DQ3 夜明けの果てに君と
「……朝だぞ、カエデ」
「…………んー……」
「起きろ。そろそろ出発するぞ」
「あと五分……」
「昨日、俺についてくると言った時はあんなに元気だったのにな」
「昨日の私と今日の私は別人なの……」
「そういう問題じゃないだろ」
宿屋の一室に、呆れたような声が響いた。
窓から差し込む朝の光は明るく、外からは人々の話し声や、荷車が石畳を走る音が聞こえてくる。
レーベの村は、すでに一日の始まりを迎えていた。
一方、ベッドの上では、カエデが毛布にくるまったまま動こうとしない。
昨日、アリアハンを出て初めての旅を経験したばかりなのだ。慣れない道を歩き、モンスターと遭遇し、知らない土地で一晩を過ごした。
体が疲れているのも無理はなかった。
けれど、窓際で旅支度を整えているアレルは、もうすっかり準備万端だ。
赤いマントを肩に掛け、腰の剣を確かめ、荷物の紐を締め直している。
「……本当に起きないつもりか?」
「起きてるよぉ……。目を閉じてるだけ……」
「それを寝ていると言うんだ」
「違うの……。これは、起きるための力をためているの……」
「……そうか」
アレルはしばらくカエデを見つめたあと、静かに息を吐いた。
「じゃあ、先に宿を出るぞ」
「えっ!?」
毛布が勢いよく跳ね上がった。
「待って待って! 起きる! 起きます! 置いていかないで!」
「最初からそうすればよかっただろ」
「だって、昨日いっぱい歩いたんだもん……!」
「わかってる。だから、無理のないように歩こう」
その言葉に、カエデは少しだけ目を丸くした。
からかわれると思っていたのに、アレルはいつもの落ち着いた顔でそう言っただけだった。
「……うん!」
カエデは慌ててベッドから降りる。
よろけそうになった足を踏み直し、制服の裾を整えると、鞄を肩に掛けた。
「よし! 今日も頑張るぞー!」
「……さっきまで起きられなかった人とは思えないな」
「もう完全復活です!」
「それならいいけどな」
アレルは小さく笑い、扉を開けた。
二人は宿屋を出て、朝のレーベへと歩き出した。
* * *
レーベは、アリアハンとはまた違う雰囲気の村だった。
建物の壁には朝日が当たり、屋台からは焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂っている。村人たちは家の前を掃除したり、荷物を運んだりしながら、忙しそうに行き交っていた。
カエデはきょろきょろと辺りを見回す。
「わあ……朝の村って、なんだかいいね」
「そうか?」
「うん。みんな、それぞれの生活をしてるんだなあって感じがする」
「……まあ、そうだな」
アレルは村人たちに軽く会釈を返しながら歩いていく。
その横顔を見ながら、カエデはこっそり思った。
――本当に、ゲームの中じゃないんだ。
人々の声も、焼きたてのパンの匂いも、石畳を踏む足の感触も。
画面越しに見ていたときには想像もしなかったものが、今は当たり前のように目の前にある。
そして、その世界を歩いているのは、自分だけではない。
隣には、勇者アレルがいる。
「……カエデ?」
「えっ?」
「どうした? 急に黙って」
「ううん! なんでもない!」
カエデは慌てて首を振った。
「それより、今日はどこへ行くの?」
「まずは村で情報を集めたい。次に進むために、何か手がかりがあるかもしれないからな」
「そっか。じゃあ、聞き込みだね!」
「そういうことだ」
二人は村の中を歩き始めた。
しばらくすると、道端で荷物を整理していた村人が、アレルたちに気づいて声を掛けてきた。
「おや、旅の人かい?」
「はい。情報集めも兼ねて、村の中を見て回っているんです」
アレルが丁寧に答えると、村人は二人を見比べた。
「そうかい。なら、ひとつ教えておこう。村の奥に、妙な爺さんがいるんだ」
「妙な……お爺さん?」
カエデが思わず聞き返す。
「そう。ずっと誰かが来るのを待っているらしくてね。どうやら、勇者が訪ねてくるのを待っているんだとか」
「勇者を……?」
アレルの表情が少し変わった。
村人は頷く。
「ただ、会いに行くには盗賊の鍵が必要らしい。扉に鍵が掛かっていてね。普通には入れないんだ」
「盗賊の鍵……」
アレルは考え込むように呟いた。
「その鍵は、どこにあるんですか?」
「ナジミの塔にあると聞いたことがあるよ。塔にいる老人が持っているんだとか」
その瞬間、カエデの胸の奥が小さく跳ねた。
――そうだ。
ナジミの塔。
盗賊の鍵。
ここから先へ進むために必要なもの。
知っている。知っているはずなのに、目の前で誰かの口から語られると、ひどく不思議な気持ちになった。
「……なら、まずはナジミの塔へ行こう」
アレルは迷いなく言った。
「鍵を手に入れれば、そのお爺さんにも会えるんだな」
「うん。そうだね……!」
カエデは頷きかけて、はっとした。
今、自分は何を言いかけた?
まるで、最初から行き先を知っていたみたいに。
アレルがこちらを向く。
「どうした?」
「な、なんでもない! ナジミの塔、だよね! よし、行こう!」
「……ああ」
アレルは少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は尋ねなかった。
カエデは胸を撫で下ろす。
――危ない、危ない……!
この世界が何なのか、どうして自分が知っているのか。
それを説明することは、まだできない。
できるだけ自然に振る舞おう。
そう思った矢先だった。
「……ところで、あっちの人は何をしているんだ?」
アレルの視線の先で、一人の村人が大きな岩を前に腕を組んでいた。
「うーん……。あと少しなんだがなあ……」
村人は岩の横に回り込み、両手を掛けて押してみる。
「んんん……っ! ……駄目か!」
岩は、びくともしなかった。
カエデは思わず足を止める。
「……岩?」
「どうしたんだろうな」
アレルが近づいて声を掛けた。
「何か困っているんですか?」
村人は振り返り、困ったように笑った。
「おや、旅の人かい。いやあ、この岩を動かしたくてね。ずっと頑張っているんだが、どうにも動かなくて」
「どこかへ通じる道なんですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……。ちょっと場所を変えたくてね。だが、見ての通りだ」
アレルは岩を見上げた。
「……手伝いましょうか?」
「本当かい!?」
村人の顔がぱっと明るくなる。
「助かるよ! 一人じゃどうにもならなくてね」
「私も手伝う!」
カエデも勢いよく手を挙げた。
「二人なら、きっと動かせるよ!」
「ありがとう、お嬢ちゃん。じゃあ、頼むよ」
アレルが岩の片側に回り、カエデも反対側に立つ。
「せーの、で押そう」
「了解!」
「いくぞ。せーの!」
「んんんんんっ……!」
二人は力を込めた。
アレルの足が石畳を踏みしめる。岩がほんのわずかに軋んだような気がした。
けれど――。
「……っ、動かないな」
「う、嘘でしょ……! こんなに頑張ってるのに!」
カエデは肩で息をしながら、岩を睨んだ。
「もう一回! 今度こそ!」
「無理するなよ」
「してない! まだ本気出してないだけ!」
「そうか?」
「そうです!」
アレルは一瞬だけ口元を緩めた。
「……じゃあ、もう一回だ」
「うん!」
「せーの!」
二人がもう一度力を込める。
今度はアレルが少し体勢を変え、岩の端を押した。
ごりっ、と鈍い音が響く。
岩が、ほんの少しだけ動いた。
「あっ!」
「動いたぞ!」
「やったあああ!」
カエデは思わず声を上げた。
そのまま勢い余って、岩に額をぶつけそうになる。
「わっ!?」
「危ない!」
アレルが咄嗟に腕を伸ばし、カエデの肩を引いて止めた。
カエデの体が、岩のすぐ手前でぴたりと止まる。
「……大丈夫か?」
「…………うん」
顔を上げると、アレルがすぐ近くで心配そうにこちらを見ていた。
「ありがとう……」
「いや。怪我がなくてよかった」
アレルはそう言って、何事もなかったように岩へ向き直った。
けれど、カエデはほんの少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
――危なかった……!
今のは岩にぶつかるところだった。
別に、それだけだ。
それだけなのに。
「……よし。もう少しだな」
アレルの声で我に返る。
「う、うん! 頑張ろう!」
最後にもう一度力を合わせると、岩はごろりと横へずれた。
「おおっ! やった、やったぞ!」
村人は大喜びで手を叩いた。
「いやあ、助かった! 本当にありがとう!」
「いえ、たいしたことじゃありません」
アレルが答える。
「そんなことないよ! 一人じゃどうにもならなかったんだからね。二人とも、いい旅をするんだよ!」
村人は笑顔で二人を見送ろうとしたが、ふと思い出したように声を上げた。
「そうだ君たち。さっきの話が聞こえたんだが、ナジミの塔へ行くつもりなら、森の地下通路を通るといい」
「……そんな道があったんですね」
アレルはそう言うと、森の方角へ視線を向けた。
「知らずに遠回りする旅人もいるからね。森の中に入口があるから、見落とさないように気をつけるんだよ。足元も悪いからね」
「なるほど……。教えてくれてありがとうございます」
アレルが礼を言い、手を差し出す。
村人は応じ、握手を交わしながら照れくさそうに頭をかいた。
「なあに、岩を動かすのを手伝ってもらったからね。少しでも君たちの役に立てたならよかったよ」
「はい!」
カエデも笑顔で頭を下げた。
これで、行き先への道筋も明らかとなった。
村人に感謝され、ほんの小さな出来事だったけれど、誰かの役に立てたことが少しだけ嬉しかった。
「……よし、これで準備はできたな」
アレルが荷物を背負い直す。
「ナジミの塔へ行こう」
「うん!」
カエデも元気よく頷いた。
――その直後。
「ねえねえ、お姉ちゃん!」
不意に、幼い声が聞こえた。
振り向くと、いつの間にか数人の子供たちがカエデを取り囲んでいた。
「……え?」
「その服、なあに?」
「えっ?」
「見たことない服だ!」
「ほんとだ! どこの服?」
カエデは自分の制服を見下ろした。
そういえば、こちらの世界に来てから、服装について聞かれることはあまりなかった。
けれど、子供たちの目には、どうやら珍しく映ったらしい。
「えっと、これは……制服っていう服でね」
「せいふく?」
「うん。私がいたところでは、学校っていう場所に着ていくんだよ」
「がっこうってなに!?」
「えっ、えーっと……勉強したり、友達と遊んだりするところ!」
子供たちは一斉に顔を輝かせた。
「お姉ちゃん、勉強好きなの!?」
「うっ……」
カエデの笑顔が固まった。
「えっと、それは……」
「嫌いなの!?」
「なんでそうなるの!?」
子供たちはきゃっきゃと笑いながら、さらに質問を重ねてくる。
「学校って毎日行くの!?」
「友達って何人いるの!?」
「お姉ちゃん、どこから来たの!?」
「えっ、ちょ、ちょっと待って! 一人ずつ! 一人ずつ聞いて!?」
完全に質問攻めだった。
カエデは両手を振りながら、必死に答えようとする。
「えっと、学校は……その、毎日行くところで……友達は……」
「何人!?」
「ええっ!? えーっと……!」
――まずい。
故郷の話をするのは嫌ではない。むしろ、思い出すと懐かしくなる。
けれど、ここでどこまで話していいのか、まだわからなかった。
「こらこら、あんまり困らせるなよ」
アレルが助け舟を出す。
子供たちは一斉に彼を見上げた。
「お兄ちゃんはだれ!?」
「俺はアレル。旅の仲間だよ」
「旅の仲間?」
「そう。これから一緒に旅をするんだ」
すると、一番背の低い子供が、ぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ、お兄ちゃんはお姉ちゃんのこと好きなの!?」
「…………は?」
アレルの動きが止まった。
カエデも固まった。
「ちょ、ちょっと待って! なんでそうなるの!?」
「だって、ずっと一緒にいるんでしょ?」
「旅の仲間だからだ!」
アレルは即座に答えた。
「ふーん?」
子供たちは顔を見合わせる。
「じゃあ、嫌いなの?」
「そ、それは……」
アレルは言葉に詰まった。
カエデは口元を押さえ、笑いをこらえている。助けたいけれど、どう助け舟を出せばいいかわからなかった。
「……仲間として、大切に思っている」
ようやくアレルが答えると、子供たちは一斉に声を上げた。
「大切なんだって!」
「お姉ちゃん、よかったねー!」
子供たちの無邪気な叫びが辺りに響き渡り、アレルは顔をそらした。耳まで赤くなっているのを、カエデは見逃さなかった。
「……っ、ふふっ」
「……カエデ。笑うな」
「だ、だって……!」
「笑うなと言ってるだろ……!」
「ご、ごめん……っ、でも……!」
カエデはとうとう堪えきれず、声を立てて笑ってしまった。
その様子を見て、子供たちもまた大笑いする。
「お兄ちゃん、頑張ってねー!」
子供たちは意味ありげに笑いながら、村の奥へと駆けていった。
残された二人の間に、なんとも言えない沈黙が落ちる。
「…………」
「…………」
先に口を開いたのは、カエデだった。
「……アレルって、子供相手だとあんなことになるんだね」
「……お前も十分大変そうだっただろ」
「私は質問されてただけだもん!」
「俺も質問されてただけだ」
「でも、顔真っ赤だったよ?」
「……忘れろ」
「えー、どうしようかなー?」
カエデがにやにやすると、アレルは困ったように眉を寄せた。
「……本当に、調子が狂うな」
「えっ?」
「いや、なんでもない」
アレルは歩き出した。
カエデは慌ててその隣に並ぶ。
「待ってよ、アレル!」
「置いていかないから、早く来い」
その言葉に、カエデは自然と笑顔になった。
「うん!」
* * *
村を出ると、道は少しずつ木々の多い場所へと続いていった。
朝の光はまだ明るい。けれど、森へ近づくにつれて、風の匂いが変わっていく。
カエデは周囲を見回しながら歩いていた。
「……ナジミの塔、か」
アレルが呟く。
「盗賊の鍵を手に入れれば、村の奥にいるお爺さんに会えるんだな」
「うん……そうだね」
カエデは少しだけ声を落とした。
知っている。
この先に何があるのか、どこへ向かえばいいのか。
けれど、それを口にすることはできない。
自分が知っている理由を説明すれば、きっとアレルは不思議に思うだろう。
それだけは避けなければならなかった。
「……カエデ、疲れていないか?」
「えっ? 全然!」
答えた瞬間、足がもつれた。
「わっ……!」
「おい!」
アレルがすぐに手を伸ばし、転びかけたカエデを支えた。
「……全然、なんだよな?」
「…………はい」
「無理するな。まだ先は長いんだから」
「うう……。さっきまで元気だったのに……」
「元気なのと、疲れていないのは別だろ」
アレルはそう言って、少しだけ歩く速度を落とした。
カエデはその横顔を見つめる。
自分に合わせてくれている。
それを特別なことのように言わず、当たり前のように。
「……ありがとう、アレル」
「どういたしまして」
短い返事だった。
けれど、カエデの胸には、じんわりと温かいものが広がっていった。
* * *
森の奥へ進むと、地面にぽっかりと開いた入口が見えてきた。
周囲には木々が生い茂り、日の光が葉の隙間から細く差し込んでいる。
地下へ続く階段の先は暗く、ひんやりとした空気が流れ出していた。
「……ここから入るのか」
アレルが入口を覗き込む。
「うん……」
カエデは頷いた。
胸の奥が、少しだけ騒がしくなる。
知っている場所だ。
画面の中で何度も見た。何度も通った。
それなのに、今は足元の石の感触も、頬を撫でる冷たい風も、本物だった。
「大丈夫か、カエデ?」
アレルが振り返る。
「……うん。大丈夫!」
カエデは顔を上げ、笑った。
「行こう!」
二人は階段を下りていった。
地下通路は薄暗く、壁には湿り気が残っていた。足音が石壁に反響し、どこか遠くから水滴の落ちる音が聞こえてくる。
「……思ったより暗いな」
アレルが前を見ながら言った。
「うん。足元、気をつけてね」
「カエデもな」
「私は大丈夫!」
そう言った直後、カエデの靴先が小さな段差に引っかかった。
「わっ!」
「……大丈夫じゃないだろ」
「今のは地面が悪いの!」
「そうか」
アレルは笑いをこらえるように息を吐いた。
「……笑った?」
「笑ってない」
「絶対笑った!」
「ほら、前を見ろ」
「むー……!」
文句を言いながらも、カエデはアレルのすぐ後ろを歩いた。
通路は思ったより長かった。
それでも、二人で進んでいくうちに、前方に少しずつ光が見えてきた。
「あ……!」
カエデの声が弾む。
出口だ。
地下通路を抜けると、視界が一気に開けた。
そして――。
目の前に、塔がそびえ立っていた。
空へ伸びる石造りの建物。長い年月を経た壁。周囲を囲む木々のざわめき。
ナジミの塔。
カエデは、思わず足を止めた。
「…………」
懐かしい。
その言葉が、胸の奥から自然に浮かび上がった。
何度も見た場所。
何度も通った道。
自分にとっては、画面の向こうにあったはずの場所なのに。
「……懐かしい」
ぽつりと、声がこぼれた。
「……懐かしい?」
隣にいたアレルが、すぐに振り向いた。
カエデははっとする。
「えっ!? あ、いや、その……!」
「ここに来たことがあるのか?」
「ち、違うの! そうじゃなくて……!」
慌てて両手を振る。
「なんだか、前から知っていたような気がして……!」
「前から知っていた?」
アレルは塔を見上げ、それからカエデを見た。
「……不思議なことを言うな」
「そ、そうだよね! 私もそう思う!」
カエデは笑って誤魔化した。
アレルはしばらく彼女を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……まあいい。行こう」
「……うん!」
カエデは頷いた。
二人は並んで、塔の入口へと歩き出す。
扉の前に立つと、アレルは一度だけ空を見上げた。
「ここで盗賊の鍵を手に入れる。そうすれば、次に進めるはずだ」
「ああ……うん!」
カエデは扉を見つめた。
胸の奥には、懐かしさと不安が入り混じっている。
知っているはずの場所。
けれど、ここから先で何が起こるのか、すべてが同じとは限らない。
自分は本当に、元の世界へ帰れるのだろうか。
それでも――。
今は、前へ進むしかない。
カエデは小さく息を吸い、アレルの隣に立った。
「……行こう、アレル」
「……ああ」
二人は、ナジミの塔の入口をくぐった。
その先に待つものを、まだ知らないまま。
「…………んー……」
「起きろ。そろそろ出発するぞ」
「あと五分……」
「昨日、俺についてくると言った時はあんなに元気だったのにな」
「昨日の私と今日の私は別人なの……」
「そういう問題じゃないだろ」
宿屋の一室に、呆れたような声が響いた。
窓から差し込む朝の光は明るく、外からは人々の話し声や、荷車が石畳を走る音が聞こえてくる。
レーベの村は、すでに一日の始まりを迎えていた。
一方、ベッドの上では、カエデが毛布にくるまったまま動こうとしない。
昨日、アリアハンを出て初めての旅を経験したばかりなのだ。慣れない道を歩き、モンスターと遭遇し、知らない土地で一晩を過ごした。
体が疲れているのも無理はなかった。
けれど、窓際で旅支度を整えているアレルは、もうすっかり準備万端だ。
赤いマントを肩に掛け、腰の剣を確かめ、荷物の紐を締め直している。
「……本当に起きないつもりか?」
「起きてるよぉ……。目を閉じてるだけ……」
「それを寝ていると言うんだ」
「違うの……。これは、起きるための力をためているの……」
「……そうか」
アレルはしばらくカエデを見つめたあと、静かに息を吐いた。
「じゃあ、先に宿を出るぞ」
「えっ!?」
毛布が勢いよく跳ね上がった。
「待って待って! 起きる! 起きます! 置いていかないで!」
「最初からそうすればよかっただろ」
「だって、昨日いっぱい歩いたんだもん……!」
「わかってる。だから、無理のないように歩こう」
その言葉に、カエデは少しだけ目を丸くした。
からかわれると思っていたのに、アレルはいつもの落ち着いた顔でそう言っただけだった。
「……うん!」
カエデは慌ててベッドから降りる。
よろけそうになった足を踏み直し、制服の裾を整えると、鞄を肩に掛けた。
「よし! 今日も頑張るぞー!」
「……さっきまで起きられなかった人とは思えないな」
「もう完全復活です!」
「それならいいけどな」
アレルは小さく笑い、扉を開けた。
二人は宿屋を出て、朝のレーベへと歩き出した。
* * *
レーベは、アリアハンとはまた違う雰囲気の村だった。
建物の壁には朝日が当たり、屋台からは焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂っている。村人たちは家の前を掃除したり、荷物を運んだりしながら、忙しそうに行き交っていた。
カエデはきょろきょろと辺りを見回す。
「わあ……朝の村って、なんだかいいね」
「そうか?」
「うん。みんな、それぞれの生活をしてるんだなあって感じがする」
「……まあ、そうだな」
アレルは村人たちに軽く会釈を返しながら歩いていく。
その横顔を見ながら、カエデはこっそり思った。
――本当に、ゲームの中じゃないんだ。
人々の声も、焼きたてのパンの匂いも、石畳を踏む足の感触も。
画面越しに見ていたときには想像もしなかったものが、今は当たり前のように目の前にある。
そして、その世界を歩いているのは、自分だけではない。
隣には、勇者アレルがいる。
「……カエデ?」
「えっ?」
「どうした? 急に黙って」
「ううん! なんでもない!」
カエデは慌てて首を振った。
「それより、今日はどこへ行くの?」
「まずは村で情報を集めたい。次に進むために、何か手がかりがあるかもしれないからな」
「そっか。じゃあ、聞き込みだね!」
「そういうことだ」
二人は村の中を歩き始めた。
しばらくすると、道端で荷物を整理していた村人が、アレルたちに気づいて声を掛けてきた。
「おや、旅の人かい?」
「はい。情報集めも兼ねて、村の中を見て回っているんです」
アレルが丁寧に答えると、村人は二人を見比べた。
「そうかい。なら、ひとつ教えておこう。村の奥に、妙な爺さんがいるんだ」
「妙な……お爺さん?」
カエデが思わず聞き返す。
「そう。ずっと誰かが来るのを待っているらしくてね。どうやら、勇者が訪ねてくるのを待っているんだとか」
「勇者を……?」
アレルの表情が少し変わった。
村人は頷く。
「ただ、会いに行くには盗賊の鍵が必要らしい。扉に鍵が掛かっていてね。普通には入れないんだ」
「盗賊の鍵……」
アレルは考え込むように呟いた。
「その鍵は、どこにあるんですか?」
「ナジミの塔にあると聞いたことがあるよ。塔にいる老人が持っているんだとか」
その瞬間、カエデの胸の奥が小さく跳ねた。
――そうだ。
ナジミの塔。
盗賊の鍵。
ここから先へ進むために必要なもの。
知っている。知っているはずなのに、目の前で誰かの口から語られると、ひどく不思議な気持ちになった。
「……なら、まずはナジミの塔へ行こう」
アレルは迷いなく言った。
「鍵を手に入れれば、そのお爺さんにも会えるんだな」
「うん。そうだね……!」
カエデは頷きかけて、はっとした。
今、自分は何を言いかけた?
まるで、最初から行き先を知っていたみたいに。
アレルがこちらを向く。
「どうした?」
「な、なんでもない! ナジミの塔、だよね! よし、行こう!」
「……ああ」
アレルは少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は尋ねなかった。
カエデは胸を撫で下ろす。
――危ない、危ない……!
この世界が何なのか、どうして自分が知っているのか。
それを説明することは、まだできない。
できるだけ自然に振る舞おう。
そう思った矢先だった。
「……ところで、あっちの人は何をしているんだ?」
アレルの視線の先で、一人の村人が大きな岩を前に腕を組んでいた。
「うーん……。あと少しなんだがなあ……」
村人は岩の横に回り込み、両手を掛けて押してみる。
「んんん……っ! ……駄目か!」
岩は、びくともしなかった。
カエデは思わず足を止める。
「……岩?」
「どうしたんだろうな」
アレルが近づいて声を掛けた。
「何か困っているんですか?」
村人は振り返り、困ったように笑った。
「おや、旅の人かい。いやあ、この岩を動かしたくてね。ずっと頑張っているんだが、どうにも動かなくて」
「どこかへ通じる道なんですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……。ちょっと場所を変えたくてね。だが、見ての通りだ」
アレルは岩を見上げた。
「……手伝いましょうか?」
「本当かい!?」
村人の顔がぱっと明るくなる。
「助かるよ! 一人じゃどうにもならなくてね」
「私も手伝う!」
カエデも勢いよく手を挙げた。
「二人なら、きっと動かせるよ!」
「ありがとう、お嬢ちゃん。じゃあ、頼むよ」
アレルが岩の片側に回り、カエデも反対側に立つ。
「せーの、で押そう」
「了解!」
「いくぞ。せーの!」
「んんんんんっ……!」
二人は力を込めた。
アレルの足が石畳を踏みしめる。岩がほんのわずかに軋んだような気がした。
けれど――。
「……っ、動かないな」
「う、嘘でしょ……! こんなに頑張ってるのに!」
カエデは肩で息をしながら、岩を睨んだ。
「もう一回! 今度こそ!」
「無理するなよ」
「してない! まだ本気出してないだけ!」
「そうか?」
「そうです!」
アレルは一瞬だけ口元を緩めた。
「……じゃあ、もう一回だ」
「うん!」
「せーの!」
二人がもう一度力を込める。
今度はアレルが少し体勢を変え、岩の端を押した。
ごりっ、と鈍い音が響く。
岩が、ほんの少しだけ動いた。
「あっ!」
「動いたぞ!」
「やったあああ!」
カエデは思わず声を上げた。
そのまま勢い余って、岩に額をぶつけそうになる。
「わっ!?」
「危ない!」
アレルが咄嗟に腕を伸ばし、カエデの肩を引いて止めた。
カエデの体が、岩のすぐ手前でぴたりと止まる。
「……大丈夫か?」
「…………うん」
顔を上げると、アレルがすぐ近くで心配そうにこちらを見ていた。
「ありがとう……」
「いや。怪我がなくてよかった」
アレルはそう言って、何事もなかったように岩へ向き直った。
けれど、カエデはほんの少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
――危なかった……!
今のは岩にぶつかるところだった。
別に、それだけだ。
それだけなのに。
「……よし。もう少しだな」
アレルの声で我に返る。
「う、うん! 頑張ろう!」
最後にもう一度力を合わせると、岩はごろりと横へずれた。
「おおっ! やった、やったぞ!」
村人は大喜びで手を叩いた。
「いやあ、助かった! 本当にありがとう!」
「いえ、たいしたことじゃありません」
アレルが答える。
「そんなことないよ! 一人じゃどうにもならなかったんだからね。二人とも、いい旅をするんだよ!」
村人は笑顔で二人を見送ろうとしたが、ふと思い出したように声を上げた。
「そうだ君たち。さっきの話が聞こえたんだが、ナジミの塔へ行くつもりなら、森の地下通路を通るといい」
「……そんな道があったんですね」
アレルはそう言うと、森の方角へ視線を向けた。
「知らずに遠回りする旅人もいるからね。森の中に入口があるから、見落とさないように気をつけるんだよ。足元も悪いからね」
「なるほど……。教えてくれてありがとうございます」
アレルが礼を言い、手を差し出す。
村人は応じ、握手を交わしながら照れくさそうに頭をかいた。
「なあに、岩を動かすのを手伝ってもらったからね。少しでも君たちの役に立てたならよかったよ」
「はい!」
カエデも笑顔で頭を下げた。
これで、行き先への道筋も明らかとなった。
村人に感謝され、ほんの小さな出来事だったけれど、誰かの役に立てたことが少しだけ嬉しかった。
「……よし、これで準備はできたな」
アレルが荷物を背負い直す。
「ナジミの塔へ行こう」
「うん!」
カエデも元気よく頷いた。
――その直後。
「ねえねえ、お姉ちゃん!」
不意に、幼い声が聞こえた。
振り向くと、いつの間にか数人の子供たちがカエデを取り囲んでいた。
「……え?」
「その服、なあに?」
「えっ?」
「見たことない服だ!」
「ほんとだ! どこの服?」
カエデは自分の制服を見下ろした。
そういえば、こちらの世界に来てから、服装について聞かれることはあまりなかった。
けれど、子供たちの目には、どうやら珍しく映ったらしい。
「えっと、これは……制服っていう服でね」
「せいふく?」
「うん。私がいたところでは、学校っていう場所に着ていくんだよ」
「がっこうってなに!?」
「えっ、えーっと……勉強したり、友達と遊んだりするところ!」
子供たちは一斉に顔を輝かせた。
「お姉ちゃん、勉強好きなの!?」
「うっ……」
カエデの笑顔が固まった。
「えっと、それは……」
「嫌いなの!?」
「なんでそうなるの!?」
子供たちはきゃっきゃと笑いながら、さらに質問を重ねてくる。
「学校って毎日行くの!?」
「友達って何人いるの!?」
「お姉ちゃん、どこから来たの!?」
「えっ、ちょ、ちょっと待って! 一人ずつ! 一人ずつ聞いて!?」
完全に質問攻めだった。
カエデは両手を振りながら、必死に答えようとする。
「えっと、学校は……その、毎日行くところで……友達は……」
「何人!?」
「ええっ!? えーっと……!」
――まずい。
故郷の話をするのは嫌ではない。むしろ、思い出すと懐かしくなる。
けれど、ここでどこまで話していいのか、まだわからなかった。
「こらこら、あんまり困らせるなよ」
アレルが助け舟を出す。
子供たちは一斉に彼を見上げた。
「お兄ちゃんはだれ!?」
「俺はアレル。旅の仲間だよ」
「旅の仲間?」
「そう。これから一緒に旅をするんだ」
すると、一番背の低い子供が、ぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ、お兄ちゃんはお姉ちゃんのこと好きなの!?」
「…………は?」
アレルの動きが止まった。
カエデも固まった。
「ちょ、ちょっと待って! なんでそうなるの!?」
「だって、ずっと一緒にいるんでしょ?」
「旅の仲間だからだ!」
アレルは即座に答えた。
「ふーん?」
子供たちは顔を見合わせる。
「じゃあ、嫌いなの?」
「そ、それは……」
アレルは言葉に詰まった。
カエデは口元を押さえ、笑いをこらえている。助けたいけれど、どう助け舟を出せばいいかわからなかった。
「……仲間として、大切に思っている」
ようやくアレルが答えると、子供たちは一斉に声を上げた。
「大切なんだって!」
「お姉ちゃん、よかったねー!」
子供たちの無邪気な叫びが辺りに響き渡り、アレルは顔をそらした。耳まで赤くなっているのを、カエデは見逃さなかった。
「……っ、ふふっ」
「……カエデ。笑うな」
「だ、だって……!」
「笑うなと言ってるだろ……!」
「ご、ごめん……っ、でも……!」
カエデはとうとう堪えきれず、声を立てて笑ってしまった。
その様子を見て、子供たちもまた大笑いする。
「お兄ちゃん、頑張ってねー!」
子供たちは意味ありげに笑いながら、村の奥へと駆けていった。
残された二人の間に、なんとも言えない沈黙が落ちる。
「…………」
「…………」
先に口を開いたのは、カエデだった。
「……アレルって、子供相手だとあんなことになるんだね」
「……お前も十分大変そうだっただろ」
「私は質問されてただけだもん!」
「俺も質問されてただけだ」
「でも、顔真っ赤だったよ?」
「……忘れろ」
「えー、どうしようかなー?」
カエデがにやにやすると、アレルは困ったように眉を寄せた。
「……本当に、調子が狂うな」
「えっ?」
「いや、なんでもない」
アレルは歩き出した。
カエデは慌ててその隣に並ぶ。
「待ってよ、アレル!」
「置いていかないから、早く来い」
その言葉に、カエデは自然と笑顔になった。
「うん!」
* * *
村を出ると、道は少しずつ木々の多い場所へと続いていった。
朝の光はまだ明るい。けれど、森へ近づくにつれて、風の匂いが変わっていく。
カエデは周囲を見回しながら歩いていた。
「……ナジミの塔、か」
アレルが呟く。
「盗賊の鍵を手に入れれば、村の奥にいるお爺さんに会えるんだな」
「うん……そうだね」
カエデは少しだけ声を落とした。
知っている。
この先に何があるのか、どこへ向かえばいいのか。
けれど、それを口にすることはできない。
自分が知っている理由を説明すれば、きっとアレルは不思議に思うだろう。
それだけは避けなければならなかった。
「……カエデ、疲れていないか?」
「えっ? 全然!」
答えた瞬間、足がもつれた。
「わっ……!」
「おい!」
アレルがすぐに手を伸ばし、転びかけたカエデを支えた。
「……全然、なんだよな?」
「…………はい」
「無理するな。まだ先は長いんだから」
「うう……。さっきまで元気だったのに……」
「元気なのと、疲れていないのは別だろ」
アレルはそう言って、少しだけ歩く速度を落とした。
カエデはその横顔を見つめる。
自分に合わせてくれている。
それを特別なことのように言わず、当たり前のように。
「……ありがとう、アレル」
「どういたしまして」
短い返事だった。
けれど、カエデの胸には、じんわりと温かいものが広がっていった。
* * *
森の奥へ進むと、地面にぽっかりと開いた入口が見えてきた。
周囲には木々が生い茂り、日の光が葉の隙間から細く差し込んでいる。
地下へ続く階段の先は暗く、ひんやりとした空気が流れ出していた。
「……ここから入るのか」
アレルが入口を覗き込む。
「うん……」
カエデは頷いた。
胸の奥が、少しだけ騒がしくなる。
知っている場所だ。
画面の中で何度も見た。何度も通った。
それなのに、今は足元の石の感触も、頬を撫でる冷たい風も、本物だった。
「大丈夫か、カエデ?」
アレルが振り返る。
「……うん。大丈夫!」
カエデは顔を上げ、笑った。
「行こう!」
二人は階段を下りていった。
地下通路は薄暗く、壁には湿り気が残っていた。足音が石壁に反響し、どこか遠くから水滴の落ちる音が聞こえてくる。
「……思ったより暗いな」
アレルが前を見ながら言った。
「うん。足元、気をつけてね」
「カエデもな」
「私は大丈夫!」
そう言った直後、カエデの靴先が小さな段差に引っかかった。
「わっ!」
「……大丈夫じゃないだろ」
「今のは地面が悪いの!」
「そうか」
アレルは笑いをこらえるように息を吐いた。
「……笑った?」
「笑ってない」
「絶対笑った!」
「ほら、前を見ろ」
「むー……!」
文句を言いながらも、カエデはアレルのすぐ後ろを歩いた。
通路は思ったより長かった。
それでも、二人で進んでいくうちに、前方に少しずつ光が見えてきた。
「あ……!」
カエデの声が弾む。
出口だ。
地下通路を抜けると、視界が一気に開けた。
そして――。
目の前に、塔がそびえ立っていた。
空へ伸びる石造りの建物。長い年月を経た壁。周囲を囲む木々のざわめき。
ナジミの塔。
カエデは、思わず足を止めた。
「…………」
懐かしい。
その言葉が、胸の奥から自然に浮かび上がった。
何度も見た場所。
何度も通った道。
自分にとっては、画面の向こうにあったはずの場所なのに。
「……懐かしい」
ぽつりと、声がこぼれた。
「……懐かしい?」
隣にいたアレルが、すぐに振り向いた。
カエデははっとする。
「えっ!? あ、いや、その……!」
「ここに来たことがあるのか?」
「ち、違うの! そうじゃなくて……!」
慌てて両手を振る。
「なんだか、前から知っていたような気がして……!」
「前から知っていた?」
アレルは塔を見上げ、それからカエデを見た。
「……不思議なことを言うな」
「そ、そうだよね! 私もそう思う!」
カエデは笑って誤魔化した。
アレルはしばらく彼女を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……まあいい。行こう」
「……うん!」
カエデは頷いた。
二人は並んで、塔の入口へと歩き出す。
扉の前に立つと、アレルは一度だけ空を見上げた。
「ここで盗賊の鍵を手に入れる。そうすれば、次に進めるはずだ」
「ああ……うん!」
カエデは扉を見つめた。
胸の奥には、懐かしさと不安が入り混じっている。
知っているはずの場所。
けれど、ここから先で何が起こるのか、すべてが同じとは限らない。
自分は本当に、元の世界へ帰れるのだろうか。
それでも――。
今は、前へ進むしかない。
カエデは小さく息を吸い、アレルの隣に立った。
「……行こう、アレル」
「……ああ」
二人は、ナジミの塔の入口をくぐった。
その先に待つものを、まだ知らないまま。
