寝床が並んでいた。
「それにしても、今日は長かったな」
シオンが寝床に腰を下ろす。
「うん。朝はあんなに元気だったのにね」
カエデは苦笑した。
「砂嵐には参ったな。あれほど視界が悪くなるとは思わなかった」
アレルはそう言いながら腰を下ろし、手袋を外した。
「キャットフライが出てきたときは、本当に焦ったよ。あの視界じゃ、どこから来るのか全然わからなかったし……。もう、ここまでかって思ったもん」
「あの状況で戦い続けていたら危なかったな」
シオンは既に既に横になっているアレルに視線を向ける。
「俺一人の判断じゃない。二人がすぐに動いてくれたから、無事に抜けられたんだ」
あの戦闘を思い返すように天井を見つめるアレルの言葉に、カエデは頷いた。
「それに、シオンも手を繋いでくれたしね」
「……まだ言うのか」
シオンが眉を寄せる。
「だって、仲間でしょ!」
カエデが笑顔で言い返すと、シオンは呆れたように息を吐いた。
「はいはい。わかったよ」
その声には、先ほどのような拒む響きはなかった。
アレルも二人のやり取りを見て、かすかに笑う。
砂漠での出来事を振り返りながら、三人はしばらく他愛のない話を続けた。
やがて、疲労が再び身体を包み込む。
「明日は、少し町を見て回れるといいね」
カエデが寝具に潜り込みながら言った。
「ああ。まずはゆっくり休もう」
アレルが灯りを落とす。
部屋の中が暗くなり、窓の外から夜風の音が聞こえてきた。
長い砂漠の旅を終えた三人は、それぞれの寝床で目を閉じる。
明日からは、イシスでの新しい時間が始まる。
今夜だけは、砂漠の熱と風を忘れて。
三人は静かな眠りについた。
