73.夜明けを待つ者たち
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ぐる、ぐる、ぐる。
夢は廻る。
世界が、景色が、モノが、人が、自分が。
『私を殺して』
大きな帽子をかぶった、黒髪の少女がこちらに向かって叫んでいる。何度も、何度も。
『そう約束したでしょう、一ノ瀬 沙良さん』
あなたは、誰?
そう問いかけようとして、また廻る。
見慣れた4つの指輪が並んでいる。それがぐにゃりと形を変え、一つの石と成った。いや成ったのではない。〝戻った〟のだ。夢の中では、説明されなくても、分かるときがある。
『嫌、ひとりぼっちは嫌』
一つの石から声がする。あどけない、幼子の声。迷子のように泣きじゃくる声。
夢の中で、石に手を伸ばそうとする。すると、
『こんなはずじゃなかった』
『お願い助けて』
『家族の元へ返して』
『体を返してくれ』
石の声とは別の、あまたの悲痛な叫びが、背後から聞こえてくる。大勢の人間が、少し距離を置いて後ろに居た。老若男女、人種問わず、さまざまな人々が居た。しかし彼らの訴えもむなしく、彼らの体はみるみるうちに浅いコーヒーに似た色で染め上げられ、一人、また一人と姿を消していった。
しかしながら数人、残った者もいた。みな女性で、あざやかなピンク色の髪。目元はアイマスクで覆われ、その表情はうかがうことができない。彼女らに対しても、手を伸ばす。しかし、届かない。
夢は廻る。
銀髪の青年が、こちらに向かって微笑んだ。
『保留にしちゃえば?』
なにもかもを。
そう言われただけなのに、この人は残酷だと思った。その笑みも、言葉も、存在も。
やがて、古いフィルムのように夢は途切れる。親友の呼び声によって。
「……沙良、沙良!!」
耳に飛び込んできた大声に沙良は目を覚ます。視界には天井と、こちらを心配そうに見下ろす真琴の顔があった。頬から首にかけて、ひたりと汗が流れる感覚がする。それだけではない、掛け布団も、服も、体も、びっしょりと汗をかいていた。
「真琴……」
額に手をやりながら、沙良はゆっくり上半身を起こした。真琴の手が沙良の背中をさする。
「だい、じょうぶ? すごく、うなされて、た」
「だ、大丈夫……ちょっと、変な夢、見ちゃって……」
朧げながら、沙良は夢のことを真琴に話した。自分たちの指輪から聞こえた声、消えていった人々、残った褐色肌の女性たちのこと。
「それから、っ……」
女の子に、自分を殺してと頼まれたこと。それも真琴に教えようとして、沙良はとっさに口をつぐんだ。なぜだかわからないが、これはあの少女と自分、2人だけの秘密であらねばならない気がしたのだ。
顔を上げて、沙良は笑顔を取り繕った。
「ごめんなさい、なんでもない」
真琴の眉間にシワが寄る。
「……」
言葉が見つからず、黙りこくる真琴。少しして、口を開いた。
「……実は自分も、最近、変な夢、見た」
「えっ、ほんとう?」
「正確には、夢、というより、映像、みたいな、ものだけど」
真琴も、綱吉との生死をかけた修行中に見たものを(69.参照)打ち明けた。初代の頃にいたという、フィオーリの乙女たち。ほかでもないその指輪の持ち主たちが、エテルナリングを壊そうとしていたこと──。
沙良が目を白黒させる。ふと、膝の上の手を、そこにはめられている指輪を凝視した。
「私達の先代は、指輪を、壊そうとしていたの……?」
「た、たぶん……そうだと、思う」
「でも、ここにあるってことは……」
壊そうとしたが、失敗した。そこであ、と真琴は思い出す。
「でも、この時代、だと、ボンゴレリングと、一緒に、壊された、って……」
「どういうことなの……いったい……」
謎だらけのこの状況に、不安と不穏が真琴と沙良の胸に浸潤していく。
「……それ、から」
真琴は履いていたスカートをめくりあげ、右足の太ももを沙良に見せた。沙良の目が見開かれる。
「これは……」
真琴の右足の太ももには、入れ墨のような不思議な模様が入っていた。浅いコーヒー色の、四葉のクローバーを思わせる、どこかボタニカルな雰囲気の模様が。
「気付いたら、アザ、出来てた」
「あ、アザって……」
アザというには、あまりにも奇妙で、不気味で、美しすぎるものだった。
なにか恐ろしいことが自分たちの周りでとぐろを巻いている。そんな心持ちになり、沙良と真琴は互いを見つめ、どちらからともなく抱きしめあった。
「……今日も、自分、修業、あると、思う。きっと、沙良も」
「……うん。頑張ろうね」
二人の少女は震えながらも、強い決意を抱いていた。
***
雲雀財団、地下アジトにて。
「恭さん。一ノ瀬沙良からの情報によると、六道骸は今、イタリアのミルフィオーレに潜入しているものと思われます」
広範とした座敷の中で、忠実な部下、草壁の声がよく通っている。
「……」
雲雀は黙ったまま、傍らの小さな卓上に置かれていた湯呑みを手に取り、一口飲みくだした。
それから、と草壁は懐から、1枚の写真を取り出した。
「入江正一関連の情報でひとつ、気になる女性の存在が浮上しました」
そこに映っているのは、明るい髪色をなびかせたアジア系の女性。ミルフィオーレのホワイトスペルの隊服を着ている。
「名はアンジュ・ミナミ。日系アメリカ人で、どうやら入江正一のフィアンセらしいのですが……」
差し出された写真を受け取り、しばらく見つめる雲雀恭弥。
その口元がふ、とかすかに緩んだ。
「……ここに居たんだね」
「正一さん、大丈夫?」
甘い花の香りと声が、研究室の机に突っ伏していた入江にふりかかる。視界の端から女の腕が現れて、入江の首にまきついた。彼女の髪が、入江のうなじに垂れ下がる。
「アンジュか……ごめんね、今、すごく疲れてて……」
「ふふ、癒してあげましょうか」
アンジュは、入江の後頭部にキスをすると、そのまま椅子ごと入江を自分の方へ強引に向かせ、その膝の上に腰を下ろした。アンジュは入江に抱きつきながら、ちら、と天井の監視カメラに目をやる。入江が通信付きの上着を身に着けていないことを確認しつつ、耳元でささやいた。
「グロ・キシニアからは、目を離さないようにするわね」
「……頼んだよ」
「それからね、正一さん。ひとつ、教えておきたいことがあるの」
アンジュは腕を伸ばし、入江の体越しにパソコンの電源を入れた。カタカタと、器用にキーボードをたたく音が静まり返った室内に響き渡る。
「アンジュ?」
「これを見て頂戴、正一さん」
入江がパソコンに向かって振り返る。そのとたん、
『聞いた? 正チャン!』
とつぜん聞こえてきた白蘭の声に、入江の肩がびくりと跳ね上がる。ぱちぱちと目をしばたたかせながら、しばらく画面を見つめて、は、とため息をついた。この前通信したときの録画映像だった。
「これがどうしたの、アンジュ」
「よく見て。彼の後ろ」
アンジュが一時停止ボタンを押した。頬に手をつく白蘭の後ろを、人影が通り過ぎる。そこで、アンジュはその人影に向かって画面を拡大させた。そこに映っている人物を見て、入江は愕然とした。
「っ、アンジュ、これは……」
「また、お芝居が必要そうね」
入江の膝の上で、アンジュは妖艶に微笑んだ。
***
午前中の修業。
広大なトレーニングルームに設置された、いくつもの障害物。死ぬ気モードの綱吉はそれらの合間を左右に練りながら、全速力で突っ切った。ゴールに到達したとき、その様子を見守っていた了平がカチ、とストップウォッチを止める。同時に、綱吉の額の炎も潰え、膝は床に落ち、強い疲労が襲いかかってきた。
ストップウォッチに表示された数字を眺める了平の顔を見上げる。己の修行が上手くいっていないのは、その表情からして明らかだった。
「スラロームのタイムはだいぶ縮まってきている。が、」
「ノーマルグローブのときのほうが、まだ早いですか……?」
「うむ。極限、まだまだ動きに無駄があるということだな」
綱吉の心にずしりと重みが走る。せっかくバージョンアップしたというのに、このていたらくとは。
「このままでは……午後の修業で、また雲雀に半殺しにされて終わるぞ。それに……」
その先は、言われなくとも分かった。本部への、4日後の殴り込みの返事も、芳しくないということだ。気落ちしそうになる綱吉の背中を、了平はバシバシと叩き、綱吉の体は大きく揺れた。
「休憩しろ、沢田!」
「お、お兄さん……」
「アスリートには極限、休息も必要だ!! 休憩がてら、他の仲間を見てこい」
「は、はい……!」
*
まだまだ未知のアジト探索も兼ねて、綱吉はまず、おそらくいちばん遠い場所で修業しているであろう仲間、山本を訪ねることにした。
聞かされていたエレベーターで10階にたどり着く。い草の香りが鼻腔をくすぐり、長くのびた廊下を挟んだ両側は、どこまでもが障子でぴたりと閉じられていた。全体的に日本風の造りになっているらしい。
隙間なく閉められた障子の一角から、騒々しい物音が響いている。
(山本、ここかな?)
綱吉は何も考えずにその場所へおもむき、そっと障子を開けた。しかし、それが良くなかった。目が部屋の中を捉えるよりも先に、鮮やかな色をした液体が飛び出してきて綱吉の視界を覆ったのだ。
「な、何!?」
あわてて目元をぬぐうと、両手に拳銃を構えたリボーンと、青い死ぬ気の炎を刃にまとわせた山本が激しくせめぎ合っていた。さっきの鮮やかな色の液体は、リボーンの持つ拳銃から放たれている。それらに襲われながらも、山本は匣兵器である燕を使役しながらリボーンを迎え撃つ。しかし軍配はリボーンに上がりつつあった。四苦八苦しながら、山本は綱吉がいる障子のところになだれ込む。
「わわっ!!」
「ツナ!?」
綱吉の存在に気づいた山本はバランスを崩し、両者はそのまま障子ごと廊下に吹っ飛んでしまった。自分に覆いかぶさった障子を押しのけながら、山本はあわてて綱吉に声をかける。
「わりいっ、大丈夫か、ツナ!」
「だ、大丈夫……」
「修業中に入ってくる奴が悪いんだぞ」
にべもなく言うリボーン。綱吉は途切れ途切れに言った。
「ご、ごめん……! その、修業の調子はどうかなって」
すると、山本の顔に苦みが走った。なるほど、とリボーンがうなづく。
「さっきオレが撃っていたのはペイント弾だ。蛍光塗料で、暗闇で光るタイプのな。つまりはペイント弾に当たった数だけ、実戦では死んでるってことだ」
言いながら、リボーンは小さなリモコンを操作し、フロア全体の照明を落とした。ふっと闇が辺りを包むさなか、まばゆい光が瞳を刺す。
山本の全身が光っていた。自らかがやく恒星のごとく、それはそれは光っていた。
「光りまくりー!?!?」
綱吉のツッコミに、山本は苦笑いしながら頭を掻いていた。
*
次に、獄寺のもとを訪れた綱吉。ノックして、嵐ルームのモニタールームに入る。たった一人、ビアンキが、階下の様子を眺めていた。
「ビアンキ、」
話しかけるも、ビアンキはぴくりともしない。
「獄寺くんの修業……どう?」
しばらくの沈黙の後、やっとビアンキはこちら側を向いた。ゴーグルの奥の瞳には、苦悩が滲んでいた。
「……難航しているみたいね。特に、自分の匣兵器の仕組みの解明に」
「そ、そっか……」
ビアンキに顎で促され、そっと綱吉は嵐ルームを見下ろした。いくつもの匣を前に、頭をかきむしりながら苦戦している獄寺の背中。綱吉はかける言葉が見つからず、彼に気づかれないように静かにモニタールームを後にした。
(こんな調子じゃ4日後の殴り込みなんて……無理なんじゃ)
第2トレーニングルームにて。
空中を縦横無尽に曲流する大蜈蚣の、重なり、動き回る檻をかいくぐり、2人の少女たちはその操り手──ラル・ミルチに向かっていった。
真琴は蛇腹剣を鎖状にして大蜈蚣に叩きつけるも、大蜈蚣の長い体が剣身にまきついてしまった。埒が明かないと判断した真琴は、気を高ぶらせ、ぶわりと、闇の炎を周囲に霧散させる。そして、叫んだ。
「術式・“天人五衰 ”……!」
ラル・ミルチに教えられた、この時代の大人になった真琴が使っていたという技。仏教において、天上界におわす天人たちの、命の最期に訪れる兆候になぞらえた幻覚だが──
「一、えしょうこうじっ……何、」
肝心のラル・ミルチに、変化は見られない。本来ならば、衣裳垢膩 、最初にその纏っている衣がぼろぼろに朽ち果てる幻が現れるはずなのに。
夢は廻る。
世界が、景色が、モノが、人が、自分が。
『私を殺して』
大きな帽子をかぶった、黒髪の少女がこちらに向かって叫んでいる。何度も、何度も。
『そう約束したでしょう、一ノ瀬 沙良さん』
あなたは、誰?
そう問いかけようとして、また廻る。
見慣れた4つの指輪が並んでいる。それがぐにゃりと形を変え、一つの石と成った。いや成ったのではない。〝戻った〟のだ。夢の中では、説明されなくても、分かるときがある。
『嫌、ひとりぼっちは嫌』
一つの石から声がする。あどけない、幼子の声。迷子のように泣きじゃくる声。
夢の中で、石に手を伸ばそうとする。すると、
『こんなはずじゃなかった』
『お願い助けて』
『家族の元へ返して』
『体を返してくれ』
石の声とは別の、あまたの悲痛な叫びが、背後から聞こえてくる。大勢の人間が、少し距離を置いて後ろに居た。老若男女、人種問わず、さまざまな人々が居た。しかし彼らの訴えもむなしく、彼らの体はみるみるうちに浅いコーヒーに似た色で染め上げられ、一人、また一人と姿を消していった。
しかしながら数人、残った者もいた。みな女性で、あざやかなピンク色の髪。目元はアイマスクで覆われ、その表情はうかがうことができない。彼女らに対しても、手を伸ばす。しかし、届かない。
夢は廻る。
銀髪の青年が、こちらに向かって微笑んだ。
『保留にしちゃえば?』
なにもかもを。
そう言われただけなのに、この人は残酷だと思った。その笑みも、言葉も、存在も。
やがて、古いフィルムのように夢は途切れる。親友の呼び声によって。
「……沙良、沙良!!」
耳に飛び込んできた大声に沙良は目を覚ます。視界には天井と、こちらを心配そうに見下ろす真琴の顔があった。頬から首にかけて、ひたりと汗が流れる感覚がする。それだけではない、掛け布団も、服も、体も、びっしょりと汗をかいていた。
「真琴……」
額に手をやりながら、沙良はゆっくり上半身を起こした。真琴の手が沙良の背中をさする。
「だい、じょうぶ? すごく、うなされて、た」
「だ、大丈夫……ちょっと、変な夢、見ちゃって……」
朧げながら、沙良は夢のことを真琴に話した。自分たちの指輪から聞こえた声、消えていった人々、残った褐色肌の女性たちのこと。
「それから、っ……」
女の子に、自分を殺してと頼まれたこと。それも真琴に教えようとして、沙良はとっさに口をつぐんだ。なぜだかわからないが、これはあの少女と自分、2人だけの秘密であらねばならない気がしたのだ。
顔を上げて、沙良は笑顔を取り繕った。
「ごめんなさい、なんでもない」
真琴の眉間にシワが寄る。
「……」
言葉が見つからず、黙りこくる真琴。少しして、口を開いた。
「……実は自分も、最近、変な夢、見た」
「えっ、ほんとう?」
「正確には、夢、というより、映像、みたいな、ものだけど」
真琴も、綱吉との生死をかけた修行中に見たものを(69.参照)打ち明けた。初代の頃にいたという、フィオーリの乙女たち。ほかでもないその指輪の持ち主たちが、エテルナリングを壊そうとしていたこと──。
沙良が目を白黒させる。ふと、膝の上の手を、そこにはめられている指輪を凝視した。
「私達の先代は、指輪を、壊そうとしていたの……?」
「た、たぶん……そうだと、思う」
「でも、ここにあるってことは……」
壊そうとしたが、失敗した。そこであ、と真琴は思い出す。
「でも、この時代、だと、ボンゴレリングと、一緒に、壊された、って……」
「どういうことなの……いったい……」
謎だらけのこの状況に、不安と不穏が真琴と沙良の胸に浸潤していく。
「……それ、から」
真琴は履いていたスカートをめくりあげ、右足の太ももを沙良に見せた。沙良の目が見開かれる。
「これは……」
真琴の右足の太ももには、入れ墨のような不思議な模様が入っていた。浅いコーヒー色の、四葉のクローバーを思わせる、どこかボタニカルな雰囲気の模様が。
「気付いたら、アザ、出来てた」
「あ、アザって……」
アザというには、あまりにも奇妙で、不気味で、美しすぎるものだった。
なにか恐ろしいことが自分たちの周りでとぐろを巻いている。そんな心持ちになり、沙良と真琴は互いを見つめ、どちらからともなく抱きしめあった。
「……今日も、自分、修業、あると、思う。きっと、沙良も」
「……うん。頑張ろうね」
二人の少女は震えながらも、強い決意を抱いていた。
***
雲雀財団、地下アジトにて。
「恭さん。一ノ瀬沙良からの情報によると、六道骸は今、イタリアのミルフィオーレに潜入しているものと思われます」
広範とした座敷の中で、忠実な部下、草壁の声がよく通っている。
「……」
雲雀は黙ったまま、傍らの小さな卓上に置かれていた湯呑みを手に取り、一口飲みくだした。
それから、と草壁は懐から、1枚の写真を取り出した。
「入江正一関連の情報でひとつ、気になる女性の存在が浮上しました」
そこに映っているのは、明るい髪色をなびかせたアジア系の女性。ミルフィオーレのホワイトスペルの隊服を着ている。
「名はアンジュ・ミナミ。日系アメリカ人で、どうやら入江正一のフィアンセらしいのですが……」
差し出された写真を受け取り、しばらく見つめる雲雀恭弥。
その口元がふ、とかすかに緩んだ。
「……ここに居たんだね」
「正一さん、大丈夫?」
甘い花の香りと声が、研究室の机に突っ伏していた入江にふりかかる。視界の端から女の腕が現れて、入江の首にまきついた。彼女の髪が、入江のうなじに垂れ下がる。
「アンジュか……ごめんね、今、すごく疲れてて……」
「ふふ、癒してあげましょうか」
アンジュは、入江の後頭部にキスをすると、そのまま椅子ごと入江を自分の方へ強引に向かせ、その膝の上に腰を下ろした。アンジュは入江に抱きつきながら、ちら、と天井の監視カメラに目をやる。入江が通信付きの上着を身に着けていないことを確認しつつ、耳元でささやいた。
「グロ・キシニアからは、目を離さないようにするわね」
「……頼んだよ」
「それからね、正一さん。ひとつ、教えておきたいことがあるの」
アンジュは腕を伸ばし、入江の体越しにパソコンの電源を入れた。カタカタと、器用にキーボードをたたく音が静まり返った室内に響き渡る。
「アンジュ?」
「これを見て頂戴、正一さん」
入江がパソコンに向かって振り返る。そのとたん、
『聞いた? 正チャン!』
とつぜん聞こえてきた白蘭の声に、入江の肩がびくりと跳ね上がる。ぱちぱちと目をしばたたかせながら、しばらく画面を見つめて、は、とため息をついた。この前通信したときの録画映像だった。
「これがどうしたの、アンジュ」
「よく見て。彼の後ろ」
アンジュが一時停止ボタンを押した。頬に手をつく白蘭の後ろを、人影が通り過ぎる。そこで、アンジュはその人影に向かって画面を拡大させた。そこに映っている人物を見て、入江は愕然とした。
「っ、アンジュ、これは……」
「また、お芝居が必要そうね」
入江の膝の上で、アンジュは妖艶に微笑んだ。
***
午前中の修業。
広大なトレーニングルームに設置された、いくつもの障害物。死ぬ気モードの綱吉はそれらの合間を左右に練りながら、全速力で突っ切った。ゴールに到達したとき、その様子を見守っていた了平がカチ、とストップウォッチを止める。同時に、綱吉の額の炎も潰え、膝は床に落ち、強い疲労が襲いかかってきた。
ストップウォッチに表示された数字を眺める了平の顔を見上げる。己の修行が上手くいっていないのは、その表情からして明らかだった。
「スラロームのタイムはだいぶ縮まってきている。が、」
「ノーマルグローブのときのほうが、まだ早いですか……?」
「うむ。極限、まだまだ動きに無駄があるということだな」
綱吉の心にずしりと重みが走る。せっかくバージョンアップしたというのに、このていたらくとは。
「このままでは……午後の修業で、また雲雀に半殺しにされて終わるぞ。それに……」
その先は、言われなくとも分かった。本部への、4日後の殴り込みの返事も、芳しくないということだ。気落ちしそうになる綱吉の背中を、了平はバシバシと叩き、綱吉の体は大きく揺れた。
「休憩しろ、沢田!」
「お、お兄さん……」
「アスリートには極限、休息も必要だ!! 休憩がてら、他の仲間を見てこい」
「は、はい……!」
*
まだまだ未知のアジト探索も兼ねて、綱吉はまず、おそらくいちばん遠い場所で修業しているであろう仲間、山本を訪ねることにした。
聞かされていたエレベーターで10階にたどり着く。い草の香りが鼻腔をくすぐり、長くのびた廊下を挟んだ両側は、どこまでもが障子でぴたりと閉じられていた。全体的に日本風の造りになっているらしい。
隙間なく閉められた障子の一角から、騒々しい物音が響いている。
(山本、ここかな?)
綱吉は何も考えずにその場所へおもむき、そっと障子を開けた。しかし、それが良くなかった。目が部屋の中を捉えるよりも先に、鮮やかな色をした液体が飛び出してきて綱吉の視界を覆ったのだ。
「な、何!?」
あわてて目元をぬぐうと、両手に拳銃を構えたリボーンと、青い死ぬ気の炎を刃にまとわせた山本が激しくせめぎ合っていた。さっきの鮮やかな色の液体は、リボーンの持つ拳銃から放たれている。それらに襲われながらも、山本は匣兵器である燕を使役しながらリボーンを迎え撃つ。しかし軍配はリボーンに上がりつつあった。四苦八苦しながら、山本は綱吉がいる障子のところになだれ込む。
「わわっ!!」
「ツナ!?」
綱吉の存在に気づいた山本はバランスを崩し、両者はそのまま障子ごと廊下に吹っ飛んでしまった。自分に覆いかぶさった障子を押しのけながら、山本はあわてて綱吉に声をかける。
「わりいっ、大丈夫か、ツナ!」
「だ、大丈夫……」
「修業中に入ってくる奴が悪いんだぞ」
にべもなく言うリボーン。綱吉は途切れ途切れに言った。
「ご、ごめん……! その、修業の調子はどうかなって」
すると、山本の顔に苦みが走った。なるほど、とリボーンがうなづく。
「さっきオレが撃っていたのはペイント弾だ。蛍光塗料で、暗闇で光るタイプのな。つまりはペイント弾に当たった数だけ、実戦では死んでるってことだ」
言いながら、リボーンは小さなリモコンを操作し、フロア全体の照明を落とした。ふっと闇が辺りを包むさなか、まばゆい光が瞳を刺す。
山本の全身が光っていた。自らかがやく恒星のごとく、それはそれは光っていた。
「光りまくりー!?!?」
綱吉のツッコミに、山本は苦笑いしながら頭を掻いていた。
*
次に、獄寺のもとを訪れた綱吉。ノックして、嵐ルームのモニタールームに入る。たった一人、ビアンキが、階下の様子を眺めていた。
「ビアンキ、」
話しかけるも、ビアンキはぴくりともしない。
「獄寺くんの修業……どう?」
しばらくの沈黙の後、やっとビアンキはこちら側を向いた。ゴーグルの奥の瞳には、苦悩が滲んでいた。
「……難航しているみたいね。特に、自分の匣兵器の仕組みの解明に」
「そ、そっか……」
ビアンキに顎で促され、そっと綱吉は嵐ルームを見下ろした。いくつもの匣を前に、頭をかきむしりながら苦戦している獄寺の背中。綱吉はかける言葉が見つからず、彼に気づかれないように静かにモニタールームを後にした。
(こんな調子じゃ4日後の殴り込みなんて……無理なんじゃ)
第2トレーニングルームにて。
空中を縦横無尽に曲流する大蜈蚣の、重なり、動き回る檻をかいくぐり、2人の少女たちはその操り手──ラル・ミルチに向かっていった。
真琴は蛇腹剣を鎖状にして大蜈蚣に叩きつけるも、大蜈蚣の長い体が剣身にまきついてしまった。埒が明かないと判断した真琴は、気を高ぶらせ、ぶわりと、闇の炎を周囲に霧散させる。そして、叫んだ。
「術式・“
ラル・ミルチに教えられた、この時代の大人になった真琴が使っていたという技。仏教において、天上界におわす天人たちの、命の最期に訪れる兆候になぞらえた幻覚だが──
「一、えしょうこうじっ……何、」
肝心のラル・ミルチに、変化は見られない。本来ならば、
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