DQ3 夜明けの果てに君と
朝の光が、ノアニールの村の外に広がる草地を照らしていた。
村人たちは、今も眠り続けている。
そんな静かな草地で、カエデはひと足先に目を覚ましていた。
空には朝の光が広がり、遠くの森から鳥のさえずりが聞こえてくる。夜の冷たさがまだ地面に残っているものの、少しずつ空気が温まり始めていた。
カエデは身を起こすと、隣で眠るアレルを起こさないように気をつけながら身支度を始めた。
昨夜の戦いで使った道具を確かめ、荷物をまとめ直す。薬草の残りを数え、食料を整理して、すぐに出発できるように準備を整えていった。
荷物の中身を一つずつ確認していると、昨夜の出来事が少しずつ思い返される。
あの怪しい影が再び現れたこと。アレルが眠っている間に、自分ひとりで立ち向かわなければならなかったこと。そして、目を覚ましたアレルが駆けつけてくれたこと。
腕にはまだ、攻撃を受けたときの痛みがわずかに残っている。
カエデはそこに目を落とし、そっと指先で触れた。
(今日は、何事もなく進めるといいな……)
ひと通り準備を終えると、カエデは村の方へ目を向けた。
朝になっても、村に活気は戻らない。
遠くに見える家々の窓は閉ざされたままで、村の中から人の声も、朝の支度をする物音も聞こえてこなかった。
昨夜、確かめた村人たちの姿が脳裏によみがえる。
眠ったままの大人たち。母親に抱かれた子供。食事の途中で動きを止めた人々。誰もが、まるで時間を止められてしまったかのように眠り続けていた。
この村には、まだ誰も目覚めていない。
(早く、みんなを助けないと……)
カエデは小さく息を吐き、荷物の紐を結び直した。
「……カエデ?」
背後から声がした。
振り返ると、アレルが寝床から身体を起こしていた。まだ少し眠たそうに目をこすり、朝の光に目を細めている。
「あ、おはよう。起こしちゃった?」
「いや。目が覚めただけだ」
アレルは起き上がると、まとめられた荷物に目を向けた。
「もう準備してくれていたのか」
「うん。アレルは昨日、遅くまで起きてたし。少しでも休んでほしかったから」
「ありがとう。助かるよ」
そう言って、アレルは荷物を手に取った。
カエデがまとめた荷物は、必要なものがすぐ取り出せるように整理されている。薬草や食料も、残りが分かるようにまとめてあった。
アレルはその手際のよさに目を留めながら、荷物の紐を肩に掛ける。
「村の様子は?」
「朝になっても変わってないよ。みんな、まだ眠ったまま」
「そうか……」
アレルの表情がわずかに曇る。
静まり返った村の様子は、昨日と何ひとつ変わっていない。朝の光に照らされているのに、そこに暮らす人々の気配だけがすっぽりと抜け落ちているようだった。
「このままここにいても、できることはなさそうだな」
「うん……」
「一度カザーブに戻ろう。村のことを誰かに相談できるかもしれない。何か手がかりも見つかるだろう」
アレルの提案に、カエデは一瞬だけ迷った。
カザーブへ戻る。
それも間違いではない。けれど、今の自分には行くべき場所が分かっている。
ノアニールの西。深い森の奥にある、エルフの隠れ里。
そこへ行けば、眠りの呪いを解く手がかりが得られるはずだった。
「あの、アレル」
「ん?」
「カザーブに戻る前に、ちょっと寄り道してみない?」
「寄り道?」
アレルが不思議そうに首を傾げる。
「西の森に行ってみたいんだ」
「西の森か。何か気になるものでもあるのか?」
「えっと……」
カエデは言葉を探した。
ゲームの知識がある、なんて言えるはずがない。
かといって、何の理由もなく森へ行こうと言えば、不自然に思われるだろう。
少し考えた末、カエデは思い切って口を開いた。
「宿屋で読んだ本にね、エルフの隠れ里がノアニールの西にあるらしいって書いてあったの」
「エルフの隠れ里?」
「うん。もしかしたら、村の人たちのことについて何か知ってるかもしれないでしょ?」
口にしながら、自分でも苦しい言い訳だと思った。
そもそも、宿屋でそんな本を読んだ覚えなどない。どんな本だったのかと聞かれたら、きっとすぐに答えに詰まってしまう。
カエデは内心ひやひやしながら、アレルの反応をうかがった。
アレルは少し考え込んでいたが、やがて頷いた。
「なるほど。確かに、何か知っている可能性はあるな」
「じゃあ……!」
「行ってみよう。カザーブへ戻るのは、そのあとでもいい」
あまりにもあっさりと返された言葉に、カエデは思わず目を瞬かせた。
(信じてくれた……)
胸の奥に、ほっとした気持ちが広がる。
「ありがとう、アレル」
「村の人たちを助けるためだろう?」
アレルは荷物を背負い、出発の準備を整えた。
カエデもその後を追いながら、胸の内で小さく息を吐く。
ひとまず、嘘は疑われずに済んだ。
けれど、森の奥にある里までの道のりを考えると、今度は別の不安が頭をよぎる。
(ちゃんとたどり着けるよね……?)
ゲームの中では迷うことなどなかった場所だ。
しかし、今は自分の足で森を歩いていかなければならない。地図に表示される道も、目的地を示す印もない。
カエデはその不安を胸の奥にしまい、アレルとともにノアニールを後にした。
*
西へ進むにつれて、道は少しずつ細くなっていった。
村を離れてしばらくの間は、草地の中に踏み固められた道が続いていた。けれど、森が近づくにつれて道端の草は背を伸ばし、やがて土の道も木々の間へと消えていく。
森の入口に差しかかると、二人の頭上を覆う枝葉が一気に濃くなった。
背の高い木々が空を覆い、枝葉の隙間から差し込む光はわずかだ。湿った土の匂いが漂い、足元には苔や小さな草花が広がっている。
風が吹くたび、頭上の葉がざわざわと音を立てた。ときおり小鳥が枝から枝へ飛び移り、その羽ばたきが静かな森に響く。
「本当にこの先にあるのかな?」
カエデは周囲を見回しながら呟いた。
「本に書いてあったんだろう?」
「そ、そうなんだけど……」
「なら、もう少し進んでみよう」
アレルは迷いなく前を向く。
その後ろ姿を見ながら、カエデは心の中で小さく謝った。
(ごめんね、実は場所も知ってるんだけど……)
もちろん、知っているのはゲームの中での話だ。
画面越しに見ていた森と、実際に自分の足で歩く森はまるで違う。地形も、木々の大きさも、歩きにくさも想像以上だった。
ゲームでは、目的地へ向かってまっすぐ進めばよかった。けれど、現実の森には同じような木がいくつも並び、少し視線を外しただけで、どちらから来たのか分からなくなってしまいそうだ。
しかも、森の奥へ進むほど道らしい道はなくなっていく。
カエデは時折、足を止めて周囲を見渡した。
木の幹に目印をつけておいた方がいいだろうか。そう考えてみたものの、どの木も似たような姿をしていて、どれを目印にすればいいのかすら分からない。
「……あれ?」
しばらく歩いたところで、カエデは足を止めた。
「どうした?」
「今のところ、同じ場所を通ってない?」
アレルも周囲を見渡す。
目印にしていた、幹の途中で枝分かれした大きな木が目に入った。太い根が地面から盛り上がり、その脇には平たい岩がひとつ転がっている。
「……確かに、さっきも見た気がするな」
「やっぱり! もしかして、迷った?」
「まだ決まったわけじゃない」
「でも、同じ木を二回見たよ?」
「森では似た木がいくらでもある」
「じゃあ、三回目に見ても?」
「そのときは考えよう」
「今考えてよ!」
思わず声を上げたカエデに、アレルは小さく笑った。
「大丈夫だ。焦らず進もう」
「アレルって、こういうとき妙に落ち着いてるよね……」
「焦っても森が道を教えてくれるわけじゃないからな」
「それはそうだけど」
カエデは肩を落としながら、再び歩き始めた。
しばらく進むと、頭上の枝が重なり合い、日中のはずなのに森の中は薄暗くなった。地面には木の根が複雑に張り出していて、歩くたびに足元を確かめなければならない。
カエデは大きな根をまたぎながら、ふと不安になって口を開いた。
「ねえ、」
「どうした?」
「もし、このまま森で迷っちゃったらどうする?」
「そうだな……」
アレルは少しだけ考えるように視線を上げた。
「二人で森で暮らすしかないな」
「えっ!?」
「木の実を集めて、雨をしのげる場所を探して。そうすれば何とかなるだろう」
「そんな簡単に言わないでよ! 私、森で生活する知識なんてないよ?」
「俺も詳しいわけじゃない」
「じゃあ、どうするの!?」
「とりあえず、寝床を作るところからだな」
「寝床って……木の上?」
「雨が降っても濡れにくそうだ」
「虫がいっぱい来そうだから嫌!」
「では、木の根元にするか」
「そこも虫がいるでしょ!」
カエデが真剣に反論すると、アレルはとうとう声を立てて笑った。
「冗談だ。ちゃんと里を探すよ」
「もう! ちょっと本気で考えちゃったじゃん!」
「カエデなら、森で暮らすことになっても何とかしそうだけどな」
「どういう意味!?」
「木の実を見つけるのは得意そうだ」
「それ、褒めてる?」
「褒めてるつもりだ」
「絶対違う……!」
カエデは少し不満そうにアレルを見つめるが、くだらないやり取りのおかげなのか、さっきまで胸の中にあった不安はいつの間にか少しだけ軽くなっていた。
森の中には、まだ見慣れない景色が続いている。どこまで歩けば目的地に着くのかも分からない。
それでも、隣にアレルがいる。
そのことが、カエデの足をもう一度前へと進ませてくれた。
*
それからも二人は、木々の間を慎重に進んでいった。
時折、道らしきものを見つけてはそちらへ向かい、行き止まりにぶつかって引き返す。大きな岩を目印にしたつもりが、いつの間にか別の場所へ出てしまうこともあった。
森の中では、時間の感覚も曖昧になっていく。
頭上の葉が風に揺れる音。遠くで鳴く鳥の声。時折、茂みの奥から聞こえる小さな物音。
同じような景色が続くせいか、どれほど歩いたのかさえ分からなくなっていた。
やがて、カエデの足取りが少しずつ重くなってくる。
「……疲れた」
「少し休むか?」
「ううん。もうちょっと頑張れる」
「無理はするなよ」
「アレルこそ。昨日の夜も戦ってたんだからね」
「俺は平気だ」
「その台詞、何回目?」
「そうだったか?」
「そうだよ。アレルの『平気』は信用できないんだから」
カエデがじっと見上げると、アレルは困ったように笑った。
「分かった。疲れたらちゃんと言う」
「約束ね」
「ああ」
アレルはそう答えると、少し歩調を緩めた。
カエデもそれに合わせて歩く。急がなくてもいい。森の中で焦って道を間違えるより、周囲を確かめながら進んだ方が確実だ。
足元の落ち葉を踏む音が、二人の歩みに合わせて続いていく。
しばらくすると、少し先で道が二手に分かれていた。
右は木々が密集していて、左はわずかに明るく見える。
「どっちに行こう?」
「左は明るいな。少し開けているのかもしれない」
「じゃあ、左?」
「そうだな」
二人が左へ進もうとした、そのときだった。
カエデの足元に張り出した木の根があった。
「あっ!」
つまずきかけたカエデの手を、アレルが咄嗟につかむ。
「危ない!」
「わっ、ご、ごめん!」
「足元にも気をつけないとな」
「うん……」
カエデはつまずいた足を立て直し、ほっと息をついた。
木の根は苔に覆われていて、周囲の地面と見分けがつきにくい。気をつけていたつもりでも、少し目を離しただけで足を取られてしまう。
アレルはカエデの手を離さず、そのまま歩き出した。
「この先も足場が悪そうだ。はぐれないように、手をつないでおこう」
「えっ?」
「森の中で離れたら面倒だろう?」
「あ、うん。そうだね」
カエデは少し戸惑いながら、つながれた手を見下ろした。
ただ、迷わないため。
それだけのことだと自分に言い聞かせる。
アレルの手は、剣を握るときの硬さがありながらも、カエデの手を包むようにしっかりとつないでいた。
*
さらに森の奥へ進むと、周囲の景色が少しずつ変わり始めた。
足元に、見慣れない小さな植物が増えている。
淡い光を放つ草花。傘の部分がぼんやりと輝くキノコ。木の根元には、色とりどりの花が咲いていた。
薄暗い森の中で、それらの光は小さな道しるべのように見える。
「わあ……」
カエデは思わず足を止めた。
「どうした?」
「見て。あの花、光ってる」
指差した先には、青白い光を放つ小さな花が咲いていた。
花びらの縁が淡く輝き、風に揺れるたびに光が揺らめく。周囲の苔や葉にもその光が映り込み、足元に不思議な模様を作っていた。
「珍しい植物だな」
「うん。こんなの、初めて見た」
そう言いながら、カエデは花に近づきかけて、ふと足を止めた。
ゲームの中で見た景色。
何度も画面越しに眺めた場所。
それが今、自分の目の前に広がっている。
(本当に、ここまで来たんだ……)
胸の奥が不思議な感覚で満たされる。
知っているはずの場所なのに、実際に目にすると、何もかもが違って見えた。
風に揺れる葉の音も、湿った土の匂いも、花の淡い光も。画面越しでは決して感じられなかったものが、今はすぐそばにある。
カエデはしばらく、その光景を眺めていた。
そのとき、アレルが前方を見つめたまま声を上げた。
「カエデ。あそこを見てくれ」
「え?」
彼の視線を追う。
木々の隙間の向こうに、淡い光が見えていた。
それは、森の中に点在する小さな植物の光とは違う。もっと大きく、もっと温かな光だった。
「もしかして……」
二人は顔を見合わせ、再び歩き出した。
木々の枝をくぐり、茂みを抜ける。
進むにつれて、木々の間隔が少しずつ広がっていく。頭上を覆っていた枝葉の向こうに、夜空の暗さとは違う、温かな光が浮かんでいた。
そして、最後の木立を越えた瞬間。
二人の目の前に、幻想的な光景が広がった。
「……わあ」
カエデの口から、感嘆の声が漏れる。
そこには、巨大な大木がそびえ立っていた。
幹は見上げても頂上が分からないほど大きく、その太い根は地面を覆うように広がっている。幹のあちこちには小さな窓があり、木そのものが住居になっているかのようだった。
大木の周囲には、いくつもの小さな建物が点在している。木々と調和するように造られたそれらは、まるで森の一部であるかのように自然に溶け込んでいた。
足元には淡く光る植物やキノコが広がり、夜の森を柔らかく照らしている。
色鮮やかな蝶が、花から花へとひらひら舞っていた。
建物の窓から漏れる灯りと、植物の淡い光が重なり、辺り一帯を夢のような色合いに染めている。
森の奥深くにあるとは思えないほど、そこには豊かな色彩があった。
けれど、頭上には星の瞬く夜空が広がっている。
森の中を歩いている間、二人は時間を確かめる余裕もなかった。木々に覆われた場所では空の様子も分からず、どれほど時間が過ぎたのか、いつから夜になっていたのかさえ曖昧だった。
ただ、ここにたどり着いた頃には、辺りはすっかり深夜の静けさに包まれていた。
「……こんな時間になってたんだ」
カエデは空を見上げて呟いた。
長い間歩き続けたせいで、足はすっかり疲れきっている。靴の中で足先がじんじんと痛み、立ち止まっているだけでも、ふくらはぎに重だるさを感じた。
隣のアレルも、いつもよりわずかに肩を上下させている。彼もまた、長い道のりで疲労がたまっているはずだった。
「本当にあったんだな」
アレルが感心したように言った。
「うん……!」
カエデは頷きながら、もう一度里を見渡した。
知っていたはずの場所なのに、実際に目の前にすると、胸がいっぱいになる。
画面越しに見ていた景色とは違う。
風の音が聞こえる。葉が揺れる音がする。花の香りが漂ってくる。
ここは、間違いなく現実の世界だった。
「こんな場所が森の奥に隠されていたとは」
アレルは周囲を見渡しながら、ゆっくりと里へ足を踏み入れた。
カエデもその後に続く。
足元の石畳は、森の中の土の道とは違い、きれいに整えられている。道の脇には色とりどりの花が咲き、木の幹に設けられた小さな窓からは、温かな光が漏れていた。
どこからか水の流れる音も聞こえる。
人の姿が見えなくても、ここに誰かが暮らしていることは伝わってきた。
ところが、そのときだった。
少し離れた木の陰に、こちらを見ていた小さな人影があった。
人間ではない。
長く尖った耳。華奢な身体。森の光を受けて輝く髪。
エルフだった。
「あっ……!」
カエデが声を漏らす。
エルフは二人の姿に気づくと、驚いたように目を見開いた。
そして、すぐさま身を翻す。
木の陰へ駆け込み、その姿を隠してしまった。
「今のは……」
「エルフ、だよね?」
「ああ」
アレルが周囲を見渡す。
すると、別の場所でも小さな動きがあった。
建物のそばにいたエルフが、二人を見るなり家の中へ駆け込んでいく。大木の根元にいた者も、こちらに気づくと慌てて姿を消した。
さっきまで蝶が舞っていた広場から、少しずつ人影がなくなっていく。
窓の向こうに小さな顔が見えたかと思うと、すぐにカーテンのようなものが閉じられた。道の先にいたエルフも、二人の姿を認めると足早に建物の陰へ消えていく。
誰も声をかけてこない。
ただ、遠巻きに二人を見つめる視線だけが、あちこちから感じられた。
「……逃げられてる?」
カエデが困惑したように呟く。
「どうやら、俺たちは歓迎されていないらしいな」
アレルの声には、わずかな戸惑いが混じっていた。
美しい里。
けれど、そこに暮らすエルフたちは、人間である二人を避けている。
カエデは、誰もいなくなった広場を見つめた。
ここまで来れば、何か手がかりが得られると思っていた。
しかし、どうやら簡単にはいかないらしい。
「……どうしよう、アレル」
「まずは、話を聞ける相手を探そう。ここまで来たんだ。何か分かるかもしれない」
アレルはそう言って、里の奥へ視線を向けた。
カエデも小さく頷く。
二人は、エルフたちの気配が消えた広場に立ち尽くしていた。
森の奥深くに隠された、美しいエルフの里。
けれど、その静かな場所には、人間を拒む空気が確かに流れていた。
