DQ3 夜明けの果てに君と
レーベの夜は、静かに更けていった。
宿屋の小さな部屋で、カエデはベッドに腰掛け、窓の外を眺めていた。
今日一日で、いろいろなことがあった。
ナジミの塔でモンスターと戦い、とうぞくのかぎを手に入れた。そして、レーベでまほうのたまを受け取った。
少しずつ、旅が進んでいる。
けれど、画面越しに見ていた冒険と、実際に自分が体験する冒険はまるで違った。
剣が石壁を打つ音も、モンスターの動きも、戦闘が終わったあとの疲労も、すべて現実のものだ。
「……明日も、頑張らないとな」
カエデは小さく呟き、ベッドに横になった。
* * *
翌朝。
身支度を整えた二人は、宿屋を出た。
「準備はいいか?」
「うん。忘れ物もないよ」
「なら、行こう。いざないの洞窟を抜ければ、次の大陸へ向かえるはずだ」
アレルは村の外へ続く道に目を向けた。
カエデもその視線を追う。
その先にあるのは、いざないの洞窟。
そして、その向こうにある国――ロマリア。
カエデは気持ちを引き締め、アレルの後に続いた。
* * *
レーベの東へ進むにつれ、草原は徐々に険しい地形へと変わっていった。
風が草を揺らし、遠くで鳥の鳴き声が響いている。
平和な景色だった。
しかし、カエデは油断せず、周囲を見回していた。
そのとき、前方の草むらががさがさと揺れた。
「アレル、何かいる!」
アレルはすぐに足を止め、剣の柄に手を掛けた。
草むらから飛び出してきたのは、ウサギのような姿をしたモンスターだった。
額には、鋭く尖った一本の角が生えている。
「いっかくうさぎ……!」
思わず名前を口にしたカエデに、アレルがちらりと視線を向けた。
「知っているのか?」
「えっ? ええっと、角のあるウサギだから……そう呼んでみただけ!」
「……なるほど」
アレルは少し不思議そうにしたものの、それ以上は追及せず、敵へ向き直った。
いっかくうさぎが地面を蹴る。
次の瞬間、一直線にアレルへ突進してきた。
「速いな!」
アレルは横へ飛び退き、角による攻撃をかわした。
いっかくうさぎは勢いを殺しきれず、少し離れた場所で向きを変える。
「アレル、正面から受けないで! 突っ込んでくるところを避けて!」
「わかった!」
いっかくうさぎが再び地面を蹴った。
アレルは相手の動きを見極め、直前で身をひねる。
角がすぐ脇を通り過ぎた。
その隙を逃さず、アレルの剣がいっかくうさぎを捉える。
モンスターはよろめいたが、まだ倒れない。
すぐさま体勢を立て直し、再び突進の構えを取った。
「また来るよ!」
カエデの声に、アレルは剣を構え直した。
今度は相手の動きを見ながら、無理に距離を詰めようとはしない。
いっかくうさぎが飛び出した瞬間、アレルは攻撃をかわし、すれ違いざまに剣を振るった。
いっかくうさぎは地面に倒れ、そのまま光となって消えた。
戦闘が終わる。
アレルは剣を収め、周囲にほかのモンスターがいないことを確認した。
「突進が厄介な相手だったな」
「うん。まともに受けたら危なかったと思う」
「お前の声がなかったら、避けるのが遅れていたかもしれない」
「見ていたら、わかっただけだよ」
カエデはそう答えた。
実際には、相手の行動を知っていたからこそ、動きを予測できたのだ。
しかし、知識があっても、実際に戦うのはアレルである。
彼が相手の動きを見極め、攻撃をかわしてくれなければ、カエデの助言も役には立たない。
「先へ進もう。洞窟までは、もう少しのはずだ」
「うん!」
二人は再び歩き始めた。
* * *
しばらく進むと、岩山の麓に大きな洞窟が見えてきた。
入り口は暗く、その奥から冷たい風が吹き出している。
「ここが、いざないの洞窟……」
カエデは入り口を見上げた。
知っている場所だ。
けれど、実際に目の前にすると、ゲームの画面で見ていたときとは印象が違う。
暗闇の向こうに何がいるのか。
どこからモンスターが現れるのか。
すべてを知っているつもりでも、身体には自然と緊張が走った。
「カエデ」
「なに?」
「これを返しておく」
アレルが荷物から取り出したものを見て、カエデは目を丸くした。
「……あっ、ブーメラン!」
ナジミの塔で手に入れたものの、練習中に投げてアレルに当たりかけたため、没収されていた武器だった。
「ここから先は、またモンスターが出てくる。自分の身を守る手段はあった方がいいだろう」
アレルはブーメランを差し出した。
カエデは両手で受け取る。
「ありがとう!」
「ただし、使うときは周囲をよく確認しろ。また俺に当たりそうになったら危ないからな」
「はい……」
カエデは素直に頷いた。
前回の失敗を思い出すと、反論できない。
「今度はちゃんと使ってみせるから!」
「まずは、まともに狙えるようになってからだな」
「うっ……。それはそうだけど」
アレルはそれ以上何も言わず、洞窟へ視線を戻した。
「行くぞ」
「うん」
二人は武器を確かめ、暗い入り口へと足を踏み入れた。
* * *
洞窟の地下1階は、ひんやりとしていた。
天井から垂れた水滴が、石床に落ちて小さな音を立てている。壁にはところどころ苔が生え、足元は湿って滑りやすかった。
「足元に気をつけろ。滑るぞ」
「わかった」
カエデは慎重に歩を進めた。
そのとき、前方の岩陰から小さな影が飛び出してきた。
続いて、もう一匹。
さらに一匹。
「さそりばち……!」
鋭い針を持ったモンスターが、羽音を立てながら二人の周囲を飛び回る。
「数が多いな……!」
アレルが剣を構えた。
さそりばちは一斉に距離を詰めてくる。
「アレル、針に気をつけて! 刺されたら危ないよ!」
「わかっている!」
一匹がアレルの側面へ回り込んだ。
アレルは剣を振って追い払おうとするが、さそりばちは素早く上昇し、刃をかわす。
「飛び回っていて、狙いにくい……!」
「無理に追いかけないで! 近づいてきたところを狙って!」
カエデの声を聞き、アレルは剣を構え直した。
さそりばちが再び接近してくる。
アレルは動きを見定め、攻撃が届く距離に入った瞬間、剣を振り抜いた。
一匹が床に落ちる。
別のさそりばちが、すかさずカエデの方へ向かった。
「ひゃっ……!」
カエデは身をすくめながらも、ブーメランを握り直した。
まだ慣れていない。
狙いを外せば、思わぬ方向へ飛んでいくかもしれない。
それでも、何もしないわけにはいかなかった。
「それっ!」
カエデがブーメランを投げる。
弧を描いた武器が、さそりばちの体に当たった。
「当たった!」
さそりばちが体勢を崩す。
その隙に、アレルが別の一匹を斬り伏せた。
残ったモンスターも、二人の攻撃を受けて次々に倒れていく。
最後の一匹が光となって消え、ようやく羽音が止んだ。
「……終わった?」
「ああ。もういないようだ」
アレルは剣を収めた。
カエデはブーメランを拾い上げ、傷や汚れがないか確認する。
「今の、ちゃんと当たったよ!」
「見ていた。だが、投げたあとの動きにも気をつけろよ」
「うん。戻ってくるときも、ちゃんと確認する」
「それならいい」
アレルは先へ進むよう促した。
カエデはブーメランを握り直し、その後に続いた。
* * *
しばらく進むと、通路を塞ぐように積まれた壁が現れた。
「……行き止まりか?」
アレルが壁に手を触れる。
石を積み上げたような壁は、通路を完全に塞いでいた。
カエデは、アレルの荷物へ視線を向けた。
「ねえ、まほうのたまを使うんじゃないかな?」
「これを使えば、この壁を壊せるのか?」
「たぶん。ここを通るには、それしかないと思う」
アレルは荷物からまほうのたまを取り出した。
壁の前に慎重に置き、二人は十分な距離を取る。
「離れていろ」
「うん!」
やがて、洞窟内に大きな爆発音が響いた。
轟音とともに壁が崩れ、石片が床へ散らばる。
もうもうと立ち込める土煙が、少しずつ薄れていった。
その向こうには、新たな通路が続いていた。
「……開いた!」
カエデが声を上げる。
アレルは崩れた壁を確かめ、先へ進めることを確認した。
「これで、奥へ行けるな」
「うん。気をつけて進もう」
二人は再び歩き始めた。
壁の先には、さらに下へ続く階段があった。
* * *
階段を下り、地下二階へ。
そこは地下1階よりも天井が低く、通路も狭かった。
壁の凹凸が影を作り、奥の様子が見えにくい。
カエデは慎重に周囲を見回した。
そのとき、前方から何かが這い寄ってくる音が聞こえた。
「……え?」
緑色の大きな芋虫のようなモンスターが、一匹、暗がりから姿を現した。
さらに、もう一匹。
そして三匹目が、横の通路から現れる。
「キャタピラー……! 三体もいる!」
アレルが剣を構えた。
「挟まれたか……!」
キャタピラーたちは、じりじりと距離を詰めてくる。
狭い通路では、三体の動きを同時に把握するのは難しい。
カエデはブーメランを握る手に力を込めた。
怖い。
頭では知っているモンスターでも、実際に目の前から迫ってくると、その大きさと不気味な動きに身体が強張った。
それでも、黙っているわけにはいかない。
「アレル、前の一体が近づいてる! 後ろにも気をつけて!」
「わかった!」
アレルは正面のキャタピラーへ向き直り、剣を振るった。
刃が硬い体表を打つ。
キャタピラーは怯んだものの、すぐに体勢を立て直した。
「硬い……!」
「無理に正面から押し切らないで! 動きが止まったところを狙って!」
カエデは後ろの二体にも目を配りながら、必死に声を上げた。
一体が身体を丸め、アレルへ突進する。
アレルはそれをかわし、体勢を崩したキャタピラーへ剣を振り下ろした。
その間に、残る一体が側面から迫る。
「右! アレル、右!」
アレルは反応した。
だが、正面の一体を警戒した一瞬の隙を、もう一体が見逃さなかった。
キャタピラーが死角から体当たりを仕掛ける。
「くっ――!」
アレルが振り返る。
しかし、避けるにはわずかに遅い。
「アレル!」
考えるより先に、カエデの腕が動いていた。
ブーメランが飛ぶ。
回転しながら飛んだ武器が、アレルに迫っていたキャタピラーの体にぶつかった。
攻撃の軌道がわずかに逸れる。
その一瞬を使い、アレルは身をひねって体当たりをかわした。
「助かった!」
「まだ来るよ! 気をつけて!」
カエデの声が通路に響く。
アレルはすぐに剣を構え直した。
だが、ブーメランを投げたことで、カエデ自身の手元には武器がない。
しかも、彼女へ向かっていたキャタピラーが、今度は標的を変えたように接近してきていた。
「えっ、ちょっと……!」
カエデは後ずさった。
背後にも、別のキャタピラーが迫っている。
左右を見ても、逃げられる場所がない。
「カエデ、下がるな! そこは――!」
アレルの声が響いた。
しかし、間に合わなかった。
カエデの踵が、床の端を踏み外す。
「……え?」
足元が消えた。
身体がぐらりと傾き、視界が一気に崩れる。
「きゃあああっ!」
カエデは、そのまま暗闇へと落ちていった。
「カエデ!」
アレルの叫びが、洞窟内に反響した。
* * *
地下三階。
カエデは石床に転がるように落ちた。
「いったぁ……!」
全身に鈍い痛みが走る。
幸い、致命的な怪我はなさそうだった。カエデは顔をしかめながらも、どうにか身体を起こす。
「……ここ、地下三階?」
周囲を見回す。
正規の進行ルートから外れた場所に落ちてしまったらしい。
そのとき、近くの暗がりで物音がした。
カエデは息を呑む。
岩陰から、キャタピラーが姿を現した。
「うそ……まだいるの!?」
別の方向からも、這いずる音が聞こえる。
カエデは急いで立ち上がろうとしたが、落下の衝撃で足がもつれた。
キャタピラーが迫る。
その瞬間、上から声が響いた。
「カエデ!」
「アレル!?」
次の瞬間、アレルが飛び降りてきた。
着地すると同時に剣を抜き、カエデの前へ立つ。
「怪我はないか!」
「う、うん! ちょっと痛いけど、大丈夫!」
「なら、下がっていろ!」
キャタピラーが突進してくる。
アレルは正面から受け止めず、横へかわした。
すれ違いざまに剣を振るい、一体を斬りつける。
さらに、別のキャタピラーが背後から迫った。
「後ろ!」
カエデの声に、アレルはすぐに反応する。
身体をひねって攻撃をかわし、返す剣で相手を斬り伏せた。
残る一体も、アレルへ向かって突進する。
アレルは足場を確かめながら攻撃を避け、キャタピラーが方向を変える瞬間を狙った。
剣が閃く。
最後の一体が倒れ、光となって消えた。
静寂が戻る。
アレルはしばらく剣を構えたまま、周囲を警戒していた。
やがて敵の気配がないことを確かめると、剣を下ろす。
「……もう大丈夫だ」
カエデは、ようやく大きく息を吐いた。
「た、助かった……」
「まったく。無事でよかった」
アレルはカエデの足元に目を向けた。
「歩けるか?」
「うん。たぶん」
「なら、無理をするな。戻るぞ」
二人は周囲を確かめながら、近くの通路へ進んだ。
地下三階の道は入り組んでいたが、少し進むと上へ戻れる階段が見つかった。
拍子抜けするほど、あっさりと元の通路へ戻ることができた。
「……よかった。戻れたね」
「ああ。だが、さっきみたいに足元を見失うなよ」
「……はい」
カエデは素直に頷いた。
自分が落ちたせいで、アレルまで危険な場所へ来ることになった。
そのことは、きちんと反省しなければならない。
二人は来た道を慎重に戻り、改めて地下三階へ続く正規の通路を探した。
* * *
やがて、二人は地下三階へと続く階段を下りた。
今度は足元を確かめながら、慎重に進む。
地下三階の通路は、これまでの階とは少し様子が違っていた。
進んだ先で道が三つに分かれている。
左、真ん中、右。
それぞれの道は暗く、先の様子はよく見えなかった。
「三つに分かれているのか……」
アレルは立ち止まり、中央の道を見た。
「真ん中から進んでみよう。ひとまず、道が広そうだ」
「待って!」
カエデは思わず声を上げた。
アレルが振り返る。
「どうした?」
「右の道に行こう」
口にしてから、カエデはしまったと思った。
知っている。
この先の正しい道を。
けれど、それを説明するわけにはいかない。
「……どうして右なんだ?」
当然の疑問だった。
カエデは視線を泳がせ、少しだけ考えるふりをした。
「えっと……勘!」
「勘?」
「うん。なんとなく、右がいい気がするんだよね」
アレルは三つの道を見比べた。
「何か目印があるわけでもないのに?」
「ないけど……。ほら、こういうときって、なんとなくこっちだって思うことない?」
「俺は、根拠のない勘だけで道を選ぶことはあまりないな」
「ですよね……」
カエデは内心で冷や汗をかいた。
やっぱり無理があっただろうか。
アレルはしばらく黙って右の道を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……わかった。今回は、お前の勘を信じてみよう」
「えっ、いいの?」
「ここで迷っても仕方ない。それに、これまでお前の助言に助けられたこともある」
アレルは右の道へ向き直った。
「ただし、危険があればすぐに引き返す。いいな?」
「もちろん!」
カエデはほっと胸を撫で下ろし、彼の後に続いた。
どうにか、ごまかせたらしい。
けれど、アレルはこれまでとは少し違う目で彼女を見ていた。
戦闘中、カエデは敵の動きをよく見ている。
危険を察知するのも早い。
そして今、何の目印もない分かれ道で、迷わず右を選んだ。
偶然かもしれない。
だが、これまでのことを考えると、彼女の勘は思ったほど当てずっぽうでもないのかもしれなかった。
「カエデ」
「なに?」
「もし何か気づいたことがあれば、遠慮せずに言ってくれ」
「……うん。わかった」
カエデは頷いた。
アレルが少しずつ自分の判断を信じてくれている。
それはありがたい。
けれど、彼女が道を知っている理由を知られるわけにはいかなかった。
カエデは胸の内に秘密をしまい込み、前を向いた。
* * *
右の道を進んでいくと、やがて通路の先に不思議な光が見えてきた。
青白い光が渦を巻き、周囲の空気を揺らしている。
「……あれは?」
アレルが慎重に近づく。
カエデには、それが何なのかすぐにわかった。
旅の扉だ。
「ここを通れば、新たな大陸へ行けるんだな」
「うん。そうだと思う」
ゲームで何度も見た光景に、カエデは頷いた。
けれど、実際に目の前にすると、まるで別の世界へ続く入り口のようだった。
ここを抜ければ、次の冒険が始まる。
新しい町。新しい出会い。そして、これまで以上に危険な戦い。
知っているはずの世界なのに、知らないことばかりだった。
「行こう、アレル」
「ああ」
二人は旅の扉へと足を踏み入れた。
青白い光が、二人の姿を包み込む。
こうして、二人は、いざないの洞窟を抜けた。
その先に待つのは、次なる目的地――ロマリア。
新たな冒険が、始まろうとしていた。
宿屋の小さな部屋で、カエデはベッドに腰掛け、窓の外を眺めていた。
今日一日で、いろいろなことがあった。
ナジミの塔でモンスターと戦い、とうぞくのかぎを手に入れた。そして、レーベでまほうのたまを受け取った。
少しずつ、旅が進んでいる。
けれど、画面越しに見ていた冒険と、実際に自分が体験する冒険はまるで違った。
剣が石壁を打つ音も、モンスターの動きも、戦闘が終わったあとの疲労も、すべて現実のものだ。
「……明日も、頑張らないとな」
カエデは小さく呟き、ベッドに横になった。
* * *
翌朝。
身支度を整えた二人は、宿屋を出た。
「準備はいいか?」
「うん。忘れ物もないよ」
「なら、行こう。いざないの洞窟を抜ければ、次の大陸へ向かえるはずだ」
アレルは村の外へ続く道に目を向けた。
カエデもその視線を追う。
その先にあるのは、いざないの洞窟。
そして、その向こうにある国――ロマリア。
カエデは気持ちを引き締め、アレルの後に続いた。
* * *
レーベの東へ進むにつれ、草原は徐々に険しい地形へと変わっていった。
風が草を揺らし、遠くで鳥の鳴き声が響いている。
平和な景色だった。
しかし、カエデは油断せず、周囲を見回していた。
そのとき、前方の草むらががさがさと揺れた。
「アレル、何かいる!」
アレルはすぐに足を止め、剣の柄に手を掛けた。
草むらから飛び出してきたのは、ウサギのような姿をしたモンスターだった。
額には、鋭く尖った一本の角が生えている。
「いっかくうさぎ……!」
思わず名前を口にしたカエデに、アレルがちらりと視線を向けた。
「知っているのか?」
「えっ? ええっと、角のあるウサギだから……そう呼んでみただけ!」
「……なるほど」
アレルは少し不思議そうにしたものの、それ以上は追及せず、敵へ向き直った。
いっかくうさぎが地面を蹴る。
次の瞬間、一直線にアレルへ突進してきた。
「速いな!」
アレルは横へ飛び退き、角による攻撃をかわした。
いっかくうさぎは勢いを殺しきれず、少し離れた場所で向きを変える。
「アレル、正面から受けないで! 突っ込んでくるところを避けて!」
「わかった!」
いっかくうさぎが再び地面を蹴った。
アレルは相手の動きを見極め、直前で身をひねる。
角がすぐ脇を通り過ぎた。
その隙を逃さず、アレルの剣がいっかくうさぎを捉える。
モンスターはよろめいたが、まだ倒れない。
すぐさま体勢を立て直し、再び突進の構えを取った。
「また来るよ!」
カエデの声に、アレルは剣を構え直した。
今度は相手の動きを見ながら、無理に距離を詰めようとはしない。
いっかくうさぎが飛び出した瞬間、アレルは攻撃をかわし、すれ違いざまに剣を振るった。
いっかくうさぎは地面に倒れ、そのまま光となって消えた。
戦闘が終わる。
アレルは剣を収め、周囲にほかのモンスターがいないことを確認した。
「突進が厄介な相手だったな」
「うん。まともに受けたら危なかったと思う」
「お前の声がなかったら、避けるのが遅れていたかもしれない」
「見ていたら、わかっただけだよ」
カエデはそう答えた。
実際には、相手の行動を知っていたからこそ、動きを予測できたのだ。
しかし、知識があっても、実際に戦うのはアレルである。
彼が相手の動きを見極め、攻撃をかわしてくれなければ、カエデの助言も役には立たない。
「先へ進もう。洞窟までは、もう少しのはずだ」
「うん!」
二人は再び歩き始めた。
* * *
しばらく進むと、岩山の麓に大きな洞窟が見えてきた。
入り口は暗く、その奥から冷たい風が吹き出している。
「ここが、いざないの洞窟……」
カエデは入り口を見上げた。
知っている場所だ。
けれど、実際に目の前にすると、ゲームの画面で見ていたときとは印象が違う。
暗闇の向こうに何がいるのか。
どこからモンスターが現れるのか。
すべてを知っているつもりでも、身体には自然と緊張が走った。
「カエデ」
「なに?」
「これを返しておく」
アレルが荷物から取り出したものを見て、カエデは目を丸くした。
「……あっ、ブーメラン!」
ナジミの塔で手に入れたものの、練習中に投げてアレルに当たりかけたため、没収されていた武器だった。
「ここから先は、またモンスターが出てくる。自分の身を守る手段はあった方がいいだろう」
アレルはブーメランを差し出した。
カエデは両手で受け取る。
「ありがとう!」
「ただし、使うときは周囲をよく確認しろ。また俺に当たりそうになったら危ないからな」
「はい……」
カエデは素直に頷いた。
前回の失敗を思い出すと、反論できない。
「今度はちゃんと使ってみせるから!」
「まずは、まともに狙えるようになってからだな」
「うっ……。それはそうだけど」
アレルはそれ以上何も言わず、洞窟へ視線を戻した。
「行くぞ」
「うん」
二人は武器を確かめ、暗い入り口へと足を踏み入れた。
* * *
洞窟の地下1階は、ひんやりとしていた。
天井から垂れた水滴が、石床に落ちて小さな音を立てている。壁にはところどころ苔が生え、足元は湿って滑りやすかった。
「足元に気をつけろ。滑るぞ」
「わかった」
カエデは慎重に歩を進めた。
そのとき、前方の岩陰から小さな影が飛び出してきた。
続いて、もう一匹。
さらに一匹。
「さそりばち……!」
鋭い針を持ったモンスターが、羽音を立てながら二人の周囲を飛び回る。
「数が多いな……!」
アレルが剣を構えた。
さそりばちは一斉に距離を詰めてくる。
「アレル、針に気をつけて! 刺されたら危ないよ!」
「わかっている!」
一匹がアレルの側面へ回り込んだ。
アレルは剣を振って追い払おうとするが、さそりばちは素早く上昇し、刃をかわす。
「飛び回っていて、狙いにくい……!」
「無理に追いかけないで! 近づいてきたところを狙って!」
カエデの声を聞き、アレルは剣を構え直した。
さそりばちが再び接近してくる。
アレルは動きを見定め、攻撃が届く距離に入った瞬間、剣を振り抜いた。
一匹が床に落ちる。
別のさそりばちが、すかさずカエデの方へ向かった。
「ひゃっ……!」
カエデは身をすくめながらも、ブーメランを握り直した。
まだ慣れていない。
狙いを外せば、思わぬ方向へ飛んでいくかもしれない。
それでも、何もしないわけにはいかなかった。
「それっ!」
カエデがブーメランを投げる。
弧を描いた武器が、さそりばちの体に当たった。
「当たった!」
さそりばちが体勢を崩す。
その隙に、アレルが別の一匹を斬り伏せた。
残ったモンスターも、二人の攻撃を受けて次々に倒れていく。
最後の一匹が光となって消え、ようやく羽音が止んだ。
「……終わった?」
「ああ。もういないようだ」
アレルは剣を収めた。
カエデはブーメランを拾い上げ、傷や汚れがないか確認する。
「今の、ちゃんと当たったよ!」
「見ていた。だが、投げたあとの動きにも気をつけろよ」
「うん。戻ってくるときも、ちゃんと確認する」
「それならいい」
アレルは先へ進むよう促した。
カエデはブーメランを握り直し、その後に続いた。
* * *
しばらく進むと、通路を塞ぐように積まれた壁が現れた。
「……行き止まりか?」
アレルが壁に手を触れる。
石を積み上げたような壁は、通路を完全に塞いでいた。
カエデは、アレルの荷物へ視線を向けた。
「ねえ、まほうのたまを使うんじゃないかな?」
「これを使えば、この壁を壊せるのか?」
「たぶん。ここを通るには、それしかないと思う」
アレルは荷物からまほうのたまを取り出した。
壁の前に慎重に置き、二人は十分な距離を取る。
「離れていろ」
「うん!」
やがて、洞窟内に大きな爆発音が響いた。
轟音とともに壁が崩れ、石片が床へ散らばる。
もうもうと立ち込める土煙が、少しずつ薄れていった。
その向こうには、新たな通路が続いていた。
「……開いた!」
カエデが声を上げる。
アレルは崩れた壁を確かめ、先へ進めることを確認した。
「これで、奥へ行けるな」
「うん。気をつけて進もう」
二人は再び歩き始めた。
壁の先には、さらに下へ続く階段があった。
* * *
階段を下り、地下二階へ。
そこは地下1階よりも天井が低く、通路も狭かった。
壁の凹凸が影を作り、奥の様子が見えにくい。
カエデは慎重に周囲を見回した。
そのとき、前方から何かが這い寄ってくる音が聞こえた。
「……え?」
緑色の大きな芋虫のようなモンスターが、一匹、暗がりから姿を現した。
さらに、もう一匹。
そして三匹目が、横の通路から現れる。
「キャタピラー……! 三体もいる!」
アレルが剣を構えた。
「挟まれたか……!」
キャタピラーたちは、じりじりと距離を詰めてくる。
狭い通路では、三体の動きを同時に把握するのは難しい。
カエデはブーメランを握る手に力を込めた。
怖い。
頭では知っているモンスターでも、実際に目の前から迫ってくると、その大きさと不気味な動きに身体が強張った。
それでも、黙っているわけにはいかない。
「アレル、前の一体が近づいてる! 後ろにも気をつけて!」
「わかった!」
アレルは正面のキャタピラーへ向き直り、剣を振るった。
刃が硬い体表を打つ。
キャタピラーは怯んだものの、すぐに体勢を立て直した。
「硬い……!」
「無理に正面から押し切らないで! 動きが止まったところを狙って!」
カエデは後ろの二体にも目を配りながら、必死に声を上げた。
一体が身体を丸め、アレルへ突進する。
アレルはそれをかわし、体勢を崩したキャタピラーへ剣を振り下ろした。
その間に、残る一体が側面から迫る。
「右! アレル、右!」
アレルは反応した。
だが、正面の一体を警戒した一瞬の隙を、もう一体が見逃さなかった。
キャタピラーが死角から体当たりを仕掛ける。
「くっ――!」
アレルが振り返る。
しかし、避けるにはわずかに遅い。
「アレル!」
考えるより先に、カエデの腕が動いていた。
ブーメランが飛ぶ。
回転しながら飛んだ武器が、アレルに迫っていたキャタピラーの体にぶつかった。
攻撃の軌道がわずかに逸れる。
その一瞬を使い、アレルは身をひねって体当たりをかわした。
「助かった!」
「まだ来るよ! 気をつけて!」
カエデの声が通路に響く。
アレルはすぐに剣を構え直した。
だが、ブーメランを投げたことで、カエデ自身の手元には武器がない。
しかも、彼女へ向かっていたキャタピラーが、今度は標的を変えたように接近してきていた。
「えっ、ちょっと……!」
カエデは後ずさった。
背後にも、別のキャタピラーが迫っている。
左右を見ても、逃げられる場所がない。
「カエデ、下がるな! そこは――!」
アレルの声が響いた。
しかし、間に合わなかった。
カエデの踵が、床の端を踏み外す。
「……え?」
足元が消えた。
身体がぐらりと傾き、視界が一気に崩れる。
「きゃあああっ!」
カエデは、そのまま暗闇へと落ちていった。
「カエデ!」
アレルの叫びが、洞窟内に反響した。
* * *
地下三階。
カエデは石床に転がるように落ちた。
「いったぁ……!」
全身に鈍い痛みが走る。
幸い、致命的な怪我はなさそうだった。カエデは顔をしかめながらも、どうにか身体を起こす。
「……ここ、地下三階?」
周囲を見回す。
正規の進行ルートから外れた場所に落ちてしまったらしい。
そのとき、近くの暗がりで物音がした。
カエデは息を呑む。
岩陰から、キャタピラーが姿を現した。
「うそ……まだいるの!?」
別の方向からも、這いずる音が聞こえる。
カエデは急いで立ち上がろうとしたが、落下の衝撃で足がもつれた。
キャタピラーが迫る。
その瞬間、上から声が響いた。
「カエデ!」
「アレル!?」
次の瞬間、アレルが飛び降りてきた。
着地すると同時に剣を抜き、カエデの前へ立つ。
「怪我はないか!」
「う、うん! ちょっと痛いけど、大丈夫!」
「なら、下がっていろ!」
キャタピラーが突進してくる。
アレルは正面から受け止めず、横へかわした。
すれ違いざまに剣を振るい、一体を斬りつける。
さらに、別のキャタピラーが背後から迫った。
「後ろ!」
カエデの声に、アレルはすぐに反応する。
身体をひねって攻撃をかわし、返す剣で相手を斬り伏せた。
残る一体も、アレルへ向かって突進する。
アレルは足場を確かめながら攻撃を避け、キャタピラーが方向を変える瞬間を狙った。
剣が閃く。
最後の一体が倒れ、光となって消えた。
静寂が戻る。
アレルはしばらく剣を構えたまま、周囲を警戒していた。
やがて敵の気配がないことを確かめると、剣を下ろす。
「……もう大丈夫だ」
カエデは、ようやく大きく息を吐いた。
「た、助かった……」
「まったく。無事でよかった」
アレルはカエデの足元に目を向けた。
「歩けるか?」
「うん。たぶん」
「なら、無理をするな。戻るぞ」
二人は周囲を確かめながら、近くの通路へ進んだ。
地下三階の道は入り組んでいたが、少し進むと上へ戻れる階段が見つかった。
拍子抜けするほど、あっさりと元の通路へ戻ることができた。
「……よかった。戻れたね」
「ああ。だが、さっきみたいに足元を見失うなよ」
「……はい」
カエデは素直に頷いた。
自分が落ちたせいで、アレルまで危険な場所へ来ることになった。
そのことは、きちんと反省しなければならない。
二人は来た道を慎重に戻り、改めて地下三階へ続く正規の通路を探した。
* * *
やがて、二人は地下三階へと続く階段を下りた。
今度は足元を確かめながら、慎重に進む。
地下三階の通路は、これまでの階とは少し様子が違っていた。
進んだ先で道が三つに分かれている。
左、真ん中、右。
それぞれの道は暗く、先の様子はよく見えなかった。
「三つに分かれているのか……」
アレルは立ち止まり、中央の道を見た。
「真ん中から進んでみよう。ひとまず、道が広そうだ」
「待って!」
カエデは思わず声を上げた。
アレルが振り返る。
「どうした?」
「右の道に行こう」
口にしてから、カエデはしまったと思った。
知っている。
この先の正しい道を。
けれど、それを説明するわけにはいかない。
「……どうして右なんだ?」
当然の疑問だった。
カエデは視線を泳がせ、少しだけ考えるふりをした。
「えっと……勘!」
「勘?」
「うん。なんとなく、右がいい気がするんだよね」
アレルは三つの道を見比べた。
「何か目印があるわけでもないのに?」
「ないけど……。ほら、こういうときって、なんとなくこっちだって思うことない?」
「俺は、根拠のない勘だけで道を選ぶことはあまりないな」
「ですよね……」
カエデは内心で冷や汗をかいた。
やっぱり無理があっただろうか。
アレルはしばらく黙って右の道を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……わかった。今回は、お前の勘を信じてみよう」
「えっ、いいの?」
「ここで迷っても仕方ない。それに、これまでお前の助言に助けられたこともある」
アレルは右の道へ向き直った。
「ただし、危険があればすぐに引き返す。いいな?」
「もちろん!」
カエデはほっと胸を撫で下ろし、彼の後に続いた。
どうにか、ごまかせたらしい。
けれど、アレルはこれまでとは少し違う目で彼女を見ていた。
戦闘中、カエデは敵の動きをよく見ている。
危険を察知するのも早い。
そして今、何の目印もない分かれ道で、迷わず右を選んだ。
偶然かもしれない。
だが、これまでのことを考えると、彼女の勘は思ったほど当てずっぽうでもないのかもしれなかった。
「カエデ」
「なに?」
「もし何か気づいたことがあれば、遠慮せずに言ってくれ」
「……うん。わかった」
カエデは頷いた。
アレルが少しずつ自分の判断を信じてくれている。
それはありがたい。
けれど、彼女が道を知っている理由を知られるわけにはいかなかった。
カエデは胸の内に秘密をしまい込み、前を向いた。
* * *
右の道を進んでいくと、やがて通路の先に不思議な光が見えてきた。
青白い光が渦を巻き、周囲の空気を揺らしている。
「……あれは?」
アレルが慎重に近づく。
カエデには、それが何なのかすぐにわかった。
旅の扉だ。
「ここを通れば、新たな大陸へ行けるんだな」
「うん。そうだと思う」
ゲームで何度も見た光景に、カエデは頷いた。
けれど、実際に目の前にすると、まるで別の世界へ続く入り口のようだった。
ここを抜ければ、次の冒険が始まる。
新しい町。新しい出会い。そして、これまで以上に危険な戦い。
知っているはずの世界なのに、知らないことばかりだった。
「行こう、アレル」
「ああ」
二人は旅の扉へと足を踏み入れた。
青白い光が、二人の姿を包み込む。
こうして、二人は、いざないの洞窟を抜けた。
その先に待つのは、次なる目的地――ロマリア。
新たな冒険が、始まろうとしていた。
