旅日記
新選組展2022
2022/10/16 03:40 先日、京都文化博物館で開催されている「新選組展2022」に行ってきました!
普段は土方歳三資料館限られた期間でしか見る事ができない和泉守兼定が京都で展示されると知って、仕事休みの日に早速向かいました。
博物館に入ってすぐに刀剣乱舞の兼さんのパネルがあり、写真を撮ってから中へ、音声ガイドを購入して展示を拝観しました。
音声ガイドの声はゴールデンカムイの土方歳三をされていた中田譲治さんでした。
低くて落ち着いた声で、個人的にタ行とかの一文字一文字しっかり耳に伝えてくるような話し方が好きでした。
展示物が見終った後のショップでは図録とコラボのクリアファイルセット、新選組の羽織の形の栞、石田散薬のラムネを購入しました。
ラムネに関してはツイッターで品切れしたとどこかで見て諦めていたのですが、どうやら再入荷していたらしく思わず衝動買いしました。
休日だったのですごく混んでいるのではないかと心配していたのですが、案外そうでもなく予想していたよりゆっくり展示物を見る事ができました。
ショップの方はかなり混んでいたので、できるだけ小さい鞄を用意しておいて正解でした。
新選組展を見に行った後は、その足で本能寺の宝物展にも行きました。
薬研藤四郎の復元を目当てに見に行ったのですが、そこにも新選組展とは違う和泉守兼定が展示されていました。
薬研藤四郎は小さな透明なケースの中に入れられていて、人も少なく、ほとんど並んでいなかったので焦らずにじっくり鑑賞する事ができました。
粟田口の短刀なので直刃調の刃文で、茎の銘以外に峰の方にも小さく文字が彫られていました。
そして玉鋼を使っているので短刀でも結構重たくて、実際に刀剣を手に取って鑑賞したのは初めてだったので、貴重な体験をする事ができました。
ここから先は新選組展の展示物の感想です、まだ見に行っていない方など嫌な予感がした方はブラウザバックをお願いします。
・近藤勇と土方歳三の複製写真
正直碌に展示内容をチェックしていなかったので、音声ガイドの紙を見てちょうど今見られると知って「もしかして教科書に載ってたやつが見られる?ラッキー!」となりました。
勝手にポストカードくらいの大きさだと思っていたのですが実際は予想以上に小さく、トレカくらいの大きさでした。
・近藤勇書簡佐藤彦五郎宛て
土方歳三が和泉守兼定と堀川国広を所持していたと書かれている箇所がある書簡です。
やはり筆で書かれているので内容はほとんど読み取れませんでしたが、「和泉守兼定」「二尺八寸(間違っていたらすみません)」「堀川国廣」は辛うじて読めました。
「これが堀川国広が土方歳三に所持されていた」という物語の根幹となって、堀川国広というキャラクターが生まれたと思うと、記録が残っている事が本当にすごい事だと感じました。
・文久元治亥子太平録
実際の展示や、図録などで何度も読み返しても一部しか読めませんでしたが、「浅黄麻羽織袖ニ白ク山形ノ~」と書かれており、これが現代での映画やアニメなどの衣装に影響している元ネタになっているのかなと思いました。
裾の山形の模様は細い筆で小さいスケッチみたいに書かれていたので、人に読ませる記録だから文字だけ伝えにくい内容はちょっとした絵みたいにするのは今でも余り変わらないなと感じました。
・鎖帷子 近藤勇所用
外への出入りが激しい為に手早く脱ぎ着ができて、動きやすいように機能性も考えて作られているそうですが、重さが六キロくらいになるらしく、そんな重い物を身に着けたうえで激しい戦闘をしていたと考えると、やっぱりかなり鍛えていたのかなと思いました。
会場ではマネキンに着せた状態で展示されていましたが、そのマネキンの頭が女性なんじゃないかと勘違いするくらい予想以上に小さくてびっくりしました。
それに対してマネキンの体格を見てみると肩幅はがっしりしていて首が太く感じられたので、近藤勇が長年剣を振るい続けて肩回りの筋肉がすごく発達したとも考えましたが、昔の人は今と骨格なども若干違いがあるのかなとも感じました。
・土方歳三佩用 和泉守兼定
今回の展示の大本命。
勝手に大きくて豪快そうな姿の刀だと思っていたのですが、予想していたより反りが浅く、シュッとした感じの刀でした。
今まで見て来た展示の刀が平安~戦国時代の物が多かったので、今回展示されていた他の刀も、全体的に反りが浅い印象をうけました。
なんでこの時代の刀は反りが浅いのか調べてみたら江戸時代中期は平和で剣術が盛んになり、稽古の竹刀が真っすぐだったのでそれに合わせた反りのない日本刀が制作されていたそうです。
展示の最初の方に会った天然理心流奉納額にかけられた木刀も真っすぐだったので、後に入門する土方歳三もそれに合わせて反りの浅い刀を持ったのかなと思いました。
刃文は三本杉が基調と書かれていたのでよく見てみたら、刀の真ん中の辺りにそれらしい刃文があって分かりやすかったです。
うろ覚えですが、音声ガイドで土方歳三はこの刀より大きな打刀も扱っていたと言っていた気がします。
ちなみにゲームで兼さんは「十一代目か十二代目が打った刀だけどな」と言っていましたが、図録では十一代兼定と書かれていました。
・近藤勇の首の絵
三条河原に晒された近藤勇の首の絵が三枚展示されていたのですが、その内一枚がかなり間抜け面で描かれていました。
「逆賊とされた近藤勇を貶める為か」と図録に書かれていましたが、何も知らない人達への印象操作の為にもそう書かれていたのかなと感じました。
首が倒れないようにするためか、首の皮に釘を打ち付けてあるのが生々しかったです。
・書簡を見ての近藤勇、土方歳三、沖田総司の筆跡の感想
近藤勇
行が真っすぐに書かれていて三人の中では一番読みやすく感じました。
新選組局長とだけあって書簡を書く機会が多かっただろうし、読みやすい書簡を意識して書いていたのかなとも思います。
所々漢字で書かれている所がグッと太く濃くなっていて、筆に墨をつけなおしたからそうなっているのかとも思いましたが、そのお陰で全体的に力強い印象を受けました。
土方歳三
しっかり力強く書かれている文字と、細くて繊細な線で流れるように書かれた文字の差が結構ある感じでした。
所々読める漢字もありましたが平仮名部分はほとんど分からなかったです。
けど文字の繋げ方とかが綺麗で、三人の書簡などを全体的に眺めて比べて見ると、個人的に三人の中で一番好みの筆跡でした。
俳句も嗜んでいたそうなので、浮かんだ俳句を短冊に書くために筆運びとかも考えて、書いた文字の全体的な見た目にも気を配っていたのかなと思いました。
沖田総司
三人の中で一番文字が崩れているように見えるのか、正直一番読みづらかったです。
他二人と比べて行間が詰まっている箇所があったり、若干斜めに書かれている行もあって、あまり文字を書くのに時間をかけない人だったのかなとも思いました。
沖田総司が病気になってからの書簡は、他の書簡より全体的に線が若干細く見えて、病気の影響で筆圧が弱くなっているのかなとも感じられました。
普段は土方歳三資料館限られた期間でしか見る事ができない和泉守兼定が京都で展示されると知って、仕事休みの日に早速向かいました。
博物館に入ってすぐに刀剣乱舞の兼さんのパネルがあり、写真を撮ってから中へ、音声ガイドを購入して展示を拝観しました。
音声ガイドの声はゴールデンカムイの土方歳三をされていた中田譲治さんでした。
低くて落ち着いた声で、個人的にタ行とかの一文字一文字しっかり耳に伝えてくるような話し方が好きでした。
展示物が見終った後のショップでは図録とコラボのクリアファイルセット、新選組の羽織の形の栞、石田散薬のラムネを購入しました。
ラムネに関してはツイッターで品切れしたとどこかで見て諦めていたのですが、どうやら再入荷していたらしく思わず衝動買いしました。
休日だったのですごく混んでいるのではないかと心配していたのですが、案外そうでもなく予想していたよりゆっくり展示物を見る事ができました。
ショップの方はかなり混んでいたので、できるだけ小さい鞄を用意しておいて正解でした。
新選組展を見に行った後は、その足で本能寺の宝物展にも行きました。
薬研藤四郎の復元を目当てに見に行ったのですが、そこにも新選組展とは違う和泉守兼定が展示されていました。
薬研藤四郎は小さな透明なケースの中に入れられていて、人も少なく、ほとんど並んでいなかったので焦らずにじっくり鑑賞する事ができました。
粟田口の短刀なので直刃調の刃文で、茎の銘以外に峰の方にも小さく文字が彫られていました。
そして玉鋼を使っているので短刀でも結構重たくて、実際に刀剣を手に取って鑑賞したのは初めてだったので、貴重な体験をする事ができました。
ここから先は新選組展の展示物の感想です、まだ見に行っていない方など嫌な予感がした方はブラウザバックをお願いします。
・近藤勇と土方歳三の複製写真
正直碌に展示内容をチェックしていなかったので、音声ガイドの紙を見てちょうど今見られると知って「もしかして教科書に載ってたやつが見られる?ラッキー!」となりました。
勝手にポストカードくらいの大きさだと思っていたのですが実際は予想以上に小さく、トレカくらいの大きさでした。
・近藤勇書簡佐藤彦五郎宛て
土方歳三が和泉守兼定と堀川国広を所持していたと書かれている箇所がある書簡です。
やはり筆で書かれているので内容はほとんど読み取れませんでしたが、「和泉守兼定」「二尺八寸(間違っていたらすみません)」「堀川国廣」は辛うじて読めました。
「これが堀川国広が土方歳三に所持されていた」という物語の根幹となって、堀川国広というキャラクターが生まれたと思うと、記録が残っている事が本当にすごい事だと感じました。
・文久元治亥子太平録
実際の展示や、図録などで何度も読み返しても一部しか読めませんでしたが、「浅黄麻羽織袖ニ白ク山形ノ~」と書かれており、これが現代での映画やアニメなどの衣装に影響している元ネタになっているのかなと思いました。
裾の山形の模様は細い筆で小さいスケッチみたいに書かれていたので、人に読ませる記録だから文字だけ伝えにくい内容はちょっとした絵みたいにするのは今でも余り変わらないなと感じました。
・鎖帷子 近藤勇所用
外への出入りが激しい為に手早く脱ぎ着ができて、動きやすいように機能性も考えて作られているそうですが、重さが六キロくらいになるらしく、そんな重い物を身に着けたうえで激しい戦闘をしていたと考えると、やっぱりかなり鍛えていたのかなと思いました。
会場ではマネキンに着せた状態で展示されていましたが、そのマネキンの頭が女性なんじゃないかと勘違いするくらい予想以上に小さくてびっくりしました。
それに対してマネキンの体格を見てみると肩幅はがっしりしていて首が太く感じられたので、近藤勇が長年剣を振るい続けて肩回りの筋肉がすごく発達したとも考えましたが、昔の人は今と骨格なども若干違いがあるのかなとも感じました。
・土方歳三佩用 和泉守兼定
今回の展示の大本命。
勝手に大きくて豪快そうな姿の刀だと思っていたのですが、予想していたより反りが浅く、シュッとした感じの刀でした。
今まで見て来た展示の刀が平安~戦国時代の物が多かったので、今回展示されていた他の刀も、全体的に反りが浅い印象をうけました。
なんでこの時代の刀は反りが浅いのか調べてみたら江戸時代中期は平和で剣術が盛んになり、稽古の竹刀が真っすぐだったのでそれに合わせた反りのない日本刀が制作されていたそうです。
展示の最初の方に会った天然理心流奉納額にかけられた木刀も真っすぐだったので、後に入門する土方歳三もそれに合わせて反りの浅い刀を持ったのかなと思いました。
刃文は三本杉が基調と書かれていたのでよく見てみたら、刀の真ん中の辺りにそれらしい刃文があって分かりやすかったです。
うろ覚えですが、音声ガイドで土方歳三はこの刀より大きな打刀も扱っていたと言っていた気がします。
ちなみにゲームで兼さんは「十一代目か十二代目が打った刀だけどな」と言っていましたが、図録では十一代兼定と書かれていました。
・近藤勇の首の絵
三条河原に晒された近藤勇の首の絵が三枚展示されていたのですが、その内一枚がかなり間抜け面で描かれていました。
「逆賊とされた近藤勇を貶める為か」と図録に書かれていましたが、何も知らない人達への印象操作の為にもそう書かれていたのかなと感じました。
首が倒れないようにするためか、首の皮に釘を打ち付けてあるのが生々しかったです。
・書簡を見ての近藤勇、土方歳三、沖田総司の筆跡の感想
近藤勇
行が真っすぐに書かれていて三人の中では一番読みやすく感じました。
新選組局長とだけあって書簡を書く機会が多かっただろうし、読みやすい書簡を意識して書いていたのかなとも思います。
所々漢字で書かれている所がグッと太く濃くなっていて、筆に墨をつけなおしたからそうなっているのかとも思いましたが、そのお陰で全体的に力強い印象を受けました。
土方歳三
しっかり力強く書かれている文字と、細くて繊細な線で流れるように書かれた文字の差が結構ある感じでした。
所々読める漢字もありましたが平仮名部分はほとんど分からなかったです。
けど文字の繋げ方とかが綺麗で、三人の書簡などを全体的に眺めて比べて見ると、個人的に三人の中で一番好みの筆跡でした。
俳句も嗜んでいたそうなので、浮かんだ俳句を短冊に書くために筆運びとかも考えて、書いた文字の全体的な見た目にも気を配っていたのかなと思いました。
沖田総司
三人の中で一番文字が崩れているように見えるのか、正直一番読みづらかったです。
他二人と比べて行間が詰まっている箇所があったり、若干斜めに書かれている行もあって、あまり文字を書くのに時間をかけない人だったのかなとも思いました。
沖田総司が病気になってからの書簡は、他の書簡より全体的に線が若干細く見えて、病気の影響で筆圧が弱くなっているのかなとも感じられました。