DQ3 夜明けの果てに君と

旅の扉を抜けた瞬間、カエデの視界が青白い光に包まれた。

「うわっ……!」

 思わず目を閉じる。ふわりと身体が浮き上がるような感覚のあと、足元に確かな地面の感触が戻ってきた。

 恐る恐る目を開けると、そこには見知らぬ景色が広がっていた。

 草原を渡る風。遠くに連なる山々。道の先には、どこまでも続く平原が広がっている。

「……着いた、のかな?」

「ああ。どうやら、無事に抜けられたみたいだな」

 アレルは周囲を見渡し、腰の剣に手を添えた。

 見通しのいい場所ではあるが、魔物がいないとは限らない。彼はいつもどおり、警戒を怠らなかった。

「ロマリアは、この先か?」

「うん。こっちに進めば、たどり着けるはず」

 カエデは道の先を見つめた。

 頭の中には、かつて何度も冒険した世界の景色が浮かんでいる。

 けれど、実際に自分の足で歩くこの世界は、画面越しに見ていたものとはまるで違う。

 風の匂いも、草を踏む感触も、頬を撫でる空気も。

 すべてが本物だった。

「よし。あまりのんびりしていると日が暮れる。行こう」

「うん!」

 二人は街道に沿って歩き始めた。

     *

 しばらく進んだところで、草むらががさりと揺れた。

 カエデが足を止める。

「……アレル、あそこ!」

 草むらから飛び出してきたのは、青い身体をぷるぷると揺らす魔物だった。

 スライム。

 その後ろから、長い耳と鋭い角を持つウサギのような魔物が姿を現した。

 アルミラージだ。

 角が二人に向けられる。

「来るぞ」

 アレルが剣を抜いた。

 次の瞬間、アルミラージが地面を蹴った。

 一直線に迫る突進。

 しかし、アレルは慌てなかった。

 身体をわずかに横へずらし、角を紙一重でかわす。そのまま魔物の横をすり抜けざま、剣を振り抜いた。

 アルミラージの身体が地面に崩れ落ちる。

 あまりにも鮮やかな一撃だった。

「えっ……」

 カエデが目を丸くしている間に、残ったスライムたちが一斉に跳ねてくる。

 アレルは一歩踏み込み、迫る魔物を次々と斬り払った。

 剣が閃くたび、スライムたちが地面へ落ちていく。

 やがて、草原には再び静けさが戻った。

 アレルは剣を鞘に収め、何事もなかったかのように振り返った。

「大丈夫か?」

「……う、うん」

「ならよかった。怪我はないな?」

「ないけど……」

 カエデは倒れた魔物とアレルを交互に見た。

「……今ので終わり?」

「そうだけど?」

「そ、そっか……」

 思わず、まじまじとアレルの顔を見つめてしまう。

 アルミラージの突進は侮れない。油断すれば、あの角で身体を貫かれてもおかしくないのだ。

 それなのに、アレルは攻撃の軌道を見切り、最小限の動きでかわして、一撃で仕留めてしまった。

 迷いも、無駄もない。

 これが、勇者として旅を続けている人の戦い方なのだろうか。

「……アレルって、すごく強いんだね」

 素直な感想が口からこぼれた。

 アレルは少し意外そうに瞬きをした。

「なんだ、今さら」

「いや、だって……!」

 反射的に言い返しかけて、カエデは口をつぐんだ。

 もちろん、これまでにも頼もしいと思う場面はあった。

 けれど、実際に目の前で魔物を倒す姿を見ると、改めてその実力を思い知らされる。

「……なんでもない」

「変なやつだな」

 アレルは小さく笑い、再び街道へ目を向けた。

「行こう。まだ先は長い」

「うん!」

 カエデは慌てて、その背中を追いかけた。

 その後も、道中では何度か魔物に遭遇した。

 スライムの群れも、突進してくるアルミラージも、アレルは落ち着いて対処した。

 カエデが危険を知らせようと口を開くころには、すでに勝負がついていることさえあった。

 戦いのたびに、アレルの剣さばきは無駄がない。

 敵の動きを見て、わずかな隙を逃さず、確実に仕留める。

 まるで、どんな魔物が現れても動じないかのようだった。

 もちろん、旅が楽になったわけではない。

 道は長く、歩き続ければ足も疲れる。それでも、隣を歩くアレルの背中は頼もしかった。

 そして、空がすっかり暗くなったころ。

 二人はついに、その街へたどり着いた。

     *

「…………わあ」

 カエデの足が、ぴたりと止まった。

 目の前に広がっていたのは、今まで通ってきた村々とは比べものにならないほど大きな城下町だった。

 石造りの建物が並ぶ街路。夜でも人通りの絶えない広場。窓からこぼれる暖かな明かり。

 そして、その街の奥にそびえる壮麗な城。

 高く伸びる塔が夜空に突き出し、白い城壁は月の光を受けて淡く輝いていた。

 頭上には、見事な月が浮かんでいる。

 雲の少ない夜空に、まんまるな月が静かに輝いていた。

 その月明かりが、ロマリアの街並みを優しく照らしている。

「……ここが、ロマリア……」

 カエデは息を呑んだ。

 疲れなんて、いつの間にかどこかへ消えていた。

 ここまで歩いてきた足の痛みも、旅の不安も、ほんの少しだけ忘れてしまう。

 ただ、目の前の景色が美しかった。

 知っているはずの場所なのに。

 何度も画面越しに見たはずの街なのに。

 実際にそこへ立つと、こんなにも違うのか。

 月明かりの下にそびえる城は、画面の中で見たときよりずっと大きく、荘厳だった。

 石畳を歩く人々の足音。どこかの店から聞こえてくる笑い声。夜風に乗って漂う、料理のいい匂い。

 そのすべてが、カエデの心をいっぱいにした。

「……おい」

「…………」

「カエデ?」

「……えっ、あっ、なに!?」

 呼ばれて、カエデははっと我に返った。

 アレルが少し不思議そうにこちらを見ている。

「どうしたんだ。急に立ち止まって」

「いや、その……すごく綺麗だなって!」

 カエデは慌てて城を指さした。

「ほら、あのお城! 月もすごく綺麗だし、街も明るいし……!」

 言いながら、また城を見上げてしまう。

 アレルもつられるように視線を上げた。

「……確かに、綺麗な月だな」

「でしょ!?」

「城の話じゃなかったのか?」

「お城も綺麗なの!」

 あまりにも勢いよく答えてしまい、カエデは自分でも少し恥ずかしくなった。

 アレルは一瞬きょとんとしたあと、小さく笑った。

「分かった、分かった。……でも、そろそろ宿を探そう。さすがに疲れただろ」

「……あ」

 言われて初めて、自分が疲れていたことを思い出した。

「そ、そうだった……」

「夢中になりすぎだ」

「だって、こんな景色を見たら……!」

 言いかけて、カエデは口を閉じた。

 こんな景色を見たら、感動するに決まっている。

 そう言えばいいだけなのに、胸の奥にある思いをうまく言葉にできなかった。

 アレルはそれ以上追及せず、街の中へ歩き始めた。

「ほら、行くぞ」

「うん!」

 カエデは最後にもう一度、月明かりに照らされた城を振り返った。

 その美しさを忘れないように、目に焼きつけてから、アレルの後を追った。

     *

 宿屋を見つけたころには、夜もずいぶん更けていた。

 二人は荷物を預け、食堂で夕食をとることにした。

 温かい料理を口に運ぶと、ようやく身体の疲れが戻ってくる。

「……おいしい」

 カエデはほっと息をついた。

「今日はずいぶん歩いたからな」

「うん。……でも、ロマリアに来られてよかった」

「まだ着いたばかりだぞ」

「それでも!」

 思わず身を乗り出すカエデに、アレルは少しだけ目を丸くした。

「……そんなに気に入ったのか?」

「うん!」

 カエデは迷わず頷いた。

 その勢いに、アレルは小さく笑った。

「なら、明日は街を見て回る時間も作るか」

「本当!?」

「時間があればな」

「やった!」

 思わず声を弾ませてしまい、カエデは慌てて周囲を見た。

 近くの客がちらりとこちらを見ていたので、少しだけ恥ずかしくなる。

 そんな二人の耳に、隣の卓から話し声が届いた。

「聞いたか? ロマリアの王様が、ずいぶん困っているらしいぞ」

「王様が?」

「ああ。大切な冠を盗賊に奪われたんだと」

 カエデの手が止まった。

「冠を?」

「そうだ。金の冠だそうだ。国の宝だって話じゃないか」

「そいつは大変だな……」

 男たちは声を潜めるようにして話を続けた。

「盗んだのは、カンダタとかいう盗賊らしい」

 その名前を聞いた瞬間、カエデの胸が小さく跳ねた。

 カンダタ。

 思わず反応しそうになったが、カエデはすぐに視線を食事へ戻した。

 知っている。

 その名前も、金の冠のことも。

 けれど、それを口にするわけにはいかない。

「……カエデ?」

 向かいからアレルの声がした。

「えっ?」

「どうかしたのか? 急に黙ったけど」

「う、ううん。なんでもないよ」

 カエデはできるだけ自然に笑った。

「ただ、冠を盗まれるなんて大変だなって思って」

「そうだな」

 アレルは少し考えるように視線を落とした。

「王様も困っているだろう。国の宝なら、取り戻したいはずだ」

 彼はそれ以上、何も言わなかった。

 けれど、カエデには分かった。

 アレルは、こういう話を聞き流せる人ではない。

 困っている人がいれば、きっと放っておけない。

 カエデは食事を続けながら、そっと息を吐いた。

 ――いよいよ、カンダタの事件が始まる。

 そんな考えが頭をよぎったことは、誰にも気づかれなかった。

     *

 翌朝。

 朝食を済ませた二人は、宿屋を出てロマリア城へ向かった。

 朝日に照らされた城は、昨夜とはまた違った美しさを見せていた。

 白く輝く壁。高くそびえる塔。門の前を行き交う兵士たち。

 カエデはまたしても、思わず見上げてしまった。

「……何度見ても、すごいなあ」

「昨日から、そればかりだな」

「本当に綺麗なんだから!」

「はいはい」

 アレルは軽く肩をすくめたが、特に急かすことはなかった。

 やがて二人は城の門をくぐった。

 城内には兵士たちが行き交い、訪れた者たちがそれぞれの用事を済ませようとしていた。

 アレルは近くの兵士に声をかけた。

「すみません。王様にお目通りを願いたいのですが」

「陛下に? 何か用件があるのか?」

「昨夜、金の冠が盗まれたという話を聞きました。詳しい事情を伺いたいのです」

 兵士は二人を見比べたあと、少し表情を改めた。

「……なるほど。その件か。少し待っていろ」

 兵士が奥へと向かう。

 その背中を見送りながら、カエデはアレルの横顔を見た。

「……本当に聞きに来たんだね」

「困っている人がいるなら、話くらい聞いておきたいだろ」

 アレルは当たり前のことのように答えた。

 カエデは小さく頷いた。

 やがて、二人を案内する兵士が戻ってきた。

「陛下がお会いになるそうだ。こちらへ」

 二人は案内に従って城の奥へと進んでいった。

     *

 広々とした謁見の間。

 磨き上げられた床の向こうに、立派な玉座が据えられていた。

 そこに座っていたのは、ロマリアの王だった。

 アレルは玉座の前まで進み、礼を取った。カエデもそれにならって頭を下げる。

「陛下。お目通りをお許しいただき、ありがとうございます」

「うむ。そなたたちが、冠の件について話を聞きたいと申した者たちか」

「はい。昨夜、城下町で話を耳にしました。大切な冠を盗賊に奪われたと」

 王の表情に、わずかな陰りが差した。

「そのとおりじゃ。盗賊カンダタめに、わしの大切な金の冠を奪われてしまったのだ」

「カンダタ……」

 アレルはその名を繰り返した。

「その盗賊は、どこへ逃げたのでしょうか?」

「シャンパーニの塔じゃ。ロマリアから北西へ進んだ先にある塔を、奴らの根城にしているという情報が入っておる」

 王は深く息を吐いた。

「国の宝を盗まれたままでは、王として面目が立たぬ。なんとしても取り戻したいのだが……奴らは手強い盗賊団らしい」

「それで、冠を取り戻してくれる者を探しているのですね」

「うむ。そなたたち、もし力を貸してくれるのならば、カンダタを追い、冠を取り戻してきてはくれぬか?」

 アレルはすぐには答えず、王の顔をまっすぐに見つめた。

 盗賊団の規模も、相手の実力も、まだ分からない。

 だが、国の宝を奪われて困っている人がいる。その事実は変わらなかった。

「……分かりました。まずは情報を集め、カンダタの居場所を確かめます」

「おお、引き受けてくれるか!」

「ただ、無謀に突っ込むつもりはありません。相手の人数や、塔の様子次第では引き返します。」

 王は満足そうに頷いた。

「賢明な判断じゃ。勇気と無謀は違うからのう」

 その言葉に、アレルは静かに頭を下げた。

「ひとつ、伺ってもよろしいでしょうか」

「なんじゃ?」

「シャンパーニの塔までは、どれくらいかかりますか?」

 王は近くに控えていた兵士へ目を向け、それから答えた。

「徒歩で向かうなら、三日は見ておいたほうがよい。道中には魔物も出る。準備もなしに出立するのは勧められぬ」

「三日……」

 アレルは思案するように呟いた。

 カエデも黙って耳を傾ける。

「そこでじゃ。まずは北にあるカザーブの村へ向かうとよい。旅人が立ち寄る村で、食料や道具を補充することもできよう。そこで一度、旅の支度を整えてから塔を目指すのじゃ」

「北のカザーブ、ですね」

「そうじゃ。急ぐ気持ちは分かるが、長い道のりになる。準備を怠るでないぞ」

「ありがとうございます。そうさせていただきます」

 アレルは深く一礼した。

 そのとき、謁見の間の端に控えていた兵士が、ふと思い出したように口を開いた。

「陛下。街道のことも、お伝えしておいたほうがよろしいかと」

「街道?」

「はい。最近、ロマリア街道を通った旅人たちが、妙な話をしておりまして……」

 兵士は声を少し落とした。

「鎧をまとった魔物が街道に現れるそうです。まるで生きた騎士のように剣を振るい、旅人を襲うとか」

 カエデの胸が、どくんと鳴った。

 鎧をまとった魔物。

 剣を振るう騎士のような敵。

 その姿が、頭の中に浮かぶ。

 ――さまようよろい。

 けれど、カエデは表情を変えないように気をつけた。

「その魔物は、どれほど強いのですか?」

 アレルが尋ねる。

「実際に戦って生き延びた者の話では、並の魔物とは比べものにならないそうです。剣の一撃も重く、まともに受ければ大怪我をしかねないとか」

「……なるほど」

 アレルは真剣な顔で頷いた。

「カザーブへ向かう途中で遭遇する可能性がある、ということですね」

「ええ。もちろん、噂だけで姿を見た者も限られています。ですが、用心するに越したことはありません」

 王は二人を見渡した。

「道中、くれぐれも気をつけるのじゃ。冠を取り戻してくれるのなら、そなたたちが無事に戻ることも大切なのだからな」

「はい。ご忠告、ありがとうございます」

 アレルは再び礼をした。

 カエデもそれにならい、頭を下げた。

     *

 城を出た二人は、街の広場を歩いていた。

 朝のロマリアは活気に満ちている。店先では商人たちが品物を並べ、通りには荷物を運ぶ人々の姿があった。

 けれど、アレルの表情は真剣なままだった。

「カザーブまで進んで、そこで準備を整える。シャンパーニの塔へ行くのは、そのあとだな」

「うん。三日も歩くなら、食料もちゃんと用意しないとね」

「ああ。それに……」

 アレルは腰の剣に目を落とした。

「さまようよろい、か」

 その名を口にする声に、警戒がにじむ。

「そんなに強いのかな?」

「話を聞く限り、油断できる相手じゃない。鎧をまとっているなら、剣も通りにくいかもしれないしな」

 カエデは、思わず黙り込んだ。

 知っている。

 さまようよろいがどんな魔物なのか。

 その硬い守りも、強烈な攻撃も、序盤では決して侮れない相手だということも。

 けれど、知っているからといって、すべてを簡単に乗り越えられるわけではない。

 この世界では、攻撃を受ければ痛い。傷を負えば血が流れる。

 画面の向こうで何度も戦った相手が、今度は本当に目の前に現れるのだ。

「……アレル」

「ん?」

「その魔物に会ったら、無理はしないでね」

 アレルは少し意外そうにカエデを見た。

「分かってる。相手の動きを見てから判断するさ」

「……うん」

「心配してくれてるのか?」

「そ、それは……! だって、強い魔物なんでしょ?」

「そうだな」

 アレルは剣の柄を軽く確かめた。

「だからこそ、油断はしない」

 その言葉には、勇者としての落ち着いた覚悟があった。

 カエデは小さく頷いた。

 まだ、さまようよろいの姿を見たわけではない。

 それでも、これから先の旅が少しずつ厳しくなっていくことを、彼女は感じていた。

「よし。まずは道具屋へ行こう。カザーブまでの準備を整えないとな」

「うん」

 二人は人通りの多い通りを歩き始めた。

 月明かりに感動したロマリアの夜は、もう過ぎ去った。

 これから待っているのは、長い街道と、強力な魔物たち。

 そして、その先にはカンダタの待つシャンパーニの塔がある。

 アレルは前を見据え、カエデもその隣を歩いた。

 次の目的地は、北の村カザーブ。

 二人の冒険は、また一歩先へと進んでいく。
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