DQ3 夜明けの果てに君と
石造りの塔の中に、三人の足音が響いていた。
シャンパーニの塔。
カンダタが盗んだ金の冠を取り戻すため、アレルたちはすでに塔の探索を始めていた。
壁を覆う石材はところどころひび割れ、長年の風雨にさらされた跡が残っている。細い窓から差し込む光は弱く、奥へ進むほどに薄暗さが増していた。湿った石の匂いと、どこか淀んだ空気が鼻をつく。
先を歩くシオンは、ときおり足を止めて周囲を確かめている。以前に内部を調べたという彼の言葉どおり、進む道に迷いはなかった。
「この先にも手下がいるの?」
カエデが小声で尋ねる。
「いるだろうな。上へ行くほど警戒は厳しくなるはずだ」
「そっか……。じゃあ、油断しないようにしないとね」
アレルは剣の柄に手を添え、薄暗い通路の奥へ目を向けた。
「二人とも、何かあったらすぐに知らせてくれ。俺も周囲を警戒する」
「わかった」
「了解した」
三人は慎重に進んでいった。
やがて、通路の奥から不気味な物音が聞こえてきた。
ずる、ずる、と何かを引きずるような音。
石床をこする音が、静まり返った塔の中で妙に大きく響く。三人が足を止めると、物音もぴたりと途絶えた。
その直後、天井近くから羽音が響いた。
「……来るよ!」
カエデが声を上げる。
暗がりから現れたのは、どくイモムシとこうもりおとこだった。
「ギィッ!」
こうもりおとこが翼を広げ、三人に向かって急降下する。同時に、どくイモムシが身体をくねらせながら迫ってきた。
「敵だ!」
アレルが剣を抜く。鞘から滑り出した刃が、窓から差し込むわずかな光を受けて鈍く輝いた。
「カエデ、敵の特徴を教えてくれ!」
「どくイモムシは毒の息に注意して! こうもりおとこは動きが速いけど、攻撃のあとに隙ができるよ!」
「わかった!」
アレルはこうもりおとこの突進を紙一重でかわした。
翼が頬のすぐそばをかすめ、風が髪を揺らす。こうもりおとこは勢いを殺せないまま、通路の奥へと飛び抜けた。
敵が通り過ぎる瞬間、アレルは身体をひねって剣を振るう。
刃が翼をかすめ、こうもりおとこが体勢を崩した。
「そこだ!」
シオンが素早く間合いを詰め、短剣で追撃する。
その動きには無駄がなかった。こうもりおとこが翼を広げ直すよりも早く、シオンの刃が走る。
こうもりおとこが床へ落ちた。
一方、どくイモムシの口元が不気味に膨らむ。
「アレル、毒の息!」
カエデの声に、アレルはすぐさま横へ跳んだ。
吐き出された毒の息が、誰もいない通路へ流れていく。紫がかった不穏な気配が石壁の前を漂い、やがて薄暗がりに溶けていった。
「助かった!」
アレルは短く礼を告げ、どくイモムシへ向き直った。
硬い外皮を力任せに斬るのではなく、敵の動きに合わせて剣先を走らせる。どくイモムシが身をよじった瞬間、その隙を逃さず一撃を叩き込んだ。
剣が外皮を打つ音が響く。
どくイモムシは苦しげに身体を縮め、そのまま床へ崩れ落ちた。
戦闘が終わると、アレルは剣を収めた。
「ふう……。二匹とも倒せたな」
「うん! 毒の息を避けられてよかった」
カエデがほっと胸をなで下ろす。
張り詰めていた空気が、ようやく少しだけ和らいだ。けれど、塔の奥は相変わらず暗く、遠くから風が吹き抜ける音が聞こえてくる。
シオンは二人を交互に見た。
カエデは敵の行動を見抜き、アレルはその助言を聞いて迷いなく動く。しかも、アレルの剣技は予想以上だった。
無駄な動きが少なく、相手の隙を見つけるのも速い。単純に力が強いだけではない。敵の動きに合わせて、的確に剣を振るっている。
「……お前たち、なかなか息が合っているな」
「そう?」
カエデが嬉しそうに笑った。
「カエデが敵のことを教えてくれるからな。俺は助かってるよ」
「私にできることだからね!」
二人のやり取りを見て、シオンはわずかに目を細めた。
先ほどまでの連携は、偶然ではなさそうだった。
「先へ進もう。まだ上がある」
シオンが促し、三人は再び階段を上っていった。
石段は狭く、踏みしめるたびに靴音が壁へ反響する。手すりのない場所もあり、足を滑らせれば危険だった。
アレルはときおり後ろを振り返り、カエデがきちんとついてきていることを確かめながら進んだ。
次の踊り場に差しかかったとき、カエデが足を止めた。
「……あっ、おばけキノコ!」
薄暗い床の上に、二匹の魔物が揺れるように立っていた。
傘のような頭が、呼吸でもしているかのように上下する。近づくにつれて、甘ったるいような奇妙な匂いが漂ってきた。
「こいつら、甘い息を吐くから気をつけて! 眠らされると厄介だよ!」
「わかった。なるべく息を吸わないようにする」
アレルが剣を構え、シオンも短剣を抜いた。
おばけキノコの一匹が、ふらふらと近づいてくる。
アレルはその攻撃をかわし、剣を振るった。刃が当たり、魔物がよろめく。
もう一匹がその隙を狙って、カエデの方へと向き直った。
「えっ、こっち!?」
カエデが慌てて後ずさる。
おばけキノコの口元が開いた。
「カエデ、離れて!」
アレルが叫ぶ。
けれど、間に合わなかった。
魔物が、ふわりと甘い息を吐き出す。
白く霞むような息が、カエデの顔の前に広がった。
「わっ……!」
カエデはとっさに顔を背けたが、すでに息を吸い込んでしまっていた。
まぶたが重くなる。
「あれ……なんか、眠……」
身体がぐらりと傾いた。
「カエデ!」
アレルは剣を振るう手を止め、すぐさま彼女のもとへ駆け寄った。
倒れかけたカエデの身体を、両腕で抱きとめる。
「おい、しっかりしろ! カエデ!」
「んん……」
返事はあった。
ただし、目は閉じたままだった。
「カエデ、聞こえるか?」
「……エビチリ……」
「……え?」
アレルの動きが止まった。
シオンも、敵を警戒しながら一瞬だけ視線を向ける。
「こんなに大きなエビチリ……食べきれないよ……」
「…………」
「でも……残したらもったいないし……」
カエデはアレルの腕の中で、幸せそうに寝言を続けた。
「あと三皿くらいなら……いける……」
「増えてるぞ」
アレルは思わず突っ込んだ。
もちろん、返事はない。
「カエデ! 今はエビチリを食べてる場合じゃないだろ!」
「……デザートは別腹……」
「そういう問題じゃない!」
アレルは呆れながらも、カエデの肩を軽く揺すった。
しかし、起きる気配はまるでなかった。
その間にも、おばけキノコたちは次の攻撃を仕掛けようとしている。傘のような頭を揺らしながら、じりじりと距離を詰めてきた。
アレルはカエデを抱きかかえたまま、周囲を確認した。
ここで彼女を戦わせるわけにはいかない。
「シオン、頼む! カエデを下がらせる!」
「わかった」
シオンは短く答えた。
アレルはカエデをしっかりと抱きかかえ、踊り場の隅へ移動した。壁を背にして彼女を安全な場所に座らせ、頭を打たないようにそっと支える。
「少しだけ待ってろ。すぐ終わらせるからな」
「……エビチリ、おかわり……」
「……本当に大丈夫なんだろうな、お前」
アレルは深々とため息をついた。
それでも、眠ったカエデの顔を確かめてから立ち上がる。
シオンは短剣を握り直した。
「さて。二匹とも、こちらに任せてもらおう」
おばけキノコが甘い息を吐こうとする。
しかし、シオンは真正面から相手をしなかった。
魔物が息を吸い込む気配を見せた瞬間、横へ滑るように移動する。息を吐き終える前に間合いを詰め、短剣を素早く振るった。
一匹が倒れる。
もう一匹が反撃しようと身体を揺らしたが、シオンは攻撃をかわし、すれ違いざまに一撃を叩き込んだ。
二匹目も石床へと崩れ落ちた。
「終わったぞ」
シオンが声をかける。
アレルは剣を収め、カエデの様子を確認した。
「ありがとう。助かったよ」
「気にするな。それより……」
シオンは、すやすやと眠るカエデへ視線を向けた。
「さっきの見事な連携は、幻だったのか?」
「……俺も聞きたい」
アレルは疲れた顔で答えた。
「普段はちゃんと頼りになるんだ。敵のこともよく知ってるし、さっきだって――」
「大きなエビチリを食べきれない、だったか」
「聞いてたのか……」
「嫌でも聞こえる」
シオンは淡々と言った。
そのとき、カエデが小さく身じろぎした。
「……アレル……」
アレルはすぐに顔を向けた。
「カエデ? 起きたのか?」
「……そのエビチリ……アレルの分も……残してあるからねぇ……」
「俺の分まであるのかよ……」
シオンの口元が、ほんのわずかに緩んだ。
「お前たち、ずいぶんと妙な旅をしているんだな」
「俺だって、そう思うときはあるよ……」
アレルは遠い目をした。
けれど、眠ったままのカエデの顔を見ているうちに、つい小さく笑ってしまう。
まったく、調子が狂う。
それでも、彼女が無事なら、それでいい。
「……カエデ。もう少しだけ寝ていていいからな」
アレルは静かに声をかけた。
「起きたら、ちゃんと歩いてもらうぞ」
「ん~……はい……」
返事だけは、やけにはっきりしていた。
しばらくして、カエデがゆっくりと目を開けた。
「……ん?」
ぼんやりと天井を見つめ、それから周囲を見回す。
「……あれ? 私、何してたんだっけ?」
「おはよう、カエデ」
アレルが腕を組んで見下ろしていた。
その隣には、何事もなかったかのような顔をしたシオンが立っている。
「お、おはよう……?」
カエデは首を傾げた。
「……もしかして、私、寝ちゃった?」
「もしかしなくてもな」
アレルは即答した。
「おばけキノコの甘い息を吸ったんだ。覚えてないのか?」
「えっ!?」
カエデは飛び起きた。
「ご、ごめん! 私、何か変なことしなかった!?」
アレルは黙った。
シオンも黙った。
二人の沈黙が、何より雄弁だった。
「……え、何?」
「大きなエビチリを食べきれないとか、デザートは別腹だとか」
「…………」
カエデの顔が、みるみる赤くなった。
「う、うそでしょ……!?」
「残念ながら本当だ」
シオンが追い打ちをかける。
「しかも、三皿目に突入していた」
「やめてええええ!!」
カエデは両手で顔を覆った。
「忘れて! 今すぐ忘れて!!」
「忘れたくても、なかなか難しそうだな」
シオンは涼しい顔で言った。
「さっきまで敵の弱点を見抜いていた人間が、夢の中ではエビチリに苦戦していたんだからな」
「そうなんだ……!」
カエデはその場にしゃがみ込んだ。
アレルは呆れたように息を吐く。
「まあ、無事に目が覚めたんだからいいよ。もう少し進めそうか?」
「……うん。大丈夫」
カエデは顔を上げた。
恥ずかしさはまだ残っていたが、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。
ここは危険な塔の中だ。
自分が眠ってしまったせいで、二人に負担をかけたのは事実なのだから。
「今度は気をつける。もう、同じ失敗はしないから」
「わかった。けど、無理はするなよ」
アレルの言葉に、カエデはしっかりと頷いた。
シオンは二人を見比べてから、階段の先へ目を向けた。
「話は済んだか? まだ上がある」
「ああ。行こう」
三人は再び塔を登り始めた。
今度はカエデも周囲への警戒を怠らなかった。
石段を上がるたび、外から差し込む光が遠ざかっていく。やがて通路はさらに狭くなり、壁に残る古い傷や崩れた石の隙間が、闇の中にぼんやりと浮かび上がった。
そして、通路の向こうから重い金属音が響いてきた。
ガシャ……。
ガシャ……。
カエデの足が止まる。
暗がりの中に立っていたのは、剣を構えた鎧の魔物だった。
「……さまようよろい」
思わず、声が漏れた。
以前、アレルを追い詰めた相手。
鋭い剣撃。押し込まれていくアレル。あと一歩間違えば、取り返しのつかないことになっていたかもしれない戦い。
あのときの光景が、脳裏によみがえる。
カエデの表情が曇った。
「……アレル」
その声に気づき、アレルが振り返る。
「どうした?」
「……あいつ、強いよ」
カエデは、さまようよろいから目を離せなかった。
「攻撃も重いし、守りも固い。油断したら危ない。前みたいに、無理はしないでね」
アレルは少しだけ目を見開いた。
そして、彼女の不安を察したように静かに頷いた。
「ああ。わかってる」
アレルは剣の柄に手を添えた。
「前に戦ったとき、俺も十分に思い知ったよ。あいつがどれだけ危険かは、ちゃんと覚えてる」
「……うん」
「だから、今回は一人でどうにかしようとは思わない。シオンもいるし、カエデもいる。三人で戦おう」
アレルはカエデをまっすぐに見た。
「敵の動きに気づいたら、教えてくれ。俺たちがちゃんと動くから」
その言葉に、カエデの強張っていた表情が少しずつ和らいだ。
「……わかった!」
シオンは短剣を構え、さまようよろいを観察していた。
「正面から力比べをする相手じゃなさそうだな」
「そうだな。俺が正面から引きつける。シオンは隙を見て攻撃してくれ」
「了解した」
アレルが剣を抜く。
金属音が、通路に響いた。
さまようよろいが動き出す。
重い鎧をまとっているとは思えないほど、剣を構える動作は鋭かった。
振り下ろされた剣を、アレルは半歩横へずれてかわす。
以前なら、その一撃を受け止めるだけで精いっぱいだったかもしれない。
だが、今回は違う。
相手の攻撃の重さを知っているからこそ、真正面から受け止めない。
アレルは剣を滑らせるようにして相手の刃をそらし、すぐさま間合いを取った。
「シオン、右から!」
カエデの声が飛ぶ。
さまようよろいが、アレルへ剣を振るうと見せかけ、身体の向きを変えた。
狙いはシオン。
しかし、シオンはすでに動いていた。
敵の剣が振り下ろされる直前、低く身を沈めて間合いの内側へ入り込む。鎧の隙間を狙って短剣を振るった。
金属が擦れる音がした。
深手には至らない。
それでも、敵の動きをわずかに鈍らせるには十分だった。
「今だ、アレル!」
シオンの声と同時に、アレルが踏み込む。
剣が一直線に走った。
鎧の胸元を斬りつけ、さまようよろいがよろめく。
だが、魔物は倒れない。
体勢を立て直すと、再びアレルへ向かって剣を振り上げた。
「アレル、下がって!」
カエデの警告に、アレルは迷わず後退した。
直後、剣が石床を叩きつける。
鈍い衝撃音が通路に響き、床の欠片が飛び散った。
「……っ、危なかった!」
「今の一撃、まともに受けたらまずかったな」
シオンが目を細める。
「だから言ったでしょ。あいつの攻撃は重いんだって!」
カエデの声には緊張がにじんでいた。
しかし、アレルは落ち着いていた。
「助かった、カエデ。次の動きも見ていてくれ」
「うん!」
さまようよろいが剣を構え直す。
その足元に、わずかな隙が生まれた。
「アレル、今! 踏み込んだ直後、右足が少し遅れてる!」
カエデの指摘に、アレルは敵の足元を見た。
確かに、重い鎧のせいか、体勢を立て直す際に一瞬だけ動きが遅れる。
「そこか!」
アレルは敵の次の攻撃を誘うように、あえて正面へ踏み込んだ。
さまようよろいが剣を振り下ろす。
アレルは刃の軌道を見極め、身体をひねってかわした。剣が空を切った瞬間、敵の懐へと一気に入り込む。
その背後から、シオンも動いた。
「逃がさない」
短剣が鎧の隙間を狙い、敵の体勢を崩す。
さまようよろいがよろめいた。
そこへ、アレルの剣が閃いた。
一撃。
そして、間髪入れずにもう一撃。
鋭い剣筋が鎧を打ち、ついに魔物は膝をついた。
重い音を立てて、その身体が石床へと崩れ落ちる。
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがてアレルが剣を収め、ふうっと息を吐いた。
「……倒せたな」
「うん……!」
カエデは胸に手を当てた。
今度は、誰も大きな傷を負わずに済んだ。
以前の戦いが頭をよぎり、ずっと張り詰めていた気持ちが、ようやくほどけていく。
「アレル、よかった……」
「心配かけたな」
アレルは彼女に笑いかけた。
「でも、今回はカエデとシオンのおかげだ。二人がいてくれたから、落ち着いて戦えた」
「……そっか」
カエデはようやく、安心したように笑った。
シオンは倒れたさまようよろいを見下ろし、それから二人へ目を向けた。
「敵の動きを見抜くカエデ。それを迷わず活かすアレル。そして、できた隙を狙う俺……か」
「そういうことだな」
アレルが頷く。
シオンは小さく息を吐いた。
「悪くない連携だ」
それは、彼なりの素直な評価だった。
「でしょ?」
カエデが胸を張る。
「ただし、次はエビチリに負けないようにしてくれ」
「シオン!! もう忘れてよ!!」
カエデが抗議すると、アレルはとうとう吹き出した。
塔の中に、三人の声が響く。
危険な魔物が潜む塔の探索は、まだ終わっていない。
この先にはカンダタと、その手下たちが待っている。
アレルは剣の柄を握り直し、階段の先を見上げた。
「行こう。金の冠を取り戻すまで、あと少しだ」
シオンが頷き、カエデも二人の後に続く。
三人は再び、塔の上を目指して歩き始めた。
