68.迷い子
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深い眠りの淵から、ゆっくりと沙良は引き上げられた。意識の端々にはまだ、夢うつつの残骸が滲んでいる。
顔に炎の刺青がある男。
森に住まう謎の女。
夢の中の彼女は──沙良をこれまで幾度となく助け、導いてくれたその人で間違いなかった。
自分ではないのに、自分自身のように感じられるその人。
イネス。
彼女に憑依するような形で、沙良は夢を見ていた。夢の世界は、本当はあちらが現実なのではないかと思うほどにリアルで、こうして覚醒しても、大きな困惑を覚えていた。まるで水のゆりかごから外の世界へ押し出された赤子のように。
しかし、夢の輪郭は次第にぼやけて遠ざかっていく。と同時に、のんびりとはしていられない現実が沙良を待ち構えていた。自分が目覚めたのは、まったく身に覚えのない場所なのだから。眼前には、白亜の部屋が広がっていた。
「え、え!? ここどこ!?」
勢いよく飛び上がり、そこで自分が大きなソファに横たわっていたことを知った。背もたれが盛り上がった波のような形をしたシェーズロングソファだ。
沙良はもつれる足を懸命に動かし、立ち上がって、周囲を見渡した。
天井も壁も床も、これでもかというほどの白。沙良が寝転んでいたソファや、他の家具もわずかな装飾の差し色があれど白ずくめだ。高層ビル群を映す大きな窓から差し込む陽光が、唯一ほのかな黄色みを帯びている。
「な……なに、ここ……」
あっけにとられながら、沙良は必死に眠る前の記憶を辿った。
バジルに会った後、沙良は4人の家へ戻っていた。本来は綱吉宅に赴き、友人らと課題をしなければならないのだが、どうにもその気になれなかったのだ。
バジルに好きだと告白されてから、胸中にふくざつなもやが渦巻いてしまっていた。
沙良はのろのろと靴を脱ぎ、手を洗い、まっすぐ自室に入った。今朝ととのえたばかりのベッドの上に倒れ込む。外から聞こえてきたのは、子らが遊び、鳥の声がかろやかに響く、なごやかな休日の気配だった──その先は、あのまま寝てしまったのだろう。イネスの夢を見た。そして眠りから覚めた。
ならば、まだ自室にいるはずなのだ。
それなのに。
(も、もしかして私、また違う世界にトリップして……ん?)
前例がある以上その可能性も捨てきれなかったが、沙良はふと気付く。改めて周囲を見つめる。
見知らぬ部屋だと思ったがそれは違う。自分は少し前に、ここに来たことがある。
香港マフィアの幼き殺し屋・イーピンが来日し、初めて4人の前に姿を表したあの日(17.参照)、ランボが放った10年バズーカに被弾して沙良は10年後の世界を訪れた。
あのとき訪れた部屋は、今自分がいるこの場所によく似ている。
大理石の冷たい床の上に、毛の長い敷物が敷かれている。それらを裸足で踏み、壁一面がすべて透明な窓にたどり着く。ガラスの向こうは、灰色や空の色をそっくり映した青いビル群がひしめいており、ここが高層階であることを告げていた。
「……」
沙良はガラス窓に手をおいた。
バジルの想い、自分に関係しているであろう遥か遠い記憶、そしてこの部屋。予想外な出来事が次から次へとやってきて、頭がパンクしそうだった。
すると突然、
「ああ、起きてたんだね」
間延びした、男性の声が背中にかかった。
とっさに振り返り、沙良はまたもや言葉を失う。いつの間にか背後に、白い軍服のような服装をした若い男がいた。
沙良はひっと息を呑み、全神経を青年に向けた。とっさに服のポケットに手を入れる。自分の武器である弓矢に変形するステッキの感触に、わずかな安堵を覚える。
「気分はどう? 体調は大丈夫かな、沙良ちゃん」
──自分の名前を知っている。
沙良の体は警戒と緊張でますますこわばり、ついにステッキを両手に持って青年に向けた。
そんな沙良に、青年は困り笑顔を向けながら近づく。
「こ、来ないで」
青年と距離を取りたかったが、あいにく沙良の背中は窓ガラスにぴたりとくっついていてこれ以上後ずさりすることは叶わない。しかし、青年も歩を止める気配はない。
「怖がらないで。大丈夫、僕は敵じゃない」
そして、ついに互いの間が一メートル以内にまで狭まった。青年は沙良の顔の横に手をついて、空いているほうの手でステッキの先を包むように握った。
「落ち着いて。ボンゴレファミリー光の守護者、一ノ瀬 沙良ちゃん」
「っ……」
青年は諭すように沙良を覗き込んだ。すずやかな顔立ちの美男であった。はねた銀髪の奥に、濃く透明なむらさきの瞳がのぞいていた。
(すみれの花みたい、)
恐怖に覆われた心のすみで、別の気持ちが湧いた。
「あ、あなたは一体……」
「僕は白蘭。ミルフィオーレファミリーのボスで、君たちの──ボンゴレの同盟ファミリーだよ」
いつも通りの沙良なら、この時点でもまだ疑心を手放さずにいただろう。しかし、今回ばかりはタイミングが悪すぎた。
「つまり同業者。君は初対面だけど、この時代では僕達はよく見知った仲なんだよ」
ボンゴレ。
同盟ファミリー。
彼の口から出た単語は、冷静さを欠いていた少女を安心させるのには充分なものだった。
「だからだいじょうぶ。ね?」
白蘭は両手で、ステッキごと沙良の手を包んで、にっこり笑った。目元の印象的なかぎづめの模様が、細められた瞳に合わせて少し動く。
沙良の中ではりつめた糸が、少しずつほぐれていく。
「じゃあ、あなたもマフィアなんですか……?」
「そう。ここは君にとって10年後の世界なんだ。この時代の君を、僕が保護していたんだよ。ボンゴレの敵対マフィアに狙われててね」
「そ、そうだったんですか……」
自分がこの場所にいる理由は分かったが、それはそれでもう一つ疑問が浮かび上がる。
「それで……どうして“私”が、ここに……?」
白蘭は、気まずそうにほほをかきながら言葉を続けた。
「敵は僕らが想定していたより、大きかったみたいでね。軍事力も科学力も。僕の推測に過ぎないけれど、10年前の君が召喚されてしまったのは、敵の手引によるものだろう」
「……」
うつむいてしまった沙良に、白蘭があわてて言った。
「ごめんね、急にこんな話されても、びっくりしちゃうよね」
「い、いえ、その……」
「なかなか信じてもらえないかもしれないけど……君の安全は保障するよ。君は僕にとって同盟ファミリーの仲間でありお客さんだから、安心して過ごしてほしいな。ボンゴレと君が無事合流できるように、力を尽くすつもりだから」
申し訳無さそうな青年の様子に、沙良の胸中にかすかな罪悪感がちらついた。自分の身に起こった事実を飲み込むのにはまだつっかえるが、せめて彼の親切に報いねばという義心がわいた。
おずおずと沙良は頭を下げる。
「そ、その……お世話になります。よろしく、お願いします」
*
「……そうか、雲属性の匣の特徴は……“増殖”だったな」
「すばらしい力さ。……ゆえに、興味深い」
──誰かが喋ってる。
わずかに届いた声に、すがるように真琴は耳をそばだてた。己の意識がはっきりしていくと同時に、体中に激しい痛みが蘇る。
「う……」
うめきながら、真琴はやっとの思いでまぶたを開けた。体は重しを乗せられているかのようにまったく動かない。声のする方へ、全身の力を込めて顔だけを動かすと、
「さあ、終わるよ」
視界に飛び込んできた光景に、真琴は度肝を抜かれた。
直径10メートルは優に越えているであろう著大な球体が空に浮いていた。球体は全身が鋭利な針地獄で覆われ、そのさなかに、真琴たちが苦戦させられたミルフィオーレブラックスペル、γと使役の狐が絡め取られているではないか。
それに対峙し、今にもとどめをささんと特攻する男がいた──スーツ姿の、紫色の炎を帯びたトンファーを手にした──雲雀恭弥だ。この時代の。
「!!」
真琴がごくりとつばを飲み込むのと同時に、雲雀の一手はγを貫いていた。巨大な球体の針と雲雀のトンファー、双方の鋭い牙に挟まれ、γはあっけなく吐血して散った。
「立花 真琴さん、意識はありますか?」
突如、別の人物が真琴のすぐ傍らに現れた。昭和の二枚目俳優のごときしぶい顔つき、特徴的なリーゼント頭の大男──並中風紀副委員長の草壁哲矢だ。
草壁の声掛けに、真琴は頷くだけで精一杯だった。なにか言いたくても、真琴の声帯は今は言うことをきいてくれそうにない。
すると、
「雲雀さん!!」
神社の玉砂利を、慌ただしく踏みつけて走る足音。綱吉とラル・ミルチだ。
「遅すぎるよ、君たち」
着地した雲雀はゆっくり立ち上がり、林の方を顎でしゃくってみせた。
「きみの探し人はそこだ」
「え!?」
綱吉と真琴の目が合った瞬間、綱吉の顔からさっと血の気がひいた。怪我を負った仲間の存在を認識し、居ても立っても居られないとばかりにこちらへ駆け出してくる。
「獄寺くんっ、山本、真琴!!」
「大丈夫、命に別状はありません。今すぐアジトで治療をすれば大丈夫です」
草壁がさとすも、綱吉の震えは止まりそうになかった。
「み、みんな……」
へたりこんでしまった綱吉。ここで、真琴の口がようやく開いた。
「つ、な、よしくん……」
「え?」
「きょこ、ちゃん、ハル、ちゃん、は……?」
真琴の問いかけに、綱吉の意識は一瞬それ、おかげで少し落ち着きを取りもどせた。涙の溜まった目元をごしごしぬぐい、必死に答える。
「大丈夫だよ、さっき会えたから。二人とも今、安全なところに隠れてて……」
綱吉の言葉に、真琴の鉛のように重かった心が、わずかに軽くなる。また、周囲と自分の感覚がぼんやりとにじんでいく。
「副委員長、助っ人に参りました」
「よし、怪我人は3名だ。気をつけて運べ、まずは──」
雲雀が手配したのだろう、応援の者たちの気配が増えてきた。
真琴は倒れている獄寺、山本へ視線を移した。傷だらけの彼らの体が、モノのように転がっている。
その光景が、むしょうに悲しくて悲しくてたまらなかった。
(謝らなきゃ……獄寺と、山本に……)
そこまで考えて、真琴は意識を手放した。
実際におのれの目で見てもなお、ラルは疑惑を抱かずにはいられなかった。
裏社会の人間の亡骸を多く積み上げ、“電光のγ”と恐れられた手練れを、まさかボンゴレリング無しで圧倒してしまうとは。
当の本人はそんなこと全く意にも介しておらぬ様子で、唖然とするラルに一瞥くれたあと、懐から名もなきリングを取り出した。指にはめ、炎を灯すと、そのまま迷いなく歩き始める。雲雀が境内に置かれていた灯籠を横切った瞬間、その体は霧のようにふつりと消えた。
草壁が説明する。
「あそこからアジトへ戻れます。我々の出入り口です」
「霧系リングを使った隠し扉か」
ラルの分析に草壁は首を縦に振りながら、
「ええ。ですがひとつ、問題が……」
悩ましげにあるものを差し出した。彼の手の平にあったのは、獄寺、山本のボンゴレリングと、真琴のエテルナリングだ。
「指輪は敵のレーダーに映っているでしょう、ここで反応を消すわけには……」
草壁のいわんとしていることは分かっていた。リスクを覚悟で、誰かが囮となって敵を撹乱せねばならない。ラルは迷わず言い切った。
「わかった。その仕事は、オレが引き受けよう。……迎えに行きたい人間もいるからな」
*
「精製度Aのリング1つ、神社から3キロの地点で消滅しました」
ミルフィオーレ日本支部、メローネ基地。外界を監視するモニタールームでは、焦った人間たちの声が響き渡っていた。
「こ、こちらも消滅です! 2つ目の赤河町に移動中だったリングが、」
けわしい顔でマップを睨みつける部下たち。彼らの焦燥にあおられ、入江正一も冷や汗をかいている。
「た、隊長! 先程から三鷹町にあったAランクのリングが消えました!」
過去からやってきたボンゴレリング、エテルナリングの気配。入江は己の率いるミルフィオーレ第二ローザ隊を派遣させたはいいものの、何の証左もつかめないこの状況に苛立っていた。
「まだうちの部隊は到着しないのか、このままでは」
「やはり、第3部隊の凍結をといて協力させたほうが」
チェルベッロが助言する。第3部隊、ブラックスペルのγがリーダーを務めるアフェランドラ隊のことだ。人手は多いほうが良い。しかし、入江は力強くかぶりをふった。
「駄目だ、これ以上彼らに勝手にさせるわけにはいかない」
そうこうしていると、モニターのひとつが発信を受け取った。送信元を表すコードを確認し、入江のみぞおちがきゅっとなった。
アンジュ・ミナミに目配せをする。
アンジュは静かに首を縦に振り、件のモニターに背を向けた。
入江は腹をくくり、相手とのビデオ通話を開始する。
『やあ、正チャン』
画面を覆いつくすように現れたのは、ミルフィオーレファミリーボス、白蘭だ。
『久しぶり、元気してた?』
「……お久しぶりです。ええ、おかげさまで絶好調ですよ」
皮肉を込めて返す入江。
『話は聞いてるよ、あんまり幸先よくないみたいだね。まあ、何事もすんなり行くとは限らないしね。あまり自分を責めないで』
外界のリング反応については、あまり固執していないようだ。入江は拍子抜けしつつ、なお己を奮い立たせる。この男がただのくだらない雑談をするために、わざわざ連絡をよこしてきたわけではあるまい。
絶対になにかある。案の定、答えはすぐに出た。
『正チャンに伝えたいことがあってね。こちらの別室の映像を流すから、見てくれるかな』
顔に炎の刺青がある男。
森に住まう謎の女。
夢の中の彼女は──沙良をこれまで幾度となく助け、導いてくれたその人で間違いなかった。
自分ではないのに、自分自身のように感じられるその人。
イネス。
彼女に憑依するような形で、沙良は夢を見ていた。夢の世界は、本当はあちらが現実なのではないかと思うほどにリアルで、こうして覚醒しても、大きな困惑を覚えていた。まるで水のゆりかごから外の世界へ押し出された赤子のように。
しかし、夢の輪郭は次第にぼやけて遠ざかっていく。と同時に、のんびりとはしていられない現実が沙良を待ち構えていた。自分が目覚めたのは、まったく身に覚えのない場所なのだから。眼前には、白亜の部屋が広がっていた。
「え、え!? ここどこ!?」
勢いよく飛び上がり、そこで自分が大きなソファに横たわっていたことを知った。背もたれが盛り上がった波のような形をしたシェーズロングソファだ。
沙良はもつれる足を懸命に動かし、立ち上がって、周囲を見渡した。
天井も壁も床も、これでもかというほどの白。沙良が寝転んでいたソファや、他の家具もわずかな装飾の差し色があれど白ずくめだ。高層ビル群を映す大きな窓から差し込む陽光が、唯一ほのかな黄色みを帯びている。
「な……なに、ここ……」
あっけにとられながら、沙良は必死に眠る前の記憶を辿った。
バジルに会った後、沙良は4人の家へ戻っていた。本来は綱吉宅に赴き、友人らと課題をしなければならないのだが、どうにもその気になれなかったのだ。
バジルに好きだと告白されてから、胸中にふくざつなもやが渦巻いてしまっていた。
沙良はのろのろと靴を脱ぎ、手を洗い、まっすぐ自室に入った。今朝ととのえたばかりのベッドの上に倒れ込む。外から聞こえてきたのは、子らが遊び、鳥の声がかろやかに響く、なごやかな休日の気配だった──その先は、あのまま寝てしまったのだろう。イネスの夢を見た。そして眠りから覚めた。
ならば、まだ自室にいるはずなのだ。
それなのに。
(も、もしかして私、また違う世界にトリップして……ん?)
前例がある以上その可能性も捨てきれなかったが、沙良はふと気付く。改めて周囲を見つめる。
見知らぬ部屋だと思ったがそれは違う。自分は少し前に、ここに来たことがある。
香港マフィアの幼き殺し屋・イーピンが来日し、初めて4人の前に姿を表したあの日(17.参照)、ランボが放った10年バズーカに被弾して沙良は10年後の世界を訪れた。
あのとき訪れた部屋は、今自分がいるこの場所によく似ている。
大理石の冷たい床の上に、毛の長い敷物が敷かれている。それらを裸足で踏み、壁一面がすべて透明な窓にたどり着く。ガラスの向こうは、灰色や空の色をそっくり映した青いビル群がひしめいており、ここが高層階であることを告げていた。
「……」
沙良はガラス窓に手をおいた。
バジルの想い、自分に関係しているであろう遥か遠い記憶、そしてこの部屋。予想外な出来事が次から次へとやってきて、頭がパンクしそうだった。
すると突然、
「ああ、起きてたんだね」
間延びした、男性の声が背中にかかった。
とっさに振り返り、沙良はまたもや言葉を失う。いつの間にか背後に、白い軍服のような服装をした若い男がいた。
沙良はひっと息を呑み、全神経を青年に向けた。とっさに服のポケットに手を入れる。自分の武器である弓矢に変形するステッキの感触に、わずかな安堵を覚える。
「気分はどう? 体調は大丈夫かな、沙良ちゃん」
──自分の名前を知っている。
沙良の体は警戒と緊張でますますこわばり、ついにステッキを両手に持って青年に向けた。
そんな沙良に、青年は困り笑顔を向けながら近づく。
「こ、来ないで」
青年と距離を取りたかったが、あいにく沙良の背中は窓ガラスにぴたりとくっついていてこれ以上後ずさりすることは叶わない。しかし、青年も歩を止める気配はない。
「怖がらないで。大丈夫、僕は敵じゃない」
そして、ついに互いの間が一メートル以内にまで狭まった。青年は沙良の顔の横に手をついて、空いているほうの手でステッキの先を包むように握った。
「落ち着いて。ボンゴレファミリー光の守護者、一ノ瀬 沙良ちゃん」
「っ……」
青年は諭すように沙良を覗き込んだ。すずやかな顔立ちの美男であった。はねた銀髪の奥に、濃く透明なむらさきの瞳がのぞいていた。
(すみれの花みたい、)
恐怖に覆われた心のすみで、別の気持ちが湧いた。
「あ、あなたは一体……」
「僕は白蘭。ミルフィオーレファミリーのボスで、君たちの──ボンゴレの同盟ファミリーだよ」
いつも通りの沙良なら、この時点でもまだ疑心を手放さずにいただろう。しかし、今回ばかりはタイミングが悪すぎた。
「つまり同業者。君は初対面だけど、この時代では僕達はよく見知った仲なんだよ」
ボンゴレ。
同盟ファミリー。
彼の口から出た単語は、冷静さを欠いていた少女を安心させるのには充分なものだった。
「だからだいじょうぶ。ね?」
白蘭は両手で、ステッキごと沙良の手を包んで、にっこり笑った。目元の印象的なかぎづめの模様が、細められた瞳に合わせて少し動く。
沙良の中ではりつめた糸が、少しずつほぐれていく。
「じゃあ、あなたもマフィアなんですか……?」
「そう。ここは君にとって10年後の世界なんだ。この時代の君を、僕が保護していたんだよ。ボンゴレの敵対マフィアに狙われててね」
「そ、そうだったんですか……」
自分がこの場所にいる理由は分かったが、それはそれでもう一つ疑問が浮かび上がる。
「それで……どうして“私”が、ここに……?」
白蘭は、気まずそうにほほをかきながら言葉を続けた。
「敵は僕らが想定していたより、大きかったみたいでね。軍事力も科学力も。僕の推測に過ぎないけれど、10年前の君が召喚されてしまったのは、敵の手引によるものだろう」
「……」
うつむいてしまった沙良に、白蘭があわてて言った。
「ごめんね、急にこんな話されても、びっくりしちゃうよね」
「い、いえ、その……」
「なかなか信じてもらえないかもしれないけど……君の安全は保障するよ。君は僕にとって同盟ファミリーの仲間でありお客さんだから、安心して過ごしてほしいな。ボンゴレと君が無事合流できるように、力を尽くすつもりだから」
申し訳無さそうな青年の様子に、沙良の胸中にかすかな罪悪感がちらついた。自分の身に起こった事実を飲み込むのにはまだつっかえるが、せめて彼の親切に報いねばという義心がわいた。
おずおずと沙良は頭を下げる。
「そ、その……お世話になります。よろしく、お願いします」
*
「……そうか、雲属性の匣の特徴は……“増殖”だったな」
「すばらしい力さ。……ゆえに、興味深い」
──誰かが喋ってる。
わずかに届いた声に、すがるように真琴は耳をそばだてた。己の意識がはっきりしていくと同時に、体中に激しい痛みが蘇る。
「う……」
うめきながら、真琴はやっとの思いでまぶたを開けた。体は重しを乗せられているかのようにまったく動かない。声のする方へ、全身の力を込めて顔だけを動かすと、
「さあ、終わるよ」
視界に飛び込んできた光景に、真琴は度肝を抜かれた。
直径10メートルは優に越えているであろう著大な球体が空に浮いていた。球体は全身が鋭利な針地獄で覆われ、そのさなかに、真琴たちが苦戦させられたミルフィオーレブラックスペル、γと使役の狐が絡め取られているではないか。
それに対峙し、今にもとどめをささんと特攻する男がいた──スーツ姿の、紫色の炎を帯びたトンファーを手にした──雲雀恭弥だ。この時代の。
「!!」
真琴がごくりとつばを飲み込むのと同時に、雲雀の一手はγを貫いていた。巨大な球体の針と雲雀のトンファー、双方の鋭い牙に挟まれ、γはあっけなく吐血して散った。
「立花 真琴さん、意識はありますか?」
突如、別の人物が真琴のすぐ傍らに現れた。昭和の二枚目俳優のごときしぶい顔つき、特徴的なリーゼント頭の大男──並中風紀副委員長の草壁哲矢だ。
草壁の声掛けに、真琴は頷くだけで精一杯だった。なにか言いたくても、真琴の声帯は今は言うことをきいてくれそうにない。
すると、
「雲雀さん!!」
神社の玉砂利を、慌ただしく踏みつけて走る足音。綱吉とラル・ミルチだ。
「遅すぎるよ、君たち」
着地した雲雀はゆっくり立ち上がり、林の方を顎でしゃくってみせた。
「きみの探し人はそこだ」
「え!?」
綱吉と真琴の目が合った瞬間、綱吉の顔からさっと血の気がひいた。怪我を負った仲間の存在を認識し、居ても立っても居られないとばかりにこちらへ駆け出してくる。
「獄寺くんっ、山本、真琴!!」
「大丈夫、命に別状はありません。今すぐアジトで治療をすれば大丈夫です」
草壁がさとすも、綱吉の震えは止まりそうになかった。
「み、みんな……」
へたりこんでしまった綱吉。ここで、真琴の口がようやく開いた。
「つ、な、よしくん……」
「え?」
「きょこ、ちゃん、ハル、ちゃん、は……?」
真琴の問いかけに、綱吉の意識は一瞬それ、おかげで少し落ち着きを取りもどせた。涙の溜まった目元をごしごしぬぐい、必死に答える。
「大丈夫だよ、さっき会えたから。二人とも今、安全なところに隠れてて……」
綱吉の言葉に、真琴の鉛のように重かった心が、わずかに軽くなる。また、周囲と自分の感覚がぼんやりとにじんでいく。
「副委員長、助っ人に参りました」
「よし、怪我人は3名だ。気をつけて運べ、まずは──」
雲雀が手配したのだろう、応援の者たちの気配が増えてきた。
真琴は倒れている獄寺、山本へ視線を移した。傷だらけの彼らの体が、モノのように転がっている。
その光景が、むしょうに悲しくて悲しくてたまらなかった。
(謝らなきゃ……獄寺と、山本に……)
そこまで考えて、真琴は意識を手放した。
実際におのれの目で見てもなお、ラルは疑惑を抱かずにはいられなかった。
裏社会の人間の亡骸を多く積み上げ、“電光のγ”と恐れられた手練れを、まさかボンゴレリング無しで圧倒してしまうとは。
当の本人はそんなこと全く意にも介しておらぬ様子で、唖然とするラルに一瞥くれたあと、懐から名もなきリングを取り出した。指にはめ、炎を灯すと、そのまま迷いなく歩き始める。雲雀が境内に置かれていた灯籠を横切った瞬間、その体は霧のようにふつりと消えた。
草壁が説明する。
「あそこからアジトへ戻れます。我々の出入り口です」
「霧系リングを使った隠し扉か」
ラルの分析に草壁は首を縦に振りながら、
「ええ。ですがひとつ、問題が……」
悩ましげにあるものを差し出した。彼の手の平にあったのは、獄寺、山本のボンゴレリングと、真琴のエテルナリングだ。
「指輪は敵のレーダーに映っているでしょう、ここで反応を消すわけには……」
草壁のいわんとしていることは分かっていた。リスクを覚悟で、誰かが囮となって敵を撹乱せねばならない。ラルは迷わず言い切った。
「わかった。その仕事は、オレが引き受けよう。……迎えに行きたい人間もいるからな」
*
「精製度Aのリング1つ、神社から3キロの地点で消滅しました」
ミルフィオーレ日本支部、メローネ基地。外界を監視するモニタールームでは、焦った人間たちの声が響き渡っていた。
「こ、こちらも消滅です! 2つ目の赤河町に移動中だったリングが、」
けわしい顔でマップを睨みつける部下たち。彼らの焦燥にあおられ、入江正一も冷や汗をかいている。
「た、隊長! 先程から三鷹町にあったAランクのリングが消えました!」
過去からやってきたボンゴレリング、エテルナリングの気配。入江は己の率いるミルフィオーレ第二ローザ隊を派遣させたはいいものの、何の証左もつかめないこの状況に苛立っていた。
「まだうちの部隊は到着しないのか、このままでは」
「やはり、第3部隊の凍結をといて協力させたほうが」
チェルベッロが助言する。第3部隊、ブラックスペルのγがリーダーを務めるアフェランドラ隊のことだ。人手は多いほうが良い。しかし、入江は力強くかぶりをふった。
「駄目だ、これ以上彼らに勝手にさせるわけにはいかない」
そうこうしていると、モニターのひとつが発信を受け取った。送信元を表すコードを確認し、入江のみぞおちがきゅっとなった。
アンジュ・ミナミに目配せをする。
アンジュは静かに首を縦に振り、件のモニターに背を向けた。
入江は腹をくくり、相手とのビデオ通話を開始する。
『やあ、正チャン』
画面を覆いつくすように現れたのは、ミルフィオーレファミリーボス、白蘭だ。
『久しぶり、元気してた?』
「……お久しぶりです。ええ、おかげさまで絶好調ですよ」
皮肉を込めて返す入江。
『話は聞いてるよ、あんまり幸先よくないみたいだね。まあ、何事もすんなり行くとは限らないしね。あまり自分を責めないで』
外界のリング反応については、あまり固執していないようだ。入江は拍子抜けしつつ、なお己を奮い立たせる。この男がただのくだらない雑談をするために、わざわざ連絡をよこしてきたわけではあるまい。
絶対になにかある。案の定、答えはすぐに出た。
『正チャンに伝えたいことがあってね。こちらの別室の映像を流すから、見てくれるかな』
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