70.-Old tale- 光もとめし乙女②
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一夜明け、ジラルドは穏やかな森の静寂とともに目を覚ました。小屋中をハーブや植物の数々が埋め尽くし、そのさなかわずかに、人の生活している痕跡が垣間見える。
ベッドから上半身を挙げて辺りを見渡すと、すぐ隣の床で女──イネスが毛布にくるまって寝入っていた。
しまった、とジラルドは内心舌打ちをする。
昨夜、どちらがベッドを使うかで揉めたのを思い出した。たったひとつしかない寝台を客の身分で、女性に譲らずに使うわけにもいかないとしぶるジラルドに対して、私はどこでも眠ることができます、怪我人を床になど、とイネスも断固として譲らなかった。
しばらくの押し問答の後、「これから仕事がありますので、それまではせめてベッドに横になっていてください」とイネスから申し出があった。
ならば彼女の仕事が終わるまで、とジラルドは心に決めていたが、彼女の織りなす手作業の音の心地よさに、つい眠気がおりてきて──今に至る。
ジラルドはイネスを起こさないようにそっとベッドから這い出ると、毛布ごと彼女を横抱きにし、先ほどまで己が寝ていた寝台に横たわらせた。
打ち身の身体には少々応えたが、昨日よりだいぶマシになっている。
そのときふと、ジラルドはあることに気づいた。
イネスの手足が、土と草にまみれている。たった今、草原を裸足で駆け回ってきたのかと思われるほど、爪にも土が混じっていた。
一瞬不審に思ったが、彼女の眠りを妨げるのも憚られたため、気にしないように目を逸らした。
なまった身体を動かすため、ジラルドはいったん小屋の外に出た。小屋の前は、イネスが耕していると思われる小さな庭が広がっていた。
初夏を迎えた庭は、多種多様な植物が、まるで風に種を乗せて寄り集まってきたかのように身を寄せ合い、天から降りしきる朝日をあびて、誇らしげにその茎や葉、花を広げていた。
ジラルドは植物には詳しくなかったが、ここはイネスが──村人に聖女と讃えられていた彼女が、手ずから大切に世話をし続けたに違いないと実感した。
女神の庭なのだ。
しばらく庭に見入っていると、
「もう起きてて、大丈夫ですか」
背後から透き通るような声に尋ねられた。ジラルドがゆっくり振り向くと、肩掛けを羽織ったイネスが立っていた。
手足は洗った痕跡が見られる。
「悪い、起こしたか」
「いつもこれくらいの時間に起きますから」
長い髪を揺らしながら、イネスは首を左右に振り、口元を綻ばせた。ジラルドの心の裡に、形容しがたい落ち着きのなさが宿る。しかし嫌な感覚ではなかった。
植えられている植物を、イネスはひとつひとつ指さしながらその名をジラルドに伝えた。
背の高く、てっぺんに星のような形をした花をつけたウッドラフ、雪のような花をしたマートル、丸っこくて瑞々しい葉をいくつもつけたノヂシャ、二人の背を優に越して伸びるフェンネル……
「あれはなんだ?」
ふと、庭の隅にひっそり佇む青紫の花を見つけるジラルド。ああ、とイネスは言った。
「バーベインです。お茶にすると、リラックス効果があるんですよ。昔は富の象徴で、求愛のしるしとして贈り物にもなったとか」
「あんたはなんでも知ってるな」
「そんなことは」
「それらの知識は、どこで」
「母です」
イネスは少しだけうつむいた。
「体が弱い方だったので。私が困らないようにと、色々教えてくれて」
「良い母親だな」
ジラルドの言葉に、イネスは小さく頷いた。伏せた彼女の目が潤んでいるように見えて、ジラルドは思わず伸ばしかけた手をあわてて引っ込める。
「流石に長居しすぎた。そろそろ出る」
イネスの、ガラス窓のような瞳が揺れた。名残惜しさが伝わってきて、ジラルドもぐらりと心が揺さぶられそうになる。
「せめて、あともう1日だけでもこちらにいらっしゃいませんか。お怪我が気になります」
「だが、あまりヴァルミュールから離れるのも怪しまれる。……それにここは、あんたにとって誰にも知られたくなかっただろう」
イネスは再び頭を垂れて、胸元でぎゅっと手を握りしめた。
「……それでも、」
イネスは言いよどんだ。泳ぐ眼はジラルドを留める口実を必死に探しているようだが、思い浮かばないのだろう。
口をつぐんだ彼女は、辺りを風に身を任せる草花たちのように静かで、そのまま彼女自身も花の一部になってしまいそうだった。
滅多に見たことのない女のうぶさに、ジラルドの脳裏は警鐘を鳴らしつつも、彼女の希望に寄り添わずにはいられなかった。
「……まあ、確かに、世話になった礼は出来てなかったしな。イネス、何か俺でも手伝えることはあるか」
その問いかけに、イネスの顔がぱっと明るくなる。
乳鉢に、ポプラの若芽を入れ、すり潰す。そこに蜜蝋とオイルを加えて練りこむことで、火傷の軟膏ができるという。
また、ウィローの木の樹皮と葉を煎じることで、発熱や胃腸薬、出血の抑制にもなるらしい。
ジラルドは日中、イネスの指示に従い、ひたすら薬草を調合していった。
イネスがやってみせるのを隣で見るのは容易いもののように思えたが、実際に行うのは難しかった。植物や材料によって手順はもちろん違うし、万が一間違えれば薬は台無しになり、彼女が庭や森で採取してきた労力を無駄にしてしまうのだ。
イネスは家畜の世話や掃除、洗濯といった家事に勤しみつつ、時折ジラルドの元へ行っては、無理に手伝わなくても良いと気遣ったが、ジラルドは半ばむきになって積極的に作業を進め、日が傾き始めた頃、気づけば中央の作業用テーブルには薬瓶達が所狭しと並んでいた。
「お疲れ様でした」
ふう、と一息ついたジラルドに、イネスが木製のカップに入ったお茶を出してくれた。庭に咲いていたダンデライオンのように明るいハチミツ色のお茶だった。ひとくち口に含むと、ほのかなハーブと、やはりハチミツのとろんとした甘みと花が共に舌の上に残った。
「リンデンから作ったお茶です」
飲むとぽかぽかと体が心地よい倦怠感に包まれた。イネスはテーブルの上のジラルドの仕事ぶりに目を丸くした。
「本当に、ありがとうございました。しばらくは私、働かなくていいくらいです」
「あんたは命の恩人だからな」
「まあ、それはそれは」
口元に手をやって笑うイネス。ぼんやりとその笑顔を見ているだけで、ジラルドの胸中は多幸感に満たされていく。
そうだ、とイネスは何かを思いつき、さっとジラルドのそばにやってきて跪いた。
何をするつもりかと物柔らかに見守っていたジラルドだったが、次の瞬間、お茶によって和みかけていた意識がはっとした。イネスはジラルドの調合で酷使した手を取ると、優しくマッサージを始めたのだ。
「っ、おい」
「私からのお礼です」
「イネス、お前が礼をしてどうする」
「いいじゃありませんか」
ふにふにとした女の手が、無骨な男の指一本一本を握りしめるように、また指と指の間や、手のひらや甲を労わるように揉んでいく。
ジラルドの手に視線を落としたまま、イネスが言った。
「本当に、ありがとうございました。これで、村でのやり取りもスムーズになると思います」
「足りないものは、村で調達してるんだったな」
「ええ。リンデンのお茶に入れたはちみつも、作った薬と交換してもらったものです」
「村では暮らさないのか」
つい、ジラルドは聞いていた。
イネスの手が止まる。
ベッドから上半身を挙げて辺りを見渡すと、すぐ隣の床で女──イネスが毛布にくるまって寝入っていた。
しまった、とジラルドは内心舌打ちをする。
昨夜、どちらがベッドを使うかで揉めたのを思い出した。たったひとつしかない寝台を客の身分で、女性に譲らずに使うわけにもいかないとしぶるジラルドに対して、私はどこでも眠ることができます、怪我人を床になど、とイネスも断固として譲らなかった。
しばらくの押し問答の後、「これから仕事がありますので、それまではせめてベッドに横になっていてください」とイネスから申し出があった。
ならば彼女の仕事が終わるまで、とジラルドは心に決めていたが、彼女の織りなす手作業の音の心地よさに、つい眠気がおりてきて──今に至る。
ジラルドはイネスを起こさないようにそっとベッドから這い出ると、毛布ごと彼女を横抱きにし、先ほどまで己が寝ていた寝台に横たわらせた。
打ち身の身体には少々応えたが、昨日よりだいぶマシになっている。
そのときふと、ジラルドはあることに気づいた。
イネスの手足が、土と草にまみれている。たった今、草原を裸足で駆け回ってきたのかと思われるほど、爪にも土が混じっていた。
一瞬不審に思ったが、彼女の眠りを妨げるのも憚られたため、気にしないように目を逸らした。
なまった身体を動かすため、ジラルドはいったん小屋の外に出た。小屋の前は、イネスが耕していると思われる小さな庭が広がっていた。
初夏を迎えた庭は、多種多様な植物が、まるで風に種を乗せて寄り集まってきたかのように身を寄せ合い、天から降りしきる朝日をあびて、誇らしげにその茎や葉、花を広げていた。
ジラルドは植物には詳しくなかったが、ここはイネスが──村人に聖女と讃えられていた彼女が、手ずから大切に世話をし続けたに違いないと実感した。
女神の庭なのだ。
しばらく庭に見入っていると、
「もう起きてて、大丈夫ですか」
背後から透き通るような声に尋ねられた。ジラルドがゆっくり振り向くと、肩掛けを羽織ったイネスが立っていた。
手足は洗った痕跡が見られる。
「悪い、起こしたか」
「いつもこれくらいの時間に起きますから」
長い髪を揺らしながら、イネスは首を左右に振り、口元を綻ばせた。ジラルドの心の裡に、形容しがたい落ち着きのなさが宿る。しかし嫌な感覚ではなかった。
植えられている植物を、イネスはひとつひとつ指さしながらその名をジラルドに伝えた。
背の高く、てっぺんに星のような形をした花をつけたウッドラフ、雪のような花をしたマートル、丸っこくて瑞々しい葉をいくつもつけたノヂシャ、二人の背を優に越して伸びるフェンネル……
「あれはなんだ?」
ふと、庭の隅にひっそり佇む青紫の花を見つけるジラルド。ああ、とイネスは言った。
「バーベインです。お茶にすると、リラックス効果があるんですよ。昔は富の象徴で、求愛のしるしとして贈り物にもなったとか」
「あんたはなんでも知ってるな」
「そんなことは」
「それらの知識は、どこで」
「母です」
イネスは少しだけうつむいた。
「体が弱い方だったので。私が困らないようにと、色々教えてくれて」
「良い母親だな」
ジラルドの言葉に、イネスは小さく頷いた。伏せた彼女の目が潤んでいるように見えて、ジラルドは思わず伸ばしかけた手をあわてて引っ込める。
「流石に長居しすぎた。そろそろ出る」
イネスの、ガラス窓のような瞳が揺れた。名残惜しさが伝わってきて、ジラルドもぐらりと心が揺さぶられそうになる。
「せめて、あともう1日だけでもこちらにいらっしゃいませんか。お怪我が気になります」
「だが、あまりヴァルミュールから離れるのも怪しまれる。……それにここは、あんたにとって誰にも知られたくなかっただろう」
イネスは再び頭を垂れて、胸元でぎゅっと手を握りしめた。
「……それでも、」
イネスは言いよどんだ。泳ぐ眼はジラルドを留める口実を必死に探しているようだが、思い浮かばないのだろう。
口をつぐんだ彼女は、辺りを風に身を任せる草花たちのように静かで、そのまま彼女自身も花の一部になってしまいそうだった。
滅多に見たことのない女のうぶさに、ジラルドの脳裏は警鐘を鳴らしつつも、彼女の希望に寄り添わずにはいられなかった。
「……まあ、確かに、世話になった礼は出来てなかったしな。イネス、何か俺でも手伝えることはあるか」
その問いかけに、イネスの顔がぱっと明るくなる。
乳鉢に、ポプラの若芽を入れ、すり潰す。そこに蜜蝋とオイルを加えて練りこむことで、火傷の軟膏ができるという。
また、ウィローの木の樹皮と葉を煎じることで、発熱や胃腸薬、出血の抑制にもなるらしい。
ジラルドは日中、イネスの指示に従い、ひたすら薬草を調合していった。
イネスがやってみせるのを隣で見るのは容易いもののように思えたが、実際に行うのは難しかった。植物や材料によって手順はもちろん違うし、万が一間違えれば薬は台無しになり、彼女が庭や森で採取してきた労力を無駄にしてしまうのだ。
イネスは家畜の世話や掃除、洗濯といった家事に勤しみつつ、時折ジラルドの元へ行っては、無理に手伝わなくても良いと気遣ったが、ジラルドは半ばむきになって積極的に作業を進め、日が傾き始めた頃、気づけば中央の作業用テーブルには薬瓶達が所狭しと並んでいた。
「お疲れ様でした」
ふう、と一息ついたジラルドに、イネスが木製のカップに入ったお茶を出してくれた。庭に咲いていたダンデライオンのように明るいハチミツ色のお茶だった。ひとくち口に含むと、ほのかなハーブと、やはりハチミツのとろんとした甘みと花が共に舌の上に残った。
「リンデンから作ったお茶です」
飲むとぽかぽかと体が心地よい倦怠感に包まれた。イネスはテーブルの上のジラルドの仕事ぶりに目を丸くした。
「本当に、ありがとうございました。しばらくは私、働かなくていいくらいです」
「あんたは命の恩人だからな」
「まあ、それはそれは」
口元に手をやって笑うイネス。ぼんやりとその笑顔を見ているだけで、ジラルドの胸中は多幸感に満たされていく。
そうだ、とイネスは何かを思いつき、さっとジラルドのそばにやってきて跪いた。
何をするつもりかと物柔らかに見守っていたジラルドだったが、次の瞬間、お茶によって和みかけていた意識がはっとした。イネスはジラルドの調合で酷使した手を取ると、優しくマッサージを始めたのだ。
「っ、おい」
「私からのお礼です」
「イネス、お前が礼をしてどうする」
「いいじゃありませんか」
ふにふにとした女の手が、無骨な男の指一本一本を握りしめるように、また指と指の間や、手のひらや甲を労わるように揉んでいく。
ジラルドの手に視線を落としたまま、イネスが言った。
「本当に、ありがとうございました。これで、村でのやり取りもスムーズになると思います」
「足りないものは、村で調達してるんだったな」
「ええ。リンデンのお茶に入れたはちみつも、作った薬と交換してもらったものです」
「村では暮らさないのか」
つい、ジラルドは聞いていた。
イネスの手が止まる。
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