DQ3 夜明けの果てに君と

アッサラームの朝は、昨夜の賑やかさが嘘のように穏やかだった。

 窓の外からは、鳥のさえずりと、通りを行き交う人々の声が聞こえてくる。店先では商人たちが商品を並べ始め、荷物を運ぶ人々の足音が石畳に響いていた。

 カエデは身支度を整えると、向かいの寝台に目を向けた。

「アレル、準備できた?」

「ああ。そっちは?」

「うん。いつでも大丈夫!」

 二人は荷物を確認し、部屋を出た。

 階段を下りると、宿屋の主人がカウンターの向こうで帳面を整理していた。

「おはようございます」

「おや、おはよう。よく眠れたかい?」

「はい。おかげさまで」

 アレルが答えると、カエデは主人の顔を覗き込むようにして尋ねた。

「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」

「何だい?」

「銀髪の若い人を見ませんでしたか? 昨日、私たちと一緒にいた人なんですけど」

「ああ、あの青年かい?」

 主人は少し考えるように視線を上げた。

「いや、今朝はまだ見ていないね。部屋にいるのか、もう出かけたのかは分からないが」

「そうですか……」

 カエデは少し残念そうに肩を落とした。

「まあ、あいつのことだ。用事があれば勝手に動いているだろう」

 アレルがそう言うと、カエデは小さく頷いた。

「そうだね。じゃあ、私たちは先に情報を集めようか」

「ああ。魔法の鍵について、何か手がかりが見つかるかもしれない」

 昨夜はシオンも一緒に町を歩いたが、今日は二人だけで探索することになった。

 アレルとカエデは主人に礼を告げ、宿屋を出た。

     *

 朝のアッサラームには、昨夜とはまた違った活気があった。

 夜の間、明るく照らされていた広場には、朝日が差し込んでいる。露店の店主たちは商品を並べ、焼きたてのパンを売る店からは香ばしい匂いが漂っていた。

 通りを歩く人々の服装もさまざまだ。遠くからやってきた旅人らしい者もいれば、荷物を抱えて忙しそうに歩く商人もいる。

 カエデは周囲を見渡しながら歩いた。

「魔法の鍵について知っている人、いるかなあ」

「まずは、この辺りのことに詳しそうな人を探してみよう」

「うん。ピラミッドのことも聞いてみたいね」

 二人は露店の店主や旅人に声をかけながら、少しずつ情報を集めていった。

 しかし、魔法の鍵については、なかなか確かな話が出てこない。

「砂漠の方に古い遺跡があるって話なら聞いたことがあるがな」

「ピラミッドかい? あそこには昔から宝が眠っているという噂があるよ」

「ただ、近づくのはやめておいた方がいい。魔物も出るし、何があるか分からないからな」

 そんな話ばかりだった。

「うーん。ピラミッドのことは知られているみたいだけど、魔法の鍵については分からないね」

「そうだな。もう少し聞いてみよう」

 アレルが答えた、そのときだった。

「お嬢さん、ちょっと見ていかないかい?」

 横から声をかけられ、カエデが振り向く。

 そこには、色とりどりの装飾品を並べた露店があった。小さな首飾りや腕輪、耳飾りに髪飾り。どれも細かな細工が施され、朝日を受けてきらきらと輝いている。

「わあ、かわいい!」

 カエデは思わず足を止めた。

「こちらは遠くの職人が作った品でね。旅の記念にどうだい?」

 店主が商品を手に取り、カエデへ見せる。

 青い石のついた首飾りや、銀細工の腕輪。花を模した髪飾りもいくつか並んでいた。

 カエデは一つひとつを眺め、楽しそうに目を輝かせる。

「どれもきれいだね……」

「気に入ったものがあるのか?」

 アレルが尋ねる。

「うーん、どれもかわいいから迷っちゃう」

「ひとつならいいぞ」

「えっ、いいの?」

「ああ。旅の役に立つものではないが、たまにはそういう買い物をしてもいいだろう」

 カエデは露店の商品をもう一度見回した。

 せっかくなら、何かひとつ選びたい。

 けれど、どれにするか決めきれず、彼女はアレルの方を振り返った。

「じゃあ、アレルが選んでよ」

「俺が?」

「うん。どれがいいと思う?」

 アレルは少し困ったように商品を見渡した。

 装飾品には詳しくない。どれが珍しいものなのかも、どれほど価値があるのかも分からなかった。

 しばらく眺めてから、彼はひとつの髪飾りを手に取った。

「これでいいんじゃないか」

 それは、赤と金の小さな花をあしらった髪飾りだった。

 花びらは細かな金属で形作られ、中心には小さな赤い石が埋め込まれている。派手すぎず、それでいて華やかな印象の品だった。

「わあ……!」

 カエデの顔がぱっと明るくなる。

「これ、すごくかわいい!」

「気に入ったなら、それにしよう」

「うん! これにする!」

 店主に代金を支払い、カエデは髪飾りを受け取った。

 さっそく髪につけてみる。少し位置を直しながら、近くにあった小さな鏡を覗き込んだ。

「どうかな?」

「似合っていると思う」

「本当? よかった!」

 カエデは嬉しそうに髪飾りへ触れた。

「ありがとう、アレル!」

「どういたしまして」

 アレルはそれだけ答えると、再び通りの向こうへ目を向けた。

「ほら、行くぞ。まだ情報を集めないとな」

「あっ、待ってよ!」

 カエデは慌てて後を追う。

 新しい髪飾りが揺れるたび、小さな赤い石が朝の光を受けてきらめいていた。

     *

 露店の並ぶ通りを抜け、二人は広場の方へ向かっていた。

 カエデは時折、髪飾りに手を添えては嬉しそうに笑っている。

「そんなに気に入ったのか?」

 アレルが横目で尋ねた。

「うん! だって、せっかく選んでもらったものだし」

「選んだと言っても、目についたものを手に取っただけだぞ」

「それでもだよ。大切にするね」

「そうか」

 そんなやり取りを交わしながら歩いていた、そのときだった。

「泥棒よ! 誰か捕まえて!」

 突然、女性の叫び声が通りに響いた。

 二人が振り向く。

 少し離れた場所で、一人の女性がこちらを指差していた。その前を、荷物を抱えた男がものすごい勢いで走り抜けてくる。

「どいてくれ!」

 男は人々を押しのけながら、二人の方へ向かってきた。

 アレルが剣へ手を伸ばしかける。

 しかし、その前にカエデが動いた。

「止まれっ!」

 男が目の前を通り過ぎようとした瞬間、カエデは足を伸ばして進路を塞いだ。

「うわっ!」

 男の足が引っかかり、勢いのまま地面へ転がる。

 カエデはすぐに駆け寄り、男の背中を押さえ込むようにして捕まえた。

「つかまえた!」

「このっ、離せ!」

 男は身体をよじり、カエデを振りほどこうとする。

 その手がカエデへ伸びた。

 反応したアレルが素早く男の腕を掴み、地面へ押さえつける。

「大人しくしろ!」

「くそっ……!」

 男はしばらく抵抗したが、アレルに腕を押さえられては身動きが取れなかった。

 やがて、騒ぎを聞きつけた兵士たちが駆けつける。

「何事だ!」

「この男が、女性の荷物を盗んだようです」

 アレルが説明すると、兵士は男の腕を取り、そのまま引き渡しを受けた。

「協力に感謝する。あとは我々に任せてくれ」

「ああ。よろしく頼む」

 兵士たちは男を連れて、その場を離れていった。

 少し遅れて、先ほど叫んでいた女性が二人のもとへ駆け寄ってくる。

「ありがとうございます! 本当に助かりました!」

「いえ。怪我はありませんか?」

 アレルが尋ねる。

「はい。荷物を取られただけで、私は大丈夫です。まさか、あんなにすぐ捕まえてもらえるなんて……」

 女性は何度も頭を下げた。

「お二人がいなければ、どうなっていたことか。本当にありがとうございます」

「無事でよかったです」

 カエデが笑顔で答える。

 女性はようやく落ち着いた様子で、二人を見た。

「ところで、お二人は旅の方ですよね?」

「ええ。少し尋ねたいことがあるんです」

 アレルが答える。

「何かしら?」

「魔法の鍵について調べているんですが、何かご存じありませんか?」

 女性は少し考え込んだ。

「魔法の鍵……。そういえば、砂漠の向こうにあるピラミッドに、何か特別な鍵が隠されているという噂を聞いたことがあります」

「ピラミッドに?」

 カエデが反応する。

「ええ。確かな話かどうかは分かりませんけどね。あそこには古い宝が眠っているそうですし、魔法の鍵があっても不思議ではないと思います」

「そのピラミッドへ行くには、どちらへ向かえばいいのでしょう?」

「アッサラームを西の入口から出て、そこからはるか西に進むとピラミッドのある砂漠がありますよ。」

「ありがとうございます。助かりました」

 アレルが礼を述べる。

「いえいえ。こちらこそ、助けていただいたお礼です」

 女性はもう一度頭を下げると、荷物を抱えて通りの向こうへ歩いていった。

 カエデは、その背中を見送ってからアレルへ向き直る。

「やったね! ピラミッドに魔法の鍵があるかもしれないって!」

「ああ。ようやく手がかりが見つかったな」

「次はイシスだね!」

「そうだな。まずは宿屋に戻って、シオンにも話してみよう」

「うん!」

 二人は来た道を引き返し、宿屋へ向かった。

 カエデの髪では、赤と金の小花の髪飾りが揺れている。

 アッサラームでの情報収集は、思いがけない出来事もあったが、ひとまず成果を得られた。

     *

 宿屋へ戻ると、シオンはすでに起きていた。

 食堂の隅の席に腰掛け、飲み物を片手に何か考え事をしているようだった。

「あっ、シオン!」

 カエデが声をかける。

 シオンは顔を上げ、二人の姿を見た。

「戻ったか。ずいぶん歩き回っていたみたいだな」

「うん! いろいろ聞いてきたよ」

「魔法の鍵について、何か分かったのか?」

「ああ。ピラミッドにあるという噂を聞いた」

 アレルが答える。

「ピラミッドか」

 シオンはカップを置き、少し考えるように目を細めた。

「なら、イシスを目指せ」

「イシス?」

 カエデが聞き返す。

「ああ。砂漠の近くにある町だ。ピラミッドへ向かうなら、まずそこを拠点にした方がいい」

「イシスの方が、ピラミッドに近いのか?」

 アレルが尋ねる。

「そういうことだ。アッサラームから直接向かうより、町で情報を集めてから進んだ方がいい。砂漠の道は簡単じゃないからな」

 シオンはそう言って、窓の外へ目を向けた。

「それに、俺もイシスに用がある」

「そうなの?」

「ああ。どうせ向かう先が同じなら、一緒に行く」

「本当!?」

 カエデの顔が明るくなる。

「また一緒に行けるんだね!」

「まあな」

 シオンはいつもの調子で肩をすくめた。

 アレルも、わずかに表情を緩める。

「それは助かる。お前が一緒なら、道のことも分かるしな」

「道案内くらいならしてやるよ」

「頼りにしている」

「お前にそう言われると、なんだか調子が狂うな」

「どういう意味だ?」

「別に」

 シオンは再びカップを手に取った。

 カエデは二人のやり取りを見て、楽しそうに笑った。

     *

 三人は出発に備え、宿屋の主人にイシスまでの道のりを尋ねた。

「イシスまで行くのかい?」

 主人は少し驚いたように目を上げた。

「ああ。歩いてどれくらいかかる?」

 アレルが尋ねる。

「そうだな。休みながら進めば二日ほどは見ておいた方がいいだろう」

「二日か……」

「ただし、砂漠を通ることになる。太陽が出ている間はかなり暑いぞ。水は多めに持っていきな」

 主人は念を押すように続けた。

「それに、夜はひどく冷え込む。昼間の格好のままでいると身体を冷やすから、外套も忘れないようにな」

「分かった。気をつけるよ」

「魔物も危険だ。砂の中や岩陰から突然現れることがある。見通しがいいからといって、油断しないことだな」

 シオンが頷く。

「その辺りは分かっている。だが、準備は念入りにしておいた方がいいな」

 三人は主人に礼を言い、出発の支度を始めた。

 まず、水袋をいくつも用意する。食料も、二日分だけでなく余裕を持って買い足した。薬草の残りを確認し、傷の手当てに使う布も補充する。

 さらに、夜の冷え込みに備えて外套を整え、野営に必要な道具も揃えた。

「水はこれくらいあれば足りるかな?」

 カエデが水袋を抱えて尋ねる。

「余裕があるに越したことはない。砂漠では、すぐに水を手に入れられるとは限らないからな」

 アレルが答えた。

「食料も確認しておけよ。無駄に荷物を増やす必要はないが、足りなくなるのはもっと困る」

 シオンも荷物を確かめながら言う。

「分かった。じゃあ、こっちは私がまとめておくね」

「ああ。頼む」

 三人で手分けして準備を進めるうちに、時間はあっという間に過ぎていった。

 やがて、必要なものがすべて揃った頃には、太陽は少し西へ傾き始めていた。

「よし。これで大丈夫だな」

 アレルが荷物を背負う。

「忘れ物はないか?」

 シオンが二人を見回した。

「うん! 私は大丈夫!」

「俺も問題ない」

「なら、出発するか」

 三人は宿屋の主人に挨拶をし、外へ出た。

     *

 アッサラームの町は、午後の陽射しに照らされていた。

 朝から賑わっていた露店街では、商人たちが変わらず声を張り上げている。広場には人々が集まり、旅人たちはそれぞれの目的地へ向けて歩き出していた。

 町の外へ続く門を抜けると、空気が少しずつ変わっていく。

 建物の影が遠ざかり、乾いた風が頬を撫でた。

 その先には、広大な砂漠へ続く道が伸びている。

 カエデは一度だけ、アッサラームの町を振り返った。

「楽しかったね、アッサラーム」

「そうだな。いろいろあったが、必要な情報も手に入った」

 アレルが答える。

「次はイシスか」

 シオンは前方へ視線を向けた。

「ああ。二日ほどの道のりだ。気を抜くなよ」

「うん!」

 カエデは元気よく返事をした。

 髪に留めた赤と金の小花が、風を受けて小さく揺れる。

 三人はそれぞれ荷物を確かめ、砂漠へ続く道を歩き始めた。

 アッサラームの賑やかな声は、少しずつ背後へ遠ざかっていった。
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