DQ3 夜明けの果てに君と
カエデは宿屋の看板を探して、きょろきょろと辺りを見回した。
「えっと……この辺に宿屋があるはずなんだけど」
「さっき、あそこの通りに看板が見えたぞ」
アレルが指さした先には、ベッドの絵が描かれた看板が揺れていた。
「あっ、ほんとだ! ありがとう、アレル!」
二人は並んで宿屋へ向かった。
カザーブの村は、ロマリアよりも小さく、山に囲まれた静かな村だった。日が暮れかけた通りには、仕事を終えた村人たちが行き交っている。武器や道具を売る店もあり、旅人の姿もちらほらと見えた。
宿屋の扉を開けると、食事を終えた客たちの話し声が耳に入ってくる。
「二人で一部屋、空いてますか?」
カエデが受付の主人に尋ねる。
「おう、空いてるよ。二人でいいんだな?」
「はい!」
アレルは一瞬だけカエデを見たが、特に何も言わなかった。
部屋の鍵を受け取り、二人が階段を上がろうとした、そのときだった。
「……その格好で、魔王を倒しに行くのか?」
不意に、低い声が飛んできた。
振り返ると、壁際の席に一人の青年が座っていた。
銀色の髪。無駄のない身のこなし。腰には短剣が収められ、旅慣れた者特有の隙のなさがある。
青年は椅子に背を預けたまま、こちらを見ていた。
「……俺たちのことか?」
アレルが尋ねると、青年は視線を二人に向けた。
「ほかに誰がいる」
青年の目が、アレルの剣に止まる。
その視線は、ただ武器を確かめているだけではなかった。剣の手入れ具合、立ち方、周囲への注意の払い方。ひとつひとつを見定めるような目だった。
やがて、その目がカエデへと移る。
「そちらの娘は、戦えるようには見えないな」
「……っ」
カエデは言葉に詰まった。
「何だと?」
アレルの声が低くなる。
「魔王を倒す旅だろう。魔物との戦いは避けられない。戦えない人間を連れていくのは、危険じゃないのか」
青年の口調は淡々としていた。からかう様子も、面白がる様子もない。ただ疑問を口にしているだけのようだった。
それが、かえってアレルの怒りを刺激した。
「カエデにはカエデの役割がある。何も知らないのに、勝手なことを言うな」
アレルの声が、先ほどよりも低くなった。
カエデが驚いて彼を見上げる。普段のアレルなら、相手の言葉にいちいち腹を立てたりはしない。けれど、今は違った。
さまようよろいとの戦いで、自分がどれほど追い詰められたのか。あのとき、カエデが敵の動きに気づいてくれなければ、どうなっていたのか。
アレルは忘れていない。
剣を振るうのは自分だ。けれど、自分ひとりの力だけで、ここまで旅を続けてこられたわけではなかった。
「役割、か」
青年は少しだけ目を細めた。
「彼女は俺の大切な仲間だ」
アレルは迷いなく言い切った。
その言葉には、反論を許さないほどの強さがあった。
カエデは一瞬、何かを言おうとして口を開きかけた。けれど、結局何も言えず、ただアレルの横顔を見つめた。
アレルは青年から目をそらさない。
「戦えるかどうかだけで、仲間の価値を決めるな」
その手は、剣の柄を強く握りしめていた。
宿屋の喧騒が、ほんの一瞬遠のいたように感じられた。
カエデは驚いてアレルを見上げる。
青年はしばらくアレルを見つめていた。その表情から、何を考えているのかは読み取れない。
「……大切な足手まといが居て、魔王を倒せるのか?」
その一言で、アレルの表情が変わった。
「お前……!」
一歩、青年へ詰め寄ろうとする。
けれど、その前にカエデがアレルの腕をつかんだ。
「アレル、待って!」
「カエデ、離してくれ」
「だめ。ここで喧嘩しても意味ないよ」
カエデはアレルを見上げた。
怒ってくれたことは嬉しかった。自分を仲間だと言い切ってくれたことも。
でも、ここで争ってほしくはなかった。
「私は大丈夫だから。ね?」
アレルは唇を引き結び、青年をにらんだまま動きを止めた。
やがて、カエデの手に力がこもっていることに気づき、ゆっくりと息を吐く。
「……わかった」
青年はそんな二人を見ていた。
「仲間をかばうのは結構だ。だが、旅は気持ちだけじゃ乗り切れない」
「そんなこと、わかってるよ」
カエデは青年へ向き直った。
初対面の相手に向ける、丁寧な口調だった。
「私は確かに、直接戦うことはできません。でも、できることを探しながらアレルと一緒に旅をしています。あなたに、私たちのことを決めつけられる筋合いはありません」
青年はわずかに目を見開いた。
カエデの声は大きくなかったが、言葉には芯があった。
「……そうか」
青年はそれ以上、言い返さなかった。
「なら、好きにすればいい」
そう言って、青年は再び椅子に腰を下ろした。
アレルはまだ納得していない様子だったが、カエデに腕を引かれ、階段へと向かった。
二人が姿を消す直前、青年は一度だけアレルの背中を見た。
剣を持つ者としての身のこなし。怒りに反応したときの踏み込み。仲間をかばう際にも崩れなかった重心。
あの剣士は、ただ腕が立つだけの旅人ではない。
青年は目を細めた。
何かを確かめるように、静かに考え込んでいた。
*
部屋に入ると、アレルは荷物を下ろし、剣の状態を確かめ始めた。
いつもなら、今日の道中で見かけたものや明日の予定について話すところだ。けれど、今夜のアレルはどこか不機嫌だった。
カエデはベッドに腰掛け、彼の横顔をうかがった。
「アレル、まだ怒ってる?」
「……別に」
「いや、絶対怒ってるよね?」
アレルは剣から目を離さない。
「カエデが戦えないことと、役に立たないことは違う」
「うん」
「なのに、あいつは何も知らないまま決めつけた」
思いのほか強い口調に、カエデは少し目を丸くした。
自分のことで、ここまで腹を立ててくれるとは思わなかったのだ。
「……ありがとう、アレル。でも、私が直接戦えないのは本当だよ」
「それは……」
「私は剣も使えないし、呪文だって使えない。アレルみたいに強くないのは、自分でもわかってる」
カエデは自分の手のひらを見つめた。
この世界に来てから、何度も思い知らされてきたことだ。
知識があっても、敵の攻撃を受ければ痛い。逃げ遅れれば危険だし、仲間が傷つく姿を見ても、すぐに回復させる呪文を唱えられるわけではない。
それでも。
「だけど、だからって何もできないわけじゃないと思うんだ」
顔を上げると、アレルがこちらを見ていた。
「さまようよろいのときだって、私が気づかなかったら、もっと危なかったかもしれないでしょ?」
「……ああ」
「だから、私は私にできることを頑張るよ。敵のことを考えたり、危ないところに気づいたり。アレルが戦いやすくなるように」
アレルはしばらく黙っていた。
やがて、剣を鞘に収める。
「俺も、そう思ってる」
「え?」
「お前の気づきに助けられたことは、一度や二度じゃない。俺は剣を振るうことはできる。でも、戦いのすべてが剣だけで決まるわけじゃない」
まっすぐな言葉だった。
カエデは少しだけ驚き、それから笑った。
「……そっか。なら、明日も頑張らないとね!」
「ああ。ただし、危ないときは無理をするな」
「それ、アレルにも言いたいんだけど!」
思わず声を上げると、アレルはわずかに目をそらした。
「俺は大丈夫だ」
「その台詞、さまようよろいの前でも言ってほしかったなあ……」
「……あれは、少し予定が狂っただけだ」
「予定って! 剣を弾き飛ばされてたじゃん!」
「わ、わかった。次は気をつける」
アレルが困ったように言うので、カエデはとうとう吹き出した。
部屋に、二人の笑い声が響く。
先ほどの青年の言葉は、まだ少し引っかかっていた。それでも、カエデは自分の立場を改めて考えることができた。
戦えないからこそ、できることを探す。
今は、それでいい。
*
翌朝。
朝食を済ませた二人は、カザーブの村を出た。
目指すのは、西にあるシャンパーニの塔。カンダタ一味が金の冠を持ち去った場所だ。
「ここから先は、橋を渡るんだよね」
カエデは地図を確かめながら言った。
「そうだ。橋を越えたら、塔まではそう遠くないはずだ」
アレルは周囲を見渡した。
村の外へ出ると、道は山あいへと続いている。木々の間から差し込む朝日が、石だらけの道を照らしていた。
しばらく進んだところで、空の一部がぼんやりと曇った。
「……あれ?」
カエデが足を止める。
木々の隙間から、薄い雲のようなものがこちらへ流れてきていた。
「雲……じゃないよね?」
その正体は、ギズモだった。
ふわふわと浮かぶ雲のような魔物が、道を塞ぐように集まってくる。
「魔物か!」
アレルはすぐに剣を抜いた。
ギズモたちは一斉に動いた。そのうちの一体が、口元に小さな炎を生み出す。
「アレル、メラが来る!」
カエデの声とほぼ同時に、火の玉が飛んだ。
アレルは横へ跳ぶ。
炎がすぐ脇をかすめ、背後の地面に弾けた。だが、彼は着地するより早く、すでに次の一歩を踏み出していた。
「はっ!」
剣が閃く。
ギズモは宙へ逃れようと身体を揺らした。けれど、アレルの剣先はその動きを追っていた。逃げる先を見越した一撃が、青白い身体を鋭く捉える。
ギズモが悲鳴を上げて揺らいだ。
その隙を、アレルは逃さない。
踏み込み、斬り返し、次の一体へと向き直る。
ギズモが慌てて距離を取り、別の個体がメラを放つ。アレルは身をひねって火の玉をかわすと、その勢いを殺さずに地面を蹴った。
一瞬で間合いが詰まる。
ギズモが逃げようとするよりも早く、剣が走った。
一閃。
青白い身体が揺らぎ、霧のように消えていく。
残る一体が、アレルの背後へ回り込もうとした。
「後ろ!」
カエデの声が飛ぶ。
アレルはすぐさま振り返った。ギズモがメラを放つ直前、剣の軌道を低く走らせる。魔物の動きを止めたその一撃から、間を置かずに二撃目が繰り出された。
最後のギズモが地面へ落ち、やがて消えていった。
カエデは息を呑んだ。
炎を避けた直後には、もうアレルの剣が敵を捉えていた。
ギズモが逃げる方向を見極め、次の攻撃へ移るまでの動き。その一つひとつがあまりに速く、目で追うだけで精いっぱいだった。
剣が閃くたび、朝の光が刃の上を走る。
ほんの一瞬前まで敵がいた場所に、もうアレルの姿はない。
そして次の瞬間には、別の敵へ向けて剣が振るわれている。
カエデは、思わず握りしめていた手に力を込めた。
――すごい。
その言葉さえ、声にはならなかった。
けれど、最後のギズモが消えたあと、カエデの胸に残ったのは驚きだけではなかった。
さまようよろいとの戦いで、アレルは剣を弾き飛ばされ、危うく大きな傷を負うところだった。
剣の腕がどれほど優れていても、敵の攻撃をすべて防げるわけではない。
だからこそ、今の戦いで彼が無事だったことに、カエデは心から安堵していた。
「カエデ、怪我はないか?」
アレルが振り返った。
「う、うん! 私は大丈夫」
「よかった」
アレルはほっとしたように笑った。
「……でも、さっきの炎、かなり近かったよね」
カエデが言うと、アレルは自分の腕や服に焦げ跡がないか確かめた。
「そうだな。もう少し避けるのが遅かったら危なかった」
「うん。次も気をつけようね」
「ああ。ありがとう、カエデ。声をかけてくれたおかげで、すぐに動けた」
「私は、見えたことを伝えただけだよ」
「それが助かるんだ」
アレルはそう言って、再び街道の先へ目を向けた。
カエデも頷き、彼の隣を歩き出した。
*
二人は再び道を進み、やがて大きな橋へとたどり着いた。
橋の下には深い谷が広がっている。吹き抜ける風が、カエデの髪を揺らした。
「うわあ……高いね」
「足元に気をつけろよ」
「わかってるってば!」
そう言いながらも、カエデは橋の端から谷をのぞき込まないよう、道の中央を歩いた。
橋を渡り終えた頃には、日もだいぶ高くなっていた。
その先の道には、低い草むらが広がっている。
不意に、草の間から妙な音がした。
「……何かいる?」
カエデが足を止めた直後、緑色の魔物が飛び出してきた。
おばけキノコだ。
「うわっ!」
カエデは反射的に後ずさった。
おばけキノコはふらふらと揺れながら、アレルへと迫ってくる。アレルは剣を構え、飛びかかってきた魔物を受け流した。
「カエデ、少し下がっていろ!」
「うん!」
おばけキノコはしつこく距離を詰め、アレルの隙をうかがう。
アレルが剣を振るうと、魔物は不規則に体を揺らして攻撃をかわそうとした。
「動きが読みにくい……!」
アレルがつぶやく。
一体を相手にしている間に、もう一体のおばけキノコが横から迫ってきた。
アレルは剣を引き戻し、すぐさま身体の向きを変える。
一撃目をかわし、二撃目を受け流し、反撃へとつなげる。
剣が風を切った。
一体のおばけキノコが倒れる。
しかし、残る一体は怯むことなく、間合いを詰めてきた。ふらふらとした動きは不規則で、次にどちらへ動くのかが読みづらい。
アレルは無理に追わず、足を止めた。
「近づいてくるのを待とう!」
カエデの声に、アレルは短くうなずく。
おばけキノコが左右に揺れながら近づいてくる。
アレルはその動きを見極め、魔物が飛びかかってきた瞬間に踏み込んだ。
剣が閃く。
おばけキノコの攻撃は空を切り、アレルの一撃がその身体を捉えた。
だが、倒れた魔物の陰から、もう一体が飛び出した。
「アレル、左!」
カエデの声が響く。
アレルはすぐに身体をひねり、攻撃を紙一重でかわした。
そのまま流れるように剣を返す。
魔物が体勢を立て直すよりも早く、刃が届いた。
最後のおばけキノコが地面に倒れ、やがて動かなくなった。
「ふう……」
アレルは息を整え、剣についた汚れを払った。
カエデはしばらく、彼の姿を見つめていた。
攻撃をかわすたびに、アレルの身体は次の動きへとつながっていた。無駄な動作がほとんどない。敵の動きに合わせて足を運び、剣を振り、隙が生まれれば迷わず踏み込む。
その判断を、戦いの最中に一瞬で繰り返しているのだ。
「……アレル、怪我は?」
カエデが我に返って尋ねる。
「大丈夫だ。お前は?」
「私は平気!」
カエデは自分の服についた草を払い、ほっと胸をなで下ろした。
「よかった。塔に着く前から、こんなに魔物が出るんだね」
「カンダタの一味がいる場所だ。周囲の魔物が増えていてもおかしくない」
アレルは東の方角へ目を向けた。
木々の向こうに、石造りの塔がかすかに見える。
「あれが……シャンパーニの塔」
カエデはその姿を見つめた。
かつては村の倉庫として使われていたという塔。しかし今では、カンダタ一味が根城にしている。
金の冠も、きっとあの中にある。
「よし、行こう!」
カエデが歩き出す。
アレルはうなずき、その隣に並んだ。
*
シャンパーニの塔は、近くで見ると思っていた以上に古びていた。
石壁にはところどころひびが入り、入口の周りには木箱や壊れた道具が散らばっている。人の出入りがあるらしく、地面には新しい足跡も残っていた。
「……本当に、ここを倉庫にしてたんだね」
カエデが周囲を見回す。
「今はカンダタたちが使っているんだろう。中に入るぞ」
アレルは扉に手をかけた。
ぎい、と軋んだ音を立てて扉が開く。
塔の中は薄暗く、ひんやりとしていた。壁際には木箱が積み重なり、布袋や樽が雑然と置かれている。奥の方から、男たちの話し声がかすかに聞こえてきた。
「……誰かいるね」
カエデが声をひそめる。
「ああ。気をつけて進もう」
アレルは剣の柄に手を添え、足音を抑えながら進んだ。
そのとき。
「そこまでだ」
低い声が、二人の前方から響いた。
カエデとアレルは同時に足を止めた。
薄暗い通路の向こう。積まれた木箱の脇に、一人の青年が立っていた。
銀色の髪。腰に差した短剣。宿屋で二人に声をかけてきた、あの青年だった。
青年はアレルを見るなり、目を細めた。
宿屋で見たときから、何かが引っかかっていた。
剣士としての身のこなし。周囲に気を配る視線。怒りを抑えながらも、一瞬で踏み込める足運び。
そして何より、そこに立っているだけで感じる、揺るぎない存在感。
ただ腕が立つだけの剣士ではない。
青年の脳裏に、ある話がよぎった。魔王討伐の旅に出た、アリアハンの勇者の噂だ。
彼はアレルの顔を改めて見た。
「……なるほどな」
「何がだ?」
アレルが警戒したまま尋ねる。
「お前、アリアハンの勇者だろう」
カエデが息をのんだ。
アレルも、わずかに目を見開く。
「……どうしてそう思った?」
「剣の腕だけじゃない。立ち方も、周囲を見る目も、普通の旅人とは違う。魔王を倒すために旅をしていると言っていたな。なら、答えはひとつだ」
青年は淡々と告げた。
「噂に聞く勇者が、目の前にいる。そう考えた方が自然だ」
アレルはしばらく青年を見つめたあと、静かに答えた。
「……そうだ。俺はアレル。魔王を倒すために旅をしている」
「やっぱりな」
青年は短くうなずいた。
「俺はシオンだ」
「シオン……」
カエデが小さく名前を繰り返す。
シオンは二人を交互に見た。
「お前たちもカンダタを追っているのか?」
「金の冠を取り返しに来た」
アレルは答えた。
「そうか。なら、目的は同じだな」
「あなたも冠を取り返しに来たんですか?」
カエデが尋ねる。
「ああ」
シオンはそれ以上、詳しく話そうとはしなかった。
アレルはまだ警戒を解いていない。
「同じ目的だからといって、簡単に信用するわけにはいかない」
「当然だ。俺も、お前を信用したわけじゃない」
シオンは淡々と答えた。
「だが、冠を取り返すという目的は同じだ。邪魔をし合う理由もない」
アレルは少し考えた。
目の前の青年は、相当な腕前であることは確かだった。短剣を扱う盗賊――そう考えるのが自然だろう。だが、どこまで信用できるかは、まだわからない。
カエデもシオンを見つめていた。
宿屋での言葉は、今でも少し引っかかっている。けれど、彼がここへ来た目的まで否定する理由はなかった。
「……一緒に行くってことですか?」
「必要ならな。俺は俺のやり方で動く。お前たちの指図を受けるつもりはない」
シオンはそう言って、通路の奥へ目を向けた。
「この先に、カンダタの手下がいる。騒ぎを起こせば、上の階にいる連中にも気づかれるだろう」
「詳しいんだな」
アレルが言う。
「少し調べただけだ」
シオンはそれ以上、説明しなかった。
アレルはカエデと目を合わせた。
カエデは小さくうなずく。
「……わかった。今は協力しよう」
アレルがそう告げると、シオンも短くうなずいた。
「それでいい」
三人は、まだ互いを信用しきってはいない。
けれど、今は同じ目的を持っている。
金の冠を取り返すために。
薄暗い塔の中、三人は一時的な共闘関係を結んだ。
「えっと……この辺に宿屋があるはずなんだけど」
「さっき、あそこの通りに看板が見えたぞ」
アレルが指さした先には、ベッドの絵が描かれた看板が揺れていた。
「あっ、ほんとだ! ありがとう、アレル!」
二人は並んで宿屋へ向かった。
カザーブの村は、ロマリアよりも小さく、山に囲まれた静かな村だった。日が暮れかけた通りには、仕事を終えた村人たちが行き交っている。武器や道具を売る店もあり、旅人の姿もちらほらと見えた。
宿屋の扉を開けると、食事を終えた客たちの話し声が耳に入ってくる。
「二人で一部屋、空いてますか?」
カエデが受付の主人に尋ねる。
「おう、空いてるよ。二人でいいんだな?」
「はい!」
アレルは一瞬だけカエデを見たが、特に何も言わなかった。
部屋の鍵を受け取り、二人が階段を上がろうとした、そのときだった。
「……その格好で、魔王を倒しに行くのか?」
不意に、低い声が飛んできた。
振り返ると、壁際の席に一人の青年が座っていた。
銀色の髪。無駄のない身のこなし。腰には短剣が収められ、旅慣れた者特有の隙のなさがある。
青年は椅子に背を預けたまま、こちらを見ていた。
「……俺たちのことか?」
アレルが尋ねると、青年は視線を二人に向けた。
「ほかに誰がいる」
青年の目が、アレルの剣に止まる。
その視線は、ただ武器を確かめているだけではなかった。剣の手入れ具合、立ち方、周囲への注意の払い方。ひとつひとつを見定めるような目だった。
やがて、その目がカエデへと移る。
「そちらの娘は、戦えるようには見えないな」
「……っ」
カエデは言葉に詰まった。
「何だと?」
アレルの声が低くなる。
「魔王を倒す旅だろう。魔物との戦いは避けられない。戦えない人間を連れていくのは、危険じゃないのか」
青年の口調は淡々としていた。からかう様子も、面白がる様子もない。ただ疑問を口にしているだけのようだった。
それが、かえってアレルの怒りを刺激した。
「カエデにはカエデの役割がある。何も知らないのに、勝手なことを言うな」
アレルの声が、先ほどよりも低くなった。
カエデが驚いて彼を見上げる。普段のアレルなら、相手の言葉にいちいち腹を立てたりはしない。けれど、今は違った。
さまようよろいとの戦いで、自分がどれほど追い詰められたのか。あのとき、カエデが敵の動きに気づいてくれなければ、どうなっていたのか。
アレルは忘れていない。
剣を振るうのは自分だ。けれど、自分ひとりの力だけで、ここまで旅を続けてこられたわけではなかった。
「役割、か」
青年は少しだけ目を細めた。
「彼女は俺の大切な仲間だ」
アレルは迷いなく言い切った。
その言葉には、反論を許さないほどの強さがあった。
カエデは一瞬、何かを言おうとして口を開きかけた。けれど、結局何も言えず、ただアレルの横顔を見つめた。
アレルは青年から目をそらさない。
「戦えるかどうかだけで、仲間の価値を決めるな」
その手は、剣の柄を強く握りしめていた。
宿屋の喧騒が、ほんの一瞬遠のいたように感じられた。
カエデは驚いてアレルを見上げる。
青年はしばらくアレルを見つめていた。その表情から、何を考えているのかは読み取れない。
「……大切な足手まといが居て、魔王を倒せるのか?」
その一言で、アレルの表情が変わった。
「お前……!」
一歩、青年へ詰め寄ろうとする。
けれど、その前にカエデがアレルの腕をつかんだ。
「アレル、待って!」
「カエデ、離してくれ」
「だめ。ここで喧嘩しても意味ないよ」
カエデはアレルを見上げた。
怒ってくれたことは嬉しかった。自分を仲間だと言い切ってくれたことも。
でも、ここで争ってほしくはなかった。
「私は大丈夫だから。ね?」
アレルは唇を引き結び、青年をにらんだまま動きを止めた。
やがて、カエデの手に力がこもっていることに気づき、ゆっくりと息を吐く。
「……わかった」
青年はそんな二人を見ていた。
「仲間をかばうのは結構だ。だが、旅は気持ちだけじゃ乗り切れない」
「そんなこと、わかってるよ」
カエデは青年へ向き直った。
初対面の相手に向ける、丁寧な口調だった。
「私は確かに、直接戦うことはできません。でも、できることを探しながらアレルと一緒に旅をしています。あなたに、私たちのことを決めつけられる筋合いはありません」
青年はわずかに目を見開いた。
カエデの声は大きくなかったが、言葉には芯があった。
「……そうか」
青年はそれ以上、言い返さなかった。
「なら、好きにすればいい」
そう言って、青年は再び椅子に腰を下ろした。
アレルはまだ納得していない様子だったが、カエデに腕を引かれ、階段へと向かった。
二人が姿を消す直前、青年は一度だけアレルの背中を見た。
剣を持つ者としての身のこなし。怒りに反応したときの踏み込み。仲間をかばう際にも崩れなかった重心。
あの剣士は、ただ腕が立つだけの旅人ではない。
青年は目を細めた。
何かを確かめるように、静かに考え込んでいた。
*
部屋に入ると、アレルは荷物を下ろし、剣の状態を確かめ始めた。
いつもなら、今日の道中で見かけたものや明日の予定について話すところだ。けれど、今夜のアレルはどこか不機嫌だった。
カエデはベッドに腰掛け、彼の横顔をうかがった。
「アレル、まだ怒ってる?」
「……別に」
「いや、絶対怒ってるよね?」
アレルは剣から目を離さない。
「カエデが戦えないことと、役に立たないことは違う」
「うん」
「なのに、あいつは何も知らないまま決めつけた」
思いのほか強い口調に、カエデは少し目を丸くした。
自分のことで、ここまで腹を立ててくれるとは思わなかったのだ。
「……ありがとう、アレル。でも、私が直接戦えないのは本当だよ」
「それは……」
「私は剣も使えないし、呪文だって使えない。アレルみたいに強くないのは、自分でもわかってる」
カエデは自分の手のひらを見つめた。
この世界に来てから、何度も思い知らされてきたことだ。
知識があっても、敵の攻撃を受ければ痛い。逃げ遅れれば危険だし、仲間が傷つく姿を見ても、すぐに回復させる呪文を唱えられるわけではない。
それでも。
「だけど、だからって何もできないわけじゃないと思うんだ」
顔を上げると、アレルがこちらを見ていた。
「さまようよろいのときだって、私が気づかなかったら、もっと危なかったかもしれないでしょ?」
「……ああ」
「だから、私は私にできることを頑張るよ。敵のことを考えたり、危ないところに気づいたり。アレルが戦いやすくなるように」
アレルはしばらく黙っていた。
やがて、剣を鞘に収める。
「俺も、そう思ってる」
「え?」
「お前の気づきに助けられたことは、一度や二度じゃない。俺は剣を振るうことはできる。でも、戦いのすべてが剣だけで決まるわけじゃない」
まっすぐな言葉だった。
カエデは少しだけ驚き、それから笑った。
「……そっか。なら、明日も頑張らないとね!」
「ああ。ただし、危ないときは無理をするな」
「それ、アレルにも言いたいんだけど!」
思わず声を上げると、アレルはわずかに目をそらした。
「俺は大丈夫だ」
「その台詞、さまようよろいの前でも言ってほしかったなあ……」
「……あれは、少し予定が狂っただけだ」
「予定って! 剣を弾き飛ばされてたじゃん!」
「わ、わかった。次は気をつける」
アレルが困ったように言うので、カエデはとうとう吹き出した。
部屋に、二人の笑い声が響く。
先ほどの青年の言葉は、まだ少し引っかかっていた。それでも、カエデは自分の立場を改めて考えることができた。
戦えないからこそ、できることを探す。
今は、それでいい。
*
翌朝。
朝食を済ませた二人は、カザーブの村を出た。
目指すのは、西にあるシャンパーニの塔。カンダタ一味が金の冠を持ち去った場所だ。
「ここから先は、橋を渡るんだよね」
カエデは地図を確かめながら言った。
「そうだ。橋を越えたら、塔まではそう遠くないはずだ」
アレルは周囲を見渡した。
村の外へ出ると、道は山あいへと続いている。木々の間から差し込む朝日が、石だらけの道を照らしていた。
しばらく進んだところで、空の一部がぼんやりと曇った。
「……あれ?」
カエデが足を止める。
木々の隙間から、薄い雲のようなものがこちらへ流れてきていた。
「雲……じゃないよね?」
その正体は、ギズモだった。
ふわふわと浮かぶ雲のような魔物が、道を塞ぐように集まってくる。
「魔物か!」
アレルはすぐに剣を抜いた。
ギズモたちは一斉に動いた。そのうちの一体が、口元に小さな炎を生み出す。
「アレル、メラが来る!」
カエデの声とほぼ同時に、火の玉が飛んだ。
アレルは横へ跳ぶ。
炎がすぐ脇をかすめ、背後の地面に弾けた。だが、彼は着地するより早く、すでに次の一歩を踏み出していた。
「はっ!」
剣が閃く。
ギズモは宙へ逃れようと身体を揺らした。けれど、アレルの剣先はその動きを追っていた。逃げる先を見越した一撃が、青白い身体を鋭く捉える。
ギズモが悲鳴を上げて揺らいだ。
その隙を、アレルは逃さない。
踏み込み、斬り返し、次の一体へと向き直る。
ギズモが慌てて距離を取り、別の個体がメラを放つ。アレルは身をひねって火の玉をかわすと、その勢いを殺さずに地面を蹴った。
一瞬で間合いが詰まる。
ギズモが逃げようとするよりも早く、剣が走った。
一閃。
青白い身体が揺らぎ、霧のように消えていく。
残る一体が、アレルの背後へ回り込もうとした。
「後ろ!」
カエデの声が飛ぶ。
アレルはすぐさま振り返った。ギズモがメラを放つ直前、剣の軌道を低く走らせる。魔物の動きを止めたその一撃から、間を置かずに二撃目が繰り出された。
最後のギズモが地面へ落ち、やがて消えていった。
カエデは息を呑んだ。
炎を避けた直後には、もうアレルの剣が敵を捉えていた。
ギズモが逃げる方向を見極め、次の攻撃へ移るまでの動き。その一つひとつがあまりに速く、目で追うだけで精いっぱいだった。
剣が閃くたび、朝の光が刃の上を走る。
ほんの一瞬前まで敵がいた場所に、もうアレルの姿はない。
そして次の瞬間には、別の敵へ向けて剣が振るわれている。
カエデは、思わず握りしめていた手に力を込めた。
――すごい。
その言葉さえ、声にはならなかった。
けれど、最後のギズモが消えたあと、カエデの胸に残ったのは驚きだけではなかった。
さまようよろいとの戦いで、アレルは剣を弾き飛ばされ、危うく大きな傷を負うところだった。
剣の腕がどれほど優れていても、敵の攻撃をすべて防げるわけではない。
だからこそ、今の戦いで彼が無事だったことに、カエデは心から安堵していた。
「カエデ、怪我はないか?」
アレルが振り返った。
「う、うん! 私は大丈夫」
「よかった」
アレルはほっとしたように笑った。
「……でも、さっきの炎、かなり近かったよね」
カエデが言うと、アレルは自分の腕や服に焦げ跡がないか確かめた。
「そうだな。もう少し避けるのが遅かったら危なかった」
「うん。次も気をつけようね」
「ああ。ありがとう、カエデ。声をかけてくれたおかげで、すぐに動けた」
「私は、見えたことを伝えただけだよ」
「それが助かるんだ」
アレルはそう言って、再び街道の先へ目を向けた。
カエデも頷き、彼の隣を歩き出した。
*
二人は再び道を進み、やがて大きな橋へとたどり着いた。
橋の下には深い谷が広がっている。吹き抜ける風が、カエデの髪を揺らした。
「うわあ……高いね」
「足元に気をつけろよ」
「わかってるってば!」
そう言いながらも、カエデは橋の端から谷をのぞき込まないよう、道の中央を歩いた。
橋を渡り終えた頃には、日もだいぶ高くなっていた。
その先の道には、低い草むらが広がっている。
不意に、草の間から妙な音がした。
「……何かいる?」
カエデが足を止めた直後、緑色の魔物が飛び出してきた。
おばけキノコだ。
「うわっ!」
カエデは反射的に後ずさった。
おばけキノコはふらふらと揺れながら、アレルへと迫ってくる。アレルは剣を構え、飛びかかってきた魔物を受け流した。
「カエデ、少し下がっていろ!」
「うん!」
おばけキノコはしつこく距離を詰め、アレルの隙をうかがう。
アレルが剣を振るうと、魔物は不規則に体を揺らして攻撃をかわそうとした。
「動きが読みにくい……!」
アレルがつぶやく。
一体を相手にしている間に、もう一体のおばけキノコが横から迫ってきた。
アレルは剣を引き戻し、すぐさま身体の向きを変える。
一撃目をかわし、二撃目を受け流し、反撃へとつなげる。
剣が風を切った。
一体のおばけキノコが倒れる。
しかし、残る一体は怯むことなく、間合いを詰めてきた。ふらふらとした動きは不規則で、次にどちらへ動くのかが読みづらい。
アレルは無理に追わず、足を止めた。
「近づいてくるのを待とう!」
カエデの声に、アレルは短くうなずく。
おばけキノコが左右に揺れながら近づいてくる。
アレルはその動きを見極め、魔物が飛びかかってきた瞬間に踏み込んだ。
剣が閃く。
おばけキノコの攻撃は空を切り、アレルの一撃がその身体を捉えた。
だが、倒れた魔物の陰から、もう一体が飛び出した。
「アレル、左!」
カエデの声が響く。
アレルはすぐに身体をひねり、攻撃を紙一重でかわした。
そのまま流れるように剣を返す。
魔物が体勢を立て直すよりも早く、刃が届いた。
最後のおばけキノコが地面に倒れ、やがて動かなくなった。
「ふう……」
アレルは息を整え、剣についた汚れを払った。
カエデはしばらく、彼の姿を見つめていた。
攻撃をかわすたびに、アレルの身体は次の動きへとつながっていた。無駄な動作がほとんどない。敵の動きに合わせて足を運び、剣を振り、隙が生まれれば迷わず踏み込む。
その判断を、戦いの最中に一瞬で繰り返しているのだ。
「……アレル、怪我は?」
カエデが我に返って尋ねる。
「大丈夫だ。お前は?」
「私は平気!」
カエデは自分の服についた草を払い、ほっと胸をなで下ろした。
「よかった。塔に着く前から、こんなに魔物が出るんだね」
「カンダタの一味がいる場所だ。周囲の魔物が増えていてもおかしくない」
アレルは東の方角へ目を向けた。
木々の向こうに、石造りの塔がかすかに見える。
「あれが……シャンパーニの塔」
カエデはその姿を見つめた。
かつては村の倉庫として使われていたという塔。しかし今では、カンダタ一味が根城にしている。
金の冠も、きっとあの中にある。
「よし、行こう!」
カエデが歩き出す。
アレルはうなずき、その隣に並んだ。
*
シャンパーニの塔は、近くで見ると思っていた以上に古びていた。
石壁にはところどころひびが入り、入口の周りには木箱や壊れた道具が散らばっている。人の出入りがあるらしく、地面には新しい足跡も残っていた。
「……本当に、ここを倉庫にしてたんだね」
カエデが周囲を見回す。
「今はカンダタたちが使っているんだろう。中に入るぞ」
アレルは扉に手をかけた。
ぎい、と軋んだ音を立てて扉が開く。
塔の中は薄暗く、ひんやりとしていた。壁際には木箱が積み重なり、布袋や樽が雑然と置かれている。奥の方から、男たちの話し声がかすかに聞こえてきた。
「……誰かいるね」
カエデが声をひそめる。
「ああ。気をつけて進もう」
アレルは剣の柄に手を添え、足音を抑えながら進んだ。
そのとき。
「そこまでだ」
低い声が、二人の前方から響いた。
カエデとアレルは同時に足を止めた。
薄暗い通路の向こう。積まれた木箱の脇に、一人の青年が立っていた。
銀色の髪。腰に差した短剣。宿屋で二人に声をかけてきた、あの青年だった。
青年はアレルを見るなり、目を細めた。
宿屋で見たときから、何かが引っかかっていた。
剣士としての身のこなし。周囲に気を配る視線。怒りを抑えながらも、一瞬で踏み込める足運び。
そして何より、そこに立っているだけで感じる、揺るぎない存在感。
ただ腕が立つだけの剣士ではない。
青年の脳裏に、ある話がよぎった。魔王討伐の旅に出た、アリアハンの勇者の噂だ。
彼はアレルの顔を改めて見た。
「……なるほどな」
「何がだ?」
アレルが警戒したまま尋ねる。
「お前、アリアハンの勇者だろう」
カエデが息をのんだ。
アレルも、わずかに目を見開く。
「……どうしてそう思った?」
「剣の腕だけじゃない。立ち方も、周囲を見る目も、普通の旅人とは違う。魔王を倒すために旅をしていると言っていたな。なら、答えはひとつだ」
青年は淡々と告げた。
「噂に聞く勇者が、目の前にいる。そう考えた方が自然だ」
アレルはしばらく青年を見つめたあと、静かに答えた。
「……そうだ。俺はアレル。魔王を倒すために旅をしている」
「やっぱりな」
青年は短くうなずいた。
「俺はシオンだ」
「シオン……」
カエデが小さく名前を繰り返す。
シオンは二人を交互に見た。
「お前たちもカンダタを追っているのか?」
「金の冠を取り返しに来た」
アレルは答えた。
「そうか。なら、目的は同じだな」
「あなたも冠を取り返しに来たんですか?」
カエデが尋ねる。
「ああ」
シオンはそれ以上、詳しく話そうとはしなかった。
アレルはまだ警戒を解いていない。
「同じ目的だからといって、簡単に信用するわけにはいかない」
「当然だ。俺も、お前を信用したわけじゃない」
シオンは淡々と答えた。
「だが、冠を取り返すという目的は同じだ。邪魔をし合う理由もない」
アレルは少し考えた。
目の前の青年は、相当な腕前であることは確かだった。短剣を扱う盗賊――そう考えるのが自然だろう。だが、どこまで信用できるかは、まだわからない。
カエデもシオンを見つめていた。
宿屋での言葉は、今でも少し引っかかっている。けれど、彼がここへ来た目的まで否定する理由はなかった。
「……一緒に行くってことですか?」
「必要ならな。俺は俺のやり方で動く。お前たちの指図を受けるつもりはない」
シオンはそう言って、通路の奥へ目を向けた。
「この先に、カンダタの手下がいる。騒ぎを起こせば、上の階にいる連中にも気づかれるだろう」
「詳しいんだな」
アレルが言う。
「少し調べただけだ」
シオンはそれ以上、説明しなかった。
アレルはカエデと目を合わせた。
カエデは小さくうなずく。
「……わかった。今は協力しよう」
アレルがそう告げると、シオンも短くうなずいた。
「それでいい」
三人は、まだ互いを信用しきってはいない。
けれど、今は同じ目的を持っている。
金の冠を取り返すために。
薄暗い塔の中、三人は一時的な共闘関係を結んだ。
