DQ3 夜明けの果てに君と
ノアニールからカザーブまでは、来た道を戻るだけだった。
森を抜け、山あいの道を進む。途中で魔物に遭遇することもなく、昼過ぎには無事にカザーブへ到着した。
村で食事と休息を済ませた二人は、ロマリア行きの馬車に乗り込む。
馬車は午後のうちにカザーブを出発し、夕暮れを越えて街道を進んでいった。
やがて、夜の帳がすっかり下りた頃。
遠くにロマリアの街明かりが見えてきた。
*
「……着いたね」
馬車を降りたカエデは、目の前に広がる街並みを見渡した。
深夜のロマリアは、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていた。店の明かりはほとんど消え、通りを歩く人影もまばらだ。建物の窓から漏れる小さな灯りが、夜の街にぽつぽつと浮かんでいる。
何度も訪れた街だった。
最初に来たときは、見慣れない景色に胸を躍らせた。金の冠を取り戻すために何度も行き来し、今では通りの様子にもすっかり馴染みを感じている。
カエデは街並みを見渡しながら、ふと思いついたように口を開いた。
「……またロマリアだね」
「ああ」
「私たち、ここに来るの何回目だろう?」
「さあな。数えるのも面倒なくらいじゃないか」
「だよね。もうロマリアが私の実家みたいなものだよ!」
アレルは、呆れたようにカエデを見た。
「勝手に実家にするな」
「だって、こんなに何度も来てるんだよ? もう第二の故郷と言ってもいいくらい!」
「故郷が増えるのは構わないが、ここに住むつもりなのか?」
「うーん……。それはまだ考えてないかな」
「そうか」
アレルは小さく笑い、宿屋の方へ歩き出した。
「ほら、行くぞ。もう遅い」
「はーい!」
二人は宿屋で部屋を取り、長い移動の疲れを癒やすため、早々に眠りについた。
*
翌朝。
ロマリアの街は、昨日の深夜とは打って変わって活気に満ちていた。
通りには商人たちの呼び声が響き、店先には色とりどりの商品が並んでいる。広場では荷車を引く人々が行き交い、街のあちこちから食事の支度をする香りが漂ってきた。
カエデとアレルは身支度を整えると、ロマリア城へ向かった。
城門をくぐり、兵士に案内されて謁見の間へと進む。
「おお、よくぞ戻った!」
二人の姿を見るなり、王様は嬉しそうに声を上げた。
「ノアニールの件はどうなったのだ?」
「はい。村人たちは無事に目を覚ましました」
アレルが答える。
「おお! 本当か!」
王様は玉座から身を乗り出した。
「それは何よりだ。長い間、連絡が取れぬままであったからな。村の者たちが無事だと分かり、心から安堵したぞ」
「村人たちは、何者かに眠りの呪いをかけられていました。調べたところ、エルフの隠れ里にいる女王が、その呪いをかけたことが分かりました」
「エルフの女王が?」
「はい。かつて、ノアニールの青年と恋に落ちたエルフの娘がいました。その娘の名前はアン。女王の娘だったそうです」
アレルは、これまでに分かったことを順を追って説明した。
アンが人間の青年とともに里を離れたこと。女王は青年に娘を奪われたと思い込み、ノアニールに呪いをかけたこと。そして、地底の湖で見つけた手紙によって、二人が自分たちの意思で最期を迎えたことが明らかになったこと。
さらに、夢見るルビーを女王へ返し、アンの手紙を里の人々にも伝えたことを話した。
王様は、終始真剣な表情で耳を傾けていた。
「そうであったか……。そのような事情があったとはな」
「女王は、自分の誤解に気づきました。ノアニールの人々を眠らせ続けることをやめ、目覚めの粉を俺たちに託してくれました。」
「そうか……」
王様は深く息を吐いた。
「アンという娘も、そして女王も、長い間苦しんでいたのであろう。人とエルフの間に生まれた悲しい出来事ではあるが、これ以上、何も知らぬ村人たちが巻き込まれることはなくなったのだな」
「はい」
「よくぞ解決してくれた。そなたたちの働きに、心から感謝する」
王様は二人を見つめ、満足そうにうなずいた。
「金の冠を取り戻してくれたときもそうであったが、そなたたちは行く先々で人々を助けておるな」
「俺たちにできることをしただけです」
「そのように言えることも、立派なことだ」
王様はそう言ってから、ふと思いついたようにカエデへ視線を向けた。
「そうだ。これほどの働きをしたのだ。何か褒美を与えねばならぬな」
「いえ、そんな……」
カエデが恐縮していると、王様は大きくうなずいた。
「よし、決めたぞ! そなたをロマリアの姫として迎えてやろう!」
「ええっ!?」
思いがけない言葉に、カエデは目を丸くした。
「わ、私がロマリアの姫に!?」
「うむ! それほどの働きをしたのだから、当然であろう!」
「そ、そんな! 私にはもったいないです!」
カエデが慌てていると、隣からアレルの声がした。
「よかったな。実家の姫になれて」
「だから、実家じゃないってば!」
思わず振り返る。
アレルは、いつもの落ち着いた顔をしていた。けれど、その口元にはわずかに笑みが浮かんでいる。
「お前が言い出したんだろう」
「そうだけど! そういう意味じゃないよ!」
「ははは! なかなか面白いことを言うではないか!」
王様も楽しそうに笑った。
カエデは頬を膨らませたまま、二人を交互に見つめる。
「もう……!」
謁見の間に、和やかな笑い声が広がった。
やがて王様は、笑いを収めると、改めて二人へ向き直った。
「もちろん、今のは冗談だ。だが、褒美を与えたいという気持ちは本物である」
王様が手を上げると、側近の一人が小さな箱を持って前へ出た。
「これを受け取るがよい」
箱が開かれる。
中には、銀色の細工が施された美しい指輪が収められていた。中央には小さな赤い宝石が埋め込まれ、光を受けるたびに淡く輝いている。
「これは命の指輪。身につけて歩けば、少しずつ体力を回復させる力を持つ、貴重な品である」
「体力を回復させる……?」
カエデは思わず指輪を見つめた。
「長い旅を続ける者にとって、これほど心強いものはあるまい。傷や疲れを完全に癒やすものではないが、歩き続ける助けにはなるはずだ」
「ありがとうございます」
アレルは箱を受け取り、深く頭を下げた。
「この指輪、大切に使わせていただきます」
「うむ。そなたたちの旅に役立ててくれ」
王様は満足そうにうなずいた。
「これからも、世界のために力を尽くしてくれることを期待しておるぞ」
「はい」
二人は礼を述べ、謁見の間を後にした。
*
城を出ると、ロマリアの街は昼の賑わいに包まれていた。
通りには買い物をする人々が行き交い、あちこちから商人の呼び声が響いている。広場の屋台には焼きたての料理が並び、香ばしい匂いが風に乗って漂ってきた。
カエデは人波を避けながら、隣を歩くアレルに声をかける。
「命の指輪、すごかったね。歩いているだけで体力が回復するなんて」
「ああ。長い旅には役立つだろうな」
「王様も、いいものをくれたね」
「そうだな」
アレルはそう答え、手に持った小箱へ視線を落とした。
指輪は、まだ箱の中にしまわれている。
カエデはそれを見て、少しだけ首を傾げた。
「アレルは、その指輪をどうするの?」
「お前が持っておけ」
「え?」
あまりにも自然に言われ、カエデは足を止めた。
「私が?」
「ああ」
「でも、王様からもらったのはアレルでしょ?」
「俺より、お前が身につけていた方が役に立つ」
「そんなことないよ。アレルだって、これから先、もっとたくさん戦うんだから」
「俺は自分で何とかできる。お前は少しでも体力を補えるようにしておいた方がいい」
アレルは特別なことを言っているつもりはないようだった。
自分が受け取った褒美を、必要な仲間に渡す。それだけのことだと考えているのだろう。
カエデは、箱の中の指輪を見つめた。
「でも……本当にいいの?」
「もちろんだ」
アレルは立ち止まり、箱を開けた。
「こっちへ来てくれ」
「え?」
「指輪をつけるから」
カエデは少し驚きながらも、彼の前へ歩み寄った。
アレルは箱から命の指輪を取り出す。銀色の細工が陽の光を受け、指先で静かに輝いた。
「手を出して」
「う、うん」
カエデが右手を差し出す。
アレルはその手をそっと取り、指輪を彼女の指へ通した。
指輪は、驚くほど自然に収まった。
銀色の輪が指先を飾り、中央の赤い宝石が淡い光を返している。
「……どうだ?」
「うん。ぴったり」
カエデは指輪を見つめた。
自分の指にはめられた命の指輪。
王様から受け取った大切な褒美を、アレルが自分に譲ってくれた。そのことが、じんわりと胸に広がっていく。
「ありがとう、アレル」
「これからも旅を続けるんだ。少しでも役に立つものは使った方がいい」
「……うん。大切にするね」
「ああ」
アレルは彼女の手を離すと、何事もなかったように歩き出した。
カエデは指輪をもう一度見つめ、それから彼の背中を追いかける。
自分のことを考えて、こうして指輪を渡してくれた。
それが特別な意味を持つ行動だと、アレルは気づいていないのかもしれない。
けれど、カエデにとっては嬉しかった。
この指輪があれば、これから先の旅でも少しはアレルの力になれるだろうか。
彼の隣を歩き続けるために、自分にできることを増やしていきたい。
カエデは、指輪をはめた手をそっと握りしめた。
*
ロマリア城から手配された王家の馬車が、城門の前に用意されていた。
馬車は一般の乗り合い馬車よりもひと回り大きく、車体にはロマリア王家の紋章が刻まれている。車輪や金具には丁寧な装飾が施され、馬具もよく手入れされていた。
馬を引く御者のほかに、二人の兵士が護衛として同行することになっている。
-アッサラームまでの道のりは長い。こちらの馬車を使うとよい-
王様は、アレルとカエデが謁見の間を去る時そう告げていた。
王家の馬車なら、通常よりも速く移動できる。長い道のりを歩き続ける必要もなく、アレルの身体にも負担が少ないだろう。
二人は城門の前で馬車を見上げた。
「すごいね。こんな立派な馬車に乗れるなんて」
「王様の配慮だ。ありがたく使わせてもらおう」
「うん!」
御者が扉を開け、二人は馬車へ乗り込んだ。
車内には座り心地のよい座席があり、荷物を置く場所も十分に確保されていた。窓も広く、外の景色を眺めながら移動できそうだった。
「それでは、出発いたします」
御者の声が聞こえる。
馬の蹄が石畳を打ち、車輪がゆっくりと回り始めた。
朝の光に包まれたロマリアの街並みが、窓の向こうへ流れていく。
城門を抜けると、街道の両側には緑豊かな草原が広がっていた。
風に揺れる草の向こうには畑が点在し、遠くには小さな集落の屋根が見える。街道沿いには木々が並び、枝葉の間から差し込む光が、馬車の窓に揺れる影を落としていた。
「ロマリアの周りって、やっぱり緑が多いね」
カエデは窓の外を眺めながら言った。
「ああ。水も豊富だし、土地もよく肥えているんだろう」
「こういう景色を見ていると、のんびり旅をしている気分になるよ」
「馬車に乗っている間くらいは、ゆっくりしていればいい」
「そうだね」
カエデは座席に背中を預け、窓の外へ目を向けた。
馬車は王家のものだけあって、走りは滑らかだった。通常の馬車なら何度も揺れるような道でも、車体は安定している。馬の足取りも速く、景色が次々と後方へ流れていった。
やがて、昼が近づくにつれて、周囲の風景に少しずつ変化が現れ始めた。
街道沿いに並んでいた木々の数が減り、草原の緑もまばらになっていく。地面の色は次第に薄くなり、ところどころに乾いた土や岩肌が見え始めた。
窓から吹き込む風も、朝とは違っている。
草の匂いを含んだ柔らかな風ではなく、乾いた土の匂いを運んでくる風だった。
「……景色が変わってきたね」
「ああ。アッサラームに近づいている証拠だろう」
アレルも窓の外を見つめていた。
遠くに見える山々は、緑に覆われたものから、岩肌がむき出しになったものへと変わっている。街道の脇には背の低い草がわずかに生えているだけで、木陰を作るような大きな木はほとんど見当たらなくなった。
さらに進むと、道の周囲には荒涼とした土地が広がり始めた。
茶色い土の大地に、大小の岩が点々と転がっている。ところどころに砂が吹き溜まり、風が通るたび、地面の表面を薄い砂埃が流れていった。
「なんだか、別の世界に来たみたい」
カエデは窓の外を眺めながら呟いた。
「ロマリアとはずいぶん違うな」
「うん。あんなに緑がいっぱいだったのに、今は見渡す限り荒野だね」
「この先は、さらに乾燥した土地になるはずだ。水の確保にも気をつけないとな」
「そうだね。砂漠も近いのかな」
「ああ。アッサラームの周辺は、こうした乾いた土地が広がっていると聞いている」
馬車は荒野の中を進んでいった。
昼を過ぎると、太陽は頭上から強い光を降り注いでいた。窓から差し込む日差しは明るく、外の岩肌を白く照らしている。熱を含んだ風が吹きつけるたび、砂埃が舞い上がり、遠くの景色がかすんで見えた。
それでも、馬車の速度は落ちなかった。
御者は馬の様子を確かめながら、休憩を挟みつつも、できる限り早く進めるように手綱を操っている。護衛の兵士たちも周囲を警戒し、魔物の姿がないか目を配っていた。
夕方になる頃には、草木の姿はほとんど見えなくなっていた。
地平線の向こうまで続く荒野。
赤みを帯びた岩山が夕日に照らされ、長い影を大地へ落としている。風が吹くたび、砂が細かく舞い上がり、馬車の窓をかすかに叩いた。
「……すごい景色だね」
カエデは、窓の外を見つめたまま呟いた。
「ああ。ロマリアの近くでは見られない景色だな」
「同じ世界なのに、場所によってこんなに違うんだね」
「それだけ広いということだろう」
アレルは遠くの岩山へ目を向けた。
この先には、まだ見たことのない土地がいくつもある。魔物が潜む荒野もあれば、人々が暮らす町もある。
その一つ一つを、自分たちの足で訪れていく。
魔王を倒すための旅は、まだ始まったばかりだった。
やがて日が沈み、荒野は夜の闇に包まれていった。
空には無数の星が浮かび、遠くの地平線には月が昇り始めている。
馬車の中では、車輪の音と馬の蹄の音が規則正しく響いていた。
カエデは窓の外を眺めながら、指にはめられた命の指輪へ目を落とした。
赤い宝石は、わずかな月明かりを受けて静かに輝いている。
アレルが自分にはめてくれた指輪。
そのことを思い出すと、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「どうした?」
隣からアレルの声が聞こえる。
「ううん。何でもないよ」
「そうか」
アレルはそれ以上尋ねず、再び窓の外へ視線を戻した。
カエデも、そっと前を向く。
夜の荒野を、王家の馬車は進み続けた。
*
深夜。
遠くに、いくつもの灯りが見え始めた。
「……あれは?」
カエデが窓の外を覗き込む。
「街の明かりだな。アッサラームだろう」
「やっと着いたんだ!」
暗闇の向こうに、街の輪郭が浮かび上がっていた。
ロマリアとは違い、建物の形も街並みの雰囲気もどこか異国めいている。背の低い建物が並び、ところどころに丸い屋根や異国風の装飾が見えた。
夜遅い時間にもかかわらず、街の一角には明かりが残っている。遠くから人々の声や音楽のようなものが聞こえ、昼間の荒野とはまるで違う賑わいを感じさせた。
馬車は街の入口へ近づき、ゆっくりと速度を落とした。
「到着いたしました」
御者が扉を開ける。
二人が馬車を降りると、護衛の兵士たちも続いて降りてきた。
「ここまでありがとうございました」
アレルが礼を述べる。
「いえ。王様からの命ですので」
兵士の一人が、丁寧に頭を下げた。
「お二人の旅が、この先も無事であることを願っております」
もう一人の兵士も、二人へ向き直る。
「ご武運をお祈りしています」
「ありがとうございます」
アレルは深く頭を下げた。
カエデも続いて礼をする。
「本当にありがとうございました。皆さんも、気をつけて帰ってくださいね」
「はい。お気をつけて」
兵士たちは最後にもう一度頭を下げると、馬車へ戻っていった。
やがて、馬車は来た道を引き返していく。
車輪の音が少しずつ遠ざかり、夜の街に溶けていった。
カエデは、その後ろ姿を見送ってから、改めてアッサラームの街を見渡した。
目の前には、見慣れない建物が並んでいる。
通りの向こうには、まだ明かりの消えていない店がいくつもあった。人々の話し声が聞こえ、どこからか陽気な音楽が流れてくる。
ロマリアとは違う、異国の街。
長い移動の疲れはあったが、それ以上に新しい場所へ来たという高揚感が胸の中に広がっていた。
「……ここが、アッサラーム」
カエデは小さく呟いた。
「ああ。まずは宿を探そう。もう遅いからな」
「うん!」
二人は街の入口から、ゆっくりと中へ歩き出した。
昼間の荒野を越え、ようやくたどり着いた新しい街。
そこには、まだ知らない出会いと出来事が待っている。
カエデは指輪をはめた手をそっと握り、アレルの隣を歩いていった。
次なる旅の舞台は、アッサラーム。
夜の街に、二人の足音が静かに響いていた。
森を抜け、山あいの道を進む。途中で魔物に遭遇することもなく、昼過ぎには無事にカザーブへ到着した。
村で食事と休息を済ませた二人は、ロマリア行きの馬車に乗り込む。
馬車は午後のうちにカザーブを出発し、夕暮れを越えて街道を進んでいった。
やがて、夜の帳がすっかり下りた頃。
遠くにロマリアの街明かりが見えてきた。
*
「……着いたね」
馬車を降りたカエデは、目の前に広がる街並みを見渡した。
深夜のロマリアは、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていた。店の明かりはほとんど消え、通りを歩く人影もまばらだ。建物の窓から漏れる小さな灯りが、夜の街にぽつぽつと浮かんでいる。
何度も訪れた街だった。
最初に来たときは、見慣れない景色に胸を躍らせた。金の冠を取り戻すために何度も行き来し、今では通りの様子にもすっかり馴染みを感じている。
カエデは街並みを見渡しながら、ふと思いついたように口を開いた。
「……またロマリアだね」
「ああ」
「私たち、ここに来るの何回目だろう?」
「さあな。数えるのも面倒なくらいじゃないか」
「だよね。もうロマリアが私の実家みたいなものだよ!」
アレルは、呆れたようにカエデを見た。
「勝手に実家にするな」
「だって、こんなに何度も来てるんだよ? もう第二の故郷と言ってもいいくらい!」
「故郷が増えるのは構わないが、ここに住むつもりなのか?」
「うーん……。それはまだ考えてないかな」
「そうか」
アレルは小さく笑い、宿屋の方へ歩き出した。
「ほら、行くぞ。もう遅い」
「はーい!」
二人は宿屋で部屋を取り、長い移動の疲れを癒やすため、早々に眠りについた。
*
翌朝。
ロマリアの街は、昨日の深夜とは打って変わって活気に満ちていた。
通りには商人たちの呼び声が響き、店先には色とりどりの商品が並んでいる。広場では荷車を引く人々が行き交い、街のあちこちから食事の支度をする香りが漂ってきた。
カエデとアレルは身支度を整えると、ロマリア城へ向かった。
城門をくぐり、兵士に案内されて謁見の間へと進む。
「おお、よくぞ戻った!」
二人の姿を見るなり、王様は嬉しそうに声を上げた。
「ノアニールの件はどうなったのだ?」
「はい。村人たちは無事に目を覚ましました」
アレルが答える。
「おお! 本当か!」
王様は玉座から身を乗り出した。
「それは何よりだ。長い間、連絡が取れぬままであったからな。村の者たちが無事だと分かり、心から安堵したぞ」
「村人たちは、何者かに眠りの呪いをかけられていました。調べたところ、エルフの隠れ里にいる女王が、その呪いをかけたことが分かりました」
「エルフの女王が?」
「はい。かつて、ノアニールの青年と恋に落ちたエルフの娘がいました。その娘の名前はアン。女王の娘だったそうです」
アレルは、これまでに分かったことを順を追って説明した。
アンが人間の青年とともに里を離れたこと。女王は青年に娘を奪われたと思い込み、ノアニールに呪いをかけたこと。そして、地底の湖で見つけた手紙によって、二人が自分たちの意思で最期を迎えたことが明らかになったこと。
さらに、夢見るルビーを女王へ返し、アンの手紙を里の人々にも伝えたことを話した。
王様は、終始真剣な表情で耳を傾けていた。
「そうであったか……。そのような事情があったとはな」
「女王は、自分の誤解に気づきました。ノアニールの人々を眠らせ続けることをやめ、目覚めの粉を俺たちに託してくれました。」
「そうか……」
王様は深く息を吐いた。
「アンという娘も、そして女王も、長い間苦しんでいたのであろう。人とエルフの間に生まれた悲しい出来事ではあるが、これ以上、何も知らぬ村人たちが巻き込まれることはなくなったのだな」
「はい」
「よくぞ解決してくれた。そなたたちの働きに、心から感謝する」
王様は二人を見つめ、満足そうにうなずいた。
「金の冠を取り戻してくれたときもそうであったが、そなたたちは行く先々で人々を助けておるな」
「俺たちにできることをしただけです」
「そのように言えることも、立派なことだ」
王様はそう言ってから、ふと思いついたようにカエデへ視線を向けた。
「そうだ。これほどの働きをしたのだ。何か褒美を与えねばならぬな」
「いえ、そんな……」
カエデが恐縮していると、王様は大きくうなずいた。
「よし、決めたぞ! そなたをロマリアの姫として迎えてやろう!」
「ええっ!?」
思いがけない言葉に、カエデは目を丸くした。
「わ、私がロマリアの姫に!?」
「うむ! それほどの働きをしたのだから、当然であろう!」
「そ、そんな! 私にはもったいないです!」
カエデが慌てていると、隣からアレルの声がした。
「よかったな。実家の姫になれて」
「だから、実家じゃないってば!」
思わず振り返る。
アレルは、いつもの落ち着いた顔をしていた。けれど、その口元にはわずかに笑みが浮かんでいる。
「お前が言い出したんだろう」
「そうだけど! そういう意味じゃないよ!」
「ははは! なかなか面白いことを言うではないか!」
王様も楽しそうに笑った。
カエデは頬を膨らませたまま、二人を交互に見つめる。
「もう……!」
謁見の間に、和やかな笑い声が広がった。
やがて王様は、笑いを収めると、改めて二人へ向き直った。
「もちろん、今のは冗談だ。だが、褒美を与えたいという気持ちは本物である」
王様が手を上げると、側近の一人が小さな箱を持って前へ出た。
「これを受け取るがよい」
箱が開かれる。
中には、銀色の細工が施された美しい指輪が収められていた。中央には小さな赤い宝石が埋め込まれ、光を受けるたびに淡く輝いている。
「これは命の指輪。身につけて歩けば、少しずつ体力を回復させる力を持つ、貴重な品である」
「体力を回復させる……?」
カエデは思わず指輪を見つめた。
「長い旅を続ける者にとって、これほど心強いものはあるまい。傷や疲れを完全に癒やすものではないが、歩き続ける助けにはなるはずだ」
「ありがとうございます」
アレルは箱を受け取り、深く頭を下げた。
「この指輪、大切に使わせていただきます」
「うむ。そなたたちの旅に役立ててくれ」
王様は満足そうにうなずいた。
「これからも、世界のために力を尽くしてくれることを期待しておるぞ」
「はい」
二人は礼を述べ、謁見の間を後にした。
*
城を出ると、ロマリアの街は昼の賑わいに包まれていた。
通りには買い物をする人々が行き交い、あちこちから商人の呼び声が響いている。広場の屋台には焼きたての料理が並び、香ばしい匂いが風に乗って漂ってきた。
カエデは人波を避けながら、隣を歩くアレルに声をかける。
「命の指輪、すごかったね。歩いているだけで体力が回復するなんて」
「ああ。長い旅には役立つだろうな」
「王様も、いいものをくれたね」
「そうだな」
アレルはそう答え、手に持った小箱へ視線を落とした。
指輪は、まだ箱の中にしまわれている。
カエデはそれを見て、少しだけ首を傾げた。
「アレルは、その指輪をどうするの?」
「お前が持っておけ」
「え?」
あまりにも自然に言われ、カエデは足を止めた。
「私が?」
「ああ」
「でも、王様からもらったのはアレルでしょ?」
「俺より、お前が身につけていた方が役に立つ」
「そんなことないよ。アレルだって、これから先、もっとたくさん戦うんだから」
「俺は自分で何とかできる。お前は少しでも体力を補えるようにしておいた方がいい」
アレルは特別なことを言っているつもりはないようだった。
自分が受け取った褒美を、必要な仲間に渡す。それだけのことだと考えているのだろう。
カエデは、箱の中の指輪を見つめた。
「でも……本当にいいの?」
「もちろんだ」
アレルは立ち止まり、箱を開けた。
「こっちへ来てくれ」
「え?」
「指輪をつけるから」
カエデは少し驚きながらも、彼の前へ歩み寄った。
アレルは箱から命の指輪を取り出す。銀色の細工が陽の光を受け、指先で静かに輝いた。
「手を出して」
「う、うん」
カエデが右手を差し出す。
アレルはその手をそっと取り、指輪を彼女の指へ通した。
指輪は、驚くほど自然に収まった。
銀色の輪が指先を飾り、中央の赤い宝石が淡い光を返している。
「……どうだ?」
「うん。ぴったり」
カエデは指輪を見つめた。
自分の指にはめられた命の指輪。
王様から受け取った大切な褒美を、アレルが自分に譲ってくれた。そのことが、じんわりと胸に広がっていく。
「ありがとう、アレル」
「これからも旅を続けるんだ。少しでも役に立つものは使った方がいい」
「……うん。大切にするね」
「ああ」
アレルは彼女の手を離すと、何事もなかったように歩き出した。
カエデは指輪をもう一度見つめ、それから彼の背中を追いかける。
自分のことを考えて、こうして指輪を渡してくれた。
それが特別な意味を持つ行動だと、アレルは気づいていないのかもしれない。
けれど、カエデにとっては嬉しかった。
この指輪があれば、これから先の旅でも少しはアレルの力になれるだろうか。
彼の隣を歩き続けるために、自分にできることを増やしていきたい。
カエデは、指輪をはめた手をそっと握りしめた。
*
ロマリア城から手配された王家の馬車が、城門の前に用意されていた。
馬車は一般の乗り合い馬車よりもひと回り大きく、車体にはロマリア王家の紋章が刻まれている。車輪や金具には丁寧な装飾が施され、馬具もよく手入れされていた。
馬を引く御者のほかに、二人の兵士が護衛として同行することになっている。
-アッサラームまでの道のりは長い。こちらの馬車を使うとよい-
王様は、アレルとカエデが謁見の間を去る時そう告げていた。
王家の馬車なら、通常よりも速く移動できる。長い道のりを歩き続ける必要もなく、アレルの身体にも負担が少ないだろう。
二人は城門の前で馬車を見上げた。
「すごいね。こんな立派な馬車に乗れるなんて」
「王様の配慮だ。ありがたく使わせてもらおう」
「うん!」
御者が扉を開け、二人は馬車へ乗り込んだ。
車内には座り心地のよい座席があり、荷物を置く場所も十分に確保されていた。窓も広く、外の景色を眺めながら移動できそうだった。
「それでは、出発いたします」
御者の声が聞こえる。
馬の蹄が石畳を打ち、車輪がゆっくりと回り始めた。
朝の光に包まれたロマリアの街並みが、窓の向こうへ流れていく。
城門を抜けると、街道の両側には緑豊かな草原が広がっていた。
風に揺れる草の向こうには畑が点在し、遠くには小さな集落の屋根が見える。街道沿いには木々が並び、枝葉の間から差し込む光が、馬車の窓に揺れる影を落としていた。
「ロマリアの周りって、やっぱり緑が多いね」
カエデは窓の外を眺めながら言った。
「ああ。水も豊富だし、土地もよく肥えているんだろう」
「こういう景色を見ていると、のんびり旅をしている気分になるよ」
「馬車に乗っている間くらいは、ゆっくりしていればいい」
「そうだね」
カエデは座席に背中を預け、窓の外へ目を向けた。
馬車は王家のものだけあって、走りは滑らかだった。通常の馬車なら何度も揺れるような道でも、車体は安定している。馬の足取りも速く、景色が次々と後方へ流れていった。
やがて、昼が近づくにつれて、周囲の風景に少しずつ変化が現れ始めた。
街道沿いに並んでいた木々の数が減り、草原の緑もまばらになっていく。地面の色は次第に薄くなり、ところどころに乾いた土や岩肌が見え始めた。
窓から吹き込む風も、朝とは違っている。
草の匂いを含んだ柔らかな風ではなく、乾いた土の匂いを運んでくる風だった。
「……景色が変わってきたね」
「ああ。アッサラームに近づいている証拠だろう」
アレルも窓の外を見つめていた。
遠くに見える山々は、緑に覆われたものから、岩肌がむき出しになったものへと変わっている。街道の脇には背の低い草がわずかに生えているだけで、木陰を作るような大きな木はほとんど見当たらなくなった。
さらに進むと、道の周囲には荒涼とした土地が広がり始めた。
茶色い土の大地に、大小の岩が点々と転がっている。ところどころに砂が吹き溜まり、風が通るたび、地面の表面を薄い砂埃が流れていった。
「なんだか、別の世界に来たみたい」
カエデは窓の外を眺めながら呟いた。
「ロマリアとはずいぶん違うな」
「うん。あんなに緑がいっぱいだったのに、今は見渡す限り荒野だね」
「この先は、さらに乾燥した土地になるはずだ。水の確保にも気をつけないとな」
「そうだね。砂漠も近いのかな」
「ああ。アッサラームの周辺は、こうした乾いた土地が広がっていると聞いている」
馬車は荒野の中を進んでいった。
昼を過ぎると、太陽は頭上から強い光を降り注いでいた。窓から差し込む日差しは明るく、外の岩肌を白く照らしている。熱を含んだ風が吹きつけるたび、砂埃が舞い上がり、遠くの景色がかすんで見えた。
それでも、馬車の速度は落ちなかった。
御者は馬の様子を確かめながら、休憩を挟みつつも、できる限り早く進めるように手綱を操っている。護衛の兵士たちも周囲を警戒し、魔物の姿がないか目を配っていた。
夕方になる頃には、草木の姿はほとんど見えなくなっていた。
地平線の向こうまで続く荒野。
赤みを帯びた岩山が夕日に照らされ、長い影を大地へ落としている。風が吹くたび、砂が細かく舞い上がり、馬車の窓をかすかに叩いた。
「……すごい景色だね」
カエデは、窓の外を見つめたまま呟いた。
「ああ。ロマリアの近くでは見られない景色だな」
「同じ世界なのに、場所によってこんなに違うんだね」
「それだけ広いということだろう」
アレルは遠くの岩山へ目を向けた。
この先には、まだ見たことのない土地がいくつもある。魔物が潜む荒野もあれば、人々が暮らす町もある。
その一つ一つを、自分たちの足で訪れていく。
魔王を倒すための旅は、まだ始まったばかりだった。
やがて日が沈み、荒野は夜の闇に包まれていった。
空には無数の星が浮かび、遠くの地平線には月が昇り始めている。
馬車の中では、車輪の音と馬の蹄の音が規則正しく響いていた。
カエデは窓の外を眺めながら、指にはめられた命の指輪へ目を落とした。
赤い宝石は、わずかな月明かりを受けて静かに輝いている。
アレルが自分にはめてくれた指輪。
そのことを思い出すと、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「どうした?」
隣からアレルの声が聞こえる。
「ううん。何でもないよ」
「そうか」
アレルはそれ以上尋ねず、再び窓の外へ視線を戻した。
カエデも、そっと前を向く。
夜の荒野を、王家の馬車は進み続けた。
*
深夜。
遠くに、いくつもの灯りが見え始めた。
「……あれは?」
カエデが窓の外を覗き込む。
「街の明かりだな。アッサラームだろう」
「やっと着いたんだ!」
暗闇の向こうに、街の輪郭が浮かび上がっていた。
ロマリアとは違い、建物の形も街並みの雰囲気もどこか異国めいている。背の低い建物が並び、ところどころに丸い屋根や異国風の装飾が見えた。
夜遅い時間にもかかわらず、街の一角には明かりが残っている。遠くから人々の声や音楽のようなものが聞こえ、昼間の荒野とはまるで違う賑わいを感じさせた。
馬車は街の入口へ近づき、ゆっくりと速度を落とした。
「到着いたしました」
御者が扉を開ける。
二人が馬車を降りると、護衛の兵士たちも続いて降りてきた。
「ここまでありがとうございました」
アレルが礼を述べる。
「いえ。王様からの命ですので」
兵士の一人が、丁寧に頭を下げた。
「お二人の旅が、この先も無事であることを願っております」
もう一人の兵士も、二人へ向き直る。
「ご武運をお祈りしています」
「ありがとうございます」
アレルは深く頭を下げた。
カエデも続いて礼をする。
「本当にありがとうございました。皆さんも、気をつけて帰ってくださいね」
「はい。お気をつけて」
兵士たちは最後にもう一度頭を下げると、馬車へ戻っていった。
やがて、馬車は来た道を引き返していく。
車輪の音が少しずつ遠ざかり、夜の街に溶けていった。
カエデは、その後ろ姿を見送ってから、改めてアッサラームの街を見渡した。
目の前には、見慣れない建物が並んでいる。
通りの向こうには、まだ明かりの消えていない店がいくつもあった。人々の話し声が聞こえ、どこからか陽気な音楽が流れてくる。
ロマリアとは違う、異国の街。
長い移動の疲れはあったが、それ以上に新しい場所へ来たという高揚感が胸の中に広がっていた。
「……ここが、アッサラーム」
カエデは小さく呟いた。
「ああ。まずは宿を探そう。もう遅いからな」
「うん!」
二人は街の入口から、ゆっくりと中へ歩き出した。
昼間の荒野を越え、ようやくたどり着いた新しい街。
そこには、まだ知らない出会いと出来事が待っている。
カエデは指輪をはめた手をそっと握り、アレルの隣を歩いていった。
次なる旅の舞台は、アッサラーム。
夜の街に、二人の足音が静かに響いていた。
