DQ3 夜明けの果てに君と
朝。
小鳥のさえずりが、木々の間から聞こえてきた。
夜露に濡れた草の匂い。頬を撫でる涼しい風。焚き火の跡からは、かすかに煙が立ち上っている。
カエデは、ゆっくりと目を開けた。
「……ん……」
まだ眠い。
昨日はさまようよろいとの戦いで、心も体もすっかり疲れ切ってしまった。地面の硬さにも慣れないまま、ようやく眠りについたのだ。
もう少しだけ寝ていたい。
そう思って、寝返りを打とうとした。
――目の前に、人の顔があった。
「…………」
カエデは瞬きをした。
もう一度、瞬きをする。
赤い外套。
見慣れた髪。
そして、すぐ目の前にあるアレルの顔。
「…………えっ?」
数秒間、頭が真っ白になった。
「えっ、ちょっ……ええっ!?」
カエデは飛び起きた。
「ちょっと待って!? なんでこんなに近いの!?」
「……うるさい」
隣で横になっていたアレルが、眉間にしわを寄せた。
「朝から騒がしい奴だな……」
「騒がしくもなるでしょ! なんでこんな距離で寝てるの!?」
「お前が隣で寝たいって言ったんだろう」
「そ、それはそうだけど!」
「なら、文句を言うな」
「そういう問題じゃないんだけど!?」
カエデは自分の寝ていた場所と、アレルの寝ていた場所を交互に見た。
どうやら、夜中に寒くなったのか、自分からアレルのほうへ寄っていったらしい。外套も二人の体に掛かっている。
記憶はない。
まったくない。
「うそ……私、そんなに近づいてた……?」
「知らない。俺が起きたときにはこうなっていた」
「うわああ……!」
「だから、うるさいって」
アレルは上体を起こし、乱れた髪を手で整えた。
「眠れたならいいだろう。昨日は怖がっていたんだから」
「そ、それは……そうだけど……」
カエデは言い返せなくなった。
確かに、昨日はひとりで眠るのが怖かった。アレルのそばにいたいと頼んだのは自分だ。
それでも、朝起きたら顔が目の前にあるなんて、心臓に悪すぎる。
「……もう! 次からはちゃんと距離を取るから!」
「好きにしろ」
アレルはあっさりと荷物をまとめ始めた。
カエデは頬を膨らませながら、その背中を睨んだ。
「絶対、今のこと忘れてね……!」
「忘れるほどのことか?」
「そういうところだよ、もう!」
朝の静かな山道に、カエデの声が響いた。
*
出発の準備を終えた二人は、カザーブへ続く山道を歩き始めた。
カザーブは山々に囲まれた大きな村だ。ロマリアから北へ向かう旅人にとって、休息と補給に欠かせない場所でもある。
昨日の戦いの疲れは、まだ完全には抜けていない。
アレルはいつも通りの足取りを保っていたが、剣を持つ腕には、わずかに重さが残っていた。
カエデも足元を確かめながら、周囲を警戒する。
「……ねえ、アレル」
「どうした?」
「今日も魔物、出るよね」
「この辺りならな」
「だよね……」
できれば、今日は何事もなく村までたどり着きたい。
そんな願いを抱きながら、カエデは木々の間に続く道を見た。
そのときだった。
「……あれ?」
道の先に、大きな木が立っていた。
山道の脇に根を張り、枝を広げている。周囲の木々よりもひときわ大きく、幹も太い。
少し変わった形の木だな。
カエデはそう思いながら、横を通り過ぎようとした。
――枝が、動いた。
「……え?」
風は吹いていない。
なのに、枝がゆっくりと持ち上がっている。
そして、太い幹に浮かび上がったものを見た瞬間。
「ひっ……!?」
木の幹に、人の顔のようなものがあった。
いや、違う。
顔だ。
大きく歪んだ口。ぎょろりと動く目。木の表面から浮き出たような、恐ろしい顔。
その巨大な木が、ゆっくりと二人のほうへ向き直った。
「ぎゃあああああっ!?」
カエデは悲鳴を上げ、その場に尻もちをついた。
「な、なにあれ!? 木!? 木なのに動いてるんだけど!?」
巨大な木の魔物――じんめんじゅが、枝を振り上げた。
カエデは腰が抜けて、すぐには立ち上がれない。
「む、無理無理無理! あんなの聞いてない! 怖い怖い怖い!!」
「……何してるんだ?」
アレルは不思議そうにカエデを一瞥した。
「何してるんだ、じゃないよ! あれ見てよ!!」
「見てる」
アレルは剣を抜いた。
じんめんじゅが枝を振り下ろす。
その攻撃を軽々とかわし、アレルは懐へ踏み込んだ。
剣が閃く。
幹に深い傷が走り、じんめんじゅが不気味なうなり声を上げた。
もう一度、枝が振り回される。
アレルは後ろへ跳んでかわし、着地と同時に斬り返した。
鋭い一撃が魔物を捉える。
大きな体がぐらりと揺れ、じんめんじゅは地面へ倒れ込んだ。
枝が地面を打ち、葉がばさばさと散る。
そして、動かなくなった。
「…………」
カエデは口を開けたまま、呆然とその光景を見ていた。
あんなに恐ろしい魔物を。
アレルは、あっという間に倒してしまった。
「……終わったぞ」
「えっ、もう!?」
「もうって……大した相手じゃなかっただろう」
「大した相手じゃない!?」
カエデは信じられないものを見る目でアレルを見上げた。
「木が動いたんだよ!? 顔があったんだよ!? あんなの普通に怖いでしょ!!」
「魔物なんだから、動くこともあるだろう」
「そういう話じゃないってば!!」
アレルは小さく息を吐いた。
「……騒いでないで、立てるか?」
「た、立てるよ!」
そう言いながらも、カエデは地面に手をついて、どうにか立ち上がった。
膝が少し震えている。
アレルはそれに気づいたが、何も言わなかった。
ただ、倒れたじんめんじゅを確認し、剣を鞘に収める。
「行こう。まだ先がある」
「山道、嫌い……」
カエデはぶつぶつ言いながら、その後を追った。
*
それからしばらく歩いたところで、二人は道の先に荷馬車を見つけた。
馬車の周囲には、数匹の魔物がうろついている。
その前に立っているのは、二人の男だった。
一人は荷馬車の手綱を握り、馬をかばうように立っている。もう一人は少し離れた場所で、魔物に向かって石を投げていた。
「こっちだ、こっち! 荷馬車には近づけさせねえぞ!」
男が石を投げる。
石は魔物の頭に当たり、注意を引いた。
その隙に、もう一人の男が馬を誘導し、荷馬車を道の脇へ移動させようとしている。
「アレル、助けよう!」
カエデが声を上げた。
「ああ!」
二人は駆け出した。
アレルが剣を抜き、魔物の群れへと斬り込む。
襲っていたのは、アニマルゾンビの群れだった。
不気味なうなり声を上げながら、腐臭を漂わせて迫ってくる。
「助太刀する!」
アレルの剣が、先頭のアニマルゾンビを斬り払った。
「おおっ、助かる! こいつら、しつこくてかなわねえ!」
石を投げていた商人が声を上げる。
「そっちの兄ちゃん、剣が使えるのか! なら、正面を頼む!」
「分かった!」
アレルは魔物の動きを見ながら、次々と攻撃をかわしていく。
しかし、アニマルゾンビは一匹ではない。横から別の個体が回り込み、アレルの背後を狙った。
「アレル、後ろ!」
カエデの声が飛ぶ。
アレルは身をひねり、振り向きざまに剣を振るった。
魔物が倒れる。
その間にも、商人は石を投げ続けていた。魔物の注意を引きつけ、アレルが攻撃しやすいように動いている。
「よし、今だ!」
商人の声に合わせて、アレルが踏み込む。
残ったアニマルゾンビも、ほどなくして動かなくなった。
山道に静けさが戻る。
「……ふう」
アレルが剣を下ろす。
カエデもようやく息を吐いた。
「大丈夫ですか?」
荷馬車を守っていた商人が、二人に頭を下げた。
「いやあ、本当に助かった。俺は荷馬車を引いてる商人でね。こっちは相棒だ」
「おう、助かったぜ! 俺も商人だ。まあ、剣を振るうより道具を使うほうが得意だがな」
石を投げていた男が、懐から小袋を取り出して見せた。
「商人……」
カエデは、彼の手元を見た。
「さっきの石、わざと注意を引いていたんですね」
「そういうことだ。相手がこっちを見てくれりゃ、味方が動きやすくなる。商売も戦いも、頭を使わなきゃ損するからな」
男は得意げに笑った。
「俺はダルク。こっちはボルドだ。二人でカザーブまで商品を運んでるところさ」
「俺はアレル。こっちはカエデです」
「よろしくな。……ところで、あんたたちもカザーブへ?」
「はい。これから向かうところです」
カエデが答えると、ボルドは困ったように頭を掻いた。
「なら、よかったら一緒に行かないか? この先も魔物が出るだろうし、人数が多いほうが安全だ」
「俺たちも助かります」
アレルがうなずいた。
こうして二人は、商人たちと一緒に山道を進むことになった。
*
道中、ダルクとボルドは旅慣れた様子で歩いていた。
ボルドは荷馬車の馬を気遣いながら、道の状態を確かめる。ダルクは腰に下げた袋を何度も確認し、必要な道具をすぐ取り出せるようにしていた。
「商人って、そんなに道具を持ち歩くんですね」
カエデが尋ねる。
「そりゃそうさ。商品を運ぶだけが商人の仕事じゃない。旅の途中で何が起きるか分からないからな」
ダルクは袋を軽く叩いた。
「石に、薬草に、煙を出す道具。それから、こいつだ」
彼が取り出したのは、小さな包みだった。
「どくがのこなだ。魔物に使えば、混乱させられることがある」
「そんなものまで……!」
「魔物と正面からやり合うのは、できるだけ避けたいからな。剣がなくても、工夫すりゃ生き残れる」
アレルは黙って聞いていた。
剣で戦うことが当たり前だった彼にとって、商人の戦い方は新鮮だった。
強い武器がなくても、戦況を変える方法はある。
そのことを、ダルクの身のこなしが教えてくれていた。
しかし、山道の旅は、そう簡単には終わらなかった。
少し先へ進んだところで、道の脇から羽音が聞こえてきた。
「……来るぞ!」
ダルクが叫ぶ。
木々の間から、鋭い針を持つキラービーの群れが飛び出してきた。
「うわっ、今度は蜂!?」
カエデが声を上げる。
「キラービーだ! 刺されるなよ!」
ダルクが小袋を取り出した。
キラービーたちは、空中を素早く飛び回りながら、一斉にこちらへ襲いかかってくる。
アレルは剣を構えた。
「カエデ、ボルドさんの近くに!」
「分かった!」
アレルが一匹を斬り落とす。
しかし、残りのキラービーは左右に分かれ、彼の死角から迫ってきた。
「こいつら、速いな……!」
剣を振るっても、すべてを捉えることはできない。
そのとき、ダルクが石を投げた。
「ほら、こっちだ!」
石が地面に当たり、乾いた音を立てる。
一部のキラービーがそちらへ向きを変えた。
ダルクは間髪入れず、どくがのこなを撒く。
粉を浴びたキラービーたちが、ふらつきながら飛び回った。互いの動きを妨げるように、群れの連携が崩れていく。
「今だ、アレル!」
カエデが叫ぶ。
アレルは踏み込み、動きの乱れたキラービーを次々と斬り払った。
だが、その瞬間だった。
別の一匹が、アレルの腕へ飛びついた。
「っ!」
鋭い針が、腕に突き刺さる。
アレルは反射的に剣を振るい、そのキラービーを叩き落とした。
しかし、直後。
「……っ、なんだ……!?」
腕が、急に重くなった。
剣を握る指に力が入らない。
肘から先がしびれ、思うように動かせなくなっていく。
「アレル!?」
カエデが駆け寄ろうとする。
「来るな、まだ……!」
アレルは残った力で剣を構えようとした。
だが、腕が動かない。
キラービーの群れが、再びこちらへ向かってくる。
「くそっ……!」
アレルが歯を食いしばる。
剣を振れないままでは、身を守ることすら難しい。
「カエデ、これを彼に!」
ダルクが叫んだ。
彼は懐から丸い薬草を取り出し、カエデへ向かって投げた。
「まんげつそうだ! 麻痺を治せる! 早く使ってやれ!」
「分かった!」
カエデは受け取ると、アレルのそばへ駆け寄った。
「アレル、腕を見せて!」
「でも、魔物が……!」
「今は腕を治すのが先!」
カエデは、彼の腕に刺さった針の跡を確かめた。皮膚の周囲がわずかに赤くなり、指先はまだ震えている。
「じっとしてて!」
まんげつそうを手に取り、カエデはその薬効を確かめるように、慎重に患部へ塗り込んだ。
アレルは顔をしかめたが、動かずに耐えていた。
「痛む?」
「……いや。大丈夫だ」
「大丈夫って顔じゃないよ……!」
カエデは焦る気持ちを押し込め、薬草を丁寧に塗り広げていく。
やがて、アレルの指がわずかに動いた。
「……動く」
「本当!?」
アレルは手を握り、開いてみせた。
まだ完全ではないが、しびれは少しずつ引いている。
「よし……!」
カエデは安堵しかけた。
しかし、戦いはまだ終わっていない。
「二人とも、まだ来るぞ!」
ボルドの声が響いた。
キラービーの群れが乱れたまま、なおも襲いかかってくる。その後ろから、硬い甲羅を持つぐんたいがにまで姿を現した。
「今度はカニまで!?」
カエデが叫ぶ。
ぐんたいがには、横歩きで道を塞ぐように迫ってきた。硬い甲羅は、剣で簡単に切り裂けそうにはない。
アレルは、動きを取り戻しつつある腕を確かめた。
「……まだいける」
「無理はしないで!」
「分かってる」
アレルは正面から斬り込むのではなく、ぐんたいがにの動きを見ながら距離を取った。
その隙に、ダルクが再び道具を取り出す。
「こいつらは硬いからな! まともに斬ろうとするなよ!」
彼は石を投げて注意を引き、どくがのこなを使ってキラービーの動きをさらに乱す。
ボルドは荷馬車を安全な場所へ誘導しながら、声を張り上げた。
「道を空けろ! 馬車を通すぞ!」
カエデは魔物の動きを見極め、アレルへ声を届ける。
「アレル、ぐんたいがには横から! 正面は甲羅が硬いよ!」
「分かった!」
アレルは横へ回り込み、甲羅の隙を狙って攻撃する。
ダルクが注意を引きつけ、カエデが隙を見つけ、アレルが剣を振るう。
それぞれの動きが、少しずつ噛み合っていった。
やがてキラービーの群れは散り、ぐんたいがにも動かなくなった。
戦いが終わると、アレルは大きく息を吐いた。
「……助かりました。ありがとうございます」
「礼を言うのはこっちだ。あんたたちがいなかったら、荷馬車を守り切れなかったかもしれない」
ダルクは笑い、空になった小袋をしまった。
「それにしても、兄ちゃん。麻痺したときは肝が冷えたぞ」
「……すみません」
「謝ることじゃないさ。旅に危険はつきものだ。大事なのは、ひとりで抱え込まないことだな」
アレルは、その言葉を静かに受け止めた。
隣では、カエデがまだ心配そうに彼の腕を見つめている。
「本当に動く? しびれ、残ってない?」
「ああ。もう大丈夫だ」
「絶対に無理しないでよ」
「分かったって」
アレルは少し困ったように笑った。
カエデはようやく、ほっと息を吐いた。
*
その後も、山道は険しかった。
木々が道を覆い、足元には石が転がっている。荷馬車が通れる場所は限られ、何度も進路を確かめながら歩かなければならなかった。
疲労がたまるたび、四人は短い休憩を挟んだ。
ダルクとボルドは、商人らしく道中の話をしてくれた。どこで商品が売れるか、どの町の宿屋が安いか、どの街道が危険か。
カエデは時折笑い、アレルも短く相槌を打った。
そして、空が夕焼けに染まり始めたころ。
木々の向こうに、家々の屋根が見えた。
「あれが……カザーブ?」
カエデが足を止めた。
山々に囲まれた大きな村。
夕日に照らされた建物からは、煙が立ち上っている。人々の声も、かすかに聞こえてきた。
「そうだ。ようやく着いたな」
ボルドが笑った。
「いやあ、今日は長かった!」
「本当に……」
カエデは、心の底からそう思った。
昨日はさまようよろいとの死闘。
今日はじんめんじゅに腰を抜かし、アニマルゾンビ、キラービー、ぐんたいがにと連戦。
もう、魔物の顔を見るのも嫌だった。
「……早く宿屋に行きたい」
ぽつりとこぼす。
「まずは道具の補充だろう?」
アレルが言う。
「そのあと! まずはベッド! ちゃんとしたベッドで眠りたい!」
「……分かった分かった」
アレルは呆れたように肩をすくめた。
村の入口に着くと、ダルクとボルドは荷馬車を止めた。
「ここまで助かったよ。二人とも、ありがとうな」
ダルクが手を差し出す。
「こちらこそ。二人がいなかったら、もっと苦労していたと思います」
アレルはその手を握った。
「カザーブにはしばらく滞在するつもりだ。もしまた会ったら声をかけてくれ」
「うん! 本当にありがとう!」
カエデも頭を下げた。
二人の商人は笑いながら、荷馬車を引いて村の中へ入っていった。
アレルとカエデも、その後を追うように村へ足を踏み入れる。
夕暮れのカザーブは、旅人や村人たちの声で賑わっていた。
人のいる場所にたどり着いた。
魔物のいない場所で、ようやく休める。
そう思った瞬間、カエデの足から力が抜けた。
「……ベッドだ」
「ん?」
「ベッド……! 幸せ……!」
アレルは、彼女の顔を見てため息をついた。
「まだ宿屋に着いてないぞ」
「分かってる……! でも、ベッド……!」
「……本当に騒がしい奴だな」
そう言いながらも、アレルは歩く速度を少しだけ落とした。
二人は村の通りを進み、宿屋の看板を探す。
今日の旅は、ようやく終わろうとしていた。
