DQ3 夜明けの果てに君と
アッサラームの朝は、昨夜の賑やかさが嘘のように穏やかだった。
窓の外からは、鳥のさえずりと、通りを行き交う人々の声が聞こえてくる。店先では商人たちが商品を並べ始め、荷物を運ぶ人々の足音が石畳に響いていた。
カエデは身支度を整えると、向かいの寝台に目を向けた。
「アレル、準備できた?」
「ああ。そっちは?」
「うん。いつでも大丈夫!」
二人は荷物を確認し、部屋を出た。
階段を下りると、宿屋の主人がカウンターの向こうで帳面を整理していた。
「おはようございます」
「おや、おはよう。よく眠れたかい?」
「はい。おかげさまで」
アレルが答えると、カエデは主人の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」
「何だい?」
「銀髪の若い人を見ませんでしたか? 昨日、私たちと一緒にいた人なんですけど」
「ああ、あの青年かい?」
主人は少し考えるように視線を上げた。
「いや、今朝はまだ見ていないね。部屋にいるのか、もう出かけたのかは分からないが」
「そうですか……」
カエデは少し残念そうに肩を落とした。
「まあ、あいつのことだ。用事があれば勝手に動いているだろう」
アレルがそう言うと、カエデは小さく頷いた。
「そうだね。じゃあ、私たちは先に情報を集めようか」
「ああ。魔法の鍵について、何か手がかりが見つかるかもしれない」
昨夜はシオンも一緒に町を歩いたが、今日は二人だけで探索することになった。
アレルとカエデは主人に礼を告げ、宿屋を出た。
*
朝のアッサラームには、昨夜とはまた違った活気があった。
夜の間、明るく照らされていた広場には、朝日が差し込んでいる。露店の店主たちは商品を並べ、焼きたてのパンを売る店からは香ばしい匂いが漂っていた。
通りを歩く人々の服装もさまざまだ。遠くからやってきた旅人らしい者もいれば、荷物を抱えて忙しそうに歩く商人もいる。
カエデは周囲を見渡しながら歩いた。
「魔法の鍵について知っている人、いるかなあ」
「まずは、この辺りのことに詳しそうな人を探してみよう」
「うん。ピラミッドのことも聞いてみたいね」
二人は露店の店主や旅人に声をかけながら、少しずつ情報を集めていった。
しかし、魔法の鍵については、なかなか確かな話が出てこない。
「砂漠の方に古い遺跡があるって話なら聞いたことがあるがな」
「ピラミッドかい? あそこには昔から宝が眠っているという噂があるよ」
「ただ、近づくのはやめておいた方がいい。魔物も出るし、何があるか分からないからな」
そんな話ばかりだった。
「うーん。ピラミッドのことは知られているみたいだけど、魔法の鍵については分からないね」
「そうだな。もう少し聞いてみよう」
アレルが答えた、そのときだった。
「お嬢さん、ちょっと見ていかないかい?」
横から声をかけられ、カエデが振り向く。
そこには、色とりどりの装飾品を並べた露店があった。小さな首飾りや腕輪、耳飾りに髪飾り。どれも細かな細工が施され、朝日を受けてきらきらと輝いている。
「わあ、かわいい!」
カエデは思わず足を止めた。
「こちらは遠くの職人が作った品でね。旅の記念にどうだい?」
店主が商品を手に取り、カエデへ見せる。
青い石のついた首飾りや、銀細工の腕輪。花を模した髪飾りもいくつか並んでいた。
カエデは一つひとつを眺め、楽しそうに目を輝かせる。
「どれもきれいだね……」
「気に入ったものがあるのか?」
アレルが尋ねる。
「うーん、どれもかわいいから迷っちゃう」
「ひとつならいいぞ」
「えっ、いいの?」
「ああ。旅の役に立つものではないが、たまにはそういう買い物をしてもいいだろう」
カエデは露店の商品をもう一度見回した。
せっかくなら、何かひとつ選びたい。
けれど、どれにするか決めきれず、彼女はアレルの方を振り返った。
「じゃあ、アレルが選んでよ」
「俺が?」
「うん。どれがいいと思う?」
アレルは少し困ったように商品を見渡した。
装飾品には詳しくない。どれが珍しいものなのかも、どれほど価値があるのかも分からなかった。
しばらく眺めてから、彼はひとつの髪飾りを手に取った。
「これでいいんじゃないか」
それは、赤と金の小さな花をあしらった髪飾りだった。
花びらは細かな金属で形作られ、中心には小さな赤い石が埋め込まれている。派手すぎず、それでいて華やかな印象の品だった。
「わあ……!」
カエデの顔がぱっと明るくなる。
「これ、すごくかわいい!」
「気に入ったなら、それにしよう」
「うん! これにする!」
店主に代金を支払い、カエデは髪飾りを受け取った。
さっそく髪につけてみる。少し位置を直しながら、近くにあった小さな鏡を覗き込んだ。
「どうかな?」
「似合っていると思う」
「本当? よかった!」
カエデは嬉しそうに髪飾りへ触れた。
「ありがとう、アレル!」
「どういたしまして」
アレルはそれだけ答えると、再び通りの向こうへ目を向けた。
「ほら、行くぞ。まだ情報を集めないとな」
「あっ、待ってよ!」
カエデは慌てて後を追う。
新しい髪飾りが揺れるたび、小さな赤い石が朝の光を受けてきらめいていた。
*
露店の並ぶ通りを抜け、二人は広場の方へ向かっていた。
カエデは時折、髪飾りに手を添えては嬉しそうに笑っている。
「そんなに気に入ったのか?」
アレルが横目で尋ねた。
「うん! だって、せっかく選んでもらったものだし」
「選んだと言っても、目についたものを手に取っただけだぞ」
「それでもだよ。大切にするね」
「そうか」
そんなやり取りを交わしながら歩いていた、そのときだった。
「泥棒よ! 誰か捕まえて!」
突然、女性の叫び声が通りに響いた。
二人が振り向く。
少し離れた場所で、一人の女性がこちらを指差していた。その前を、荷物を抱えた男がものすごい勢いで走り抜けてくる。
「どいてくれ!」
男は人々を押しのけながら、二人の方へ向かってきた。
アレルが剣へ手を伸ばしかける。
しかし、その前にカエデが動いた。
「止まれっ!」
男が目の前を通り過ぎようとした瞬間、カエデは足を伸ばして進路を塞いだ。
「うわっ!」
男の足が引っかかり、勢いのまま地面へ転がる。
カエデはすぐに駆け寄り、男の背中を押さえ込むようにして捕まえた。
「つかまえた!」
「このっ、離せ!」
男は身体をよじり、カエデを振りほどこうとする。
その手がカエデへ伸びた。
反応したアレルが素早く男の腕を掴み、地面へ押さえつける。
「大人しくしろ!」
「くそっ……!」
男はしばらく抵抗したが、アレルに腕を押さえられては身動きが取れなかった。
やがて、騒ぎを聞きつけた兵士たちが駆けつける。
「何事だ!」
「この男が、女性の荷物を盗んだようです」
アレルが説明すると、兵士は男の腕を取り、そのまま引き渡しを受けた。
「協力に感謝する。あとは我々に任せてくれ」
「ああ。よろしく頼む」
兵士たちは男を連れて、その場を離れていった。
少し遅れて、先ほど叫んでいた女性が二人のもとへ駆け寄ってくる。
「ありがとうございます! 本当に助かりました!」
「いえ。怪我はありませんか?」
アレルが尋ねる。
「はい。荷物を取られただけで、私は大丈夫です。まさか、あんなにすぐ捕まえてもらえるなんて……」
女性は何度も頭を下げた。
「お二人がいなければ、どうなっていたことか。本当にありがとうございます」
「無事でよかったです」
カエデが笑顔で答える。
女性はようやく落ち着いた様子で、二人を見た。
「ところで、お二人は旅の方ですよね?」
「ええ。少し尋ねたいことがあるんです」
アレルが答える。
「何かしら?」
「魔法の鍵について調べているんですが、何かご存じありませんか?」
女性は少し考え込んだ。
「魔法の鍵……。そういえば、砂漠の向こうにあるピラミッドに、何か特別な鍵が隠されているという噂を聞いたことがあります」
「ピラミッドに?」
カエデが反応する。
「ええ。確かな話かどうかは分かりませんけどね。あそこには古い宝が眠っているそうですし、魔法の鍵があっても不思議ではないと思います」
「そのピラミッドへ行くには、どちらへ向かえばいいのでしょう?」
「アッサラームを西の入口から出て、そこからはるか西に進むとピラミッドのある砂漠がありますよ。」
「ありがとうございます。助かりました」
アレルが礼を述べる。
「いえいえ。こちらこそ、助けていただいたお礼です」
女性はもう一度頭を下げると、荷物を抱えて通りの向こうへ歩いていった。
カエデは、その背中を見送ってからアレルへ向き直る。
「やったね! ピラミッドに魔法の鍵があるかもしれないって!」
「ああ。ようやく手がかりが見つかったな」
「次はイシスだね!」
「そうだな。まずは宿屋に戻って、シオンにも話してみよう」
「うん!」
二人は来た道を引き返し、宿屋へ向かった。
カエデの髪では、赤と金の小花の髪飾りが揺れている。
アッサラームでの情報収集は、思いがけない出来事もあったが、ひとまず成果を得られた。
*
宿屋へ戻ると、シオンはすでに起きていた。
食堂の隅の席に腰掛け、飲み物を片手に何か考え事をしているようだった。
「あっ、シオン!」
カエデが声をかける。
シオンは顔を上げ、二人の姿を見た。
「戻ったか。ずいぶん歩き回っていたみたいだな」
「うん! いろいろ聞いてきたよ」
「魔法の鍵について、何か分かったのか?」
「ああ。ピラミッドにあるという噂を聞いた」
アレルが答える。
「ピラミッドか」
シオンはカップを置き、少し考えるように目を細めた。
「なら、イシスを目指せ」
「イシス?」
カエデが聞き返す。
「ああ。砂漠の近くにある町だ。ピラミッドへ向かうなら、まずそこを拠点にした方がいい」
「イシスの方が、ピラミッドに近いのか?」
アレルが尋ねる。
「そういうことだ。アッサラームから直接向かうより、町で情報を集めてから進んだ方がいい。砂漠の道は簡単じゃないからな」
シオンはそう言って、窓の外へ目を向けた。
「それに、俺もイシスに用がある」
「そうなの?」
「ああ。どうせ向かう先が同じなら、一緒に行く」
「本当!?」
カエデの顔が明るくなる。
「また一緒に行けるんだね!」
「まあな」
シオンはいつもの調子で肩をすくめた。
アレルも、わずかに表情を緩める。
「それは助かる。お前が一緒なら、道のことも分かるしな」
「道案内くらいならしてやるよ」
「頼りにしている」
「お前にそう言われると、なんだか調子が狂うな」
「どういう意味だ?」
「別に」
シオンは再びカップを手に取った。
カエデは二人のやり取りを見て、楽しそうに笑った。
*
三人は出発に備え、宿屋の主人にイシスまでの道のりを尋ねた。
「イシスまで行くのかい?」
主人は少し驚いたように目を上げた。
「ああ。歩いてどれくらいかかる?」
アレルが尋ねる。
「そうだな。休みながら進めば二日ほどは見ておいた方がいいだろう」
「二日か……」
「ただし、砂漠を通ることになる。太陽が出ている間はかなり暑いぞ。水は多めに持っていきな」
主人は念を押すように続けた。
「それに、夜はひどく冷え込む。昼間の格好のままでいると身体を冷やすから、外套も忘れないようにな」
「分かった。気をつけるよ」
「魔物も危険だ。砂の中や岩陰から突然現れることがある。見通しがいいからといって、油断しないことだな」
シオンが頷く。
「その辺りは分かっている。だが、準備は念入りにしておいた方がいいな」
三人は主人に礼を言い、出発の支度を始めた。
まず、水袋をいくつも用意する。食料も、二日分だけでなく余裕を持って買い足した。薬草の残りを確認し、傷の手当てに使う布も補充する。
さらに、夜の冷え込みに備えて外套を整え、野営に必要な道具も揃えた。
「水はこれくらいあれば足りるかな?」
カエデが水袋を抱えて尋ねる。
「余裕があるに越したことはない。砂漠では、すぐに水を手に入れられるとは限らないからな」
アレルが答えた。
「食料も確認しておけよ。無駄に荷物を増やす必要はないが、足りなくなるのはもっと困る」
シオンも荷物を確かめながら言う。
「分かった。じゃあ、こっちは私がまとめておくね」
「ああ。頼む」
三人で手分けして準備を進めるうちに、時間はあっという間に過ぎていった。
やがて、必要なものがすべて揃った頃には、太陽は少し西へ傾き始めていた。
「よし。これで大丈夫だな」
アレルが荷物を背負う。
「忘れ物はないか?」
シオンが二人を見回した。
「うん! 私は大丈夫!」
「俺も問題ない」
「なら、出発するか」
三人は宿屋の主人に挨拶をし、外へ出た。
*
アッサラームの町は、午後の陽射しに照らされていた。
朝から賑わっていた露店街では、商人たちが変わらず声を張り上げている。広場には人々が集まり、旅人たちはそれぞれの目的地へ向けて歩き出していた。
町の外へ続く門を抜けると、空気が少しずつ変わっていく。
建物の影が遠ざかり、乾いた風が頬を撫でた。
その先には、広大な砂漠へ続く道が伸びている。
カエデは一度だけ、アッサラームの町を振り返った。
「楽しかったね、アッサラーム」
「そうだな。いろいろあったが、必要な情報も手に入った」
アレルが答える。
「次はイシスか」
シオンは前方へ視線を向けた。
「ああ。二日ほどの道のりだ。気を抜くなよ」
「うん!」
カエデは元気よく返事をした。
髪に留めた赤と金の小花が、風を受けて小さく揺れる。
三人はそれぞれ荷物を確かめ、砂漠へ続く道を歩き始めた。
アッサラームの賑やかな声は、少しずつ背後へ遠ざかっていった。
窓の外からは、鳥のさえずりと、通りを行き交う人々の声が聞こえてくる。店先では商人たちが商品を並べ始め、荷物を運ぶ人々の足音が石畳に響いていた。
カエデは身支度を整えると、向かいの寝台に目を向けた。
「アレル、準備できた?」
「ああ。そっちは?」
「うん。いつでも大丈夫!」
二人は荷物を確認し、部屋を出た。
階段を下りると、宿屋の主人がカウンターの向こうで帳面を整理していた。
「おはようございます」
「おや、おはよう。よく眠れたかい?」
「はい。おかげさまで」
アレルが答えると、カエデは主人の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」
「何だい?」
「銀髪の若い人を見ませんでしたか? 昨日、私たちと一緒にいた人なんですけど」
「ああ、あの青年かい?」
主人は少し考えるように視線を上げた。
「いや、今朝はまだ見ていないね。部屋にいるのか、もう出かけたのかは分からないが」
「そうですか……」
カエデは少し残念そうに肩を落とした。
「まあ、あいつのことだ。用事があれば勝手に動いているだろう」
アレルがそう言うと、カエデは小さく頷いた。
「そうだね。じゃあ、私たちは先に情報を集めようか」
「ああ。魔法の鍵について、何か手がかりが見つかるかもしれない」
昨夜はシオンも一緒に町を歩いたが、今日は二人だけで探索することになった。
アレルとカエデは主人に礼を告げ、宿屋を出た。
*
朝のアッサラームには、昨夜とはまた違った活気があった。
夜の間、明るく照らされていた広場には、朝日が差し込んでいる。露店の店主たちは商品を並べ、焼きたてのパンを売る店からは香ばしい匂いが漂っていた。
通りを歩く人々の服装もさまざまだ。遠くからやってきた旅人らしい者もいれば、荷物を抱えて忙しそうに歩く商人もいる。
カエデは周囲を見渡しながら歩いた。
「魔法の鍵について知っている人、いるかなあ」
「まずは、この辺りのことに詳しそうな人を探してみよう」
「うん。ピラミッドのことも聞いてみたいね」
二人は露店の店主や旅人に声をかけながら、少しずつ情報を集めていった。
しかし、魔法の鍵については、なかなか確かな話が出てこない。
「砂漠の方に古い遺跡があるって話なら聞いたことがあるがな」
「ピラミッドかい? あそこには昔から宝が眠っているという噂があるよ」
「ただ、近づくのはやめておいた方がいい。魔物も出るし、何があるか分からないからな」
そんな話ばかりだった。
「うーん。ピラミッドのことは知られているみたいだけど、魔法の鍵については分からないね」
「そうだな。もう少し聞いてみよう」
アレルが答えた、そのときだった。
「お嬢さん、ちょっと見ていかないかい?」
横から声をかけられ、カエデが振り向く。
そこには、色とりどりの装飾品を並べた露店があった。小さな首飾りや腕輪、耳飾りに髪飾り。どれも細かな細工が施され、朝日を受けてきらきらと輝いている。
「わあ、かわいい!」
カエデは思わず足を止めた。
「こちらは遠くの職人が作った品でね。旅の記念にどうだい?」
店主が商品を手に取り、カエデへ見せる。
青い石のついた首飾りや、銀細工の腕輪。花を模した髪飾りもいくつか並んでいた。
カエデは一つひとつを眺め、楽しそうに目を輝かせる。
「どれもきれいだね……」
「気に入ったものがあるのか?」
アレルが尋ねる。
「うーん、どれもかわいいから迷っちゃう」
「ひとつならいいぞ」
「えっ、いいの?」
「ああ。旅の役に立つものではないが、たまにはそういう買い物をしてもいいだろう」
カエデは露店の商品をもう一度見回した。
せっかくなら、何かひとつ選びたい。
けれど、どれにするか決めきれず、彼女はアレルの方を振り返った。
「じゃあ、アレルが選んでよ」
「俺が?」
「うん。どれがいいと思う?」
アレルは少し困ったように商品を見渡した。
装飾品には詳しくない。どれが珍しいものなのかも、どれほど価値があるのかも分からなかった。
しばらく眺めてから、彼はひとつの髪飾りを手に取った。
「これでいいんじゃないか」
それは、赤と金の小さな花をあしらった髪飾りだった。
花びらは細かな金属で形作られ、中心には小さな赤い石が埋め込まれている。派手すぎず、それでいて華やかな印象の品だった。
「わあ……!」
カエデの顔がぱっと明るくなる。
「これ、すごくかわいい!」
「気に入ったなら、それにしよう」
「うん! これにする!」
店主に代金を支払い、カエデは髪飾りを受け取った。
さっそく髪につけてみる。少し位置を直しながら、近くにあった小さな鏡を覗き込んだ。
「どうかな?」
「似合っていると思う」
「本当? よかった!」
カエデは嬉しそうに髪飾りへ触れた。
「ありがとう、アレル!」
「どういたしまして」
アレルはそれだけ答えると、再び通りの向こうへ目を向けた。
「ほら、行くぞ。まだ情報を集めないとな」
「あっ、待ってよ!」
カエデは慌てて後を追う。
新しい髪飾りが揺れるたび、小さな赤い石が朝の光を受けてきらめいていた。
*
露店の並ぶ通りを抜け、二人は広場の方へ向かっていた。
カエデは時折、髪飾りに手を添えては嬉しそうに笑っている。
「そんなに気に入ったのか?」
アレルが横目で尋ねた。
「うん! だって、せっかく選んでもらったものだし」
「選んだと言っても、目についたものを手に取っただけだぞ」
「それでもだよ。大切にするね」
「そうか」
そんなやり取りを交わしながら歩いていた、そのときだった。
「泥棒よ! 誰か捕まえて!」
突然、女性の叫び声が通りに響いた。
二人が振り向く。
少し離れた場所で、一人の女性がこちらを指差していた。その前を、荷物を抱えた男がものすごい勢いで走り抜けてくる。
「どいてくれ!」
男は人々を押しのけながら、二人の方へ向かってきた。
アレルが剣へ手を伸ばしかける。
しかし、その前にカエデが動いた。
「止まれっ!」
男が目の前を通り過ぎようとした瞬間、カエデは足を伸ばして進路を塞いだ。
「うわっ!」
男の足が引っかかり、勢いのまま地面へ転がる。
カエデはすぐに駆け寄り、男の背中を押さえ込むようにして捕まえた。
「つかまえた!」
「このっ、離せ!」
男は身体をよじり、カエデを振りほどこうとする。
その手がカエデへ伸びた。
反応したアレルが素早く男の腕を掴み、地面へ押さえつける。
「大人しくしろ!」
「くそっ……!」
男はしばらく抵抗したが、アレルに腕を押さえられては身動きが取れなかった。
やがて、騒ぎを聞きつけた兵士たちが駆けつける。
「何事だ!」
「この男が、女性の荷物を盗んだようです」
アレルが説明すると、兵士は男の腕を取り、そのまま引き渡しを受けた。
「協力に感謝する。あとは我々に任せてくれ」
「ああ。よろしく頼む」
兵士たちは男を連れて、その場を離れていった。
少し遅れて、先ほど叫んでいた女性が二人のもとへ駆け寄ってくる。
「ありがとうございます! 本当に助かりました!」
「いえ。怪我はありませんか?」
アレルが尋ねる。
「はい。荷物を取られただけで、私は大丈夫です。まさか、あんなにすぐ捕まえてもらえるなんて……」
女性は何度も頭を下げた。
「お二人がいなければ、どうなっていたことか。本当にありがとうございます」
「無事でよかったです」
カエデが笑顔で答える。
女性はようやく落ち着いた様子で、二人を見た。
「ところで、お二人は旅の方ですよね?」
「ええ。少し尋ねたいことがあるんです」
アレルが答える。
「何かしら?」
「魔法の鍵について調べているんですが、何かご存じありませんか?」
女性は少し考え込んだ。
「魔法の鍵……。そういえば、砂漠の向こうにあるピラミッドに、何か特別な鍵が隠されているという噂を聞いたことがあります」
「ピラミッドに?」
カエデが反応する。
「ええ。確かな話かどうかは分かりませんけどね。あそこには古い宝が眠っているそうですし、魔法の鍵があっても不思議ではないと思います」
「そのピラミッドへ行くには、どちらへ向かえばいいのでしょう?」
「アッサラームを西の入口から出て、そこからはるか西に進むとピラミッドのある砂漠がありますよ。」
「ありがとうございます。助かりました」
アレルが礼を述べる。
「いえいえ。こちらこそ、助けていただいたお礼です」
女性はもう一度頭を下げると、荷物を抱えて通りの向こうへ歩いていった。
カエデは、その背中を見送ってからアレルへ向き直る。
「やったね! ピラミッドに魔法の鍵があるかもしれないって!」
「ああ。ようやく手がかりが見つかったな」
「次はイシスだね!」
「そうだな。まずは宿屋に戻って、シオンにも話してみよう」
「うん!」
二人は来た道を引き返し、宿屋へ向かった。
カエデの髪では、赤と金の小花の髪飾りが揺れている。
アッサラームでの情報収集は、思いがけない出来事もあったが、ひとまず成果を得られた。
*
宿屋へ戻ると、シオンはすでに起きていた。
食堂の隅の席に腰掛け、飲み物を片手に何か考え事をしているようだった。
「あっ、シオン!」
カエデが声をかける。
シオンは顔を上げ、二人の姿を見た。
「戻ったか。ずいぶん歩き回っていたみたいだな」
「うん! いろいろ聞いてきたよ」
「魔法の鍵について、何か分かったのか?」
「ああ。ピラミッドにあるという噂を聞いた」
アレルが答える。
「ピラミッドか」
シオンはカップを置き、少し考えるように目を細めた。
「なら、イシスを目指せ」
「イシス?」
カエデが聞き返す。
「ああ。砂漠の近くにある町だ。ピラミッドへ向かうなら、まずそこを拠点にした方がいい」
「イシスの方が、ピラミッドに近いのか?」
アレルが尋ねる。
「そういうことだ。アッサラームから直接向かうより、町で情報を集めてから進んだ方がいい。砂漠の道は簡単じゃないからな」
シオンはそう言って、窓の外へ目を向けた。
「それに、俺もイシスに用がある」
「そうなの?」
「ああ。どうせ向かう先が同じなら、一緒に行く」
「本当!?」
カエデの顔が明るくなる。
「また一緒に行けるんだね!」
「まあな」
シオンはいつもの調子で肩をすくめた。
アレルも、わずかに表情を緩める。
「それは助かる。お前が一緒なら、道のことも分かるしな」
「道案内くらいならしてやるよ」
「頼りにしている」
「お前にそう言われると、なんだか調子が狂うな」
「どういう意味だ?」
「別に」
シオンは再びカップを手に取った。
カエデは二人のやり取りを見て、楽しそうに笑った。
*
三人は出発に備え、宿屋の主人にイシスまでの道のりを尋ねた。
「イシスまで行くのかい?」
主人は少し驚いたように目を上げた。
「ああ。歩いてどれくらいかかる?」
アレルが尋ねる。
「そうだな。休みながら進めば二日ほどは見ておいた方がいいだろう」
「二日か……」
「ただし、砂漠を通ることになる。太陽が出ている間はかなり暑いぞ。水は多めに持っていきな」
主人は念を押すように続けた。
「それに、夜はひどく冷え込む。昼間の格好のままでいると身体を冷やすから、外套も忘れないようにな」
「分かった。気をつけるよ」
「魔物も危険だ。砂の中や岩陰から突然現れることがある。見通しがいいからといって、油断しないことだな」
シオンが頷く。
「その辺りは分かっている。だが、準備は念入りにしておいた方がいいな」
三人は主人に礼を言い、出発の支度を始めた。
まず、水袋をいくつも用意する。食料も、二日分だけでなく余裕を持って買い足した。薬草の残りを確認し、傷の手当てに使う布も補充する。
さらに、夜の冷え込みに備えて外套を整え、野営に必要な道具も揃えた。
「水はこれくらいあれば足りるかな?」
カエデが水袋を抱えて尋ねる。
「余裕があるに越したことはない。砂漠では、すぐに水を手に入れられるとは限らないからな」
アレルが答えた。
「食料も確認しておけよ。無駄に荷物を増やす必要はないが、足りなくなるのはもっと困る」
シオンも荷物を確かめながら言う。
「分かった。じゃあ、こっちは私がまとめておくね」
「ああ。頼む」
三人で手分けして準備を進めるうちに、時間はあっという間に過ぎていった。
やがて、必要なものがすべて揃った頃には、太陽は少し西へ傾き始めていた。
「よし。これで大丈夫だな」
アレルが荷物を背負う。
「忘れ物はないか?」
シオンが二人を見回した。
「うん! 私は大丈夫!」
「俺も問題ない」
「なら、出発するか」
三人は宿屋の主人に挨拶をし、外へ出た。
*
アッサラームの町は、午後の陽射しに照らされていた。
朝から賑わっていた露店街では、商人たちが変わらず声を張り上げている。広場には人々が集まり、旅人たちはそれぞれの目的地へ向けて歩き出していた。
町の外へ続く門を抜けると、空気が少しずつ変わっていく。
建物の影が遠ざかり、乾いた風が頬を撫でた。
その先には、広大な砂漠へ続く道が伸びている。
カエデは一度だけ、アッサラームの町を振り返った。
「楽しかったね、アッサラーム」
「そうだな。いろいろあったが、必要な情報も手に入った」
アレルが答える。
「次はイシスか」
シオンは前方へ視線を向けた。
「ああ。二日ほどの道のりだ。気を抜くなよ」
「うん!」
カエデは元気よく返事をした。
髪に留めた赤と金の小花が、風を受けて小さく揺れる。
三人はそれぞれ荷物を確かめ、砂漠へ続く道を歩き始めた。
アッサラームの賑やかな声は、少しずつ背後へ遠ざかっていった。
