DQ3 夜明けの果てに君と
アッサラームへ到着した頃には、夜もすっかり更けていた。
街の入口を抜けると、昼間とはまるで違う光景が広がっていた。
建物の窓からは暖かな明かりが漏れ、通りには色とりどりのランプが吊るされている。風に揺れる布飾りが光を受け、壁や石畳に鮮やかな模様を落としていた。
店先には異国の品々が並び、遠くからは陽気な音楽と人々の笑い声が聞こえてくる。どこからか甘い香りや香辛料の匂いが漂い、街の賑わいをいっそう引き立てていた。
「……すごいね」
カエデは、思わず足を止めた。
通りを行き交う人々の服装も、ロマリアとは少し違っている。ゆったりとした布を身にまとい、頭に布を巻いた商人。色鮮やかな衣装を着た女性。肩に荷物を担いで歩く旅人。
見慣れない光景ばかりで、目を向ける先に困ってしまうほどだった。
「夜でもこんなに人がいるんだね」
「アッサラームは夜の商売が盛んだと聞いたことがある」
アレルは周囲を見回しながら答えた。
昼間の街の様子を知らない二人にとって、これがアッサラームの普段の姿なのかは分からない。それでも、夜になってから人が集まり始める街なのだということは、通りの活気から十分に伝わってきた。
「まずは宿を探そう。今日はもう遅い」
「うん。そうだね」
二人は通りを進み、宿屋の看板を探し始めた。
王様から借り受けた馬車は、街の入口で兵士たちとともに別れていた。これから先は、また自分たちの足で旅を続けることになる。
カエデは、きらびやかな街並みを眺めながら歩いていた。
そのときだった。
「……お前たちか?」
聞き覚えのある声が、通りの向こうから聞こえた。
振り返ると、街灯の下に一人の青年が立っていた。
銀色の髪。すらりとした体つき。そして、どこか人を寄せつけないような、いつもの淡々とした表情。
「……シオン!?」
カエデの顔がぱっと明るくなる。
思いがけない再会に、彼女は目を輝かせた。カザーブで別れてから、まだそれほど時間は経っていない。それでも、こうして再び顔を合わせるとは思っていなかった。
「まだアッサラームにいたんだ!」
「用事が終わったところだ」
シオンは短く答えた。
カエデは嬉しそうに彼のそばへ駆け寄る。
「本当に会えるなんて思わなかったよ!」
「俺もだ。縁があれば会うとは言ったが……」
シオンはわずかに口元を緩めた。
「本当に縁があるとはな」
「ふふっ。そうだね!」
カエデは楽しそうに笑った。
その様子を、アレルは少し離れたところから見ていた。二人の間には、別れ際のやり取りを思い出させるような、気安い空気が流れている。
「久しぶりだな、シオン」
アレルが声をかける。
「ああ。お前も無事だったようだな」
「おかげさまでな」
二人は短く言葉を交わす。
以前と変わらないやり取りだった。互いに余計なことを尋ねる様子もなく、再会を大げさに喜ぶわけでもない。それでも、顔を合わせれば自然に言葉が出てくる。
「それで、お前たちは今着いたところか?」
「ああ。これから宿を探すつもりだ」
「そうか」
シオンは通りの奥へ視線を向けた。
そこでは、露店の商人が客を呼び込み、広場の方からは音楽が聞こえている。夜の街は、まだまだ眠る気配がなかった。
「もう眠るのか? アッサラームの夜はこれからだぞ」
「えっ?」
カエデの目が、きらりと輝いた。
「夜はこれからって……まだ見て回れるの?」
「店も露店も、まだ開いているところが多い。せっかく来たんだから、少しくらい見ていけばいいだろう」
「行きたい!」
即答だった。
カエデは通りの奥を見つめ、今にも駆け出しそうな様子である。
アレルはそんな彼女を見て、少し困ったように息を吐いた。
「宿を取ってからでもいいんじゃないか?」
「それはそうだけど……」
カエデは名残惜しそうに通りの奥を見つめる。
シオンは肩をすくめた。
「この街には、旅人を狙うような店もある。値段をふっかけたり、偽物を売りつけたりな」
「えっ、そうなの?」
「ああ。お前たちだけで歩いていたら、いいように騙されるかもしれない」
シオンは二人の様子を見比べた。どうやら、すでにカエデは街の華やかさに夢中になっている。アレルも警戒心はあるものの、こうした商売の駆け引きにはあまり慣れていない。
「じゃあ、シオンが一緒に来てくれるの?」
「俺も用事が済んだところだ。少しくらい付き合ってやる」
「いいの!?」
カエデは嬉しそうに声を上げた。
シオンは照れ隠しのように視線を逸らす。
「アレルには、カンダタを倒してもらった借りもあるからな」
「借りというほどのことじゃない」
「そうか? 魔物相手じゃないと、勇者様は頼りにならないだろうからな」
「お前な……」
アレルが眉を寄せる。
シオンは小さく笑った。久しぶりに顔を合わせても、二人のやり取りは相変わらずだった。
「まあ、そういうことだ。案内くらいはしてやる」
アレルはカエデへ視線を向けた。
「お前が疲れていないなら、少し見て回ってもいいぞ」
「大丈夫! まだまだ元気だよ!」
「分かった。無理はするなよ」
「うん!」
三人は宿探しをいったん後回しにして、夜の街へと歩き出した。
*
最初に向かったのは、通りの両側に露店が並ぶ一角だった。
色鮮やかな布が頭上に張られ、その下にはさまざまな商品が並べられている。宝石や装飾品、香辛料、異国の果物、見たことのない道具。
店先には小さなランプが置かれ、商品を照らしていた。金属の飾りが光を反射するたび、きらきらと細かな輝きが散っていく。
商人たちは客を呼び込むために声を張り上げ、通りを歩く人々も足を止めては品物を手に取っていた。
「さあさあ、見ていきな! どれも珍しい品ばかりだよ!」
「旅のお嬢さん、こちらの飾りはいかがです?」
「今夜だけの特別価格だ! 買わなきゃ損だよ!」
「わあ……! いろんなものがあるね!」
カエデは目を輝かせながら、店先を一つずつ覗いていった。
「これは何に使うんだろう?」
小さな瓶に入った粉を指差す。
「香辛料だな。料理に使うものだ」
アレルが瓶を眺めながら答えた。
「こっちは?」
今度は隣に並ぶ金色の小物へ目を向ける。
「装飾品だろう」
「それは分かるよ!」
「なら聞かなくてもいいじゃないか」
「そういうことじゃないの!」
カエデが頬を膨らませると、アレルは困ったように視線を逸らした。
そんな二人のやり取りを聞きながら、シオンは呆れたように肩をすくめた。
「お前たち、店を見るだけでずいぶん時間がかかりそうだな」
「だって、珍しいものばかりなんだもん!」
カエデが楽しそうに返す。
シオンは返事の代わりに、通りの先へ目を向けた。これでは、宿屋にたどり着くまでにどれほどかかるか分からない。
そのとき、ひときわ大きな声が聞こえた。
「そこのお嬢さん! ちょっと見ていきな!」
露店の主人が、カエデへ向かって手招きしている。
店先には、小さな黄色い花が一輪、布の上に置かれていた。周囲には宝石や珍しい鉱石なども並んでいるが、その花だけは妙に目立っていた。
「これは遠い異国の地でしか咲かない、たいへん珍しい花なんだ。持っているだけで幸運が訪れると言われているよ!」
「へえ……!」
カエデが興味深そうに覗き込む。
「それで、おいくらですか?」
「なんと、たったの五万ゴールド!」
「たんぽぽ五万ゴールド!?」
カエデは思わず声を上げた。
どう見ても、道端に咲いていそうな普通のたんぽぽだった。
「何を言うんだい! これは特別な花なんだよ!」
「本当に?」
アレルが真剣な顔で花を見つめる。
「遠い異国の珍しい花なら、それくらいの価値があるのかもしれないな」
「いや、あれはただのたんぽぽだ」
すかさずシオンが口を挟んだ。
「えっ?」
「その辺の草地にも咲いている。珍しくも何ともない」
シオンは花を手に取ると、葉の形や茎を確かめた。特別な細工もなければ、珍しい植物の特徴もない。
「な、何を言うんだ! これは由緒ある……!」
「じゃあ、花の名前を言ってみろ」
「そ、それは……」
主人の言葉が止まる。
シオンは冷めた目で店主を見た。
「五万ゴールドも取ろうっていうのに、名前も説明できないのか?」
「ちっ……!」
主人は気まずそうに花を布の下へ隠した。
「もういい! 冷やかしなら帰ってくれ!」
「最初から買う気はなかったけどな」
シオンはそう言って歩き出した。
カエデも慌てて後を追う。アレルは最後にもう一度、露店の花へ視線を向けてから二人の後に続いた。
「危なかった……。シオンがいなかったら、アレルが本気で買っちゃってたかも」
「珍しい花だと言っていたからな」
「普通のたんぽぽだよ!」
「そうだったのか」
「アレル、もう少し疑ってよ……」
カエデが呆れたように言うと、シオンが横から口を挟んだ。
「だから言っただろう。お前たちだけじゃ危なっかしい」
「うう……。ありがとう、シオン」
「礼を言うほどのことじゃない」
シオンは素っ気なく答えた。
*
次の露店では、香辛料が売られていた。
小さな瓶に詰められた赤や黄色の粉が、店先にずらりと並んでいる。蓋の隙間からは独特の香りが漂い、近くを通るだけで鼻の奥が少し刺激された。
「こちらは特別な香辛料です! ほんの少し料理に加えるだけで、身体がぽかぽか温まりますよ!」
「へえ、面白そう!」
カエデが瓶を覗き込む。
赤い粉は鮮やかで、見た目にも辛そうだった。けれど、料理に使うものなら少しくらい試してみたい。
「試してみますか?」
主人が小さな匙に粉をすくい、差し出してきた。
「ほんの少しだけですよ」
カエデはためらいなく舌先につけた。
「……ん?」
最初は、ほんのりとした辛さだった。
けれど、数秒後。
「かっ……辛い!!」
カエデは慌てて口元を押さえた。
舌の奥から熱が広がり、喉までじんじんとする。思わず目に涙が浮かんだ。
「水! 水ください!」
「ははは! これは効くだろう!」
主人が笑いながら水の入った器を差し出す。
カエデはそれを受け取り、一気に飲み干した。
「ふう……。びっくりした……」
「大丈夫か?」
アレルが心配そうに覗き込む。
「うん。舌がちょっと大変なことになっただけ」
「ちょっとどころじゃなさそうだったが」
シオンは呆れたように言った。
「だって、少しだけって言ったもん!」
「少しでも辛いものは辛いだろ」
「そうだけど……!」
カエデはまだ少し舌を気にしながら、露店を離れた。
「もう、試食は慎重にする……」
「そうしてくれ」
アレルが答えると、シオンが小さく笑った。
通りには、香辛料の香りがまだ漂っていた。カエデは水を飲んだばかりなのに、口の中に残る辛さを思い出して、もう一度顔をしかめた。
*
露店街の奥には、占い師の店があった。
薄い布で囲われた小さな天幕の中に、紫色の灯りが揺れている。机の上には水晶玉が置かれ、奥に座る女性が三人の姿を見つけると、ゆっくりと手招きした。
「旅のお方。少し未来を占っていきませんか?」
「占いか……」
アレルが興味深そうに天幕を覗く。
「お前、そういうの信じるのか?」
シオンが尋ねた。
「信じるというほどではないが、話を聞くくらいならいいだろう」
「ふうん」
カエデも興味を引かれたようだった。水晶玉の表面には、天幕の灯りがぼんやりと映っている。
「せっかくだし、見てもらおうよ!」
三人は天幕の中へ入った。
外の喧騒が布越しに遠のき、室内には香の甘い匂いが漂っていた。占い師は三人の顔を順番に見つめると、水晶玉へ手をかざした。
「……見えます。あなたたちは、長い旅を続けている」
「まあ、そうだな」
アレルが答える。
「これから先も、いくつもの出会いと別れが待っているでしょう。そして、あなたたちの前には大きな選択が訪れます」
占い師の指先が、水晶玉の表面をゆっくりとなぞる。
「そのとき、あなたたちは自分の心に従うことが大切です」
「……なるほど」
アレルは真剣にうなずいた。
「どうだい? 当たっているだろう?」
占い師が尋ねる。
シオンは腕を組んだ。
「旅人なら、誰にでも当てはまりそうな話だな」
「な、何を言うのです!」
「まあまあ、シオン」
カエデが苦笑する。
「でも、心に従うっていうのは大切かもね」
「そうだな」
アレルも同意した。
占い師は満足そうに微笑み、三人を送り出した。
天幕を出たところで、シオンがぽつりと言う。
「結局、何を占ったんだか」
「いいじゃない。ちょっと面白かったよ」
「お前は何でも楽しめるんだな」
「それが旅のいいところです!」
カエデは胸を張った。
シオンは呆れたように目を細めたが、それ以上は何も言わなかった。
*
露店街を抜けると、通りの雰囲気が少し変わった。
建物の間隔が狭くなり、軒先には色鮮やかな布が飾られている。壁に取り付けられたランプが、細い路地を柔らかく照らしていた。
露店の呼び込みの声は少しずつ遠ざかり、代わりに、通りの奥から女性たちの明るい声が聞こえてくる。
「そこのお兄さん! ちょっと寄っていかない?」
声をかけられたアレルが足を止めた。
通りの端に立っていた女性が、にこやかに手招きしている。華やかな衣装をまとい、客を呼び込むように身を乗り出していた。
「うちのぱふぱふ、気持ちいいよ!」
「……ぱふぱふ?」
アレルは聞き慣れない言葉に首を傾げた。
「そう! 疲れた身体を癒やしてあげる!」
女性はアレルとの距離を詰め、腕にそっと手を添えようとする。
アレルはどう対応していいのか分からず、わずかに身体を引いた。女性の笑顔と近すぎる距離に、少しばかり戸惑っているようだった。
「いや、俺は……」
「遠慮しなくていいのよ。旅で疲れているでしょう?」
その様子を見ていたシオンが、とうとう吹き出した。
「くっ……ははっ!」
「シオン?」
アレルが振り返る。
「いや、悪い。お前がそんな顔をするとは思わなくてな」
「何がおかしいんだ?」
「さあな」
シオンは笑いをこらえながら、肩を震わせている。
その一方で、カエデは女性の言葉に目を輝かせていた。
「……あのぱふぱふですか!?」
期待に満ちた声だった。
女性は嬉しそうに笑う。
「そうよ! よく知ってるわね、お嬢さん!」
「本当にあるんだ……!」
カエデは感動したように、店の入口を見つめた。
アレルはますます困惑した表情になる。
「カエデまで何を言っているんだ?」
「え? だって、ぱふぱふだよ?」
「だから、それが何なのか分からないんだが……」
シオンは二人を交互に見た。
アレルは言葉の意味が分からず、カエデは意味を知っているはずなのに、なぜか嬉しそうにしている。
(……だめだ、こいつら)
シオンは小さく息を吐いた。
「お前、行ってこいよ。せっかく誘われてるんだから」
カエデがアレルを促す。
「いや、俺はいい」
「えー? せっかくなのに」
「何がせっかくなんだ」
アレルが困ったように眉を寄せる。
カエデは今度はシオンへ顔を向けた。
「どうせならシオンも行ってきなよ!」
「……俺はいい」
「えー、どうして?」
「どうしてもだ」
シオンは即座に断った。
女性は三人の様子を見て、ぱん、と手を叩く。
「あらあら! それなら三人まとめていらっしゃい! うちは腕がいいから、お嬢さんもお兄さんたちも大歓迎よ~!」
「えっ、三人まとめて?」
カエデが目を丸くする。
「そうよ! みんなで疲れを取っていって!」
女性は三人の背中を押すように、店の中へ案内し始めた。
「いや、俺は……」
「ちょっと待て」
シオンも何か言おうとしたが、女性の勢いに押され、結局三人そろって店の中へ入ることになった。
*
店の中は、外から想像していたよりも広かった。
奥には仕切りのある部屋がいくつか並び、柔らかな布が敷かれた寝台が置かれている。壁際には香油の瓶やタオルが整然と並び、ほのかに花の香りが漂っていた。
「こちらへどうぞ!」
女性が案内した先には、屈強な男たちが待っていた。
大きな腕。分厚い肩。いかにも力の強そうな男たちが、にこやかに三人を迎えている。
「……え?」
カエデは一瞬、足を止めた。
「さあ、横になって!」
女性が明るく促す。
「うちは全身をしっかり揉みほぐす、本格的なぱふぱふよ!」
「全身……?」
「そう! 肩も背中も腰も、疲れが取れるまでたっぷりね!」
カエデはようやく、店の意味を理解した。
どうやら、この街ではマッサージのことをぱふぱふと呼んでいるらしい。
アレルも、ようやく納得したようにうなずいた。
「なるほど。そういうことだったのか」
「……おい」
シオンが低い声を出す。
「俺たちは何をしに来たんだ?」
「疲れを取るんだって!」
カエデはすっかり楽しそうだった。
「せっかくだし、受けていこうよ!」
「……もう好きにしろ」
シオンは諦めたように息を吐いた。
三人はそれぞれ寝台へ案内され、肩や背中を揉みほぐされることになった。
「力加減はいかがですか?」
「うん、気持ちいいです!」
カエデは目を細めた。
強い手で肩を揉まれると、旅の疲れが少しずつほぐれていく。腕や背中に溜まっていた張りが和らぎ、思わず深く息を吐いた。
「アレルはどう?」
「……思ったより気持ちいいな」
アレルも、意外そうな顔をしていた。
隣の寝台では、シオンが無言で天井を見つめている。表情はいつもどおりだが、肩の力は少し抜けているようだった。
「シオン?」
「何だ」
「気持ちよくないの?」
「……悪くはない」
「ふふっ」
「笑うな」
三人はしばらく、黙ってマッサージを受けた。
強い力で揉まれるたび、身体の奥に溜まっていた疲れが抜けていくようだった。外からは通りの音楽や人々の声がかすかに聞こえてくる。賑やかな街の中で、そこだけは不思議と落ち着いた時間が流れていた。
やがて施術が終わり、三人は店の外へ出た。
夜風が頬を撫でる。
「はあ……。気持ちよかったね!」
カエデが満足そうに伸びをした。
アレルも肩を回す。
「確かに、身体が軽くなった気がする」
シオンは二人を見て、しばらく黙っていた。
そして、ぽつりと呟く。
「……なんの時間だったんだよ」
「でも気持ちよかったね!」
「そうだな。この街では、マッサージをぱふぱふと言うんだな」
「いや、そういう問題じゃねえだろ」
シオンの突っ込みに、カエデは声を立てて笑った。
アレルも、珍しく口元を緩めている。
シオンはそんな二人を見て、もう一度小さく息を吐いた。
「まったく……」
*
さらに通りを進むと、広場の方から音楽が聞こえてきた。
太鼓の軽快な音に、弦楽器の旋律が重なっている。リズムに合わせて手拍子を打つ人々の声も混じり、音は夜の街に広がっていた。
広場の中央には小さな舞台が設けられ、色鮮やかな衣装をまとった踊り子たちが舞っていた。
周囲には大勢の人が集まり、手拍子を打ちながら舞台を見つめている。ランプの明かりが踊り子たちを照らし、舞台の上には華やかな光景が広がっていた。
「わあ……!」
カエデは思わず足を止めた。
踊り子たちは、音楽に合わせて軽やかに身体を動かしている。長い布が腕の動きに合わせてひらめき、腰に飾られた金色の装飾が灯りを受けてきらきらと輝いた。
髪飾りや耳飾りも揺れ、色鮮やかな衣装が舞台の上で鮮やかに映えている。
「すごく綺麗……!」
「踊りか」
アレルも舞台へ目を向けた。
「衣装も綺麗だね。動きもすごくしなやかで……」
カエデはすっかり見入っていた。
踊り子たちが一斉に腕を広げると、周囲から歓声が上がる。音楽が速くなるにつれて、舞いも勢いを増していった。
ひときわ高い太鼓の音が響く。
踊り子たちはくるりと身体を回し、長い布を大きく翻した。舞台の上に色彩が広がり、観客たちの手拍子もいっそう大きくなる。
シオンは少し離れた場所で、広場の様子を眺めていた。
「この街は夜になると、ずいぶん賑やかになるんだな」
「うん。ずっと見ていられそう!」
カエデは目を輝かせたまま答える。
やがて踊りが終わると、観客たちから大きな拍手が起こった。
カエデも、夢中で手を叩いた。
「すごかったね!」
「ああ。見事なものだった」
アレルも素直に感心していた。
「少し休んでいくか?」
「うん!」
広場の端には飲み物を売る屋台があった。
色とりどりの瓶が並び、果物の絵が描かれた札がいくつも掲げられている。甘い香りが漂い、踊りを見終えた客たちが次々と飲み物を買い求めていた。
カエデは喉の渇きを感じ、並んでいる瓶の中から果物の絵が描かれたものを選んだ。
「これ、おいしそう!」
「甘い果実酒だよ。飲みやすいからね」
店の主人が説明する。
「じゃあ、これを一つください」
カエデは何も疑わずに受け取り、口をつけた。
最初は甘い果物の味がした。
けれど、飲み込んだあと、喉の奥が少し熱くなる。
「……あれ?」
カエデは瓶を見つめた。
「どうした?」
アレルが尋ねる。
「なんだか、変な感じがする」
シオンが瓶を受け取り、ラベルを確かめた。
「おい。これ、酒だぞ」
「えっ?」
カエデの目が丸くなる。
「果実酒って言っただろう」
店の主人が、悪びれずに答えた。
「甘くて飲みやすいから、気づかなかったかな?」
「ちょっと! 私、ジュースだと思って……!」
「カエデ、もう飲むな」
アレルがすぐに瓶を取り上げた。
「うん……」
カエデは素直にうなずいた。
「一口だけだ。水を飲んでおこう」
シオンが屋台の主人から水を受け取り、カエデへ渡す。
「ありがとう、シオン」
カエデは水を飲んだ。
その場では、特に変わった様子はなかった。
しかし、しばらく歩き始めた頃。
「……んふふ」
カエデが、突然笑い出した。
「どうした?」
アレルが振り返る。
「なんでもなーい」
カエデはふわふわとした足取りで、アレルの腕に寄りかかった。
「おい、カエデ?」
アレルは足を止め、彼女の顔を覗き込む。
「アレルぅ……」
いつもより少し甘えた声だった。
アレルは困惑したように眉を寄せる。
「どうしたんだ?」
「アレル、死なないでね……」
「……え?」
「置いていかないで……」
カエデはアレルの腕をぎゅっと抱きしめた。
突然の言葉に、アレルは目を瞬かせた。何かを思い出しているような、ひどく不安そうな表情をしている。
「俺は死なない。ここにいるよ」
アレルは困惑しながらも、彼女の身体を支えた。
「だから、落ち着いてくれ」
「ほんとぉ……?」
「ああ」
カエデは安心したように、彼の腕へ頬を寄せる。
「よかったぁ……」
その様子を見ていたシオンは、額に手を当てた。
「……たった一口でこれか」
「カエデ、少し酔っているみたいだな」
「見れば分かる」
シオンは呆れたように答えた。
カエデはアレルの腕を抱えたまま、何かを思い出したように顔を上げた。
「……勇者よ!」
「何だ?」
「死んでしまうとは情けない!」
「……は?」
アレルの表情が固まった。
カエデは、なぜか得意げに胸を張っている。先ほどまで不安そうにしていたのが嘘のようだった。
「勇者なんだから、もっとしっかりしてよぉ!」
「俺は死んでいないだろう」
「でも、死んじゃったら困るもん!」
「だから死なないと言っている」
「ほんとに?」
「ああ」
アレルは何度目か分からない返事をした。
そのまま彼女を支えていたが、カエデがまた同じことを言い始めたので、とうとう小さく息を吐いた。
「……もう分かった。俺は死なない」
そう言って、彼女の身体をそっと離す。
カエデは一瞬、支えを失ってふらりと揺れた。
「わっ」
アレルはすぐに腕を伸ばし、倒れないように支え直した。
「だから、急に動くな」
「えへへ……」
「笑い事じゃない」
アレルは困ったように眉を寄せた。
その様子を見て、シオンが吹き出す。
「ははっ! 勇者様も大変だな」
「お前、笑っていないで手伝え」
「自分で何とかしろよ」
シオンは笑いながらも、カエデの反対側へ回った。
すると、カエデが今度はシオンの顔をじっと見つめた。
街灯の光が彼の銀色の髪を照らしている。いつもと変わらない無表情を見上げ、カエデは不思議そうに首を傾げた。
「……シオン?」
「何だ?」
「シオンって、いつからさまようよろいになったの?」
「……は?」
シオンの笑顔が止まった。
カエデは、真剣な顔で彼を見上げている。
「だってぇ……なんか、似てる気がするぅ……」
「俺のどこがさまようよろいなんだよ!」
「えー? だって、いつもかたい感じだしぃ……」
「それは鎧じゃなくて性格の話だろうが!」
「ふふふ……」
カエデは楽しそうに笑った。
アレルは、とうとう耐えきれなくなったように顔を背ける。肩が小さく揺れていた。
「……っ、悪い」
「おい、アレル。笑ってる場合か!」
「いや、悪い……。さまようよろいは、さすがに……」
「お前まで何を言ってるんだ!」
シオンが声を上げる。
カエデは二人の間で、まだくすくすと笑っていた。
「二人とも、仲良しだねぇ……」
「誰のせいだと思ってる」
シオンは深く息を吐いた。
アレルも、苦笑しながらカエデの身体を支え直す。
「もう宿へ戻ろう。これ以上、ここにいると何を言い出すか分からない」
「そうだな。今夜はもう十分だ」
シオンも同意した。
「えー、帰るのぉ?」
「帰る」
「はーい……」
カエデは少しだけ不満そうにしながらも、二人に支えられて歩き始めた。
*
宿屋へ戻る道でも、カエデのおしゃべりは止まらなかった。
広場の音楽は背後へ遠ざかり、通りにはまだ夜を楽しむ人々の姿があった。軒先のランプが風に揺れ、石畳の上に三人の影を長く伸ばしている。
「ねえ、アレル」
「何だ?」
「さっきの踊り子さん、すっごく綺麗だったねぇ」
「ああ。見事な踊りだったな」
「私も踊ってみたいなぁ」
「今はやめておいた方がいい」
「どうしてぇ?」
「足元がおぼつかないだろう」
「大丈夫だよぉ。ほら!」
カエデはその場で一歩踏み出そうとした。
すぐに身体が傾く。
「危ない!」
アレルが慌てて支えた。
「ほら、言っただろう」
「……あれぇ?」
シオンが横から呆れた声を出す。
「踊るのは明日にしろ」
「明日ならいいの?」
「酔いが覚めていればな」
「じゃあ、明日踊る!」
「そういう話じゃない」
アレルとシオンは顔を見合わせた。
カエデは二人の腕に支えられながら、楽しそうに笑っている。
「二人とも、優しいねぇ」
「今さら何を言っているんだ」
シオンが答える。
「だって、私のこと助けてくれるからぁ」
「転ばれたら面倒だからな」
「そっかぁ。ありがとう」
その言葉に、アレルは少しだけ表情を緩めた。
「どういたしまして」
やがて、宿屋の明かりが見えてきた。
窓から漏れる橙色の光が、夜の通りを柔らかく照らしている。昼間から歩き続けた疲れもあって、三人の足取りは少しずつゆっくりになっていた。
「着いたな」
「わあ、帰ってきたぁ」
「帰ってきたって、まだ一晩も泊まってないだろ」
シオンが呆れたように言う。
「でも、ここが今日のマイハウスだよぉ」
「……そうか」
シオンは、それ以上突っ込むのをやめた。
宿屋の扉を開けると、主人が三人を迎えた。
「おや、お帰りなさい。夜の街は楽しめましたか?」
「はい。とても楽しかったです」
カエデは、先ほどまでの様子が嘘のように、落ち着いた声で答えた。
アレルとシオンは、同時に彼女へ視線を向けた。
「……もう酔いが覚めたのか?」
シオンが尋ねる。
「うん。歩いているうちにね」
「さっきまでの騒ぎは何だったんだ」
「え? 私、何か変なこと言ってた?」
カエデは不思議そうに首を傾げた。
アレルは一瞬、シオンと顔を見合わせる。
「……覚えていないのか?」
「うーん……。踊りを見たことは覚えてるけど、その後はちょっと曖昧かな」
「そうか」
シオンは、何か言いたそうに口を開きかけたが、結局やめた。
今ここで説明しても、また騒ぎになるだけかもしれない。アレルも同じことを考えたのか、何も言わずに肩をすくめた。
「まあ、いい。今夜はもう休め」
「うん。そうするね」
カエデは何事もなかったように、宿屋の主人へ向き直った。
「二人部屋をお願いします」
「かしこまりました。お二人ですね」
「はい」
主人が帳面に記入しようとしたところで、シオンが少しだけ眉を上げた。
「……お前たち、同じ部屋なのか?」
シオンはアレルへ視線を向けた。
アレルは少しだけ肩をすくめる。
「俺も最初は驚いたけどな」
「驚いたって……」
「カエデはそういう人だから。俺と同じ部屋でも平気なんだろう」
「だって、今さら別々にする必要もないでしょ?」
カエデは、ごく自然に答えた。
「一緒に旅をしてるんだし、いつも通りでいいよ」
アレルも特に気にした様子はない。
シオンは二人を交互に見つめた。
少しの間、何かを考えるように黙っていたが、やがて小さく息を吐く。
「……まあ、カエデだしな」
「どういう意味?」
カエデが尋ねる。
「そのままの意味だ」
シオンはそれ以上説明しなかった。
この二人は、互いに気を許している。
相手を信頼しているからこそ、同じ部屋で過ごすことも特別なことではないのだろう。妙に意識したり、照れたりする様子もない。
今さら自分が何か言うようなことでもなかった。
「俺は別の部屋を取る」
「うん。シオンもゆっくり休んでね」
「ああ。お前も、もう酒は飲むなよ」
「お酒?」
カエデは首を傾げる。
シオンは小さく笑い、宿屋の主人へ部屋を頼んだ。
*
それぞれ部屋へ向かう前に、三人は階段の前で立ち止まった。
宿屋の中は静かで、先ほどまで外から聞こえていた音楽や人々の声も、扉を閉めるとずいぶん遠くに感じられた。階段のそばに置かれたランプが、三人の顔を柔らかく照らしている。
「今日は楽しかったね、シオンもありがとう!」
「ああ。お前たちといると、退屈はしないな」
「それ、褒めてる?」
「好きに受け取れ」
シオンはいつものように素っ気なく答えた。
カエデは楽しそうに笑い、アレルも小さく息を吐く。賑やかな夜を過ごしたせいか、三人の間にはどこか気の抜けた、穏やかな空気が流れていた。
「じゃあ、また明日な」
「ああ。おやすみ」
「おやすみ!」
シオンは軽く手を上げると、自分の部屋へ向かっていった。
その背中を見送り、カエデとアレルも二階へ上がる。
部屋に入ると、カエデは荷物を置き、寝台の端に腰を下ろした。
「……今日は本当にいろいろあったね」
「ああ。街を見て回るだけのつもりが、ずいぶん賑やかな夜になった」
「ふふっ。楽しかったね」
「そうだな」
アレルは剣を手入れし、寝台のそばへ置いた。
刃に付いた汚れを布で拭き取り、鞘に収める。いつもと変わらない旅の習慣を終えると、彼もようやく寝台のそばへ腰を下ろした。
カエデも身支度を済ませ、布団へ入る。
窓の外からは、まだアッサラームの夜の音が聞こえていた。
遠くの広場では音楽が続き、通りには人々の話し声が響いている。ランプの明かりも、まだあちこちで揺れていた。
けれど、部屋の中は静かだった。
「おやすみ、アレル」
「おやすみ」
カエデは目を閉じた。
久しぶりにシオンと再会し、三人で街を歩いた。
露店で騙されかけたり、妙な店へ連れていかれたり、踊りを見たり。
最後には、自分でも覚えていないようなことまで口にしていたらしい。
明日になったら、シオンに何を言ったのか聞いてみよう。
そう思いながら、カエデの意識は少しずつ遠のいていった。
隣の寝台では、アレルも静かに目を閉じている。
やがて、部屋の中には二人の穏やかな寝息だけが残った。
窓の外では、夜の太陽と呼ばれる街の灯りが、まだ眠らないアッサラームを照らし続けていた。
